ドードリーのファンタジー Beginia 0.  死体があった。  その傍らに少女がいる。  少女の手には、刃渡りが30cmはあるナイフが握られている。  ナイフからは血が滴っている。  握る右手は、小刻みに震えている。  これは動揺。  やさしい世界が教えてくれなかった生殺与奪の衝撃。  そしてそれをそっといたわるように、添えられる手があった。  ここには少女一人しかいない。  それと数えるべきなら、死体もひとつ。  添えられた手は、少女自身のものだった。  これは優しさ。  少女の人格は二つに分割されている。  これは強さだ。  少女自身がもたらした、弱さを覆い包む強さ。  傷つきやすい純粋さは、人を殺してしまったダメージから保護されなければならなかった。  包容力に優れた愛が、早急に必要とされた。  だけどここには誰もいない。  家に帰っても誰も頼れない。  どうしよう、と少女はつぶやいた。  こうしようか、と少女は答えた。  脳は悲鳴を上げて全力稼動し、この危機に対応した。  なにかを愛する気持ちと優しさを人格統合体から切断し、独立したコントロールを与える。  そしてその独立を確かなものにするため、名も与えられる。  マインディア。  生い立ちやディティールは追って補填されればいい。  今はすみやかに、人を殺してしまった女の子を心の危機から保護する。  だいじょうぶだよ。  優しさの仔マインディアが、少女にとっての他者となって少女を抱きしめる。  本当は、第二人格を構築するなら種から育ててゆっくり成熟させたかった。  だけどそんな暇もない。  マインディアの構築のために、愛と優しさが、少女自身から奪われなければならなかった。  そんなものは生きるためには必要ないよと、マインディアではない誰かが言った。  そんなものだろう。  しかし欠落してしまった人格で、少女はこれから現に夢を見ることになる。  それは少女のためのおとぎ話。  必ずしも甘くはなく、しかし必ずしも痛みばかりでもない物語。  少女の名はドードリー。  ドードリー・シャムタンティ。  これはドードリーのファンタジー。 1.  甘い甘いクリームのような夢から覚めると、そこは地獄だった。  窓から見渡した街は、そこかしこが燃えていた。  戦争が押し寄せてきたのだ。  銃を持った他国の兵士が、ドードリーが慣れ親しんだ街を蹂躙している。  彼女はいそいそと着替えて外に出てみた。  助けてくれ、といううめき声が後ろから聞こえた。  振り返ると、黒いもやで視界が覆われた。  もやは手の形をしている。  マインディアの手だ。  その意図は、≪グロ注意≫。  正視に堪えない凄惨な光景がそこにあるのだろう。  見るべきでないものを見えなくしてくれるマインディアに、ドードリーはありがとうを言った。  空は場違いに青い。  青く青く、吸い込まれそうだった。  ドードリーは現実に夢を見ている。  煙のあがる戦場が、うららかな春の陽とあいまって、幻想的な庭園に見えた。  これはドードリーのファンタジー。 2.  気まぐれに歩きながら、気づけば歌を口ずさむ。  燃える近所。  倒壊してそこかしこ欠落している、見知った風景。  途中で何かを踏んでしまったけど、それも内緒の話だ。  いつもなら学校に行く時の角を曲ろうとしたところで声をかけられた。 「ドードリー!」  全身煤だらけの男子が横の道から歩いてきていた。  彼は大荷物を持って家族と一緒に連れ立っていた。  うーわだっさ、とドードリーは思った。 「パーキンス?」  クラスメートだった。  背が低いけどケンカが強く、気も強い。  取り巻きを引き連れてよく弱虫のリットンをいじめていた。 「ドードリーじゃん。何でそっち行くんだよ」  どうやらパーキンスは家族と一緒に教会に避難するみたいだった。 「わたしは、いい。散歩中だし」 「何言ってんの? あー、もしかしてぶっ壊れた? ここが」  パーキンスは自分の頭を指さす。 「失礼ね。あっち行ってよ」 「オマエ親は?」 「……死んじゃった」 「そうか」  パーキンスは特に気遣う素振りも見せずにうなずいた。 「じゃあオマエも一緒に来いよ。今ボケてると死ぬよ」 「ちょっと、汚い手で触んないでよ。痛い」  彼はぐっ、と無遠慮にドードリーの腕をつかんでくる。 「早くしろよ。面倒かけさせんな」 「触んないでよ!」  ぱっ、と手が離れてドードリーは「たたら」を踏んだ。  パーキンスが言うことを聞いてくれたのかと思ったけどそうではなかった。 「あれ?」  パーキンスは血を吐いて倒れていた。  タタン、と乾いた音がする。  パーキンスのご両親も全身から血を撒いて倒れる。  みんな、撃ち殺された。 「わ……っ」  ドードリーは驚くが、すぐに黒いもやがそれらを隠す。  マインディアがすみやかに反応し、グロ光景を検閲してくれている。  見なくていいものを見なくていい。  安心。  そして彼女は見るべきものを見た。  パーキンスの一家を撃ち殺した兵士が、銃をこちらに向けていた。  一人だった。 「****、***!」  謎言語で笑いながら、ドードリーをも射殺しようとする。  ドードリーも笑った。  これはドードリーのファンタジー。 3.  作法を持って扱えば、血の色とにおいも美しくなることをドードリーは知っている。  夢のような夢の中で、ただよってくる刺激はただそれだけだった。  ドードリーに知覚できるものは、はもはやそのくらいしか残らなかったのだ。  彼女は撃たれた後、民家の裏庭に運ばれて、その教育のなってない兵士にのしかかられた。  視界はどんどん暗くなっていき、触覚も味覚も一部の内臓の感覚も遮断されていった。  マインディアがドードリーに降りかかるさまざまな醜悪をフィルタリングしていった結果がこれだ。  真っ暗。  黒背景の中で、断続的に踊る赤。  それから、遠い爆音。  すこし退屈すぎるそのムービーに、マインディアが気を利かせて小鳥や蝶を混ぜる。  ドードリーはうっとりと眺めている。  これはドードリーのファンタジー。 4.  ウララッタはその民家の水道で手を洗っている。  肉体はドードリーだが、それを今動かしているのはウララッタ。  彼女もまたドードリーの精神を切り分けて作られた別人格だ。  今さっき作られた。 「いやもちろん苦痛の遮断だけじゃ生きていかれない訳で」  ウララッタはマインディアに突っ込みを入れる。  客観的にはセルフ突っ込みだ。 「……あなたみたいに強くはないですからね。わたしはさしずめ母性担当ですかね」  マインディアは空をあおいで肩をすくめる。  彼女は対話がスムーズになるように、幻像となってウララッタの傍らにいた。 「こういう敵は楽でいいね。死体を隠す必要がない」  花壇の上に、ズタズタになった兵士の死体があった。  大の男と言えど、無防備に体を晒した相手を刺し殺すことくらいは、彼女にとって造作もないことだった。  ウララッタは暴力と否定を担当する。 「ところでアタシにはこういうのはちゃんと見えるのねえ」 「それはそうですよ。あなたは傷つきやすいドードリーと違って、わたしに保護される必要はありませんからね」 「あっそ。そんでドードリーは?」 「いつも通りですよ。夢を見ている。感受性の豊かな子ですね」 「オッヒメサマは気楽ですなあ」  ぼやきながらウララッタは水道を止める。  拭くものがないのでカーディガンに手をぐしぐしなすりつけた。 「しっかし、人格ってのは、こうポコポコ都合で切っていいものなのかね」 「妥当な対処だったと思いますよ」  マインディアが解説する。  その後にすらすらと流れ出てきたそれは、呪文の詠唱のように長ったらしかった。 「それに、場当たり的な対処と見せかけて、切り分け方には一貫性があります。  すべてはドードリーのやわらかな感性と、冷徹な判断力・現実対応力を両立させるためです。  各人格要素は独立し、自分が受け持つ情報を隠蔽する。  互いに必要な最低限の情報だけが公開され、それぞれ自分の責務に集中できる訳です。  分割すればするほど、個々のシステムは安定するでしょう。  目的指向なんですよ。  明確な目的があって、そのために分割構成が設計されている。              コントローラ  ドードリーの無意識に潜む支配者さんの英断には脱帽ですね」 「理解不能」  何を言ってるのか分からない。  これはドードリーのファンタジー。 Endia