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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2011年


トド15




「ふっざけてんのかお前、お前よお!」
 唸りながら、黒野くんのシャツの襟元を、つぼみさんが捻る。黒野くんはそれを止められない。ニットのカーディガンに包まれた彼女の細い腕の、どこにこんな力があるんだろう。鋼でも入っているんだろうか。
「ふざけてるよねお前。なんでふざけんだよ。宇多さんがお前みたいなクソゴミ野郎にわざわざ話をしてやってんのに、なんでふざけられるのお前。ふざけんなよ。ふざけてるにも程があるだろ。ふっざけたこと、なあ、ぬかしてんじゃねえぞ!」
 そのまま、黒野くんが気絶するまで締め上げるのかと思われた。けどそうはならなかった。捻り上げるつぼみさんの手に、黒野くんが自分の手をそっと添える。途端、つぼみさんは彼を手放してしまった。
「うえっ!」
 露骨な嫌悪を示して黒野くんから離れる。まるで汚物から逃げるように。
「あー苦しかった」
 黒野くんは乱された自分の襟を正す。
「どうしたの? ちょっと俺が触っただけで、いきなり引いたよね。もしかしてきみさ、男性恐怖ショゴフッ!」
 その問いにつぼみさんは蹴りで答えた。お腹を蹴られて黒野くんが吹き飛ぶ。ごろごろ転がった後、黒野くんは遠くで謝った。
「図星かー。いやごめんね変なこと詮索して!」
「うるせえええええな! 勝手にしゃべんなこのゴミカス。決めつけてんじゃねえ!」
「違うの? じゃあきみさ、ここ最近で、誰か男を好きになったりした?」
「うるせえっつってんだろ! 喋るな! 黙れ! 口閉じて息も止めろ!」
 どうやら図星らしい。つぼみさんの露骨な反応は、わたしから見ても、黒野くんの指摘を肯定してるようにしか見えなかった。

 淡島つぼみさんは、男性恐怖ショゴフだ。



<黒野大地>

 男嫌いとは勿体ない。顔だけ見れば天使みたいに可愛らしいのに、言動は猛獣みたいな女の子だ。あやうく殺されるところだった。蹴られた腹がめっちゃくちゃ痛い。
 初見から分かってたことだけど、メンタルがガラ空きだ。完全に感情だけで駆動していて、抑制って概念が無いんだろうな。隙を衝けばナイトドライバーも差し込めそうだ。でも無駄か。宇多への忠誠が高すぎて制御は一切受け付けないだろう。いいなあこういう忠実なペット。どうやって作ったんだろう。この激情は、何かを無理して刷り込んだ副作用なのかな?
「じゃあ女を好きになったことは? あるよね? 誰かな? ああ、ひょっとして宇多とかかなあ?」
「てめええええええええ!」
 また猛牛ダッシュしてくる。だから怖いよこいつ! 簡単に挑発できるのはいいけど、綱渡りみたいで嫌なスリルがあり過ぎる。
 けどね。
「宇多の落とし方、教えてやろうか?」
 俺が一言そう言うと、突進してきた猛牛は急ブレーキをかけた。地面が削れる。砂埃が立つ。
「何て言った」
「だからさ、黒野宇多をこっちに振り向かせる方法を教えてあげるって言ったんだよ。俺は奴には敵わないけどさ、幼少期からの腐れ縁だからね、案外知り尽くしてるんだよ」
 淡島つぼみは声を震わせる。
「テッ……キトー言ってんなよ黒野大地。何を言い出すかと思えば、はん、宇多さんを落とす? 馬鹿じゃねえのか舐めてんのか。ふざけてんのかイカレてんのか。あの人がなあ、そんななあ、お前ごときのアレで攻略できる訳ねーだろ、こんの、カスゲロ!」
 その通り。適当だ。こいつの言うとおり。黒野宇多を落とす方法なんてあるんなら俺も苦労しない。しかし、その結論に到達しながらもつぼみは追撃して来ない。そうだろうよ。それがこいつだ。こいつには無理なんだ。頭で分かっても、正しい結論に到達しようとも、荒ぶる激情はその思考結果を尊重することが出来ない。従うことが出来ない。宇多と添い遂げたい欲望が、あらゆる理性的判断を蹴散らしてこの女を愚行に導く。
 たぶん、感情が絡まなければ馬鹿じゃないんだろうけどなあ。
「本当だって。絶対うまくいく。試しにさ、聞いてみてから判断してもいいんじゃないかな。聞きたい?」
「聞きたくねえよ。でも言え! すぐ言え! 大嘘ぶっこいてるのを確認してぶちのめしてやるから」
 ほらこの通り。これでこいつは攻撃して来れない。おれが話を続けている限り。
 おれはこれまでのやりとりから読んだこの女の人間性と既に知りうる限りの宇多の性質を材料に現状を推測し、今現在のこの女の反応を見ながら微修正をかけつつ、その推測をやや曖昧な言葉を使ってダウト率を下げつつ、占い師のように並べ立てる。
「まず現状確認だ。きみは宇多を慕っている気持ち、当然宇多は気づいてるよね? でも何も言ってこない、だろ? すべてを承知したまま、そのことには触れずにきみと接している。きみが想いをほのめかしても、露骨にサインを送ってもだ。きみがそれで悶々としてて、それをあいつは簡単に解決できるのにも関わらず、だ。何でだと思う?」
「質問とかしてくんな。さっさとその方法を言えよ」
「何でだと思う?」
 おれは彼女の圧迫を無視して、同じ質問を繰り返した。
「ぶっ殺されてえのか、このゲロクソ野郎!」
 淡島つぼみの表情と罵声は凄絶だった。迫力だけは凄いし正直ビビるけど、紙っぺらみたいに見え透いた脅しだった。おれはただ怖いだけだと割り切って自分の判断を通せる。その意味では淡島つぼみとは正反対だ。
 結局向こうが根負けして、おれの質問にちゃんと答えた。
「宇多さんには、好きな奴がいるからだよ」
 彼女はそう言った。その表情は、魚の臓腑を食べたみたいに苦々しいものだった。あらあらつぼみさん。すんごい顔に出る人だなあこの子。とりあえず嘘はついてないみたいだ。ふーん。宇多には好きな奴がいるんだ。
 好きな奴!?
 おれはとっさに脳内で、杜甫の春望を唱えて自分を抑えた。なんて言ったこの子。好きな奴? あの鉄人が誰かに惚れた? 意外すぎて、おれの世界観では有り得なすぎて、面白すぎて、つい吹き出してしまうところだった。危なかった。一触即発でこの状況は瞬時に瓦解する。おれは何でも分かってる風な顔をする。
「だろうね。あいつもまあ人間なんだし」
 それにしても、宇多に惚れられるって一体どんな凄い奴なんだろう。
「けどよく考えたらさ、それだけじゃあ納得いかないよね。たとえ好きな奴がいたとしてもだ、宇多は何人でも受け入れるだろう。それが出来るし、そういうことをする奴だ。おれはあいつの近況は知らないけどさ、現に、そいつ以外ともベタつくくらいはしてるんだろ」
 俺の宇多像とその変動予測が正しければ、そんな感じになってるはずだ。あいつの振る舞いは王様に似ている。今でも本質は同じはずだ。
 つぼみからも反応が無いので、予測は合ってるんだろう。
「にも関わらず、だ。宇多はきみにはなびかない。そばにいて、いつでも手を伸ばせるにも関わらず、きみだけが、あいつから放られたままだ。何でだろうね?」
「喧嘩売ってんのかてめえ。結論を言えよ早くよ」
「何でだろうね?」
 つぼみのこめかみに血管が浮き上がり、ピクピク震えている。なんか、このままストレスをかけつづければ、脳内出血で殺せるんじゃないのかと思えてくる。さすがにそれはやらないけど。危ない賭けだ。
「分かんない」
「え?」
「分かんないよ。わたしが女だから!? 気持ち悪いから!? それとも単に魅力が無いから!? 想像つかないよあの人の考えることなんて!」
 おーおーお。
 淡島つぼみはいきなり女の子になった。崩れて地面に座り込み、顔を押さえて、おろおろと泣き出す。
「もおおおおおおおおおお!」
 情緒不安定だなあ。ほんと笑っちゃうよね、ちょろ過ぎて。

 時間は十分に稼いだ。



つづく


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