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ステッパーズ・ストップ

そのほか

2011年


トド01


<戸所硫花>

「戸所さんって、すごく可愛いよね」
 わたしは凍り付いた。男子にそんなことを言われたのは初めてだった。
 思わず、日誌を書いていた手が止まってしまう。思考も止まる。何だって? 可愛い? 誰が? わたしはその言葉が何を意味するのか、しばらく理解できずにいた。
「あーごめんね」
 問題発言をしたのはクラスメートの黒野くんだ。下の名前は大地。黒野大地。責任の伴うことを進んで引き受ける人で、みんなからの人望もある。学級委員に自ら立候補して就任した。生け贄投票で仕方なく学級委員を引き受けたわたしとは大違いだ。
「変な意味じゃないんだよ」
「え、えーと、うん」
 フォローが入ってやっとわたしは返事をする。しかもしどろもどろだ。不意打ちを食らって混乱していた。
 変な意味ではない……らしい。そりゃそうだ。変な意味だったら大変だ。放課後。学級委員の仕事で残っているわたしと黒野くん。教室で二人きり。他に誰もいない。少しだけ非日常な空間。だめだこれは。意識すればするほど気分が変になってしまう。意識しない方がいい。
「今ふと、率直にそう思っただけなんだ。気にしないで。いきなりこんなこと言ってごめん」
「……うん」
 気がつけば、わたしの心臓はバクバクと地鳴りみたいに鳴っていた。うろたえ過ぎだ。でも仕方ない。こんなのは初めてだ。これまでわたしは、男子から可愛いと言われたことなんて一度もなかったのだ。
「びっくりしたよ。わたし、かわいくなんてないよ」
 思うところを正直に言った。客観的に見ても、わたしは取り立てて可愛い方ではないと思う。ブスでもないと思いたいが、少なくとも、「すごく可愛い」という評価はあり得ないだろう。それは断言できる。そういう評価は、絹間さんや利根川さんなんかに向けられるべきものだ。
「そんな風に決めつけない方がいいと思うけどなあ」
「だってそうだもん」
「でも、かわいいなって思ったんだよ。思っちゃったのは本当なんだからしょうがないよね」
 また言ってくる。
 落ち着かない。なんなんだ。わたしは自分の気持ちがよく分からなくなる。いろいろな想いが沸いてきて混乱の坩堝に陥る。
 可愛いと言われたのが嬉しくない訳ではない。しかし戸惑いの方が大きい。まずわたしが可愛いなんて事実誤認だし、そんなことを言われていい気になってしまう自分が怖い。こんな見え透いたお世辞で舞い上がってしまう自分は何なの。もしいま黒野くんがいきなりわたしを指さして「なに本気にしてんの? お前が可愛いなんて嘘に決まってんだろバーカ。鏡みろよブス」とか言ってきたらわたしは恥ずかしさで爆発する。いや黒野くん以外の人に言われても同じだ。爆発する。粉微塵に。
 いけないのだ。可愛くないわたしが自分が可愛いなんて考えては。いやまったく可愛くないという程でもないとは思うんだけど、少なくとも「すごく可愛い」は天地に誓ってあり得ない。わたしが仮に可愛いとしても、それがそれほどのものではないのは確定である。
 ……わたしはいつまで可愛い可愛くないのことばっかり考えているんだ。いい加減にしよう。自意識過剰で馬鹿みたいだ。
 わたしは日誌書きを再開したかった。早く書き終わって帰らなきゃ。雑談したり変なことを意識しながらでは進められない。
「あのさ、お世辞か社交辞令か、それともからかってるのか知らないけど、可愛くないのに可愛いとか言うの、やめてよ。嘘は良くないよ」
「嘘じゃないって。戸所さんが自分をどう思ってたってさ、おれが可愛いって思ったのは本当だって」
 しつこく言ってくる。ああ、可愛いを否定してる限りこの話は終わらないのか。わたしは切り口を変えることにした。「可愛くないよ」を繰り返して「いや可愛いよ」を延々と言わせるのも間が抜けている。
「あー、分かりました。ありがとありがと。でももう、そういうこと言うのはやめてよ。変な気分になるしさあ、ほら、勘違いとかしたらまずいでしょ。私が」
「えー? 何もまずくなくないだろ」
 そんなことを言いながら、黒野くんはじっとわたしを見る。切れ長の目に見つめられて、わたしはまた冷静さを失う。
「な、何?」
「いや別に。あ、そうだ、今おれ突然に、唐突に人の手相を見たくなっちゃった。ちょっと手ー借りるね?」
 黒野くんは言い終わるや否や返事も待たずに、日誌を書けずに止まっていたわたしの手をひょいと握った。接触。体温。ほのかな刺激。
「こらこら何してんの! だめでしょそれは!」
 わたしはびっくりして黒野くんの手を振り払う。
「あれーどうしたの? 手相見たいだけなのに何焦ってるんですかー?」
「わあ」
 彼はふざけている。それがはっきり分かったお陰で、わたしは逆に助かった。一息つけた。変な気分も多少は落ち着いてくる。それにしても黒野くんも人が悪い。基本的には感じのいい人なんだけど、たまにこういう度の過ぎたいたずらをするところがある。
「あのね黒野くん、わたしなんかにこんなことするの、良くないよ。何もいいことないよ。それに妹さんとか、気分悪くするんじゃないの?」
「なに人をシスコンみたいに言ってんだよ。妹は恋愛対象外だろ」
「そりゃあそうだけど」
「そして戸所さんは妹ではないので恋愛対象内です」
「えーっとさあ、黒野くん」
 何とかして話を打ち切らなければ。わたしは考えながら喋る。シャーペンを揺らし揺らし、言葉を選ぶ。
「あのですね、誉められるようなことを言われてですね、なんかいい気分はしますよ。そりゃあ。でもそう言うことを言われるとですね、ドキドキしてしまうんですよ。正直なところ。恋愛的なあれを意識して。で、ドキドキすると作業が進められないんです。この、日誌を、今日中に書かなきゃいけないのに。そうするとですね、いつまで経っても帰れないわけですよ。困るんですよ。わたしは困りたくないです。だから困らせないで欲しいので、そういうこと言うの、もうやめてくれませんか?」
 と、つらつらわたしが言い終えたところ、黒野くんの返事はこうだった。
「んー。やめてもいいよ。そこまで言うんなら。その代わり、ひとつお願いを聞いてほしいんだけど」
 また訳の分からないことを言ってくる。迷惑行為をやめてもらうのにこちらが何かさせられる筋合いは無いんだけど、話が早く終わるならとお願いとやらが何なのかを聞いてみた。
「なに?」
「十秒でいいから、目をつぶっててくれない?」
「はあ? 目……?」
 目なんてつぶらせてどうするつもりだ。二人きりの教室で、こんな時に……。わたしは少し考えた後、黒野くんがやろうとしていることが何なのかを決め付けて、
「痛てっ!」
 彼の頭を日誌の角で小突いた。やや強めに。わたしの思い込みかも知れない可能性を考慮して、威力はそこそこに抑えて。



つづく


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