[0-773]
HP94/知1/技4
・夢釣り/100/24/32 混乱
プラン1:客を待つ
プラン2:暇なのでボーッとする
プラン3:巨乳が通ったらつい見てしまう。
女。
露店占い師/エフェクティブ暗殺部隊。
職業:
彼女は"獏"である。
獏とは夢喰いの能力をもつ人間のことで、ここでいう夢とは夜に見る夢のことではない。
人を突き動かす、その人に生きる気力を与え、あらゆるリソースを消費させることを強いるもの、目的とも言う。
獏に夢を喰われた人間はどうなるか。
自分が何をしようとしていたかわからなくなり、それまで情熱を傾けていたものに興味を失う。
エフェクティブ幹部はその術に、より人道的な"暗殺"として利用価値を見いだし、女乞食同然の生活をしていた夢路を拾ったのであった。
獏のもう一つの能力は、夢の"質"を見極めることだ。
本当の夢(質の高い夢)であれば、獏に喰われたとしても、いつかは戻る。
質の低い夢は喰われればそれっきりである。
パーソナルデータ:
・天然、ボーッとしてる
・寿司が好き
・女の子が好き
装備:
・磁気ネックレス×2
・皮の手袋
・腕カバー
("夢"は糸の形をしているので、ぐるぐる巻き取って回収する。質の高い夢ほど頑丈で、素手で引っ張ると指が切れることもある。)
さまんさ
リリオットのメイン・ストリートだけあってその道幅は馬車が4台通れるほど広い。ちなみにリリオットは左側通行、ただしセブンハウスの権力者は右側を通ってもいいみたいです。
メイン・ストリートの両側には無数の乞食が座っている。一部の階級に属する人間には貧しい人への施しが重要なステータスなので、乞食業もそれなりに需要がある。
ウォレスが「郵便局」を出ると正面に乞食がいた。いや右にも左にもいた。
ウォレスは見かけには騙されない。でも本質を知っているわけでもない。
<正面>義足をつけた男がその下に健康な足を持っていることを見破ったとしても、彼が自分が歩けることを知っているかはわからない。
<右>女乞食が着ているボロボロの服はよく見れば自分で破ったものなのがわかる。だがもしかしたら貧民街で流行ってるファッションなのかもしてない。
ウォレスはそこで観察遊びをやめた。暇ではない。さきほど受け取った指令について真面目に考えなければならないし。
「おーい、そこのお兄さん。」
声をかけられた。そちらに目を向ける。
<左>占いの店を広げている女。だが乞食にしては清潔だ。
「なんじゃね、お嬢さん」
「占いとかいかがですか?たったの25ゼヌですよ。」
「申し訳ないが、持ち合わせがなくてのぅ」
「タダとかでもいいですよ」
「タダ"とか"?」
「タダでもいいですよ」
二人組のスリか何かかもしれないが、だとしても大した脅威ではない。
「ではお願いしようかの。お主は何の占いをしとるのかね?」
腕のいい魔法使いは腕のいい占い師でもある。明らかにろくな魔力のない自称占い師の女を、ちょっとからかってやろうという気持ちもあった。
「手相占いです。右手とか見せてください」
女は手袋をはめた両手でウォレスの手の平に触れた。しかし皮膚の接触による魔力の伝播で相手のオーラを読み取るのが手相占いのはず。これではモグリ以前の問題だ。
そして言うことが。
「お兄さん、中指より薬指の方が長いですね。」
「そのようじゃの」
「ズバリ、あなたはエロい人です!!」
「・・・・」
こんなので25ゼヌもふんだくるつもりだったとは。乞食業の方が何倍もましである。
***
新出用語
【メイン・ストリート】
リリオット中心街の中心を貫く。
【ゼヌ】
最小の貨幣単位。この世界の1/10を意味する言葉が語源であって、銭(ゼニ)とは関係ないんですよ!
教団の女性(巨乳)が通りすぎると、女占い師はすぐに弁当の続きにとりかかった。
弁当の中身は米、梅干し、あと野菜が何品か。サムライの国の国旗に似ているため「日の丸弁当」と呼ばれる。
「あーお腹すいたな〜・・・モグモグ」
その時たまたま露店の前を通りかかった黒髪少女(微乳)が「弁当食べながら言うこと?」っていう目で見た。
すいていたのは彼女の別腹であった。別腹と言ってもスイーツが食べたいわけじゃない。食べたいのは「夢」。
女占い師は"獏"であった。
獏は夢を食べる。
体はただの人間だから夢を食べなくても生きていけるんだけど、時々無性に食べたくなる。そうなると、いてもたってもいられない。
「そこのお嬢さん、占いとかどうですか。モグモグ…タダですよ。特別サービスでアスパラとかつけますよー。」
そうやって獲物を探すが、なぜか誰も足を止めてくれない。
ポコン。
「痛い!」
後ろから殴られた。
「……公道に米をまき散らすな、夢路(ゆめじ)。」
冷たい声でそう言ったのは緑の制服に身を包んだ清掃員。
女占い師の後頭部を狙ったのは彼の持つデッキブラシだった。
「ダザ。」
ダザ・クーリクス。神出鬼没の清掃員で、夢路がリリオットのどこで店を開いていてもよく会う。
ちなみに夢路とは女占い師の名前だ。
「弁当を食べながら叫ぶんじゃない。俺の仕事が増えるだろう」
と言いながら夢路がこぼした米粒をプロの手際で片付けている。
「ごめんごめん。アスパラとか食べます?」
「要らん。」
この二人、リリオットの同じ地区で育った同い年の幼なじみだが、大人になってみれば一方は(清掃員とはいえ)公務員。一方は乞食まがいのインチキ占い師。やはり、真面目な人間はマトモな職につき、チャランポランな人間はそれなりに…ということだろうか。
「……でもお前の方がいいモノ食べてる気がする。」
「だって儲かるよ?占い。」
二人とも、ホントウの職業はお互いに秘密だ。
海だ。
ここは、海だと思われる
とても暗い。
海底。おそらく深い海の底だ。
長い間、闇だけの映像が続く。
突然、光が生まれた。
小さくて活発な光。
曲線を描きながら飛び回っているのが見える。
光の正体を見極めようとじっと見ていると、光が1つから2つになった。
2つになった光はつがいのように仲良く、くっついたり離れたりしながら飛んでいる。
その様子をあなたは愛しそうに眺める。
やがて2つは分かたれて4つになり、
4つは8つになり、8つは16に・・・
たちまち、周囲は白い光の粒であふれた。
あなたのいる場所はもはや闇ではない。だが、海は思っていたよりもずっと広かったようで、遠くの方で終端の光が飲み込まれていく様子が見えた。
でも光は増え続けている。やがて闇は消し去られるだろう―――
そう思っていた。
すでにあなたは気づいていた。
いや、とっくに知っていた。
これは過去の記憶[イメージ]。このあとに本当は何が起こるのか知っていた。ここが海なんかではないことも知っていた。
光の粒は、やがてその輝きを弱めはじめた。理由はわかっている。老化だ。分裂を繰り返したところで寿命が延びはしない。全ての光の粒は一斉に老化し、同時に消滅する。それがシステムの定めた運命だった。
分裂を繰り返しながらも今まさに消えようとしている命の大群を前に、あなたは思考する。
"なぜ僕はここにいるのか?"
悲しい。
"なぜ僕は泣いているのか?"
あなたは神ではない。
あなたはただの人。
感情が、記憶[イメージ]が、あなたに道を指している。あなたの役割。あなたの運命。あなたは何という名前の光?
僕は―――
…指先で、光の粒の1つに触れる。
白い光は色の一部を奪われ、赤い光となった。あなたは愛しさのあまり、赤い光の粒にキスをする
すると――赤い光はなんと、他の光に攻撃を始めたのだ
それが引き金となり、光の粒たちは、今まで見たことのない様々な性質を見せはじめた。いくつもの光が合体して大きな光になったり。赤い光を中和させるため緑に変化したり。
緑だけではない。青、紫、橙、黄、……
弱い光たちは戦いにやぶれ消えていくが――しかし、そうした変化によって他の粒たちは確実に寿命を克服していった。
静かな誇らしさが胸を伝う。
あなたが生み出し、そして消えていった光。
弱くか細く、しかし真っ赤に燃える光。
あなたはその光を「エフェクト」と名付けて弔った。
(シャスタ)
赤い――
夕日に照らされて、少女の緑髪は黒に近い色に。その隣で静かに息をする少年の黒髪は、ワインのような色に変わった。
私は緑髪少女の答えを待っていた。彼女の目を見つめる
目の前にいる彼女と私の間には、彼女が知るよしもない90年以上にわたる憎しみの歴史が横たわっていた。
私はこの深淵を越えていきたい。だが勇気が足りなかった。だから彼女に……リッシュに手を伸ばして欲しかったのだ。それを掴んで向こうに渡るために。年端のいかない少女の手を。
大人げないと自覚している。
「あなたの、…」
リッシュもまた私の目を見つめた。ただれた瞼に包まれた目を。
「………あなたの髪ピンクできれい。夕日のせいかな」
少女はそう言って俯いた。
小声でありがとう、とも……
「何をしてる、ヘレン教っ!!」
甲高い怒号。
酒焼けした女の声に怒鳴られた。
見れば派手な服に身を包んだ女性がランプでこちらを照らしていた。安っぽい香水の臭いもするし、おそらく娼婦だ。
「ここがアタシらエフェクティヴ中央支部の自治区だって知ってんのかい!?その黒髪をどうする気だい!ガキを置いてさっさと立ち去りな!!」
普段はヘレン教以上に人目を忍んでいるエフェクティヴだが、ヘレン教の仮想敵期間だけは大きな顔をしてくる。
「……どうする気もない。この子は病気で…。」
「忠告は一度だよ、ヘレン教!!」
女性は長いスカートの裾をまくりあげると、太腿のベルトに挿してあった細剣[レイピア]を構えた。精霊が含まれている。
できれば私は戦いたくない。しかし今、私は怒りとも悲しみともつかない感情を女性に抱いていた。
私は立ち上がり、その感情を公然と訴えた。
「『エフェクティヴ自治区』?ならば、なぜちゃんと『自治』しない。貴方たちがちゃんと守ってあげているならこんな小さい子が二人きりで暮らしたり、病気で私たちを頼ったりするわけがない。」
「やかましい!!」
女性は勢いに任せてレイピアを突いてきた。後ろにはリッシュとジルバがいる。
「…………!!」
…私が小さく詠唱すると、薄闇の中に紫の煙がたちこめた。
「!?ゴホッ。どこにいる、ヘレン教ッッ」
このまま、逃げるべきだろうか?
さっきのエフェクティヴの女がシャスタの正体を知っていたのは理由があった。
以前シャスタのことを見たことがあった
女には子どもがいた。今はヘレン教の孤児院にいるが。
『処分しろ』
エフェクティヴ幹部はそう命じた。
『我々に必要なものは何か。我々の正義の必要なのは何だ。力だ。武器だ。精霊だ。精霊を調達するための金だ。いいか。戦力にもならない赤ん坊に与えるミルク、衣服、寝床、総じてカネ、は、無い。加えて赤ん坊は泣く。この(コンコンと壁を叩く)薄っぺらい壁をどこまでも突き抜けて泣き叫ぶ。いいか。ここがどこだか知ってるか。お前が今いる場所がどこだか知ってるか。反政府勢力の総本山、肥え腐った豚を解体するナイフの芯、ニュークリアエフェクトの爆心地、エフェクティヴ本部の基地なんだぜ。そこから赤ん坊の泣き声が聞こえるような事態になったらどうなる。考えろ。お前は理解できる。いいか。我々が今までやってきたことを無駄にするな。そうだ。殺せ』
それが当時の幹部の方針だった。
社会から虐げられて生きてきた彼女の、エフェクティヴに対する帰属意識は高かった。「正義のため」――それをすべての合い言葉に、女は赤ん坊をかかえて走った。
街の外れまで来ていた。
細剣を構えて赤ん坊の喉元を狙う。
(―――)
女は剣を収めると、赤ん坊の体を道の端に寄せた。
「わざわざ血を流すこともないね。ここに放っておけばどうせしぬさ。」
そう言うと、踵を返して一人来た道を走った。
冬、だったか。
雪がちらちらと降っていた。
非情すぎる白さが彼女の心を残酷に抉った。
そして…
…1kmほど行ったところでついに耐えきれず、引き返してしまった。
赤ん坊はもといた場所にはいなかった。
それもそのはず、そこはヘレン教の孤児院の前だったのである。
『シスター・アリサ。この子、おなかがすいてますね。直ぐミルクを淹れてください』
あたたかそうな室内に自分の赤ん坊がいた。顔を火傷に覆われた修道女に抱かれている。
たっぷりとミルクのつがれた哺乳瓶を口に含まされた。
『もう大丈夫。今日からここが貴方の家だ』
赤ん坊はきゃっきゃっと笑った。
(母親のアタシが抱いたってほとんど泣きやみゃしなかったのに。)
頭上に雪がふりつもる。
(憎い。)
ヘレン教に子どもを奪われた。彼女はそう解釈した
(…憎い…。)
そう思うことでしか、母親であることを放棄した自分を正当化できなかった。
日はすでに傾いていた。6時までに"家"に帰らなければ"当番"に間に合わない。
「ヤーバイヤバイ」
夢路は急いで店をたたんだ。
夢路の"家"はメイン・ストリートを一本それた風俗街にある。ピンク色のカンバンがバンバンが立ち並ぶなんだかムワァーッとした雰囲気の街、一軒だけシャッターの下りた店の、二階が"家"だ。
「ただいま。」
「遅いっ!」
玄関を開けるなり布でくるまれた何かをポーンッと投げられた。
キャッチしてみれば柔らかい。中身は赤ん坊だ。ボールみたいにぽんぽん投げられてもまったく怖がらず、むしろ楽しいのかきゃっきゃっと笑っていた。
「仕事」
「私も」
「ゆめじー留守番よろしく」
「はーいはい、いってらっしゃーい」
夢路は、赤ん坊に手を振らせてママたちをお見送りした。
ここはエフェクティヴ中央支部。別名、"エフェクティヴ女子部"とも呼ばれる。その名の通り女性と、1歳未満の子どもしかいない。
1年前まで、ここは「エフェクティヴ本部」だった。当時の「戦略会議室」は今は「会議室兼ミラールーム兼育児室」だ。
当時唯一の女性幹部かつ現中央支部基地長のチグリスは提唱した。
『最も強い生物は母親である。よく知られている通り彼女たちは精霊よりもポテンシャルの高いエネルギーを体内に保持している。そう…愛だ。誰であれ、守るべきものがなければ強くなどなれない。よって、生まれてきた子どもを殺すことは直接的に重要な戦力を削ぐことであり、我々の目的・ニュークリアエフェクトを明らかに阻害する。これは現実的な話だ。貴方のような、子どもっぽい理想と無駄な犠牲にまみれた机上の空論とはまったく別の、常識以前の、いわゆる"猿でもわかる話"をしている。』
未婚の女が生んだ子どもは殺す、というのが慢性的にお金のないエフェクティヴの(そういう事態は普通この基地でしか起こらないが)慣例であった。チグリスはそれに異論を唱えたのである。
他の幹部はこの主張を無視しようとした。そんなことより一挺でも多くの精霊武器を買いたかった。
そこで、チグリスは娼婦達をまとめあげ、幹部とその他男たちを残らずこの基地から追い出した。
"本部"は逃れるようにして他の場所に移動し、ここは"本部"から"中央支部"になった、というわけである。
「おい。」
ダザがぶつぶつ言ってる。
「なんで『見舞い』に行くのに抜き足差し足忍び足なんだ、夢路?」
「シッ、だって」
「つーか手を離せ」
「ヤバイでしょー見つかったりとかしたら」
「お前は見舞いという言葉の意味を知ってんのか?」
マスターの自室だったり食料庫だったりする奥の部屋。
引きずられたような泥の跡をたどればたしかにそこにスヤスヤと安らかな表情でお休みになられているドブさらいの男もといドブ男がいた。背中の剣もドブまみれ。
「…きったねぇなぁ…」
「ヒッヒッヒ、よく寝ておるわ」
夢路はさっそく食糧を物色した。
寝ているドブ男の体に、淡く輝く糸のようなものがまきついている。何重にも巻きつく糸は伸びたり縮んだりしながら男の体から出たり入ったりしていた。
寝ているにもかかわらずこのようにはっきりと夢が見えるのはこの男が夢にかかわる夢を見ているからだろう。夢は夢と密接に関わっているので寝ているときに夢があらわれることはよくあり夢を見ている人間は夢喰いのターゲットとして適切といえる。
「…あんま美味しくなさそうだなぁ」
「何がだ。」
ドブ男の夢は、たくさんの情報量で殻ばかりが極端に肥え太り、肝心の身の部分が未発達で貧弱だ。
まあ、男の夢なんてだいたい似たようなものだが
「いわば豚の脂身とかみたいなものだね。」
「お前酔ってんの?」
「まっ豚の脂身でもいいわ…お腹へってしょうがないし」
「さっきあられ揚げボリボリ食ってただろ。俺の分まで。」
「いただきまーす」
「酔いを覚ませ!目の前にいるのは豚のステーキじゃなくて人間だ!」
夢路が、自分にしか見えない糸の先端を指先で捕まえたとき、
「わぁあああ!!!まぶしー!」
寝ていた男がとつぜん叫んで両手を振り上げたのだ。
「うわ!?」
びっくりした夢路(と夢路にひっぱられたダザ)は急いで物陰に隠れた。
すぐに誰かが来た。緑の髪の女の子。かわいかったので夢路は声をかけようかと思ったが、あいにくそれどころではない。食事中である。
夢路の口の端からは蜘蛛のように糸が伸びていた。それは店の奥まで続いている。でもその糸は夢路以外には見えない。
「これを?」
「はい。ちょうど服が調達できたものですから、着替えさせようと思いまして。」
「着替え………レ…レストさんが?」
「泥だらけのままではきっとお気の毒でしょう。」
「えーとえーと……僕がやりますよ!」
僕はレストさんの服を、じゃないレストさんの持ってきた服をなかばひったくった。
「なにから何まで、すみません。」
レストさんがニコニコ笑う。
しかし、泥だらけの男はすでに起きていた。
「マイサーン。俺に会いに来てくれたの?」
マイサンってなんだ。
「隣の少年はどなた?弟くん?君に似てリハツそうだね」
「お友達のオシロさんです。」
「なるほど。それで、ここは?」
「はい。あなたは私と話しているときに、おそらく疲労のためだと思いますが、とつぜん気絶してしまったんです。あのままクエスト仲介所にいては目立ちすぎますし、ここにあなたを連れてきて預かっていただきました。ここは、採掘所にほど近い酒場、『泥水』の一室です。」
「なるほど。よく解ったよ」
男は真面目な表情でうなずいた。
「ところでマイサン、俺がさっき渡した巻物だけど穴とか開いてなかった?」
その言葉を聞くと、レストさんは眉間を押さえて天井を見た。レストさんのそんな表情は初めてだ。
「……冗談ですよね?それとも記憶が?」
「記憶だって?」
男は顔を青くして、なんと僕に、
「少年。1から1636までの数字をみっつ、選んでくれ!」
「えっ?」
「みっつ。」
「え、えーと、36ー、641ー、1234。」
「…36ページ目、古代の大呪術師"タリバ=ハーン"の墓所に残された呪いから学ぶ古代呪術基礎、一目的性、目的を明確にすること、二非言語性、時代依存呪文の非奨励、三素数性、素数を使用した構造基盤。641ページ目、近代地霊呪術の複雑化、セングリット土着呪術方程式に地霊所在地の霊座標を適用すること。1234ページ目、食物性自然被呪の解除法について。」
「ふう……大丈夫、記憶の方はやられてないよ」
別の何かがやられてるみたいだ。
ベトスコの作業場にいた夢路は顔を上げた。
「・・・笛のおと?」
「聞こえなかったな」
「ジッチャンもう年だから」
年をとると聞こえる音の周波数は少なくなる。
「さー朝ご飯ですよーあーんしてくださーい」
「一人で食えるというのに」
「ダーメですよほらジッチャン凶悪なビオランテの触手に四肢は砕かれ内臓は抉り出されちゃって生きているのも不思議な重傷老人なンですからホラホラホラホラァ」
「モガモガァ!?」
※よい子は老い先短い老人で遊ぶのはやめようね!
「老人老人言うんじゃない!!」
程度問題ではあるが獏に夢を喰われた人間は生きている意味すら失い何も行動できなくなることがある。じゃあそこにエフェクティブの信条を叩き込んで洗脳し優秀な人材を引き抜こうというのが幹部の考えた夢路の使い方であった。
夢路は目を凝らす。
かつて、セブンハウスの精霊精製技術者として第一線で活躍し、一流の研究員でもあったベトスコの肩からは、当時とはまったく違う色の糸が伸びていた。ベトスコの夢。それは柔らかなグレーの色。夢路はその色から連想した人間の名前を呟いてみた。
「オシロくんのこと、大事なんです?」
「そりゃあなあ。孫みたいなもんだ」
老兵は顔を皺だらけにして笑った。夢路は安心する。
「私は、あの子に救われたんだよ」
「救われた?」
「20年前。私は親友を殺された。6年前。親友の娘まで奪われた。たくさんの仲間達も殺された。誰を憎めばよかった?手を下した犬?その上の貴族ども?任務を命じた洗脳者?私は・・」
ベトスコの糸がそよそよと動く。
彼の語り口はおだやかだった。
「全てを憎むしかなかった。自分が生まれ育った町を、リリオットを。愛する故郷を。精霊技術を。自分自身を。それはすごく苦しいことだったよ」
「わかるわ。」
「それを、救ってくれたんだ」
「オシロくんが?」
『じーちゃん。僕知ってるよ』
『父ちゃんも母ちゃんもいなくなってなんかないよ。母ちゃんが教えてくれたんだ、死んだ人のココロは"精霊"になるんだって。』
『父ちゃんは、死んだ人のココロをきれいにして、みんながもう一度会えるようにするのが仕事だったんだ。ホラ』
そう言って幼子は母からもらった精霊結晶を、ベトスコのマメだらけの手に握らせた。それはかつてベトスコが精製したものだった。
『ここにいるよ。わかる?』
わかるよ、と答えるつもりが、声にならず、涙が握った手の中に落ちた。
まず中央がスイカぐらいの大きさにボコッと隆起し、それからバタンと倒れた。作業場の木の戸が。
夢路には何が起こったのかわからなかった。
現れたのは巨大なハンマーを担いだ男。
「女一人、年寄り一人。どちらも非戦闘員。ここは後回しかな?・・・いや」
二の腕だけが異様に発達している。ハンマーは金具で補強しただけのただの木槌で、代わりに自分の筋肉を精霊繊維で強化しているようだ。
「"皆殺し"が命令だったな。仕方ないなあ」
こういうタイプは一般人をなぶり殺すが趣味と相場が決まっている。
「えーっと」
男は夢路とベトスコを交互に見ると、
「どっちを先に殺そうか?」
夢路はなんとか逃げ出せないか、と思ったが相手との実力差はハッキリしていた。助けが来るまで時間稼ぎするしかない。
「あの!!ステキなハンマーですね!!どこで売ってるん」
「そうだ。」
男はポンと自分の手の平を叩いた。
「二人、ジャンケンしなよ。負けたら左脚・右脚・左腕・右腕・頭の順番で砕くね。」
「………!?」
「はいっ、出さなきゃ負けよ、ジャンケンッ」
出さなきゃ負け、という言葉の語圧に負けて夢路はついパーを出してしまった。
「じーさんの負け!」
ハンマーが思いっきり振り下ろされた。ベトスコは避けたが、よろめいて倒れた。空振りしたハンマーが床に穴を空ける。もう一撃が来る。真上から垂直に下ろされたハンマーは老兵の左膝に正確にヒットし、メシャッという骨の砕ける音がした。
「ガ、ぁぁ゛っ・・!?」
「ジッッッッチャぁあああン!!!こっ、のやろお――――!!」
夢路は自分がパーを出したせいでベトスコが殴られたという事実は無視してハンマー男にタックルをかました。二の腕に噛みつく。「もぐもむっぎゃんもぐぅ!」「何言ってるかわからん」「ギャッ」すぐに投げとばされてしまった。
「ハァ…ハァ…」
「さあ2回戦だ。出さなきゃ負けだよ、ジャン、ケン、」
夢路は這いつくばってベトスコの側に行くと、苦しみ呻くベトスコの右手を無理矢理グーの形に丸めた。
「いいねー、そういうの。姉ちゃんの負け!」
グシャ。
「んぁあああああっっっ!!!」
夢路の左脚が変な形に砕けた。
(カラス)
彼女が瞬きするたびに緋色の瞳が見え隠れする。蝋燭の炎が揺れているようだ。サルバーデルは、可愛らしい銀の燭台が喜んでくれそうなものはないかと見回した。女の子が喜びそうなものといえば・・
「もし貴方が気に入れば、この中に入っている物を差し上げましょう」
彼女の銀の髪が揺れてサルバーデルの方を向いた。サルバーデルが撫でているのは白塗りの柱時計だ。柱時計には驚くべき繊細さで花や木や森で遊ぶ妖精や剣を持った短髪の女性の姿が彫刻され色彩を施されている。12時の方向からぐるりと彫刻の絵を追えば、物語になっているのがわかるだろう。
「ううん・・」
しかしカラスの背ではてっぺんの絵を見ることはできなかった。
「大変失礼いたしました。」
サルバーデルは相手に恥をかかせた非礼を詫びた。そして時計を斜めに倒した。中からガコン、と音がしたが、
「ご心配なく。今は動いていません」
「…確かに、おやつの時間で止まっています。」
彼女はそれが本当の時刻でないことにひどく落胆したようだった。サルバーデルはそっと、後ろに控えた男性に(菓子と紅茶を用意するように)伝えた。
「この時計はリリオットに来てから手に入れたもの。元の持ち主は、まるで収納家具のように使っていたようですね。中にはこんなものが」
今の持ち主はゆっくりと時計の蓋を開いた。カラスはその演出に促されて、中を覗き込んだ。
空のハンガーが一本ぶらさがっていた。
「いかがでしょうか?ほら」
サルバーデルはただのハンガーを取り出すと、大袈裟な動作でカラスの胸に当てた。
「思った通り、よくお似合いだ。この赤のドレスを着た貴方はまるで海に沈むアマテラスのよう」
カラスは半口を開けてポカンとし、それから相手が何を考えているのか探ろうと顔を見たが時計の針がちょっと困った眉を描いているだけで何もわからず、それから真面目な表情で暫く考えこんだ。
そしてそばにあった棚のてっぺんを撫でると、次に爪先立ちでサルバーデルの頭を撫でた。
「旦那様、こちらのベレー帽もよくお似合いですわ。絶対買いですわ。さらにこちらの特製蝶ネクタイ(サルバーデルに着けてあげる動作)と特製あられちゃんマスコットもつけてお値段はな、な、なんと!驚きの9999ゼヌ!9999ゼヌです!」
少しの沈黙。
のあと、サルバーデルは仮面の下でプッと吹き出した。
「9999ゼヌか。買った!」
「あ、いや、その、今のはマダム・コルセットの物真似でして…似てなかったのだろうか……。」
サルバーデルは柱時計の中にハンガーをしまった。
「ははは。マダム・コルセットはとても愉快な方だということがわかりました。貴方もね。この時計とハンガーにはちょっとした謂われがあるのですが…よろしければ、先にお茶にいたしませんか?」
紅茶時計の終わりの砂がちょうど落ちた頃であった。
「状況を説明してもらおうか」
言いながらダザは額の血を拭った。
村を囲むリソースガード、爆破された基地。基地の中でダザ&えぬえむが鉢合わせた一行の正体は、オシロと夢路(負傷)、ベトスコ老(負傷)、偉そうな女A、偉そうな女B。…Bは政府の人間らしいが
「そ、そうね、清掃員にどこまで話していいか・・」
「私が説明するわ」
偉そうな女Aが遮った。シャクに触る派手な金髪。
「今から私たちは地下通路から"泥水"に戻る。それから怪我人を病院に連れてくわ。貴方はどうするの?」
ダザの知りたい情報が何一つ含まれていない。そのうえ説明ではなく"怪我人を背負うのを手伝え"と命令されているのと同じだった。
しかも向こうはすでにこちらを無害と判断したようで、剣を鞘に収めていた。
「・・・・」
仕方なくダザもモップを収納した。
ベトスコさんを背負いながら地下通路を歩く。
最初オシロから夢路の方を受け取ろうとしたが、オシロが
『じーちゃんを背負ってもらえませんか。敵が来たとき、リューシャさんが動けた方がいいと思うので』。
なんとも見上げた冷静さである。金髪の女は、名前をリューシャというらしいが、オシロはあいつの戦闘能力を高く買っているらしい。
精霊灯(?)で通路を照らすえぬえむと、彼女とお喋りをしているリューシャが先頭。ダザとオシロが真ん中、政府の女が最後尾を歩いた。
怪しい剣を持つこの女、村の人間ではない。エフェクティブでもない。リリオットの人間にはとても見えない。油断はできない。どんな裏があるかわからない。ダザは後ろを歩きながら、怪しい動きがないか観察する。
といってもリューシャに敵意がないこと、彼女が自分の(オシロの)味方であることはとうに理解っていた。――だが、それを口にするようなダザではない。
「ダザさん」オシロの声。「来てくれてありがとうございます」
「―――いや、……。無事でよかったよ」
首にベトスコさんのか細い息を感じる。むにゃむにゃいう夢路の寝言。
泥水の惨状を見たときには、もうこの村には一人も生存者がいないのではないかと思った。俺は遅かったんだと。心ではいつも守りたいと思いながら肝心な時にそばにいない。しかし生きていた。まだ俺にも守れる人がいる。助けてくれたのは――
――そんな感情を口にするダザではない。
公騎士病院の待合室兼カフェテリア。
「よし、クイーン奪ったー!」
「よかったわね。はい、チェックメイト」
「げっ」
二人の姿を横目で見ながらリューシャは紅茶をすすった。さすが貴族専用病院のカフェだけあって実にお高級な香りだ。
オシロに"チェスでもしない?"と声をかけたのはえぬえむであった。
一時でも気を紛らわしてやりたい、と思ったのだろう。
平気な顔で人間を真ん中から斬り裂いちゃう少女に、そんな繊細な心遣いがあることがなんだか可笑しい。
カフェに例の癒師が現れた。
白衣をなびかせてリューシャの横に立つと、
「ヒマな人ですか?」
オシロとえぬえむが元気よく手を挙げた。リューシャもちょうど暇で暇でしょうがなかったので挙げた。
「一人でいいですよ。ちょっと図書館で調べ物してきて欲しいんですが」
「僕が行きます。」
黒髪の癒師はほほえんだ。
「図書館の地下に、珍しい精霊病についての本があります。このメモに病名がいくつか書いてあるので、該当するページに書いてあることをすべて書き写してきてください。」
「わかりました」
「これがメモと、ノートと、ペンです。よろしくお願いしますね」
「はい」
「・・・・」
「・・・・」
「…お駄賃ですか?はい、どうぞ。これであられ揚げでも買ってください」
「ど、どうも・・」
「先生。三人の容態は?」
怖くて聞けないオシロの代わりにえぬえむが尋ねた。
「女性の方は、手足の修復に彼女自身の精神エネルギーを使わせてもらったので、あと一週間は目を覚まさないでしょう。」
「一週間・・」
「男性の方は、よくわからないけど今からみんなを助けに行くとか騒いで非常にうるさかったため強力麻酔を打ったので、あと八時間は目を覚まさないでしょう。」
「・・・・。」
「二人とも命に別状はありません」
最後の言葉を聞いてオシロの顔が凍った。
「・・・知っての通り」癒者の申し訳なさそうな口調。「ここの患者のほとんどは中流階級以上の方です。だから、私は精霊精製技師特有の病気についてはあまり詳しくないのです。」
「どうして、」
じーちゃんの仕事を知ってるのか。なぜなら。「…彼の肺には長年蓄積された粗霊の微粒末がいっぱい溜まっていました。」
オシロは手渡されたメモを開いた。知らない病名がいくつもかかれている。しかし一つだけ知っている名前があった。過去にその病気にかかった仲間がいたから。発症して三日後に、彼は死んだ。
夕べの散策は、往路と帰路では異なる経路を通ることにしている。
往きには、サジェの手綱を引きながら木々の変化を観察しつつ歩く。帰りは背中に乗り青い丘の上を一気にかけぬける。丘はリリオット家の敷地だ。しかし当主であるリリオット卿が、夕焼けの頃にドド、ドド、と丘を疾走する彼の姿を風物詩として愛しており、咎められることはない。
「よし、よし、サジェ」
彼は鞍から下りた。ほほを汗の雫が伝う。白いシャツが透けて肌に張り付く。
「今日の走りは最高だったよ」
愛馬の顔に触れてキスをする。それは馬にとっても大したご褒美であるらしく、嬉しそうに主人の首を舐めた。くすぐったさに身をよじる。
「さあ水をあげよう」
息を整えながら手綱を引く。
よく冷えた水を井戸から引き上げると、バケツごと馬に与えた。
ゴクゴクと勢いよく水を飲む愛馬の姿を見ながら自分も腰掛けて休む。
と、よく知った足音が聞こえてきた。
「やはりここにいましたか、坊ちゃま」
「ただいま、パシア。んん」
彼は石垣に腰掛けたまま手を伸ばすと自分の執事にもキスをした。それから執事は一歩ひいて、
「・・おかえりなさいませ。どこへいらしていたか存じ上げませんが」
「パシア、新しい厩務員の給料を上げておいて。仕事が丁寧だし馬のことをよく見ている。」
「それどころではありませんよ、坊ちゃま」
「なに?」
青年は髪を掻いて執事の顔を見上げた。どう伝えるべきか迷っていた執事であるが、彼の瞳は事態を率直に述べるように求めていた。
「クックロビン卿がお亡くなりになったそうです。」
その知らせを聞いて、彼の顔から笑顔が消えた。
「・・・・おじさまが?」
「本日のことです。」
「まさか。」
「お察しします。卿は坊ちゃまを大層可愛がっておられた。明日、ジフロマーシャ邸で告別式が。ラクリシャからは御当主とムールド坊ちゃまの二名が出席する手はずになっております」
「ああ…わかった。」
主人は俯くと苦しそうに答えた。執事は主人を慰めようと思ったが、言葉が見つからなかった。
「坊ちゃま・・」
馬の毛を撫でながら命じる。
「パシア……少し一人にして。」
「わかりました。」
青年は立ち上がった。
夕闇が町を覆っていく。この町が本当の姿を現そうとしていた。
リリオットの次期当主は興味津々で屋台の中を覗きこんだ。
「すごーい、泡がいっぱい出てる!」
「こら、顔をやけどするぜ」
あられ揚げ屋の主人は、下味をつけた粗霊をジャァーッと油の中に放り込んだ。黒コショウの香りが道いっぱいに広がる。粗霊は油の中をくるくると飛び回っている。
「おじさま、これなあに?」
「看板に書いてあんだろ。あられ揚げだよ」
「あられ揚げ!」
マドルチェも聞いたことがある。どんな子どもも夢中になってしまう魔法のお菓子。ヘリオットは魔女が差し出したあられ揚げが食べたかったためにヘレンを裏切ったのだ
「おいしいー、おいしーい、あられ揚げぇー、いかがですかー。一袋5ゼヌ、十一袋で50ゼヌ、お買い得だよー」
「5ゼヌ!」
マドルチェはどうしてもあられ揚げが食べたかった。だがお金なんて持ってない、生まれてこの方手にしたことがない。
「おじさま、これで売ってちょうだい」
マドルチェは適当に指輪を差し出した。小指の先ほどの宝石が嵌っており、ビックリするような値段がつくはずだったが、店主は価値がわからなかったのか受け取ってもらえなかった。
それでもマドルチェはガッカリして落ち込んだりしない。手に入らないあられ揚げのことはすぐに思考の外に放り出された。
「おじさまー、あれはなに?」
「あれはこの町のアイドル、あられちゃんだ。デザインはオレが考えたんだ」
「きゃはは、ブッサイクー!」
「ガァーン」
しかしマドルチェが尋ねたのは塗装のハゲた人形のことではなかった。
謎の大男がそのあられちゃんの頭部を撫でていた。
「お〜、お〜、ボウズ〜ボウズ〜」
おんおん泣いている。
「聞いてくれよ〜、俺あワルだともなあ〜悲しいときには涙が出んだなあ、ぽろぽろってなあ。変だあなあ」
マドルチェの頭頂部の毛がピン!と立った。この人はもしかしてもしかしなくても困っている。
スキップして彼の背後に立つと、
「あなたハッピーじゃないのね、私がハッピーにしてあげる!」
「あ〜!ボウズボウズ〜!」
「でも、どうすればいいかしら?」
「話をなあ聞いてほしいだ〜」
それからマドルチェは小一時間、大男の話につき合わされることになったが、彼の血なまぐさい話はマドルチェに新鮮で面白かった。
「ありがて〜、ありがて〜」
「あら、もう日が暮れちゃった」
「あんたはヘレン様だあ、ありがて〜」
「あなたハッピーになったのね、よかった!」
「あ〜!ヘレンさま〜、俺あ、俺あ〜!」
大男はマドルチェのことをヘレンだと思っているらしい。マドルチェは、絵本の中のヘレンならこうするだろう、と思ったことをやってみた。
しゃがんでいる大男の頭をよしよし、と撫でてやった。
「ヘレンさまあ〜!」
男は感激してますます泣いてしまった。
「馬を出せ!」
リリオット卿は叫んだ。いつまで経っても家に帰らないお転婆じゃじゃ馬放蕩娘についにカンカンに業を煮やしたのだ。いや、そうではない。マドルソフ・リヴァイエール・フォン・リリオットは、自分が恐ろしい兵器を愛すべき町リリオットに解き放ったことを理解していた。可愛い可愛い我が愛するマドルチェの"能力"は長いリリオット家の歴史上最強――かのリリオットの創始者リリア・リュミエール・フォン・リリオットにも勝るほどの――凶悪な強さ。
(私に止められるのか、あの子を?)
マドルソフは"能力"を持たない。"能力"は、リリオット家の女性にのみ遺伝する(例外も一人いるが・・)。そして、"能力"を持つ女性はだいたい短命というのが創始者リリアの時代から変わらぬ我が家の伝統であった。
(マドルチェ・・)
リリオットの町とリリオット家と愛するマドルチェと。全部を守らなきゃいけないのが当主様の辛いところだ。
しかし執事にいなされた。
「いいえ、もう夜も遅うございます、マドルソフ様。今から馬を出せなどと冷静沈着な兵捌きで百の戦を勝ち抜いたマドルソフ様ともあろう方がそんなことを仰るなど、さすが親馬鹿、いえ祖父馬鹿と申しましょうか、マドルソフ様がマドルチェ様への愛ゆえに乱心めいたことを仰るのであれば、私はリリオット家への忠心ゆえに馬舎の門にカチャリと鍵をかけて参りましょう。」
「何とでも言え」
リリオット卿が構わず外に出ようとした時である。
玄関の外からコツコツという小気味よく泥を払う足音が聞こえた。青髪のメイドが外の人間の正体を確認したのち扉を開いた。
その人物は・・
「お祖父さま。夜分遅くの無礼を許してください。すでに聞いたことかと思いますが、ジフロマーシャのクックロビン卿が亡くなられたたと…」
「それどころではない!!」
「…どうかなさったのですか?」
ジフロマーシャの当主が亡くなったことが「それどころ」とは、一体どんな恐ろしい終末的災害があったというのか?
「……マドルチェ様が行方不明…ですか。」
「そのような不穏な顔はやめてくれ、意見があるならさっさと言いたまえ。」
「いえ、たった今私が丘を上って来るときに、丘の上に、若い女性の影を見たもので。
てっきりマドルチェ様が屋敷に帰るところかと…」
「…なんだと?」
次の瞬間、照明が一斉に消えた。
私のママも娼婦だった。
その頃は私は娼婦ってなんなのか理解ってなかったけど。
父親のことを聞いてもママは笑って「よくわかりません!」って言ってたからたぶんほんとうに私の父親がどこの誰なのかよくわかってなかったと思う
ママは万事が万事そんな感じでいい加減でだいたいがなんでもかんでもちゃらんぽらんだった。
でも、私は学校にも通えたし発育良好でキチンとちゃんとあっちこっち育ったのは、やっぱりママのおかげだと思う
ママの一番の楽しみは、私に可愛い服を買ってあげることだった。そして私のことを時々『お姫様』と呼んだ。
ママは紙袋から新品のドレスを引っ張り出した。
「お姫様、明日はこれを着てお出かけしましょう」
スカートは光に透ける肌触りのシルクの布が何枚も重なって濃淡を生み胸元には銀の糸で薔薇が刺繍してあり肩はふわっと膨らんでウエストには白いリボンと造花それにキラキラのビーズがたくさん。
「ヤッダー!恥ずかしーよォ!友達でそんなキラキラの服着てる子誰もいないもーん!やーだー!」
「ぐすん、せっかく買ってきたのに」
「だってこないだダザに『おまえ・・その服買ったカネでチロリン棒ひゃっこ買えるんじゃね?』って言われたんですけど?」
「ギクリ」
「ママぁ!」
「………そうね…私、夢路と違って学校行ったことないから…算数には自信がないのですけど、そうですね……千個は買えるでしょう。」
「せんこ!?まじやべえ!」
「……(指折り)……2500個買える!」
「てゆーかおなかすいたよー!えーん!」
「ごっ、ごめんね、私悪いママだよね、ごめんね…」
「チロリン棒食べたいよー!」
「ごめんね夢路ー!えーんえーん!」
「えーんえーん!」
そのとき家の戸がバタン、と開いた。
「これ、ポトフ。いつも腹すかしてるアホな親子に持ってってやれって母ちゃんが」
「「神キタ――!!」」
神の正体は、頭に鍋をのせたダザだった。ちなみにクーリクス夫人のポトフはありえないうまさでマジ国宝レベル。
寝る前にママは私の髪をとかしてくれた。
「ねえ夢路、私たち貴族に生まれればよかったねえ」
「そうだねー」
「もし貴族だったら、毎日宝石のいっぱいついたお洋服を着て二人でお花畑でお昼寝して暮らそうね。」
「私はチョコと生クリームがいっぱい載ったケーキ毎日食べる。」
「あはは、お姫様はハナよりダンゴですねえ」
ママの体の周りにはいつも、キラキラする青い糸がくるくると回っていた。
私はときどき、その糸をちょっとだけ千切って口に入れた。
〜〜〜〜
【新出用語】
チロリン棒…チョコレート的な何か。1本2ゼヌ。
ヒカリ・ジャーマニエは病院内でも「コチコチの保守」「超退進派」「化石」として有名だった。
彼女は貧民も貴族も分け隔てなく扱い、夢路やベトスコを助けてくれた、これは「頭の堅い保守人間」にできることではない、でもその評価はある意味では正しい。
彼女は"新しい技術"を誰よりも嫌っている。
まず、最近ヘレン教によって開発された"肉体遡行術"。彼女に言わせれば『ただの誤魔化し。癒術とは呼べない』。
そして彼女がもっともっと嫌っているのは精霊回復術だった。
・精霊の服用。
・精霊繊維の移植。
・精霊エネルギーの直接照射。
これら精霊回復術と肉体遡行術が、現在世界中で使われている癒術の80%。リリオットに限れば99%だ。
残り1%はヒカリによる自然回復術。
患者自身の精神エネルギーを利用した昔ながらの癒術だ。本はたくさん残っているし癒術学校の必修科目だけどぶっちゃけラテン語みたいなもので現場で実用している癒者はヒカリ一人だけと言っていいだろう。
まさに「化石」なのである。
〜〜〜
ヒカリは、オシロが書いてくれたノートを繰り返し繰り返し読んでいた。
(やっぱり・・・)
拙くも丁寧な字で書かれた文字。
(やっぱり、私は間違っていなかった。)
確信。絶望。
ベトスコの病名は『精霊拒絶症』。
精製していない精霊に触れる機会の多い抗夫や精霊精製師に多い病気。
致死率は100%。
非常に新しい病気で、ここ一年で患者数が爆発的に増えているが、研究はまったく進んでいない。
この病気は何か。
異なる精霊同士は、互いにくっつけようとしても拒絶反応が起こるらしい。
この反応が人間に対して起こるのが『精霊拒絶症』だ。
精霊拒絶症に精霊回復術は効かない、むしろ危険、危険きわまりない。
(・・・・・・。)
この病気はきっと誰でも罹る(とヒカリは思った)。
精霊精製都市リリオット。
この町で暮らす限り、毎日たくさんの精霊が体に入る。水道水の浄化にも精霊が使われているのだ。
なぜこの病気が起こるのか。
なぜいままでなかったのか。
なぜ精霊が人間を拒絶するのか。
なぜいままで拒絶しなかったのか。
(わからない・・・しかし)
ヒカリにはわかっていた。すべては直感でしかなかった。人類は、リリオットは、精霊に頼りすぎている。いつかは精霊は人間を裏切ると、ヒカリは確信していたのだ。
(しかし、しかし・・・)
これも運命だと思えた。自然回復術のスペリシャリストであるヒカリと、この病気の出会いは。
(しかし・・・)
でも。
(でもこの人は助からない)
時間が、なさすぎた。
カツン。
自分の指先が剣の束に触れるまでのほんの僅かな間、ムールドは戦闘を放棄しかけていた。
(いけない。)
剣を握りながら――次の一瞬でどれだけ間合いをとれるか考える。
(ふっ、未来予視能力が完璧すぎて三途の川が見えてしまっていたようだな)
いやそれは恐怖によるただの幻覚である。
「おじいちゃん――は――殺させ――ない――だ――れ――に――も」
彼女の右手が。
指先がスローモーションで上昇する。
とん!
半歩。軽く蹴って退がると同時にムールドは短剣を引き抜いた。
シャッ。
鞘から零れる精霊の光。
そして――鮮血。
(しまった・・・・。牽制のつもりだったが)
"神剣"と呼ばれる超上級精霊剣にしか許されない物理質量限界の鋭さが、マドルチェお嬢さまの右手の中指・人差し指・小指の第一関節から向こうを切って落とした。ポトトトン
絨毯に血。
ところがサイコーにアンハッピーな少女は指が落ちたことなんて気にもとめずに、
「邪――魔――は」
ぽたぽた
「さ――せ――な――い」
ぽたぽた
(うーん。我慢強いお嬢さまだね)
彼女の切断面から滲むように零れる光。
(体の中に随分精霊を溜め込んでやがるな)
いや精霊でないことは知っている。便宜上そうやって表現しただけだ。彼も洗脳術を嗜む身ゆえ人の精神のもつ性質を多少は理解していた。
…多少は、というのは謙遜である。
チャリ
再び剣を構える。
死神は歩幅を変えることなく再びまっすぐに近づいてくる、ぽとぽと。再計算――
――視えた。
「マドルチェ様」
言葉は通じない。
「見間違えましたよ。立派な淑女(レディ)になられましたね。最後に会ったのはいつでしたっけ…」
通じない。でも肝心なのは喋ることで意識を死の恐怖から逸らすこと。
マドルチェ様の能力は"奪う"こと――ならば、僕の能力との相性は、悪くないはずだ。
お嬢さまは2cmだけリーチの短くなった右手を再び伸ばしてきた。
ムールドは微笑する
(死を恐れるな、目的が果たされないことだけを恐れろ)
先代がそう教えてくれた。
準備はできた。
死への準備ではない。
迎撃の、準備だ。
「教えてあげますよ。マドルチェ様」
真っ赤な右手は、男から精霊の光を取り出そうとしたに違いない。
「…正しい能力の使い方を」
体から僅かに光が零れた瞬間、
パッチン!
紐が切れるような音がした。
ムールドは崩れ落ちた。
そしてそれはマドルチェも同じであった。
「う・・あああああぅあ!!」
絶対の負の力を手に入れた死神の少女は絨毯の上を這いつくばって呻いている。
はた目には何が起こったのかわからない。
いや、もうすぐわかる。「結果」が出るまで――ものの数秒もかかりはしないだろう。
(《ジェネラル》)
(時間はダザ27よりも前)
ヒカリが沈痛な気持ちで病室のドアを開けたとき、窓のカーテンが風に大きく捲られた。看護師が窓を閉め忘れたわけではなく、部屋に人がいたのだ。見舞い客だろう。
「あら、こんにちは。」
患者の家族だろうと思い、にこやかに挨拶した。
中年の男もこちらを見た。
「こんにちは。あんたが担当医?」
男はいかにも人の好さそうな赤ら顔、若干残念な頭髪と立派なビール腹の持ち主だった。愛想のいい笑顔をヒカリに向けた。
「内科副主任のヒカリ・ジャーマニエです。」
「どうもどうも」
「息子さんです?」
「はっはっは。」
「おっほっほ。」
「手足が折れてる。怪我の修復はできないんですか?」
「不可能です。」
「不可能ってことないでしょう。」
「精霊を使わず、時間をかければ…、でもこの人は…、」
「……先が長くない?」
「はい」
中年の男性は神妙な顔で患者の手を握ろうとした。
「待って。あなた精霊を持ってる?だったら触ったらだめですよ!」
「なるほど、精霊病か。いや、持ってないよ」
「ならいいですけど」
「この方と話がしたい。席を外してもらえないのかね」
ヒカリは廊下に出た。
だがドアを閉めるその瞬間に見た、男の横顔。何かを感じた。
悪い予感がする。
その時、
「ぐぅッ……!!」
老人の声。
ヒカリはさっき閉めた扉をバタン!と開け、
「何してるんです!!」
男の手には精霊の光があった。精霊拒絶症の患者にとって致命的な精霊の光。
「悪かった。手を修復させてもらった」
「何言ってるんです、何を馬鹿な!!何を!大馬鹿!!」
ヒカリは慌てて患者の側に寄ると容態を確認した。全身が青ざめ苦しそうだ。
「出て行きなさい!!二度と来るな!」
ヒカリは怒鳴り散らしたが、中年の男性は毅然として、
「この方は、職人だ。手は命よりも大切だと。職人が自分の指も動かせないまま死の瞬間を迎えるのがどんなことか、女のあんたにはわからないだろう」
「わかりません!!」
そのとき息も絶え絶えの老人の口から言葉が漏れた。
「・・私が、彼に頼んだんだ・・。あんたは、頭が固そうだったから・・な」
ヒカリは黙った。
背後で、ごそり、と音がした。
見れば中年の男がもう一人の患者を肩にかついでいた。
「この女は私が貰いうける。」
ヒカリが怒鳴りつける暇もなく男は病室から去っていった。
夢路は《ジェネラル》から受け取った紙を開いた。
「・・・・。ふわぁ〜」
大きく欠伸をしたのち、ポイッと投げつける。
「読めまっせん!」
投げられた紙は《ジェネラル》の顔面にぺしんと貼りついた。《ジェネラル》は首をくいっと捻ると、
「…小学校は出たんじゃなかったのか?《獏》。」
「人の名前は難しーですねぇ。特に貴族の名前はくそむずいっすわ」
「今までの指令書はどうしてた?」
「んー?そこの、」
夢路は部屋の隅を指差し、
「お姉さんに読んでもらってた。」
お姉さんといっても夢路より年下である。夢路にとって、巨乳の美女は全員残らず「お姉さん」であった。その巨乳美女は今は書き仕事に追われ夢路の相手はしてくれない。
「わかった。なら私が読んでやるから聞」
「っハァああ〜〜〜それにしても夢に出てきた金髪で狐目のお姉さんかぁわいかったなあ〜〜〜すっっっごいいい夢だったなあ〜〜なんかチューーーとかした気がするなあ〜〜〜あぁ〜〜」
「聞けぇえええ!!」
《ジェネラル》の必殺ちゃぶ台返しが炸裂した。
前回のあらすじ:上司に病院から拉致られた夢路は一週間寝ていられるはずだったのに精霊回復術で無理矢理叩き起こされしかも大量の仕事が待っていて大ピンチ!早く帰って寝たい!
上司は自分で書いた指令書を解説を交えながら読み上げた。
「『《獏》への指令。期日までに以下の人物を"暗殺"せよ』
『マーロック・ヒルダガルデ』。クックロビンの死後、彼が神霊採掘の指揮権を金で買ったという噂がある。噂と言っても確証は100%。
『メビエリアラ・イーストゼット』。ヘレン教教師。信者に対して最も影響力が強い。しかしクックロビン殺害の容疑者でありヘレン教を利用する権力者にとっては厄介者。本人の意志さえ砕けば信者の一部ごと戦力に引き抜ける。
『リリオット卿』。本来は通常の暗殺対象のはずだったが、諸事情でお前の仕事になった。
『以上』」
《ジェネラル》は指令書から顔を上げて部下の顔を見た。部下はあさっての方向を見ながら「あられ揚げ・・」と呟いている。
「…ちゃぶ台返し!!」
「ぎゃー!!」
それでも一応聞いていたらしい夢路はコブのできた額をさすりさすり、
「なんってぇかなー。セブンハウスにソウルスミスにヘレン教。なんでもかんでも敵に回すんだね、おやっさん」
「我々の目的を忘れたか?」
「耳タコです。《ニュークリアエフェクト》」
「この町は、経済も宗教も政治も、全て腐敗している。」
「じゃあ私らはぁ?」
《ジェネラル》は、指令書を静かに折り畳むと、
「リンゴが腐っているなら、リンゴの芯だって腐っているだろう。」
「あっはははー!」何のジョークだと思ったのか、夢路はゲラゲラ笑った。
(ヴィジャ、ネイビー)
パッチン!
紐が切れるような音がした。
真夜中の表通りで露店を開いていた夢路は舌打ちをする。界隈は深夜でも精霊灯がともり酔払いやギャルの集団や不倫貴族カップルなどの人通りがあった。
「―――チェッ、切られたかぁ。面倒っちいねぇ宗教家の夢ってのはホントアレ高防御力でね。こうなりゃ直接接触するっきゃないかなあ、でも正体知られちゃったからなあ・・。面倒くさっ!っあー!面倒くさっ!もういいや知らんもう帰ろうゴーホーム。ゴーホームアンドスリープ。また今度明日の夜に来ればイッツオーケー。でもその前にわたくしお腹をおこしらえましてお家にお帰りあそばしまし、あっ、ちょうどいいところに金髪でちょっと服がブカブカの可愛い女の子がお嬢さーん!占いとかどうですか、全国津々浦々の女の子がすべからく大好きな占いですよ!今なら無料キャンペーン実施中でなんか魔法少女になれそうなお告げっぽいものが貰えるホーリーチャンスもありますよーっ!」
金髪でちょっと服がブカブカの少女は、後ろに従者を控え歩き方も正しく貴族っぽい雰囲気だ。なぜちょっと服がブカブカなのかも、なぜ夜中に出歩いているのかも知らないが。
少女は銀貨を一枚取り出すと、微笑みながら夢路のお椀に放り込んだ。
「無料と言っているのにお金を払うんですか?」従者が尋ねた。
「無料と謳って本当に無料であることはないわ。彼女は物乞い、可哀相な方。可哀相な方には親切を与えるのが市民の義務だと、いつも生徒に教えているのでそれを実践したまで、ね。」
「わかりました、カガリヤ」
「えー?いやー?本当に無料ですよー?」
銀貨はおいしい収入ではあったがそんなことより夢が食べたい。この少女、パッと見夢が見えないけど、会話しだいでは引き出すことができるだろう。
「ねっ悩みがあったらお姉さんに言いなさい?不思議な力でびびびーっと解決しちゃいますよっ!」
「・・・・」
「父親がうざい―?自分が何者かわからない―?呪いを解きたい―?好きな子がいる―?家族を守りたい―?友達と仲直りしたい―?毎日が退屈だ―?」
だが女の子の体からは糸の先っぽすら出てこない。
「・・ふーん、何もひっかかんないね。夢がないんだね。会社の言いなりになってるだけの干からびたサラリーマンみたい、可哀相に」
自分のことを棚に上げて好きなことを言う夢路であったが、しかし少女はふと、
「余計なお世話かもしれないけど、あなたの脅威がここに近づいてるみたい」
「はいィ?」
チュンッチュンッ!夢路と少女の間を閃光弾が2発、通り過ぎた。
「インカネーション部隊だ。占い師、同行しなさい!」
「インカネーション部隊だ!占い師、同行しなさい!」
続いて三連発。インカネーション・ガールの指先から発射された火球は夢路のデコを正確に直撃した。
「あちあちあちあちあちちあちちち!」
夢路はさっきもらった銀貨を素早くポケットにしまうと逃げる体勢を整えた。物理攻撃なら少しは回避できる夢路だが、精霊駆動を主体に戦うインカネーションとは相性が悪すぎた。
バキュンバキュンバキュンバキュン!
「逃げるな占い師ーッ」
「ぎゃあーーっいやーん!」
発光する指先にまた照準を狙われ、夢路は目の前のお嬢様を思わず盾にした。
「!」
小柄な少女にしがみつきながら声高らかに叫ぶ。
「おーほほほほ!!正義のインカネーションともあろうものが一般市民を、しかもヘレンの象徴である金髪の女の子を攻撃できるわけがないわ!!おーほほほほほほほ!!」
「クッ、この卑怯者がぁーっ!」
しかし当の金髪少女は、
「あの…」
「(小声)ごめんねー!ちょっと時間稼がせてほしいだけだから!まじごめんっ!」
「あの、どさくさに紛れて胸を触らないでもらえませんか?…あっ」
どさり。占い師は白目を剥いて倒れた。
カガリヤ・イライアが占い師の背中を見ると肝臓から水銀の雫が零れていた。そして、ヴィジャの指先からも。
「殺したの?」
「いいえ。」
彼は水銀――のように見えたが、ただの血かもしれない――を拭うと、
「戦闘に巻き込まれたくありません。ここから去りましょう」
「あら、どうして?」
カガリヤ・イライアはヴィジャの顔を見もせず。
一方インカネーションの少女は攻撃対象を失ってきょとんとしていた。が、きょとんとしていた理由はそれではなかったかもしれない。
深夜の表通り。
精霊灯の輝きは、少年ヴィジャの滑らかな体表を照らした。目元が、指先が、有機物のそれではない光沢を帯びている。だがその光沢は今少しだけ不安な色をしていた。
そして占い師はゲーゲー言いながら吐いていた。
「あなたには都合がいいはずよ。――彼女が、」
カガリヤは肩越しに後ろを指差した、親指で。
ヴィジャは振り向いた。緑のローブを着た少女が立っていた。彼女もまた美しい金髪であった。
「『クックロビン殺しのメビエリアラ』」
「・・・なるほど」
1、2、3、・・
初めてエフェクティヴの本部に連れてこられたとき、私は笑わない子供だったらしい。
しかし「食い意地が張ってるのは変わらなかった」とは上司の談だ。
「はいよ。昼メシだよ」
私は首を横に振った。
「いらないのかい?だめだよ食事はちゃんととらなくちゃ。あんたは、これからリリオットのために戦う戦士になるんだからね」
「・・・・おばちゃん、足りない」
ぺしん。殴られた。
「アホ!よく見な!人が大盛りついでやったのに何言ってんだ!そんであたしは『お姉さん』だ訂正しな!」
「だって足りないもん・・おなかすいちゃう」
「同じなの!みーんなおなかすいてんの!あんただけ贅沢言ったってダメー!」
私はなおも首を振る。盆の上には大盛りのごはんに肉ともやしの炒めものに野菜のスープ。ママのごはん(※)よりもよっぽど豪華で美味しそうだったが、
「足りないの。私、二人分食べなきゃいけないんだから」
「・・二人分?」
「二人分。」
そもそも、私がエフェクティヴの人に着いてきたのだって「お腹いっぱいごはんが食べられる」と言われたからだった。これでは、約束が違う。
「約束を守らないなら、私出て行くからね。」
※…具なしカレー、具なしチャーハンなど
「―――妊娠してる?」
「そうみたいです。それで食事をもっと寄越せと要求しています。」
「方針は決まってるだろう。堕ろさせろ。規則で決まってるんだ、例外は認められない。」
「そんなこと言ったら出て行っちゃいますよ」
「騙して薬か何か飲ませればいいだろう。それだけ食い意地が張ってるなら簡単なことじゃないか」
「しかし・・あれじゃ子供が死んだら自殺しかねない勢いですよ。」
「ふむ。」
「せっかく手に入れた《獏》を手放すのはちょっと、惜しいかと」
「そうだなあ・・」
ある日、私は小さな部屋に連れて来られた。部屋というか汚らしい倉庫みたいな場所だったが
ガチャン。
「何?鍵?」
部屋には一人だった。外から声がする。
『そうだ、鍵をかけた。私の命令に従えばすぐに開けてやる』
「なによ!?」
『自分の"糸"を取り除け』
「な、なに・・なんで?」
『お前は人の体から糸が見れるらしいが、それはお前にしか見れないんだ。だからそれを取り除けるのもお前だけだ』
「いやよ。なんでよ。」
『そうだな、罰則だ。お前は少し反抗的すぎる』
「意味わかんない。出して!」
『私だって辛いんだ。糸を取るのが嫌なら、そこで餓死しろ、出来るものならな』
勿論出来るわけがなかった。私は自分の能力が与える影響すらよく知らなかったのだ。結局のところそれが正義の味方を自称する集団のやり方だったわけだが、しかし、私は当時の記憶をまるまる失っている。上司から受けた仕打ちも自分に赤ちゃんがいたことも覚えていない。
そしてあの日以来、自分の体から"糸"が見えたことは一度もない。
深夜だというのに。メビの自室の戸をドンドンと叩く人間がいた。
「メビ様!ご無事ですか、メビ様ー!」
メビの名を呼ぶ少女は寝巻き姿だ。愛用の毛布を腕にかかえている。
「メビ様!返事してください。あたし、さっき変な夢見ちゃって!夢にメビ様が出てきたんです。夢に出てくるメビ様はいつもはあたしのこと凄い叱るんですけど、でも今夜のメビ様はニコニコ笑って『さようなら、ネイビー』って言ったんです。そんで夜空の彼方に飛んでっちゃって。ああー!あたしもう、不安で不安でしょうがない!ねえ御無事ですか!お願いです、返事してくださいメビ様ぁー!」
だが返事はなかった。
やがてネイビーは寝ぼけ眼のシスター・シャスタに、自分の部屋まで連行された。
「メーーービーーーさーーーまああぁぁぁ・・・・・」
メビエリアラ・イーストゼットは自室兼実験室の中央に置かれたノッキング・チェアの上で静かに眠っていた。
もし今の彼女を、エフェクティヴの心理暗殺士《獏》が見たならば、彼女の"夢"が、彼女の心臓から出て床まで伸びている様子を見ることができただろう。
しかし《獏》もまたその場所で眠っていた。メビエリアラの"夢"は、《獏》の心臓まで一直線に繋がっていた。
「ママ・・・おいてかないでぇ・・」
アラサー女は夢の中で母親を探して泣いていた。
〜〜〜
「《獏》。起きたか?」
汚らしい部屋。
目を開けると目の前におっさんがいた。
「うーん、私・・・」
「何を覚えている?」
「・・・おなかすいた。」
「ははは。そりゃそうだろう。1週間何も食ってないんだ。点滴はしてやったが、胃袋は空っぽだ。」
「うん。おなかが・・からっぽだ。」
おっさんは少し顔を曇らせたが、
「まあ待て。食事の前に仕事の話をしよう」
そう言って埃だらけの椅子に私を座らせた。
「お前には"夢喰い"の能力がある。それは、覚えてるか?」
私は頷いた。
「使い方は?」
「わかるよ!食べてあげようか?おっさんの夢!」
「やめてくれ。・・食って欲しいのはこの人物だ」
おっさんは、紙切れに長い長い名前を書いた。ふふん、小学校を卒業した私に、字を読むなんて朝飯前だ!
「ええと、ムール貝・・・アルフォート・・・ラングドシャ・・・」
おっさんはゲラゲラ笑って、
「"ムールド・アウルリオス・フォン・ラクリシャ"。」
「だれ?」
「"ラクリシャ"の名前ぐらい聞いたことがあるだろう。貴族だ。我らが憎むべきセブンハウス。彼はまだ子どもだが」
「ふーん?」
「お前の初仕事だ。《シャドウ》直々の指令だ、誰にも内緒だぞ」
「《シャドウ》って?」
「その名前も、言っちゃだめだぞ、誰にも。」
そして次の瞬間――明るくなった。
場面は、貴族の屋敷のお庭だった。
キラキラしてる。見たことのない花。つるくさ。庭の真ん中には噴水があり水しぶきがキラキラキラキラしていた。
「なんか、いい匂いとかするー」
噴水のそばでスーハスーハしていると、話し声が聞こえた―――どちらも子どもの声だ。
「おにいちゃーん」
女の子の声。夢のように美しい庭に似つかわしく銀の鈴のように愛らしい響き。
「ねー、あそんでよー」
「マドルチェ。僕いま忙しいから、あとでね」
男の子の声もまた、小川の流れのように澄んでいた。彼もまた、ファンタジーの住人なのだろう。
水しぶきの間からこっそり覗く。
彫り模様の美しいベンチに、子どもが二人、座っていた。女の子は4歳か5歳ぐらい、白いリボンのついたふわふわのワンピースを着て男の子の顔を覗き込んでいた。男の子は7歳か8歳ぐらい、難しそうな分厚い本を読んでいた。
「ムールドおにいちゃん!ごほんばっかよんじゃだめ!」
「ねえマドルチェ。この世界にいったいどれぐらいの本があるのか知らないの?ラクリシャの図書館に行ってごらん。この庭ぐらいの大きさの部屋が、床から天井までびっしり、本で埋まってるんだよ。僕が一生かかったって読み切れない、でも世界にはもっともっとたくさんの本がある。わかるかい、僕には時間がないんだよ」
男の子はゆっくりと丁寧に説明したが、女の子は、本が鬼ごっこよりも面白いわけがないのに、といった表情だ。
「つまーんなーい」
女の子はベンチから跳びおりると"てててててて"と噴水の周りを走り出した。
おっと、こっちに来るぞ。
夢路と目が合った。貴族のお嬢様は夢路をぽんと叩くと、
「たーっち!」
くるりと後ろを向いて逃げる。
すでに夢路の頭からは、"仕事"のことは抜け落ちてしまった。ニヤリと笑って噴水周りを駆け出すと、
「まてまてー!おにだぞ、がおー!」
「きゃーきゃー」
「わたしはおるくすだー!このもりはほういされているー!」
「きゃー、たすけてへれーん!」
男の子はふと本から顔を上げ、ずいぶん服の汚れたメイドだな、といった顔で見た。
「ねえねえボク!」
その少年に声をかける。
「君もいっしょに鬼ごっこしよう!楽しいよー!」
「しいよー!」
「いや、僕は・・」
賢そうな少年の困った表情。しゅるり。彼の体から二色の糸が零れた――金色の糸と、闇のような黒い糸。
「―――街が闇に包まれた?」
金の力で神霊採掘・保管の全権を手に入れた成金、ヒルデガルデ。彼は近頃足しげく第一坑道に通っていた。
マーロック・ヒルデガルデの成功の秘訣は、八割が運だが、残りの二割は、欲深さと懐の広さの絶妙なバランスであった。今は欲深さを見せる時。目の前に大きなチャンスがある人間は皆、ビジネスが成功するように最善の努力をしなければならない、というのがヒルデガルデの倫理であった。第一坑道に通うのは、私の大切なビジネスのために部下達を労うため――というのが、彼が自分に用意した建前だった。
第一坑道。
言わずもがな、「神霊」はここにある。
神霊なんぞ、世界中の全ての財宝が凝縮されてどーんと置いてあるようなもので、もとより光り物が大好きなマーロックが心を奪われるのも当然であった。
しかし心は奪われても冷静さは奪われていないので大して問題はなかった。
「なんか、そう言ってました。"上"から降りてきたやつらが」
ここはもとより地下の暗闇だ。抗夫達は今が昼なのか夜なのかすらよくわかっていないだろうに――
「確かに今は昼だな。」
マーロックは懐中時計を照らしてそう呟いた。
「おおかた、ソールが月に食われたんじゃないか?」
「ソール?」
「東の国ではそういうらしいよ。"上"に行った者たちが目を焼かれなくて結構なことだ」
だがマーロックには天文学の知識はない。
ごごーん。
地の底に何かが降りてきた。エレベーターだ。鉄骨を組んで鎖で吊しただけの簡素なものである。神霊採掘の実質の現場責任者が、丈夫でさえあればいい、と言っていたから。
たった今、エレベーターから降りてきた男がそれだ。マーロックは彼に声をかけた。
「どうだ、ウロ君。通れそうかい?」
彼は頷いた。
「大丈夫とは言い切れないが。急いだ方がいいな。大地が俺達を生き埋めにしたくてうずうずしてやがる」
マーロックはハーと息を吐いた。巨大な精霊結晶が縦穴にひっかかってトンネルの土ごとまっさかさまに落ち、なにもかもが台無しになってしまう未来を視てしまったからだ。
やっぱりこの作戦は失敗だったんじゃないか、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
「・・・・」
「とにかく上げ始めた方がよさそうだ。もし狭い場所があればその都度削ればいい。」
「君も無茶苦茶だな、・・いや、」
マーロックは顔の汗とともに不安を拭ってカラカラと笑った。
「君に任せるよ。エレベーターには僕も乗せてくれるかい?」
ウロは、エレベーターをこれ以上重くする気か?といった表情でマーロックの腹を見た。
「…そんな目で見ないでくれ、冗談だ」
「乗りたければ乗ればいい。だがこの垂直のトンネルは、今まで見た穴で一番の快楽殺人鬼《ラストマーダー》だな」
(時間は夢路26よりもかなり後)
偉大で巨大な神霊様は格子状に組まれた鉄骨に拘禁および剥き出しのごんぶとワイヤーに吊されている。保健所の野犬さながらだ。白煙色の結晶体の内部は怒りで震えているように感じられる。
「自分の末路に足掻くなよ、みっともないぜ」
だが、まだチェックメイトではない。
ここからは、山か、人間様か、悪運の強い方が勝つだろう―――ウロは悪運には自信があった。垂直トンネルの長さは、数百メートル。
ガララララ
エレベーターを地底に固定していたワイヤーが解かれた
「マーロック、お前も乗るんじゃなかったか?」
雇い主様に声をかける。
「ああ…僕は乗る。だが君は乗るなよ、ウロ君」
「なに?」
それはない、と思った。
この場所に、俺以外に、この穴の殺意を感じ取れる人間がいるならまったく構わない。しかし、
「僕が責任者だ、エレベーターに乗る人間は僕が決める。――ええと、」
「はい。コウルス、オツリック、ヘイジ、それからテイゴン」
マーロックの後ろで削掘員の名前を読み上げたのは、聞き覚えのない声の女だった
「――だそうだ。」と、マーロック。
「お前誰だ?」
俺は思わず女に詰め寄った。
女はスーツ姿、青い髪を後頭部でまとめ上げていた。
「あ、どうも、私、マーロック・ヒルデガルデ様の秘書のレバニラ・イタメでーす」
そう言って謎の書類片手に赤いメガネをくいっとさせた。
汗臭く、土臭く、鉄臭い精霊ガスの充満する坑道で、彼女は異様な存在に思えた。
「さささ、マーロック様。早く神霊をセブンハウスに届けて、こんな暑っ苦しい場所からはおさらばいたしましょ!」
「ああ、もちろんだよ」
「マーロック様にとって一番に大事なのは、早く家に帰って冷たーいアイスクリームを食べることだもの。ねっ!」
「ああ、そうだとも」
「マーロック!」
ウロは声を荒げた。
しかしマーロックは再度、「僕が責任者だ、ウロ君」と言い放ち、名前を呼んだ削掘員及び怪しい秘書とともにエレベーターに乗り込んだ。
「・・・なんなんだ!」
ウロに雇い主に逆らう趣味はない。だが命の危険を感じた場合は別だ。この狂った穴を自分以外の手に委ねることは、ここにいる人間全員の死に直結してる。
エレベーターは上昇を開始した。
ウロは急いでアナ・ライザーをひっつかむと、エレベーター――というかただの鉄骨の塊――の尻に飛び乗った。
ギッ
ギギギギギ…!
ごんぶとワイヤーの軋む音がトンネルに響く。慎重とは言えないスピードで上昇がはじまった。
赤メガネの女が鉄骨の上段からウロを見下ろす。
「あなた死にたいのー?」
「それは俺が言いたい。」
ゴウンゴウンゴウンゴウン
地上まで残り200m。
ウロは叫んだ。
「エレベーターを止めろ、マーロック!土が震えまくってる!」
「そーはいかないんだなー?こっちも急いでんだなー?わるいねー?」
返事をしたのは例の秘書だった。鉄骨の上から気の抜けた声が聞こえてくる。
「時間ぴったりに神霊を地上に届けないと誰かさんが考えたインテリジェンスな作戦が狂っちゃうんだよねー。公騎士団はとっくに動き出してるって話だし、リソースガードも来ちゃうかもしんないし、とにかくはやはやにやるにこしたことはないって訳」
ウロはリリオットの情勢は全くわからない。
「お前、何だ?」
だが何者であろうと、殴ってでもエレベーターを止めたい。ウロはアナ・ライザーの柄を口にくわえて鉄骨をよじ登りはじめた。
「おーほほほほほー!私が誰かって?町内の悪をぶちのめす隣の突撃ボマー、好きなものはカレーとおっぱい!その名もエフェクティヴの《獏》ちゃんでーす!おっと!?」
ダンッ。
ウロは"レバニラ・イタメ"と同じ高さの鉄骨まで上ってきた(自己紹介は聞いてなかった)。
「エレベーターを止めてくれ、それかマーロックを説得しろ」
「・・・さもなくば?」
「さもなくば、この俺が相手だ」
シャキンッ
細い足場。
ウロのスコップが、細身のドリルに変化した。回転音。
片手で構えて突く。
「あーらよっと!」
女は避けた。
だが、ヒールの踵が鉄骨を踏み外した。
「ぎゃー!」
ガシッ
(自分で攻撃しといて何だが)手を伸ばして助けてやる。地底までは明らかに致命落差だ。
彼女がかけていた赤メガネが暗闇に落ちていくのが見えた。
「あ、ありがとう・・・」
女は顔を赤らめて礼を言ったのも束の間、ウロの手を掴んだまま、エレベーターをガンッガン蹴りだした。
「あーっはっはァ!一緒に落ちろ!そして死ねーっ!」
「お前も死ぬぞ!」
「私パラシュート持ってるもーん」
そんなのありか。ウロが呆れた瞬間、
ゴォン。
鈍い音がして鉄骨の檻がトンネルの壁に衝突した。
「きゃーっ!」
ぐにゃんぐにゃんと、エレベーターが激しく横揺れした。降る砂利。さらに「うわあぁ〜」という男の叫び声が頭上から足元へ消えた。
ウロはドリル型のアナ・ライザーを、今度はボウガンの形に変化させた。
セットされているのは網のついた矢。パシュ、パシュ、とトンネルの壁に向かって放つ。矢は壁に沿って螺旋を描き、剥き出しの土壁を網で覆った。
次の瞬間にはアナ・ライザーを光線銃に変化させる。土を覆う網を精霊光線の力で鋼鉄に変化させトンネルが崩れるのを防いだ。
この間わずか6カウント。
だが、応急処置にすぎない。
「あと50m、か」
地上に到達するのと、トンネルが再び崩れるのと、足が滑って鉄骨から落ちるのと――どれが早いかはウロの悪運にかかっていた。
(夢路26の続き)
二色の糸とかないな、と思った。
二つ以上の夢、というか目的を持っている人というのはいる。でも二つに見えても根っこは繋がっていて、矛盾に見えても矛盾じゃなくて、どんな人も結局一つの夢しか持ってないはずだ。
そもそも真っ黒な糸自体初めて見た。いや、一度だけ見たことがある。
「――《シャドウ》?」
少年がクスリと笑った。
「ムールド、ここにいたのか」
男性の声。
振り向いて驚く。この人の体も二色の糸をまとっていたからだ。
「お前は本当に本が好きだな。母親より叔母の方に似てるんじゃないか?」
朗らかな笑い声。白髪の混じった頭髪。威厳をまとった背格好。
その姿になんとなく目を奪われていたら、男性も夢路に気づいた。首を傾げ、
「――はて、こんなメイドがいたか?」
とだけ呟いた。
それから、孫娘の姿をメイドの手の先に見つけて眉を尖らせた。
「マドルチェ。勉強の時間だろう」
見れば男性の、くすんだ方の糸が活発に動いている。
「だっておじいちゃん」
「言い訳は悪いことだ。悪い人間になってはいけない、マドルチェ」
貴族の家族。庭。それは美しい夢の出来事であった。
次の瞬間、リリオット卿のもう一方の糸がぴゅん、と勢いよく飛びだした。
「マドルチェ!」
輝く糸がお嬢様の体をつつみこんだ。いいや、マドルチェを抱きしめたのはリリオット卿その人の腕だった。
「マドルチェ、マドルチェ・・今まですまなかった、ああ、本当は、本当に、お前を、愛しているとも――」
輝く糸は優しくそよいで、二人のことを包んで。そこはもうくすんだファンタジーの世界ではなかった。
(あ。)
夢路はやっと自分の"仕事"を思い出したようだ。
(私の仕事。暗殺指令。貴族の夢を、食べろって――対象は――)
『そう。あの孫大好きのおじいちゃんが君のターゲットだ』
少年が夢路に囁いた。
(あなた、《シャドウ》ね)
『そうだ。久しぶりだね、《獏》。君のおかげでこの体を得られたこと、感謝している。』
(でもおかしくない?あの時、私は暗殺に失敗したのに。)
『いや、それでよかった。――君の"暗殺"に頼らなくとも、私にも洗脳の心得ぐらいあるのでね。指令は、君の能力について識るため。それから対象に近づきやすくさせてもらった。陽動作戦ってやつだね』
(なーんだ。)
少年は熱心に本を読みながら夢路に話しかけている。
この仮想空間はただの夢ではない。メビが夢路とカガリヤの能力を合成して作った「精神感応網」のエフェクトで、夢路の過去の記憶と、記憶に繋がっている人々の精神とが重なって存在しているのだ。金の糸は、《シャドウ》になる前の少年ムールド。黒の糸は現在の《シャドウ》。エフェクティヴのパトロン、たぶん偉い人、夢路も一度しか会ったことがない。
彼が現実の世界で今どこにいるかはわからないが、精神感応網の中にいるということは、
「ふーん。あなたも眠るんだねー。」
『ははは。人を幽霊みたい』
あながち間違いではなかろう。
体が宙に浮いた。
ちょっとした振動がきっかけで足が鉄骨から離れたのだ。
「・・!」
頭上からロープが投げられた。勿論それはウロに差し向けられたものではなくエレベーターを乗っ取ったやつらが仲間のために投げたのだ。
「さんくす!」
女はそれをひっつかむと同時にウロの手を放して、
「ばいばい、来世で会お〜う」
そうは行かない。
「――アナ・ライザー!」
ウロは光線銃をツルハシに変化させた。空中で振りかぶり、壁に打ちこむ。岩壁に深く食い込んだそれに、ウロはぶら下がった。
頭上を見上げる。
エレベーターは巨大な光源を抱えたまま、黒い霧に包まれたように見えなくなった。
〜〜〜
「とーちゃーっく!!」
やっとのことで地上である。夢路は鉄骨からぴょんと飛び降りた。仲間たちも。
「皆さん、ご苦労様。」
顔が見えないが、《セクレタリ》だろう。巨乳美女の。彼女は仲間の声を一人一人確かめると、
「テイゴンはどうしたの?」
「・・ごめん。途中で落ちた。あとマーロックも」
「そう・・」
今は悲しんでも仕方ない、と言った。作戦の遂行が大事よと。
周囲にはすでに戦闘の跡があった。あたりは暗いが、血の臭いがする。ここで神霊の受け渡しを行う任務だった公騎士達だろう。
キュポンッ
《セクレタリ》が精霊爆弾の安全弁を抜いてトンネルの中に放り投げた。
「どしたの?」
「リソースガードと思しき集団が坑道からこちらへ向かっているそうよ。道を封鎖するわ」
「怖や怖や。で・・・これどうやって運ぶの?」
「《シャドウ》がここに向かってるわ。まだちょっと穴の中に吊っといて。」
「フーン。あ、山道を転がしていけば超速いと思うわ回転力で敵とか千客万来ハネとばせるし三者凡退!」
「一石二鳥でしょ。いいから私たちは、手分けして他の出口を封鎖しましょう」
そう言うと彼女は夢路に精霊爆弾を投げてよこした。
「よろしくね。生あればまた会いましょう」
「はいはーい」
〜〜〜
ツルハシを駆使して岩壁を上るが、まだ数メートルも進んでいないのに汗だくだ。先ほど下の方で爆発音がした。壁を通じて、坑道のあちこちが崩れていく様子を感じる。意外にもこいつは俺を殺す気じゃないのか、まだ生きてる。
足元の闇からバッサバッサと風の音がした。
何者だ。鳥か。こんなところに?
風の音がウロの方へ上ってくる。
闇の中から光があらわれた。
ランプだった。
淡くとも闇の中でも衰えない光を持った少女が宙に浮いている。
「え!?人かな?大丈夫ですか?」
俺は天使とやらを初めて見た。
ゴツゴツした岩場に二人の長い影が伸びていた。ウロは寝ていた。
エビチリ・ソース(だっけ)は問いに答えもせずソラの顔をじっと見て、
「あれ?気づいてないのー?ソラちゃん」
「へっ?」
テンシン・ハン(だったかも)はまとめていた髪をフサッと下ろし、手の甲で口紅とマスカラを落とした。
彼女はソラを見てヘラヘラ笑った。
「ゆ、夢路さん!?」
「やーやー、こんなとこで会うなんてねぇ〜」
彼女はメイン・ストリートで開業している占い師だ。精霊灯の掃除の仕事をしているとよく会うことがあり、よく一緒にお昼ご飯を食べた。
「なんで・・夢路さんが・・その、」
「エフェクティヴ」
「なの?」
「まーこの不況でしょ?正直占いだけじゃ食べていけないのよー。ソラちゃんも大人になったらわかるって〜」
「わっ…わかんないよっ!」
先ほど、穴の中で見た光景が蘇る。土に埋もれ誰にも看取られない場所で死んだ抗夫の人たち。ソラの隣の部屋に住んでるおじさん(よく野菜くれた)も抗夫だった。それから町で見たたくさんの争い、殺人。友達だと思ってた夢路さんもその仲間で・・
「わかんないよ!だって、夢路さんはいつも私に優しくしてくれたし、悩みを聞いてくれたし、初めて会ったときは私がハスのために焼いたけど失敗して炭になっちゃって捨てようとしたクッキーを美味しい美味しいって食べてくれたし、」
「ソラちゃん、悩んでる顔だねー?」
…これが夢路さんのいつものセリフだった。そして人の話を聞かないいつもの癖。
「恋してる顔。」
「ぇいっ」びっくりして変な声が出た。
「いやぁー、前の彼氏?公騎士団の?あれはねーよくなかったよ〜。女性の手料理を残す人間はクズ中のクズだからね。でも今の人はいい感じだねー、本物の恋だね。ソラちゃんの夢がそう言ってるわ〜」
「えっ、えっ、ううっ…いい人なのか酷い人なのかわかんないよ…」
恥ずかしいやらなんやらで何がなんだかわからなくなってきた。
「まあまあ、立場は違うけどさ。言ったじゃん?……私は、いつだってソラちゃんの味方よって。」
「夢路さん…。」
立場の違い。それは、大人の言い訳のように聞こえた。
でも味方という言葉は信じられたし、嬉しかった。
「ふむふむ、ソラちゃんの夢は幸せな夢だけどちょっと不安な味がするわねぇ。なるほど、彼氏が今戦ってるんだ。」
(でも、前にも似たようなことが…)
「信頼はしてるが向こう見ずなところがあるので心配、と・・これが彼氏の顔か・・見たことあるような。いや、ないな。名前はマックオート君」
「夢路さん、なんでそこまで知って・・・っ!」
プチン。
糸が切れるような音がして、ソラの意識が飛んだ。
「―――あー美味しかった!」
夢路は女性の夢は残さず食べる方だ。
夢路とカガリヤの複合能力である精神感応網はまだ生きていた。夢路の胃袋に飲み込まれたソラの精神も精神感応網に吸収された。このネットワークはソラの能力によってさらに進化した。精霊の言葉を理解したことで精霊を繋ぐエネルギー糸が視覚化。アクセスした人間はリリオットの正確な精神地図をロードできるのだ。
〜〜〜
ソラはリリオットの町を歩いていた。
町の様子は変わっていた。炎を吐く竜に異形たちのパレード。
住民たちの殺し合いもまだ続いていた。
「うーん。私、元の体に戻れるのかなぁ…」
北へ南へ。
そしてソラは、太陽に最も近い場所に向かう坂道を上っていた。
もちろん今は太陽などなく藍色の闇に月が輝いているだけだ。
ソラは『希望』のランプを持って坂道を歩いていた。
すると、
「ない、ない・・・」
道の端で這いつくばっている人がいた。
何かを探しているように見えた。
「あの、落とし物ですか?」
そう言ってソラは声をかける。
女性は立ち上がると、
「ええ。とっても大事なものを落としてしまって・・・」
女性は独創的なバランスで黒髪を2つにまとめていた。ソラを見てニコッと笑った。
「コインのたくさん入った袋を落として中身をぶちまけてしまったのよね。頑張って拾ったんだけど、どうしても銅貨1枚だけ見つからなくって」
「銅貨、1枚?」
「そうよ。もう何日も探してるのに…」
「わかった。私も手伝うよ!私ランプ持ってるから、きっとすぐ見つかるよ!」
しかしここは坂道。丸いコインだし、ずっとずっと下まで転がっていった可能性もある。
(もし遅くなったら、二度と自分の体に戻れないかも…)
そんな根拠のない不安もよぎったが、目の前の困っている人を放っておくのはよくないと思った。
「私、下の方から探すね。あの、・・お姉さんは、上の方から探してね。もしかしたら道を逸れて岩場の方に落ちてるかも。もしかしたら砂の中に埋もれてるかも。」
そうやって二人で一生懸命探した。
いつの間にか月が空のてっぺんを越えていた。
「あった!!あったよ!」
ソラの『希望』が、岩と岩に挟まった小さな小さなコインを見つけ出した。
女性は飛び上がって喜んだ。
「ありがとう、ありがとう、ソラ」
女性はその小さなコインを大事に大事に袋にしまった。そして、その袋からまたコインを取り出すと、
「あなたにあげるわ。」
と言ってソラのポケットに突っ込んだ。
「え…大事なものなんでしょ?」
「フフフ。これは不思議なコイン。人にあげてもあげても減らないのよ。だから、あげればあげるほどどんどん増える、魔法のコインなの」
「へぇー、すごい。」
女性はソラの手を握ると、
「さよなら。短い間だったけど、あなたとの出会いはきっとヘレンの導きね」
そう言って背を向けて坂道を上りはじめた。
ソラは泣いていた。涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになっていた。
堪えきれず叫んだ。
「――ヒヨリぃ!!」
母が言っていた。死んだ人の名前を呼んではいけないと。その人の魂を縛ることになるから、その人が無事太陽にたどり着くまでは呼んではいけないよ、と。だから我慢していたのに。
ヒヨリは振り返った。
「また会おうね、ソラ」
約束。
「ずっと未来に。あなたが大人になって、子どもを産んだり、いろんな仕事をしたり、いろんな人と出会ったりして、おばあちゃんになって、それから―――ずっとずっと未来で。会おうね」
ソラは頷いた。月はもうすぐ沈む。
街中は思った以上に凄いありさまだった。詳細は省くが
「あのー、私、どこに連れてかれるんでしょー。よかったら降ろしていただけませんでしょーか?」
目を覚ましたらしいエフェクティヴの女性がウロの肩の上から訴えている。
「私はどっちでもいいんだけど。マルグレーテが」
(そいつを逃がさない方がいいぞ
ソラの精神とか記憶とかがそいつに吸収されてる。たぶん)
「……なるほどね。それでソラが炎天使みたいになっちゃったわけ
元に戻す方法は?」
(そいつの意思では無理だな。一番確実なのはそいつの腹をかっさばいて胃袋を切り刻むことかねえ)
「うーん、できれば他の方法がいいわね」
パレードを避けながら歩いていたら、ソフィア、えぬえむ、ウロ、夢路の一行は商店街まで来ていた。
『ラペコーナ』の看板を見て、夢路が腹が減ったと騒ぎはじめた。
「そういえば私も」
「俺も何か腹に入れたい」とウロ。
「いえ、行きましょう。この戦いが終わったら私がなんでもご馳走してあげるわ」
…と言っていたソフィアの腹の虫が盛大に鳴ったので4人は『ラペコーナ』の扉を開けた。
どうせ営業していないだろうから適当に食べ物を拝借しようと思っていたのだが開けてびっくり『ラペコーナ』は大入満杯の超満員だった。
右手に3枚左手に3枚頭に1枚皿を載せたマーヤが忙しく走り回っていた。
「いらっしゃいませーっ!4名さまーっ!」
「こんな時なのに営業してるなんてね」
メニューを持ってきたマーヤが汗だらけの顔でニコニコと答えた。
「こんな時だから、ですよ。私も考えたんです。私、リリオットに来て間もないですけど、この商店街もこの店に来てくれるお客さんも大好きになっちゃって…それで、私なりにこの町のためにできることがないかなって。やっぱり、おなかがすいてるとみんな凶暴になるのかなって…で、今日は、メニュー全品無料です!!」
「やった、ラッキー?」
店内には本当にたくさんの人がいた。
抗夫もいたし公騎士もいた、乞食もいたし商人もいた、黒髪もいたしヘレン教もいた。
窓際の席ではパレードを抜け出したらしい異形がごはんを食べていた。
「ううむ、このミルミサーモンとやら実にうまいでござるな、シャード殿」
「他人の皿に醤油をぶちまけないでくれないかな、醤油武者君。」
ミルミサーモンは『花に雨』のメニューじゃ…とソフィアが思っていたらラペコーナの厨房から『花に雨』店主が顔の半分を覗かせていた。
「店も焼かれてしまったし、こんな危険な町からはとっとと逃げようと思ってたんだがな。ラペコーナの店主が怪我をして人手が足りないからと、山田君に頼まれてしまってね…あの子はいい子だね。うん。」
よく見たら店内にはフリフリ衣装のウェイトレスも何人も働いていた。店ごと引っ越して来たらしい。
「はい、ソフィア」
とえぬえむにメニューを渡された。
開くと、大きな炭文字で「ミルミサーモン」とだけ書かれていた。
『花に雨』の店主が、「こないだうちに来たリリオット家の方が、迷惑をかけた詫びだと言ってうちの冷蔵庫をミルクとサーモンでいっぱいにして行ってね…」と呟いた。
(ヘルミオネ42の続き)
「あっれぇー?ダザじゃないじゃーん?」
火柱の中から気の抜けた声がしてヘルミオネはガックンと膝折れた。
マスターの記憶から声の主を探し当てると、
「よりによってお前かよぉオオオオ!!!!?」
「あ、やっぱりダザだ」
「ハッ、マスターの口調が感染ってしまったようです…」と、ヘルミオネは口に手を当てた。
「ダザの女装ちょーかわいー!」
火柱の中からもう1人起きあがった。
「………あなたはマスターが一度泥水で食事代を貸しただけの関係のウロさん!」
「頭いってェー。なんだここ?」
「すみません、こんな時になんですがあとで50ゼヌ返してください」
「なんで俺がお前に。」
「そうか、お金を貸したのはマスターで、私は只のオートマトンで、マスターはもう死んでて、ああ、こんがらがってきた」
ブォーム。
金属の竜が眠そうに欠伸をした(床が焦げた)。
実はもう1人召喚されていた。
「わーん、ママぁー!ママぁー!」
小さい女の子。
ヘルミオネの脳裏に一瞬で検索結果が出た。
「…サラ。」
「なに?」
「マスターの娘です…ね。召喚魔法を使うとき、この子の映像が混じってしまったのでしょう。」
ヘルミオネはサラを抱っこした。
女の子は一瞬で泣き止んだ。
「……パパ?」
「違います。あなたのパパは、」
死にました、という言葉をヘルミオネは言えなかった。
夢路は舞台の右袖を指差した。
「……あれが敵?(あのお姉さん超見たことある)」
「そうです」
「あれを倒すの?」
「はい」
「手伝おうか?」
「いえ、夢路さんはこの子を連れて逃げてください。」
夢路はニヤリと笑うと
「やぁ〜だね!」
「・・・あの」
「おっとこんなところに便利な紅い糸が」
精神感応網を通ったおかげでいったん外れたらしい。
夢路はその糸でもってヘルミオネの背中に女の子をくくりつけた。
「・・・あの、すみません、ちょ」
「あっはっは!!これで死んでも死ねないね!!!これぞ背水、いや背子の陣!あーっはっはっはーっっ!!がんばれ生きろダザ、カッコ悪くな!」
「夢路てめーいつかコロス――ッ!!!」
ヴィジャは暇であった。それというのも英雄召喚と言いながら特に英雄があらわれなかったので。
ダザらしき魂の糸に引っ張られて精神感応網を行く途中、いろんな人に出会った。
「夢路さん!」
「あ〜、ソラちゃ〜ん」
ぱしーん。平手で頬をはたかれた。
「いい加減にして、ね。」
「うう、暴力酷いわ…ドメスティック・バイオレンス…」
「私、夢路さんのせいで大事な人にひっどいことしちゃったから。次に現実世界で会ったときも殴るんで、そのつもりで」
「ごっめーん…だって恋する少女の夢ほど美味しいものはなごめんなさい反省してます!!」
ソラはもう1発殴ろうとしていた手をひっこめた。
「帰り道わかった?」
「うん。もう見つけたよ。記憶の欠片は無くしちゃったけど、大事なものはちゃんとあるから」
「ほぉ〜。さすが、強いね」
ソラの魂は道を急いでいたのでダッシュで行ってしまった(別れる前にもう一発殴られたが…)。
次に会ったのは黒髪のシスターだった。
ヘレン教のシスターが黒髪。
なんだか変な気もしたが、
「すまないが情報を検索させてもらっている。このあたりで一番安全な場所はどこかな?」
「ああ、たぶん商店街が安全ですよ。夜中なのにほとんどの店が開いてるみたいですね。武器屋も食堂も床屋さんも張り切っちゃって」
「……ヘレン教徒でも安全か?」
商店街は黒髪の人が多い。
「大丈夫ですよ。少なくともこんなに綺麗な星夜ならね」
「ありがとう。なら子どもたちはそこに避難させよう」
そう言ってシスターは消えてしまった(現実世界に戻った)。
最後に、青い髪の少女に出会った。
エーデルワイスが連れてきてくれたのだろう。
強くてまっすぐな瞳の女の子だ。
だが、その強さは過去のもの。
今の夢路は弱い。
この子と別れてからの14年間、言い訳と正当化を積み重ねながら生きてきた。
記憶が戻っても夢まで戻るわけじゃない。
信じていた上司に自分の子を殺されていた事実には確かに傷ついた。だが、私だってあれから沢山の酷い事をしてきたんだ。
その罪は消えない。
反省もしない。
過去は過去は過去だ。
だが少女は言った。
「ただいま、夢路」
「―――おかえり、私」
私も帰ろう、と思った。
この戦いが終わったら。
仲間がいて、子どもたちがいる、私の「家」に。
帰ろう。
この町はたくましい。町とは人間だ。生きようとする心が集まり、歪な形で合体して共同体となる。そこに善も悪もない。命は命を生み、心は心に触れ、どんどん繋がり、どんどん連鎖し、新たなエフェクトが街を覆い、新しいこの町の姿へ近づいていく…
未来はある。
しかしあなたは視ることができない。
この物語はもうすぐ終わり。
***
「ばいばーい、夢路のおばちゃーん!」サラが手を振る。
「うーん、また遊ぼーねぇ〜」夢路もヒラヒラと手を振った。
夕暮れ。
赤。
時計塔の鐘の音が、子どもがごはんを食べるべき時刻をお知らせしている。
夢路は時計塔を見上げた。
(これでよかったのかなあ?)
町は生きていく。今日も明日もあさっても。あらゆる孤独と不安と矛盾を抱えて。
(私たちは負けた?それとも勝った?)
作戦は失敗したが、この町のシステムは大きなエフェクトを受けてひんまがった。いい方向に、かはわからない。収束したように見える事態はいろいろゴチャゴチャしていて把握しきれない。
(これからだよね。何もかも)
私はこれからも、自分がやるべき仕事をするだけだ。
私は真面目なんだ、こう見えて。
いつもの道。少しずつ人通りが多くなる夕刻の裏通り。崩れそうな階段、懐かしいボロい建物の二階へ。
ギギィと、扉を開く。
「ただいま〜」
部屋は真っ暗で誰もいない。
いや、客人が二人、いた。
「遅かったな、《獏》」
「《ジェネラル》・・・」
上司が暗闇の中に立っていた。その後ろにはいつもの巨乳美女。
夢路は食ってかかった。
「出てって。ここは男は入るなって言ったじゃん!」
「そんなこと言ってる場合か。」
「みんなはどうしたの!?」
「本部に移動してもらった。エフェクティヴの緊急集会だ。これからの作戦をキッチリ練んなきゃいけないからな。お前もすぐ来い、という連絡を伝える。それから、この基地を引き払う」
「……なに言ってんの?」
「ここは目立ちすぎる。武力が整うまで、街の中心部に基地を置く必要はない。」
「嫌!ここは私の家だ!出てって!男は出てけっ!!」
「そう言うと思ったぜ。だがお前の意志は関係ない。抵抗するなよ。《セクレタリ》、」
巨乳美女は左腕を失っていた。上司に言われて彼女は、残った片腕で相棒のフリントロックピストルを構えた。
だが夢路にではなく、オッサンの背中に。ごつり、と。
「申し訳ありません、《ジェネラル》」
「・・・裏切る気か?」
「あなたは、今回の作戦失敗の責任をとって自害。そういう筋書きです」
見れば、《獏》は涼しい顔をしていた。
謀られた。と男は気づいた。
「あなたは私の尊敬する師。しかし、あなたのやり方は間違っていた。今回の失敗で、それが証明されました」
「つまりー、老害ってわけだね♪」
嬉しそうにはしゃぐ《獏》。なるほど、いかにもこいつが好きそうな筋書きだ。
「私、貴方には結構恨みがあるけど。でもそれは赦す。全部赦す。でも死んで、ね?あっはっはっはー!」
命運尽きたり…か
思えば残酷な因果だった。沢山の仲間が死んだ。自分は常に前線に立ったつもりだったが、英雄の死には恵まれなかった。こんなに生き残ってなお、理想ははるか遠い。
ケラケラ笑う女を見る。
コイツは最低の阿呆だ。だが、こんな阿呆な理想を継げるのも、阿呆だけだ。
彼はゆっくり両手を上げると、
「また会おう。―――地獄で待ってる」
銃声。
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本名、ユメジルコア・チグリス。
《獏》。心理暗殺士。
エフェクティヴ中央支部の基地長。
女尊男卑の差別主義者。
そしてリリオットの新しい通信体系《テレパシー・ネットワーク》の実質的支配者。
彼女が撒く新しい差別の種が、リリオット中に芽吹くまで、あと十年とかからないだろうと思われる。
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