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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2011年


トド07




<戸所硫花>

 今のやりとりで、なんとなく分かった気がした。何か気に障るとすぐに怒りだしてしまう彼の気持ち。
 鴨居くんに必要なのは会話だとおもう。休んでいるのが長かったから、家族以外との会話はほとんど無かったはずだ。外にも出ず、友達と会うこともなく、悶々と一人で過ごすだけの日々。誰でも不安定になると思う。
 鴨居くんの部屋は散らかっていた。飲みかけのペットボトル。お菓子の袋。本棚に入りきらず、床やベッドに積み上げられた漫画雑誌の山。CDやDVD、ゲームも無秩序にタワーを成している。埋め尽くされた床は歩く足場も探せない。壁と天井にはアニメのポスターがたくさん張られている。それも、女の子が無惨に殺されてたり、逆に血だらけのナイフを持って笑ってたりという怖い感じのが多い。この人はこんな気持ち悪いのが好きなんだろうか。理解できない。
 カーテンは閉ざされている。今は夜に差し掛かっているので当たり前だけど、なんとなく、昼間でもこのままなんじゃないかっていう気はした。
 落ち着かない。目のやり場がない。部屋に招かれたはいいけど、どこにいればいいのかも分からない。そんなわたしに構わず鴨居くんは、わたしが入ってきたドアを閉めてしまう。それからガチャッと音がした。
「鍵?」
 閉じこめられた、訳ではない。だけどわたしは驚いた。鍵なんてかける必要があったのだろうか?
「ああ。戸締まりしねえとババアが勝手に入ってくるから」
 そうなのかな。おばさんは上品そうな人だったし、ノックくらいしてくれるんじゃないのかな。言おうと思ったけど、おばさんの話はしない方が良さそうに思えた。またプライドを傷つけて怒らせてしまうかも知れない。
「なんか、すごい、たらふくな部屋だね」
 そんな感想を言ってみる。傷つけないように言葉を選んでみた。ただ鴨居くんはそれには構わず、別のことを言ってきた。
「で、戸所はここに何しに来たわけ?」
「何って、鴨居くんが入れって言うから入ったんだけど」
「だーかーら! オレが入れっつったのはお前がここに来たからだろ? そのお前はそもそも、オレに何の用で来たかって聞いてんだよ!」
 また怒る。いつもいきなりなのでびっくりはするけど、もう怖いとは感じられかった。この人は怒っているんだな、と思うだけだ。でもそれは互いに気持ちが通ってない気がして、少し落ち着かない。
「鴨居くんが元気してるか、様子を見に来たんだよ。調子はどう? 元気ならいいんだけど」
「フツー」
 普通じゃ分からないよ。と思ったけど分かった。聞き返したらまた怒られるだろう。聞かれたくないんだろうな。自分のこと。
 ならわたしは、自分の気持ちを伝えるだけだ。
「元気だったら、また学校来なよ。みんな心配してるよ」
「指図すんなよ。なんでオレがお前らの言うとおりにしなきゃいけないんだよ」
 鴨居くんが怒る。わたしは謝る。
「ごめん」
「つーか、なんでお前はオレに学校来させようとする訳?」
「学校来ないと後で大変になるよ。勉強についていったりとか。それに、友達と会えなくなるし」
「そうじゃねえよ」
 鴨居くんはどかっと椅子に座った。だんだん苛立っているみたいだった。
「そういうことじゃなくて、お前がオレに構う理由だよ。オレとお前、関係ないよね?」
「関係なくないよ。クラスメートだもん」
「だからさあ!」
 彼は頭をかきむしり、声を張り上げる。どうしたんだろう。さっきから彼の態度が本当に分からない。
「そーいう建前はいいんだよ! 何考えてんのか正直に言えよ!」
「建前?」
 建前って何だろう。どういうことだろう。心配がウソってこと? わたしが彼を心配していると言っているのが、ウソだとで言うのだろうか。
「建前じゃないよ。本音だよ。心配だよ。ウソつく理由なんてないもん」
「バカ言えよ。心配とか言ってお前に得なんてないだろ。得もないことをする奴なんていないだろ」
 そんなことないよ。いるよ。この人は何を言ってるんだろう。と、思うけど、わたしは黙っておく。このまま彼の話を聞いてみよう。言い返してもしょうがなさそうだ。彼は今、人の話を聞く耳を持っていないみたいだからだ。それなら、わたしが彼の話を聞いていればいい。
「だがお前はオレに近づいてきた。それはお前に得があるからだ。お前がオレから得たいものがあるからだ」
 そんなものは無いのになあ。この話はどこまで転がっていくんだろう。
「そこまでは分かる。だけどオレにはそこまでしか分からない。問題はそれが何なのか、だ。それはオレには分からない。お前しか知らない。なあ。お前はオレから何を引き出したいんだ?」
 えー。
 よく分からない質問が飛んできてしまった。わたしは分からない。この人が何を言いたいのか。わたしに何を言わせたいのか。だからわたしはそれを正直に言う。それしかない。わたしはいつも一択だ。
「そんなの無いよ。ただ心配なだけだよ。鴨居くん、難しく考えすぎだと思うよ」
「とぼけるかよ。とぼけるよなーそりゃ」
 彼は体をゆする。椅子がギッコギッコと軋む。少し耳障りだ。
「じゃあオレから言ってやるよ。お前が言わないから。特別にな。つまり、あのさ。戸所、あのさあ」
 彼は急に言葉を詰まらせる。どうしたんだろう。そしていくらか迷った後に、その一言を繰り出してきた。
「オレが付き合ってやるよ」
 は? と思ってわたしはそれを口に出す。
「は?」
「いやだから」
 凍りついてしまったわたしに、鴨居くんはさっき言ったことをもう一度言い直してきた。こちらのことは見てこない。
「オレが、お前と、付き合ってやるって言ってんの」
 は?
 わたしは固まったままだ。彼の言葉を聞き間違えた訳ではないことは分かったけれど、その意味は依然として分からないままだ。えーと。えーとえーと。鴨居くんが。わたしと。付き合う。付き合って、あげる。くれる。えーと。
「付き合うって、そういう意味で?」
「そうだよ」
「わたしと?」
「そう」
「鴨居くんが?」
「そう言っただろ! いちいち聞き返すなよ!」
「ごめん」
 謝りながら、わたしは急速に正気を取り戻していく。今、どういう状況か。わたしは告白されたのだ。目の前にいるこの男子に。鴨居くんに。びっくりだ。
 おどろき。うん。びっくりした。
 だって初めてのことだ。男子から告白されるなんて。びっくりしたよ。でも、それだけだ。それまでだ。ドキドキしなかった。黒野くんにからかわれた時のように、ドキドキしたりはしなかった。それだけだ。そう。そういうことなのだ。慌てもしないし、焦りもしない。鴨居くんには悪いけど、わたしは答えに迷わなかった。
「ごめんなさい……悪いけど、わたし、鴨居くんをそういう風には見れない」
「はあ!?」
 また怒る。何回目だろう。でもいいよ。怒ってもいいよ。わたしはちょっと前まで恋をしたことが無かったし、フラれたことも無かったけど、それはきっとつらいことだろうと思う。鴨居くんじゃなくても、そうなったら冷静じゃいられないだろう。それに対してわたしは、何もしてあげられない。何もできない。ただ、謝るだけだ。
「ごめんなさい」
「ごめんなさいってお前。おい、ごめんじゃねえよ。何断ってんだよ。ふざけんなよ」
 鴨居くんが立ち上がる。
「お前、さっきからはっきりしないまんまだから言ってやるけど、お前オレのこと好きなんだろ?」
「え?」
「えじゃねえよ。それでオレのところに来たんだろ。分かってんだよ」
 えっと。さすがに混乱する。えーっと。わたしは。鴨居くんのことが好き。鴨居くんの中では、そういうことになっているらしい。どうやら。どうしてそんなことになっているのかは分からない。まったく分からない。鴨居くんの考えは常に、わたしの想像を絶している。
「お前何様だよ。お前がオレのこと好きだって見抜いてたからオレから言い出してやったのによ、しかも、身の程知らずに戸所のくせにオレと付き合おうってのを、オレが譲歩してやったのによ、なんで、なんで」
 鴨居くんは拳を震わせる。
「なんでお前、断ってんだよ!」
 ガン、と壁を叩いた。わたしの身は竦む。
「意味わかんねえよ。駆け引きのつもり? 状況を楽しんでんのか? それともあれか? ツンデレのつもりか? ツンデレか? なあ、ツンデレなのか? そうなのか? あのなあ、言っとくけどなあ、お前なんかにそんなことされてもなあ、嬉しくもなんともねえんだよ!」
 嬉しくないの? 鴨居くんはわたしのことが好きなのに? あれ? そうじゃなかったの? 何で怒ってるの? わたしには断る権利がないことになってるの? どうしたの? 譲歩って何? 何の話をしているの?
 怒る鴨居くんのことはやはり、怖くはない。怖くはないけど、わたしは次々繰り出される予想外の言葉たちを受け止めきれず、ただただ混乱していった。
「鴨居くん、訳分かんないよ」
「うるせえよ。おい、戸所」
 鴨居くんがわたしのそばまで来る。両肩を掴む。揺さぶってくる。
「痛いやめて」
「うるせえ聞けよ。面倒くせえのはいいんだよ。お前、オレと付き合うよな? そうだろ? 言っとくけどまたツンデレぶっこいたらはっ倒すからな。最終的な結論だけでいいんだよ。ほら言えよ」
「痛いよ鴨居くん」
「言えよ!」
「だから、好きでもないし、付き合えないって」
 鴨居くんの手がわたしの肩に食い込む。でもそんなにきつく捕まれたって、わたしはこうとしか言えない。そしてわたしが答えると、鴨居くんはさらに激しく迫ってきた。
「戸所ぉおおお!」
「きゃあ!」
 部屋全体が回ったように感じた。ふわりと空中に投げ出される。身をすくませたわたしの背中に、重い衝撃が走る。
「痛っつつ」
 ガサリ、と耳元で大きな音がする。その正体はポテトチップスの袋だ。わたしは床に押し倒されていた。鴨居くんに覆い被さられて。
 わたしの体は、床に転がるゴミやら本やらに埋もれていた。



つづく


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