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HP70/知5/技4
・追憶剣エーデルワイス/400/0/117 炎熱凍結封印吸収混乱防御無視
・紅い糸/20/0/8 封印
・愚霊剣/32/0/11 防御無視
・精霊マント/0/30/5
・乱舞/4/0/1
1:相手が何も構えていなければ「乱舞」。
2:相手が防御無視でなく、かつ残りウェイトが4以下なら「精霊マント」。
3:相手の防御力が10以下で、かつ残りウェイトが8以上なら「紅い糸」。
4:相手の防御力が4以上なら「愚霊剣」。
5:さもなくば「乱舞」。
女。
骨董屋"螺旋階段"店主。同時にリソースガード所属。
リリオットの街外れの、廃墟の塔に住み着き骨董屋を営む女性。
20歳。身長150cm。緑色の瞳。腰まで届く真っ白な髪。童顔と低い身長が悩み。
元々は旅人だったが、リリオットに来てからはリソースガードという稼ぎ口を得て、ほぼここに留まっている。
払いが良くても気が乗らない依頼は避けるが、興味のある仕事は安請け合い。
考えるより先に行動する陽気な性格だが、時には足を止めて思考に浸ることが趣味として好き。
それ以外の趣味は日記を書くことと露天巡り。
依頼をこなす内に集まってきた人脈とガラクタを有効活用しようと骨董屋を始めて、もう数年になる。
店舗代わりの塔を昇るための螺旋階段には、彼女が集めてきた骨董品がずらりと並んでいる。
未鑑定のものを除き、高い所にある品の方が価値も高い。
元は廃墟でも入り口の鍵だけは修理されているため、空き巣し放題というわけにはいかない。
「ん、いらっしゃいお客さん。あなたは何をお探しなの?」
「私もこれでもリソースガードだからね。困ったことがあれば、力になるよ」
「あぁ、その代わりにちょっと聞いてもいい?実はね……」
【彼女の目的】
ある日彼女は、馴染みの骨董屋仲間から曰くつきだという一振りの魔剣を買った。
正直ガラクタだろうと思って試し斬りをしてみれば、確かにそいつは魔剣だった。でもガラクタだった。
追憶剣エーデルワイス。彼女の想像を遥かに超える威力。それを上回る使用上の制約。
実戦では到底使えない剣。さっさと捨てようと思った。
だが気付けば彼女は魔剣に取り憑かれ、手放すことができなくなっていた。
とんだお荷物を背負い込んでしまった彼女は考える。どうすればこの剣はどこかにいってくれるのかと。
今はこの魔剣についての情報、剣そのものに詳しそうなひと、この魔剣を欲しがりそうなひと、何でもいいから解決策を探している最中である。
「……と、こういうわけ。何か知ってたら、教えてくれない?」
【スキルについて】
自分の店の骨董品の中から、使えそうな道具を戦闘用に携帯して活用する。
「追憶剣エーデルワイス」鞘も柄も刀身も、全てが真っ白な剣。
鞘から剣を抜くための条件は、『今までの人生全てを振り返ること』。
覚えていない記憶は剣が思い出させてくれる。しかし誕生から現在までの全ての記憶を辿りきるまでの間、完全に無防備となってしまうため、実戦ではまず使えない。
そうして追憶した記憶が魔剣の封印を解く鍵となり、解放された刃は白い光のようなエフェクトを放つ。
この魔剣に取り憑かれてから、ソフィアの髪は真っ白になってしまった(昔は金髪)。
「精霊マント」精霊を宿した黒い多機能マント。
マントに縫い込まれた刺繍の模様によって、宿した精霊の性質を変えられる。
布を頑丈にすれば防具になるし、熱や冷気だって防いでくれる。
ただし刺繍がほつれやすく、ほつれると本来の機能を発揮してくれないので、お裁縫が得意な人向け。
「愚霊剣」人為的に質を劣化させた精霊を宿した短剣。
この短剣で切ったものには劣化した精霊の一部が宿り、相手の防御も脆くしてしまう性質を持つ。
切れ味も良いのだがとても脆く、錆びやすい。
すぐ品質が落ちて使い物にならなくなり、武器を売る者にも買う者にも不評だったため、今は製造されていない。
ソフィアは店を始めて間も無い頃、在庫一層セールに出されていたこれを大量に売りつけられた。
「紅い糸」博愛を説き暴力で死んだ女性の髪を編んで作られた赤い糸。
あらゆる暴力を憎む怨念が篭ったこの糸を、暴力を振るう者に絡めつけると、そのまま相手を締め付けて拘束する。
相手の肉が裂けて血が流れるほど強く締め付けるために、血の赤が糸に染み付いて取れなくなった。
普段はただの頑丈な糸。荷造りにも使える。
「乱舞」ソフィアの戦いの心得。
武器になるものは何でも利用して、手数重視の近接格闘戦を行う。
彼女が一番得意な武器は剣だが、その気になれば欠けたペーパーナイフでも、割れた食器の破片でも人は殺せる。
使い方さえ知っていれば、世界には危険物にならないものなんてあんまりない。
一戦闘者の心得として、彼女はそうした即席の凶器を常に持ち歩いている。
ルート
傭兵部隊リソースガード、そのクエスト仲介所には、主に二通りの人が集まってくる。
困っている人、困り事を求めている人。
その基準だと今の私は、そのどちらでもあった。
「……はい、これが今回の依頼の品」
私は懐から小箱を受付の女性に渡す。
「確認させてもらうわね」と、彼女は箱を開けて中身を検分する。
「……うん、品に間違いは無し。良く見つけてきたわね、こんなの」
「ま、副業が副業だしね」
「もう本業みたいなものじゃない?ともかく、これなら依頼主も文句無いでしょ。仕事も早かったし、ちょっぴりボーナスも付くわよ」
「やったっ」
思わずぐっ、と拳を握る。ボーナスと言っても大した額じゃないけれど、それでも働きが評価されて悪い気はしない。
今回の依頼は失せ物探し。どこぞのお金持ちさんが、街で落とした大事な物を見つけるお仕事。
私はどっちかというと表通りの大きなお店よりも、小さな露天市の方に顔が広い。
高値な落し物なら間違いなくそちらに流れていると思ったら案の定。
買い手がつく前に見つけ出せたのは幸運だった。
「それじゃ、これが報酬。品の方は私から依頼主に渡しておくから」
「ん、ありがと。……それで、いつもの件だけど」
「分かってるって」
渡された硬貨袋の中から、何枚か取り出して渡す。
気が付けば、私が依頼の報酬を「ある情報」のために使うようになって、もう随分経つ。
「"剣に詳しい人"か"腕の立ちそうな剣士"の情報でしょ?けど正直、この街の目星い剣士や武器屋や武器職人や武器マニアの情報は渡しちゃったのよねぇ」
「街の外から来た人についてはどう?」
「そっちもなかなか。この街に来る剣士や武器職人の数って相当よ?調べ切るのは絶対無理ね」
投げやりに返事をする彼女に苦笑を返す。面倒な頼み事をしたものだと、少し申し訳なくもなる。
それが表情に出てしまったのか、彼女は気にしないで、という風に手を振ってきた。
「魔剣の呪い、だっけ。早く解けるといいわね」
「……ん、ありがと」
笑顔と共に心から感謝を告げる。
情報代の硬貨を残したまま踵を返し、仲介所の外に出る。
街道を歩き出せば、真っ白な髪が追い風になびくのが視界の端に映る。
……それが自分の髪だということに、まだ違和感が残る。
「……あなたと別れるのは、もう暫く先になりそうだねぇ」
ぽん、ぽん、と腰の剣を撫でる。私から決して離れてくれない剣を。
"彼女"を手放す術を求め、今日も私は街を行く。
自分の知らない事は、他の誰かが知っている。
ならその人を見つけ出せばいい、だけなんだけど…
「悪いが、そんな剣の話は知らんね。お役にたてなくてすまないが」
「……そうですか。いえ、お時間とらせてすみません」
現在の所、それは芳しくない。
最近の私の日課の一つ、宿屋巡り。勿論、寝るところに困っているわけじゃない。
探す宿はソウルスミスと縁のある……つまりは"外"からきた職人や商人が多く泊まっている宿。
そこで魔剣について尋ね、話を聞かせてもらう。
そういうやりとりを繰り返しても、有益な情報はほとんど出てこない。
「……っと?」
今日も空振りかな…と思っていると、不意にガラスの砕ける音と、男の悲鳴。
何事かと思って見回せば、食堂の隅で何やら揉め事らしい。
「何事だ、あれは?」
「さぁ……」
今まで話を聞いていた商人の言葉に、身の入らない相槌を返す。
見たところ、揉め事の中心になっている一人は男性。格好は貧民街のそれに近く、どうもこの宿には似つかわしくない。
もう一人はその男の首元に刀を押し当てる女性。金髪で、鋭い目つき。
優勢なのは女性の方。男性の襟首を掴み、刃を付き突けているところを見れば一目瞭然に。
けれど、女性から逃れるようにばたつく男性の手の動き。それが少し……
「それじゃ、私はそろそろお暇しますね」
「お、おい」
「お話、ありがとうございました」
喧騒に戸惑う商人に一礼し、席を立つ。
荷物から紅い糸を一本引き抜き、押さえつけられている男に放る。
糸は男の手首に絡まり……そのまま、きつく腕を締め上げる。
悲鳴と共に、男の手から小さなナイフが零れ落ちる。
「事情も知らない奴に口出しされたくは無いだろうけど。殺しあうにしろ話しあうにしろ、場所を変えたほうが良くないかな?」
こちらを見る(男の方は見えなかったかも。顔面に氷が張り付いていた)二人に告げる。
余計な事だった気もするけど、胸中で自己弁護するなら、この行動については一応、考えがあった。
考えの一つは、聞き込みを邪魔されたことへのちょっとした八つ当たり。
「できれば、私も聞きたい事があなたにあるんだけど…取り込み中みたいだしね」
もう一つは揉めてる二人の内、女性が持っていた刀があまりに見事だったから。
彼女なら、私の剣について何か聞けるかもしれない。
「……ずいぶん手馴れてるね」
宿を出て、人気の無い裏通りへと場所を移し。
金髪の女性(名前はリューシャと言うらしい)の尋問の手際の良さに、感心半分呆れ半分で呟く。
「ま、技術目当ての産業スパイなんかを結構扱い慣れてるから……、うん?」
こちらに答えながらも尋問を続けていたリューシャが、男の漏らしたある言葉に反応を示した。
"ジフロマーシャ主催の、精霊精製競技会"。
リリオット全域という規模で参加者を募集している競技会。優秀者は当家お抱えの作業員に抜擢するという告知に、精製技術者達は色めき立っている。
気になったのは、大規模過ぎないかということ。
精霊関連の技術はリリオット最大の財産のはず。これだけの規模の競技会では、技術漏洩のリスクも高い。
何か裏があるという噂も巷で流れている。それが笑い飛ばせないほど、セブンハウスの暗い噂は多い。
男が語った話に、私からそうした補足を加えてみても、リューシャの瞳に宿った輝きは変わらなかった。
「察するに、あなたの目的はこの街の精霊技術の獲得、かな?」
「……あなた、リソースガードだそうね。だとしたら、あなたはわたしを咎める?」
「ううん、別に。骨董屋が職人のする事に口出ししてもね。……ああ、そうだ」
ふと思いついて、私はごそごそと自分の荷物の中身を漁る。
『職人』と表紙に書かれた小さな手帳を探し当てると、それをリューシャに投げ渡す。
「……これは?」
「リリオットのめぼしい武器職人のリストだよ。ソウルスミス所属者からそうでない人まで、色々ね。
何人かは、以前私が依頼を受けた相手もいる。"螺旋階段"のソフィアの紹介だって言えば、話を聞く気になってくれる人もいるんじゃないかな」
リソースガードで買った情報と、自分がこれまで積み重ねてきた依頼と人脈には、それなりに自信がある。
と言っても、ソウルスミス所属者で技術を外部に明かす者はいないだろう。
逆に非所属の職人と彼女が交流しても、リソースガードの私が咎めることじゃない。
手帳を受け取り、怪訝そうに私を見てくるリューシャに、私は微笑みを返す。
「なぜ、これをわたしに?」
「私にはもう必要ないし、あなたに渡した方が役立つかなって。頼み事をするのに、お礼も無しじゃ失礼だしね」
表情を真剣なものに変えて、私は自分の剣をリューシャに見せる。
鞘から柄まで真っ白な剣。
「名は追憶剣エーデルワイス。私はこの剣に呪われててね、何度手放してもすぐ手元に戻ってきちゃう。
この剣について、あるいはこうした魔剣や呪いについて……何か知っていたら、教えて欲しい」
「……結局、今日も収穫なしかぁ」
結局リューシャからも、エーデルワイスについて確たる情報を得る事はできなかった。
とは言え、他の心当たりを教えて貰えたのは幸いだった。
鍛冶屋を師匠に持つ黒髪の少女。
呪われた凍剣を持つ黒髪の男。
また何か分かればと、リューシャには自分の店の場所を伝えておいた。何か買う時はサービスするよ、と付け足して。
「さて、っと……今日はもう帰るかな」
今から黒髪の少女…えぬえむの宿を尋ねるのは気が引ける。なにせ先程騒ぎを起こして出てきたばかりだ。
明日の朝に再度訪ねて、それからリソースガードの仲介所で、凍剣の男についても聞いてみよう。
そう今後の計画を立てつつ、ぼんやりと空を見上げながら帰路を歩く。
「……、…………」
「おい、そこのお前!」
「っと?」
呼びかけられたのに気が付き視線を戻すと、武装した数名の男がこちらを見ていた。
殆どは傭兵らしき風体だが、その中に混じって公騎士団員と思しき鎧姿の男がいる。私に声をかけたのは、その男らしい。
「……何か御用ですか?」
「我々は現在、逃亡中のある事件に関わる重要人物を追跡中だ。歳格好は十代半ばの女で……」
公騎士の男は人相風体を伝え、そうした人物を見なかったかと尋ねてくる。尋ねると言うには、随分高圧的だったけれど。
「んー、そんな女の子が一体どんな事件を?」
「機密事項だ。いいから見たのか、見なかったのか」
「…………」
横柄な態度にうんざりしつつ、私は適当な方向を指さす。
「あっちに駆けていくのを見ましたよ。随分焦ってる様子だったけど」
「そうか。よし、行くぞ」
公騎士の男はそのまま礼も言わず、傭兵達と共に駆け出していった。
ふぅ、と溜息を吐きながら、私は独り言を呟く。
「高い所は目立つから、適当な所で降りて身を隠したほうがいいよ。
もしも隠れる場所の当てがないなら、東区の外れの塔に来てもいい。
私としては、そこで買い物もしていってくれれば万々歳だけど」
あるいは、さっき上を見ていたら、ちらっと見えた人影への言葉を。
隠れているのかもしれないし、もう立ち去った後かもしれないけど。
それだけ呟いて、私はまた帰路を歩む。
やっぱり余計なお節介、とは思うけど、どうにもこれは性分だ。
目の前で起こった事には全力で取り合わないと、どうにも気分が悪い。
私がエーデルワイスについて調べるのも、そうした気持ちが強く働いている。
リリオットの東の外れに建つ、苔生した廃墟の塔。
そこに多少の改修を施したものが、私の骨董屋"螺旋階段"の店舗兼住居になる。
最初ここに住むことに決めたのは、単に金銭の問題だったりするが。それから2、3年になる今ではすっかり馴染んだ我が家だ。
「朝、露天市にて依頼の品を発見。リソースガードに届けて、クエストを達成。
仲介所で求めた情報は無し。そろそろ切り口を変えて調べるべきかな。
宿屋巡りの最中に刀匠の女性と出会う。名前はリューシャ。
彼女から、他に魔剣について知っていそうな人を紹介してもらった。
帰り道で公騎士団が誰かを追っていた……」
その店舗の窓口に居座りながら、私は今日の出来事を日記に綴る。
窓口と言っても単に、陳列棚にしている塔の螺旋階段の下というだけだけど。
マントに包まりながら、カップに注いだお茶を一口。
「ま、こんなところかな。……ん?」
日記を書き終えて一息ついたところで、小さな足音が耳に飛び込んでくる。
開け放たれている塔の入り口を見れば、先程見た屋根の上の少女がそこにいた。
「あの……」
「いらっしゃい。早かったね」
微笑みながら立ち上がると、彼女を塔の中に招く。今日はもう店じまいしたほうが良さそうだ。
保温容器から、別のカップにお茶を注いで差し出す。
「飲む?」
「あ、ありがとうございます」
おずおずとカップを受け取った彼女に、じゃあまず最初に、と言葉を紡ぐ。
「乗りかかった船だし、私はあなたの味方をするつもり。それこそあなたが私に直接危害を加えたりしない限りね。
だからあなたも、私の事を信用してほしい」
「……どうして、あなたは私を助けてくれるんですか?」
「一度関わった事は、最後まで付き合わないと気になっちゃう性分でね。逆にこれ以上関わるなって言われちゃうと、少しもやもやする」
答えながら苦笑する。我ながら自分勝手な理由だなぁ。
「ボロい店だけど、それでも寝床や食事くらいは出せるよ。他に頼る当てがあるなら、そこまで護衛してもいい。これでも腕に覚えはある方だから」
話を続けながら、私室にしている塔内の一室の中を見せる。毛布は予備があるが、ベッドは一つ。
彼女が泊まっていくなら夜は番をしているつもりだし、問題無いかな。
「その代わり、あなたの事情を聞かせてほしいな。その方が、今後の予定も立てやすいし」
私の問いかけに、彼女は数秒の沈黙の後に、小さく頷きを返す。
……その段になってようやく、私はまだ自己紹介をしていないのに気付いたのだった。
互いに自己紹介を終え、話を聞けば、大凡の事情は知る事ができた。
彼女の名前はソラ。あのフェルスターク一家殺害という、身に覚えの無い容疑をかけられているらしい。
濡れ衣にしか思えないが、事実として公騎士団が動いているのは厄介だ。
容疑を晴らすには、彼女に犯行は絶対に不可能だったと証明するか、真犯人が見つかるか、くらいだろうか。
「誰か、あなたを信じて助けになってくれる人はいる?逃げ出した時に助けてくれた人達とか」
「あ、助けてくれたのは《花に雨》亭っていうお店の店員と別のお客で……あとは私、ヘレン教の礼拝堂の掃除してますから、そこの人達にも知り合いが……」
「ヘレン教、かぁ」
少し考える。戦乙女ヘレンへの信仰と弱者救済を掲げるヘレン教。ソラが教会に駆け込めば、匿って貰うこともできると思う。
しかし現在のヘレン教はセブンハウスの仮想敵政策の矛先を向けられる期間中。下手を打てば組織間の対立に巻き込まれる可能性も……無いとは言えない。
「……悲観し過ぎても仕方無いね。じゃあとりあえず、ソラ」
「は、はい」
「今日はもう寝ようか。明日は早いからね」
気付けばすっかり日は暮れていた。
真夜中に行動するのは騒動の元だし、もし夜間巡回にでも鉢合わせたら面倒なことになる。
そう説明してソラをベッドに押しやって、私は苦めの珈琲で夜を明かした。
※
「……ふあぁ」
翌朝。塔の窓から降り注ぐ陽光を浴びながら、私は欠伸を噛み殺す。
今日はまず、ヘレン教会までソラを送っていき、そこで彼女の助けになってくれる人物を探そう。
「……ソラはまだ寝てるかな」
珈琲をまた一口啜りながら、寝室を見やる。少しは具合が良くなっているといいのだけれど。
ソラの事情を聞いた後、私は駄目元のつもりで、彼女にもエーデルワイスについて尋ねてみた。
すると予想外なことに、彼女は不思議な魔術によって剣の解呪を試みてくれた。
解呪できなかったことは気にしていない。気になったのは、その魔術がソラにとって消耗を伴うものだったこと。
消耗の程度は分からなかったが、大事を取りたかったのも日を改めた理由だ。
「……私の事情で、無理させちゃったかなぁ」
なら私も、彼女の行動に見合う働きで報いないと。
決意を固める事で眠気を散らしていると、ふと外から近付いてくる足音を耳にする。
「あぁ、すみません、今日はお店やってないんです……」
誰か知らないが、今はお引取り願おうと入り口を見て、思わず言葉が止まる。
そこに居たのは黒髪の男性。背中には剣を背負っている。
その姿を見て私は、リューシャから聞いた凍剣の男の事を思い出していた。
……今は、ソラのことが最優先。
けれど少しだけ、話を聞いてみよう。
新しい来客の名はマックオートと言った。
彼が見せたのは、呪われているという青白い刀身の凍剣……やはり、彼がリューシャの言っていた人物らしい。
彼にエーデルワイスを見せてみるとマックオートは暫くそれを観察する。途中、剣に自分の過去を"追憶"させられたのか、一瞬ぼうっとしていたけど。
それから変化した私の髪を見た後で、こう言った。
「恐らく、この剣はある部分で君と一体化している。だから、手放しても戻ってくるんだ。
君のどこかに手放したくないものがあるはず。それを捨てれば、剣も一緒に捨てることができる」
「手放したくない、もの……」
「呪いは目に見えない。しかし、呪いのせいで目に見える部分が左右されている。
だから、目に見えない部分で解決ができないと、目に見える部分も解決できないんだ」
「………」
目に見えない、手放したくないもの。一つだけ、心当たりがあった。
……そもそも、考えれば単純な事だった。この剣を手にしてから、私が調べた事は何だったか。
職人、商人、剣士。尋ねる相手は皆剣に関わる人ばかり。
どういった呪いなのか、呪いそのものや呪いを解ける人を詳しく調べようとはしなかった。そっちの方が大事な筈なのに。
……たぶん、無意識に目的がすり替わっていた。手放すことより、この剣を知る事に。
目の前で起こった事を放置できない。正体不明のこの剣を、分からないまま放棄できない。
その思いが剣と私を強く結びつけているのなら、私はこの剣の全てを理解する必要がある。
結局はこれまで通りかな、と私は肩をすくめる。
「ありがとう、少し分かった気がします」
マックオートに笑顔で頭を下げる。お礼に何か…と思ったが、生憎私の店にも呪いを解くのに使えそうな品はない。
……寧ろ呪われてるんじゃないかってくらい、癖のある品の方が多い。
「そうだね……今この街に、リューシャっていう刀匠の女性が来てる。
彼女の持ってた剣も、たぶん凍剣…だと思う。その人なら、何か助言もできると思います」
彼女の居た宿の場所を告げる。こんなことしか分からなくてごめんなさい、と頭を下げる私に、気にしないでくれ、と彼は笑った。
また何か分かったらここで、と約束して、マックオートは去っていった。
マックオートが去った後、私は外出の準備を整える。
道中荒事となる可能性もあるし、と私は荷物袋の底から小さなボトルを取り出す。
精霊水。真水に精霊を溶かし込んだ物で、傭兵の間では戦闘で消費した精霊を緊急時に補給するのに使われる。
体内の精霊のストックと合わせてどれだけ戦えるか計算しつつ、ボトルの中身を煽る。
補給した精霊を軽く駆動させ、身体に馴染ませる。その感覚をいつも、私は身体の中で歯車が回るように感じている。
※
物質に宿り、本来の力を上回る力を発現させる。多方面に応用される精霊技術でも基本になる技術の一つに、精霊駆動がある。
ある精霊学者によれば、物質に宿った精霊は、精神と物質の疎通を仲介するという。
肉体は、本人の意思が無ければ動かない。言い換えれば、肉体は人の意思を動力に駆動する装置とも言える。
肉体以外の道具にしても同じ。それは人の意思によって使われるものだ。
精霊は、この精神→物質の流れの間に入り込むという。そして精神の働きを受けて"駆動"し、その力を増幅しながら物質へと伝達する。
抜け落ちた機械の歯車を埋めるように、精霊が間に入ることによって、物質は精神の力をより強く受け取ることができる。
この学説は人の意思に反応する『精霊繊維』の存在、精霊が人の精神が結晶化した存在だという他派の説にも通じる点を持ち、信憑性の高い理論とされている。
※
準備を終えた私は、ソラのいる私室のドアをノックする。
「起きてる?開けるよー」
がちゃり。部屋に入れば、ソラは既に起きていた。傍に寄って見れば、目元にうっすらと隈が見える。
「あまり寝てなかったみたいだけど。怖い夢でも見た?」
「……っ」
冗談のつもりで言ったのだが、彼女はびくりと肩を強張らせた。
「ご、ごめん。悪気は無かったんだけど……」
「う、ううん、気にしないで」
慌てる私に首を振る彼女。ともかく蒸し返しても仕方無いし、と私は動揺を抑え、本題に入る事にする。
「えっと、身体の具合はもういいの?」
「うん、大丈夫。魔術を使った後の一事的なものだから」
「良かった。じゃあこれからの事だけど、ヘレン教の助けを借りようと思う」
ソラの味方につくといっても、私一人でできることには限りがある。ソラもずっと追われながら隠れ続ける訳にはいかないだろう。
協力してくれる人を増やし、事件について独自に調べ、解決策を探る。それが私の考えだった。
「……ってところだけど、これ以外でやりたい事、行きたい所はある?あ、それとお願いが一つだけ」
私はぴっと指を立てる。念のために、だけど。
「もしも公騎士や傭兵に襲われても、魔術は極力使わない事。もしそれで倒れちゃったら、本末転倒だからね」
互いに身支度を整えると、私とソラはすぐに塔を出発した。
塔からヘレン教会のある住宅街へ向かうには、住宅街と農耕地を繋ぐ林道に出るのが一番早い。
人通りの少ない道なので、上手くすれば誰にも見咎められずに通り抜けられると思ったのだが……
運悪く、住宅街の方から一人の騎士が通りがかる。おまけにその騎士はすれ違い様、突然振り返り叫んだ。
「ソラちゃん!」
反射的に動く。ソラを自分の背後に隠し、腰の剣に手をかける。実戦では使えない魔剣でも、ハッタリの道具にはなる。
「ソラ、離れてて!」
「ま、待ってくれ!俺は戦う気も誰かを呼ぶつもりもない!」
きつく相手を睨み付ければ、相手の騎士は戦意が無いことを示してくる。
話を聞けば、ソラとこの騎士は知り合いらしい。最初に『ソラちゃん』と彼女のことを呼んだ事を思い返し、私は構えを解く。
「よかった無事で……この道を進んでいるということはこれから教会に?」
「うん……」
ソラとハスと言うらしい騎士は、そのまま気心が知れた様子で会話を交わす。
その間私は二人から視線を外し、誰か来ないかと周囲を警戒する。
道はそれなりに整備されており、林に逸れなければかなり遠くまで見通すことができた。
(誰も来る様子はない……かな。けど、それだと逆におかしい……?)
人が来ないことに安堵しつつ、思考を巡らせる。そうしている内に、ソラとハスの話も終わったらしい。
「お待たせ。じゃあ行こっか」
「うん。…ところであのハスって人、仲が良さそうだったけど、彼氏さん?」
「ち、違うよ!」
軽く冗談で茶化しながら、二人で再び林道を進んでいく。
いくらか進んだところでちらりと後ろを振り返り、ハスの姿が見えない事を確認すると、私は行動に移る。
「……ソラごめん、ちょっと予定変更」
「え?わっ」
ソラの手を引いて、そのまま林道から林の中に入る。
足元の小枝や木の葉が音を立てるが仕方無い。なるべく足音を顰める努力をする。
「きゅ、急にどうしたの?」
「ソラ。あなたは知らないのかもしれないけど、公騎士団は必ず2人以上の班で活動するの。
単独での活動は、何か特別な任務でも無い限り、まず行わない」
「え……」
「近くに仲間の騎士がいる様子もなかった。気味が悪いから、このまままっすぐ教会に向かうのは避けるよ」
「でも……」
ソラの表情には戸惑いが浮かんでいる。信頼を寄せる相手を疑われれば当然か。
けれどここは退けない。些細でも不安要素は見逃せない。
「分かってるよ、これは私の考えすぎなのかもしれない。彼は本当にソラのことが心配で、規則違反も構わずに、辺鄙な林道まで来てあなたを探していたところに、私たちが運良く通りがかっただけかもしれない」
「………」
「けど例えそれがどんなに酷い誤解だったとしても、死んじゃったらそれを謝ることもできないんだよ。危険を避けるには、最悪の事態を考えなきゃいけない」
まっすぐにソラの眼を見て話す。ソラはまだ納得のいかない顔だったが、不承不承といった様子で小さく頷いてくれた。
ほっと息を吐きながら、私はそのままソラと林の中を進む。
「目立たないよう少し遠回りするけど、ヘレン教会に向かうのは一緒だよ。
教会に裏口みたいな場所はあるかな。あとは教会の人で、信頼できそうな人に手紙を書いてほしい。助けてほしいって」
歩きながら、私は荷物の中からペンと日記の千切ったページを差し出す。住宅街に出たら、小銭と一緒に子供にでも配達してもらおう。
……教会に行かずにソラの安全を護る、上手い代案が思い浮かばない自分が不甲斐無い。
そうして私達は、それから数時間をかけてヘレン教会へと向かう事になった。
ソラに二通の手紙を書いて貰ってから、私達は林を北西へと突き抜けて住宅街まで辿り着き、そのまま昼下がりの人の流れに紛れ込む。
「っと、この辺で……すみません、そこのあなた」
道中、メインストリートへ向かう適当な人物を捕まえ、数枚の銅貨と共にソラの書いた手紙の一通を渡す。
「リソースガード仲介所の、ヒヨリという女性までこれを渡してほしいのですが」
「ああ、いいよ。商店街まで行くついでだ」
快く快諾してくれた相手に頭を下げ、私達は再び教会へと歩を進める。
私が選んだ道は、やや西回りに住宅街と貧民街の境界地帯を通り抜けるルート。
飢えた貧民達が糧食や小銭を乞い、貧民街から住宅街へ溢れ出してくる地帯。
貧民街と住宅街が混ざってしまわないよう、二つの区域の間に意図的に設けられた緩衝地帯だ。
通りを歩む貧民の中には、ヘレン教の救いを求めて教会へ向かう者もいる。私達はその人の流れに紛れ込んだ。
「ヘレンは我らにパンと剣を与えし乙女。現在(いま)を生きる糧を与え、未来を切り開く刃を与えしは、過去より我らを救いし乙女……かぁ」
「……それ、ヘレン教の言葉?」
ソラが首を傾げる。心の中で呟いたつもりが、声に出ていたらしい。
気恥ずかしさに苦笑を浮かべながら、私は彼女の疑問に答える。
「私の両親が、ヘレン教の教師でね。よくこういう話をしてくれたんだよ。……二人とも、私が6つのときに死んじゃったけど」
※
ヘレン教の大教会に辿り着いてみれば、様子がおかしいのが外からでも分かった。
教会の門を叩く貧民に対応する信者の様子に、どこか落ち着きが無い。動揺と混乱を孕んだ空気が、漠然と周囲を覆っている。
何か事件だろうか、と物陰で様子を窺ってみれば、幼い子供が一人、教会の庭から出てくるのが見えた。
この教会で世話されている子かと考え、私はソラを物陰に待たせて子供に声をかける。
「ねぇ、あなた。シャスタって人の事を知らない?」
「しゃすたせんせーのこと?」
「そう。私はね、シャスタ先生のお友達から手紙を預かってるの。良かったら、あなたから先生に渡してくれないかな」
私はその子供に、ソラの書いた手紙を手渡す。手紙の端に、「教会の裏手にてお待ちします」と書き添えてから。
一緒に、ポケットから飴玉を取り出して、それも一緒に握らせて微笑む。
「こっちは先生には内緒ね。ね、やってくれる?」
「うん、いーよ!」
元気良く頷いて教会へと戻っていく子供を見送ってから、私はソラを招き寄せ、教会の裏手へと向かう。
「教会に入れてもらえたら、まずは少し休憩したいなぁ」
「私も、少し疲れちゃった……」
「服も昨日のままだし、身体洗ったりできないかな。教会にお風呂ってあるの?」
「どうだっけ?」
努めて私は他愛の無い無駄話をソラに振る。
もしかしたら、この状況により焦燥を覚えているのは、私の方かもしれない。
教会の裏手は高い金属の柵で囲われ、侵入するのは難しそうだった。
やっぱりここで待つしかないか……と思っていると、ソラが柵の老朽化した箇所を見つけてくれた。
「ここから行こう」
そう言ってソラがするりと柵の隙間を通り抜けるのを見て、私もその後に続く。が、途中でつっかえて先に進めなくなる。
腰の剣や、荷物の位置を変えてみるが、進めない。……というより、そもそも荷物がつっかえていた訳じゃなかった。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫、気にしないで」
柵の向こうからこちらを覗きこんでくるソラの視線から目を逸らしつつ、身体を捻ってどうにか隙間を抜ける。
「背丈は伸びないのに、どうしてこう無駄な所ばっかり育つかな……」
「え?」
「なんでもない、こっちの話」
這って土のついた服の胸元をぱっぱとはたき、私は改めて辺りを見回す。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、ガラス張りの大きな浴場。外から入れる扉もあり、おまけに鍵もかかっていない。以前の利用者がかけ忘れたのだろうか。
「少し、お邪魔しちゃおうか?」
無断侵入しておいて図々しい話だが、昨日からの汗を流すいい機会だ。扉を開ければ、幸いな事に先客はいなかった。
浴場から教会内に通じる扉も開けて中を覗いて見るが、通路にも今のところ人の来る様子はない。チャンス。
「よし、今のうちに入っちゃおうっと」
「嬉しそうだね、ソフィア……」
ソラが少々呆れるほど私の声は弾んでいたが、どうか許して欲しいと思う。
……だって公衆浴場に出入り禁止を食らって以来、行水くらいしかして無かったんだもの。
まさか脱衣場に置いた筈の追憶剣が、入浴中に突然手元に現れるとは思わなかった。「浴場への武器持ち込み厳禁」の掟に従い、一発退場である。
この例に限らず、この剣は大抵全く役に立たないタイミングで空気を読まずに戻ってくる。いっそ悪意を感じるレベルで。
「……ともあれ今はお風呂お風呂、と」
「そ、そうだね」
沈みかけた気持ちを切り替える。ばさりと衣服を脱ぎ捨てて、荷物と一緒に浴場の隅に置く。傷跡の多い身体は見栄えの良いものでは無いと思うが、今はソラしかいないし気にならない。
用心のために短剣をマントに包んで手元に置いてから、まずかけ湯で汗を流し、置いてあった布で身体を拭いて、湯船にちゃぷんと肩まで浸かる。
「ふぅー……」
熱過ぎずぬるくもなく、丁度良い湯加減だった。極楽。
久々の温かい湯は快適だった。一時とはいえ、無防備な状態で警戒を緩めてしまうほどに。
そして天は私の愚行を見逃さず、すぐさま襲撃者を差し向けてくる。
がらり。脱衣所へと続く扉が開く。
「?!」
ばしゃり、と湯を跳ね上げて立ち上がる。マントの中から短剣を引き抜く。だが遅い。相手にその意図があれば、確実に先制される……。
だが、扉から現れた人影もまた、動揺した様子でそれ以上の動きを見せる様子はない。こちらに気付いていなかった?湯気越しに見える相手の姿は黒髪の……男。
「うぁ、す、すみません!」
「んなっ……マックオートさん?!」
「え?ソラちゃんにソフィアちゃん!?どうしてここに?」
慌てて一度は引っ込んだ彼は、こちらが知り合いだと気付くと再び顔を覗かせてくる。
気が付くと、隅に置いた筈のエーデルワイスが、再び手元にある。初めて気の利くタイミングでやって来た魔剣を、マックオートの顔目掛け力一杯投げつける。
「とにかく出てけーっ!」
「あばばば!?」
直撃。今度こそ退散していく彼の足音を聞きながら、私は荒げた呼吸を落ち着かせる。
まずい。かなりまずい。黒髪の彼が何故ヘレン教会にいるかは分からないが、この分だとすぐに他の人間もやってくる。
ともかく湯船から上がる。濡れた身体に触れる外気の肌寒さが、思考を急速に冷やしていく。
「ソラはここで様子を見てて。危ないと思ったら、さっきの隙間から外に出て」
「え、ちょっとソフィア、服は?!」
マントで身体を覆い、右手に短剣を構えて駆け出す。狼狽えた様子のソラが叫ぶが、流石に着替えている余裕はない。
脱衣所に飛び出せば、此方に向かってくるシスターの少女と鉢合わせる。
「止まりなさい!」
警告の言葉と同時に少女が指先から光弾を放ったのを見て、私はマントの精霊を駆動させる。防御力を強化されたマントに触れた光弾はそのまま四散するが、ジュッ、という音と共に布が焦げる臭いがする。
熟達した精霊駆動術……この少女、インカネーションか。
「この忙しいときに、侵入者だなんて……!」
苛立ちと共に次弾を放たれる前に、私は手に持ったナイフを放り捨てて床に伏し、抵抗の意思が無いことを示す。
「……なんのつもり?」
「無断で侵入した事は謝罪します。しかし私は貴女方に危害を加える意思はありません。
謂れ無き罪科を課せられ、追われる身となった少女がいます。どうか彼女を助けていただけないかと、ヘレンの恩寵にお縋りすべく、無礼を承知でここまで参りました」
頭を下げ、精一杯の誠意を込めて事情を話す。下手な抵抗や誤魔化しは今は逆効果だ。
「彼女の名前はソラ、私はソフィアと申します。シャスタという方に取り次いで頂ければ、真偽は定かになるでしょう」
「シスターシャスタに…?」
「何事ですか?」
不意に聞こえた女性の声に顔を上げると、そこにはマックオートと共に、顔に火傷跡を残す、白髪のシスターが立っていた。
やってきた白髪のシスター、シャスタのとりなしによって、どうにかその場は収まった。
無断侵入についても、お説教だけで済ませて貰えたのは幸いだった。素直に反省するとする。……隣で一緒に延々と説教を受けるソラのしょげっぷりには、少し同情したが。
ひとまず服を着替えた後、私とソラは教会の隅の一室に通される。まずは詳しい話を聞きたいということで、シャスタともう一人、別のシスターも同室する。
「へくちっ」
くしゃみが出る。少し湯冷めしたかもしれない。やっぱりマント一枚で動き回るものじゃない。
もう一人のシスターがお茶を淹れてくれた。少し苦いが美味しいし、身体も温まる。
茶葉を分けてもらえないかな、と考えていたところで、さて、とシャスタが話を切り出した。
「それじゃあ、話を聞かせて貰えるかな、ソラ」
「うん……」
こくりと頷いて、ソラはここに至る経緯を語り始める。その辺りの説明は本人に任せる事にして、私は茶を啜りながら室内を見回す。
それほど大きな部屋ではないが、置いてある物も少なく手狭な印象はない。掃除は欠かされていないのか埃っぽさは無いが、生活感も薄い。普段は半ば物置になっているのかもしれない。
「……ん?」
ふと、私の視線が壁にかけられた一枚の宗教画に釘付けになる。
くい、とお茶を淹れてくれたシスターの袖を引き、小声で尋ねる。
「あの、すみません。あの絵に描かれてる人って……」
「ん?あぁ、あれは『ヘリオット』の少年時代の姿を描いたものです。ご存知ですか?」
「ヘリオット……ええ。親がヘレン教徒だったので」
ヘリオット。かつてヘレンの理解者として共に戦いながら、後に彼女を裏切った者。正邪様々に表現される、聖者にして逆徒。
宗教画に描かれているのは、ヘレンに忠実であった頃の彼を表した絵画。抜き放った剣を掲げる、純真なる白髪の少年。しかし私が目を奪われたのは、その少年にではない。
「……この絵を描いたのは誰か、分かりますか?」
「えっ?いえ、私は何も……教会の備品目録を調べれば、分かると思いますけれど」
「お願いします。どうしても、この絵について知りたいんです」
真剣な眼差しで訴える私に、シスターは戸惑いを隠せない様子だった。
絵画のヘリオットの持つ剣。その刃も、柄も、腰の鞘も、それらを染める純白も、全てが。
私が今手にする剣……追憶剣エーデルワイスと、寸分違わぬ外見だった。
事情聴取を終えた後、私は教会の中庭で休息を取っていた。
ソラの保護は問題なく行われるようだし、今後の彼女の安全については、この教会の人達に任せて大丈夫だろう。
だがソラに濡れ衣を着せた相手に、エーデルワイスと同じ魔剣を持つヘリオット……調べたいことがまだ残っている。
しかし、それをさて置いても今は少し休みたい。昨日から色んな事がありすぎて、精神的に疲労しつつある。
(もうちょっと、物事に対して手を抜くって事も覚えた方がいいのかなぁ……)
20年生きてきて身に付かなかった技術なのだから、今後の習得は絶望的かもしれないが。
ふぅ、と溜息を吐きながらベンチに座り、んーっ、と背を伸ばす。そのままぐったりと背もたれにもたれかかっていると、逆さまになった子供の顔が見えた。
「おねーちゃん、つかれてるの?」
「……ん、ううん、大丈夫だよ」
正しくは、もたれかかっている私の頭が逆さになっているだけだった。身体を起こして、気遣わしげにこちらを見る子供に微笑んでみせる。
どうやらこの中庭は、教会で暮らす子供達の遊び場になっているらしい。騒がしくも楽しげな子供達の様子を、私は目を細めて眺める。
「ね、おねーちゃんもいっしょにあそぼ?」
「私?うん、いいよ、遊ぼうか」
私はひょい、とその子供を抱き上げて、そのまま肩車する。急に視野の高くなった子供は驚いたようだったが、すぐにきゃっきゃとはしゃぎ始める。
「ほーら、ぐるぐるー」
「ぐるぐるー!」
肩車したままその場で回ったり中庭を歩き回ったりしていると、ぼくもわたしも、と他の子供達も寄ってくる。この子達全員を相手するのは骨が折れそうだが……気分転換には丁度良いだろう。
「よーし、ソフィアお姉さんと鬼ごっこする人っ。鬼の人は肩車したげるよー」
「わーい!」
※
幼い頃は丁度こんな風に、みんなで両親に遊んでもらった。
"父さん"や"母さん"は、私みたいな孤児を大勢拾って育てていた。
白い髪、金色の髪、そして黒い髪、いろんな姿の子と私は一緒に暮らした。
ヘレン教の教師だった二人がそれを行うのは、実はとてもすごい事なのだと後に知った。
優しい二人が、あの頃の私の一番の誇りだった。
そして、大好きだった優しい私の両親は。
信じ続けたヘレン教にも、救い続けた黒髪にも、拒絶されて、死んだ。
俄かに、礼拝堂の方角から喧騒が響いてくる。
何事かと思わず身構えていると、一人のシスターが中庭へと駆け込んでくる。
「何かあったんですか?」
「公騎士団です!騎士達が突然押しかけてきて……!」
動揺する彼女の説明を受けて、私は顔をしかめる。
教会側がどんな対応を取っても、既に騎士達の標的はソラから教会に移っているだろう。今年こそ本気でヘレン教を潰すつもりなのか。
ふと気付けば、子供の一人が不安そうにこちらを見上げてくる。大丈夫だよ、と軽くその子の頭を撫でて微笑む。
「……今はこの子達を安全な場所に、ですね」
「は、はい。地下倉庫がありますので、そちらに……」
「案内お願いします。みんな、今度はかくれんぼだよ!」
怖がらせないよう努めて明るい声で呼びかければ、子供達もゆっくりと動きだす。
移動を始めて間も無く、礼拝堂側からピィィィ!!と甲高い笛のような音が響き渡る。あれは公騎士団の危険信号。それが鳴ったということは、表の連中は誰かが片付けたのか。
しかし安心する間も無く、信号が合図だったかのように今度は教会の裏手から喧騒が響く。
「な、何ですか、今の音……?」
「私が最後尾を務めます。あなたは子供達と先に」
短剣を引き抜き後方を警戒しながら、シスターと子供達を先行させる。この教会の廊下は狭く、戦うなら一度に二人が並べる程度。それなら一気に突破させない自信はある。
やがて裏手へ続く廊下の先から現れたのは、傭兵と思しき武装した男女が十名ほど。
「ちっ、もうやられちまったのかよ、表の連中は」
「なっさけないよねぇ」
悪態を吐く者、軽口を叩く者。装備にも統一感は無いが、只一つ共通しているのは彼らの髪の色。
後方を振り返ったシスターが、彼らを見て思わず嫌悪の情を込めて呟く。
「く、黒髪……」
「あぁん?黒髪だから何だってんだ、ヘレン教徒がぁ!!」
激昂した傭兵の一人が突進する。私はその男の前に立ち塞がると、闘牛士が猛牛相手にするように、身に纏うマントを翻す。視界を塞がれ踏鞴を踏む男に、マントの裏から短剣を突き放つ。
「ぐげっ!!」
手応えあり。刃を捻り、内蔵をずたずたに引き裂いてから蹴り飛ばせば、男は床に倒れたきり動かなくなった。残る傭兵達の視線が、私に集中する。
「てめぇもヘレン教徒か?」
「お生憎様。成り行きで居合わせたようなものでね」
「だったら何でヘレン教徒を助ける。そんな差別主義者の気違い共を!!」
彼らの黒髪よりも尚どす黒い、突き刺すような殺意と憎悪を叩き付けられる。背後でシスターや子供達が息を呑む。これに呑まれてはならない。呑まれるな。笑え。
「どうやら見解の相違もあるようだけど、私が邪魔をする理由はもっとシンプルだよ」
憎悪に塗れた修羅の群れへ、私はにっこりと微笑んでみせる。
「乱痴気騒ぎはよそでやれ」
死ぬかと思った。正直な感想を言えば、そんなところだ。
戦闘中にマックオートが駆けつけてきてくれなければ、子供達とシスターは逃がせても、自分は殺されていただろうなと思う。
予想外の救援だったが、彼には感謝してもしきれない。子供達を地下倉庫まで送り届けた後、彼は再びどこかへ去っていった。
「あ、いたいた」
「しゃすたせんせー!」
「お前達……!」
残った私はというと、人探しを手伝っていた。探す相手は子供達の人気者、シャスタ先生。
飛びつく子供達を受け止めながら、シャスタは私を見る。
「ありがとう、子供達を守ってくれて」
「お礼は黒髪の彼にも言ってあげてください。まだ敵がいるかもって飛び出していっちゃいましたけど」
「そうか……」
それを聞くと、シャスタはどこか複雑そうな表情を浮かべる。彼女には、ヘレン教徒というだけではない事情があるのかもしれない。
そう思いながら子供達と戯れる彼女を見ていると、不意に誰かがこんな言葉を発するのが聞こえた。
「ねぇ、これも黒髪の仕業なの?」
その一言で、まるで水面に墨を一滴垂らしたかのように、暗い感情が場をゆっくり支配していく。
囁くようなその言葉を皮切りに、他の誰かも次々に言葉を紡ぐ。
「黒髪の悪魔が――」
「また私達を迫害するというの――」
「騎士達まで抱え込んで、なんて卑劣な――」
加速する。坂道を転げ落ちる岩のように、悪意に後押しされた人々は止まらない。子供達も、「くろかみのあくまが、ぼくらをいじめるの?」と、濁った眼差しで私やシャスタに問いかけてくる。
薄暗い地下倉庫に押し込められる圧迫感。不安、混乱、焦り、恐怖、理不尽だという怒り。
ヘレン教徒達の様々な感情は、「黒髪」という単語によって纏め上げられ、醸造され、やがて怨嗟の大合唱へと変わる。
「黒髪を許すな!」
「黒髪を殺せ!」
瞬く間に、大半の人々がこの狂騒に飲みこまれる。シャスタを始め正気を保っている者も、この状況に理解が追いついていない。
おかしい。いくら何でも早すぎる。こんな短時間で一集団が恐慌状態に陥るなんて。
思えば襲撃してきた黒髪達の様子もおかしかった。ヘレン教への憎悪に取り憑かれた様な……、
(扇動者がいる?)
ばっと周囲を見渡し、狂乱する人々を観察する。
誰だ。この状況を生み出すための、最初の一言を放ったのは……
「……!」
拡声器を握り、猫目を血走らせて叫ぶ金髪の女性。その声に聞き覚えを感じた私は、紅い糸を彼女に投げつけ拘束する。
糸に雁字搦めにされた女性は、それでももがきながら叫び続ける。洗脳されている?
だが、それ以上の事を調べる猶予はなく。人々の殺意ある視線が、一斉に私へと集まった。
「こいつも黒髪の手先だ!」
「捕まえろ!」
今の彼らにとっては、敵イコール黒髪の手先、らしい。掴みかかってくる人々の動きは素人だが、この数を殺さずに対処するのは厳しい。
ともかく逃げるか、と短剣を構えながらじりじりと後退する。そこで私は、倉庫内に薄く煙がたちこめ始めているのに気付く。
(火事?!)
思わずぎょっとしたが、見回しても火元らしきものは無い。だがこの煙を一息吸い込む度に、喉の痛みと脱力感を感じた私は、マントで口元を覆うと姿勢を低くする。
荒れ狂っていた人々も、煙にまかれると身体の自由を失い、次々に倒れていく。暴れていた最後の一人が倒れた後、煙の中心にシャスタが立っているのが見えた。
彼女の表情が青ざめているのが分かる。煙に殺傷性は無いようだったが、それでも親しい人達を攻撃してしまった罪悪感ゆえか。
煙が十分に晴れたのを見計らってから、私は立ち上がってシャスタの肩を叩く。
「ありがとう、助かりました」
「あ、ああ……だが、今のは一体…?」
「恐らくは洗脳。もっと言うなら、集団催眠のようなものだと思います」
「集団催眠…?」
「一個の集団の、全ての人に共通する部分を刺激して、大勢の人を一度に洗脳しちゃったわけです。この場合は、ヘレン教徒の"黒髪人種への拒絶"というポイントを狙って」
あくまで推測ではあるが。元々、ヘレン教が教徒達に植えつける黒髪への悪意はある種洗脳じみていると言ってもいい。そこをまんまと利用された訳だ。
どんな技術や魔術を使ったのか知らないが、大した手際だ。問題は、誰がそれを行ったかということだが……
私は、最初に洗脳を受けたらしい金髪の女性を指してシャスタに問う。
「彼女に普段、不審な挙動や言動はありませんでしたか?」
「まさか!ミレアンは本来、こんな事をする奴じゃない!」
この二人は友人だったらしい。ならば確かに、普段から不審な点があれば気付くだろう。
ミレアンと言うらしい女性の拘束を緩め、何か処置を受けた痕跡は無いかと探っていると、彼女の背中に浅い切り傷を見つける。
「この傷は?」
「え?あぁ、ここに来る前に傭兵に襲われて逃げたと言っていたから、その時の傷じゃないか?」
「傭兵に……」
公騎士団に雇われたと思しき黒髪の傭兵達。彼らが雇われたのは、ヘレン教徒に因縁を持つ人材を集めた、それだけなのか?
暫し沈黙して考えを纏めた私は、地下倉庫の外へと向かう。
「一つ、原因に心当たりが見つかった。シャスタ、あなたも来る、それとも残る?」
ヘレン教会内で、インカネーションに所属する一人のシスターが、数名の傭兵の死体を前に立ちつくしていた。
シスターの身体に刻まれている幾つもの傷が、今は物言わぬ骸となった彼らとの戦闘の激しさを物語っている。
「ふふ、あはは……黒髪が死んだ……」
シスターは笑っている。虚ろに、恨めしく、鬼気迫る形相で。
死体を蹴り飛ばし、傷の痛みも感じていない様子で、次なる獲物はいないものかと周囲を見回す。
「みぃんな殺さなきゃ。黒髪も、黒髪の味方する奴も、黒髪を殺さない奴も、黒髪の隣人も、黒髪と話した奴も、黒髪を見た奴も、黒髪と、黒髪に関わるもの、全部憎い!全部殺さなきゃ!」
黒髪への憎悪一色で塗り潰された心は、再現無く肥大化を続け、その矛先を向ける対象のいない現実に苛立ちを高めていく。
やがて待っていても獲物は来ないと観念したシスターは、自ら獲物を追い立てるべく教会の外へと歩きだし……
「黒髪、黒髪コロス、全部コロス……」
「はい、そこまで」
がつん。
※
教会の床に倒れてのびているインカネーションの女性を見て、私はふぅ、と息を吐く。戦闘で消耗していたらしく、不意打ちで無事に気絶してくれた。
「やっぱり、"感染源"はこの傭兵達かぁ……」
周囲で息耐えている黒髪達を見る。私が考えたのは、彼らの憎悪もまた洗脳によって肥大化され、その感情が他者に伝播しているのでは、というものだ。
「ヘレン教を憎む黒髪の悪意」が、「黒髪を憎むヘレン教の悪意」を刺激し、増幅させる。自然にも起こりうるその情動を意図的に操作できれば、へレン教徒を暴走させる洗脳システムが出来あがる。
もし上手くいけば、暴徒と化したヘレン教徒が街に黒髪狩りにくりだす展開もあったかもしれない。回りくどい気もするが、そうなれば公騎士団は世論の後押しを受け、心置きなくヘレン教を殲滅できる。
これをやった人はよっぽどヘレン教が憎いんだろうなぁ、と思いつつ、今は気絶させたこの女性をどうするか。もしまた暴れられても困る。
「牢屋とかないのかな、この教会……」
閉じ込めておければ牢でなくても良いが。女性を担いで教会内を歩き回ってみると、ほどなくそれらしい場所が見つかる。
道中でふと、留守にしてきた骨董屋の事を思いだす。「御用の方はポストに用件と連絡先をどうぞ」と、念のため張り紙はしてきたが、この分だと帰るのはいつになるか。
「……おや?」
牢に来てみると、そこには既に先客がいた。マックオートと、気絶しているソラ。見知らぬ紫色の少年に、ハスとかいう公騎士……は、既に息絶えている。
「……えっと、何この状況?」
かくん、と私は首をかしげた。
哀れ動死体と化した公騎士ハスの供述によって、今回の一件の事情は大方割れた。
ひとまずは、この襲撃が失敗に終わった時点で、公騎士にとってソラの利用価値はなくなったことになる。後はほとぼりが冷めるまで、ヘレン教が護ってくれるだろう。
……ただ、傭兵に洗脳を施したのもハスだったようだが、どうやってその技術を得たのか尋ねてみると、彼の返答は途端に曖昧になった。記憶に鍵をかけられたように。
彼らはペルシャ配下の公騎士だったようだが……これでセブンハウスの悪巧みが終わって欲しいと切に願う。
その後、私はエーデルワイスを牢屋にいたウォレスとかいう少年に預けて(半ば押し付けて)みることにした。死者を蘇らせるほどの力量を持つヘレン教徒の魔術師なら、この剣について調べてもらえば何か分かるかもしれない。
「きれいですね……」
今、私とマックオートは、眠っているソラを連れて礼拝堂のステンドグラスの前に立っていた。
美しくも強く、優しさや気高さを感じさせる色硝子のヘレンに、思わず目を奪われる。
(やっぱり、この剣はヘレンに縁があるもの、みたいだね)
やがてソラも目をさます。落ち込んでいた彼女は、。壊れたランプの代わりにとマックオートの折った折鶴を受け取ると、幾許か元気を取り戻した。
そして、マックオートの話を一度遮ると、ずっと被っていた帽子の下……翼の様な耳を見せて、自らの過去を、きっとずっと秘密にしてきた過去を、語ってくれた。
人なさざる種族の少女。魔物として追われ狩られる彼女が辿り着いたリリオット。そこで抱いた希望の幻影と、まやかしに気付いた今だからこそ、確かに彼女の心に宿った光。
「……眩しいなぁ」
ステンドグラスの前で笑う彼女は、まるでヘレンに祝福されているようだった。この子は強い。どこか保護者気分でいた自分が恥ずかしい。
「ソラなら、できるかもしれないねぇ。この街を綺麗に輝かせることも」
「そ、そうかな?」
「そうだよ。私に出来る事があったら、お手伝いするよ?」
「え、なんでソフィアが?」
「面白そうだから。あとは私も、輝いているこの街を見てみたいから、かな」
この街に住み着いて数年になるが、暮らせば暮らすほど、この街の嫌なところばかりが見えるようになってしまった。いくら覗いても底が見えないくらいの、この街の深い闇を知ってしまった。
けれど、だからこそ、見たいとも思う。どんな闇を抱えていたとしても気にならなくなってしまうほど、この街が輝いている一瞬を。心からこの街が好きだと思える事を。
「……ふぅ、にしても今日は暴れた暴れた。汗びっしょり」
「…またお風呂入るの?ソフィア」
「久しぶりのあったかいお湯だからね!ソラもまた一緒にどう?」
「え、えっと、私は……」
「あ、マックオート、覗くならばれないようにね」
「「な、何言ってんの(だ)?!」」
くすくす笑いながら告げた冗談に、二人は面白いくらい顔を赤くしてハモる。
いやぁ、若いっていいなぁ。
騒動から一夜が明けた朝、私はウォレスの個室の戸を叩く。待っておったぞ、と部屋の主は預けていた魔剣を差し出して私を出迎えた。
「何か分かりましたか?」
「多少はな。あくまで推論じゃが」
外見は少年にしか見えないが、立ち居振る舞いは老賢者を思わせる。彼が御伽噺の魔法使いその人だと言われても、私はさほど驚かないだろう。
ウォレスは自らの推察を語る。白髪から黒髪へと姿を変えたヘリオット。それはこの魔剣に憑かれ、そして解き放たれた変遷を表すのではないかと。
「彼が己の最も大切にしているものを捨て去った時、同時に魔剣も彼を見放したのかもしれん」
「大切なもの、ですか……」
「何か、心当たりはあるか?」
マックオートにも同じ様なことを言われた。少し考えてから、私は首を横に振って答える。
「何も思いつきません」
「そうか」
それだけで、彼は理解してくれたたようだった。積み重なった知性の輝きを湛えるその眼差しに、敬服と畏怖を覚える。
ふと、昨日のソラとマックオートの話を思いだす。彼らにはちゃんと大切なものがあるのだろう。今は失われていても、胸の中で残り続けるものが。
羨望や嫉妬はない。ただ、それはとても素敵だな、とだけ思った。
※
情報料として、私はウォレスから「希望」という名の、魔法細工のランプを買い取る事になった。出費は少々大きいものになったが、特に不満はない。
教会を発つ前にソラと出会ったので、壊れた物の代わりにとそのランプを贈る。
「新しい友達にプレゼント、ってことで」
売り物じゃないのかと気にするソラに、にこにこ微笑みながら押し付ける。また様子を見に来るよ、と告げて、ソラとはそこで別れる。
去り際に見た彼女の笑顔は、「希望」という言葉がぴったりだったな、なんて思いながら、私はこれからの行き先を考える。
まずは教会での事がどう伝わっているか、仲介所で噂を聞くか。それから一度は店にも戻らないとまずいだろう。
そう決めて、私はリソースガード仲介所へと向かう。
※
「あら、ソフィア。荷物は受け取ったの?」
「荷物?」
仲介所にやって来ると、受付の女性からそんな事を聞かれた。
「あれ、知らない?あなたの店あてに荷運びの依頼があったから、受けて貰ったんだけど」
「ありゃ、先に店に戻ったほうが良かったかな……」
誰から何の荷物だろう、と首を傾げていたところに、仲介所のドアを開けて黒髪の少女が入ってくる。
彼女を見て、リューシャから聞いたもう一人の心当たりの事を、私は思い出した。
仲介所で出会った黒髪の少女、えぬえむは、彼女の師からエーデルワイスについて聞いていたらしい。
遠方からエーデルワイスの情報を得た彼女の師についても少々気になるが。えぬえむの話では、良くも悪くも豪快な人物、という印象を受ける。
互いに情報交換した後、えぬえむが提案したのは「ヘレンと関わりがあるらしい、エルフに会ってみよう」というものだった。
見れば確かに、仲介所にも「第二次ダウトフォレスト攻略作戦、参加者急募」と大きく張り紙が出ている。
「ってか、100人っていうのは流石に自殺行為じゃ…」
暗に死にに行けと言われている気さえする。迷っているところに、受付の女性が声をかける。
「そういえばソフィア、あなた宛にこんなのも来てるわよ」
「私に?」
渡されたのは硬貨の詰まった小袋に、一通の封筒。封蝋にはソウルスミスの刻印。
小袋から確認してみると、入っていたのは全て同じ硬貨だった。自ら淡い光を放つ、銀色のコイン。
後ろからえぬえむが覗きこんでくる。
「なに、そのコイン?普通の銀貨じゃないみたいだけど」
「…ミスリル銀貨。ソウルスミス加盟者の間でのみ流通する貨幣で、同時に加盟者であることを示す証だよ。
……つまりは前金での仕事の依頼だね、ソウルスミス上層部からの。『ダウトフォレスト攻略作戦に参加し、下記の品を入手せよ』だってさ」
封筒の中身を取り出して、内容を読み上げる。エルフの髪、妖精樹の枝、人狼の牙等、森の生物達から得られる素材がずらりと書き連ねてあった。
依頼という形ではあるが、これは実質命令に近い。覚悟を決めるしかないようだ。
早速応募手続きをしようとする私とえぬえむに、受付の女性が忠告する。
「あなたたち、気をつけなさい。昨日ラボタ地区で派手なコロシがあった。ヘレン教会にも公騎士が襲撃をかけた。その両方にウチの傭兵が大勢雇われてる。
上層部は戦争を望んでる。傭兵も武器も食い物も何もかもが必要になる、でかい稼ぎ時をね。マズい事に巻きこまれないようにしなさい」
……忠告はありがたいが、もう手遅れかもしれない。何故かえぬえむも、きまり悪げに目を逸らしていた。
手続きを終えると、詳しい作戦内容はモールシャのバーマン卿に聞くように、とのことらしい。
モールシャの屋敷はリリオットの南。私は道順を頭の中で組み上げつつ、えぬえむに問いかける。
「ちょっと回り道してもいいかな?店と荷物の事も、少し気になるから」
「……まさかコレにも呪われてないよね私…」
"螺旋階段"に配達されていたのは、エーデルワイスと対をなす様な、真い剣。
手に取った瞬間に感じたのは、磁石のように剣が自分を引き寄せるような感覚。エーデルワイスを始めて手にした時にも、同じ様な感覚があった。
あの時のように髪や肉体への変化は無かったが。魔剣二本も抱えて歩くとかちょっと勘弁してほしい。
「送り主も分からないし、剣の性質も不明だし……」
「そういえば、エーデルワイスの性質はどこで知ったの?」
「え。実際に使ってみるしかないじゃないそんなの」
「え」
使ったの?とえぬえむが首をかしげる。いや、だってそのくらいしか最初は思いつかなかったし。
えぬえむの胡乱気な視線から目を逸らしつつ、両腰にそれぞれ吊った剣を軽く撫でる。
(私って何か、魔剣に好かれる素質でもあるのかなぁ)
ふぅ、と溜息を吐いたところで、目的地に辿りつく。
セブンハウス、モールシャ邸。私達が首のナンバープレートを見せると、守衛は奇異と哀れみの混ざった視線で、門を開いた。
※
志願者達を集めたモールシャ邸の大広間にて、私は彼らからダウトフォレストにまつわる様々な噂を聞いた。
森に潜む目(オルクス)。88年前の『盟約』。その他に大戦時代の断片的な記録。
森の恐ろしさと危険性を語る噂も多いが、こんな所まで来る連中から聞ける話と言えば、やはり森攻略の見返り、メリットに関わる話の方が多い。
「……監視されている?」
「そうさ。88年前の『盟約』以来、森は契約の不履行がないか、ずっとこの街の動向を監視してるって話さ。人間には到底扱えねぇ、エルフの知恵や技術や魔法を使ってな。
だから連中は、リリオットに住む俺ら以上にこの街の秘密に詳しい。f予算の行方だとか、封印宮の場所だとか……まぁそんな御伽噺みてぇなものじゃなくとも、儲け話の種になる情報をわんさか抱えてるって噂だ」
「噂、ねぇ……そもそも『盟約の履行』って、一体何をすれば履行されたことになるのさ」
「さあな。だがこれが本当なら、上手いことエルフを捕まえて情報を吐かせれば、億万長者も夢じゃねぇ。中には大層美人のエルフもいるって噂だしな、へへ……」
「……魔法で全身丸ごとかちかちに凍結させらえちゃえばいいよ」
溜息を一つ。「一攫千金」「怪物の討伐」といった命を賭ける理由の中に「美人のエルフ」が混ざるのだから、人の欲望って深くて怖い。自分も人の事は言えないかもしれないが。
そうして恐怖を紛らわせるかのように、必要以上に私達は無駄話を続ける。
長きに渡り人を拒み続けた、魔の森への出撃の時を待って。
「贄の時間は終わり、交渉の時間が始まる。相応の代価を支払えば、それに応えよう」
部隊が突撃から壊滅に至るまでには半刻とかからなかった。戦場から離脱した私とえぬえむの目の前には今、一人のエルフがいた。
贄という言葉からこの侵攻作戦の真意、そして『盟約』の対価についても想像はついた。私達はどうやら、幸運にも贄から除外されたらしい。
「まずは、汝らが我らと交渉するに足る者であると、証を示せ」
「証…まさか、エルフと戦ったりするの?」
顔をしかめるえぬえむ。が、私は硬貨袋から一枚のミスリル貨を取り出し、そのエルフへと投げ渡す。
エルフの女性は受け取った硬貨を確認し、小さく頷く。
「これはかつてソウルスミスが、我らとの交渉で使用したミスリル。汝らを交渉の資格ありと認めよう」
「え……ソフィア、そんなの持ってたの?」
「前金の中に入ってたんだよ。一枚だけやけに古い硬貨が混ざってるから、何かあるとは思ってたんだけど」
まさかエルフとソウルスミスの契約証書代わりだとは思わなかったが。私の内心の動揺を察したように、エルフは言葉を紡ぐ。
「かつて、リリオットという人間がこの森を訪れ、我らと契約を交わした。契約と引き換えに、リリオットとその縁者は我らと交渉する資格を得た。
交渉により、リリオットはこの地に街を興す資格を得た。
後にこの地を訪れたソウルスミスもまた、契約に加わり交渉権を得た。
リリオットの配下、モールシャは交渉により我らより土地を得た。
88年前、贄と引き換えに我らとリリオットは相互不可侵を取り決めた。
我らは人の世の慣わしに興味はない。故に人と交渉もしない。これらはいずれも、契約に基づく交渉権によるものだ」
淡々と語るエルフの女性。その姿は、伝承に現れるヘレンと酷似していることも相まって、説法を行う宗教家を連想させる。
「契約、っていうのは、一体何?初代リリオットは何を契約したの?」
「"神霊"だ。"神霊"の眠る山はドワーフの領域であり、森のエルフの力は及ばぬ。
"神霊"を求めし我らは、人を利用する結論に至った。"神霊"を探り当て、我らに献上せよ。それがリリオットとの契約だ。
リリオットの者共は契約に従い、ドワーフを狩り尽くし、山を掘り崩していった。我らに"神霊"を捧ぐ日も遠くはないだろう」
その口調に僅かな期待感が混ざる。高揚しているらしいエルフと裏腹に、私の心中と言えば(まずい)の一言だった。
(いや、絶対人間は、そんな昔の契約なんか忘れてるって…!)
エルフというのは意外と素直な連中なのか。契約は必ず果たされるものだと信じきっているらしい。
契約の事を覚えている者がいたとしても、精霊の力と"神霊"の価値を知った現代の人間が、それを素直に渡すとも思えない。
契約が破られたと知れば、エルフ達は怒り狂うだろう。リリオットに大攻勢を仕掛け、"神霊"を奪いに来るかもしれない。
私の暗澹たる想像を知ってか知らずか、エルフの言葉は本格的な"交渉"へと進んでいく。
「汝らはソウルスミスの使者であると同時に、自らも我らに問いたき事柄があると見える。
告げよ。問いと共に対価を差し出せば、我らは答えを与えよう」
装いを白に変えた魔術師ウォレスを交渉人に加え、私達はエルフとの取り引きを進めた。
ソウルスミスから依頼された品々の入手はすんなりといった。金銭に興味を持たないエルフ達がそれらの対価に要求したのは、ミスリル貨に宿る魔力。
エルフから渡された荷物の中身を確認した後、私は本題に入る。
「この剣について知りたい。対価は、残ったミスリルで足りる?」
「不足する。その剣の力を封じている呪文と魔力、それを我らに捧げるならば答えよう」
「……分かった」
封印とは一体…?疑問は抱くが、ここで引き下がるほどの理由ではなかった。
エルフが剣に手をかざす。一瞬エーデルワイスから強い光が発せられたかと思うと、その輝きの全てがエルフに吸い込まれていった。
「対価は受け取った。汝の問いに答えよう」
淡々とエルフが語る。待ちわびた筈の言葉だったはずなのに、私はそれに集中できないでいた。
封印が解かれたエーデルワイス。それを握る手が震える。剣に触れているだけで、自らの過去が走馬灯のように脳裏をよぎる。抜こうとしているわけではないのに、何故。
それだけではない。過去と共に流れ込む、覚えのない景色や言葉。
剣を振るい、魔術を操り、手を差し伸べ、数多の人々を救い、殺し、私は戦い続けてきた。
私?違う、この記憶は私のものじゃない。
私ではないものを私は追憶する。
私でないはずのそれが、私の心の奥深に刻まれていく。
※
「エーデルワイスは情報圧を攻撃的エフェクトに変換する兵器だ。製造者はヘレン。
性質上、剣は常に情報を、記憶を積極的に収集する。封印はその性質を抑えるものだった。『剣を抜こうとしなければ、記憶を読まれずにすむ』という抑制だ。
ヘレンはこの剣を製造する際、誤って手を切り、エーデルワイスの刃をその血で染めた。
それによりエーデルワイスはヘレンの情報を獲得し、精神感応網からも言葉からも解放されたヘレンと疎通する、数少ない手段となった。
ヘレンはこの剣をヘリオットという人間に渡した。
ヘリオットは空虚な人間だった。その精神の空洞は、常人より遥かに広く深かった。その広すぎる心の隙間に、エーデルワイスに宿るヘレンの記憶が流れ込んだ。
ヘリオットの心はヘレンで満たされた。自らを満たした情報の根源たるヘレンに執着した。その執着故に、彼はヘレンを裏切るという結末へと至った。
汝に起こっている事象も、ヘリオットと同様だ」
「わたし、も……ヘリオットのようになる、ってこと?」
「事象は同じだが、ヘリオットと汝が辿る結末は異なるであろう。
汝はヘリオットと同等に空虚な人間だ。そしてヘリオットより遥かに脆弱だ。
ヘレンの記憶と情報量は、人の心には収めきれないほどに膨大だ。空洞の中にそれを受け入れたヘリオットの強靭さは、寧ろ驚嘆に値する。
剣より逆流するヘレンの記憶は汝本来の記憶を圧迫し、押し流してしまうだろう。その時、汝は今の汝とは呼べない存在になるだろう。
既に記憶の圧迫は段階的に進んでいる筈だ。心当たりがあろう」
「私は……そんな…」
「その剣を汝に渡した者の事を思い出せるか?」
「馴染みの骨董屋の男…いや、女だっけ……名前は……」
思い出せなかった。
「家族や友人、汝がこれまで出会った人物で、名前を呼べる者は何人いる?」
「私は……!」
リューシャ、ソラ、マックオート、シャスタ、ウォレス、えぬえむ。私は覚えている名前を心の中で読み上げる。
この6人で全部だった。両親の名前すら思い出せない。
絶える事無き追憶で意識が朦朧とする私に、エルフが告げる。
「汝はいずれ、ヘレンになるだろう」
地獄とは、虚空の只中にあることを指すのだと思う。
ヘレン教師に拾われる前、孤児だった頃の私がそうだった。
幼すぎる知性は昨日の事すら覚えていられず。明日の事など夢にも描けず。
現在とは前触れなく未来から現れ忘却の過去へと消えていく、一瞬の残像に過ぎなかった。
確かなものなど何もなく。何かに縋りつくことも、誰かと繋がることもできない。
どれだけ近くにあっても。
どんなにはっきりと見えても。
触れられないのなら、それは無だ。
だから、私の手をとってくれたあの人達のことは忘れない。
彼らを通して、私は初めて現実を実体として受容できた。故に私は彼らを絶対の価値として誇った。
彼らを否定する事は地獄に戻ることだ。それは絶対に避けねばならなかった。
私は両親を愛した。両親の行いを肯定した。彼らの信じるものを信じた。
あのまま成長していれば、私はさぞ妄信的なヘレン教徒になっていたに違い無い。
だが、そうはならなかった。
私の両親が行う救済はまやかしだと。押しかけた黒髪達の手によって彼らは殺された。
教会は彼らを異端者とし、最後まで手を差し伸べることなく彼らを見捨てた。
そして、私は再び地獄に堕ちた。
教会や黒髪への憎しみは、怒りは、瞬く間に消えていった。
何よりも大切だったはずの両親への想いすら、1年と経たぬうちに過去の幻影となった。
それからの日々は夢のようだった。
辛いことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいこともあった。
けれどどんなに幸福な夢だろうと、覚めない夢は全て悪夢だ。
私は再び縋るべきものを求めた。
それは愛する人のような形あるものでも、信念のような形なきものでもいい。
私は確かにここにいるのだと。そう教えてくれる何かが欲しかった。
目に写る全てに手を伸ばそうと。
耳で聞きとる全てに駆け寄ろうと。
触れ得る全てをこの手に掴もうと。
そうすればきっと、いつか、何かが手に入ると、信じて……
※
気付けば、私は森の中で泣いていた。
腕の中にエーデルワイスを抱きしめて、止め処なく溢れる涙を、拭う事もせずに。
あぁ、壊れていく。
私の記憶が。思い出が。私のものでない記憶に押し流されていく。
嫌だ。忘れたくない。失いたくない。
消えていく記憶に恐怖する。その恐怖が、喪失感が、何よりも心地良い。
あぁ、私は今、こんなにも。
こんなにも、過去を愛おしく感じている……!
心を芯から凍えさせる、リアリティに溢れた恐怖。
忌避すべきその感覚が、私の夢を現実にしてくれる。
壊れていく父の言葉に、母の面影に、消えないで、と心の中で叫びながら。
恐怖と歓喜に、私は泣き続けた。
どんなに怖くても、どんなに悲しくても、涙はいずれ枯れ果てる。
途切れ途切れになった己の人生を一通り追憶すると、ソフィアの知性は辛うじて現実を認識する許容量を取り戻した。
「……あ、ソフィアさん、気がついた?」
黒髪の少女に名を呼ばれ、"ソフィア"の自我は回復する。
※
「……あぁ、ごめん、心配かけた?」
「いえ、ソフィアさん……で、いいのかしら。それともヘレンと呼んだ方がいいかしら?」
「今はまだソフィアだよ。いつまで"ソフィア"でいられるかは分からないけど。
虫食いになった記憶の布地に、違う色の布を継ぎ接ぎされてる感じかな。凄く嫌な気分」
問いかける黒髪の少女に微笑みを返しながら答える。事実こうしている今も追憶の2ループ目が始まっていて、気を抜くと意識が飛びそうだ。
……そういえば、さっきから何かおかしい気がする。
目の前の黒髪の少女をじっと見つめる。私と一緒にこの森に来た少女。覚えている。
何がおかしいのか良く分からない。おかしいのは分かるのに分からない。
まあいいか。
おかしいから笑っておこう。
あはは。
あははは。
「あはははは……」
…………。
「はっ」
何やってんだ私。
我に返ると黒髪の少女が不憫そうにこっちを見てくる。そうだ、やっと何がおかしいか分かった。
「えっと、あなた、名前は何ていうの?」
「……えぬえむ、よ」
「ん、ありがとう」
人格も記憶も、何を忘れたかも忘れてしまう崩壊寸前の心。
ヘレンの伝承の通りなら……そしてエーデルワイスが伝えるヘレンの記憶が確かなら、やがて言葉すら失ってしまうだろう。
"ソフィア"の全てが"ヘレン"に入れ替わるまでの数時間か、長くとも数日の間に、私はどんどん壊れ、狂っていくだろう。
恐ろしいのに、それが嬉しくもある。身震いするほどの恐怖に笑みすら零れる。
少しでも正気が残っている間に、できそうな事なら何でもしたい。絶望の只中で、世界がこれまでより遥かに輝いて見える。
とりあえず黒髪の少女から現状を教えてもらい(説明中に結局、私は三度も彼女の名前を尋ねる羽目になった)、私はこれからの事を考える。
「……まずは、あのエルフと男の様子を見てようか。争い事になるようなら、すぐさま逃げられるようにして」
えぬえむ(やっと覚えられた)と共に、目立たぬようエルフ達から距離を取る。
状況次第で、これの力に頼ることにもなる。"追憶"を一度終えた今ならばと、私はエーデルワイスの柄に手をかけた。
男とエルフの交渉は、互いの契約という形で纏まったらしい。
……ふと思うのだが彼、怪我の方は大丈夫なのだろうか。
「……そこのあなた。少しじっとしててね」
見た目が痛々しいので、私は彼に近付くと、この場でできうる限りの治療を行う。
矢を引き抜くと、自分の衣服を裂き、包帯代わりにして止血を行う。
「とりあえず、応急手当だけ。化膿する前に街で医者や癒師に診て貰った方がいいよ。運が良ければ、腕もまだ繋げられるかもしれない」
「ありがとう、だよー」
気にしないで、と返したところで、えぬえむがこちらが近寄ってくるのに気付く。
「ねぇ、ソフィアさん。ちょっと相談があるのだけど…」
「ん、何?」
彼女の手にあったのは、"螺旋階段"に配達されていた黒い剣。彼女はエルフからこの剣の情報を得たという。
想起剣マルグレーテ。情報を読み取るエーデルワイスとは違う、純粋な情報の結晶体。
彼女はこの剣を買い取りたいという。
「んー……」
少し考える。間違いなくこの剣は危険だ。これから正気を失っていく私が持つよりも、しかるべき人物に管理して貰った方がいいだろう。
「いいよ、売った。それじゃあお代の事なんだけど…」
「えっと、今の手持ちで足りるかしら」
「あぁ、お金はいいよ。その代わりに頼みたい事が一つ」
「頼み?……って、ちょっと?」
首を傾げるえぬえむに、ぽてん、と身体を預ける。諸共に押し倒されそうになるところを、どうにか彼女は私の身体を支える。
ひとまずは限界か。どうやら私が一度に正気を保っていられる期間はそう長くないらしい。
また正気に戻れるのか、それとも次に目覚める時はヘレンになりきっているのか…判断は難しいが、狂っている間の保険は欲しい。
「とりあえず、街まで連れて帰ってくれるかな……後は、私がおかしくなっている間の面倒見てくれると、嬉しいなぁ、って……」
「ちょっと、ソフィアさん?!」
「数日後も狂ったままなら、見捨ててくれていいからー……」
そこが限界だった。視界がぼやけ、頭の中から何かがごっそり抜け落ちていく。
消えていく思い出は……父さんと、母さんの記憶。
(消えないで……!!)
心の中で悲鳴を上げる。けれど記憶は砂の城のようにぼろぼろと崩れていく。
(忘れたくないのに……!)
なのに忘れてしまう。何を忘れたか、それさえも。
※
ソフィアの瞳から、涙が一粒零れ落ちる。
地面に染み込む雫と共に、彼女の中から"親"という存在は消え去った。
め をひらくと そこは もり のなかでした。
わたし はどうして ここ にいるのでしょう。
わたし はどうやって ここ にきたんだろう。
わたし ってなんだろう。
わたし の なまえ は?
おもいだせない。
きがつくと わたし は だれか にささえられていました。
くろかみ の かわいい おんなのこ でした。
「大丈夫、××××さん?」
……?
よく ききとれない。
けど しんぱい されてるみたい。
「だいじょうぶ」
へんじ はちゃんとできた。よかった。
ことば は きおく してるみたい。
「くろ、くろくろくろ、きれい。くろかみ、まばゆく、しろく、かがやく!」
……なにか へん だったかな?
おんなのこ が くび をかしげてる。
おんなのこ が わたし の て をひいて たたせる。
そこで わたし は しろい けん をもっているのに きづきました。
「けん。しろいけん」
ふしぎ。
なにもおぼえていない わたし だけど。
これをてばなしちゃいけないって そうおもいます。
もり を でて まち に つきました。しらないまち です。しってるばしょなんて ないけど。
もり の なかも くらかったけど。そとも よる で くらいです。
「せいれい。せいれいが いっぱい とんでる」
この まち は せいれい に みちてます。ひとの おもいは せいれい と とけあい 混ざり合って互いに伝播しその流れは新たなエフェクトを産みながら捻れ狂い循環し流転し悲劇と喜劇と狂宴の結末へと墜ちていき、
「……そうあたかもそれは神霊よりも遥かに絶大なひとつの精霊であるかのように街は呼吸し鼓動し活動し続ける」
「……××××ちゃん?」
……?
まっくおーと が しんぱいそうにこっちをみてる。へんなこと いったかな わたし。
「そうだ、えぬえむちゃんには話しておかないと」
「私に?」
「今、この街に黒髪ばかり狙って殺してる奴がいる。ブラシを持った、義足の男だ。えぬえむちゃんも気を付けるんだ」
まっくおーと が しんけんなかおで えぬえむ に おはなししてます。
くろかみ ごろし?なんで くろかみばかり ころすんだろう。
「黒髪狙い、ってことは犯人は×××教徒なの?」
「そんな!」
そら が さけぶ。すごく つらそうな かおで。
えぬえむ は いま なんて いったんだろう。
おぼえていない はずなのに。こわれた こころに そのことばが しみこんでくる。
わたし は しろいけん と くろいけん を てに まちを 流れる精霊の流れに自らの精霊で接触し干渉し没入し没頭していき、
そして みつけた。
「あっち だね」
「って、ちょっと、××××さん?!」
わたし は はしりだす。はしりだす わたし を おいかけてくる あしおとがする。
まっさきに おいついてきたのは ……だれだっけ。
「急にどうしたの?」
「……黒髪殺し。情報に合致する人物を発見。何者かが街に配置した精霊による観測システム。そのネットワークを逆に辿る。ハッキングを行い。情報を獲得」
「どうやってそんな事を……」
「……情報の収集、変換、放出。エーデルワイスとマルグレーテ。これらを情報干渉用端末として。流用」
わたし は さっきから なにを いってるんだろう。まぁ じぶん が こわれている ことは わかるから。わからないことを してしまうのは こわれてるから しかたない。
……ともかく わけわからないけど そういうこと らしいの。
とにかく わたし は はしる。こわれた まま こわれつづけた まま。
くろかみごろしさん に あうために。
※
脆弱すぎる精神故に、彼女に逆流したヘレンの記憶。
情報の奔流は彼女の人格を砕き、ソフィアでもヘレンでも、何者でもないモノに変えた。
現在の彼女には、ソフィア・ヘレン両者の知識と技術が、断片的に詰めこまれている。
今の彼女は、外的刺激に反応してそれらを垂れ流す。危機を察知すれば戦うこともできる。
えぬえむ達の制止も理解せず、彼女は宿を飛び出す。観測者システムのハッキングによって得た情報から、マックオートの言葉と一致する人物を見出す。
何故そんな事ができるのかを疑問に思うこともできないほど、壊れているのに。
そもそも、相手に会ってどうするのかさえ、彼女の頭にプランは欠片も無い。
無知なる回答者。愚鈍な賢者。
ソレは、自らが何を目指しているかも理解せぬまま、己の肉体を駆動させた。
くろかみ ごろし を みつけました。すこし いそいでる みたい。
くろかみ ごろし が わたしたち に きづく。えぬえむ を ちらっとみてから わたしたち に こえをかける。
「やあ、お嬢さんたち。夜の街は物騒だから、早く家に帰った方がいいぜ」
しんせつな ひと。でも いえ って どこだっけ。まあ いま は どうでもいいし。
「みつけた から」
「ん?何を見つけたんだ?」
「くろかみ ごろし」
わたし が そういうと くろかみ ごろし は おどろいた。
あれ? ちがった のかな。なんで おどろくんだろう。
「くろかみ ごろし でしょ」
もういちど いってみる。そうしたら くろかみ ごろし は もってた ぶらし を ふりあげた。
「何故分かったのか知らねぇが、それなら生かしておくわけにはいかねぇな!」
ぎしっ と ぎそく が きしむおと。くろかみ ごろし が まあい を つめて おそいかかってくる。
わたし は マントの精霊を駆動。瞬時に金属並みに硬化した布地が、鋼鉄のブラシの一撃を受け止める。
「あぶない よ?」
「テメェが余計な事を言うからだよ!」
くろかみ ごろし は おこってる みたい。けったり たたいたり してくる。マントを連続駆動。それらを受け流し、あるいは硬化させた布地で防御する。
たたかう とか よくわからない のに。からだ は かってに うごく。そのあいだに わたし は きになった ことを きいてみる。
「あなたは なんで くろかみ を ころすの?」
「あぁ?黒髪は駆逐されて当然の存在だろうが。オレはそいつらを狩ることで、×××に近付くのさ!」
「なにに ちかづく の?」
「聞こえてなかったのかよ呆けてんのか白髪頭!」
ぼけては いないもん。こわれてる だけで。
くろかみ ごろし は もういちど さけんだ。
「ヘレンだ!ゴミ共を殺す戦いへの高揚感こそが、オレ達をヘレンに導くのさ!」
へれん。
こんどは ちゃんと きこえた。なぜか こころ に なじむ そのひびき。
ぼんやり で ぐちゃぐちゃ だった あたま の なか が。すこしだけ ととのうような きもち。
「何急に泣いてやがんだ!今更許してくださいってか?」
あ。わたし ないてたんだ。べつに かなしく は ないんだけど。
でも たいせつな なにか が どんどん とおざかる ような……
そんな いやな きもち。
※
ダザの攻撃を受け続ける彼女の肉体に、突如変化が表れる。
彼女の白髪が、煌く金髪へと色を変えていく。それは"ソフィア"本来の髪色でありながら、"ソフィア"ではない誰かを、一人の戦乙女を思わせるものだった。
「な、あんたは……」
「この男の肉体は傀儡。意思の本体は義足内の精霊。この意思の活動能力を喪失させる手段。義足の封印または切除」
ダザが、正確にはダザを操る意思が抱いた動揺。その隙を逃さず"彼女"は言葉を紡ぐ。ダザではなく、味方へ向けた助言を。
そしてそれを受け取ったマックオートも、ソラも、えぬえむもまた隙に乗じ、それぞれのタイミングで戦線へ乱入していく。
ループする戦局が動き始める。
後退する"彼女"は、その様子を静かな眼差しで見つめていた。
白から金への髪の色の変化。
それはエーデルワイスとの繋がりが薄れたこと、ヘレンの記憶の逆流が完了したことを意味した。
崩壊した自我が、新たな記憶に基き再構成されていく。
「ソフィアさん、いやヘレンさんというべき? …三人を連れて宿に戻りましょう」
えぬえむに二通りの名を呼ばれる。
一方の名は、この身体の本来の名前だったのだろうと推察できた。その名を聞いた瞬間、淡い喪失感を覚える。
もう彼女の中には、"ソフィア"の記憶はほんの僅かしか残っていなかった。
黒髪の少女に、彼女は答える。
「すきな ように よんで。…いまの わたし は へれん」
※
えぬえむとヘレンは、ダザとマックオート、ソラの三人を運んで宿まで戻ってきた。
女二人には厳しい道程だったが、途中アスカという男に出会い、運ぶのを手伝ってもらう。
どうやら彼とは知り合いだったらしいが…"ソフィア"であったころの記憶を喪った今のヘレンには、初対面なのに親切な人、という認識だった。
宿の大部屋に三人を寝かせ、えぬえむと共にそれぞれの容態を診る。命に別状のある者はいないものの、それぞれに肉体、精神の消耗が大きい。眠らせておくのが一番だと判断する。
三人の中でも気になるのはやはりダザか。ヘレンは彼と、彼から切除された義足を交互に見て呟く。
「技術としては高度。しかし稚拙な精製。情報体の再生。代償に情報本体の劣化。生体への干渉。代償に生体への精神負荷……」
「え、ちょっと…ヘレンさん?何を言ってるの?」
「……、…」
ひどく久方ぶりになる言葉は、どうも上手く伝わらなかったらしい。
"ソフィア"の記憶の残滓の一つ、言語思考能力。こんなにも使い勝手の悪いものだったか。
もう一つの記憶の残滓は戦闘能力だが、本来ソフィアより遥かに強いヘレンにとって、こちらも枷でしかない。面倒な。
しかしそれでも制約には対応しなければならない。要点を絞ればなんとかなるか。
「この ぎそく。とても きけん」
「……うん、そうね」
……他者との交流とはカロリーを消費する行為だったんだな、と、今更ながらに実感する。
俄かな脱力感を覚えながらも、ヘレンはエーデルワイスを手に部屋の外へと向かう。
「ってちょっと、ヘレンさん。どこに行く気?」
「さがす」
「何を?」
「うごめく ものを。せかい と こころ を さわがせる ものを」
この街で自我を取り戻してから、街に満ちる精霊を通して感じ続けていた、不穏という名のエフェクト。
強大な精霊の気配。精神領域内でも波乱の予兆。
「とこやみの せいれいおう。めざめ の とき が ちかい」
「ずっと ずっと むかし」
私は戦った。戦って戦って戦った。
その戦いの果てに何を望んだ?
戦いの高揚感?精神の昂りは戦力にムラを生む。
更なる強さ?別に弱くたって戦うことはできる。
勝敗?覚えるだけ面倒だ。
救った人々?これは次なる戦いの火種となってくれるなら有用か。
私が本当に望んだのは戦いのみ。
もっともっと戦いたかったが、永遠に戦い続けたいと思っていたわけでもなかった。ただ漠然と、今にして思えば子供のようにねだりつづけていただけだった。
そうして私は戦いに傾倒した。己のリソースの大半を戦闘に裂いた。
その過程で言葉も捨てた。孤独?それもいい。誰にも愛されないなら、皆に蔑まれ憎まれるのなら、戦える敵はぐっと増える。
敵は私に戦いをくれる。ならば私は敵こそが愛おしい。この世の全てが敵ならば、私は無限に世界を愛せるだろう。事実愛したのだ、全てを。
「あいして たたかって ころして そして わたしも ころされた」
そう、そして私は死んだ。いつ、どこでかは忘れた。いつ死んでもおかしくない生き方をしていたのだから、いつ死んだか記憶する事に意味はない。
とにかく、私は殺されて、そこで私の戦いは終わった。終わってしまったものは仕方無い。
一人の愚かな女が死んだ、これはただそれだけの話の筈だった。
その筈だったのに。
「へれん きょう」
"ソフィア"の記憶の残滓、最後の一つ。
ヘレン教。私の生きていた頃にも、それらしいものはあった。戦いを挑むのでもなく、私の周りに集まってくる、奇妙な人達。彼らはまだ続いていたらしい。
それも、私にまるで理解の及ばない形で。
かつての私は愚かに過ぎた。無意味に終わった。
あまりに無意味だったものだから、私は賢い後世の人達に意味を与えられてしまったらしい。
無意味なものは意味が無いということが、意味で世界が満たされている人達には分からなかったらしい。
人は、自らと心を通わせられないモノに、時に神秘を感じる。
物言わぬ石の神像を拝むように。
形無き天災に神の意思を見出すように。
言葉を捨て、人とつながる術を失った私を、人々はそんな風に見ていたのかもしれない。
だが私など所詮この程度だ。無謀で愚かだったからこそ、英雄譚の主役のような行動も行った。成し遂げたとしても、それは偉大さとは結びつかない。
言葉と言葉による思考を取り戻した今、私はただの女でしかない。
誰が憧れる?
誰が崇める?
「あのひとたち が もとめてるのは。わたし じゃ ない」
彼らが求めているのは遠い昔、誰かが私を通して見た、私でないものだ。
何を求めようとも構わない。けれど、私でないものを私の名前で呼ばれるのは嫌だ。
名は、ふさわしいものに名づけられるべきもの。彼らが求めるものに、私の名はきっとふさわしくない。
「だから たたかおう」
もう一度、戦おう。
意味のある行為とは思えない。だからこそ行おう。
願わくば、なるべく多くの人に私の戦いを見て欲しい。どれだけ勇敢に、無様に、獰猛に、滑稽に、私が戦うかを。そして幻滅されればいい。
狂人扱いされ見向きもされないなら、それでもいい。私の名を、私にふさわしいように穢し直そう。
そして叫ぼう。愚かな私にも分かる、簡単な真実を。
現実は遊戯ではない。必勝法も、最適解も、存在しない。あるいは届かない。
回答は無い。結論は無い。究極は無い。絶対は無い。"ヘレン"もいない。
きっとみんなが知っている。
知っている事を伝えるのだから、これは全く無意味なことだ。
もう一度、無意味に生きて、無意味に戦い、無意味に死のう。そのための敵も、じきに現れる。
それが、ヘレンという名の私の在り方だ。
「とこやみ」
自分を追ってきたえぬえむの疑問に、ヘレンは答える。
そこにあったのは、闇。街の一角をすっぽりと覆う闇のドーム。
常闇の精霊王が纏いし闇精霊の粒子。懐かしい、と柄にも無くヘレンは思う。
因縁の相手でも初対面でも、彼女は敵と戦えればそれで良いのだが。
「とこやみの せいれいおう。その ちから」
「この、闇が…?」
「かけら みたいな もの」
「これで?!」
そう、この程度の闇ならばかつての王の力と比べるべくもない。力の質そのものは間違いなく常闇の精霊王のものだが、出力も制御も甘い。
王の力の欠片を手にした何者かが、王に代わり力を操っている。ヘレンはそう推測する。いずれにせよ、闇を操る「敵」がこの先にいる事は間違いなかった。
ならばまずは、この鬱陶しい闇から先に吹き飛ばしてしまうか。
「えぬえむ すこし さがってて」
「?ソフィアさん、何を…」
えぬえむはヘレンを再びソフィアと呼ぶようになった。好きなように呼ぶように言ったのはヘレン自身なので、それほど気にはしないが。
ヘレンは腰のエーデルワイスを抜き放つ。既に十分な情報を集積していた追憶剣は、遅すぎるほどのウェイトからの解放に歓喜するように純白に光り輝く。
それはただの光学現象とは似て否なるもの。情報圧から変換されたそれを、ヘレンはかつて"叡智の光"と名付けた。
「やみ には ひかり を。せいれい には せいれい を」
精霊は動力回路であると同時に、魂が結晶化した情報体でもある。
生命体としての生存を放棄して精霊化…情報体としての永遠を得た者を、真の意味で"殺害"する手段は限られる。
最も安易な手段は、"精霊による攻撃"。最も確実な手段は、"精製"技術を転用した"精霊の完全破壊(クラック)"。
そして最も単純な手段は、"情報そのものを攻撃力とすること"。
「きりさけ えーでるわいす」
純白の刃が閃く。駆動した追憶剣は、その輝きで斬撃の軌跡を描く。
斬撃はそのまま光速で空間を疾走し、夜明けの朝日よりも眩くリリオットの街を照らし、闇のドームへと一直線に突き刺さる。
衝撃も、爆音も、光と闇を除くエフェクトは何も発生しない。光の斬撃は闇へと飲み込まれ……
次の瞬間、闇の中で太陽のように、閃光が弾けた。
※
「すこしは きれいに なった」
先程までリリオット北部をすっぽりと覆っていた闇は、エーデルワイスの閃光によって大きく散らされ、ドームに大穴を空けていた。
闇は元の形状を取り戻そうと蠢くが、純白の光が収まった後も闇に張り付く、青白く輝く薄氷がそれを阻害する。
自らの存在する時空ごと凍結させられれば、闇も暫くは満足に活動できまい。
そのまま大穴を抜ける。内部に入れば、より強い闇の存在と同時に、移動する小さな闇の塊の気配を感じる。
敵はどちらだろうか。両方かもしれない。まずは確かめるべきだろう。
「いく。てき の いるばしょ に」
迷う事なく、ヘレンはそれらの方角へと向かう。するとえぬえむもついて来る。
彼女がヘレンの無意味な闘争に関わる理由は無いだろうと疑問に思ったが、戦力(味方であれ敵であれ)と観戦者が増える事は好ましかった。
「たたかい が わたし を まっている」
闇の内部では既に動揺が広がっていた。
怪現象に慌て、何事かと口々に噂しあう人々。ヘレンは彼らの一部に、異質で尖った感情を察知する。
怒りや憎しみ、そして闘争本能。ヘレンにとって馴染み深く、好ましい感情の群れ。
気がつくとヘレンとえぬえむは、強い敵意を向けてくる一団に囲まれていた。
「何なんだよこの状況……」
「わけわかんねぇよ……」
「死ねよ……」
見るからに正気ではない。体内の精霊に澱みも感じられる。
どうやら精神操作を受けている。特定の感情の誘発。
「何、この人達…」
「だざ と おなじような もの。せいれい に たたかわされてる」
悠長に解説する間もなく、彼らが襲い掛かってくる。動きは素人だが、殺意は本物。敵だ。
即座にへレンは前に飛び出し、注意を惹きつけながらマントで攻撃をいなす。その隙をついて、えぬえむが彼らの意識を刈り取っていく。
大した時間もかからずに、敵全員の無力化は完了した。
「てかげん した?」
「そりゃあね。むしろあなたが殺さないか心配だったけど」
「むやみ に ひと を きずつける しゅみ は ないから」
「………」
胡乱気な視線を背中に感じつつ、倒れた敵から適当な一人を引っ張り起こし、観察する。やはり、ダザの義足の精霊のような、悪意ある精霊の気配。
ふむ、とヘレンは少し考えてから、おもむろに気絶している相手と唇を重ねた。
「んっ…ふ、ちゅっ……」
舌で口内を擦りあげ、少しの間そうしてから、ぽい、と相手を放りだす。混ざり合った唾液を吐き出すと、黒いものが混じっていた。
目論みが上手くいったのを確認して、残った相手にも同じようにしていく。
「な、何してるの?」
「かれら の せいれい を すいとってる」
彼らの意識が戻ってまた暴れられたのでは、勝った気がしない。戦いには決着が不可欠だ。
"ソフィア"の身体に特殊能力はないし、道具もない今は粘膜接触か体液から直接精霊を吸い取るくらいしか手が無い。
「だったら、ちょっと傷を付けて血を吸う、とかじゃ駄目なの?」
「むやみ に ひと を きずつける しゅみ は ないから」
「………」
視線が寒い。何かおかしな事を言っただろうかと、ヘレンは首をかしげた。
※
後処理を済ませる内に、強い闇の気配は北へと離れていってしまっていた。方角から察するに、目的地はレディオコースト。
道中でまた同じような連中を見かけたが、寄り道は"最小限"にしたほうがいい。
……そう思ってはいても、見逃せない気配が一つ。街を駆け回る小さな闇。闇本体へ向かう前に、まずはソレを見極める。
「……みつけた」
道端にうずくまる小さな人型の闇を視界に捉える。その傍には、緑色の髪の女性。
駆け寄ってみれば、彼らもこちらを見る。残念ながら敵意は感じられない。少なくとも今は。
口はきけるだろうか。少し疑問に思いながらも、ヘレンは闇の塊に問いかけた。
「とこやみの せいれいおう。めざめさせた のは あなた?」
「こわい の?」
エーデルワイスを構えたまま、ヘレンは問う。オシロと呼ばれた闇の塊へと。
会話を隙と見てとった緑髪の女が間合いを詰めてくる。手には小振りのナイフを構えている。
得物のリーチの差を活かし、先んじて斬りつければ、弧を描くような動きで相手は身をかわす。僅かに切っ先が身体に触れるが、傷は浅い。
防御のために剣を構え直すよりも速く、女のナイフが振るわれる。右腕を切られた。こちらもまた軽傷。
そのまま戦線は膠着する。女もヘレンも、互いに決め手を放つ隙を見出せず、間合いを探りあいながら牽制に徹するのみ。
しかし小技での削り合いで、こちらに勝機は無いとヘレンは悟る。互いに薄皮を削ぐような牽制の果てに、先に倒れるのはヘレンの方だろう。
「ああ、怖いさ!あんなもの、精製するべきじゃなかった!」
「せいせい できたなら また ねむらせる ことも できるはず」
敗北へのカウントを刻みながらも、ヘレンはオシロとの会話を続行する。
彼は、常闇の精霊王は目覚めないと言った。だがこれ以上の覚醒が無かったとしても、現に闇は何らかの意図を持ったような動きを見せている。
彼の言う通り、精霊王が目覚めていないのだとしたら……
「とこやみ を あやつっている ひとがいる。とめないと あらそいは もっとひろがる よ?」
「エフェクティブの考えなんて、もう知ったことか!これ以上人殺しの片棒を担ぐのはごめんだ!」
「あなたが とめればいい」
「もう関わりたくないんだよ!」
叫ぶオシロの感情に呼応するように、彼を構成する闇が震える。
会話に集中する内に、緑髪の女のナイフがもう2度3度、閃く。こちらも斬り付け返すが、小回りの良い女の動きを捉え切れず、与えた傷はこちらが受けたものより浅い。
(………?)
しかし、一瞬。エーデルワイスで切りつけたその瞬間だけ、女の表情に動揺が走ったように見えた。
封印を解かれたエーデルワイスは、虎視眈々と情報を収集する機会を狙っている。
刃に触れた瞬間、一太刀浴びる毎に、何か"追憶"させられでもしたか。
「大体、なんであなたは僕を連れて行こうとするんだ!あれと戦いたいなら、一人で行けばいいだろ!」
逸れかかった思考を、オシロの叫びが引き戻す。
何故かって、そんなのは決まってる。
「わたし は よわい から。いまのままじゃ かてない」
"ソフィア"の身体と戦闘技術で、単身で闇本体を討つのは無理だろう。アレが不完全なら、今のヘレンは不良品だ。
壊れていても、戦闘に狂っていても、ヘレンは状況の判断力は失わない。それが彼女の歪な価値観に則ったものだとしても。
「わたし は たたかえるなら かちまけは どうでもいい。
けど かつための どりょくを しないのは じさつ で たたかい じゃない。
だから わたしは かんがえるし ひとの ちからも かりる」
既に十数度に渡るナイフと剣の交錯。切られ、切り返しながら、ヘレンは言葉を紡ぐ。
「あなたが たたかわないのなら。そのたたかいは わたしがもらう。
あなたが なにもしないのなら。あなたにしかできないことを わたしにさせて」
「………」
「あなたを つれていかないのなら そのかわり。
あなたがもっている ちしきを。やみをたおすか ねむらせる ひんとを。わたしに おしえて」
バックステップで一旦間合いを取る。幸いにして、緑髪の女からの追撃は無かった。
ヘレンはオシロの返答を待つ。次に取るべき手を見定めるために。
ヘレンは進む。闇のより深い方向へ、敵が待つ場所へ。
オシロとの会話で、常闇に対処する算段はついた。仲間も増えた。
敵の実物はまだ未確認だが……勝率は格段に上がったと、そうヘレンは判断する。
(わたしは また たたかう。これまで と おなじように)
味気無い、無意味な、戦いのための戦いを、また続ける。
……そう、これまでと同じ。その筈なのだが。
すこし、今の自分は何か「ブレている」気がする。再び人と言葉を、心を交わせるようになって生まれた、かつてとの誤差。
かつての自分は、これを消し去るために言葉を捨てた。だが、今は不思議とそういう気持ちも起こらない。
"ソフィア"がこの魂に遺していったものは……もしかすると、想像よりも多かったのかもしれない。
「……盛り上がってるところ悪いけど、わたしは抜けるわ」
益体もない思考を続けていたところに、ふとそんな言葉を耳にした。
道中合流した金髪の、リューシャという女性。どうやら彼女は闇と戦う気は無いらしい。
懸命で、正しいと思う。既に戦力も充実している今、無理にひき止める必要も無い。
にも関わらず、口が勝手に動いた。
「あなたの けん」
「……?」
既に離れていたリューシャが、少しだけこちらを振り返る。
「あなたに よく にあってる。こおりの けんと こおりみたいな ひと」
「……それは褒められてるのかしら」
「みたままを いっただけ」
へレンは首を振る。
「……あなたは その剣を作った人。想像だけど、あなたはずっと"製作者"としてその剣と向きあってきた。
どうぐ は……使い手を選ぶものも、ある。だけど使う道具を選ぶのは、いつだって人間のほう。
……じぶん と、"使い手"として向きあってくれない人に、剣はその身を委ねたりするのかな。そのひとのことを、どんなに気に入っていても」
自然に言葉が紡がれる。とても自分らしくない思いを、考えを、その言の葉に乗せて。
「その 剣のこと、知りたいと思うなら……そういう事から始めてみても、いいんじゃない?…って よけいな おせわを いってみる よ」
「……そう」
長々と喋ったせいで、どっと疲れが出てくる。言うだけ言った後、思案気に頷くリューシャから視線を外し、ヘレンは再び闇へと歩を進める。
……本当に、今のは"ヘレン"らしくなかった。自分でないものに自分の身体と心を動かされるような。
やはりこれも、"ソフィア"の残滓ということになるのだろうか。
「えぬえむ」
「ん?」
隣を歩くえぬえむに声をかける。その視線は、彼女が持つ想起剣、マルグレーテへ向けて。
「あなたは そふぃあ を つれもどしたいの?」
「……ええ、そうね」
思ったより素直にえぬえむは頷いた。
彼女が持つマルグレーテ。無限の情報を秘めた剣。エーデルワイスと違いヘレンの作では無いが、その機能は知っている。
剣の封印を解き、情報を引きだす事ができれば、"ヘレン"を"ソフィア"に戻すことも可能だろう。…そして、これから先の戦いできっと、その封は解かれることになる。
「いいよ」
「え?」
「たたかい おわったら このからだは そふぃあ に かえす」
「ソフィア…いえ、ヘレンさん……?」
魂に残った"ソフィア"の残滓。その中から新しい要素を見つけて、ヘレンはそれを表現する。
「わたしには たたかいしか ないから。いつしんでも いつきえても くいはない」
きっと、ぎこちないものだったろう。
それでもはっきりと、ヘレンは笑顔を浮かべて、そう告げた。
「とっぱ する」
エフェクティブの防衛線手前で足止めされている状況下、ヘレンはえぬえむとマックオートにそう告げる。
「おしろ ひとりで きえたなら。れすとを たすけにいった かと おもったけど。
とこやみ …ちゃん? も いっしょなら。じぶんたちだけで しんれい に むかってると おもう。はやく おいつかないと」
「…って言っても、どうやって?」
「とびどうぐ には とびどうぐ」
ヘレンはえぬえむと、彼女が連れる妖精を指さす。
「……アルティアの精霊砲?」
「いちどに すべての てきを ねらいうつ。できる?」
「溜めに時間がかかるし、相手が見えてないと……」
「それは わたしが なんとかする」
こつん、とヘレンはえぬえむと額をくっつける。そこにぽう、と淡い光が灯った。
(エルフの、精神感応網。人間同士だと、持続時間は僅かだけど)
(これが……?)
「わたし が おとりになって てきを みきわめる。そこを ねらって」
「ソフィアちゃんが囮に?!だったら俺が…」
「ぼうぎょすきる ないひとが むりしないの」
作戦を伝え終わると、ヘレンはマントに身を包んで坑道から飛び出す。
その手には淡く輝くエーデルワイス。その光を目印にして、エフェクティブの攻撃が殺到する。
(二時方向に二人、3度……いや、もう5度右に修正。十時方向にも一人)
飛び交う矢や精霊弾から敵の位置を逆算し、精神感応網でえぬえむに情報を伝える。
背後の坑道から、精霊砲の輝きが高まっているのが分かる。
(正面……二人。これで、全部)
(撃っちゃって大丈夫?)
(ここは開けてる。砲撃で多少崩れても、道が閉ざされる心配は無い)
「じゃあ……アルティア!」
さっと身を伏せた直後、束ねられた精霊エネルギーの光線がヘレンの真上を通過する。
放たれた光線は途中で分裂し、無数の光の雨となって、エフェクティブ達へと降り注いだ。
閃光と、轟音。それが収まった時には、ヘレンへの攻撃も途絶えていた。
坑道側に軽く手を振ると、えぬえむとマックオートもこちらへ向かってくる。
「おつかれ さま」
「いや、それよりあなたの方は大丈夫なの…?」
「かすりきず。……とは いいづらい かも」
マントを貫通したボウガンの矢を身体から引き抜きながら、あくまでこともなげにヘレンは答える。
ダメージはあっても、動きが鈍る程では無い。戦えるのなら、それでいい。
先に進もうとしたところで、進路の先から爆発音が聞こえてきた。ここからそう遠くない。
「何だ、今の音?」
「みちを ふさごうと してるのかも」
「じゃあ急がないと!」
広間を抜けて、先へと続く坑道へ。マックオートの剣が、道を指し示すように光り輝く。
全ての出口が塞がれる前に、坑道を抜けるために。剣の輝きを頼りに、三人は駆ける。
マルグレーテは解放された。
闇は迫る。
今代の精霊王は、まさに今、目の前に在る。
戦いの火蓋は切られた。
もはや語る事も無い"敵"目掛け、ヘレンは疾駆する。
「きりさけ」
主を護るかのように進路を塞ぐ人形へ、エーデルワイスを振るう。しかし、輝きも鈍く衰えたままの刃は、がりっ、と人形の表面を浅く削ぐのみ。
「きりさけ きりさけ きりさけ」
だが構わない。本来の性能を発揮できずとも、今は刃物としての役割を果たすなら十分。
連続して放たれるヘレンの乱舞が人形を後退させる。その隙を突いて、更に前へ。一歩でも、敵の近くへ。
その戦う姿はただがむしゃらで、見苦しく。しかし口元に笑みすら浮かべているヘレンを見て、呆れたようにオシロが問う。
「ソフィアさん。あなたはなぜここに来たんです?本当に、戦いたかっただけなんですか」
「そう。わたし は たたかえれば それでいい」
「実に愚かな」
「そのとおり。わたしは おろかもの。いくさおとめ でも かみさま でも ない」
ぎこちなく微笑みを浮かべてみせながら、ヘレンはエーデルワイスを振りかぶる。
「わたしは へれん。この おろかしさを くるおしさを しかと そのめに やきつけろ!」
「見苦しい」
刃がオシロに届く、それよりも一瞬早く。音も無く背後より忍び寄った人形が、ヘレンを背後から吹きとばす。
無防備な背中に放たれた連撃。エーデルワイスを取り落とし、自らの背骨が軋む音を聞きながら、ひょいと身をかわしたオシロを通り過ぎ、ヘレンは彼の背後にあった神霊へと叩きつけられた。
「がっ……!」
「ソフィア!」
口から血を吐きながらも、ヘレンは腰から一本の短剣を抜き、神霊に突き立て、転落を防ぐ。えぬえむの悲鳴のような声が聞こえた。
神霊にしがみつくヘレンに、オシロは侮蔑の意を込めて言葉を吐き捨てる。
「弱すぎる。あなたがあのヘレン?愚かなだけでなく、現実と世迷言の区別すらついていないのではもう救いようが無い。
もういい、さっさと退場してもらいましょう。そこでぶらさがったまま、これ以上神霊を傷つけられ……たら……」
オシロの言葉が途切れる。彼は見た。神霊の、ヘレンが短剣を突き立てた部分が、鈍く黒ずみ始めていることに。
ヘレンはにっこりと微笑んで、新たな短剣を取り出し、突き立てる。その周囲もまた、同じように黒ずんでいく。
その短剣の名は、愚霊剣。今のヘレンには、最も相応しい名を持つ剣。
「このけん なーんだ?」
「お前、それは……」
「わかるよね あなたなら。こんなにぐちゃぐちゃで どろどろで ぼろぼろで さびきっていても」
「その短剣の素材……第一神霊の破片なのか?!」
かつて、現在の第二神霊よりも先に発見され、精製に失敗した第一神霊。
その破片の中でも、オシロの手で『闇』となったものよりも遥かに状態の悪い、そこいらのクズ粗霊以下の存在になり下がり、放置された粉々の欠片。
正体も忘れられたまま市場に流れたそれらに、気紛れな誰かが意味を与えた。クズにはクズなりの使いようがあると。
かくしてそれは朽ちたまま刃となり、己以外の全てを朽ちさせる刃となった。
「まだまだ あるよ。ざいこ いっそう せーるっ」
「やめろ……」
やめない。手持ちの全ての短剣を、次から次へと神霊へ突き立てる。
精霊は採掘時点で個別の塊として存在し、他の精霊同士では結合させることはできない。逆に言えば、"同種"であれば、分かたれても再結合させられる。
第一、第二の差異はあれど、ソレは同じ"神霊"と呼ばれたモノ。眩く輝いていた神霊はみるみるうちに愚霊剣の精霊と混じり、汚染され、光は弱くなっていく。
「くちて くだけて こわれちゃえ!」
「やめろおおおおっ!!!」
さも愉快そうに、痛快そうに笑うヘレンに激昂したオシロが、それまでの戦術をかなぐりすて、残っていた人形を一斉にヘレンへ向かわせる。
(そう それでいい)
それこそが、彼女の目的。
(わたしは よわい)
自分は、単独で彼に勝つ事はできない。ならば"自分達"の勝利のために戦おう。
この一瞬、彼に決定的打撃を与え得る、致命的な隙を作るために……!
オシロが、神霊が、情報へと還元され消えていく様を、ヘレンは見届けた。
その後に訪れたソラの宣告を、彼女は新しい戦いの予兆と捕らえた。
だが……ヘレンがこれ以上の戦いを続けることは、無理だった。
「マックオートさん、大丈夫……ってちょっと、ソフィアまで?!」
糸が切れたように、ヘレンはその場に倒れ伏す。
満身創痍だった。休む間も無く敵を探しては戦い、傷ついて。気を抜くと意識を失い、そのままニ度と目覚めなくなりそうだ。
けれど、今は死ぬ前にやることがある。こちらを見下ろしてくる仲間達に、手を伸ばす。
「えーでるわいす を わたしに。このからだを そふぃあに かえさないと」
この戦いの最中に、少しずつ思い出してきた。解放されたマルグレーテから溢れた情報、その中にあった"ソフィア"を、魂とエーデルワイスが少しずつ拾い集めることによって。
あとはほんの少し強く、魂をノックしてやればいい。
落としたエーデルワイスを、えぬえむが渡してくれる。ありがとう、とヘレンはまた微笑んだ。
「……追憶せよ」
刃を握りしめる。自らの来歴を追憶する。記憶の中の、ヘレンにとっての"わたしでないもの"、それを強く意識する。
「追憶せよ マルグレーテ」
不足情報はえぬえむの想起剣から補う。情報の闇をエーデルワイスが収集し、それがヘレンへと流れ込んでくる。
「追憶せよ リリオット」
それでも足りない生きた情報は、ソフィアが生きたこの街から得る。
街に刻まれた記憶を追憶させ、収集し、取り込み、継ぎ合わせる。
失われたもの、忘れられたもの、壊れたもの。
悲しみに、苦しみに、傷跡に、涙に触れて。
街の"喪失"から、ソフィアは自らを再構成する。
「銅貨の塔は崩れ落ち」
左手の中に銅貨が生まれる。握りしめれば、傷は癒えた。
「悲しみは忘れ去られ」
右手をかざせば、その中に精霊の欠片が生まれる。
「見えない時計が時を刻み」
カチ、コチ、カチ、コチ。どこからともなく針の音。
「断たれた義足は歩みを捨てて」
左足が、鋼と機械仕掛けに作り変えられていく。
「精霊の想いは砕けた」
散らばった人形の破片と灰が、彼女の中に取りこまれる。
失われたもの、目に見えないもの。ソフィアはその全てを糧として、魂で抱きしめる。
失うこと。それに抗う事。それがソフィアが自らの消滅の際、見出した世界との接点だった。
ヘレンが戦うように、ソフィアは失う。
「それでいい」
いつか全てを失うと知って、それに抗い続ける。
「それが、私。私は、ソフィア」
さあ、いかないと。根拠の無い予感が、私の胸の内にある。
街を飲み込む、大きな"喪失"の予感。それはきっと、すぐそこまで近付いているから。
========================================
ソフィア・エーデルワイス
性能:HP70/知5/技4
スキル:
・崩れた銅貨の塔/42/0/10 回復
・捨て去られた悲しみ/80/0/25 凍結 防御無視
・見えない時計/40/0/16 封印 防御無視
・断たれた義足/20/42/12
・砕けた八精霊/4/0/1
プラン:
1:相手が何も構えていない時、プラン内の「攻撃力/防御力/残りウェイト」の値は0とする。
2:相手の知性が1なら「見えない時計」。
3:自分のHPが「相手の攻撃力+技術*(25-残りウェイト)」より高ければ、「捨て去られた悲しみ」。
4:自分のHPが「相手の攻撃力+技術*(16-残りウェイト)」より高ければ、「見えない時計」。
5:相手の攻撃力が69以下かつ「自分のHP+42」以下で、凍結でなく、防御無視で、残りウェイトが10以上なら、「崩れた銅貨の塔」。
6:相手が何も構えておらず、相手の最新同時選択スキルの行動ウェイトが1なら、「断たれた義足」。
7:相手が何も構えていないなら「砕けた八精霊」。
8:相手のHPが「(4-防御力)*残りウェイト」以下なら「砕けた八精霊」。
9:さもなくば「断たれた義足」。
存在しないもの、失われたものを魂に抱いたソフィア。
偽・精霊王。賛美なきヘレン。道化。
いつか失う全てのもののために、今は前へ。
========================================
闇の騒動を終えて、今また街全体を舞台とした演劇に乱れ狂うリリオット。
そんな中で平時どおりか、あるいはそれ以上の賑わいで営業を続ける「ラペコーナ」で、ソフィア達は食事を取っていた。
ミルミサーモンを口にしながら、そういえば前に食事をとったのはいつだっけ、とソフィアは考える。
人前でお腹を鳴らしたのを思い出し、少し頬が熱くなる。
速やかに忘れる事にして、切り分けたミルミサーモンを縛られたままの夢路に差し出す。
「はい、あなたもどうぞ」
「(モグモグ)おかわりー」
「どうぞ」
「(モグモグモグ)おかわり」
「どんだけ食べるのよ」
「(モグモグモグモグ)んー、もっと。それか夢が食べたいわねぇ」
えぬえむがマルグレーテの知識から、彼女は獏だと言っていた。夢を喰らう人。
栄養補給は普通の食事より夢のほうが効率的なのかもしれない。
「私の夢で良かったら、食べていいよ」
「え、いいの?」
「中身は内緒にしてね」
「もっちろん。あ、ならついでにおっぱもがっ」
何を言いかけたか知らないけど切り身を口に詰めて黙らせる。
もぐもぐ、と彼女がサーモンを咀嚼するのと一緒に、何かが自分の中から吸いだされていく感覚。
恐怖は、あまり無い。少しずつ消えるなら、エーデルワイスが失われた夢を追憶させてくれる。
「ふむふむ。へー、これがあなたの夢ねぇ」
「今までは、考えたこともなかったけどね」
「いいんじゃないのー?叶うといいわねぇ、にしし」
「……面白がってるでしょ。そういうあなたは夢は無いの?」
「私?」
「そう」
「えー、っと、待ってね、えぇとえぇと……」
夢路が首を傾げて唸る。何かを思いだそうとするような、手応えの無さに空回りを続けているような、そんな表情。
見ているのが面倒になって、ソフィアはエーデルワイスを彼女の頭に当てる。
「え?なに、私斬られちゃうの?」
「違うよ。思いださせてあげるだけ」
追憶せよ。
忘れた過去を、捨てた想いを、思い出せ。
エーデルワイスが、夢路の記憶を掘りかえす。彼女の表情が、戸惑いの色に染まる。
にわかに店の外が騒がしくなったのは、丁度その時だった。
「なに、今度は何の騒ぎ?」
「パレードだ!あの娘、戻ってきやがった!」
店に駆け込んできた男が叫ぶ。
「変な歌歌って、変な連中連れて、あの娘の通った後にはみんな抜け殻みたいになって、誰も立っちゃいねえ!ありゃぁ死神か何かか?!」
半狂乱のまま男は状況を説明してくれる。店内にはその"パレード"とやらから逃げてきた者もいたらしく、「ラペコーナ」が今までと違った種類のざわめきに包まれる。
ソフィアは、語られたパレードの娘の姿に、心当たりがあった。自分が自我を取り戻す際、その魂に抱いた"失われたもの"。
とある少女が捨て去った負の感情が今、彼女の右手の中に、精霊として握られていた。
「ウロさん、その人の事を見ててください。えぬえむ、ついてきてくれる?」
「どうせもう少し食っていくつもりだったからな」
「いいわよ」
夢路にエーデルワイスを触れさせたまま、店の外へと出る。
絢爛なる破滅のパレードは、もうすぐそこまで迫っていた。
「……どうして」
「ラペコーナ」店内。ソフィア達に泣きながら引っ張られてきたマドルチェが、ふいに口を開く。
「ん?」
「どうしてこんなもの返したりしたのよ!」
泣き喚くマドルチェが右手をかざす。ソフィアは驚くこと無く、その手に自分の右手を重ねた。
再び流れ込んでくる負の感情に、びくっと震えた彼女が手を引っ込めようとするが放さない。暴れる少女をそのまま抱きしめる。
「だめ。目を逸らさずに、ちゃんと見ないと」
「そんな薄っぺらい言葉なんていらない!みんなみんな、こんなもの全て捨てて、幸せになればいいのよ!そうじゃなきゃ、私は幸せになれないのよ!
私はどこにも行けなかった、何も掴めなかった、私の気持ちなんて、誰も聞いてくれなかった!私は…」
泣き喚く少女を宥めるように、ソフィアは静かに言葉を返す。
「なら、あなたは誰かの気持ちを理解した?」
「……え?」
「してないでしょう。幸せっていうのは相互作用なんだよ。人は一人じゃ幸せになれない。互いの一部を交換して、始めて成立するものなんだから」
だから、あなたは人を幸せにしなさい。
誰かの幸せを思考し、スキルを見直し、プランを形成し、実行しなさい。
その代わり、あなたの幸せは、私も考えてあげるから。
「考えてくれるのは、私だけじゃ無いだろうけどね」
そう言って、ソフィアは笑う。マドルチェの持つ絶望色のイヤリングをそっと手に取り、自分の耳につける。
突如として転移魔力が生じたのは、その時だった。
えぬえむが転移先を教えてくれる。どうやら、騒動の渦中らしい。危険だが、好都合だ。
「それじゃ、生きてたらまた会おうか」
ひらひらと手を振る。次の瞬間、ソフィアの身体は焔に包まれた。
※
人の逃げさった舞台で、静かに周囲を睥睨する鉄の竜。その眼前に、ソフィアは転移する。
竜。英雄の物語ではお馴染みの悪役。冷え切った金属の身体から、吹雪のように冷たい吐息を浴びせかける。
「まぁ、私は英雄じゃ無いんだけどね」
脚が凍る。機械化した左足が冷えて痛い。
「けれど道化ではある」
左手をかざす。
「役者なら、この舞台に上がる資格はあるでしょう?」
ぱちん、と指を鳴らす。それだけで、吐息は止まった。
竜は大きな顎で噛みつくことも、鋭い爪を振り上げることもせず。全ての行動を縛られる。
「けれどその舞台も、もうすぐ終わるみたいだね」
指を鳴らす音は、いつの間にかカチ、コチ、という時計の針の音に変わる。
「全ての魔法が終わる刻。"十ニ時の鐘"が鳴るよ、カボチャさん」
からん、コロン、と鐘の音。
それが鳴り止んだ時には、既に竜は物言わぬ屑鉄へと還っていた。
鐘が鳴り、雨は振り、そして夜が明けた。
暗弦七片の輝きが街を覆い、そして消えた。舞台の幕は下りた。
街の危機は去った。けれど、それだけ。失われたものは、もう戻らない。壊れたものは、もう直らない。
街が失ったものたちを、ソフィアは静かに追憶する。涙はない。それは森で流しきってしまったから。
「何が英雄よ…私はただの無慈悲な人殺しよ…!!」
けれど、えぬえむが泣いていた。役者達の思いを想起して、小さな身体を震わせて。
見ていられなくて、そっと抱きしめる。さっきもこんなことをしたな、と思いながら。
マドルチェは、まだラペコーナにいるだろうか。慌しく別れてしまったが、今度はもっとちゃんと話がしたい。
えぬえむの涙をそっと拭って、静かに言葉を紡ぐ。
「えぬえむは英雄じゃない。けれど、ただの人殺しでもないでしょう?あなたが頑張らないと、街は失われていた。
私の知ってるえぬえむは、それを見過ごせずに頑張っちゃうような、お人好しの女の子だよ」
その言葉が救いになるかどうか。せめてそのまま抱きしめ続けながら、ソフィアは七片を揃えた騎士を見る。
「私はソフィア。あなたの名前は?」
「……カラスと申します」
擦れた声でも、輝きのない瞳でも、はっきりと騎士は答えた。
「カラス。あなたは、この舞台で失われたものを知ってるよね。何かを失った人たちの、その痛みを、悲しみを、理解してるよね」
「……」
「していないはずが無いよね。だって、それはあなたも同じだから」
紡ぐ言葉は静かに穏やかに。責めるつもりなど無いのだから。責めることに意味など無いのだから。
「私は、あなたの友達を責めないよ。それは、もう終わってしまったことだから。失われたものの対価になるものなんて何も無い。だから、私はあなた達に何も求めない」
「……はい」
「だからあなたも、償いなんて求めるな」
初めて、強い口調で。ソフィアはカラスの瞳をじっと見つめた。
「罪は、許されることはできても、償うことはできない。あなたも私も、何物にもかえられないものを奪う、そんな行いをしたんだから」
失われたものは、もう戻らない。
だから、それを取り戻そうとする行いに、意味は無い。
「どうしても、あなたがこの街に対して何かをしたいのなら。それは失われたもののためでなく、残されたものを活かすために行ってほしい。
私は、これからずっと考えるよ。あなたと残ったあなたの友達に、これから私が何ができるのかを。あなたたちの傷を癒し、喜びを、幸せを手にさせるために、私に何ができるのかを。
だから、あなたも考えてほしい。残されたものと、あなたの友達が残したもののことを」
「私の友が、残した……」
「何も残さずに、消えていくものなんて無いからね」
カラスが持つ暗弦七片を指差して、ソフィアは小さく笑った。
できる限りの思いを言葉に乗せ終えて、ソフィアは再びえぬえむを見る。
「えぬえむ。あなたはこの後、お師匠さんのところに帰るの?」
「え…?ええ、いずれは戻らなきゃいけないけれど…」
「私もついていっていいかな?」
「え?」
「やりたい事があるんだよ。夢と言ってもいい。あなたの師匠は、色々と知識が豊富そうだからね」
夢?と首を傾げるえぬえむに、ソフィアは微笑みかける。
失われたものは、もう戻らない。
だから、それを取り戻そうとする行いに、意味は無い。
だけど、たとえ意味が無くとも。
失って、抗って、そうして生きると決めたなら。
否応なく、次の段階を目指さなくてはならないから。
「私はね うしなわれたものを とりもどしたいんだ」
そして、白い剣の物語も終幕へと向かう。
それは、一人の女の物語の始まり。
※
街を出る前に、店じまいをしておこうと思った。
いずれ戻ってくる場所なら、また開店できるようにしておかないと。
それからもう一つ。ソフィアはもう一人、旅の道連れを増やそうと思っていた。彼女も暫くは、この街から離れたほうがいいだろうから。
そう思っていた。思っていた、なのに。
「……ぁ…」
劇場からラペコーナへ戻る道の途上。
ソフィアは見つけた。見つけてしまった。
何者かに刺され、血を流して倒れている――マドルチェの姿を。
「……ちょっと!?」
叫びはほとんど悲鳴だった。駆け寄って、その手を取る。
雨に濡れた少女の身体は、もうすっかり冷え切っていた。
少女のいのちは うしなわれて いた。
「なに、やってるの、さ……」
ラペコーナでマドルチェに言った。幸せは相互作用だと。
なら、不幸だって相互作用なのだ。それは近しい者達に伝播する。
「なんで、こんなところで、死んでるのさ……っ!」
劇場でカラスに言った。罪は償う事はできないと。
こんな死が、こんな終幕で、一体誰が満足するのか。彼女は満足できるのか。
「認められないよ……」
右手で少女の右手を掴む。左手に白き追憶剣を握る。
流しきったなんて大嘘だった。涙で視界が滲む。
「認められるか、馬鹿っ……!」
確かに約束したんだ。この少女の幸せを考えると。
思考しろ。彼女の幸せは今ここで死ぬことか?
違うと思うならば、取り戻せ。
彼女の命を、"失われたもの"を、取り戻せ!
「エーデルワイス……!」
街の記憶を追憶する。膨大な都市の記憶から、彼女の蘇生手段を模索する。
「足りない…これじゃまだ、足りない…!」
降り注いでいた癒しの雨を飲ませてみた。まだ足りない。
絶対王政で、ソフィアの命を、精霊を、彼女に分け与える。それでもまだ足りない。
「もっと、何か、もっと…!!」
(わたしも てつだう)
「?!」
魂の中で聞こえた声。知っている。これはヘレンの声。
"ソフィア"に戻っても尚失われなかった、強い魂の声。
(うしなわれた ものを とりもどす。とても おろかで むだなこと)
「分かってる!分かっていてもやりたいの!やるしかないんだよ!」
(うん。わたしと いっしょだね)
「……え?」
(わたしも おろかで むだなことに いっしょうを ついやした。だから あなたのきもち りかいできる)
ヘレンの記憶が、街の精神感応網への回線を繋ぐ。
これまでよりも遥かに膨大な情報の波が、彼女に押し寄せる。
(てつだって あげる。だから たたかいなさい。あなたの たましいが くちるまで)
「言われなくても……!」
そしてソフィアは見つけ出す。夢と現の狭間、人の心の海を漂う、一枚のコインを。
(つかまえた)
(放しちゃ駄目だからね…!)
(わかってる。それよりはやく これをそのこに わたさないと)
(こっちだって分かってる!)
エーデルワイスが光を放つ。闇を切り裂いた時以上に強く、そして暖かく。
それが収まったとき、剣は一枚の銅貨に変わっていた。
「お願い……!」
両手でマドルチェの手を包みながら、そっと銅貨を右手に握らせる。
祈るように目を閉じた。次に目を開いた時、彼女もまたそうであってほしいと。
どんなに私の生き方が無意味で、無価値だったとしても。この少女の命には、きっと価値があるのだからと――
そして、永遠とも思えた沈黙の果てに。
握りしめた少女の右手が、そっと私の手を握り返してくれた。
※
その記憶は、生涯を通して私の宝物になった。
あの時の自分といったら、嬉しいくせに変に格好をつけて。
やあ、また会ったね、なんて、涙でぐしゃぐしゃの顔ですませてみせたものだ。
あれから沢山のものを私は失った。新しい何かを得ては、すぐに別の何かを失う、そんな人生だ。
失ったものを取り戻せたのは、今のところはこの一度きりだ。奇跡というのは起きないから奇跡なのだと痛感する。
そしてまた、それでも求めてしまうのだから奇跡なのだとも。
リリオットで出会った人々の何人かとは、今もまだ交友が続いている。
みんな失いたくない人たちだ。できれば一人も余さず、彼らが失われるところを看取ってあげたい。
ヘレンの記憶との融合で、私の寿命は随分エルフ寄りになっているらしいから。
「そふぃあ」
目を開いて、追憶から戻ってくると、愛娘が私の顔を覗き込んでいた。
「どうしたの?」
「ひより たちが あそぼうって」
「いいじゃない、行ってきたら?あと、私の事はお母さんね」
「……ほんとうは わたしのほうが ずっととしうえ」
「でも今は私の娘でしょ?」
むぅ、と不満そうに唇を尖らせる。その仕草が可愛くてつい笑ってしまう。
この子もまた、かつての自分から随分変化したのだろう。私と同じように。
「ほら、言ってごらん?言えたら晩御飯大盛りにしてあげるから」
「……いってきます おかあさん」
「はい。行ってらっしゃい、ヘレン」
私からヘレンの記憶を受け継いだ子、愛しい私のヘレンは、ぱたぱたと外へ駆けて行った。
それを見送って、私はまた目を閉じる。
※
全てを追憶させてくれる剣は、今はこの魂の中に。
目を閉じれば、失ったものの全てを思いだすことができる。
例え千夜一夜が過ぎ去った今でも、それは色あせる事なく。
いつか、全てを失うその日まで。
私の物語は終わらない。
まだない話をしよう。
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