光あふれて死ねばいいのに19 ☆ <黒野宇多>  狸寝入りはトドたちを逃がさないために必要だった。  わたしの戦闘能力は異常値だ。ただ強いというだけでなはない。女、それもとりわけ体格に恵まれてもない女 子高生であるという先入観が、敵の油断を買うのに大きく貢献している。わたしと臨戦状態になっても、怖いか ら逃げようという男はあまりいない。  しかしトドがいる。彼の目は節穴ではない。それにかなり慎重だ。彼がここに来たらどうなるか。わたしが鳴 瀬克美を含む五人相手に完勝したという事実を、彼が知ったらどうなるか。さすがに気づくだろう。戦いになら ない。彼らでは決して敵わない。黒野宇多には勝てない。実を言うと織原七重の動き次第ではわたしに対抗でき る目もあるのだが、それはトドには理解できるものではない。  トドは撤退を選ぶだろう。仲間を説得し、車から降りないまま逃亡する。それはわたしには不都合だ。荒野を 助けるのが遅くなってしまう。だからわたしは欺いた。狸寝入りで逃亡を防いだ。 「そぉい!」  車のドアを開け、リアシートに座っている荒野の体を足で押す。転がす。今わたしは右手が使えない。 「手当ありがとね。今助けるからねー」  転がった荒野はうつぶせになった。背中が向く。わたしは片手で銃と一緒に抱えてきたナイフで、荒野の腕の ガムテープを切った。足も自分で上げさせて、膝と足のテープも切ってしまう。はい間に合った。 「お疲れさまです。俺の方は変わったことは無かったです」 「そ。わたしは右腕いかれたよ。あともう限界。電池切れる。わたしは寝るからあいつらは荒野が潰しといてよ 。運転手は寝かせないで、わたしと七重を七重の家まで運ばせて。そこで決着つけるから。はい、これ武器1と 2ね」  鳴瀬克美が持っていたナイフと銃を荒野に渡す。 「空砲トラップは無かったからすぐ撃てるよ。じゃーおやすみ。よろしくね」  わたしはリアシートに座ると、止めていた息を吐き出した。意識を閉ざし、安らかな眠りに落ちていく。 ☆ <荒野>  金髪と角刈りが遅れて走ってきた。俺は車から降りる。 「何してんだてめえ!」 「止まれ」  俺は黒野さんからもらった武器2を構えた。二人は止まる。 「ふざけてんじゃねえぞ」  金髪が言った。口調は反抗的だ。しかし俺の指示には従っている。縛れた。 「無駄口を叩くな。言うことを聞け。さもないと」  武器2を下ろす。引き金を引く。金髪と俺の間の地面が弾けた。石が砕けて埃が散る。 「当てる」  手順ははっきりしている。金髪と織原七重を気絶させ、運転手を脅した上で、織原と俺たち二人を車で運ばせ ればいい。  俺は成し遂げた。武器2があるので簡単だった。 ☆ <織原七重>  ナナエはパパには似ていない。ママには少し似てるけど顔だけだ。二人に育てられてた頃ナナエは、どうして 自分はここにいるんだろうとずっと思っていた。  ネネコガーデンに連れていってもらったことがある。あれは本当に楽しかった。忘れられないのが夜のパレー ド。ネネコの踊りとフーガと、数え切れないキラキラがナナエを包んだ。そこにはあれがあった。すごさがあっ た。ナナエは頷いた。こここそが本当の世界だ。ナナエが生きるべき場所だ。ナナエはここに帰ってきた。だけ どそれから手を引かれた。パパとママが家に帰るとごねたのだ。イヤだった。戻りたくないと思った。あの家に は色がない。ナナエは逃げた。本気で逃げた。絶対捕まりたくなくて、奥にいたネネコに連れてってってお願い した。だけどネネコは裏切った。パパとママに引き合わされた。ナナエは絶望して泣いた。ママに抱きしめられ た。なにか勘違いされて、ごめんね大丈夫だよって言われた。ナナエはママをつき放したかったけど、きつく抱 かれて適わなかった。ネネコは最後にネネコのぬいぐるみをくれた。なんだそりゃ。違いますよ。これはナナエ の欲しいものじゃありませんよ。ナナエのことを思ってナナエの思いと違うことをされると、無性に腹が立った 。ネネコにバイバイをされながら、ナナエはパパとママに車でさらわれた。もらったネネコのお腹を押すと、ネ ネコは声を出した。ねーねこーだよっ。ナナエはお腹を何度も押す。ねーねこーだよっ。ねーねこーだよっ。ね ーねこーだよっ。怒りが頂点に達したナナエは、ネネコを窓から投げ捨てた。  あの二人は優しかった。愛してるって何度も言われた。なんだよもう。病人のための言葉だと思う。だから違 いますよ。それはナナエの欲しいものじゃありませんよ。ネネコガーデンの色をナナエは忘れられなかった。色 のない家がナナエはイヤだった。ナナエは塗り変えることにした。色に包まれていたかった。ナナエの本当の故 郷の色に。 ☆  目が覚めるとナナエの部屋だった。ナナエはベッドにいた。むくりと起きる。 「起きたね。織原七重」 「あれ? ウタちゃんだ」  ナナエの部屋なのにウタちゃんがいた。ウタちゃんはナナエの椅子に座って、目覚めたばかりのナナエを見て いる。  ナナエを。見ていた。 「あれー? 今はちゃんと見るんだね」  ウタちゃんは今までずっと、ナナエを見ようとしなかったのに。ナナエから目を逸らしてばかりいたのに。な にが変わったんだろう。なにが起こったんだろう。 「見てるんじゃないよ。見られさせてるの」  分からんことを言う。ナナエは分からんので分からんと言った。 「分からん」 「ゲームをしよう。織原七重。そして賭けをしよう」 「いいよ。なにするの?」  とりあえずOKした。迷うことは無かった。  ナナエはカードをめくるのが好きだ。箱を開けるのが好きだ。いろんな人の箱を開けてきたけど、中に入って るのはがらくたばかりだった。荒野くんの箱は少し不思議で、中から風が吹いてきた。なにかと思って覗いてみ たら、底が抜けてるだけだった。もういいやと思った。でもウタちゃんにはまだ望みがある。この子は空いてな い箱だ。ナナエはウタちゃんを開けたかった。 「何をしてもいいよ。本当に何をしてもいい。泣かされたら負け。相手を泣かせたら勝ち。どれだけかかっても いい。どちらかが泣くまで勝負はずっと続く」 「え?」  ナナエを泣かせるっていうのか。ウタちゃんが。 「で、負けた方は謝るの。ごめんなさい、許してよ、って。相手が許してくれるまで。勝った方は許しても許さ なくてもいい」 「なにそれ……」  そんな言葉が出た。ううん違う。なにそれは違った。ウタちゃんがやりたいことは分かる。この子は本気だ。 本当に勝負を挑んできている。しかも賭かっているのは、あのあれだ。一番大事な、あのあれだ。  ウタちゃんはナナエを開けるつもりだ。 「怖くなった? やめる?」  ウタちゃんがふざけたことを言う。ナナエがそんな挑戦逃げるわけないだろ。 「ナナエに怖いことなんてないよ。いいってば。やろう」 「じゃあ約束しよう」  ウタちゃんがベッドに来てナナエと指切りした。そのときウタちゃんは、すごくナナエを見てきた。ナナエも ウタちゃんの目を見た。あれ。なんだろう。不思議な感じがする。みんなに見られた時とも親分の時とも違う、 晴れ晴れとする感じがウタちゃんにはあった。なんかすごいな。これは初めての感覚だ。何だろう。ああ。そう か。分かった。  きっとこれが、特別な人を見る感じなのだ。みんな、こんな気分でナナエを見ていたのだ。 ☆ <黒野宇多>  虎穴に入ることにした。  猛獣を遠巻きに見るように、今までは警戒を持って織原七重を観察してきた。お陰でそれなりに彼女が見えて きた。ノーダメージでは倒せないことが分かった。彼女は変化が速い。黒塗り越しやセーフモードでは追いつけ ないようだ。  だからわたしは織原七重を正視することにした。  そうすれば彼女を精神的に捉えられる。そして崩せる。真の意味で無力化できる。しかし彼女を見ればわたし は汚染されるだろう。それにも甘んじることにした。ただしダメージの上限は定める。鳴瀬克美を相手に一定の 負傷を許したように。  織原七重に対する視界の閉鎖を解除し、バックドアの溶接を解き、デッドラインを内側に後退させる。わたし の精神を自我と認識世界に分けた上で、その境界にラインを設定する。認識世界は解放する。わたしは彼女を理 解しながらも彼女の波長に汚れるだろう。ただし自我は守りきる。外周から壊れていくわたしの認識の中で正気 だけは堅守する。  認識世界が崩壊しても、コアさえ守りきれば再生できる。刺し傷と同じだ。時間はかかるが後からでも修復で きる。 ☆  夜になって移動が終わった。織原七重の邸宅に来た。高級住宅街の一軒家だ。庭を飾る植物や小窓の内側から 漏れる光が、快適さと安らぎを演出している。そこには特に織原七重らしい異常性はない。まあ人間のデザイン だ。  気絶している織原七重から鍵を盗み、わたしたちは家に上がる。彼女の体は荒野に持たせた。  入った途端に世界が変わった。  空間に色がついた。赤から紫まで七色の、無数の糸が宙を舞う。淡く鈍く光りながら、動物の毛並みのような パターンを形成していた。危険な幻視だ。しかし美しかった。  同時にそれらとシンクロするように、かすかな音が聞こえてくる。単調にだけど移ろいながら、コードを紡ぎ 続けるベース音。これも実在する刺激ではない。幻聴だ。しかしとても心地良かった。  これは彼女の見ている世界の一部なのだ。わたしの感覚は早くも織原七重に同調していた。想定内だ。  新しい家だというのに、そこかしこの壁に落書きがあった。織原七重が描いたのだろう。視認した落書きに呼 応して、空間も模様を変えていく。吹き抜けの階段を上がり、彼女の部屋を見つけた。廊下の壁にも落書きがあ った。二次元の花だ。部屋のドアの周りを囲って、小さい花が沢山咲いていた。それを見たとたん、周りにも花 が現れる。空間に好き勝手に芽吹き、ふわっと咲いてはくるくる落ちる。花が降る廊下でわたしはドアを開けた 。  織原七重の部屋に入る。黒い天井に、虹色をした円筒のカーテンのような光源が浮かんでいる。オーロラを模 した電灯だ。  そこは彼女の感性の総本山だった。キャビネットの一室にみっちり詰め込まれたハムスターの縫いぐるみ。長 すぎて床にだぶついたレース紗のカーテン。壁に架かったコローの絵。窓際に配列された十三個の洋梨。その終 点に置かれたガラスのコップには、ルビーやアメジストやサファイアなど大ぶりの宝石がもろりと入っている。 ああそうか。ここは日中に陽光を受けて輝く位置だ。彼女は毎朝起きたとき、その光を見るのだろう。  ベッドに織原七重を寝かせると、わたしは荒野を帰らせた。もうフィジカルな駆け引きはない。あるのはスピ リチュアルな闘争だけだ。わたしは彼女が目覚めるのを待った。 ☆  ここからは比喩で表そう。  物理的ではない空間で、わたしと織原七重が抽象的な攻防を繰り広げる比喩だ。傍目には織原七重と親交する 日常生活だが、本質的には心の削り合いである。そして水蒸気の集合を雲と見るのが正しいように、引き延ばさ れた鉄を剣と見るのが正しいように、わたしたちのやりとりを概念闘争と見るのもまた正しい。たとえばわたし から彼女へ送るメールは鋭利な金属のつぶてとして表現されるし、彼女がモニターの向こうで歌う歌は彼女が意 識せずとも自動で展開される攻撃性を備えた花の盾として表現される。わたしと織原七重の精神的な攻防は、精 度の高い感覚共有によって成り立っている。それを客観的な現実から描写するのは逆に回りくどいのだ。 ☆  闇の中。わたしは逆さまに落ちている。  差し込む光は一切ない。六方を均質な黒で満たされた無音の空間はわたしの原風景だ。桃から生まれたのが桃 太郎なら、わたしは虚無から生まれた虚無子ちゃんだ。無はわたしの動力源でもある。意識というものを存在さ せる奇跡を、わたしは人とは違うパスで形成している。  さあ、始めよう。  わたしは前方に手を伸ばす。握る。テーブルクロスをひっ掴むイメージ。黒の結界が収縮し、わたしを中心と した半径10メートルの球になる。それ以外の世界は光で満ちた。億を越える光の粒が、生命のように漂ってい る。七色を移ろっている。その正体は明白だ。この光たちには本体がいる。 「あれ? ウタちゃんだ」  わたしは振り返る。そこに奴がいた。わたし視点では逆さまに、振り返ったわたしと向き合うように。極彩色 のロングドレスに身を包み、足の長さを越えてゆらめくレース紗のスカートをたなびかせる。その裾は透き通っ ていた。その形と色が模しているのは、彼女がこの世で最も美しいと思っているものだ。  彼女は首を傾げる。はにかむように微笑んだ。 「あれー? 今はちゃんと見るんだね」 「見てるんじゃないよ。見られさせてるの」  わたしは彼女を見る。観察するだけでなく、わたしの眼差しを見せるために。わたしを彼女に見せるために。 彼女は分からんと受け流す。わたしが魂の勝負を申し出ると、彼女は躊躇なく快諾した。そして両手の指を動か す。  ピアノだ。彼女がそのつもりで空間を叩くと、鍵盤が沈んで音が鳴る。同時にそこから細い糸が流れ出る。音 の集合がメロディを形成する。糸の群れも同じように、メロディと呼応して絡まり合う。平面になり、帯になり 、羽衣となって彼女の周囲を廻り巡る。その光景からわたしは彼女の名を知った。メディアで連呼される芸名も 親に由来する戸籍名もいい線を行っていたが、彼女の本質に迫るもっとふさわしい名前があった。彼女は幻想の 発生源だ。夜を彩り、七色の帯を紡ぎ、万民の心を奪って彼岸に誘う奇跡生まれの女の子。ゆえに。  虹織姫。 ☆ つづく