やがて北風がこの地を去り、雪は溶け落ちて、今年もあたたかい春が訪れます。 若い木が集まるところ、鳥たちがさえずるところに春風が吹き溜まって、森の妖精が姿を結びました。 彼女は川べりに立ち、水面に映った愛らしい少女の姿を認めます。 すると心の奥底から、自分につけるべきなのはこれしかないという名前が浮かび上がってきます。 アマールカ。 アマールカは、地上で息吹くものすべての営みを讃えるようにして、くるりくるりと回りました。 ああ、かわいいアマールカ、おまえはどんな夢を見るのだろう。 アマールカは、川のほとりの木の下に、りんごが落ちているのを見つけました。 まあ、なんておいしそうなんでしょう。 喜んで拾おうとすると、熊が来て先に拾ってしまいました。 アマールカがぽろぽろ泣くと、熊は仕方ないなと観念して、りんごをアマールカにくれました。 別の日に、老夫婦が森に来てひつじの子を罠にかけました。 ひつじを可哀想に思ったアマールカは老夫婦のところに駆けつけて、ひつじの子を逃してと言いました。 老夫婦は、アマールカのお願いを断りました。 とってもお腹が空いていて、ひつじを諦める訳にはいかないのです。 アマールカはひつじの子に向かって、あきらめて頂戴と言いました。 ひつじの子は、いやだ、絶対に死にたくないと言いました。 困り果てたアマールカは、ぽろぽろと泣いてしまいました。 老夫婦は、可哀想なアマールカにビスケットを3枚渡して、ひつじの子を持っていってしまいました。 別の日に、二匹の狼が喧嘩していました。 アマールカが狼たちのもとに来てそんなことはやめてと言いますが、喧嘩はやみません。 言うことを聞いてもらえなくてアマールカはぽろぽろ涙を流します。 しかし頭に来ている狼は、構わず喧嘩を続けます。 猟師がそこに来て、喧嘩に夢中な狼たちのうち、一匹を撃ってしまいました。 残った狼とアマールカは、一目散に逃げ出しました。 夜、静かに輝くお月さまの下で、アマールカはひとり涙を流します。 どうしてみんな、仲良くできないのでしょう。 おお、かわいそうなアマールカ、おまえの悲しみはどこに流れてゆくのだろう。 切り株の広場で、森の動物たちが集まって話し合いをしています。 熊が言いました。 「アマールカは頼りがいがあるやつだと思っていたけれど、どうやら見込み違いだったようだ。」 ひつじの母親が言いました。 「わたしの子が人間に奪われてしまった。アマールカは泣いてばかりで何もしてくれなかったわ。」 生き残った狼が言いました。 「森の妖精なのに、ちっともぼくたちを助けてはくれない。ぼくたちは自分で何とかするしかないんだ。」 動物たちの話し合いを物陰で聞いていたアマールカは、ひっそりとぽろぽろ泣きました。 ある日、森に異変が起こりました。 木々に火が燃え移り、どんどん広がっているのです。 わあ、たいへんだ! 動物たちは逃げ出しました。 鹿が言いました。 「アマールカ、助けて!」 熊が言いました。 「アマールカには頼れない。みんなで手分けして、火を消そう!」 しかし川のみずをいくらかけても、火の手はどんどん燃え広がるばかり。 動物たちには、為す術がありませんでした。 鹿は動物たちの中から抜け出して、アマールカのところにやって来ました。 アマールカはぽろぽろ泣いています。 鹿が言いました。 「どうしちゃったの、アマールカ。  前の年は、あんなにぼくたちを助けてくれたのに。」 アマールカが言いました。 「知らないわ。わたし、そんなことした覚えない。」 鹿が言いました。 「アマールカは助けてくれたじゃないか。  魔法を使ったり、知恵を使ったり、優しく諭してくれたりして、ぼくたちを助けてくれたじゃないか。  それもすべて、忘れたっていうのかい」 アマールカが言いました。 「きっと前のアマールカはいなくなったのよ。わたしは駄目なアマールカなんだわ」 鹿はそれを聞いて、びっくりしてしまいました。 アマールカは泣きました。 ずっと泣いていました。 けれどどれだけ泣いても鹿は何も言いませんし、状況が良くなることもありませんでした。 動物たちは湖のほとりまで逃げ延びました。 ところが火の手は止まらず、森をどんどんと包み込んでいきます。 不思議なことに、森を焼く炎は、雨が降ってもまったくやむことがなかったのです。 「燃えろ、燃えろ! ぜーんぶ燃えろ!」 森の中で、消えない炎を放って回っているものがおりました。 それは、人間でも動物でもありませんでした。 立派な服に、蜥蜴の頭。二人の子分を引き連れてえばっている彼は、地獄から来た貴族の男。 地獄男爵でした。 「燃えろ、燃えろ! ひとつ残らず灰にしろ!」 「こんなことはやめて。」 地獄男爵に声をかけたのは、アマールカでした。 途方に暮れて歩いていたら、偶然に出くわしてしまったのです。 「やあやあこれは。出来損ないのアマールカではないか!  以前は邪魔でしかたなかったけれど、こうなってみては可愛いものだなあ!」 アマールカは言いました。 「どうしてこんなことをするの。」 地獄男爵は言いました。 「もうお前が怖くないからさ!  今のお前はこちらが何をしてもただただ何もせずに泣くばかり。  邪魔をしてこないなら働きがいがあるってものさ!  この森をぜんぶ地獄に変えてやる!」 「やめて、やめて!」 「やーめない! そこでみじめに泣いているといい! ずっと泣いているといい!  その涙は火の粉のひとつさえ消すことはできないだろう!」 アマールカの涙は、燃える森の熱さで、地面に落ちる前に蒸発してしまいます。 ああ、あわれなアマールカ、お前は何をしに来たのだろう。 泣いても誰も助けてくれないと分かったアマールカは、地面に手を置きました。 「くじらのおおぐちにおちるゆめ。」 するとたちまちあたりの草が伸びて、地獄男爵たちに絡みつきます。 「うわあ! 助けてくれえ!」 「それはできないの。」 草は地獄男爵たちを呑み込んで、どこかに消し去ってしまいました。 「ごめんなさい。優しい魔法は使えないの。」 草たちがもとの長さに戻っているあいだ、アマールカは涙をこらえています。 男爵がいなくなったことで地獄の炎は消え去りましたが、森は元には戻りませんでした。 おお、おそろしいアマールカ、お前はなんということをしたのだろう。 動物たちは火が消えたことに安心しましたが、喜ばしい気持ちにはなれません。 多くのものが失われてしまったためです。 アマールカは、悲しくて仕方ありませんでした。 せめてみんなには涙を見せないようにしようと、岩場の洞窟の中に閉じこもりました。 入り口も魔法で崩してしまい、閉ざされた闇の中、さめざめと泣き続けました。 アマールカを助けようという者は、一人もいませんでした。 ああ、かなしいアマールカ、お前は何を望むのだろう。 やがて人間の世界で、戦争が起こりました。 いくつもの国が入り乱れる、大きな、酷い戦争でした。 目を覆うような犠牲が、数えきれないほど起こりました。 暗闇に、ひとつの灯りが灯りました。 アマールカの閉ざされた世界に、ランタンを持った老人が現れたのです。 老人は、たいへんに立派な身なりをしていました。 ゆっくりとアマールカのところへ歩き、こう言います。 「アマールカ。あなたを必要としている者がたちがいる。」 泣きつかれてうつむいていたアマールカは、顔を上げました。 「おお、たいへんにつよいアマールカ、お前はどれだけの敵を打ち倒せるのだろう。」 アマールカは言いました。 「あなたはだあれ?」 老人は言いました。 「わたしは地獄伯爵だ。」 アマールカは言いました 「どうやってここに来たの?」。 地獄伯爵は言いました。 「わたしは何百もの魔法を操ることができる。  このような閉じた場所にも、わずかな隙間から入り込むのは容易いことだ。」 「地獄の人がわたしに何の用かしら。地獄男爵をやっつけた仕返しに来たの?」 「とんでもない。  森を燃やしたことは、私の本意ではなかった。  後先を考えずに暴れる地獄男爵を止められなかったばっかりに、  大きな迷惑をかけてしまった。心から反省している。  私も大事な部下たちを失う羽目になったが、恨みはない。本当だ」 アマールカは目を伏せました。 「だったらいいけど。  あなた、きれいなランタンを持っているのね。」 地獄伯爵は言いました。 「地獄で一番の彫金師が造った業物だ。  地獄に九十九の領地を持つ私にとって、  このようなものを手に入れるのは造作もないことだ。」 「それで、わたしのことも手に入れに来たの?」 「さすがはアマールカ、話が早い。  はっきり言って、私はきみの力を高く買っている」 「だれかを傷つけることしか出来ない、みすぼらしい力よ。」 「地獄男爵が手も足も出ずに破れてしまった。それぐらいに強い。素晴らしい!  今、地上では人間たちが戦争を繰り返し、疲弊している。  地獄にとっては地上にのぼり、混乱に乗じて覇権を握るまたとないチャンスだ。  ここでお前が地獄についてくれれば、その進撃はさらに盤石なものとなるだろう。  私と来い、アマールカ。  お前なら地獄の王妃になることも夢ではない!」 アマールカは冷たく言いました。 「いやよ。  反省しているなんて口ばっかりね。  本当に反省しているなら、しなくてもいい争いをしようなんて考えないわ。」 「誰かが世界を束ねなければ、争いと犠牲はいつまで経ってもなくならないぞ。  それを出来るのは、地獄にひしめく六百六十六の国々をわずか七ヶ月で支配下においた地獄の王だけだ。」 地獄伯爵はえばってそう言いました。 けれど、アマールカは相手にしません。 「そこまでよ。その人の役割は、地獄を束ねるところまでで終わってるわ。  そんなに大きくなったのなら、挑むばかりではいられくなるの。  これまでの功績に酔い痴れて何でもできると思ったら、痛い目を見るのはその人の方よ。」 「貴様はいま虎の尾を踏んだぞ!」 地獄伯爵はおそろしい、獰猛な悪魔の形相をむき出しにして怒りました。 「時間をくれてやる。王を侮辱したことを後悔する時間をだ!  次に会ったらお前だけでなく、動物たちも、森も、お前が大切にするすべてを腐らせてやる!」 そう言い残して、闇の中に消えていきました。 アマールカはきっぱりと言いました。 「次なんてないわ、地獄伯爵。あなたとはもうお別れなの。」 暗闇のなか、消えたように見える老人を、アマールカはしっかりと見ていました。 「ミルクといっしょにまざるゆめ。」 アマールカが手を振ると、洞窟の入り口を埋めていた岩がとても熱くなり、どろどろに溶けます。 地獄伯爵がミミズに化けてその隙間から入ってきたのを、アマールカは知っていました。 そして地獄伯爵は今もミミズになってその隙間から外に出ようとしていたのです。 地獄伯爵は魔法を使うこともできず、溶岩に焼かれてしまいました。 アマールカは、ミミズに化けている地獄伯爵が同時にべつの魔法を使えないことを見抜いていました。 人間に化けていた地獄伯爵が、灯りを自分で作らなかったからです。 ミミズの体を引き裂かれて命を失った地獄伯爵は、魔法が解けて元の体に戻りました。 真っ赤な色の巨大な死体が入り口の岩を押しのけると、洞窟に太陽の光が差し込みます。 「かっさいのぶたいでうたうゆめ。」 アマールカは太陽の注意を呼び寄せました。 地獄伯爵の体はその光を浴びた途端、ぼろぼろになってしまいます。 体から霊魂が抜け出してこっそり逃げようとしたのですが、それもアマールカに捕まえられてしまいます。 霊魂は哀れを誘う声で言いました。 「許して、許して。私は終わりたくない。どうかお願いします、見逃してください。」 アマールカは言いました。 「もう二度と、人間や動物たちから何も奪わないと誓いなさい。」 「ふざけるなよクソガキてめえクズ共をクズ扱いするのは当然だろうがてめえは残飯以下の爛れ脳みそか!?」 霊魂になって心を鎧えなくなった地獄伯爵は、思ったことは何でもそのまま言ってしまいます。 アマールカは悲しい顔で言いました。 「だったら助けられないわ。あなたを助けることは、たくさんの人や動物たちを殺すことだもの。」 「いやだ! 助けてください! お願いします!」 アマールカは中に閉ざしていた魂を、ぎゅっと握りつぶしました。 アマールカが手を開くと、そこにはさらさらとした赤い砂が乗っていました。 「さようなら。」 アマールカはそれを口に入れ、ひとつ残らず飲み込みます。 こうして地獄の伯爵は、どのような魔法でも決して蘇ることができなくなりました。 地上に出たアマールカは丘を上り、人間たちの国がある方を見つめます。 風にたなびくアマールカの髪は、燃えるような真っ赤な色に染め上がっていました。 その後、アマールカは修羅の道を歩みます。 相争う人間たちを止めることができないアマールカは七十七の魔法と知恵を駆使して、 地上に攻め入って来た地獄の軍勢を迎え撃ちました。 しかしそのすべてを滅ぼしてもアマールカはついぞ救われず、冬に眠りに入ることも出来ませんでした。 アマールカは谷間にある庵を訪れて、時の翁にお願いして時の水鏡を見せてもらいました。 そしていくつ通りにも分かれている過去と未来を調べ尽くして、ただひとつ見つけられた希望に賭けることにしました。 アマールカは地獄に自分から降り立って、地獄王子と出会いました。 地獄王子は、地獄でたったひとり話の分かる優しい心の持ち主でした。 アマールカは地獄王子と協力して、傲慢な地獄の王を打ち倒しました。 そして地獄王子と結婚して、王子と共に地獄の国々を治めることにしました。 地獄王子が苦手とする荒事は、すべてアマールカが引き受けました。 優しいことのできないアマールカに代わり、国を愛して、豊かにする仕事は王子がうまくやってくれました。 アマールカは時おり何もかもが悲しくなって、ぽろぽろと涙をこぼしてしまいます。 新しい地獄の王はそのたびに、優しく掬い取ってくれました。 おしまい