あとがき 十万文字級の小説を書いたのはこれで二度目です。 一度目の小説は公開していません。 それは支離滅裂な日記に近いもので、書ききったとは言え形になっていないからです。 なので、今回が初めて形にできた小説と言えます。 だいぶ前から書いたり中断したりを繰り返してなかなか完成しなかったのですが、 期限と人目を使ってノルマを刻むことで、このハードルはあっさり越えられました。 期限。 人目。 ノルマの分割。 基本なのでしょうが、自分にとっても有効なのだとようやく実感した次第です。 長い小説は難しいです。 話に整合性が要求されるからです。 ショートショートやインチキポエムとは違って、 書きっぱなしで逃げられないのです。 正しい、間違ってる、の明確な判定があるのです。 その判定を最初に下すのは自分なのですが、お話としっかり向き合うほど判定はシビアになります。 だからしっかり向き合いたくなくなります。 そうすれば間違いを見ずに済むからです。 なんで間違いを見たくないのかというと、それが単に修正作業を要するからだけではありません。 その間違いには、自分という人間の、人間や社会に対する都合のいい、甘い認識が含まれていたりするからです。 つまり弱さです。弱さが容赦なく突きつけられます。 これは嫌です。嫌ですねえ〜! 小説を書くという行為に鏡としての機能があるのは意外でした。 先に言っとけよって思いますが、誰か言ってたかも知れません。 それはそれとして、自己批判ばっかりしてると先に進めないので、 見切りで書いてしまった方がいいという側面もあります。 自分の弱さから目を逸らすのはどうかという話もあるのですが、 駄目だ駄目だで塞いで足踏みするよりは良いと思います。 さらにこれを極端に強くしたものが、世に言うスランプという現象の原因なのではないかと考えています。 あと、物語には自分の願望を反映したくなるのですが、 そのうち設定やリアリティを捻じ曲げないと成り立たない願望が出てきます。 でも設定やリアリティを捻じ曲げるのは物語をウソにしてしまうボンクラ行為だとは分かっているので、 時には捻じ曲げないようにしたり、だけど時には願望を立てちゃったりするのですが、 最後の最後で、心を鬼にして犠牲にしなければならない願望があって、 つまり作中事象にショックを受けました。 作品の成熟は作者からの別離によって初めて成るので、このことから、 ようやく自分も、自立性というものの芽生えたお話を手がけられたのかなあとも思いました。 あと今回は自分に工夫を強いるために、オカルト禁止のつもりで書きました。 ここでいうオカルトとは狭義のもので、魔法や異世界などです。 広義のオカルト、つまり有り得ないハイスペックやインチキ物理などは入れてしまったのであまり意味が無かったかも知れません。 とりわけ戦闘の強い強いで問題を解決してしまうと工夫を回避できてしまうので、 いつか主人公からの暴力禁止でお話を書くのもありかなと思いました。 自分でボンクラはいろいろ見えているのですが、まずは一度書き上げられて良かったです。 読んでくれた方はありがとうございました。 ポーン