病  教会へと続く大通りの真ん中で、一人の男が血を流して倒れている。  男は背広を着た、何の変哲もない会社員のようだった。 「さっさと処刑しよう」  その周りを囲んで、灰色の制服を着た三人の少年が立っている。  彼らは三人とも、腰からサーベルを下げていた。 「こいつは癒着主義者だ」 ☆  昨年の冬に、戦乱の激しい東方諸国から、一人の亡命者の男がやってきた。  男はクィークホッグと名乗り、この国と対立していた隣国と手を組み、この国の首都を陥落させた。  そして彼はこの国の統治権を獲得したのちに、彼が理想と思い描く世界を、この国で具現化させた。  痩せこけていたが高い身長を低い天井に押し付けられたような猫背で。  彼は国民に向けて手を上げて、こう語る。 ――この世で最も許されざるべき悪を知っている。 ――それは、人間の正常な判断を狂わせる、心の弱さ。 ――それは、感情のヒステリックな命令に盲従し、何の妥当性も認められない道へと駆り立てる臆病さ。 ――それは、「本当に大切なものとは何なのか」を自らの意志で選択できない視野の狭さ。 ――それは、個体の集まりが社会として統合されるのに本能が必要だった動物時代の名残。 ――それは、理性的存在として成熟した我々にはもう不要なはずのものだ。 ――あなたの中にある、情に支配されようとする弱さを捨てろ。 ――あなたの外からくる、情で支配しようとする心の暴力を拒絶しろ。 ――優しさや親愛や思いやりの裏には、あなたのコントロールを奪おうとする脅迫がある。 ――隣人や家族への愛は決して美徳ではない。 ――それは、隣人との心の癒着を通して拡張された自己に対する。 ――美徳の皮をかぶった、世にもおぞましいエゴイズムだ。 ――癒着にまみれて狂った世界を抜け出して。 ――荒涼とした冷たい孤独の砂漠に踏み出せ。 ――喜びと悲しみの霧が晴れれば。 ――やがてあなたは見るだろう。 ――地平線に真実の光を。  この国はクィークホッグが来る前から、王侯貴族の悪政と腐敗により餓死者が出るほどの苦しい生活を強いられていた。  その疲弊した民の脳髄に、クィークホッグのメッセージはすみやかに染み渡った。  さらにクィークホッグが手土産として運んできた科学技術はこの国を潤し、生活水準を一部向上させ。  彼の為政は国民から高く支持された。 ☆ 「お前ら……まだ子供じゃないか」  倒れている男は、これから自分を殺そうとしている少年たちに、むしろ逆に哀れむような目を向けた。 「俺を殺すな。殺して最もダメージを受けるのは俺ではなくお前らだ。  殺しってのはな、簡単なことじゃないんだ。  バックファイアって聞いたことあるか? 心がな、血で、汚れるんだよ」 「黙れ!」  少年たちが男に蹴りを入れる。  彼らはこの国の一般的な学校の生徒であり、脱癒着教育カリキュラムの一環として校外活動中であった。  主な活動は、街のパトロールと癒着主義者の検出・処刑だった。 「インビジブル・インパクト!」 「インビジブル・インパクト!」  少年たちはその言葉を復唱しながら男を痛めつけ続けた。  インビジブル・インパクトとは、「意味の不明瞭な悪しき発言」を指す。  発言が不明瞭なのはメッセージが理性的に受け取られるのを拒んでいるからで。  発言者が、見えない衝撃を聞き手の無意識に与えてコントロールを奪おうとしているからであり。  それを防ぐにはそれが「インビジブル・インパクト」であることを指摘し。  理性の日の本に引きずり出すことで、無意識への衝撃を無効化すればいい、とされる。  これもクィークホッグの教えである。  公衆で行われているこの暴力に、通行人は一切気に留めようとしない。  少なくともそのように振舞う。  少しでも気にするよな素振りを見せれば、赤の他人の境遇に同情する「癒着主義者」として処刑の対象になってしまうからだ。  そして少年の一人がサーベルを抜き、無言で男の首を刎ねた。  首がころころと転がりのを、少年たちは感慨もなく確認する。  そのときである。 「わあああああああああああああああん!!」  女の声が聞こえた。  少年たちが振り向くと、5歳くらいの女の子が、大声で泣いていた。 「ミーシャ!!」  そばにいた女が、慌ててかがんで女の子の口を塞ぐ。 「おい」  少年たちはつかつかと彼女らの方に歩いていった。  女は、怯えた顔で少年たちを見上げる。 「あなたはその子供の何だ? まさか母親じゃあるまいな」  女ははっとなって深呼吸をする。  冷静に受け答えができないと処罰されるからだ。  そして、ゆっくりと首を振った。 「私はこの子供の管理者だ」  この国では、親が我が子と一緒に生活したり育てたりする権利は認められていない。  生まれた子供はすべてすぐに親から引き離され、保育施設に転送される。  彼女は保育施設に勤めていた。 「そうか。だがあなたはその子供を庇おうとしたな?」 「いや、それは……」 「他者の癒着隠蔽は癒着よりも重罪だ。よって処刑する」  癒着という言葉は感情を露にすることも指すらしい。 「きゃあっ!」  女は一刀のもとに切り伏せられた。 「ぎゃああああああああああああああああああああああん!!」  少女は、さらにわんわんと泣く。 「さて」  女を切り伏せた少年はそのサーベルを手に持ったまま、少女に向き直った。 「お前も癒着行為を働いた。よって処刑する」 「アトフ」  別の少年が、サーベルを構えた少年を呼び止めた。 「なんだ。ニジオ」 「殺すべきではない」 「ニジオ、正気か?」  アトフと呼ばれた少年が、ニジオに剣を向ける。 「あなたは癒着主義者に同情するのか?」 「違う。あなたは癒着主義者の対処フローを間違えている」 「……癒着主義者は処刑でいいはずだ」 「更正可能性の検討を忘れている。新参者の癒着主義者はいきなり処刑せずにまず指導だけを行うことになっているはずだ」 「記憶にない。学習が不足していた。後で国則を見直す」 「しっかりしろ。基本だぞ」  そう言ってニジオはアトフを横にどけて、少女に言った。 「泣くな」  命令しても少女は泣き続けた。  仕方なくニジオは、少女に張り手を食らわせようとした。  だが、不可思議なことが起こった。 「……?」  振り上げた右手が動かなくなった。  石になったみたいに硬直する。  力を入れようとしても、どうにもならなかった。 「これは……?」 「ニジオ。何やってる」 「右手が動かないんだ。これじゃ指導できない」 「あなたはその子供に同情しているのではないか?」 「そんなことはない。指導が必要だと理性で納得している」 「自覚が無いだけで、無意識に癒着を起こしているのではないか?」 「……そうでないとは言い切れない」 「もういい。どけ。俺がやる」  今度はアトフがニジオをどける。  少女を叩こうとする状態が解除されると、右手の硬直も解けた。  そしてアトフが、少女のほほを強く叩く。  幸いにも少女はそれで、掻き消された火のように泣き止んだ。  だがそのとき、ニジオの胸に痛みが走っていた。 ☆  その後ニジオは病院に行った。  彼は検査中にボタボタと泣き出してしまい、重度の癒着主義者として処刑された。