光あふれて死ねばいいのに06 ☆ 「ぎゃはははは! ふっひっひっひ! これだから里沙は最高なんだよね! ひはははははは!」  七重の発作が始まる。歌唱練習で鍛えた腹を震わせて、大声量で笑う。 「ちょっと七重、やめてよ!」 「あははは、それいー、いーよ里沙! いーよ連れてく連れてく、連れてったら一体どうなっちゃうんだろうね ! 見物だわこれは! ふっひっひっひっひっひっひっひ!」  爆笑したまま歩行者天国の路上に転がる。通行人の視線が集まる。後ろについてきている友人たちもくすくす 笑っている。里沙は自分が笑われているような気もしていた。 「もー、七重ったら!」  里沙は七重を起こしながら、内心で哉采を上げていた。 (いま確かに言った。あたしを事務所に連れてくって! くっそ人のこと思いっきり爆笑しやがって見てなさい よ、チャンスさえあれば、あたしだってアイドルくらい、なってやるわよ!)  まずはその足がかりを掴むことだ。里沙は、七重が望む「黒野宇多の気を引く」というミッションを何として も成功させようと決意した。 ☆  川本里沙はアメジストのネックレスを所持している。海外を飛び回って滅多に家に顔を出さない母親から、十 二歳の誕生日に贈られた物だ。受け取った当時はそれを単純に喜んで母親に感謝したが、今となっては小学生だ った彼女にそんな高価な品が贈られた理由を里沙は疑問に思っている。  学校につけていく訳にもいかないので、それは宝石箱の中に眠らせたままだ。質屋にでも売り払えば結構な額 の現金を得られるのではないかと考えたことはあるが、実行に移したことはない。  父親も知らない秘密の宝石の存在は、彼女の人格のちょうど心臓のあたりに一定間隔でパルスを与えている。 里沙は輝きを放つ存在に一際強く惹かれる。日常に見る光景とは一線を隠した特別なオーラを放つものを見ると 、胸が痛みで疼く。その痛みは、素敵なものを見るうれしさと、手の届かない世界を見るもどかしさを伴ってい る。  思う。  どんな時になったらあのネックレスをつけていいだろうと。少なくとも今はまだ、その時が来ているとは思え ない。  川本里沙が織原七重に出会ったのは中学生の時だった。当時から織原は桜満開で変人だった。彼女はストレス に耐える能力が全く無かった。嫌なことがあればすぐに泣いたりクラスメートを殴ったりする、まるで知恵遅れ のような女子生徒だった。テストの成績も劣悪だった。  里沙は七重の癇癪を買って殴られた者の一人だ。第一印象は最悪だった。お前は小学の男子か、とさえ思った 。里沙は織原を見知ってすぐに彼女を、脳裏の「一生関わらない」カテゴリーに放り込んだ。  七重の人間性はあまりに幼かったが、その極端さが幸いしてクラスメートからいじめられることは無かった。 そもそもが自分たちが世話をしてやるべきだという、ペットのような特別枠の存在として扱われたのだ。甘やか せば彼女は暴れなかった。差別的ながらもどちらかと言えば好意的に扱ってもらえたのは、その生来の容姿の良 さも無視できない大きな要因だっただろう。  七重は勉強が苦手だった。授業は基本的に聞いていなかったし、じっとしていることに耐えられずに教室から 脱走して教師の手を煩わせることも多々あった。しかしそんな彼女も、美術や音楽の授業ではその類稀なセンス を発揮して周囲を驚かせた。  里沙はクラスの空気に敏感だった。それまではみそっかすという意味に過ぎなかった七重の「特別」が、神に 愛されているという意味での「特別」へと裏返っていったとき、里沙は自分が彼女に抱いていた軽蔑感をすぐに 捨てた。  七重が化粧に手を出すと、彼女はめきめき美しくなっていった。そこでも彼女の優れた感性が発揮されたのだ 。それから七重は輝き始めた。誰とでも屈託なく話す無邪気な性格もあって、多くの男子の気を引いたし、女子 の羨望も浴びた。  里沙も彼女に嫉妬した。自分が彼女のようでありたかった、とさえ思った。もし自分が彼女のようになれれば 、あのアメジストのネックレスもつけられると思った。里沙の心に「七重になりたい」という想念が浮かんだ。 それをはっきりと意識したのは一瞬だけだったが、その想いが消えることはなかった。それはずっと里沙の心の 奥に潜んでいる。岩陰に隠れる魚のように。  里沙は飛びつくように七重に接近した。それまでは孤立気味だった七重を里沙は自分の仲良しグループに招い た。幸い席が近かったので、休み時間に話しかけるのは楽だった。家の方向が違うのに無理して一緒に下校した り、修学旅行で同じグループになったりして、七重の親友の座を真っ先に占めた。七重も自分が周囲に受け入れ られたことを素直に喜んだ。 ☆  里沙と七重は高校も同じ公立学校に入学した。高校生になって七重の魅力にはさらに磨きがかかり、街を歩い ているとナンパで声をかけられることも少なくなかった。  別の女子に勧められて七重が芸能歌手のオーディションに応募したとき、里沙はそのことを深く考えなかった 。七重はとても可愛いし歌も上手い。彼女ならもしかしたら受かるのかも知れない。でも常識的に考えて芸能界 デビューなんて無理だろうとも思った。  オーディションの最終選考を突破した七重から来たメールを見たとき、里沙がそれを素直に喜んだのは十秒の 間だけだった。喜びの余韻でおめでとうのメールを贈ったものの、里沙の胸中はとても複雑な想いに囚われた。  親友がアイドルになれて我が事のように喜ばしい想い。人間は、女の子は、アイドルになることがあるんだと いう実感。自分と七重の間に突如現れた大きな隔たり。嫉妬。自分もそうなりたいという羨望。このまま普通の 人生を送っていくしかないのか、という焦り。  里沙は次第に、七重との関係性に今まで以上に強く執着するようになった。他の友達と比べて、明らかに七重 を特別扱いするようになった。その日から七重を見る目が変わったのはみんな一緒だが、里沙はそれだけでなく 、七重以外への応答が疎かになったのだ。そんな里沙の態度は周囲の反感を買ったが、里沙はそれに気づかない 。  親友とは言え里沙のつきまといぶりには異常なものがあり、常に七重の動向を逐一チェックし、報告の無い行 動を取ると過保護な親のように文句を言った。普通の人間なら、そんな里沙の粘着行動にうんざりするだろう。 はっきりと拒否したり、場合によっては縁切りもあり得る事態だ。  しかし七重は気にしない。彼女は普通の人間ではなく、良くも悪くも常識的な感覚というものが無かった。里 沙の執着も、腕に抱きついてくる猿くらいにしか思わず頓着しなかった。二人の粘着と無頓着は絶望的なまでに 隔たりがあったが、それが幸いして意志が衝突することもなかった。  七重は里沙に構わず自由奔放に行動する。里沙はそれを咎め、七重に文句を言う。七重は笑いながら適当に謝 るがなにも反省などしない。相変わらず自分の好きに行動する。里沙は一人で振り回される。  里沙は七重と同じ位置に移動したいのだ。七重のそばにいたいという思いが一つ、そしてそれより遙かに強く 、七重のようになりたい、という思いが一つ。  里沙はアイドルになりたかった。しかしただ望むだけで、それが本当に実現可能な夢なのか、とか、そうなる ためにはどうすればいいか、といったことまでは考えられなかった。アイドルになりたいと言ったって、目の前 に横たわる学校生活や勉強を無視する訳にはいかない。彼女はいつも思っている。チャンスさえあれば自分も七 重に並ぶのに、と。  里沙はもどかしかった。 ☆  校内に流れる黒野宇多の噂は多い。織原七重の主な活動場所が液晶モニターの向こう側である一方、黒野宇多 は学校の運動部や生徒会など、身近な場所で行動している分、話題の種に事欠かない。  その中でも今一番ホットな噂が、黒野宇多が同じクラスの坂井終司と付き合っている、というものだった。  川本里沙は思った。なるほど別の男と付き合っているのであれば七重が荒野にちょっかいをかけたところで黒 野宇多がろくに反応しないのも頷ける。ではちょっかいをかける対象を、その付き合っている相手に変えてみて はどうか。  里沙は視察気分で、坂井終司のいる一組の教室に足を向けた。 ☆ 「え、こいつ? こいつが本当に坂井終司なの?」  坂井終司の席の前で、里沙は吉住真理にしつこく尋ねた。吉住は坂井と同じ一組の女子で、里沙とは小学校の 頃からの付き合いだ。 「だからそうだってば」 「こんなやつと付き合ってるの黒野は? え、あり得るのそんなことって?」  坂井終司本人の前であけすけに言う。里沙は明らかに坂井を侮辱している。 「なんだよあんた」  終司は机でノートを広げていつも通りの「一人の作業」を続けていた。周囲に構わず。しかし里沙に目の前で 自分の話をされ続けて遂に口を開いた。さりげなくノートも閉じるが、元々そんなものは里沙の眼中には入って いない。 「は? なにお前。つーかうちらの会話に入ってくんじゃねえよ」  里沙は汚物を見るような眼差しを終司に向けた。終司の姿を一目見て、完全に格下扱いを決め込んでいる。 「だって、ぼくの話をしてたのはお前じゃないか」 「だから何?」 「だから……そっちが悪いだろ」 「なんで?」 「なんでって。分かるだろ」 「分かんねえよ。何の話したってうちらの勝手でしょ。それとも会話の内容をあんたに指図されなきゃいけない 訳?」 「いや、そんなことないけど」 「だったら文句言われる筋合いはないんですけど。つーか喋りかけてくんな、っつってんだろ」 「……」  まくしたてる里沙に、坂井終司は何も言い返せず押し黙る。里沙に「喋りかけるな」と言われ、言葉通り喋れ なくなったのだ。彼が他人の威圧に抵抗するのは難しい。  しかし文字通り喋らなくなってうつむく終司を見て、里沙は満足するどころかますます頭に血を上らせた。 「なんなんだよてめえはよ!」  終司の机を上履きの裏で蹴る。一瞬にしてクラスの注目が集まった。吉住も驚いている。 「なんで……なんでそんなに気持ち悪いの!?」  終司は里沙の顔を見たが、ひと睨みされてさっと俯く。状況を貝のようにやりすごそうとする。 「言いたいことがあるならはっきり言えよ、黙ってんじゃねえよ!」  さきほど喋りかけるなと言ったことも忘れて、里沙は終司の机を繰り返し蹴る。それでも終司は固まって動け ない。 ☆ <坂井終司>  なぜこうなったんだろうか。 「おい。おい坂井。そうやって黙ってたら台風みたいに通り過ぎてくれると思ってんの? 甘いんだよ、通り過 ぎねえよ! こっち見ろよ。シカトしてんなよ。こっち見ろって言ってんだろ?」  そうは言っても休み時間が終わればこの女は去るだろう。それまでの辛抱と決めこんで、ぼくは黙り続ける。  しかしどうしてこの女に机を蹴られる羽目になったのか、皆目見当もつかない。いつも通りの昼休みだったは ずだ。弁当を食べたあと、会話に興じるクラスメートを尻目にノートを開く。今は自分ではなく黒野宇多が作っ た世界だけど、そこに没頭する。精神世界内では波乱万丈ながらも、実質上は平和な昼休みを過ごせるはずだっ た。  だがこの女が来た。誰だ。 「おいお前ほんとに喋んねえな。どうしたの? 口がきけないの? 喋るくらい幼稚園児でも出来るよねえ。そ のまま黙ってるなら幼稚園児以下のクズって扱いになるけどいいかな? いいよね?」  この女はなんでこんなに怒ってるんだろう。黒野の話をしてると思って、ついちょっと話しかけたらこのザマ だ。ぼくが何をしたというのだろうか。何もしなかったし、今でも何もしてないのになぜまだ絡まれ続けるのだ ろうか。 「そうだよ。何もしないのが悪いんだよ」  唐突に聞き慣れた声が飛び込んできた。まるでぼくの自問に答えるように。黒野宇多だった。横の席に、こち らを向いて座っている。 「なんだよ。何か文句あんの?」  謎の暴力女は黒野に邪険な言葉を投げかける。その足はぼくの机にかけたままだ。どけてもらいたい。 「文句? ないよ。楽しそうなことしてるから見てるだけだよ。ほら続けなよ。わたしなんかに構わないでさ」  黒野は悠然と頬杖を突いている。何しに来たんだこの女。ぼくが蹴られるのを見物しに来たって? ぼくは黒 野の顔を見るが、彼女は涼しげに笑って見返してくる。いつもと何も変わらない表情。  暴力女は黒野に言った。 「そうは言っても、そこにいられるとすごくやりづらいんですけど。邪魔する気がある訳じゃないんなら消えて くれない?」 「そうだよね。ごめんね。お邪魔しました」  黒野はあっさり席を立った。  待てよぼくを放っておくつもりか。ぼくは意思を振り絞って、彼女に声をかけた。 「黒野!」 ☆ つづく