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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2011年


トド08




 鴨居くんは顔を近づけてきた。わたしにキスをしようとしてきた。
「いやっ!」
 ほほのニキビが目に入る。わたしは顔を背ける。抵抗する。
「だからなんでそんな失礼なんだよお前はぁ!」
 鴨居くんはわたしに上から乗っかったまま、体重をかけてきたまま、わたしの肩を掴んでゆさぶってきた。
 わたしは聞く。
「好きじゃないって言ってるのに、どうしてこんなことするの? 鴨居くんはわたしのことが好きなの? そうではないの? わたしの気持ちが考えられたら、こんなこと出来ないよね?」
 鴨居くんは答えない。
「どっちでもいいよ。楽しもうぜ」
 ぎらりと彼の目が光る。わたしを見ている。見ていない。ショックだった。これは、人を見る眼差しじゃない。まるで物を見るみたいな目。どうしてこんな目になってしまうのだろう。
「楽しくないよ」
 わたしは正直に言った。それから身構えた。また罵られたり揺さぶられたりするのか思ったからだ。けれど、

 でろり。

「!!」
 気がついたらわたしの口は、鴨居くんの口に塞がれていた。キスされていた。
 いやだ。
 やだやだやだやだやだやだ。
 わたしは止まる。頭にたくさんの言葉がわっと沸いてくる。
 違う。これはウソ。やめてほしい。無しにしてほしい。なんでこんな。ファーストキス? 鴨居くんはこれで嬉しいの? 鴨居くんはこれで楽しいの? 何で? 痛い。重い。どいて。いますぐ離れて。入ってくるぬめりの筋肉。やめて。ポテトチップス。黒野くん。黒野くん。ごめんなさい。違うのに。これは無し。これは無し。
 わたしは鴨居くんを突き飛ばす。体をどかせはしなかったけど、口は何とか引き剥がせた。
 ドキドキと心臓が鳴る。何も感じない。キスされた。鴨居くんにキスされた。その結果だけがかろうじて理解できる。
「ごめんなさい」
 わたしは謝る。何で謝ってるんだろう。でも口に出たのはそんな言葉だった。ごめんなさい。わたしは、鴨居くんを、たぶん傷つけることしかできないの。なぜなら。
「オレの女になれよ」
 わたしの目に滲む涙。わたしの制服に手をかけ、脱がそうとしてくる鴨居くん。抵抗も忘れて、わたしは考えていた。思っていた。この悲しさはどこから来るのか。それは彼だ。こんなことをして、馬鹿野郎だ。この子はものすごく馬鹿野郎だ。自分のしていることが見えていない。傷つくことしか出来ない。わたしを求めるフリをして、本当は求めていなく、でもわたしにすら受け入れてもらえなくて、結果自らを傷つけ続けている。きっといつもそうなのだろう。きっといつもそんなんばっかりなんだろう。それしか出来ない。そこから抜け出せない。なぜなら。
 なぜなら、彼は心にあれが無いからだ。
「やめて」
 わたしはそう声をかける。やめてほしいから。それだけではない。やめてほしいというわたしの気持ちに気づいてほしいから。気づけなければ落ちるだけだ。彼はわたしの声を聞いてはいるけど聴いてはいない。分かる。聴こえていれば、こんなことは絶対に出来るはずが無いからだ。
「抵抗すんな!」
 そんなことを言ってくる。そのセリフのドス黒さに彼は気づいていない。やろうとしていることはまるっきりレイプであることに、その意味に、たぶん彼は気がついていない。
 とうとう、ぽろりと涙が落ちた。ほほを伝ってポテトチップスの袋に落ちる。
 嫌なことなのに、気持ち悪いはずのことなのに、わたしは抵抗しない。それどころではなかったから。悲しい気持ちでいっぱいだった。鴨居くんが哀れでしょうがなかった。白のクリスタルがわたしに告げる。仕方ないよ。自業自得だよ。そう。自業自得。何を言っても無駄なのだろう。聞く耳を持たない人に、通じる言葉など何一つない。それでもわたしは訴えかけるのをやめられない。
「鴨居くん、やめて。こんなことしたら、大変なことになるよ」
「うるせえよ。脅す気か? 通じねえよ。っつーか誰にも言うなよ。言ったらぶっ殺すからな」
 鴨居くんはそんなことを言う。最悪だ。ひとつも怖くない。その怖くなさが悪い。言葉があまりにも軽すぎる。ねえ、誰に向かって話してるの? どこに向かって言っているの? そこは現実じゃないよ? わたしの言葉が聴こえないの? 大変なことになるって、そういう意味じゃないよ?
 わたしのタイが解かれ、シャツのボタンが外されていく。そろそろわたしは抵抗することを思い出す。言葉が、想いが通じないのだから、それ以外で何とかしなくてはならない。
「やっべー興奮してきた」
 そんなことを言って、そんな風に、鴨居くんは自分をうやむやにする。彼は何も分かっていない。この先に何があるのかを。わたしは性の経験がまったく無いけど、それはこの場合では関係ない。こんなに悪いことをしてしまった後に、彼はどうなってしまうだろうか。平気でいられる訳がない。想像できる。たぶん彼は言うだろう。わたしに。みんなに。自分自身に。悪いことをして何が悪い、と。そうやって盾を作るだろう。そうやって幻と戦い続けるだろう。気がつかなければ延々と。だけど疲れはてたときに気づいてしまう。そして愕然とするだろう。いつまでも続くはずがない。心にあれが無いのだから。
 ただ、今このとき鴨居くんの凶行を止めたのは、わたしの言葉でも鴨居くんの気づきでもなかった。
「陽ちゃん、何してるの? どうしたの!?」
 おばさんだった。施錠されたドアを、ガチャガチャと鳴らしている。物音だか怒鳴り声だかを聞いて、心配になって上がって来たのだろう。鴨居くんの動きが止まる。
「チッ」
 舌打ちしながらも、気持ちが少しは冷えたらしい。鴨居くんはわたしから離れてくれた。
「ねえ陽ちゃん? 開けて?」
「うっるせえよババア! 邪魔すんな引っ込んでろ!」
「何があったの!?」
「何でもねえよ。失せろ」
「でも……」
「うっせえな。もうすぐ帰らせるから下で待ってろ」
 鴨居くんが少しだけ柔らかく言うと、おばさんはしぶしぶ引き下がった。鴨居くんは椅子に座る。向こうを向いて、パソコンを起動する。こちらを見ずに言った。
「いいやもう。お前帰れよ。つまんね。ブスとやっても嬉しくねえし」
「ごめんね……」
 わたしは起きあがる。はだけられたシャツを閉じる。今さらになってから恥ずかしくなってきた。
「わたし、このこと、言わないから」
「言ったらぶっ殺すからな」
「そんなこと言っても怖くないよ」
 わたしが言うと、鴨居くんは黙る。そう、鴨居くんが言っても怖くないのだ。でもあんまりそのことを言うのはやめておこう。彼のプライドを傷つけてしまうから。
「でも、言わないから」
「恩に着せるつもりか?」
「そんなんじゃない」
 鴨居くんはずれたことばかりを言う。身勝手で、優しくなくて、頭が悪い。とても好きにはなれない。でも。
「わっ、おい」
 今度はわたしが鴨居くんを驚かせた。椅子に座った鴨居くんの頭を、わたしが後ろからぎゅっと抱きしめてあげたからだ。案の定鴨居くんは文句を言ってくる。
「何すんだよ!」
 わたしは言った。
「優しくしてあげる」
「はあ? 何? やっぱオレのことが好きな訳?」
「それは違う。わたしが好きなのは黒野くんなの」
 あー、それを思い出して、わたしは自分のこの行為に一抹の後ろめたさを感じてしまう。でも、まあ、あれだよね。
「黒野かよ。よりによって。つか、なんでこんなことするんだよ」
「わたし、黒野くんが好きなの。本当に好きなの。だから鴨居くんとはつき合えないし、そもそもこっちの気持ちをぜんぜん考えてくれない鴨居くんのことは結構嫌になってるし、もう出来れば会いたくないっていう気持ちになってる」
「じゃあこれは何なんだ。訳わかんねえよ」
「だから、優しくしてるんだって。鴨居くんがあまりに可哀想だから。それでこうやって、バカな鴨居くんに教えてあげるの」
「可哀想!? バカ!? てめえ、」
 わたしは後ろから通した腕で鴨居くんの顔を覆って、罵声を口ごと塞いでしまう。そのまま強く抱きしめる。これで何か伝わるだろうか。これで何か変わるだろうか。分からない。たぶん何も変わらないだろう。こんなことで鴨居くんは自分を見つけたりは出来ないだろう。だけどわたしは、こうせずにはいられなかった。彼のことは好きになれないし、むしろ異性としてはちょっと気持ち悪いくらいだけど、わたしはこうしてしまった。
 離す。
「ぶは。意味不明、全く持って意味不明」
「わたしは帰るよ。じゃあね」
 わめく鴨居くんを置いてわたしは部屋を出る。廊下でおばさんに挨拶して、この家を後にした。



 帰り道、さきほど不本意なキスをされてしまったことと、襲われかけたことを思い出してつらくなる。わたしは後からショックの大きさを自覚した。やっぱりすごく傷ついていた。
 家で泣いた。



つづく


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