---------------------------------------------------------------------- 水のシステム使い2 ---------------------------------------------------------------------- ・誠司の事情  すべては、できるだけ隠密裏に進めなければならない。それがぼくのスポンサーであるシステム管理委員会の 意向だったし、今後システム使いとして活動していくぼく自身の自己防衛のためでもある。システム使い同士の 戦闘では、力の差よりも不注意や奇襲で敗北することが多い。誰かほかのシステム使いと敵対し戦闘を余儀なく された場合、情報の差は、勝敗を分ける大きなファクターとなる。  ぼくはこれからのプランを立てなければならなかった。システム使い急増の原因を知るために、この学校には びこっているシステム使いの組織《水木》のできる限り上層の人物、可能ならその頂点たる《ルート》と接触を 持ちたい。しかも、自分の正体がバレないように。システム使いであることを公言していいのならそれは簡単だ。 《水木》の門戸を正面から叩き、内部で粛々と求められる成果を上げて上まで出世していけばいいだけだ。けど それは、最初に下っ端として所属した時点でぼくについての多くの情報を《水木》に吸い上げられることを意味 する。それは避けたい。命がかかっている話だからだ。  かと言って、正体を誰にもまったく隠したままじゃ、ろくにアクションも起こせない。前回の戦闘でこちらの 正体を知られずに圧勝できたのは、相手の神谷がとんでもなく間抜けだったからだろう。《水木》上層部相手じ ゃ、そうはいかないと考えるべきだ。  神谷が言っていた生徒会長、幸田益美はどうだろうか。生徒会長である彼女は《水木》内のポジションも高い ように思える。しかしシステム使いであることを公言する傲慢さは迂闊と見るべきか、自信の裏付けと見るべき か。ぼくはもう少し彼女について知ってみようかと思った。 ☆  しかしぼくは困り果てた。  神谷は仲間に、何者かから襲撃を受けたことと自分が多くの情報を漏らしたことをすでに伝えているはずだ。 本当は殺して口止めできれば簡単だし戦闘時に顔を見られることも気にしなくていいのだが、あいにくシステム 管理委員会は調査任務ごときで人間の殺害許可を下ろしてはくれなかった。  今からちょっとでも目立った動きをすれば、《水木》からのマークを受けてしまうだろう。 「今週の日曜に、7組の神谷くんが柏台の森林公園で変質者に襲われました。みなさんも外を出歩くときはくれ ぐれも気をつけて、不審な人物を見かけたら警察か学校に報告するようにしてください」  と担任の秋田先生が教卓で喋っていた。ほれ見ろもう広まってる。隠す理由がないもんな。難しすぎるんだよ 殺さずの隠密行動は。 「ああそうだ、武藤くん」 「はい」  神谷の話の直後に話がぼくに振られたので内心少し驚いたが、ぼくは他の生徒たちがそうするように、何の感 慨もなく無感動な調子で返事をする。郷に入れば郷に従え。違う、木を隠すなら森だ。  秋田先生は教卓の上に積まれていた紙束をぼくの席に置いた。五十枚くらいはあるだろうか。 「最近一ヶ月ほど休んでいる山本さんに、溜まっているプリントなどの届け物です。武藤くん、家近いから、届 けていってあげてください」 「……はい、分かりました」  ぼくは面倒そうな顔をしながら承った。実際面倒だった。 「一番上のプリントが山本さんの家の地図です。アパートの二階です」  まあ今のところ任務に関しては手詰まりだったし、言ってしまえば暇な状態だったので、問題はなかったが。 ☆ ・山本浅子  山本浅子。  教室では一番前の空席にいたらしい女子の名前だ。クラスメートの話では一ヶ月ほど前にいきなり学校を休ん でそれっきり来てないらしい。いじめはなかったが彼女には親しくしている友達もいなかったので引きこもった のではないか、と噂されている。  放課後、ぼくは地図を頼りに彼女が住んでいるというアパートを訪ねた。  プリントを入れた手提げ袋を持ってドアの前に立つ。山本の名札を確認してチャイムを鳴らすと、彼女の母親 が出てきた。 「こんにちは」 「あらこんにちは! 浅子のお友達?」  若い、高校生の母親にしては、というのが第一印象だった。少なくともぼくの母やぼくの仮住まいにいる偽装 母たちよりは一回りは下か。髪に鮮やかなメッシュを入れていて化粧が濃く、仕事に疲れた男を労る仕事をして いるのが察せられた。家庭の事情に問題でもあるのだろうか。生活苦に疲弊している様子はなく、むしろ快活な 様子に精神の逞しさを感じた。  洗練された仕草。気遣い。笑顔。常に他人の視線にさらされ続けるストレス。人生に対する何らかの諦め。死 の検討。それを不可能にする家族の存在。娘に対する愛情と将来の心配、面倒を見なければという義務感、幼少 期の情操教育に失敗しただろうかという不安と罪悪感、それらまっとうな感情の裏に密かに隠れている憎悪。イ ラだち。夫への怒り。  第一印象だけで勝手な偏見を抱きながら、ぼくは山本浅子の母に用件を告げた。 「いえ、先週転校してきたばかりの武藤と言います。家が近いということでプリントを届けるよう言われたんで す。あと、山本さんとは一度も顔を合わせてないので、もし差し支えなければご挨拶だけしておきたいのですが ……」  全間接を伸ばすように手を動かす母親に紙袋を渡しながら、ぼくは山本浅子との面会を申し出てみた。《水木 》に関して、もしかしたら何らかの情報が得られるかも知れないという淡い期待を抱きながら。 「あら、そーぉ。じゃ、おあがんなさい。ほらはい遠慮なさらずにぃ」  母親側としては問題ないらしく、ぼくはあっさりと山本家のアパートに招かれた。 「ごめんなさいねこんな狭いところで」 「いえ」  来客を台所にやっと詰め込んだようなテーブルにしか招待できない不出来を謝罪する母親。ぼくは何と言って いいか分からず、何も言ってないのとほぼ変わらないヘッタクソな返事しかできなかった。  そして奥に向かって母親は娘を呼んだ。 「浅子ー、お客さんよー」  奥にあるのはひとつがいの襖だけだった。LANケーブルを通しているため襖は完全には締め切られておらず、 部屋の明かりが日差しのよくないこの部屋に向かって漏れている。 「ハーイ」  病気でもないのに一ヶ月も不登校を続けている上に友達もいないというから、他人と視線を合わせることもま まならないような自閉症の女を想像していたが、返ってきた声は明るかった。 「ショウくん!?」  部屋の住人によってがぱっと襖は開けられる。 「浅子、あんたちょっとなんて格好で出てきてんのよ!」  母親が窘めるのも最もだった。ぼくも一瞬目を丸くせざるを得なかった。なにし天の岩戸(というほど重い封 印ではなかったが)から出てきた女子は、上半身がピンクと白のストライプのパジャマ姿で、下半身がパンティ 一丁だったからだ。実に堂々としており、色気や情緒は皆無だ。 「だってショウくんだと思ったんだもん!」 「ごめんなさい、セイジくんでした」  ぼくは自己紹介というにはおざなりに口を挟む。 「相手がショウくんでも年頃の娘が人前でパンツ見せびらかすもんじゃないでしょうが」  母親の言うことはもっともだ。年頃の娘じゃなくてもパンツは見せびらかすべきではないとは思ったが。 「だってタンス向こうでしょ。着替えるにもここ通らなきゃいけないでしょ。それでお客さんがいきなり来てて それと会わなきゃいけないってんだから、パンツ晒すしかないじゃない。詰んでたんだよ!」 「そんなのお母さんに言えばいいでしょ。バカ」  山本浅子はパンツ一丁で仁王立ちしたまま、話題をこちらに振ってきた。 「で? えーと、セイジさんっつった?」 「こんにちは」  ぼくは山本浅子の顔を見てペコリと頭を下げる。パンツをガン見しても良かったのだが、シチュエーション的 にまったくそそられないので遠慮しておいた。 「転校生なんですって。あんたのクラスの。家も近いって、プリントを届けに来てくれたのよ。ほらお礼言いな さい」  母親は小学生を相手にするような口調だった。現時点での山本浅子の素行を見る限りで推察される彼女の精神 年齢から言って、それは妥当な扱いなのかも知れなかった。 「ふーん。ありがとう」  彼女は感慨もなくそう言うと、もうひとつあった襖の奥に引っ込んでいった。そこに着替えの入ったタンスが あるのだろう。  母親がレモンティーを出してくれる。 「ごめんなさいねー、あんな子なの。ドン引きでしょ?」 「いえ。まあ、びっくりはしましたが」 「こんにちは!」  あずき色のひらひらしたカーディガンにデニムのパンツ(今度は「ツ」にアクセント。いわゆるズボン)とい うどこからどう見てもまっとうな女の子の武装で、また山本浅子が勢いよく襖を開いてきた。 「お母さん、あたしも紅茶」 「自分で入れなさいよ」 「まったく、あんた、ショウくんでもないのにパンツ見やがって腹立つよね」  あまり恨みがましい調子でもなく、あちこちに落ち着かず気移りするその課程の一点という感じで、山本はそ んなことを言ってきた。さっきからやたらと繰り返されるその名前が気になったので聞いてみた。山本浅子はク ラスに友達がいないはずだ。 「ショウくんって?」 「中学時代に一緒で、よく遊んだ男子」  近くに住んでいたのだが、違う高校に行くようになってからもう会わなくなったらしい。同じ高校を受験もし たのだが、彼が行ったその高校に彼女の方が落ちてしまったそうだ。 「ショウくんのこと好きだったのよねー」  母親が最悪の合いの手を入れてくる。娘のそんな秘密を公言するのか? と思った。だが、よく考えてみれば さっきからの話で山本浅子がそのショウくんとやらにべったりだったろうことは容易に推察できるので、問題は ないか。 「好き、っつうか……まあ、好きだったけど」  初対面の女子とさらにその友人だか恋人だか元恋人だかであるまったく面識のない男子との色恋沙汰の話をさ れて、ぼくはどういう態度を取っていたらいいのだろうか。変な流れの会話のノリにちょっと困らされたけど、 その珍しさが興味深くもあった。さし当たってぼくはむっつりとその話を横から聞いていた。この家庭の親子は 相当仲がよく、かつ周りが見えていないらしい。  ただほっとくと日が暮れるまで終わりそうにないので、ぼくは気になっていたことを聞いた。 「山本さんはなんで学校に来なくなったの? 見たところ具合悪くもなさそうだけど」  心身共に健康に見える。もっとも頭の具合はどうだか知らないが。 「ショウ欠病」  山本は一言で片づけようとした。ぼくは意味が分からない。 「は?」 「だから、ショウ欠病。ショウくんがいなくなってからまじめに学校行く気がなくなっちゃったの」  山本はそれぐらい分かるでしょ、とでも言いたげな投げやりさでそう言った。レモンティーを一杯飲み干し、 席を立ってもう一杯入れようとして、あんた飲み過ぎなのよそのくらいにしときなさいよ、えーなに言ってんの まだ一杯だよ、あんた今日の朝からたくさん飲んでんじゃないのそのくらいにしときなさいよ、そんな今日は三 杯しか飲んでないよ、うそおっしゃい、と家庭内紛争劇場を繰り広げる。  と、席も立たずにこんなどうでもいいようなやりとりを自分が眺めている理由が唐突に分かった。家族となん でもないやりとりができる彼女らが羨ましかったのだ。ぼくなて家に帰ったら父親・母親役のシステム管理委員 会の職員と家族ごっこを強制されているからな。しかも、母親役がこれまた面倒な人で、誰も見てないときなん かに家族ごっこなんてしたくもない、とおっしゃる。 「ショウくん、高校になってからは全然会ってもくれなくてさー」  なんでそんな事情を初対面の他人に漏らすのだ、というのはもういい。分かった。しかし、なんでまたそんな にショウくんに依存しまくってるんだろうか。モテモテのショウくんが少しうらやましかった。 「ショウくんったって、会えないもんはしょうがないだろ。会えないのは残念だろうけど、だからって学校行か ないのは極端なんじゃないの」  どうしてもそのへんのメンタリティが分からなかったので聞いてみた。が、逆鱗だったらしく、つかつか歩い てきた山本さんに、罰ンと平手打ちされてしまった。 「浅子、なにやってるの!」 「だってこいつ人のことを知った風に、」 「だからって殴って言いってことはないでしょ! セイジくんにあやまりなさい!」  殴られたことは何でもなかったし、その後に繰り広げられるのもさっきから変わらない内輪な小言の応酬だっ た。 「……ごめん、セイジ」  いつの間にか二人から下の名前で呼ばれている。  変な家庭、と思った。 ☆  その帰り、ぼくはショウくんと思しき他校の高校生とすれ違った。なんで分かったかというと、腕を組んでい た別の女子高生にそう呼ばれていたからだ。 ☆ つづかない ----------------------------------------------------------------------