生ごみ姫 ☆  ある都心の住宅地に老夫婦が住んでおりました。  老夫婦はあまり仲が良くありませんでした。毎日顔を合わせるたびに、いや 顔を合わせなくても、お互いをなじり合い、互いに苛立ちと憎しみをぶつけ合 っておりました。最近では口もきかず、もう年金が得られようかという年にな ったのに離婚すら考えている始末です。よく世間では「喧嘩するほど仲が良い 」などと申しますが、これはその範疇からはとうに出てしまっているとしか言 えない、聞くも語るも憂鬱な、苦々しい関係でした。  どういった訳でまたそこまで仲をこじらせてしまったのか、考えられるとこ ろはいくつもあったのですが、その中でも最も大きいと思われるのは、彼らが 子宝に恵まれなかったことでありましょう。かつて彼らが夫婦生活を始めたば かりで幸せと希望に満ちていたころ、良い子供を作って良き家庭を築こうと、 毎日健やかに子作りに励んでいたこともありました。が、夫か妻のどちらが悪 い星巡りの下に生まれてしまったのでしょうか、とうとう妻の方で子を宿す能 力が失われてしまうまで、子供を授かることはありませんでした。  それでも互いに励まし合いながら二人で暮らしていったのですが、彼らの心 に下ろされた失意の根は深く、いつまで経っても癒えることはなく、その陰の 中で過ごした長い年月の中で、次第に互いを思いやる気力も失われていってし まったのです。  そんな老夫婦のうちの夫の方、おじいさんが、ある曜日に、色の透けた袋に 入った生ごみを、近所のごみ捨て場に捨てに行きました。テーブルの上でやり とりしている冷たい文通にておばあさんと交わした取り決めでは、その日が彼 のごみ当番だったからです。  初冬の日の、ある夜のことでした。この近所ではごみを回収してくれる車は 朝早くに来て、サッと行ってしまうものですから、歳の割に寝起きの悪いおじ いさんは、前の日の晩に、先んじてごみを捨てに来ていました。これはごみ捨 て場に書かれた決まりによるとルール違反ということになるのですが、この地 域の家庭はみな同じ事情にあったため、同じように夜のうちに捨ててしまう同 類の方が結構おりまして、おじいさんもあまり後ろめたい気持ちは抱いており ませんでした。  夜は冷えるし、寒いです。ひび割れた手の甲に風が染みます染みます。おじ いさんは早く捨てて早く帰ってしまおうと、2つのごみ袋を両手に持ち、かけ 足でごみ捨て場に向かいました。  おじいさんは、通りの角にあるごみ捨て場に着くと、カラスよけのために金 網でできたゴミ入れを開けて、持ってきた袋を放り込みました。さて、寒い寒 い、地獄の我が家に帰ろうかと手をこすり合わせたとき、おじいさんはその遠 くなった耳で、小さな、かぼそい声を聞きました。  なんだろう、と辺りを見回しますが、おじいさんの他に人は誰もおりません 。そら耳か、とも思いましたが確かに声はします。  そのとき、おじいさんは、ゴミ入れの中に捨ててあったごみの一つが、ほの かに輝きを放っているのに気づきました。それは、聞こえてくる声の調子に合 わせて、光ったり暗くなったりを繰り返していました。  おじいさんは好奇心にかられました。そのごみ袋を手に取ってみると、水で も入っているのかというほど、ずっしりとした重みがありました。袋の口はち ょうちょ結びになっており、おじいさんはそれをたやすく開けることが出来ま した。  すると、なんと!  中から現れましたのは、金色に輝く、それはそれは可愛らしい、玉のような 赤ん坊でした。卵の殻やら魚の骨やら、その体は生ごみに汚れて腐臭を放って おりましたが、輝く赤子は、おじいさんの目に、すばらしく神々しく映ってお りました。  ただ捨てられていたならそれは捨て子の事件ですが、なにしろ光っています 。おじいさんはこれを、神様が、老い先短い哀れな老夫婦を慮った贈り物であ ると決め、胸に抱いて、性悪な妻のいる我が家にほくほくと持ち帰りました。  帰ってからすぐ、おじいさんはおばあさんに久方ぶりになじられました。な にしろ生ごみを捨てにいったはずが、きつい生ごみの臭いを纏って帰ってきた のですから。しかしおじいさんが事情を説明すると、おばあさんは驚きながら もこの奇妙な出来事を受け入れました。なにしろおじいさんが抱えてきた赤子 は、光っていましたから。そして、おじいさんとおばあさんは、喧嘩のことは さておき、一緒にこの子供を育てようということにいたしました。それが決ま ったのと時を同じくして、子供は光るのをやめました。風呂場で丁寧に汚れを 洗い流せば、くさい臭いもなくなりました。  子供は、女の子でした。  その夜、老夫婦は二人して同じ夢を見ました。  上下左右どこを見回しても何もない、無明の闇の中を浮遊していた二人の前 に、常識では考えられないような奇怪な衣服を身に纏ったご婦人が現れました 。ご婦人は、二人に頼みごとをしてきました。それは何やら学術的というか、 堅い言葉遣いの難しい言い回しだったのですが、なんとか彼女の話さんとして いることを飲み込むと、どうやらこういうことでした。 「あの赤子は、わたしの娘です。事情があってわたしの元では育てられなくな り、あなた方にお預けしました。どうかわたしの代わりに、あなた方の元で育 てていけないでしょうか。やがては返してもらいたいとも思うのですが、娘が 大きくなるころには、娘とあなた方は情でかたく結ばれていましょうから、そ れはかないますまい。あなた方がお望みの通り、あなた方に貰っていただこう と思います。ただし、その代わりにひとつだけ守っていただきたいことがあり ます。あの子には決して、結婚をさせてはなりません。男と二人で暮らさせて はなりません。よろしいですか?」  夫婦は、婦人が申し出た約束に頷きました。なぜ結婚してはいけないのか、 どうしてそんなご無体な仕打ちを強いなければならないのか、そこまでは、婦 人は教えてはくれませんでした。夢の中のことでしたので、夫婦は婦人の話を 聞くのだけで精一杯でした。二人は起きてから確かに同じ夢を見たのを確かめ あうと、約束を守ることを決意しました。  心が入れ替わったように優しさを取り戻した老夫婦のもとで、女の子はすく すくと育っていきました。公園に連れていけばよく走り回り、勉強を教えれば よく学び、そして何より、周りへの思いやりと気遣いに満ちた、それはそれは 気だての良い娘でありました。  老夫婦自慢の娘でした。しかしひとつだけ、気にかかってしまう振る舞いも ありました。  器量も良く、何をさせても器用にこなすので、老夫婦や彼女の友人といった 、彼女の周囲の人たちはみな口々に彼女を誉めたたえるのですが、そのたびに 必ず、 「しょせんわたしは、ごみですから」  と嘯き、決して喜んで見せることはないのです。  これを謙虚の美徳と見るか、卑屈な自己卑下と見るか。いくら何でも自らを ごみ呼ばわりするのは自虐が過ぎるだろうと老夫婦も思ったのですが、彼女の 「ごみですから」と深々頭を下げる仕草もまた、茶道のように洗練されて堂に 入っていたため、これも関心した態度で受け入れるようになりました。「しょ せんわたしは、ごみですから」「なんと、ごみにしてはよくできた娘さんだ、 わっはっは」「これはこれはごみには勿体ないお言葉で」「いやいやそんなこ とはない、わっはっは」と、こういう塩梅です。(この人たちは何をやってい るんでしょうか。)  最初にこれを言われたとき、それまであえて娘の出自に触れようとはしてい なかった老夫婦は、娘に「生ごみとは何のことか」と確かめました。すると娘 は、自分は自分の生まれを、ここに来たいきさつを、おぼろげながら覚えてい るのだ、と語りました。それから老夫婦は、特にこの件を改めようとはしませ んでした。  しかし、やはり「生ごみだけに」と上手いことを言わせてもらいましょうか 、このお話は腑にも落ちぬ終わりを迎えます。  娘が女として成熟を迎えますと、男たちはものの見事に彼女に惹かれます。 交際を申し込もうとする者が後を絶ちませんでした。しかし老夫婦がかつて夢 に出てきた婦人との約束で男たちを退けようとするまでもなく、娘自身がこれ らの誘いをかたくなに断り続けました。「この生ごみが男から愛されるなど、 許されることではありません」というのがその口上です。  老夫婦は、愛する娘が彼らの元を去らなくていいのならむしろ幸い、と思っ ておりました。しかし、娘が自ら男を拒むたびに、その夜ごとに、娘の寝床か らすすり泣きが聞こえてくるではありませんか。老夫婦が何事かと問うても娘 は答えようとはしませんでしたが、老夫婦が日ごとに心配を大きくしてゆくの を案じたのか、娘は折れて心を打ち明けました。  娘は、やはり自分も生ごみとは言え、人並みに恋がしてみたかった、男の人 と互いを想い合いってみたかった、と、もう過ぎたこととでも言うかのような 調子で語りました。そして彼女は、悩みを言葉にして心が晴れました、もうわ がままはありません、とほがらかに笑って話を片づけます。それからは、彼女 が男を振った夜になってもすすり泣きが聞こえてくることはなくなりました。 しかし、老夫婦のいたたまれない気持ちは晴れはしませんでした。  やがて、運命が転がって参りました。  老夫婦が山奥のお地蔵さんに参拝に行ったところ、おじいさんが急に胸の痛 みを訴えました。おばあさんは慌てて誰かに助けを求めようとしましたが、そ のときそこにはあいにく誰もいませんでした。おじいさんを肩にかついで何と か車道まで運びましたが、乗ってきた車はおじいさんしか運転できません。人 里離れすぎていたため、助けを呼ぶ手段もありませんでした。  おばあさんが困り果てていると、その峠を一台の車が通りかかりました。お ばあさんが必死に手を振ると、運転していた男は止まって二人を車に迎え入れ 、病院まで運んでいってくれました。  心臓の病でした。素早く施された治療が功を奏し、おじいさんは一命を取り 留めました。老夫婦は男に厚く感謝し、なにか礼がしたいと申し出ました。男 は、困ったときはお互い様ですからと遠慮します。そこに、おじいさんを心配 して見舞いに来た娘が現れました。  かくして、この二人は出会いました。  人はいつも、他の人との出会い頭に心の中で、切ったはったの勝負をしてい ると言います。そのときこの男と娘は、いったいどのよう思いを抱いたのでし ょうか。確かに言えるのは、二人とも互いを一目見た時に、雷に打たれたとい うことです。絵に描いたような出会いが、ここにありました。  男は娘に惚れ、娘に交際を申し出ました。老夫婦も、この人ならばと、自ら 進んで娘に男との交際を勧めました。男が誠実な人柄の持ち主であるのは分か っておりましたし、若くして既に自分のレストランを経営しており、実に頼り がいのある人物であるようでした。また娘自身も、この男を前にすると顔を赤 くして伏せてしまい、悪からぬ想いを抱いているようでした。  はじめは「それでも、わたしはごみですから」と拒んでいた娘ですが、男と 老夫婦のねばり強い押しに遂には折れて、男と付き合うこととなりました。  しかし、思いやり溢れて余りある者同士のすれ違いと申しましょうか。娘は 、男と結ばれることで幸せにろうとしたのではなく、老夫婦を悲しませたくな いがために、男との交際を受け入れたのでした。ことに、病院のベッドで日に 日に弱っていくおじいさんの姿が、娘の心を強く揺さぶっていたのです。  やがて二人は結婚をしました。おじいさんは病床についてからもなかなかに しぶとく、娘たちが幸せに暮らすのを楽しく見守っていました。  そして、古から今に至るまで連綿と人の世で受け継がれてきた淀みないなり ゆきで、娘は男と愛を交わし、腹を膨らませます。  おじいさん、おばあさん、それから夫が新しい生命の生まれに期待する中、 しかし娘が苦悶に耐えながら産み落としたのは、芋の皮や茄子のヘタ、食べ残 しの残飯や虫の死骸などが混じった、世にもおぞましい臭いのする汚物の塊… …そう、生ごみでした。  別に生きて動いたりすることもありません。生ごみはただの生ごみです。い くら娘が腹を痛めて産んだものとは言え、どこをどう斜めに見ても、育てよう も使いようも全くありません。生ごみは、生ごみの日に捨てられました。 「やっぱり、ごみでした」と、娘は泣きながら笑いました。 ☆  おわり