光あふれて死ねばいいのに13 ☆  リサがどんどんつまらなくなっていく。  たまに面白いことをしてナナエを喜ばしてくれるけど、いつも同じ方向にしか予想を越えてくれない。むしろ ナナエの予想の方が面白かった。広がっていく予想にリサは追いつけない。まあ別にいいんだけど。リサがつま らなくなるのはリサの勝手だ。  リサはナナエのことを一番に好いてくれるし、きっと一生親友同士だ。でもそのことには何の意味もない。 ☆  流星帳の伸びも頭打ちになってきて、ナナエはまた餌を探し回らなくてはいけなくなった。とてつもない何か 。ナナエの魂の空腹を満たす餌だ。  とてつもないものは気まぐれだ。それは思いもしない時にひょっこりナナエの前に現れる。だけど待ってても 向こうからは来てはくれない。それならそれでいい。ナナエは、自分から動くことにした。 ☆  親分の口聞きでナナエはドラマに出れることになった。あのおっさんがどういう仕組みでドラマのキャストを 操作できるのかは分からないけど、怪物なんだからまあそういいこともあるのだろうなと思った。マネージャー は知らない方がいいこともあるよ、と言った。ナナエもそんなことは気にしない。  今日の打ち合わせはいつものように終わった。ナナエはニコニコしてるだけだ。話は聞かなくていい。大事な ところは後でマネージャーが教えてくれる。  帰りの車で、ナナエはマネージャーに話を切り出してみた。 「リサがアイドルになりたいって言ってるからならせてあげてくれない?」  マネージャーは運転しながら聞き返してくる。 「リサ? 誰ですかリサさんって」 「ナナエの友達。親友なの」 「……」  マネージャーは黙った。せっかくナナエが説明したのに、何も言わなくなる。 「ねえ」 「すみません。話が唐突だったもので」 「そこはどうでもいいでしょ。リサのことよろしくね。今度連れてくるから」 「いや、いきなりそんなことを言われても」  ふざけたことを言うので、ナナエは運転席を後ろから蹴りつけた。 「それどういう意味? だめって意味? そんな答えナナエ聞きたくないんだけど。分からない訳ないよね?」 「ナナエさん。聞いてください」 「やだ。あんたがナナエの言うことを聞くの。嫌ならいいよ? ナナエの言うこと、ずっと聞かなくていいから 」  軽く脅すと、マネージャーはあっさり頷いた。 「分かりました」  こいつは怒らない。ナナエがどれだけ理不尽をやってもだ。変なやつだと思う。どこまでやったら限界を越え るのか、ついつい試してみたくなる。この前は灰皿で前歯を二本折ってやったのに、こいつは口から血を垂れ流 しながらぺこりとおとなしく謝った。その時からこいつの前歯はなくなり、ナナエはこいつがちょっと好きにな った。おもちゃは頑丈なものに限る。 「けど採用を決める権限はわたしにはありません。社長に会わせてみましょう。社長が気に入るかはその子次第 ですけどね」  分かりました、と言った割には後からごちゃごちゃ言う。知らない。ナナエは聞いていない。結果がどうなる かなんてナナエの知ったことではない。面白いことが起こればそれでいい。面白くなければ、またこいつを殴れ ばいい。  人生は楽しくなくてはならない。  楽しくなければ楽しくするし、楽しくできなくても楽しくある。ナナエは楽園に住んでいる。 ☆ <黒野宇多>  最速で接敵する。  わたしは荒野を連れて織原七重のいる七組に向かって直進する。  今ほかのクラスは授業中だ。でも関係ない。踏み込んで王手をかける。  わたしには二人の寵臣がいる。状況対応の手管を叩き込んで育てた大ゴマ二枚。戦場でも立ち回れる飛車と角 だ。できればフルに使いたかった。しかし一枚は手元にない。荒野と同じクラスなのだが、荒野と一緒について 来なかった。 「つぼみが来てないね。まだダウンしてるの?」 「はい」  つぼみはわたしの狂信者だ。わたしの指示なら大抵はこなす。だけど事情があって今は精神的に痛んでいた。 荒野と違って不安定な奴なのだ。完治するまでは休ませている。半端に動かれても足手まといになる。 「荒野はそこで待ってて」  言い残してわたしは七組のドアを開けた。 「失礼します」  黒板側だ。教師と生徒が一斉にこちらを向いた。黒板には英文が書かれている。英語の授業中だ。 「なんだ、どうした」  教師がわたしの珍入に目を丸くする。当然の反応だ。  わたしは答える。 「織原さんが校長先生に呼ばれています。わたしもです。一緒に来るように言われました」  嘘をつく。教師は鳩豆顔だ。しかし深く考えずに納得したようだった。よく分からないが何らかの事情がある のだろうな、という心の声が聞こえる。世の中をぼんやりとした何か程度にしか思ってない人間は案外多い。 「そうか。えっとお前は……黒野か」  わたしを記憶された。この件は後で必ず追及されるだろう。嘘は負債になる。後で帳尻を合わせなければなら ない。しかしこの場合は簡単だった。わたしは校長とリンクがある。頼めばいくらでも口裏を合わせてもらえる 。それどころかあの人なら、何も言わなくても察してくれるかも知れない。 「織原、行ってこい」 「はーい!」  織原七重は楽しそうに立ち上がった。釣るだけなら簡単だ。何にでも飛びつくだろうとは思っていた。 ☆  わたしは織原七重を連れて廊下を歩く。せわしなく喋る織原の相手をしながら、校長に事情を織り込んでメー ルを打っておいた。嘘の件はこれで落着。 「ねえ何するの? どこ行くの?」  校長に呼ばれたことについては聞いてこない。それは織原七重にとって心からどうでも良く、そもそも覚えて ないのだろう。この女は目の前の楽しみしか頭にない。何もかも、ダメージすらをも快楽に変える狂人。これか ら起こることに不安など欠片も抱いていない。  何ひとつ悔いてこなかったこの女に後悔をさせる。心は痛まない。既にこの女は共感除外対象だ。わたしはこ の女に一切の同情を感じない。物よりも雑に扱える。 「ついてきて。二人で話をしよう」 「二人で? 荒野くんはどうするの?」  織原七重は首を傾げた。それは背後の様子だが、音と風から逆算できた。集中力を感知と推計に振っているか らだ。それはわたし自身の意識を、織原七重の危険な内面からそらす意図も兼ねている。 「荒野は別に何も話さないよ。いるだけ」 「ふうん。つまんないのー。格好いいのに」  織原七重は荒野のあごを指でなぞった。放っておく。荒野は鈍感ではあるが、代わりに極端に堅牢なプロテク ションを持っている。織原の口づけにも耐えた。汚染されることはないだろう。  わたしたちは校舎端の階段を昇る。扉に突き当たる。複製した鍵を差し込む。開ける。屋上だ。 ☆  屋上に出た途端に、背後からいきなり蹴りが飛んできた。 「ナナエキック!」  予測は出来なかった。彼女の思考を観る訳にはいかなかったからだ。しかし想定内だった。この女ならあり得 るとも思っていた。呼吸音からも動きは見えた。別段鋭い蹴りでもない。反射だけで避けられた。体を翻して横 に退く。 「おああ!?」  織原七重は勢い余ってすっ転んだ。普通は転んだりはしない。蹴りを外したぐらいでは。しかし彼女は空中で 、体の軸を倒していた。思いっきり。ドロップキックを繰り出していたのだ。わたしもそこまでは想定していな かった。馬鹿の考えはランダムだ。シミュレーション抜きで正確に読むのは難しい。 「いってえええ、よけんなよ!」  膝を擦りむいて織原七重が悪態をつく。地面に座るこいつは今、ものすごく蹴りやすそうだった。でもまだ蹴 らない。肉体的にだけぶちのめしても意味は無い。その代わり手を差し伸べもしない。直接接触は危険だ。そこ までする必要はどこにもない。 「あんた7eだよね? そんな格好悪いことしてていいの?」  たとえ骨が折られても、あるいは容姿を醜く損なってもこいつは輝き続けるだろう。あくまで心を折らなけれ ばならない。わたしは織原七重を軽く罵る。 「避けるなっていうか後ろから蹴っといて外すなよ。そもそも何でドロップキックなの? 格好いいと思ったの ? お茶目でかわいいと思ったの? 何がしたいの? 答えろ」 「答えて七重に得があるの? そんなのが聞きたくて七重を連れてきたの? つまんないよ黒野宇多。がっかり 過ぎて死んじゃいそうです」  話の筋を逸らされた。そこに突っ込みは入れない。意味が無い。七重は論理では生きていない。ランダムに近 い心情の移ろいは直線や平面では制限できない。詰め将棋のように確実には追いつめられないのだ。捕らえるの に必要なのは反射神経だ。気まぐれな動きに瞬応して逐一追う。わたしならできる。 「知ってるよ。あんたは退屈だと死ぬんだよね。けどそれはあんたの問題だ。あんた自身はどれだけ面白いつも りなのよ。歌が売れて自信満々? 楽しいだけのあの歌が」 「歌……うた、宇多。黒の唄」 「あんたが犯した七つの大罪の一つ。ダジャレ」 「おふっ!?」  七重に軽く蹴りを入れた。つま先で鳩尾をえぐってやる。七重はせき込む。人を罵るのに語彙は要らない。む しろ重要なのはタイミングだ。何かにしくじった瞬間に馬鹿とでも言ってやればいい。ギャンブルで負けた人間 から金を奪うのと同じ要領だ。失意でポートが開いた今こそ追撃のチャンスだ。 「ごめん思わず蹴っちゃった。たった二文字の被りでおっさん臭いギャグぶっこくのがあまりにもつまんなくて 。つまんな過ぎて殺しそうだったよ」  喋りながらもう二、三発蹴った。今ならダメージになる。織原は笑う。 「ふっひっひ、歌なんて楽しければいいじゃない!」  その笑いは誤魔化しだ。だが割と誤魔化しきれている。堪えていない。もっと削る必要がある。あんたの歌が 楽しいのは一瞬だけだ。わたしはそう言おうとした。だが状況が変わる。  織原七重の顔が見えなくなった。  比喩ではない。視界の織原七重の顔が黒い四角で塗りつぶされた。検閲が入った画像のように。 「痛いよ黒野宇多。でも楽しいよ。楽しいのは好き。暴力は好き。痛いのが好きなんじゃないよ。ぐちゃぐちゃ に混ざってくのが好きなの。濁るまでの……」  声は聞こえてくる。しかしその表情はまったく見えない。フィルタリングだ。わたしの中で防護機制が立ち上 がって有害な情報を遮断している。わたしは汚染される一歩手前まで来ていたのだ。自分でも気づかないうちに 。誰も自分の背中は見れない。すべては目の届かない無意識での出来事だ。奥から忍び込んできた汚染を、奥の わたしが対処している。現象意識としてのわたしはそれを遅れて認識する。  織原七重は識域外から人を侵せる。  それも無差別にだ。それは魔女と呼ばれる者たちが人を支配する手口によく似ている。実際、意識のバックド アから自分の意思を流入させるところまではそっくりだ。しかし織原七重のそれは規模が違う。効果範囲が巨大 なのだ。とてつもなく。彼女は波動を放射する。人の根源に訴える普遍的な波動だ。それは魔女の支配と違い、 個人ごとへのカスタマイズが要らない。だから相手を選ばず染み渡る。無差別に。見て聞くだけで被曝する。そ の振る舞いは日本中にブロードキャストされており、支配の根は急速に広がっていく。まるで呪いの映像だ。  視界に黒が増える。無数の長方形が現れて、織原七重の体を覆う。わたしはもはや彼女の体をまともに見るこ とができなくなっていた。 「ナナエは■■■てもいいと思ってたんだ。ナナエはひどい目に遭うでもいいと思ってたんだ。■されてもいい と思ってたんだ。だってナナエは■■■■■だから。どこまでも■っていけるし■っていられる。ねえ黒野宇多 、どう思う? ナナエって■しいのかな。ねえ、■しいのかな?  ■しくて■しくて、■っちゃいそうだよね!」  声まで検閲で潰れてくる。それもまたわたし自身の自動防御のひとつではある。とは言え、この見通しの悪さ は酷すぎた。状況が状況なら目くらましになり得るレベルだ。織原七重にもし戦闘技能があればこのリスクは犯 せていなかった。格闘戦に持ち込まれていたら負傷もあり得た。  状況は悪い。支配は回避しているが、代償として刻々と危険が増している。わたしが嗜み、普段から頼りにし ているひとつの技能が弱体化されているのだ。  《対策》。  対策。現実の善化。それはすべてを考慮して最適解を導く能力だ。そして状態を思い通りの方向に押し進めら れる。しかし射程に限りがある。この技能の効果は観察と干渉が可能なものにしか及ばないのだ。どれだけ将棋 を正しく指せても、盤面を認識できなければ無力に等しい。織原七重は観察しづらい。本人はすべてを晒してい るのに、わたし自身がそれを拒絶させられている。五感が削られている。少しずつ。わたしは七重に圧されてい る。何もしなければ無力化される。だからカードを一枚切る。 「荒野」 「はい」  わたしは従僕の名を呼んだ。呼べばこいつは必ず応える。そうあるように練り上げた。 ☆ つづく