光あふれて死ねばいいのに14 ☆ 「ちょっと集中入るからガードお願い」 「分かりました」  周囲の認識を意識から捨てて、脳内活動に没入する行為のことを荒野には集中という言葉で説明している。本 気の集中に入ると無防備になる。普通は安全を確保した上でやる。しかしそうも言ってられない。織原七重は無 秩序に跳ね回るボールだ。現状ではこの屋上に連れ出すのが一番ましで確実な選択肢だった。今屋上が他の誰か に使われることはない。まず事故は起こるまいが、万が一のケースに備えて荒野に周囲の警戒を頼んだ。荒野一 人で撃ち落としきれない危険が迫れば、わたしは荒野に抱きかかえられて運ばれることになる。不安は無い。 「ねえ■■■■、■■思う?」  織原の言葉に後押しされて、すべてが黒で埋め尽くされていく。わたしは認識の変化に身を委ねた。  黒。何ひとつ見えない無明の空間。  それはわたしの原風景だ。 ☆  わたしは絵が描けない。  わたしが筆を動かして紙に映し出し、その技量と完成度に周りから感嘆を受ける画像は実のところわたしが見 たものの機械的な複製に過ぎない。精彩で写実性に富み、非の打ち所ひとつなく構図も色合いも正しいその画像 に創造性は全くない。そのつもりで描けば情感や遊び心も演出できるが、それもまたカタログ化されたテクニッ クを探索してスコアの高い組み合わせを採用するだけのプロセスに過ぎなかった。そこにわたしの主観は入らな い。そこにわたしの意識や情念は入らない。画像加工ソフトのフィルタのようなものだ。どんなに絵が下手な人 間でも画材から意図せず滲ませる個人的な印象の波及を、わたしはまったく持ち合わせていない。あるいは描く なら真っ黒だ。  わたしは既知に強い。未知にも強い。脅威として現出した未知の事象を、冷徹な観察の刃で解体して既知に引 き込み、始末することができる。対策できる。わたしは困らない。無数の選択肢を迷わず通過する中で、生存や 勝利や成功に続く道を選び間違えることはなかった。しかし未知を作れたことは無かった。まだないものを求め ているのに、自分の力でそこに到達できていないのだ。正しいことしか出来ないわたしは、新しいことの探し方 が分からない。  坂井終司に提出したマーガレット。あれはわたしの創作ではない。実のところただの模倣だ。坂井終司があれ に感動するのは当たり前の話で、本来なら彼がこれから作っていたものだ。わたしは彼と、彼の作ったフリージ アに触れて彼の意識構造を読みとった。かなり本気で肉薄した。わたしの中で強く残響するように。わたしは彼 のエコーを走らせて、それが吐き出した答えを盗み見た。そして多少のジャムをかけ、整形してノートに出力し て彼のセンスで命名した。マーガレットは言わば、未来の坂井終司からの盗作だ。自意識を絶望的に閉鎖してい る坂井終司の気を引くには、そこまでしなければならなかった。彼はユニークだ。彼しか持っていないものを持 っている。今はまだ萌芽に過ぎないけれど、確かに兆しがある。あれは森の種だ。わたしはそれが欲しい。わた しは彼が欲しい。しかし彼は自分にしか興味が無い。一人で閉じかけている彼の生態系を、わたしはこじ開ける 必要があった。しかしわたしは持っていない。わたしでは彼の興味は引けない。わたしは対策した。彼が興味を 持つのは彼だけなのだから、彼自身を提出すればいい。彼が到達するより早く。わたしは騙した。種を明かされ ても到底信じられないような手品を披露した。そうして彼の感性を震わせた。計画通りに。  織原七重もユニークだ。紡ぐ歌声は極彩色の、乱反射する宝石だ。でも彼女を羨みはしない。あれはダメだ。 答えではない。間違った奇跡だ。絶頂のまま死んでいければそれは確かに素晴らしい。臨界を越えて爆発し、人 が築き上げてきたすべてを糧にして燃え上がる。炎の柱が天を衝き、踊る火の粉は精霊のように美しいだろう。 しかし後に残るのは砂漠だけだ。  打ち消さなければならない。 ☆  一面の闇に穴が空く。  光が刺して外界が見える。現実への帰還だ。黒の壁はぺりぺりと剥がれ落ちていく。用を果たした防壁は完全 に崩れ、織原七重のいる屋上がふたたび広がった。しかし前と同じではない。わたしが見るその光景に色は無か った。濃淡だけで物体を識別するモノクロの世界。ただ色盲になったというだけではない。光も音も肌を撫でる 風も、知覚したまましか伝えてくれない。直感も霊感も完全に閉ざされている。わたしはほとんど分からなくな った。常人レベルの認識空間。ほとんど全盲に近い、圧倒的な外部情報の欠如。なんとも肌寒い眺めだ。  セーフモード。  これでわたしは気配ひとつ察せられない。声でもかけられなければ背後の殺意にすら反応できない。その代わ り、暗示も催眠も一切受けない。魔女であろうと織原七重であろうと今のわたしの精神を侵すことは出来ない。 溶接されたバックドアは放射線のひとすじも通さない。仕組みは異なるが、荒野も普段から似たような世界を見 ているはずだ。  織原七重を叩くには、織原七重の精神に接触しなければならなかった。しかしそのまま接触すれば、わたしが 彼女に侵される。この葛藤を打破するのに、アンチハートキャッチプロテクションは打ってつけの技法だった。 「ナナエを殺すの? 黒野宇多」  わたしは今や織原七重の顔も見ることが出来る。いい顔だ。きれいでバランスが良くて、そして特に何も無い 。織原七重の姿も声も息づかいも、今のわたしはフラットに認識することが出来る。ただの現象の束として。 「殺す? 馬鹿じゃないの織原七重。わたしはあんたを楽しませるつもりは無いよ」 「でも楽しかったし楽しむよ。空も怪物もぜんぶがナナエのおもちゃなんだ。あんただって。さっきのすんごい 蹴りだったね。目ん玉飛び出るかと思ったよ。必殺技? 名前はある? ナナエにも教えてよ」 「七つの大罪の一つ。執拗なアピール」  要望通りという訳ではないが、罵倒蹴りをもう一発叩き込む。座った七重が浮き上がるほど乱暴に。虚ろな視 界で急所はうまく捉えられないが十分だ。ただ強く蹴った。 「あんたが何でも楽しもうとするのは分かったよ。でもだから何? すごいねって言ってもらいたいの? 欲し い反応が無いからって何度も繰り返さないでよ。迷惑を通り越して無様を通り越して哀れだよ? あんたが楽し くてもわたしは楽しくないしそもそもどうでもいいし尋ねてないの」 「あだだだだだだっ!」  わたしはしゃがんでナナエの耳をつねって引っ張る。ナナエの目元に涙が滲んだ。効いている。ナナエがこち らに手を伸ばす。痛みに負けず逆にわたしをつねろうとしているのだ。わたしは空いた左手でそれを逆手に掴み 、捻る。 「い゛……っ!」 「七つの大罪の一つ。のろま」  理由をつけてわたしは織原七重の失態をカウントする。あと四つ挙がれば七つになる。揃うかどうかはどうで もいい。揃って何が起こる訳でもない。 「あー……」  わたしに耳をつねられて、更には腕もひねられて、七重の目尻から滴が落ちる。はいはいクソ綺麗クソ綺麗。 織原七重の泣き顔だ。放射量は半端ではない。ガイガーカウンターは振り切れている。至近距離で被曝すればひ とたまりもない。しかしわたしのガードは貫けない。同情も憐憫も沸きはしない。ただダメージが通っているこ とを認識する。  しかしさすがに濃度が高い。荒野の防御は貫くかも知れない。わたしは先手を打っておく。 「荒野は七重を見ないでね」  織原はさっと自分の泣き顔を左手で隠した。涙を拭く。そしてぎゅっと目をつぶり、ぱちぱちしばたいて涙を 止めた。彼女はなぜか謝ってきた。 「ごめんねいきなり泣いたりして。これじゃ悪いことされてるみたいだよね。せっかく遊んでくれてるのに」  ――おや? 「遊んでないよ。勘違いしないでね。悪意があってやってるんだから」  織原をなじりながらもわたしは彼女の挙動を訝しむ。  変哲があった。不自然だ。感覚が閉じていて推論だけでもそれは分かった。  織原七重は涙を恥じた。  身に降るすべてを楽しむと豪語し、痛みも罵声も好意的解釈の胃袋で飲み込もうとするこの女が、涙だけは流 したことを後悔した。筋が通っていない。矛盾だ。わたしの予想しなかった一面だ。わたしは推論を進めて認識 を改める。彼女は馬鹿だが単純ではない。苦痛を相対化できるということは、自分の感情を発生した直のまま発 散するのではなく一度手を加える回路を持っているということだ。彼女は言った。「楽しかったし楽しむよ」。 それができる彼女なら、溢れる涙だって楽しめるはずだ。自己陶酔に落としてもいいし、泣きながら笑うことだ って出来るだろう。しかし彼女はそうしなかった。そう出来なかった。涙はただ彼女の幸福と相入れないものと して定められ、忌むべきものとして抑圧された。これは綻びだ。織原七重の弱みへと繋がる糸口だ。  織原七重が隠そうとしているもの。もうそれなりに見えてはいるが、わたしはあえて問いかける。最初は拒絶 されたわたしの問いだが、今の彼女になら通る。ここからぐずぐず崩していける。 「あんた泣くのが」  視界が収縮した。急に。  襟首を捕まれて、強い力で後ろに引っ張られている。状況が危機的になったと判断し、わたしはモードを切り 替えた。灰色の視界はそのままで、時間の認識を細かく刻む。わたしは後ろに放り投げられた。地面に落ちる前 にその犯人を確認する。わたしを投げたのは荒野だった。汚染された様子はない。投げるべきと判断して正しく 投げたのだろう。  低い放物線を描いて私は地面に接触する。力学に逆らわず後転し、激突せんと迫った校舎の壁を後ろ足で押さ えつけた。かすり傷も負わないまま、低姿勢に落ち着いた。 「敵です。囲まれてます」  言われて周囲を見渡すと、荒野と織原七重以外に八人がわたしたちを囲んでいた。全員男子だ。一人はわたし のいた場所に蹴りを放っていた。荒野のお陰で回避できた。  八人は制服を思い思いに着崩し、髪を明るく染めてる者もいる。不良だ。全員学校で見たことのある顔ぶれだ 。記憶を辿ってパーソナリティを特定する。上級生もいる。また、一人は織原七重と同じ一年七組の生徒だ。 「集中切るよ。もうガードは要らない」  わたしは荒野に声をかけた。セーフモードのままで捌ける相手ではなかった。 ☆  視界に色が戻る。五感を越えたと錯覚するような有形無形の情報がわたしの中に流れ込んでくる。久しぶりに 地上の空気を吸ったかのような解放感だ。浸るのはほどほどにして、わたしは状況を精読する。  八人は優位を確信しているのか、まだ臨戦態勢にも入らず談笑していた。 「この女やっちゃっていいんだよね?」 「やったらぶっ殺すって言われてるだろ」  「言われている」。八人は誰かの指示で動いている。 「バカちげえよバカ。死ねよ。7eは手を出しちゃだめで、ってーか怪我させたら死刑で、っつか7eに何かあった ら俺がお前ら殺す。あと、あれ……他のやつはやっていんだよ」  織原七重を保護するために動いているらしい。彼らはどうやって織原七重がここにいることを知り得たのか?  それは、織原七重と同じクラスのやつがいたからだ。わたしが校長に呼ばれたと言って織原七重を連れ出した だけで、それを追跡して保護する意志が働いたのだ。しかしそれはこの八人の意志ではない。彼らも織原七重の 汚染は受けているがまだ浅い。保護を命じたのは別の人間の意志だ。それもかなり強い。金や政治が絡んでいる 可能性がある。誰の指示だろうか? それを悟る材料をわたしはまだ持っていない。だが問題ではない。こいつ らに聞けばいい。 「つーかこいつ黒野ウタじゃね?」 「誰?」 「だからおめ生徒会長の顔くらい知っとけよ。お前……お前、生徒会長様だよ? 頭が高いよ。控えろよ」 「うっそ女王様じゃん」 「女王様関係ねえだろ。お前さ、バカだと思われたくないからって変な返しすんのやめろよ」 「ちげえ。間違えた。あれ。女王様じゃなくて、お嬢様? って言おうとしたの。生徒会長って……金持ちでお 嬢様的な」 「決めつけんなよ。もう帰っていいよお前」 「つか超かわいくね? ときめいた。うれしい」 「なんで現地の人みたいになってんだよ」  緊張感が無い。時間がもらえるのは有り難いので静観していたが、これ以上喋らせても大した情報は得られな さそうだった。分かったことと言えば、この戦闘に敗北するとわたしが輪姦されることくらいだ。  わたしは目を走らせる。八人の体格や呼吸を見て戦力を見積もった。わたし視点で左から、786X4678 。Xは織原七重のそばに立っているのでうまく認識できなかった。下手に注視すれば彼女に汚染される。一番右 の8は校舎に入るドアの前に立って退路を塞いでいる。  いい機会だ。全員潰して尋問する。ちなみに荒野の戦力は8である。以上すべて、わたし自身の戦力を5とし ての相対値だ。わたしより弱いのは一人しかいない。 ☆ つづく