光あふれて死ねばいいのに16 ☆  まず意識が目覚めて、次に体が起動する。  全身を包む倦怠感と絶望感を、意志の力で解体していく。数秒でコンディションを整える。周囲の状況を認識 するために目を開く。わたしが持っているすべての目を。  ワゴンに乗せられていた。  わたしは一番後ろのシートの右に座らされていた。隣には大男が座っていた。高校の制服と虹色の坊主頭。呼 吸の間隔がとても長い。並大抵のことでは驚きもしない神経の図太さ、腹の据わりようが見える。首も太い。格 闘で倒すとしたら骨が折れそうだ。おそらくこいつが鳴瀬克美だ。こいつがわたしを拉致したのだ。手下を使っ て。  向かい合う席に、派手なシャツを着た男二人が携帯でゲームをしていた。創攻会の組員もしくはその傘下のチ ンピラだろう。性能を確認した後、わたしはまた目を閉じた。  わたしは視界を閉じたまま自分の状態を確認する。体の三カ所がガムテープで束縛されている。両足と膝と、 背中に回された両手だ。怪我人相手に徹底していると言いたいところだが、口は塞がれていない。尋問時に剥が す手間を省いたのだ。そして何より肝心の目が塞がれていなかった。これは減点だ。おそらく状況が見えた方が 恐怖を与えられると考えた、と言うよりはわたしの反応を見たかったのだと見える。わたしの目の性能を知らな ければそんな判断もあるのだろう。  シャツがはだけられて下着その下に巻かれた包帯が露出している。傷は手当されていた。きつく巻かれたナイ ロン生地の下に、傷口を押さえる綿の布が挟み込まれている。わたしの鼻腔が血の臭いをより分けてその布の正 体を特定する。荒野だ。荒野のTシャツとYシャツの切れ端で止血がなされていた。つまり荒野は、わたしをト ドから守りきることは出来なかったが止血は出来たことになる。おそらく微妙な交渉があったのだろう。トドは 腕を慣らした不良だとは言えどちらかと言うと平均的な神経の持ち主だ。喧嘩で死人を出すことも、織原七重を 殺人者にすることも彼は望まなかったはずだ。だから荒野はその利を説いてトドに邪魔されずにわたしを手当す ることが出来た。その間にトドは仲間を起こす。荒野がわたしの止血を完了した頃には、その周りを連中が囲ん でいる。荒野一人では勝てない。昏倒させられるか脅されて、わたしの誘拐は阻止できなかった。ともかく荒野 はわたしを生かしきった。上出来だ。あとで誉めてやろう。  また目を開く。このワゴンには織原七重も荒野もいない。しかし別の車で運ばれているはずだ。わたしは体を ひねってワゴンの後方を確認した。遮光フィルム越しに別の自動車が一台見えた。凝視する。後部座席に織原七 重と、同じく束縛されている荒野が見えた。荒野からわたしは見えない。遮光フィルムを透過するほど彼の目は 良くない。 「起きたか」  動いたわたしを見て、鳴瀬克美が口を開いた。トドの電話越しに聞こえた声に補正をかけると、やはり一致し ていた。彼の声に反応してチンピラ二人がゲームする手を止めてこちらを注視する。鳴瀬克美の支配力の大きさ が伺えた。 「気分はどうだ? 黒野宇多さんよ」  悪くないよ、鳴瀬克美さん。などとは答えない。わたしが鳴瀬克美のことを知っていることを鳴瀬克美は知ら ない。みすみす情報をくれてやることもない。さらに言えば、わたしの性能をさらけ出す必要もない。相手の期 待や想定を出来るだけ裏切らないことが、情報戦的には最善である。  わたしは表層だけを取り繕う偽装人格を生成した。  トドの報告と矛盾しない程度に弱い黒野宇多の人格だ。 ☆ 「何よこれ……なんで縛られてるのわたし? ちょっとこれ外してよ。はやく外せよ今すぐ!」  わたしの預かり知らぬうちにわたしに不利な状況が出来ていてわたしは許せない。何よこれ。これ何よ。冗談 にしても質が悪すぎる。ふざけるな。 「何笑ってんだよ。外してよ。外してって言ってるでしょ! 日本語分からないの!?」 「うるせえよ」  鳴瀬克美が手の甲で、わたしの鼻っ面をぶっ叩く。ぞんざいに、蠅でも払うかのように。わたしは避けた。攻 撃に反応して頭を伏せた。 「食らわねえよバカ!」 「ああ、お前だけで六人ぶっ倒したんだったな」  奴は嘲るように笑う。それでわたしの中の何かが切れた。お前もぶっ倒してやるよ。わたしは口を開いて、鳴 瀬克美の首筋に飛び込む。手足が縛られていてもわたしは動けた。頸動脈を噛みちぎってやる。  しかし奴の反応は速かった。奴の大きな手が動き、わたしの首が捕らえられる。握られる。首全体ではなく喉 をつまむようにして力を込められた。 「、ぁあ……゛っ! かふっ」  息が止まるとかいう以前に、捻じ切られてしまいそうな痛みがわたしの神経を支配した。思わず口を開く。口 腔への刺激で涙が滲む。わたしはむせた。 「暴れんなよ」  勝ち誇った声。頭に血が昇っておかしくなる。殺してやりたい。いやそれじゃ足りない。きっちり同じ目に遭 わせた後で延々となぶってやらなければ気が済まない。だけどわたしは何も出来ない。 「後で可愛がってやるからよ」  奴の手が離れた。わたしはせき込みながら、高ぶった感情を抑えようとする。だめだ。むかついてどうにもな らない。感情は言葉になって爆発した。 「何なの……ここどこよ! わたしをどこに連れてく気!?」 「うるせえってのが分かんねえのか?」 「痛っ!」  右胸を思いっきり掴まれた。潰れるかと思うくらい強く。前がはだけられていたのを思い出して、わたしは今 更羞恥の感情がこみ上げた。力なく拒絶する。 「やめて……やめてよ」 「てめえがうるせえからだろうが」  鳴瀬克美は攻撃的に目が吊り上がった、その闘牛のような顔をわたしに寄せてきた。わたしはもはや噛みつく 気にはなれない。どうせかわされ、痛めつけられる。ちくしょう。畜生畜生畜生。わたしは精一杯の抵抗で奴を 睨みつける。わたしにはどうして織原七重のような魔法が無いんだろう。わたしが抱いているこの想いの、十分 の一でも伝われば奴を呪い殺せるのに。 「静かにしねえと握りつぶすからな」  鳴瀬克美がわたしの胸を掴んだまま警告する。その上で、そんなことを言っておきながら、わたしをべろりと 舐めてきた。 「い、厭っ!」  首もとから、頬を経由して目元にかけて。うっえええええ。最悪だ。不快な感情が、同時に沸いてはいけない 数を越えた。嫌悪と羞恥と屈辱と嘔吐感と……そしてわずかに恐怖と不安で……わたしは身を縮こまらせる。叫 ぶなというのか。この状態で。わたしの奥歯がぎりぎりと鳴って頭蓋に響いた。 「おうよく我慢したな。やりゃあ出来んじゃねえか、なあ?」  痛い痛い痛い。気まぐれに胸が絞られる。わたしは泣いた。屈辱が目からこぼれるのを、意志の力では止めき れなかった。このわたしが、こんな。 ☆ <荒野>  見知らぬ車に乗せられて、俺はどこかに運ばれていた。運転は角刈りのおっさんがしている。 「荒野くん荒野くん、荒野くんはなんでそんな変な名前なの?」  隣には織原七重がいる。騒いでいる。相席になったのは彼女の要望らしい。俺は黒野さんの手当にシャツを使 ったので上半身裸だ。そして手足をガムテープで束縛されているので、何をすることも出来ない。だから俺の隣 に彼女を置いても危険はないとの判断があったのだろう。リーダーが何者かは知らないが。 「そいつ荒野っつうの? え、7eはなんでそいつに親しげなの。友達?」  助手席には金髪の不良がいる。例の目が良いと黒野さんが言ってた奴だ。こいつには黒野さんを助けさせても らった恩と、袋叩きにされた恨みがある。 「邪魔すんなよ話しかけるなよこの田園。収穫するよ?」  収穫時期の麦畑を金色の絨毯と言う。 「ナナエは荒野くんと話してるの分かれよ死ねよ。あっち行けよ」  車の中なのに無茶を言いながら、ナナエは助手席を蹴り付けた。金髪はため息をついて何も言わなくなった。 織原七重はなぜか俺に興味があるらしい。 「荒野くんはさあ、駅のホームから飛び降りたら好きなとこにワープできるって言ったら飛び降りれる? 犬の うんち食べたら何でもひとつ願いが叶うって言ったら食べれる? 幾ら貰えたら人を殺せる?」  織原七重の質問責めを聞き流しながら、俺は黒野さんのことを考えていた。おそらく違う車で運ばれているの だろう。ひょっとしたら前のワゴンがそうなのかも知れない。黒野さんも俺と同じように束縛されている。八方 塞がりの状況だ。しかし特に心配はしていない。俺は出来ることはした。黒野さんを死なせなかった。黒野さん は生きている。だから大丈夫だ。どうせ助かる。  絶望とは破局を逃れる可能性が一切ないことだ。しかし黒野さんは必ず切り抜ける。だから、絶望とはそれ自 体が矛盾した概念であると言える。 「親と友達どっちが大事? 信念のためなら何をしてもいいと思う? 信念って何だと思う? ねえねえ。ねえ シカト? シカトしないでよ」  織原七重が俺の髪を掴む。甘かったその声もだんだん険しくなってきている。 「ナナエは自分が一番だよ。だからさ、いくら荒野くんでもさ、シカトされると許せないんだよね。なんか言っ てよ。髪抜くよ? てっぺんから十本くらいずつ抜いてくよ? 荒野くん髪多いから地道な労働だけどさ。あ、 田園にやらせよっかな」  髪を抜かれるのは困る。意志があって沈黙してる訳ではないので、俺は織原七重の質問に答えた。 「前例があるなら俺も飛び降ります。本当に何でも叶うなら犬の糞も食べる価値はあると思います。殺す値段は 人によりけりです」 「あー差別だ。いっけないんだ、差別」  織原七重が俺をなじった。彼女は平等主義的な振る舞いなど一切してないから、おそらく冗談で言っていると 思われる。冗談は取り合わなくてもいい。 「俺は親か友達かで人は選びません。何をするかを定めるのが信念なので、さきほどの問いはナンセンスです。 信念は、その人が生涯で受けたダメージや、支払ったコストから形成された一種の傷跡のように捉えています」  頭に痛みが走る。毛が抜かれた。 「何言ってるか分かんない。だから罰だよこれ」  なるほど。俺はルールを理解した。俺が自分を守るには、どうすればこの女のストレスを買わないかを予測す る必要があるようだ。 「では言い直します。信念のためなら、そうですね、おっしゃる通り何を」 「いいよもうそれは。それよりさ、ウタちゃんとはどういう関係なの? つきあってる? なんかベタベタして るよね。キモいくらいに」 「付き合ってないです。俺たちはボスと手下です」 「ははあーっ? ハウアユー?」  織原七重は変な声を出した。おそらく音に意味は無い。「仕事でも部活でもないよね。なんか脅されてるの? 」 「いえ、脅されてはいないですね」 「だよね。じゃあなんで手下なんてやってんの? なんで? ねえなんで?」 「答えないと抜きますか?」 「答えないと抜きますよーよんよん」  彼女が俺の髪を軽く引いた。二度三度と。  俺は少しだけ逡巡した。答えるべきだろうか。ここから先は俺のパーソナルな領域だ。心のうちをべらべら喋 る趣味は俺にはない。しかし髪はあまり抜かれたくない。 「恩があるんです」  俺は話すことにした。そうすることへの強い抵抗もなかった。 「中坊の時まで、きつい思いしてたのを、助けてもらったんです」 「何それ何それ。いじめられてたとか?」  織原七重は足先をゆらゆら回しながら聞いてきた。なんだか生死のかかっている状況とは思えない会話だ。日 常の一コマかと思えてしまう。俺は一瞬、いま自分が何をしているのかを見失いそうになった。 「いじめって感じじゃないですね。むしろ過剰に好かれてたんです。上級生の女子三人だったんですけど」 「ほーほーほー。荒野くんかっこいいもんね。あ、昔だとかわいいって感じかなー?」 「可愛がられてた感じですね。リボンつけられたり、ひどい時には女の服着せられたり、今思えば異様な関係だ ったんだと思います」 「ふはっ」  彼女は天井を向いて吹き出した。ツボに入ったらしい。当分俺の毛髪は安全そうだ。 「昔はさぞ似合ってたんだろーね! でも今やったら気持ち悪いだろうね! いーねいーね! もっと聞かせて !」  バタバタ跳ねて俺の話を促す。よく動く女だと思った。 「ほかの男子でも彼女から貰ったピンクの人形とか鞄につけてた奴はいたし、そういうギャグで片づく気もした し、まあ普通の範疇なのかなと思って拒みはしてなかったんです。でもよくよく胸に手を当ててみると、つらか ったんですよ」 「スカートとか穿かされて? ふっひっひ」 「それもそうなんですけど、他にも色々あれしてこれしてってお願いされて、変なことも言わされて、俺、わり と人から言われたことを何でも受け入れちゃうところがあって、はいはい言うこと聞きながら、自分はそんなこ としたくないし、しんどいことに気づいてなかったと言うか」 「あー分かる分かる。荒野くんぼんやりしてるもんね」 「はい。黒野さんは『我が薄いから抵抗なく流される』って言ってました。自分でもそうだなって思います」  そしておそらくそのせいで、織原七重の汚染には逆に耐性があるということなのだろう。黒野さんの話から察 するに、彼女の汚染は我の共振に基づいているからだ。 ☆ つづく