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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2013年


ウタスクス


 少女が血を吐いた。着ていたシャツが汚れた。だが彼女は笑っている。交渉の席では笑顔が基本だからだ。内臓を潰されて吐き気と眩暈に見舞われても、礼を失していい理由にはならない。
「さすがだな」
 男の声がした。誉められたのは彼女の笑顔だろうか。暗闇の中だが見えないとは限らない。部屋の明かりは落としてある。そこを襲われた。彼女の部屋に男が入ってきたのだ。不法侵入だ。ただしここで警察の出番は一切ない。彼女は事を表立たせたくはなかった。気休めにもならないサービスと引き換えに、情報を漏らすのは良い取引ではない。
「自室で寝床についていたお前に、何の脈絡もなく現れて致命打を振るった俺が一体何者なのか。お前には分からないはずだな? にも関わらずここに至ってその冷静さだ。生理反応をも押さえつけて汗もかかず呼吸も乱さずか。よく出来ている」
 ささやくような甘い声。しかし語りは酷薄だった。冷たい眼差しで観察されている。やはり暗視は効くらしかった。彼女もまた、相手を把握しようと努めている。全神経を集中して情報をかき集めている。そして闇に目を慣らしていく。窓から差すわずかな光源を頼りに相手を視認する。そこで彼女は意外なものを見た。
 こちらを踏みつけて見下ろしているのは、金髪の青年だった。背広を着ている。彫りの深いうつくしい顔立ち。少し骨ばったきらいのある、枯れ木のような風情。どこか厭世的な、けだるげな眼差し。欧米人のようでもあったが、別の特徴がそれを否定した。頭の左右から、波打つ髪を分けて尖ったものが突き出ている。それは耳だった。悪魔のように尖っている。作り物ではない。この地上にそのような特徴を持った人種は無い。だから欧米人ですらない。
 エルフだ。
 彼女は確信した。それは幻想物語に現れる架空の人種だ。しかし実在する可能性があるのも彼女は知っていた。いつか会うべきだとも思っていた。だから驚かなかった。
 男は話を続ける。合理主義者特有の淡白な口調で。日本語で。
「それだけ賢ければ現状も理解できているはずだ。今、お前の生殺与奪は俺が握っている。いつでも殺せる。段階的に破壊することも出来る。この場は俺が支配している」
 彼女は黙って聞いている。相手の望みを問うことはしなかった。相手は自分の優位を強調し、ルールを定めようとしている。それに理解を示さないのは悪手だろう。少なくとも今は。自分の手に鬼札が回ってくるまでは。
 それでも相手は体重をかけてきた。彼女の口から漏れる血も増える。悶えはしなかった。苦痛を訴えて何が変わるわけでもない。ただ会話だけはできるように、シャツの袖で口の中を拭う。
「矛盾があれば殺す。だから心して答えろ。知りたいことは単純だ」
 流れてくる言葉の連なりはなめらかで、至極理解しやすい。それだけに危険だった。
「罪を貪る兄妹を知っているか」



 季節にはまだ早い桜の枝を、数匹の小鳥が跳ねている。
 黒野宇多は自宅の縁側で茶を飲みながら、現在抱えている案件を頭の中で整理していた。

 織原七重の一件の後始末は荒野とつぼみに頼んである。馬の合わない二人だが、仕事でのけじめはつけられる。任せておいていいだろう。
 つぼみが大地から受けた精神的ダメージも、表面的には落ち着いてきたようだ。しかし彼女が抱えている自己矛盾に釘が刺された状態になっている。取り除いてやらねばならない。手元で時間をかけてゆっくり癒していくつもりだったのに、大地のせいで荒療治が必要になってしまった。本当にろくでもない。
 しかも大地はエリア・ローレライでもまたぞろ悪さをしでかしたようだ。そのお陰で昨晩、宇多はローレライからウィンドウを越えて来たエルフのシズマ・パッフェルヴェルの「訪問」を受けてしまった。会話で引き出した情報はこちらの方が多いものの、挨拶代わりに肋骨を折られ内蔵を荒らされた。しばらく運動と食事に制限がかかる。それでもエルフと江ノ島との盟約はまだ更新されているためであろう、殺されはしなかった。
 シズマは理性的だが乱暴な男だ。巌にも警告しておいた。
 シズマは要はローレライからの斥侯だ。できれば早急に始末か送還したい。境界を犯して悪さをしているのは(大地のせいで)お互い様だし、結局物をいうのは説得力というやつだ。しかし今の宇多は戦えないし、荒野やつぼみレベルでどうにかなる相手ではない。シズマにエリア・ストリクトからご帰還願う交渉すら難しい。巌も将来性はあるが、前線で戦えるレベルに達していない。大地らの追走に向かわせた剣たちを引き戻すのも得策ではない。現状では説得力が足りないのだ。もう一桁二桁は大きいパワーが必要だ。聞くところによると江ノ島自治領領主のアビス卿は、アイルランドの商人から護衛用としてバースデーズなる傀儡型マイティソルヴァを1ダースほど購入したという。今こそ使い時だろう。借りたい。
 そのためにもアビス卿を訪問するつもりだが、彼の立ち位置は微妙で完全な味方でもない。それにゴリュウ・ウィンドウの管理不備を指摘したところで彼はびた一文の非も認めまい。利害主義の彼から助力を得るのに駆け引きは無意味で、必要なのは手土産だ。シズマと対抗するための戦力を借りるための代価が要る、というわらしべ長者やRPGのクエストチェインのような構図。さて適当なのはリボネットコントロール技術あたりか。Lisphaが織りあげた肉体非経由の空間制御技術だが、アビス・エデンらは解析に行き詰まっていると聞く。何も全部を明かす必要はない。ストリクト全体としての自衛力も上げておきたいし、基礎運用くらいなら共有してもいいだろう。思考に長けるであろうバースデーズにリボネットを装備させれば一石二鳥、鬼に金棒だ。借りれる人数によってはシズマの抹殺も見込める。
 宇多がいる所を含む近隣の学校の方でもいくつかの事件が耳に入っている。そのうちいくらかはウィンドウが開いた影響、エリア間エフェクト絡みだ。時間・生命・精神現象以外のオカルトを一切受け付けないのが強みであるエリア・ストリクトも、とうとうその牙城を崩して物理矛盾を許しつつある。リボネーションはその筆頭だ。
 唐突に記憶を喪失したというB組の春田美奈子。
 言葉の綾が難読化して宇多にも急にその心情が読めなくなった同じクラスの井上雅び。
 理論の補助もなく曖昧模湖とした意思表示で黒野大地に罪悪感の楔を打った戸所硫花。
 その硫花の教化で孤立主義を矯正された利根川たゆみ。
 黒野巌の幼なじみで、織原七重やチェルシー・ガーラントと同じくテンプテーターとしての性質に開花しつつある市川楓。
 戸所硫花に似た善性の教化者として黒野巌の庇護を得ようとしている水戸繁菜。
 据えたお灸が切れたのだろう、淡島つぼみに再接近しつつある星野純則。
 黒野宇多に無駄な対抗心を燃やすことに余念のない倉田原百合。
 突如として物理異能に目覚め、バースデーズ複数人が危険性測定に割り当てられている井戸野ふかみ。
 こうして見ると、精神干渉系の異能が多い。江ノ島の方よりも久島森湖のクラウディ・ウィンドウの影響の方が大きいのだ。宇多としては混乱が広がる前に閉じてしまいたいが、まさか森湖を手に掛ける訳にもいかない。彼女のクエストをプレイしてそのエリアを内側から統治するのが穏当か。ちなみにそれは心地の良いひとときにもなるだろう。なんたってくもりのセンスだ。

 そして何より最大の懸念は、宇多が寵愛する坂井終司だった。彼もまだ規模は小さいが、森湖と同じく精神内に新しいエリアを孕んでいた。しかも厳密かつ豊穣型だ。エンティティスペースはエリア・フィラデルフィアの跡地を再利用しているようだ。望ましい成長を遂げれば、既存のものと比べても最大のアドバンテージを持ったエリアとなり得ることになる。これに気づいているのは今のところは宇多だけだ。アビス卿やシズマに知られてはならない。その意図を誰にも知られないように、手厚く終司の面倒を見てその自殺を阻止しつつ信頼を得なければならない。怪しまれないようにダミーの動機が複数個必要だ。幸い終司も宇多しか引っかからないほどささやかなテンプテーターでもあるから、一つにはこれを強調すればいい。

 ずずりと茶をすする。渋さを弄ぶ。

 やることは多いが、大したことはない。既知の問題と未知の事象を監視しつつ最前手を粛々と打ち続けるだけだ。マイティソルヴァの精神力は無限だ。そういう風に出来ている。

「やーそれにしてもたらふくだけどね」

 宇多はごろん、と縁側に転がる。手に持った湯呑みの対地角度は完全に維持したままだ。波ひとつ立たない。

「よし楽しよう。巌たちを早いとこ育ててなー」
「にあぅ」

 一匹の猫が現れて垣根に座り、宇多を見下ろした。
 その毛並みは、焦げ茶からオレンジに推移するなめらかなグラデーション。空間と時制を跳躍してあらゆるエリア、あらゆる時代を監視する仙女の端末。世の趨勢を眺めながらも悲嘆に暮れず無情に堕さず。其は複雑に在り。
 宇多は即座に居直る。

「あら姐さん。これはこれはお見苦しいところをピンポイントで」

 猫はふいと空を向く。
 空模様にうっすら浮かぶ濃淡は虹に似ていた。

おわり


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