ポコ ☆  好きな人がバレたところで、別に何ともないと思っていた。  もちろん、後出しでカミングアウトするなら友達とターゲットがカブらない ようにする配慮は要る。カブったことが分かった後で、どっちかがターゲット を変えるのもアリではあるけど、変えた方も変えられた方もかなり気まずい。 ましてや、「どっちが先に相手を落とせるか競争、どっちが勝っても恨みっこ なしね?」なんて取り決めは論外だ。本気になればなるほど引き替えせなくな るのに、どっちかがフラれちゃった後で「恨みっこなし」なんて成立する訳が ない。勝った方だって変な遠慮とか後ろめたさが残る。無謀を通り越して薄ら 寒い。  と言うわけで、カミングアウトのタイミングに気を遣える程度には、あたし は恋愛に関して割り切れていた。いまは高校二年なんだけど、この高校に入る ころにはもうそのくらいの心境になってたかな。とにかく、もう恥ずかしいと か想いを秘めていたいとかの理由では、好きな人の名前を隠したいと思うよう なことはなくなっていた。中学の頃に比べたら、心の風通しはだいぶ良くなっ たと思う。  それがあたし、西田美保子だ。  だが好きになった相手がオタクとなると、さすがにこれをカミングアウトす るのはどうかということになる。  だってオタクだよ。人として「ないない」だよ。それも最近のドラマとかマ ンガに出てくるような「オタクだがすごく優しくて足長くて眼鏡を取ると超美 形」とか「オタクだけど何かの御曹司でスポーツ万能で超美形」みたいのなら まだマシだ。けど、あたしが好きになったのは、決してそんなんじゃない身も 蓋もないオタクだった。  松下亮。  リョウという名前の男子はクラスに二人いるんだけど、彼は「ダメな方のリ ョウ」とか呼ばれている。  背が低くて、髪が不愉快な具合に天パでぼさぼさで、顔のパーツが異様に中 央に寄っててしかめっつらしてるみたいで、猫背で、むっつり無口で、かと思 ったら似たようなオタクの友達とアニメとかの話をするときには妙なノリの早 口でキモがられてて、何が入ってんだか鞄はいつもパンパンで、授業中にはい つも何だかごそごそ動いてて鬱陶しい。やろうと思えばまだまだ挙げられるけ ど、この辺にしておく。端から端まで全否定だって出来る。はい、とても好き なのでよく見てるのです。  困るよねこれは。言えない言えない、誰にも言えやしないよ。そりゃ、外見 とかステータスじゃなくて中身を好きになったってことなんだからそういう意 味では聞こえはいい。けど、松下だよ。あんまりだ。あまりにも松下だ。もし あたしが親友のリナの前で彼が好きなんて話をしたら、まず半眼で「何それ?  寒いよ」って言われて、冗談じゃない旨を告げたら、次に「松下かよ! な んだよその志の低さはよ!」って笑われて、その後「あー面白かった。じゃ、 また明日ねー」と別れて、次の日からはずっと話しかけてもらえなくなると思 う。いや、必ずしもそうなるとは限らないけど、だいたいこれに近い流れにな るはずだ。少なくとも、あたしがリナの立場ならそうする。同じ穴のムジナに 見られるからね。冷たいようだけど、そういう仕打ちを受けても相手に怒るの は筋違いだ。そういうキツい現実を読み違えたあたしが悪いだけだ。  そんな、虫同然に扱ってしかるべき松下をじゃあなんでまた好きになってし まったのかと言うと、少しややこしい話になる。 ☆  あれは火曜日の放課後だったか。  委員会の集まりが終わって、さて帰るか、ってなった後、宿題があるのに化 学の教科書を教室に置き忘れたのに気づいて、取りに戻ったときのことだった 。  クラスメートはもう全員帰っていて、教室には誰もいなかった。あたしが自 分の机に戻って、中に手を突っ込んでの教科書を取り出したとき、お尻がひと つ後ろの机に当たった。それから、どさどさと物が落ちる音がした。  後ろの机に詰め込まれていた中身が、漏れ落ちてしまったのだ。この席が松 下亮の席だったんだ。けど、まあ相手がいくら松下だからって、あたしが落と してしまったのを放っとくのも気がとがめた。あたしはあーあーとため息をつ いて、床に散らばった教科書やらノートやらマンガ本(萌え萌えの美少女が表 紙を飾っていた)を机の中に戻そうとした。  そのとき、落ちたものの半分くらいを取り上げた拍子に、一冊のノートがそ のページを開いた。 「ワァーオゥ」  一人しかいないのに、あたしは思わずそんなおどけた声を口に出してしまっ た。自分でも少し痛いと思う。ノートには、松下がシャーペンで描いたと思し き、漫画っぽいキャラクターのイラストがあった。 「……こりゃまた結構なご趣味をお持ちで」  しかもそのキャラクターのイラストの横には、身長とか体重とか性格とか、 何やかやの設定とかが書いてあった。授業中、後ろでごそごそうるさいと思っ たら、あいつこんなことをやってたのか。  あたしは舌なめずりをしたと思う。何かこう、見てはいけないものを覗きこ もうとするような興奮があった。タイトルをつけるなら「ザ・松下の世界」。 うわあああぁいけませんいけません、禁断の扉です!  あたしは一度冷静になって、周りを見渡した。誰もいない。  これが昼間の教室だったら、みんなの目があるので普通に落ちたものを机に 戻して終わっただろう。あるいはリナとかが一緒だったら、みんなで回し読み して爆笑してたかも知れない。けど、このときはあたし一人だった。他に誰も いない。  あたしはそのノートを、化学の教科書と一緒に、自分の鞄にしまい込んだ。 家に持ち帰って、ゆっくり閲覧させてもらおうと思った。あのオタク野郎の内 面を覗きたかったし、あたしは今でも結構漫画が好きだったりするからだ。  一緒に落ちた萌え萌えの美少女漫画も気になった。どんな恥ずかしい物を松 下が読んでるのか知りたかったからだ。本当はそっちも持って帰りたかったけ ど、欲張るのはやめておいた。そして、残りの落ちた物を松下の机に押し込み 、あたしは弾むような足取りで下校した。 ☆  夕ご飯を食べてお風呂も済ませたあと、あたしはパジャマを着て自分の部屋 に籠もった。今日は見たいテレビがなかったので、寝るまでの時間が空いてい た。次の化学の授業はまだ先なので、宿題は明日にでもやればいい。鞄から例 の極秘ノートを取り出した。ベッド脇の壁に置いたクッションを背もたれにし て、体育座りのリラックスした姿勢でそのノートを開く。  正直第一見は、少し拍子抜けしたというか、内容が期待していたものと微妙 に違っていたので落胆した。萌え萌え美少女が出てくるどうしようもない感じ の妄想漫画を期待していたのだが、それよりは落ち着いているというか、まと もそうな雰囲気だった。しかも、漫画じゃなくて小説だった。  ノートの後半が小説で、前半が、登場キャラクターの紹介みたいなページに なっていた。一ページに一人ずつ棒立ちした人物が書かれていて、教室でも見 た、文章による設定が付け足されている。萌え萌えと言えるような人物は特に おらず、男女もそれなりの比率で混ざっていた。  ヘッタクソなのかな、これは。いや、これと同じくらいの絵を描けと言われ てもあたしには描けないし、よく描けていると言っていいのかも知れない。決 して上手くはないし華やかさもないし雰囲気もいま一つなんだけど、こう、な んとも言えないような、もさっとした素朴さがあった。  うーん、なんだろうかね。萌え萌え美少女が描いてあればそういう子といち ゃつきたい願望があるんだろうなと思うし、日本ではあり得ないような格好し てる奴がいれば、そういうファンタジーを描きたいんだろうなと思う。けど、 この絵にはそのどちらもなかった。「ただ人を描こうとして人を描いてる」感 じ。「え!? じゃあ何が楽しくてこんなにたくさん描いてるの?」と問いつ めたくなってしまう。  主に学校を舞台にした話らしかった。人物は三十人くらいいた。魚屋の不良 息子がいたり、生徒に体罰を働いてクビになった教師がいたり、好奇心旺盛な 探偵みたいな女性とがいたりと、ずいぶんバラエティに富んでいる。ただその 中で、妙に没個性というか、没個性さで際だった人物が二人いた。  一人は「僕」。  主人公らしい。僕、と言うからには松下亮本人なのだろうか。けどなぜか名 前がない。はっきり「名前は不明」とまで書かれている。名前が無いなら、学 校の出席簿ではどういう扱いになってるんだろう。中肉中背の、無特徴な少年 が描かれている。けど残念、お前はこれよりもっと不細工でチビで暗い感じだ よ。そして総合的に言ってキモいんだよ。  もう一人は「ポコ」。女の子だ。  これも、「僕」と同じで、何の飾りも個性もない「ただの女の子」が描かれ ているという感じ。だけどこれがヒロインだった。しかも、ポコ? 本名じゃ ないよね? そして設定として「主人公のことが好きだが、素直になれない」 と書かれていた。  来た来た! あたしはニマニマしてしまう。丁寧に読んだら、ちゃんとフォ ローされてるじゃないですか。こういうのですよ。こういう願望がぶちまけら れているのを見たかったんですよ。お前の作ったお話の中で、お前はいっちょ まえに女の子に愛されてるんですねー。  登場人物はこれくらいでいいや。あたしは寝るまでの時間を使って、本編の 小説を読むことにした。松下亮が「僕」と「ポコ」を使ってどんな痴態を繰り 広げてしまうのだろうと、わくわくしながらページをめくる。 ☆  あたしは姿勢を変える。  ベッドにうつ伏せになり、ふとんを被った状態で松下のノートを枕の上に広 げる。ぬくぬくのいい気分で松下の妄想を覗き見たかった。  酷すぎて読めないようなのも覚悟していたが、なかなかに読みやすく、内容 も悪くなかった。  いや、面白い。うん。  舞台は学校。三ヶ月後に巨大な隕石が降ってきて世界が崩壊するのが確定、 もう避けられないことがニュースで報じられましたというのが背景。そのせっ ぱ詰まった状態で、たくさんいる登場人物が、それぞれの事情と思惑で動いて 状況が転がっていく、というものだった。なかなかに引き込まれた。  あたしは松下のストーリーテリングに感心した。最初は松下の痴態に向いて いた興味の方向も、いつしか物語の内容の方に傾いていった。  キャラクターがよく描けてるんだろうな。それぞれのセリフと行動から、み んな違う考えを持って動いたり右往左往したりしてるんだなってのが分かるし 、ちょっとしたしぐさの描写が、たとえば粗野な女の子の意外に繊細な一面と か、人間性をきめ細やかに伝えてくれる。うーん、やりおる。不覚にもあの松 下を見直してしまう。松下のくせに。あたしは楽しく悔しがった。 ☆  インパクトはその後に来た。  主人公の「僕」は、斜に構えた受動人間だった。周囲とちょっと距離を取り 、みんなの行動や騒ぎを冷めた視線で観察し、誰も聞いてないのにどうでもい いような感想を言う。なんか読んでて腹が立ってくるんだけど、わざとやって るのか、それともこれが松下の素のメンタリティなのかは分からなかった。  そしてそんな「僕」は、なぜか「ポコ」に好かれるのだ。「ポコ」ちゃんは 主人公を気にかけ、まとわりつき、どう見ても好意の裏返しであることがバレ バレな、駆け引きとしては稚拙な暴力を振るう。そして、主人公の言動に対し ても、結構辛辣な批判をする。 『あんたさ、そうやって何でもないよってツラで腕組んでるけど、それってど うなの? かっこいいと思ってるでしょ? ねえ、思ってるでしょ?』 『ごめんね、あんたの言ってること、まっっっったく分かんない』 『頭どうなってんの? おかしいよね?』  ……という具合だ。  おや……?  あたしはデジャヴュを感じた。この「ポコ」のせりふ、似たようなのをどこ かで聞いたことあるような……  ポク ポク ポク ……チーン 『あんたいっつもわっざとらしく窓の外見て黄昏れてるけど、あれ何なの?  かっこいいと思ってるでしょ? ねえ、思ってるでしょ?』 『ごめんね、あんたの言ってること、まっっっったくどうでもいいわ』 『頭どうなってんの? おかしいよね?』  ……という、せりふが今、あたしの中にリフレインする。  それら数々のせりふは、全部、あたしが、教室で松下に向かって心の底から 侮蔑と共に発したものだった! ☆  繰り返すが、あたしの名前は「美保子」だ。 ☆  えっ、何!? これ何!?  あたしはゾクッとした。背中が粟立った。一瞬で理解したその事実は、あた しが言葉にして再確認する前に、あたしの体を震撼させた。  「ポコ」……「ミホコ」……  名前も似ている。  つまりだ。これはだ。あれだ。  つまりこの「ポコ」はあたしがモデルにされているのだ。ここまで符合する なら間違いないと見ていいだろう。松下の中で「ポコ」は、あたしなのだ。  そしてその「ポコ」ちゃんが松下が感情移入している主人公の「僕」を好い ているっていう設定は、つまり、松下が、このあたしに好かれたいという願望 を持っていることを示している。そうに決まっている。絶対だ。  松下は、あろうことか、あたしのことが好きだったのだ。 「うおおおお、松下ぁぁぁ!」  あたしは、ノートを閉じた。そして枕に顔をうずめて暴れる。足をバタバタ させて、両手でダフダフと布団を叩く。 「きんもー、キモいよあんた!! キモいって!!」  感情が爆発する。あたしは体を回転させて仰向けになり、その勢いで布団を はじき飛ばした。大笑いする。 「あんた……よりによって、これ、あたしかよ!! なんだよそれ!! くそ ウケる! 松下の妄想くそウケる!!」  楽しさで軽くバカになりながらも、作中の「ポコ」についての描写を思い出 す。改めて見れば、確かにあたしのことなんだろうなと思える部分がいろいろ ある。頭を右に傾けがちなところとか。よく見てんなーコイツ。  しかも、作中で「ポコ」に好かれる「僕」は、好意を寄せる「ポコ」に対し て鬱陶しそうな態度を取ってるんだから業が深い。 「ふざけろよお前、死ねよ!!」  一人で読んで、本当に良かった。  これがリナとかと一緒に読んでたんなら、明日から松下のことをシカトしな くちゃいけなかったところだ。  まんざらでもないなんて、死んでも悟られたくなかったからね。 ☆  翌朝は早朝に登校した。教室に誰も来てないうちに、松下の妄想ノートを彼 の机に戻しておく。机の中身の配置が変わったなんて松下はいちいち気にしな いだろう。仮に訝しまれても、あたしが机の中身を過失でぶちまけたのは真実 なんだから言い訳では困らない。 ☆  そんな経緯で、あたしは松下を好きになってしまったのだった。  この「好き」……彼氏にしてもまったく自慢にならないこんな男に対するこ の「好き」……この「好き」の扱いをどうしたものか、あたしは決めかねてい る。  松下を含めて誰も気づいてないけど、あたしたちは両想いだ。けど、だから と言って松下みたいなのと付き合うなんてのはあたしのプライドが許さない。 気持ち悪いと思ってたあの顔はジャガイモみたいに可愛く見えるようにはなっ たけど。  さて、周囲の目が無ければ、彼と付き合ってみたいか……と言うと、それは 何か違うかな。正直な願望を言葉にすると、「密室空間で彼と二人っきりにな って、あたしのことを好きであることと、クソ痛い妄想ノートの内容を楯に、 長時間ねちねち粘着質に彼の精神を、泣かすのも厭わずいたぶり続けたい」だ 。わあ、ビックリだ。あたし、かなり変態じゃないか。今まで気の強い男とば っかり付き合ってたからかな、これは気づかなかった。  ただまあ、こっちからアプローチするなんてことはしない。彼の小説の中み たいに、「本当は好きだけど、でも素直になれない」のとは違う。確かに好き という気持ちがバレるのは恥ずかしいんだけど、それは好きという感情そのも のに羞恥心があるからじゃなくて、松下のことを好きなんてのは世間に顔向け できないスキャンダルであるからだ。そこを押してまで気持ちを伝えたいとは 思わない。  仮に松下が告白してきたとしても、ほぼ確実に断るだろう。まあ、松下と付 き合うなんて絶対に周りにバレたくないのだというこちらの事情を察し、学校 外で、ものすごく周囲の目を警戒して絶対にバレないように配慮した上で、秘 密のつきあいをしましょうと、提案する、という、ここまでやってきてくれた ら、考えてあげないでもないかな。 ☆  そうそう、ノートを堪能したその夜のうちにあたしはコンビニに出かけてい た。  特に感慨深いページのコピーを手元に残し、今でも、ときどき見返してはそ れを楽しんでいる。 ☆ おわり