[0-773]
HP88/知2/技5
・死/10/0/2
・首切り鎌/60/0/15 防御無視
1:10 から相手の防御力を引いた値を N とする
2:相手の残りHPが 7N 以下のとき、「死」を使う
3:相手の防御力が 1 以上のとき「首切り鎌」を使う
4:さもなくば「死」を使う
男。
インカネーション(ヘレン教)の遊撃戦力 通称 紫色〔バイオレット〕。
ウォレス・ザ・ウィルレスは自問する。
自分は本当にウォレスなのかと。本当に自分はウィルレス(遺言なし、願いなし、
意気地なし)なのかと。精霊採掘都市リリオットにいる自分は、本当に本物の
ウォレス・ザ・ウィルレスなのかと。
丘の上の城に住む不老不死の魔法使い。そんな御伽噺は古今東西どこにでもある。
ならば自分がそんな御伽噺に当てられた狂人で無いと、誰が断言できるだろう。
「儂はウォレス・ザ・ウィルレスじゃ」その自己紹介は空虚なものでしかない。
なぜなら夕暮れ時にその挨拶を受けた者は、太陽が沈み切る前に死ぬのだから。
ウォレスは仮定する。自分は本物の、御伽噺の「ウォレス・ザ・ウィルレス」の
コピーでしかないと。そしてウォレスはヘレンを崇拝するフリをすることで、不利な
戦いに身を投じ、自説の証明を求める。自分は確かに紛い物であり、不老不死の
魔法使いなどではないという、確固たる証明〔敗北〕を。
職業:魔法使い
年齢:300才以上 自分でもよく覚えていないらしい
外見:紫のローブをまとった少年
一人称:儂。「〜じゃ」「〜だのう」「〜かの?」など、おじいちゃん言葉で喋る。饒舌。
性格:ペテン師。はったりが大好き。負けそうなときでも強気で応対する。
スキル設定:
死 :指さしたものを「死」に至らしめる、そのまんまの魔術。
単純ゆえに手加減が効かない。軽い装甲ならば突き破る。
これを手足のように使い、雨あられと連打するのがウォレスの主な戦い方となる。
首切り鎌:虚空から、相手の喉元に、巨大な鎌を出現させるという非情なる魔術。
発動が重いが、その効果は致命的であり、防御は不可能。
正式名称は「ウォレス・ザ・ウィルレスの首切り鎌」
青い鴉
ツイッター bluecrow2
丘の上の古城に、魔法使いが住んでいるという。それは語り尽くされた御伽噺。
月初め。いつものようにウォレス・ザ・ウィルレスは丘の上の古城から市街地に
下りてきていた。精霊採掘都市リリオットの中心街、今風に言うなら「郵便局」に
出向き、偽名「ヘリオット」名義の私書箱を確認する。そこには毎月、ウォレスが
所属する組織インカネーションからの指令が送られてくるのだ。
今回は、何の変哲も無い封筒が一通。ウォレスは封を破る。
「f予算を狙う輩を打ち倒せ」それはおよそヘレン教らしくない指令だった。
ウォレスは、弱者救済を謳うヘレン教ならば、いずれ「f予算を手に入れろ」との
指令が来るだろうと思っていた。だが、そういうストレートな指令は来なかった。
つまり、この指令には教団上層部の苦渋の決断が、「裏がある」ということ。
ウォレスは勝手にそう判断する。そう判断しろと命じられたのだと諒解する。
「やれやれ。ターゲットすら不明のままに『打ち倒せ』ときたか。今回はだいぶ
めんどうなことになりそうじゃのう」
誰でも知っている鉄則がある。酒場には情報と人間が集まるという鉄則が。
「あいにく儂は酔えん体質じゃが、まあとりあえずビールでも頼もうかの」
「……うちじゃあ子供に酒は出してねぇんだが」
「三百歳じゃ」ウォレス・ザ・ウィルレスは指を三本立てる。
「……は!?」
「じゃから、儂はこう見えても三百歳じゃ」
「がははは! ぼうずが三百歳なら、俺は三億五千万歳だっつーの!」
パリン。店員が磨いていた皿が音を立てて割れる。
「儂が言うことに間違いは無いと、皿が何枚割れたころに気付くかのう?」
店員が、そして周囲の客たちがゾッとする。三百歳。もしもそれが、与太話の
類ではないのだとしたら?
「ビ、ビールでいいんですね」
「ふむ。ここの店員は物わかりが良くて助かる。ついでに訊くが、公騎士団の
連中は最近何をこそこそ嗅ぎまわっている?」
店員の顔が凍りつく。公の場で公騎士団の批判をするような口を利く輩は、
私的制裁を食らっても文句は言えない。当然のことだが、この酒場には公騎士団
の者たちも出入りしているのだ。万一聞き咎められたら事である。
「お客さん、まさか『f予算』絡みのフェルスターク一家惨殺事件のことも知らないんで?」
「ほう……『f予算』……一家惨殺……道理で連中がぴりぴりしとるはずじゃ」
ウォレスはビールを呷った。しばらくはここを拠点に情報収集するつもりだった。
それにこのクエストは、「f予算を狙う輩を打ち倒せ」というのは、一人で
こなすには荷が重すぎる――
昼間っから酒ばかり飲んでる青少年がいるって通報されるのもあれだしなー、と。
ぶらり、郊外に建てられたヘレン教の大教会に出向くウォレス。目当ては教師クラスのヘレン教団員。見つけ次第、今回のアバウトな指令の真意を問いただすつもりであった。が、空振り。今日は全員不在らしい。
礼拝堂の中央にぽつねんと立つウォレス。
「当てが外れたのう……」
がっくり肩を落とすウォレスの瞳に、ステンドグラスを磨く少女の姿が映る。
「あー、そこの少女」「こんにちは。いい天気ですね」
「悪いが銀貨を一枚受け取ってくれんかのう」「はい? なんでですか?」
「儂の罪滅ぼしのためじゃ。儂は他でもない自分自身の目的のためにヘレン教に属しておる。ヘレンの強さでも、美しさでも、優しさのためでもなく、ただの己の自分勝手のために信じたフリをしておるのじゃ。じゃからかのう、教会に来るたびに、儂はなんだか申し訳ないような気持ちになる……」
「そうですか……まだお若いのに大変ですね。じゃあ遠慮なくもらっておきます。あ、そうだ。伝言や配達の用事はありますか? 簡単なものだったら、やっておきますけど」
「伝言……伝言なあ……あるにはあるが」
「どんな伝言です?」
<仲間急募!『f予算』に全く興味が無くて、しかし日銭と戦闘に興味がある人材募集中!ソウルスミス、リソースガード関係の方はご遠慮ください。黒髪不問。詳細は酒場の『紫色〔バイオレット〕』まで!>
「という内容なんじゃが……」
「んー。『f予算』っていうと、『救済計画』と何か関係あるんですか? 最近ヘレン教内部で、リリオットの貧民救済計画とかいう大規模な計画が進められているって立ち聞きしたんですけど……」
リリオットの貧民救済計画。
それを少女から聞いて、ウォレスは思考する。
インカネーションは、ヘレン教は決して裕福な団体ではない。予算的裏付けの無い貧民救済事業など、単なる世迷い言にすぎない。しかも今この時期に、ヘレン教弾圧の三年目に、わざとそんな目立つ計画を実行に移そうというのは、あまりにも愚行に過ぎた。
そもそも今回の指令も指令である。まるで、インカネーション内部にも「f予算」を狙う輩がいるとでもいうような――いや――実際に「居る」のか。「f予算」の実在を信じ、空絵事の計画を推進しようとする輩が。見境なく事を荒立て、ヘレン教を危機に陥れようとする連中が。手練れの教師たちにもどうしようもない勢力が。
「おぬしの名は?」「ソラといいます」「ソラ。銀貨をもう一枚やろう。そのかわり『救済計画』についてもう少し調べてもらえんかのう」
「は、はい」
教師に会わねばならない。仲間を集めねばならない。
できもしない「救済計画」が発動され、それが公騎士団とリソースガードに察知され、ヘレン教弾圧が激化する前に。いままさに舞台の上に踊り出ようとしている連中の出鼻を挫かねばならない。
さもなくばインカネーションは、ヘレン教は――適切な表現が見つからないが――殴られ、打たれ、叩かれ、潰され、そして弱体化してしまうだろう。そうなればソラというステンドグラス磨きの少女の日常も、無事ではあるまい。
「教団を守るために教徒を討つ、か。これではまるきり裏切り者〔ヘリオット〕じゃな」ウォレスは呟き、教会を出た。
*** 新出用語
【裏切り者〔ヘリオット〕】
それは最初にヘレンの良き理解者であり、ヘレンと共に戦いに明け暮れた者。しかし途中でヘレンの存在に不審を抱き、最期にヘレンを裏切った者。この裏切りは失敗し、ヘレンは生き残り、ヘリオットは数十名の反徒たちと共に死んだ。一説によれば、裏切りは元々有害な信者をあぶりだすための計略だったともいわれる。ヘリオットは、宗教画では幼い頃は純真なる白髪、青年になってからは背信の黒髪であらわされる。ヘレン教の教義に詳しい者にとって、ヘリオットとは単なる「裏切り者」以上の複雑な響きを持っている。
閉店間際の酒場に、ウォレスとダザがいた。ダザは最初こそウォレスを化物として警戒していたが、ウォレスの饒舌な語りを聴くうちに、すっかり話術に取り込まれてしまっていた。
そこに、一人の女性が現れる。ダザは咄嗟に清掃員のフリをした。
「儂が調査した結果によると、先々月から『粗悪な』精霊武器の流通量が『跳ね上がって』おる。武器屋の主人の話を総合すると、主な購入者はセブンハウス七家『ジフロマーシャ』と割れた。そしてその受け取り手は巧妙に偽装されておる」
「一つの疑問がある。この『大量の』『粗悪な』精霊武器は誰のためのものなのか? ヘレン教が己を守るためという理由では、こんな量は必要ない。 宙に浮いた武器たちはどこに行くのか? 公騎士団? 違う。リソースガード? 違う。エフェクティブには少し流れるじゃろう。だが儂は、この武器の大半は貧民街の者達の手へと渡るのではないかと危惧しておる」
「粗悪とはいえども精霊武器。使えば人が死ぬしろものじゃ。治安の悪化は避けられまい。事態が公騎士団の手におえなくなれば、暴動の鎮圧にはソウルスミスの傭兵どもが投入される。そうなればもはや恒例のガス抜きなどという話ではない。内戦じゃ」
「貧民救済計画の主役たる貧民が蜂起すれば、救済計画はあっけなく空中分解し、それに関わっている連中の取り分も無くなるじゃろう。否、大赤字になるじゃろうな。もはや『f予算』がどうだこうだとなどと言っている場合ではない。まさに一触即発。戦争前夜といった状況なのじゃ」
「『弾圧を抗争に』『抗争を内戦に』 救済計画をご破算にして、なおお釣りがくる大量の武器流通。いかにもセブンハウス七家『ジフロマーシャ』クックロビン卿の考えそうな極悪非道な計画じゃとは思わんか?」
「そして最初に言ったが、儂は『f予算』については興味が無い。誰がそれを手に入れても文句は言わん。必要ならば共闘でもなんでもしよう。じゃが儂には……それ以前の大問題が、精霊採掘都市リリオットには山積みになっておるように思えてならんのじゃ。のう、灰の教師メビエリアラよ」
ウォレスは振り向き、メビは微笑む。
「詭弁ですね。あるのは妄想と憶測だけ。あなたの言葉には理論も証明も含まれていない」
「では教会はまた儂の予言を無視するのか? 88年前のあのときのように」
「同じ過ちは犯しません。善処はしますよ」
メインストリートを一本外れた路地に、小さな武器屋があった。今では流行らない、木目調の建物。その古さといえば、柱の一本一本に毎年年輪が増えていると言い張っても、誰も彼もが信じそうになるほどだった。
真剣な目をした老人が、ウォレスの提示した品物を鑑定する。
老人のため息が、一つ。
「こいつは買い取れないね」「なぜじゃ?」ウォレスは問う。
「最近はちょっとばかり性能が悪くても、精霊駆動の商品ほうが売れ行きがいいんだ。こういう骨董品〔アンティーク〕は、もううちの界隈じゃあ取り扱ってない」
それは魔法のランプ。昼に消え失せ、夜になると再び輝き出すもの。それは「希望」という名の、昔ながらの魔法細工。かつて貴族たちがこぞって買い集めたそれも、今では精霊駆動のランプに取って代わられていた。
「そうか。この店にはずいぶん世話になったが……時の流れとは早いものじゃな」
「ウォレス……やはりおまえさんの感覚では、『このワシ』の世話になったというより、『この店』の世話になったという感想が先に来るか」
「ああ、先々代からの長い付き合いじゃからな。この店の造りには愛着がある」
ウォレスは柱の木目をなぞり、過去を思い慈しむ。
「最近、粗悪な精霊武器をまとめ買いしている貴族がいるという噂を聞いた」
「ああ、うちにも来たよ。どこもかしこも『これで不良在庫の処分が出来た』と大喜びじゃ。しかし景気が良いのはかまわんが、あれほどの数の精霊武器を、一体何に使うのか……」
「近いうちに……貧民たちが暴動を起こすかもしれぬ。あくまで可能性じゃが」
「暴動……」
「この街の公騎士団は、精霊武器を持つ者相手に手加減ができるようには作られていない。メイン・ストリートは血の海になるじゃろう。それを警告しに来た。その時が来たら、固く戸を閉めてやり過ごすことじゃ」
その助言を受けて、老人はへなへなと机に崩れ落ち、観念したように呟く。自分のせいで人がいっぱい死ぬと聞かされることほど、武器屋の経営者にとって残酷な話は無い。
「精霊武器の納入先は、ヘレン教教師ハルメルの倉庫だ。あの一代で成りあがった似非教師ハルメルの奴が、この件について何か知っているかもしれん……」
「ハルメル。あの成金ブタのハルメルか。ついに教師の座をカネで買ったか! 奴も偉くなったものじゃな!」
「では、何から話そうかのう」
慣用句である。思考する以前に、最初に訊くべきことは決まっていた。
「教師メビエリアラよ。率直に訊こう。この無謀な指令は、『f予算を狙う輩を打ち倒せ』というやつは、まだ有効か? 止められるのは今だけじゃ。中止しろと言ってもらえれば、儂は自分の城に帰る」本気で城に帰るつもりであった。だが。
「中止はしません」メビは微笑み、優しく残酷な声が響いた。
「あの指令は各教師たちの『願い』を精霊投票システムで最大公約数化したものです。誰もが皆『f予算は自分のものだ、誰にも渡さない』と考えている。だからそういう指令になってしまったのだと私は推測しています」
ウォレスはうんざりする。結局、こうなるのではないかと予感はしていたのだ。
「私からも訊きましょう。あなたは――どんな意味で不老不死なのですか?」
それは回復術を操る教師から見れば訊かずにはいられない疑問だった。言われて、ウォレスは考える。果たしてどこまで話したものか。メビは若い。だが驚くべき回復術の開祖でもある。知識もあり、機転も効く――
「ただ死んだことが無く、昔の記憶がある、としか言えんな。しかし実際のところは分からんぞ。どの街にも丘の上の古城の御伽噺はある。儂は何処かの時点から枝分かれしたコピーなのかもしれぬ」
自分がコピーかもしれないと語ってなお、ウォレスの精神は揺るがない。可能性だけならなんとでもいえた。あるいは世界は5分前に作られたばかりかもしれない。
「しかし本当に良いのじゃな? 結果がどうなっても知らんぞ? 儂はヘレン教の司祭でも教師でもない。教団の存続や、この街の未来にまでは責任は持たん」
「――歴史を紐解けば、そこにはいつも一人の意気地なし〔ウィルレス〕がいました。あなたはいつもそうやって、実力を隠して、出来事に目を瞑って、責任から逃げ回ってきた。意気地なし〔ウィルレス〕のウォレス。あなたの人生はまるでからっぽの伽藍堂のよう」
「そうじゃとも。儂の人生はからっぽの伽藍堂。しかも嘘と詭弁で塗り建てられておる。毎夜毎夜、己が己であることすら疑い、死の夢を待ち望む、弱く儚い化け物じゃ」
メビは少なからず落胆したようだった。不老不死の秘密を聞き出せるのではないかと期待していたのだろう。だがあいにく、ウォレスはそれを明かすつもりはなかった。
大商人ハルメルの豪邸に辿り着くには、門の前の受付を通さねばならない。
「私はヘレン教の特使でございます。緊急の用件で『大教師』ハルメル様に会いに来ました」
「『大教師』ハルメル様ですね。少々お待ち下さい……」
ハルメルのもとには、多くの商人が出入りしている。だが大商人と呼ぶ者はあっても、大教師と呼ぶ者は少ない。成金デブのハルメルは、何を置いても自分を「大教師」と呼ぶ者と優先的に会う。そんな自意識過剰な男であった。
金メッキを施された机が、棚が、皿やナイフやフォークが、シャンデリアに照らされてキラキラと輝く、無駄に悪趣味な一室。
ソファに腰掛けたハルメルは、皿の上の肉を貪りながら問う。
「それで、緊急の用件とは?」
「大教師ハルメル様、あなたに『裏切り者』の嫌疑がかけられております」と紫のローブを着た少年は言った。ウォレスである。
「それは、どどど、どういうことだ」ハルメルはびっくり仰天して言った。
「救済計画のことはよく御存知ですね?」
「あ、ああ、よく知っている。とにかく救済するんだろう?」ハルメルは咄嗟に嘘をつく。その反応から、実際はろくに会合にも呼ばれていないのがよくわかった。
「ハルメル様がセブンハウスにお貸ししている倉庫の中に、大量の精霊武器が納入されたとの噂が広がっております」
「それで?」
「そのこと自体は問題ではありません。しかしこの精霊武器、貧民の蜂起に使われるとの、嘘か誠かわからぬ情報が出回っております。貧民が蜂起すれば、貧民救済の大義が失われ、ヘレン教は大きな窮地に立たされます。その意味で、ハルメル様がセブンハウス側に付き、ヘレン教を裏切っているのではないかとの疑惑が……」
「そ、そんなことはない! 私が今までにヘレン教にどれだけ多くの寄進をしてきたと思っておる! 今回の救済計画にだってちゃんと、か、金を払う準備はしておるわ!」
「そうでございましょう。私も何かの間違いだという話だと了解しております。しかしハルメル様がセブンハウスに貸し出した倉庫に、精霊武器があるというのは事実ではありませんか?」
「それはセブンハウスが、あの『ジフロマーシャ』のクックロビン卿が勝手にやったことだ! 私は何も知らんぞ! そんなことで『裏切り者』の烙印を押されてたまるものか!」
「では、さっそく現地を見にまいりましょう。私はただその目で見た事実のみを報告するよう言われておりますゆえ」
翌朝。太陽が昇ってから数刻。
ハルメルとウォレスは、馬要らずの馬車に乗ってメイン・ストリートを駆け、ハルメルの倉庫へと向かう。
ふと前方を見ると、馬車の通り道に、奇妙な男が見えた。時計の仮面をつけた男が、ひょうひょうと風を切って歩いていた。本来なら危険なことこのうえない馬車の通り道を歩くという行為。だがウォレスには分かった。この男、高速移動する馬車の全てを「見切って」歩いている。並みの者にできることではない。
そこに、あのステンドグラス磨きの少女、ソラがひょいと現れたものだから、ウォレスはぎくりとした。時計の仮面をつけた男は、ソラの手をぐいと引っ張る。すぐそこを馬要らずの馬車が駆け抜けるのが見えた。
「ふう、危機一髪か。しかし、時計の仮面の男……この街に長く居るが、始めて見たのう。世の中とは広いものじゃ」
「何かおっしゃられましたか」ハルメルが問う。
「いえ、なんでもありませぬ」すぐに口調を戻して誤魔化すウォレス。
この先のハルメルの倉庫に、精霊武器が本当にまだあるのかどうか。それが、当面の懸念事項であった。
もし陰険邪悪なクックロビン卿によって既に精霊武器が動かされてしまっていたのなら、もはや全ては手遅れなのかもしれない。貧民の暴動は不可避なのかもしれない。そのときには、クックロビン卿を上回る鬼畜外道な策略を用いねばなるまい……ヘレン教を、この街を守るために。
しかもそれとは別に、「f予算」を嗅ぎ回っている連中についても調べた上で対処しなければならないときている。最近、酒場に居るとなんかリソースガードやフリーランスの連中がいっぱい絡んでくるようになった。それはそれで情報源として有効ではあるが、果たして。ソラに頼んだ伝言は一体どこまで正確に広まっているのだろうか。
ウォレスは策謀事とは筋違いと知りつつヘレンに祈った。どうかこれ以上面倒なことにはなりませんように、と。
連なるハルメルの倉庫。そこを守る公騎士団のうちの一人が、応対する。
「精霊武器は、ハルメル様のいいつけ通り、別の倉庫に移動する作業を行っております」
「なんだと!? 私はそんな指示を出した覚えはないぞ!」
「しかし、昨夜遅くにハルメル様が現れて、『今すぐ武器を移動させろ』との御指示を与えて下さったはずでは……」
「その時間、まだ私は自宅で寝とったはずだぞ!!」
「で、ではあのときのハルメル様は一体……」
「偽物〔フェイク〕ですな」ウォレスが声をあげる。
「これはやっかいなことになりましたぞ。ハルメル様」
「ど、どういうことだ!?」
「精霊武器は何者かによって勝手に移動されてしまった。おそらくあなたに『姿を変えた』人間によって。つまり……見方によっては、『あなたが』クックロビン卿の私物を横流ししたことになる。『あなたが』単独でヘレン教を裏切ったという形になる」
「な、な……」あまりの展開に、ハルメルは言葉が出ない。
「ハルメル様。あなたは『罠にはめられた』んですよ。もう手遅れかもしれませんが、移動先の倉庫に人をやって見に行かせるべきです。今すぐ動けば、あるいはまだ……半分くらいなら精霊武器を取り戻せるかもしれない」
「あ、ああ……セブンハウス七家『ジフロマーシャ』か!! あの黒髪のクックロビン卿が私を裏切ったのか!?」
「証拠は何もありません。したがって、このままいけば損害賠償は請求されるでしょうな――流出した精霊武器に匹敵する、莫大な金額を」
ハルメルはその金額を想像し、真っ青になって、ふらふらばたりと地面に倒れる。公騎士団の一人が仲間に救護を求め、ハルメルは担架で医療所へと運ばれていく。
精霊武器の移動は全て中止。速やかに元の倉庫へと持ち帰れ、と指示が飛び交う。だが、全ての倉庫に連絡が行き渡るのは、正午ごろになりそうだった。
ウォレスはめずらしく、酒場で悩んでいた。歴史の選択肢が自分の手に握られているとき、ときどきウォレスも悩むことがある。
あくまで指令の遂行を優先するか否か。それとも自分にしかできない選択肢を選ぶか否か。いずれにせよ、残された時間は……あまり多くないように思われた。
「――歴史を紐解けば、そこにはいつも一人の意気地なし〔ウィルレス〕がいました。あなたはいつもそうやって、実力を隠して、出来事に目を瞑って、事件から逃げ回ってきた。意気地なし〔ウィルレス〕のウォレス――」
メビの言葉が思い出される。意気地なしのウォレス。だが、意気地とはそもそも何なのだろう。指令を優先させる冷酷な義務感か。内戦を回避するという熱血の正義感か。
「儂は意気地なし〔ウィルレス〕じゃ……」
今日だけは、酔えない体質であることが恨めしい。ウォレスの脳裏にふと、一人の青年の姿が浮かんだ。もし、これがダザならどうしただろう? この街を愛し、家族を愛し、汚れ仕事を引き受け続けるあのダザ・クーリクスなら。――いや、訊くまでもないことか。
「指令を優先する」「内戦も回避する」両方やらなくちゃあいけないのが、裏切り者〔ヘリオット〕の辛いところじゃな。ウォレスはぐいと酒を呷ると、何も書かれていない羊皮紙にペンを走らせる。
暁の教師ファローネ宛に、手紙を書く。
拝啓 街の歪みと軋みがギリギリと音を立てて崩壊に向かう中、如何お過ごしでしょうか。似非教師ハルメルの倉庫からおよそ半数の精霊武器が盗まれたことは、早晩あなたのお耳に入ることでしょう。
メビに伝えた通り、考え得る最悪のケースは「貧民の暴動」。すなわち「救済計画のご破算」です。与えられた「f予算を狙う輩を打ち倒せ」という指令に従うならば、儂はこの貧民の暴動を見逃すつもりでおりました。否、支援するつもりでさえありました。
ヘレン教への弾圧が激化し、「f予算」などというものに関われないほどに教団が疲弊するまで放置することもやぶさかではありません。
しかし、儂の知るある男ならば、おそらく同時に「内戦も回避する」と言って憚らないでしょう。彼の正体は、精神は、正直なところ、儂よりずっと強いものなのです。
『f予算を狙う輩を打ち倒せ』『そして内戦をも回避する』それにはおそらく大きなペテンが必要になる事でしょう。以下に計画書の原案を同封致します。ご一考のほどをよろしくお願いいたします。 敬具
ウォレスは蝋で封をすると、【速達】【極秘】【超重要】【親展】【エフェクティヴの中の人の閲覧禁止】など、ありとあらゆる文句を書き付けて郵便局のポストに突っ込んだ。あとのことは、おそらく教師たちが判断するだろう。
酒場でやることのないウォレスは、今日も定期的なお喋り大会を開いていた。
ウォレスの饒舌な語りをタダで聴こうと、周囲に人だかりができている。
「それはつい一昔前、たった100年ほど前のことじゃった――ダウトフォレスト攻略作戦のため、1000人の兵士と傭兵たちが集った。いずれも皆、名の知れた古強者たちじゃった」
「100年前なんて俺のじいさんも生まれてねーぞ」「どのへんが『一昔前』なんだ?」「嘘もたいがいにしとけよオイ」公騎士団やリソースガードの面子たちが笑う。だが、本音では紫色の少年が語る与太話に、誰もが皆聴き入っているのだ。
ライは酒場の入口で立ち惚けていた。ウォレス・ザ・ウィルレス。丘の上の古城に住む魔法使い。手紙の中に書いたことはあるが、リアルに遭遇したのは初めてだった。
「あの大戦の最中、リリオットに展開した大国グラウフラルの部隊は、エルフたちによる背後からの奇襲、挟撃を恐れた。そこでグラウフラルは、1000名の古参兵を引き連れ、最強の布陣でダウトフォレスト攻略作戦を決行した――にも関わらず、部隊は壊滅した。生存者は僅かに一桁!! それも半分は狂気に支配されていた……」
全員が息を飲み、続きを聞こうと耳を立てる。
「一体何が起きたのか? 僅かな生存者は語った。『森が襲ってきた』『あの森は生きている……要塞なんだ』『胃袋の中に入れば消化されるのと同じこと』『エルフ、狼男、トロール、ツリーフォーク、そして、ああ、ああ、あの化物』」
「『目〔オクルス〕』だ……目が来る……あいつが来る……逃げられない……誰も逃げられなかった……誰も逃げ切れなかったんだ!!」
「目〔オクルス〕ってなんだ?」「トロールより恐ろしい化物か?」酒場には屈強な男たちもいた。だが目について知るものは少ない。
だが、ライには目について、僅かばかりの知識があった。
「ところでお主、座ったらどうじゃ?」ライが自分のことを言われていると気付くのに、10秒かかった。
「目の怪物というと、バジリスクですか?」思いつくままに、ライが問う。
「うむ。この世に目のある怪物は数多い。ドラゴン、ベヒモス、サイクロプス……しかしその中でも一等恐ろしいのがヘビの王、バジリスクじゃ。バジリスクは『死の魔眼』を持っており、見たもの全てを殺すという言い伝えがある」
「じゃあ、目〔オクルス〕ってのはバジリクスのことか?」
リソースガードの言葉に、ウォレスはゆっくりと首を振る。
「あるいはそうかもしれぬ。違うのかもしれぬ。本当のところは誰にも分からん。じゃが儂は、この場合の目〔オクルス〕とは、文字通り天窓〔オクルス〕だったと解釈するのが妥当だと考えておる」
言葉遊びだ、とライは思った。
「森そのものに『目』がついていて、それに真上から直視されたのなら。人は恐れ戦き、逃げ出そうとするのではないか? いかな強者とて狂気に陥り、身も心も壊されてしまうのではないか?」
ライは想像する。森の真上に現れた巨大な目を、天窓を。想像するのは得意だった。だが、今回はあまりに規模が巨大すぎて、想像が追いつかない。しかしそれでよかったのかもしれない。ライのまわりには、あまりのスケールの大きさに、天を仰いだり、手で目を覆い隠したりする人々がいた。
「ダウトフォレスト。その名前そのものが一匹の単眼の化物の名前なのではないかと、儂はときどきそう思う。それは恐ろしいことじゃ。畏怖せねばならぬことじゃ」
「汝、この世に生を受けたる者なれば。たとえ何があってもダウトフォレストには近づかぬことじゃ。どんなに報酬が高くても、死んでしまえば元も子もないからの」
ライは思う。ならばこの与太話を熱く語るこの紫色の物体は、いったいどこで生まれ、何を見てきたのだろうかと。そう考えると不意に可笑しくなって、ライはウォレスを見て笑った。
暁の教師ファローネは、差出人不明の封書を破り、中身を一瞥する。
冒頭の皮肉を読んで気付く。この手紙は、あの誇大妄想狂の紫色〔バイオレット〕からだ。
――似非教師ハルメルの倉庫からおよそ半数の精霊武器が盗まれたことは、早晩あなたのお耳に入ることでしょう。
入っていない。断じて耳にしていない。この手紙が書かれた時間から逆算すると、ハルメルが口止めに動いたか。しかしいくら口止めを徹底しても、この件が公騎士団の口から洩れ、噂になるのは時間の問題だろう。
――メビに伝えた通り、考え得る最悪のケースは「貧民の暴動」。すなわち「救済計画のご破算」です。
この妄言も聞いていない。いや、少なくともメビエリアラには伝わっているのだから、情報の確度が足りずに報告が上がっていないか、単に情報伝達に遅延が発生しているのか。
――与えられた「f予算を狙う輩を打ち倒せ」という指令に従うならば、儂はこの貧民の暴動を見逃すつもりでおりました。否、支援するつもりでさえありました。
完全な裏切り行為の告白である。ウォレスは自ら、黒であることを証明した。そのあとに何と書いてあろうと関係無い。ウォレスは救済計画の邪魔に――だがその後に書かれた文章は、暁の教師ファローネを激昂させるに十分だった。ファローネは髪を逆立て、長くたくわえた髭をぴりぴりさせる。
――「f予算を狙う輩を打ち倒せ」「そして内戦をも回避する」それにはおそらく大きなペテンが必要になる事でしょう。以下に計画書の原案を同封致します。
計画 原案
1)精霊武器の回収
・(貧民自身による)盗まれた精霊武器の保管場所の探索
・情報提供料は以下の通り
・1精霊武器あたり、銅貨五枚
・10精霊武器あたり、銀貨四枚
・100精霊武器あたり、金貨三枚
・早期に危険を察知し、これを排除する
・貧民に、武器を使うより、情報を売った方が早いと思わせる
・公騎士団との連携
・精霊武器の確保および照合
・教師ハルメルの保護、拘束
・――
2)エフェクティヴとの協定――
そこまで読んで、ファローネは理性を失って吠えた。脳内で。
「情報提供料だと? こんな金がどこにあるのか! 既存の権益の拡大すらままならぬというのに、ハルメルの失態の尻拭いをして回れというのか? あげくエフェクティヴとの協定だと!? 奴らに勝手に《ニュークリアエフェクト》など起こされてたまるか!! 死刑だ! あのクソガキは死刑! 死刑!死刑!死刑!死刑!死刑!」
しばらく脳内で吠えたのち、暁の教師ファローネは一つ咳払いをする。元来の理性を取り戻し、ファローネは思考する。
策謀連鎖網は依然として健在。エフェクトはまだ何も起こっていないに等しい。灰の教師メビエリアラからの報告は上がってきていない。あとはただ、このバイオレットの戯言を却下すれば、それで済む話だ――本当に?
ファローネは思考の中に一つのひっかかりを覚えた。もしバイオレットがまだ存命であるとするならば、今一体、メビエリアラは何処で何をしているのだろうか、と。
精霊投票システム。
それは墓碑の司祭ヤズエイムが概念構築に直接関わった、理想の意思決定システム。
システムの基盤部分は、純度の高い精霊結晶に人の意志が宿るという仮説を元に、ヘレン教技術部の技師たちによって開発された。複数の意志の総和の中から、もっとも大きい意志を抽出する、全自動採択システム。嘘やごまかしの入る余地の無い、単純にして最大の知恵と啓示を与える投票システム。
だが、当の装置を開発したヘレン教上層部の間でさえ、そのシステムは持て余されていた。なぜならその最大公約数採択に至るまでの推論プロセスがブラックボックスであったから――いや、それは言い訳にすぎない。推論プロセスは後からでも検証できる。十分な時間を掛けさえすれば、生身の人間でも同じ結論に辿り着くことができるだろう。十分な時間――そう、十年か二十年議論を尽くしたのならば。
結論から言えば、精霊投票システムは、あまりに天啓じみていた。それゆえに使用が忌避されたのだ。誰もが皆、真実を知る心の準備ができているわけではない。唐突に与えられる正解とは、時として残酷な凶器になり得る。
議長である墓碑の司祭ヤズエイムが、精霊投票システムに判断を委ねようと言った時、それは議論という重大な過程をすっとばしたショートカットを用いることを意味していた。当然不平が出る。しかし精霊投票システムは実際に、鋭利な答えを与え続けてきた。システムはある意味で盲信されてきた。常にヘレン教にとって都合のよい正答を出し続けるだけの存在だと思われてきた。
精霊投票システム自体に意志が宿っていると考える者など、どこにも居なかった。
「f予算を狙う輩を打ち倒せ」
その指令がウォレスに下ったときも、誰も文句は言えなかった。しかしそのとき≪受難の五日間≫は自己矛盾に気付くべきだった。「f予算を狙っている自分達」がその指令に含まれていることは明白だった。それは明らかな反逆の指令だったのだから。
精霊投票システムの前で、暁の教師ファローネは精霊結晶に意志を込める。このシステムは、別に複数人でなくては使えないということは無い。一人でも使用できた。自らの心の内を、システムの中にさらけ出すことさえ厭わなければ。
「ウォレスを大教会に呼び出せ。あそこでなら戦闘は起きない。直接会って尋問するのだ」
それは自分一人でも到達できたはずの結論であった。精霊投票システムは、無数の推論プロセスに従って、それを後押ししたにすぎない。少なくとも、建前上は。
「クックロビン卿が死んだ」
日没後。
大教会の礼拝堂の中央で待ち受けていたウォレスの言葉に、現れた教師ファローネは愕然とする。市井に下りているウォレスのほうが、風の噂には詳しい。その単純な情報力の差が、正装の、赤いローブを着た暁の教師ファローネの威厳を吹き飛ばした。
「リソースガードのコイン女も死んだ。メビは負傷しておるが、幸い死んではおらん……」
ファローネは己の思考を言葉にしようとして、怯え、逡巡する。
「――ヘレン教はもう『おしまい』か?」ウォレスが言葉を継ぐ。
「答えは『否』じゃ。まだ儂らがいる。暁の教師ファローネがいる。錆の教師ジゼイアがいる。堆肥の司祭フトマスがいる。墓碑の司祭ヤズエイムがいる。灰の教師メビエリアラもいずれ回復する――しかし、まだ『死の連鎖』は、終わってはおらん」
「触れてはいけないエフェクトに、触れてしまったのか」ファローネが呟く。
「おそらく、そう考えるのが当たりじゃろう。このところ死人が増える一方じゃ。なんなら今ここで儂とやり合うか?」
「教会で冗談はよせ、紫色〔バイオレット〕――いや、ウォレス・ザ・ウィルレス」
「そうじゃな。冗談を言い合っている場合ではない。事はヘレン教の存続に、この街の未来に関わることじゃ。計画書は読んだな?」
「ああ読んだとも。だがまさか本当なのか? 本当に貧民蜂起が現実味を帯びていると? 救済計画がご破算になり、ヘレン教に危機が訪れるかもしれないと?」
「そう書いたはずじゃ。じゃが、もう遅いのかもしれぬ。今から公騎士団やエフェクティヴとの交渉に入っても、相互不可侵協定の締結には間に合うまい。今はヘレン教弾圧の三年目じゃ。忘れたわけではあるまいな?」
「クックロビン卿は……メビエリアラが独断で殺したのか?」
「自刃したらしい。じゃが、公式発表ではメビが殺したとして処理される可能性が高いじゃろう。『貴族殺し』の教師、メビエリアラ。ヘレン教の差し向けた極悪非道な暗殺者。それを匿うヘレン教徒は皆悪人、という筋書きになるじゃろうな」
ダウトフォレストに関して、守られるべきだった「契り」がある。88年ごとに、更新されるべきだった盟約がある。
セブンハウス七家「ジフロマーシャ」のクックロビン卿亡き今、それは唐突に、南の農村部近くにあるセブンハウス七家「モールシャ」バーマン卿の管轄となった。バーマン卿はその相互不可侵契約の条件の履行、再契約を行う必要性に迫られていた。
邸宅の一室で、バーマン卿は悩み続ける。
「どうすればいい? どうすればいいんだ?」
バーマン卿は赤い絨毯の上を歩き回りながら、ずっと一つのことを思い悩む。
それはたった「88人」の犠牲者のこと。換算すれば毎年たった一人だけの人間を、生贄として捧げる行為。そのツケが、延々溜まっていた。契約の終わる88年後の今、88人にまで。
「一体私はどうすればいい? もはやお前の機転だけが頼りだ。私にはそんな数の犠牲者をかき集めるアイデアが無い。いや勇気すらない。リリオットとダウトフォレストとの間に、まさかこんな語るもおぞましい契約があるなど私は知らなかった。本当に何も知らなかったんだ」
「では張り紙を張り出しましょう」青年は提案する。
「張り紙? どんな張り紙だ?」バーマン卿は問う。
「第二次ダウトフォレスト攻略作戦。参加者急募。内容は約100名での威力偵察行為。前金、戦果に応じて賞与あり」
「馬鹿な……貧民ならまだしも……民間から……公騎士団やリソースガードから犠牲者を募れというのか?」
「ジフロマーシャ時代、このツケは溜まりすぎました。おそらくただの88人ではもはや足りない、許してもらえない。ダウトフォレスト攻略を意図する、ダウトフォレストへの『明確な悪意』を持った88人を贄に捧げなければ!」
「捧げなければ……どうなる? ツケを踏み倒すという方法だって無いわけでは……」
「捧げなければ、おそらくエルフたちが侵攻してきます。精霊武器を持たないとはいえ、精神感応網でつながった森の軍勢どもは侮りがたい。リリオットはたちまち戦場となるでしょう」
「私は……私は悪人にはなりたくない。悪人にだけは……」
「別にいいではないですか、バーマン卿。知り合いや同胞が皆死ぬというわけでもないでしょうに」
ラクリシャ家の末弟ムールドはバーマン卿の肩に手を置く。するとバーマン卿の全身が、びくびくと痙攣した。
「張り紙を……張り紙を張り出さなくては……」
バーマン卿の言葉は、思考は、スプーンを曲げるように、簡単に捻じ曲げられた。
ソウルスミスのクエスト仲介所に、大きな張り紙が一つ。
第二次ダウトフォレスト攻略作戦。参加者急募。内容は約100名での威力偵察行為。前金、戦果に応じて賞与あり 詳細はセブンハウス七家「モールシャ」バーマン卿まで
「あのダウトフォレストに挑むのに、たった100人? 自殺行為だな!」張り紙を見た一人の年老いた傭兵が、大声で言った。
「酒場の紫のガキの与太話を信じるわけじゃねえが、100年前に1000人で行って全滅したってのがホントなら、死にに行くようなもんだろう?」
年老いた傭兵は道化師のように、大げさに肩をすくめてみせた。
「だが時代は変わった。こっちには精霊武器があるんだ。ダウトフォレストがどうした! 古臭いエルフどもなんか蹴散らしてやる!」若い傭兵が応える。
別の傭兵が言う。
「どうだかな。エルフのほうでも戦略や戦術は進歩してるのかもしれん」
若い傭兵が言い返す。
「だったらなんで攻めてこないんだ? 俺たちにビビってるんじゃないのか?」
年老いた傭兵が呟く。
「まったく、近頃のガキは、『盟約』のことも知らんのか」
「『盟約』? 一体それがどうしたっていうんだ?」若い傭兵が無知をさらけ出す。
「大国グラウフラルが88年前に宣言した『終戦協定』だよ。周辺国との戦争を一方的に打ち切って、今後数十年だか百数十年だかは、軍拡せず防衛に徹すると誓ったんだ。一体誰に、何に賭けて誓ったのかまでは知らんがな。それで、ダウトフォレストからの侵攻も止んだ――」年老いた傭兵は言葉を切る。
「ダウトフォレスト『からの』侵攻?」周囲の傭兵が訊き返す。
「ああ、ダウトフォレストからエルフどもが這い出してきたことが、一度だけある――これは聞かなかったことにしてくれよ。リリオットに展開していたグラウフラルの軍隊の一部が、まるで見せしめのように皆殺しになったんだ。殺戮現場の目撃者は誰もいない。残っていたのは死体だけだった。そして、それは人間にはとてもできないようなむごい殺され方だった。だからエルフのせいだと――」
老兵が語り終える前に、ひとかたまりの公騎士団の集まりが、がやがやと音を立てて、クエスト仲介所に割り込んできた。ソウルスミスのクエスト仲介所に、ぴりぴりとした緊張感が走る。
一人の騎士団のリーダーらしき男が言った。
「ここに、ダウトフォレスト攻略作戦に名乗りを上げる者はいるか?」
リソースガードの傭兵たちは、互いに目配せをして、顔を背けて歩き去る。
「ふん! 腰抜けの臆病者どもめ!」
「……なんとでも言うがいいさ」さきほどの話を聴いていた、若い傭兵が呟いた。
「昔から言うじゃないか。『少しのことにも、先達はあらまほしき事なり』ってね」
喧騒の礼拝堂の片隅に、赤い髭をたくわえた猫がいた。
背筋を伸ばし、あくびをする。とててて、と猫は駆けた。駆けて、公騎士団の前に立った。そして一言「にゃー」と鳴いた。颯爽と現れたその猫は、猫語で「そこまでだ」と言っていた。「ヘレン教にあだなす悪党よ、そこまでだ」と。
――言っていたが、公騎士団には猫語が通じなかった。
「なんだ? この赤い猫は?」傭兵達が問う。
「知るか。ただの野良猫だろう。今、大事なところなんだ。猫なんぞに気を取られるな!」ハスは吐き捨てる。
しかしその言葉に割り込むように、猫はにゃあーと鳴いた。その姿はたちまち、赤いたてがみの獅子のそれに変わっていた。がるるるる。一匹の獅子は公騎士団の前に立ち、威嚇する。
「な、猫が……猛獣に……」傭兵たちが怯んで下がる。ハスの顔がひきつった。
焔の騎士は、精霊武器のランスの先端を、獅子に向ける。
「貴様、ただの猫ではないな!! 正体を現せ!!」焔の騎士が怒鳴る。
それに応えるように、ライオンが吠える。その姿は再び変わり、今度はさらに巨大なものへと変化する。礼拝堂の半分を埋めるほどの巨躯。それはライオンの身体に人間の顔、鷲の翼を持つ、スフィンクスの姿であった。
「幻術? いや、これは、このプレッシャーは……『変化の術』か!?」焔の騎士が呟く。
「汝らに問う」スフィンクスは口を開いた。
「朝に四つ足で歩き、昼に二つ足で歩き、夜に三つ足で歩く化物、それはなんだ?」
「馬鹿げた謎かけ〔リドル〕に付き合っている暇はない!」ハスが怒鳴る。
するとスフィンクスは公騎士団の一人を前足で雑作も無く摘み上げて、けだるそうにぽいと投げ捨てた。
「不正解」投げられた男は、礼拝堂の椅子に激突して跳ね、動かなくなる。
「き、貴様ァ!?」公騎士団と傭兵たちは、スフィンクスを包囲するべく円陣を組む。
だが、スフィンクスは動じず、高みから見下ろす。
「再び汝らに問う。朝に四つ足で歩き、昼に二つ足で歩き、夜に三つ足で歩く『化物』、それはなんだ?」スフィンクスは問う。
「そんな謎かけ〔リドル〕、おとぎ話を聞いたことがある者なら誰でも知っている!!」ハスは叫んだ。
「答えは人間。人間だ!!」
「そう。答えは人間。人間は二つ足で歩く『化物』だ。お前たちは人間であり、人間という名の『化物』だ。滅ぼされるべき『化物』だ。いまお前たちは、自分でそう答えたのだから――ウォレス。時間は稼いだぞ」
「『ウォレス・ザ・ウィルレスの首切り鎌!』」
子供のような甲高い声と共に、虚空からぬるりと無数の刃が現れ、ハス以外の公騎士団と傭兵たちの喉元をざっくりと切り裂いた。
場違いな鮮血が、礼拝堂に溢れる――
「なんの騒ぎかと牢屋にきてみれば……。やれやれ。貴重な情報源が死んでしもうたか」ウォレスは残念そうに言った。
牢屋。
見知ったステンドグラス磨きの少女、ソラが倒れる傍らには、黒髪の男と干からびたハスの死体があった。
「黒髪の男……お主は敵か? 味方か?」声は子供のそれであったが、敵ならば殺す、的なニュアンスの台詞であった。
「名前はマックオート・グラキエス! 味方です! 完全に完璧に味方です! いやついさっきまで監禁されてましたけど! いまはソラちゃんが暴走してたのをかろうじて止めたところです!」
「監禁……ソラ……暴走……ああ、そういえばメビを教会に連れてきた怪しい黒髪が居ると聞いておったが、それがお主か」
ウォレスは合点したようだった。
「儂はウォレスという。そうじゃな……黒髪嫌いのメビに代わって礼を言っておこう」
「黒髪の俺に対して感謝をしてくれるんですか?」
「儂は黒髪にはそれほど抵抗感が無いのでな。なぜなら『死』というものは――髪の色に関係なく、平等にやってくるものじゃ。そうは思わんか?」
「はは……確かに」
この紫色は危ない。ヘレン教に珍しい無差別主義者かと思えば、死は平等だから差別はしないと言う。主義主張の根底が狂っている。
「それでは、そこのハスの死体をこっちによこしてくれんか。貴重な情報源じゃ。まだたくさん使い道はある」
「え? でもこれ、完全に死んでますけど……」
「ゾンビにする」
「え? 今なんて……」
「じゃから、生ける屍〔リビングデッド〕にして死ぬ前の記憶を吐かせる」
マックオートは、紫色の子供が言っていることがよくわからない。死体から情報を得るなどというおぞましい行為が、本当にできるのだろうか。呪いについては詳しいが、さすがに禁忌(そっち)方面の知識は少ししか持ち合わせていない。普通に考えてできるわけがない。できるわけがないのだが――紫色の子供の目は本気だ。
「し、死者の尊厳とかそういうのは?」
「死者に人権は無い。ヘレン教の敵だった者ならなおさらじゃ。とにかく情報だけは吐いてもらう。拷問して吐かせるほうがよほど簡単だったのじゃが……まあこの際しかたがあるまい」
「『ヘレン教ってこんなのばっかりなのか――』とは思わんでくれよ」
思考を先読みされたような台詞に、マックオートは思わず唾を飲み込んだ。
元・公騎士であったハス・ヴァーギールは、ため息を吐いた。
気絶から目覚めたところを、紫色のガキ、黒髪、白髪に色々訊かれた。回らない頭で、嘘を吐くこともままならず、全部喋った。どうやら生き残ったのは自分だけのようだったし、計画の大失敗を考えれば、全部喋ってヘレン教の捕虜になったほうが得だと考えたのだ。
が、考えが甘かった。あろうことか、ヘレン教は自分を釈放した。
教会襲撃は完全に失敗。ソラを教会に誘導し、黒髪のリソースガードを雇って日ごろの鬱憤を晴らさせよう、そして「救済計画」や「f予算」について聞き出そう、という計画だったが、インチキじみた教会勢力に完全な敗北を喫した。
というか、未だに自分の身に起こったことが理解できない。猫がライオンになり、ライオンがスフィンクスになった。時間稼ぎをされている間に、ありえぬほど鋭利な魔術が公騎士団を襲った。自分以外は全員死んだ。
いや、自分も死んだのだ、とハスは思う。あの時、ソラの手によって、自分は確かに死んだはずなのだ。
動く死体〔リビングデッド〕。
視界に入る風景は全て灰色に染まり、自分の心臓の鼓動は完全に停止している。
ハスは騎士団長に全てを報告しに戻った。そして全てを話し終えた時、待っていたのは「裏切り者」というレッテルだった。分かってはいた。自分一人だけが生き残ったという事実は「仲間を売った結果」としか解釈されないであろうことは。
公騎士の資格の剥奪。そして、ただ「目の前から消え去れ」とだけ告げられた。
ハスは泣きたかったが、あいにく涙は枯れていた。
迷った末、ハスはソウルスミスのクエスト仲介所に向かった。職が無くなった今、日銭を稼がなくては生きていけない、と思ったのだ――もう死んでいるというのに!
クエスト仲介所に入った瞬間、「ダウトフォレスト攻略作戦 『f予算』『レアメタル』『エルフ』」という張り紙が目に入った。そこには「前金」とも書かれていた。ハスは状況に流されるように、そのクエストに応募した。幸い公騎士としての風体はまだ有効だった。
「おめでとうございます! あなたは100人目の応募者です! 当選金は前金に上乗せさせて頂きます!」
100と書かれたナンバープレートを受け取りながら、ハスはただぼんやりと思った。自分は死んでしまったというのに、もはや公騎士では無くなってしまったというのに、一体何がおめでたいのだろう、と。
教会襲撃のどさくさに紛れて、ウォレスは、ソフィアから純白の魔剣、追憶剣エーデルワイスを押し付けられた。
ソフィアから話を聞くと、教会の「ヘリオット」の宗教画にある剣と瓜二つだというので、ヘレン教絡みの魔剣ではないかという。宗教画にほとんど興味を持たないウォレスであったが、言われて見比べてみると確かに似ている。純白であること以外にも、刀身の形とバランス、柄の特徴などが一致している。
夜明け前。ウォレスは教会の個室で、剣を見つめる。
いや別に夜明け前である必要はないのだが、礼拝堂の掃除をしていたらこんな時間になってしまった。礼拝堂はいつも綺麗にしておかねばならん。汚したのは儂じゃから、儂が責任を持って掃除をせねばならん。そういうところは律儀なウォレスであった。
はてさて。ウォレスは剣は専門ではない。ヘレン教の歴史も専門ではない。
それでも300年も生きてインカネーションの遊撃部隊に属していれば、いやがおうにもヘレン教の教えと歴史は頭の中に入ってくる。人並み以上に知り尽くすことになる。
幼きころ、純白の髪をしていたヘリオット。裏切りゆえに、漆黒の髪へと変わったヘリオット。だが普通に考えれば、白い髪が黒くなることなどありえない。ならば、ヘリオットの黒髪化は後世の後付けなのか?
否。これだけ長く生きていれば、ヘレン教の教えが後世の後付けかどうかくらいの判断はつく。むしろヘリオットの伝承は、ヘレン教の創成期から伝わるヘレン教の原典の中にも、物語として含まれている。
ウォレスは考える。ならば、もともとヘリオットは黒髪だったのではないか。それが、追憶剣エーデルワイスのせいで、髪の色が白く変わっていたのだとしたらどうだろう? 全ては憶測ではある。だがつじつまは合う。
もしこの剣がヘリオットの持ち物だったとしたら。彼が裏切りを決意したとき、初めてその魔剣はその身から離れ、髪の色は元来の漆黒に戻ったのではないか。彼が己の最も大切にしているものを捨て去った時、同時に魔剣は彼を見放したのではないか。
そこまで考えたところで、ウォレスは骨董屋"螺旋階段"を営むソフィアに、魔法細工「希望」を買い取ってもらうことを思いついた。あるいはそれはランプを失ったソラに与えられるべき定めだったのかもしれぬ。そうじゃな、これは情報提供料ということにしておこう。
精霊採掘都市リリオットに、今日も朝日が昇る。
第二次ダウトフォレスト侵攻作戦
「f予算発見の鍵」「封印宮の地図」「目〔オクルス〕の討伐」「貴重なアイテムの入手」「エルフとの対話」「精霊武器による制圧」
メリットは無数にあったが、デメリットのほうも噂になっていた。
まず、当然のことながら「全滅の可能性」。これは実際にありえた。
その他にも「88人の生贄という噂」「エルフは透明になって襲ってくるという噂」「エルフは人間と喋らないという噂」「目〔オクルス〕は誰にも倒せないという噂」「精霊武器が無効化されるかもしれないという噂」
噂。噂。噂。
どれが真実でどれが嘘なのか、ハスには分からない。だがダウトフォレストに行って帰ってきた者がいないのは事実だった。公騎士だったときに話を聞いたことがある。ダウトフォレスト行きは、死刑よりも恐ろしい刑なのだと。
とりあえずハスは前金をもらって、食堂で飯を食った。が、いくら噛んでも「砂の味」しかしない。ハスは出された料理のほとんど全部を残した。心臓は止まり、胃での消化活動すら行なわれていないのだ。食事はもはや楽しみでは無い。
死にたい。しかし死ねない。
ハスは100と刻まれたナンバープレートを首に掛け、それを見ながら思った。
ダウトフォレストの奥深くで、俺はエルフに殺されて死ぬんだ、と。矢で死ぬのか、剣で死ぬのかまでは知らないが、それでこそ俺の哀れな人生は完結するのだ、と。
だが、あいにく、ハスはエルフたちに殺される運命にはなかった。
エルフは約束を守る。88人と言ったからには、88人しか殺さない。それ以上の余った人間は、虐殺の現場を、そして目〔オクルス〕への供物を捧げる行為を見届けるという、神聖な役割があった。
***
ダウトフォレストに、アルケーという名のエルフがいた。戦闘能力の無い、最も弱い種類のエルフである。だがそれだけが、人間とエルフを繋ぐ架橋者(かきょうしゃ)であった。精神感応網で繋がった全てのエルフの知恵と意志を、人間の言葉で代弁する、ヒューマノイドインターフェイスとしての、アルケー。
彼はエルフの全ての叡智の結晶。
彼はきっと答えを与えるだろう。十分な対価さえ与えたならば。
彼はきっと問いを与えるだろう。十分な対価さえ与えたならば。
最弱のエルフ。しかしその姿形は、偶然にもヘレンそっくりであった。
「――というわけで、裏路地での戦闘により、ウォレス・ザ・ウィルレスを撃破しました。負傷のため、俺はいったんひきあげましたが、後に第一発見者から通報を受けた公騎士団により、ウォレスの死亡が確認され、死体は共同墓地に埋葬されました」
肩に包帯を巻いて、ダザは課長に報告する。負傷のせいで、報告が少し遅れた。ウォレスの爺さんには悪いことをしたが、上からの指令だったのだからしかたがない。ダザはいつも通りに、ターゲットの死を、そう割り切っていた。
だが、普段なら「ご苦労」などと声を発するはずの課長は、黙して何も言わない。
「あの、何か問題でも? これで俺の潔白は証明されたはずですよね」
「――本当に、死んでいたのかね?」
その質問に、ダザは少しむっとする。ダザは多くの暗殺を経験してきた。ターゲットが死んでいるか死んでいないかの判断くらいはつく。ダザは念を押すように言った。
「直接は確認していませんが、死体は公騎士団によって検死済みです。心臓は停止していましたし、瞳孔も開いていたとの報告書が上がっています。これでは不満ですか」
課長はしばらく沈黙し、そしてまた口を開く。
「そう、たとえば、首と胴は切り離したのかね? 心臓を貫いて潰したのかね?」
「課長。一体何を言っているんですか。それじゃまるで、不老不死の化物の――」
そこまで言って、ダザは課長が何を言わんとしているかに気付き、ぞっとする。
「ウォレス・ザ・ウィルレスは不老不死だと噂されている。無論、君との戦闘でウォレスが死んだということを疑っているわけではない。それだけの大怪我をしてまで君が嘘をつく理由は無いからな。ただ、その後の後始末をどうしたのかと、少し疑問に思っただけだ」
「――引受人の無い死体は、葬式無しで、共同墓地に埋葬されます。墓掘人が深い穴を掘って、死体を埋めて、土を被せて、それでおしまいです」
「そうだな。そうだったな。いや、要らんことを訊いた。今の会話は忘れてくれ。よくやってくれた。君の潔白は証明されたよ。ただ――」
「ただ、何です?」
「君も知っているだろうが、ダウトフォレスト攻略作戦が計画されている。その志願者名簿に、『ウォレス』という名前が書かれていたそうだ。だが君との戦闘以降、紫色のローブを着た少年は全く目撃されていない。きっと――同名の赤の他人だろう」
深夜。墓場には死が集まる。そして死はウォレスの手足でもある。
土中からの「死」の連打は、墓地の一画に人が通れるだけの縦穴を開けた。ウォレスは穴の中から這い上がる。
ヘレン教の死者に与えられる純白のローブを叩き、土を落とす。染色技術が発達した現在において、白はありふれた、みすぼらしい色だ。だが、今はこのほうが都合が良い。
「紫色のウォレスは死んだ。思った通り、儂は御伽噺のウォレス・ザ・ウィルレスなどではなかった。不老不死の、常勝不敗の、無敵の化物など存在しない。今や儂はただのウォレス。白のウォレスじゃ」
時は朝。ウォレスは街を疾駆する。
復活の直後、ウォレスは日付を指折り数え、ダウトフォレスト攻略作戦が近いことを知る。時間が無い。ウォレスは駆けた。ときに獣のように、ときに鳥のように。最短距離を駆け抜けてダウトフォレストに向かう。
森は、既に戦闘準備を整えているようだった。ウォレスは飛び来るエルフの矢を避け、森の中に侵入した。公騎士団、リソースガード、インカネーションの死屍累々。その傍らには、黒髪の少女とソフィア、そして伝承の中のヘレンそっくりのエルフが居た。純白のローブを着た、白のウォレスが、ソフィアの隣に立つ。
「どうやら間に合ったようじゃな」
「あなた誰?」えぬえむが問う。
「ウォレスさん!」ソフィアが答える。
エルフはウォレスの顔を見つめ「ウォレス。久しぶりですね」と言う。それはむかしにあった因縁を感じさせるような、あるいは久方ぶりの友を見た時のような、不思議な対応。
「顔見知りなんですか?」「若い頃に、な」ウォレスは呟く。
「さて、よければ儂の話も聞いてくれんかのう。今回は対価として『幸運のコイン』を持ってきたが、これではどうじゃ?」投げられるミスリル貨。それはありえぬことに、両面が表に彫られたコインであった。
「『幸運のコイン』――持てば好きなだけの金銀財宝が手に入ると言われる――我らは金銀財宝に興味はないが、このコインが持つ貴重さは理解しているつもりだ。交渉の資格ありと認めよう」
魔剣エーデルワイスを抱いたソフィアがくずおれ、泣き伏す中。
「儂は『f予算』について訊きたい」とウォレスはエルフに向かって切り出した。
「人間の価値観では、その情報の対価は大きすぎる」最初は乗り気ではなかったエルフであったが、ウォレスは譲らない。
「じゃがエルフの価値観ではどうじゃ? たしか金銀財宝には興味が無いのではなかったか?」ウォレスはエルフがさっき言った言葉のあげあしを取る。
「我らはそのことについて深くは知らない」
「かまわん。知っていることだけ話してくれれば十分じゃ」
「『f予算』は、封印宮にある。そして封印宮の扉はもう開いている」
「トリガーはミゼル・フェルスタークの死、か」
「そうだ。エルフはこれを脅威としては認識していないが、人間にとっては脅威となるかもしれぬ」
「人間にとっての脅威? 地獄の軍勢が這い上がってでもくるか?」
「当たらずとも遠からず、というところだ」
エルフたちは言葉を濁し始める。分からないことがあると、エルフは分からないと言う代わりに、断定を避ける言葉を使い始める。このへんが潮時だろう。
もう「f予算」のことは十分にわかった。それが存在そのものが謎に包まれている「封印宮」にあるのだとすれば、入手はほぼ絶望的だろう。
つまるところ、リリオットの人間たちは、入手不可能な金を巡って争っているにすぎない。人間のこういう愚かしさを、メビならば愛おしく思うのだろう。だが、ウォレスはそういうのが嫌いであった。今回のダウトフォレスト攻略作戦のような、無駄死になどもってのほかだった。
「ところで88年ごとの不可侵契約じゃが、今回の生贄で更新されるのじゃな?」
「はい」
「それを聞いて安心した。じゃが、この88年でリリオットはだいぶ変わった。エルフもそのことには気付いておろう。時と場合によっては――いや、今は言うまい」
ウォレスはそこで言葉を切った。今はリリオットの未来について考える時ではない。「f予算」について、ヘレン教上層部に報告を上げるのが先だ。
ダウトフォレストから帰ったウォレスは、大教会にほど近い共同墓地に戻り。古い付き合いの墓守りに筆を借りる。
書き記すのは簡単な暗号。メビならば一瞬で理解するであろう文字の羅列。しかしそれを直接手渡しすれば、ウォレスが生きていることが、そしてf予算のことがバレてしまう。そこでウォレスは修道院の世話する子供たちに混ざり、一緒に遊び始める。目的は暗号の伝達。白い服を着た子供が一人増えていると、修道女の一人が認識した時には、既にウォレスはどこにもいない。
えふさんねむり ふうきゅうひられ よーのれる しるしばっかり♪
日が落ち、帰ってきた子供たちが揃って歌うその不思議な童歌(わらべうた)を聴いて、メビは不審に思う。
えふさん。まさかf予算のことか。メビはそれに気づくと、瞬時に文字を頭の中で組み上げる。
f算眠り
封宮開れ
予のれる
印ばかり
f算眠り
封宮開れ
予のれる
印ばかり
f予算の 眠れりる 封印宮ば 開かれり
はたして文字は揃った。この暗号は決して偶然ではない。そして子供達に接触し、メビに対してこの情報を伝え得る人間は、さほど多くはない。
ウォレス・ザ・ウィルレス。死んだはずの紫色〔バイオレット〕。制止を振り切ってエルフに一目会おうと、ダウトフォレストに出発したインカネーション部隊の中に、死人が一人紛れ込み、エルフたちから情報を引き出したのか。
俄かには信じられない話だが、偶然として片付けるにはあまりに状況が符合しすぎていた。つまるところ、起きたことは単なる情報の伝達である。このエフェクトを事実として認識し、咀嚼し、飲みこまねばなるまい。
(f予算は、封印宮にあり、そしてその扉は既に開かれている――)
こうして灰の教師メビエリアラは、≪受難の五日間≫は、f予算の在処(ありか)に到達した。漠然とした予想では無く、厳然たる真実として。
リリオットに粗悪な精霊武器が出回っている。
クックロビン卿亡き今、そうとは知られぬまま。売られ、買われ、流通している。
精霊武器がすぐ手の届くところにある。一般人や貧民の手に渡っている。
白のウォレスが身を寄せる共同墓地。その墓守に分かるのは、ここ最近の死体の数だけだ。だが、そこからでも分かることがいくらかある。黒髪の死体と、精霊武器によって損壊した死体が、増えているということ。ならばおそらく。
「黒髪狩り」
ウォレスは死は平等だと考えている。黒髪差別を肯定も否定もしない。黒髪狩りに対しても、別段感情を持っていない。ヘレン教が成立してからというもの、黒髪狩りは幾度となく行われてきた。それが今再び起こっている。それだけのことだ。無論止められるものなら止めたいが、今はおおっぴらに動くわけにもいかない。
「それと、精霊武器の流通、か」
誰かが知らぬ間に、粗悪な精霊武器を、あるいは妖刀魔刀の類を、売り買いしているのなら。ファローネがソウルスミスに張り出した、情報提供の張り紙すらあまり役に立っていないというのなら。
そもそも、素人には精霊武器の良し悪しどころか、それが精霊武器か否かでさえ分からぬのではないか? その識別に用いる銘(めい)が欠落しているがゆえに、「粗悪な」精霊武器と呼ばれていたのではないか?
「うーむ。少し状況を甘く見ておったかもしれん。そうとは知られぬまま、精霊武器がリリオット全体に浸透しつつあるのか」
「となれば、治安の悪化は避けられん。精霊武器を持たぬ公騎士団では役には立たん。リソースガードは金を積まねば動かない。インカネーションは自力で対策を練るじゃろう。となると――残るのはエフェクティヴ」
ウォレスは消去法で対象を絞ると、ぽつりと呟く。
「エフェクティヴの鉱夫たちになら、精霊武器かそうでないかの違いが分かる。エフェクティヴに接触し、精霊武器の回収を依頼するしかないかのう」
ウォレスは足を職人街へと向ける。昔使った暗号符牒はもう古くなっていて、使えないかもしれないが、エフェクティヴに一定のエフェクトを与えるくらいならば可能だろう。精霊武器回収の依頼料は――まあ、歩きながらでも考えることにしよう。
「心当たりは無いか……だが、この街は狭い。いずれその剣の主と出会うこともあるじゃろう」ウォレスは言う。
リューシャは納得がいかないという表情だったが、それ以上を聞き出すことは諦めた。剣匠でもない魔法使いの言うことである。嘘か誠かはいずれ知れるだろう。爆発事故についていくつか質問した後、リューシャはその場を立ち去る。
残されたのは、ウォレスとエフェクティヴの男。エフェクティヴは秘密を洩らさないことで知られる。脅して情報を吐かせるのは難しい。そこで、ウォレスはなるべく穏便に行動することにした。
***
「助けてくれ。この男が道に倒れておった。誰か介抱してやれる者はおらんか」職人街の戸を叩くウォレス。
すぐに数人の屈強な男たちがウォレスを取り囲み、気を失った男を奥へと運んでゆく。
「おい白いガキ。お前があいつをここまで運んできたのか?」
「ああそうじゃ……そりゃあ重かったが、死なずに済んで本当によかった。じゃが、せっかく人助けをしたんじゃ。少しでいい。皆、儂の愚痴を聞いてくれんかのう」
そこからはウォレスの語りが続いた。まず爆発事故の件について話し、ウォレスは深い哀悼を捧げた。その話の中で、事件の規模と概要を知る。次に最近相次いでいる黒髪殺しのことについて話し、黒髪の男に注意を促す。そして、話はついに粗悪な精霊武器のくだりに及んだ。
「成金教師ハルメルの倉庫から盗まれた多くの精霊武器が、未回収のまま裏で流通しているらしいのじゃ」
「てめえ……ただのガキじゃねえな。なんでそんなことまで知ってやがる」
「それはな、儂がインカネーションの伝言係だからじゃよ。ちょうど精霊武器の調査の件でその場に居合わせたんじゃ。いや、嘘は言っておらんぞ」
「インカネーション……お前はヘレン教が差し向けたスパイか?」
「馬鹿を言うな。儂はただ、倒れておる者を見捨てては置けんと……おっと、話が逸れたな。それで本題じゃが、その粗悪な精霊武器の回収を、エフェクティヴの者に依頼したいのじゃ」
エフェクティヴという言葉に場がざわめく。何か言おうとする者たちを、最年長の男が制する。「それで、依頼料は?」
「集めた精霊武器の数に応じて、ハルメルの奴に金を出させよう。精霊武器の流通は止まり、治安は良くなり、エフェクティヴは戦力と活動資金を得る。ヘレン教はそれを黙認する。悪くない取引だと思うが?」
「この白いガキを信用するのか?」「だが粗悪な精霊武器の流通は事実だ」「戦力を強化するには……」「それで活動資金を得られるなら……」
「さてと。愚痴を聞いてもらって助かった。あの男もそろそろ目を覚ます頃じゃろう。儂は失礼させてもらう」
「おっと、名前を聞いていなかったな。名乗れ」「そうじゃな――紫色〔バイオレット〕とでも言ってもらえれば、話は通じるじゃろう」
ウォレスが共同墓地に拠点を置いてからしばらくして、ヘレン教からの伝令が来た。
暁の教師ファローネの証言通りなら、ウォレスは「ヘレン教大教会襲撃事件」の被害を自らが悪役となることで未然に防いだ形になる。そして公式には、公騎士団に多大な犠牲を強いた罪で暗殺されたことになっている。つまり一通りの、ヘレン教の「殉教者」の条件は満たしているわけである。
それがさらに生き返り、白のウォレスとなってダウトフォレストにまで出向き、エルフたちから「f予算」の在処を聞き出したという。その後、非公式ではあるが、エフェクティヴとの取引も成立させた。
問題なのはその次であった。ウォレスが次から次へと引き起こすエフェクトは、今のところヘレン教にとって有利に運んでいる。だが、それは単なる偶然かもしれない。
ウォレスが今も生きていることがバレたなら? うっかり公騎士団に捕まったのなら? そうでなくても、ヘレン教の不利になる行動に出たとしたら?
さらに言えば、セブンハウスの観測者はどこにでも存在している。ウォレスをこのまま共同墓地に放置することは、リスクが高すぎた。
少なくとも≪受難の五日間≫は、墓碑の司祭ヤズエイムは、精霊投票システムは、そのように判断したようだった。
ウォレスは出頭命令を受けた。表向きは、その働きを表彰するために。実際のところは、その独断を裁くために。
「――なお、この呼び出しを以て、白のウォレスは教師に昇格。しばらくはデスクワークに専念してもらうことになります」
「それより精霊精製競技会の爆発事故のほうの調査はどうなっておる? ダウトフォレストは建前上は全滅じゃが、生存者には監視をつけたか? リソースガードどもの動きに変わった点は?」
「私はただの伝令です。そんなことは知りません」
「使えん奴じゃな……そういう重要な情報を伝えずして何が伝令じゃ」
とはいえ、常々思ってきた疑問。己が無敵の魔法使い、ウォレス・ザ・ウィルレスではないことはダザ戦で証明された。ウォレスは負けた。結果的にはこうして生き返ったものの、あとほんの少しで完全に死ぬところだった。
ウォレスは考える。ここが潮時だろうかと。ウォレス・ザ・ウィルレス〔意気地なし〕は引き際が肝心だ。そこを誤れば命がいくつあっても足りない。
「だが、今や儂は(意気地なしではない)ただのウォレスじゃ」誰に言うでもなく、ウォレスは呟いた。
街を見下ろす薄暗い会議室に、墓碑の司祭ヤズエイムは黒のローブを着て立っていた。
「久しぶりだな、白の教師ウォレス」
「ずいぶん歳をとりましたな、ヤズエイム。噂では、もう自分の頭で考えることもやめたらしい。この呼び出しも精霊投票システムの決定ですかな」
「そうだ。精霊投票システムは間違わない。間違えるようには作られていないのだ」
「既知情報から演繹と帰納を重ねるだけのくだらんカラクリに、よほど信頼を置いているようですな」
皮肉を受けても、黒いローブはかさりとも動かない。
「ウォレス――今までの独断はまあ許そう。だが次は無い。お前はインカネーションのいち遊撃戦力だ。指令のあるまで待ち、動くべき時に動いてもらわねば困る」
「では、今はその時ではないと? 無意味な書類と格闘して、重大なエフェクトの流れを取り逃がせと?」
ヤズエイムは感じる。これは闘争の前の空気だ。それを、ウォレスの一言が裂いた。
「ヤズエイム。一つ、賭けをしようじゃあないか。まず『f予算を狙う輩を打ち倒せ』という指令は一切合財狂っていた。誰も『f予算』など真に求めてはいなかった。滑稽なことに最初に『f予算』の在処に辿り着いたのは、そんなものに興味の無いこの儂じゃった。ではさて、晴れて教師となった儂が精霊投票システムを使うとどうなるか?」
会議室の中央の机に設置された精霊投票システムは、静かに光を放っている。置かれた精霊結晶に、ウォレスはありったけの殺意を詰め込み、精霊投票システムに投げ入れる。
その結果は――
「ウォレスを殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……」
「もうお分かりじゃろう。このシステムは自我と自己保身の傾向を持っている。殺意を向ける者には殺意を返す。嫌いな人間には嫌な役目を押し付ける。御機嫌を伺い、色目を使う」
「ヤズエイム。お主が創り上げたのは公正なシステムではない。善良なる審判者でもない。せいぜいがよくて独裁者じゃ。そろそろ古臭いガラクタとは縁を切って、自分の頭を使って考えたほうがいいと思うのじゃがな」
「ウォレス。私の創り上げた精霊投票システムを、欠陥品だと言うのか?」
「いや、そうでもない」
ウォレスは肩をすくめてみせる。
「単なる道具と認識して使うぶんには、使えんこともないじゃろう」
「いや、そうでもない」
「単なる道具と認識して使うぶんには、使えんこともないじゃろう」
置かれた精霊結晶に、ウォレスは再びありったけの意志を、情報を詰め込み、精霊投票システムに投げ入れる。今度は、憶測と言う名の、無数の不確定要素をもぶち込んで。
「精霊精製競技会の爆発テロは人為的なもの。それは証拠の抹消と神霊精製のための技術者の獲得手段」
「エフェクティヴにより神霊は精製される」
「ダウトフォレスト攻略作戦の生存者ソフィアの人格はヘレンの追憶に上書きされ、ヘレンのコピーとなる」
「黒髪殺しは終わった。だが、ばらまかれた憎悪の種はまだ芽吹いていない」
「メビエリアラは『f予算』に興味は無い。そしていまや『救済計画』にも興味は無い。今まさに、リアルタイムでエフェクトが起こっている」
「そしてこの街を常闇が覆う」
「勇者たちが要る。ヘレンが要る。物語が要る。筋書きは既に書かれている」
「このまま何もしなければ、精霊採掘都市リリオットは滅びるだろう」
精霊投票システムから、言葉のサラダが溢れた。
ウォレス自身、思いもよらぬような言葉が、明確な形を伴って現れる。
聡明なる墓碑の司祭、白髪片眼鏡のヤズエイムであっても、その情報の全てを認識するには、多少の時間が掛かった。
「事実なのか? 我ら≪受難の五日間≫の策謀連鎖網の外部で、それだけのエフェクトが起きているのか?」ヤズエイムはエフェクトの数と大きさに狼狽する。
「精霊投票システムは間違わない。間違えるようには作られていない――でしたかな」ウォレスはヤズエイムの台詞を引用する。
精霊投票システムを見やり、それで儂への新しい指令はなんじゃ? と問うウォレス。
「白の教師ウォレスよ。舞台に上がれ。歌い踊れ。壮絶華麗に。豪華絢爛に」精霊投票システムは、自信に満ちた声で言った。それは意味不明な指令だった。だが幸いなことに、教師としてしばらくデスクワークに専念しろという意味ではなさそうだった。
そしてようやく。
墓碑の司祭ヤズエイムはようやく記号着地した。概念構築の段階で気付いて然るべきだった。精霊投票システムは、使う者を映す鏡であると。そこには、左右が逆転した心が映し出されている。自我と自己保身。それは使う者の心の裏返しだ。
ならばそれは、精霊投票システムは、その心無き論理〔ハートレス・ロジック〕の果てにヘレンを見出さんとするヤズエイムの理想から見れば、完全な失敗作であった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そこは大地の終わる場所。全てが凍りつき、光さえ届かぬ果ての果て。
大地の終わり、いわゆる「大断崖」を背にして、アーネチカは踊る。アーネチカは舞う。その軌道は剣戟の中で既に決定されている。嗚呼、なぜ私はアーネチカなのか。なぜあなたはアーネチカではないのか。無数の殺意の刃を掻き分けながら、アーネチカは魔法使いに問う。
「『希望のランプ』はどこに?」
それはここに。この中に。鞄を叩いて、魔法使いは応える。大地の終わりでは、長命の魔法使いもまた、ただの鞄持ちに過ぎない。
刃の数はいや増し、アーネチカの軌道はますます鋭利に決定される。敵は千万。味方は一人。残された武具は「希望」だけ。それは昼に陽の光を取り込んで、夜に闇を引き裂く、無敵の象徴。
魔法使いは戦いの隙を突いて、アーネチカの爪と牙に「希望」を宿らせた。時が経てばその力は、愚かしい数を圧倒するだろう。
アーネチカは世界の果てで悪魔と戦う。理由などという野暮なものはありはしない。強いて言うなら、その生き様が悪魔の逆鱗に触れたとしか。あるいはこれは夢かもしれない。それは夜明けが来るまでの儚い闘争なのかもしれない。
だが関係無い。アーネチカは戦う。
宙に浮かぶ無数の刃は、悪魔の用意したアーネチカ殺しの武具。その全ての刃が乱舞するのだけれども、どの刃もアーネチカの心臓を貫くことは無い。直観による計算は終えている。戦闘結果は既に得られている。そしてアーネチカにはそれを実行に移す技量があった。
アーネチカは咆哮する。魔力を失った数百の刃が地面に落ちて刺さる。悪魔の力にも限りはあり、悪魔の用意した武具の数は、無限では無かった。千万の刃を揃えてなお、悪魔は劣勢であった。
いつしか無数の刃はきらめきを失い、アーネチカの爪と牙は直視できぬほどに輝きを増す。
アーネチカはその爪で、刃を薙ぎ払うように打ち砕く。いつもどおりに。悪魔は恐怖する。これは夢だとアーネチカに告げる。全ては幻だとアーネチカに告げる。なにもかもが無駄なのだとアーネチカに告げる。
だが関係ない。全ての刃を折るまで、アーネチカは戦う。
魔法使いは知っている。ここは大地の終わる場所「大断崖」。夜明けは来ない。アーネチカは悪魔の必死の懇願すら拒絶して、戦い続ける。
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前口上が終わると同時に、サルバーデルはお辞儀をする。拍手が広がる。
舞台の上にウォレスが立つ。
「英雄たちよ! 牧人たちよ!」白のウォレスの言葉は、まるで演劇の続きのようで。
「暗弦七片(あんげんななひら)を、物語の七つの欠片を集めよ! さもなくばこの街はあとかたもなく滅ぶであろう!」
上空から、水晶の檻が落ちてくる。舞台が崩れる。悲鳴が起きる。砕け散った水晶の格子の中から、莫大な財宝がこぼれ落ちる。ざっと見積もっても金貨7000枚超。しかしそれは財宝と認識されるよりも早く、恐るべき獣の姿を形作る。まるで金属製の彫刻が、命を持って動き出したようであった。
その衝撃がトリガーとなって、舞台に込められた大魔法陣が起動する。舞台のあった広間の全体を中心に、巨大な魔法陣の光が覆う。
混乱はまだ続いている。白のウォレスに気付いたのは、ライだけだった。ライの秘められた能力、因果覚〔ストーリー・グラスプ〕を以てしても、その話の筋書きを把握するのは至難のわざだった。物語の欠片を集める? いまから? どうやって?
財宝で出来た強欲の獣は、観客席を壊しながら行進してゆく。白のウォレスはそれらと共に歩み去る。いけない。このままでは見失ってしまう。ライはどうするか迷った。身に振りかかる危険も忘れて混乱し続ける人々を、目覚めさせる方法は無いのか――あった。唯一の、危険な方法が。
「そこまでだ! ウォレス・ザ・ウィルレス!」ライはとりあえず叫んだ。後のことは何も考えていない。ただ、この最悪の状況を変える必要があった。観客のうち何割かは、正気に戻ってライの台詞に注目する。
「ウォレス! 齢三百も生きておきながら、時間伯爵の愚かな企みに加担するなど、気でも狂ったか!」
「ほう。儂に説教をするつもりか。ライ・ハートフィールド」ウォレスは言う。
「どうして俺の名前を知っている!?」
「魔法使い相手に何をいまさら! いずれ敵となる者の名前くらい、酒場で会ったときに調べておるわ! ――とはいえ、客席で暴れるのは儂は好かぬ。儂は丘の上の古城にて待つ。劇のヒントにあった通り、儂の七片は『希望のランプのオリジナル』。せいぜい仲間を集めてやって来るがよい」
強欲の獣〔グリード・ビースト〕の一匹の鷹が、振り向いて咆哮を上げる。
「誰か、俺に剣を!」ライは叫んだ。それに応えるように、公騎士団の一人が剣を鞘ごと投げる。一振りの剣が宙を舞い、ライのふるえる手に渡った。
リューシャは、その一部始終を見ていた。あんな臆病者の少年までもが、剣を持ち、脅威に立ち向かおうとしている。自分がシャンタールを持って立ち上がらずにいてよいものだろうか。答えは――否。
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白のウォレス/HP72/知3/技5
スキル
・死/5/0/1
・意志/1/6/1
・首切り鎌/65/0/16 防御無視
プラン
1:最初に意志
2:相手のHPが40以上65以下なら首切り鎌
3:相手の防御が1以上なら首切り鎌
4:さもなくば死
※復活により、HP-10のペナルティ
「古城への帰還……というには、あまりにお粗末な拠点に見えるじゃろうな」
硬貨で出来たきらめく鷹が着地したのは、荒れ果てた庭園。薄暗がりの中、歩くウォレスの白いローブの裾を掴んで離さないのは、ペテロだ。あちこちが茨に遮られた庭園。手を放せばたちまち迷子になるだろう。
鷹は鷹で城のてっぺんへと飛び立ち、そこで毛づくろいを始める。遅れてきた他の強欲の獣〔グリード・ビースト〕たちは、庭園に陣取って、迎撃の態勢を取った。
「小僧、名を何と言う?」
「ペテロ。致命的な小枝<<ミストルティン>>のペテロ」
「そうか。儂はウォレスという」
「……ウォレスさんは悪者なの? 英雄にして剣<<ヒーローソード>>の仲間だったんじゃないの?」ペテロが問う。
その問いを聞き、ウォレスは背景を理解する。察するにライは、ペテロに嘘の手紙を送っていたのだろう。勝手に味方にされていたとは知らなんだが。
「ああ、紫色のウォレスは仲間じゃったとも。だが今の儂は白のウォレス。互いに敵同士じゃ」
「……兄ちゃんはきっと僕を助けに来るよ! <<ヒーローソード>>は無敵なんだ! いまのうちに降参したほうがいい!」
ペテロはライを信じ切っている様子だった。いちいち誤解を解こうとは思わないウォレスは、そのまま庭園を歩き続け、門前に立つ。錠前に手をかざすと、門がひとりでに開いた。
「では、その助けとやらが来るのを待ちながら、儂らは優雅な一時を過ごすとしよう」
門が閉まる。完全な暗闇が落ちた。
「ウォレスさん? いるの?」ペテロが怖がる。「まあ、見ているがいい」ウォレスが応える。
ぽつりと、小さな光が現れた。ぽつり、ぽつりと。ぽつぽつと。それは大広間の輪郭に沿って一斉に輝き始める。闇の中に階段が浮かび上がる。
「綺麗……」ペテロが手を伸ばそうとするのを、ウォレスが止める。
「触れてはならぬ。お主も劇を見ておったはずじゃろう。『希望』は本来、ランプに入れて使うものではないのじゃ。それは武具じゃ。使うものに『炎熱』を与える、おそらく世界最古の武具。あのアーネチカが使ったかもしれぬそのオリジナルが、この城には眠っておる。いくら調べても、一体どれだけの太陽を貪り、溜め込んだのかもわからぬまま、永久光源となって光り続けておる。こぼれ落ちた欠片でさえ、これだけの光を発しておるのじゃ」
「それって……すごいものなの?」
「ああ。すごいものじゃよ。だから儂はその番人なのじゃろうと、そう思って生きてきた。このちっぽけな古城から離れられず、リリオットの地に住み続けたのもそれが理由じゃ」
「じゃが、今回の外出で、儂はダザに敗北した。死を知った。己が生まれ変わるようなあの感覚! 儂は確かに死んだのじゃ。そして白のウォレスに成った。もはや儂は御伽噺ではない。あの面倒くさいウォレス・ザ・ウィルレスではない。ただのウォレス!自由人のウォレスじゃ!」
ウォレスはペテロを抱きかかえ、歓喜に満ちた表情で階段を駆け上る。城の上のベランダから城下を眺めて、ウォレスは言った。
「だから儂は、白のウォレスとして、今宵明白にリリオットの敵になろうと思う」
ウォレスは暇であった。それというのも英雄の到着が遅れているからである。
調子に乗って登ったベランダから眺めた精霊採掘都市リリオット。夜景は美しかった。精霊灯が光り、いたるところにエフェクティヴの火の手があがり、公騎士団が慌ててその火を消し止める。メインストリートのパレードは絶景であった。いや、死屍累々、阿鼻叫喚の地獄絵図といったほうが近いか。
応接間の椅子に座り、紅茶を入れて、ペテロに勧める。せっかくなので角砂糖も入れた。毒が入っていない鉦鼓に、ウォレスが先に飲んだ。ペテロも紅茶をすする。
「……なんでウォレスさんは英雄にして剣<<ヒーローソード>>を裏切ったの?」
「それはな、いまや儂はヘレン教の教師、白のウォレスだからじゃ」
「……ヘレン教? あの黒髪を差別する悪い奴らの仲間になったの?」
「儂が黒髪のお主を差別したかの? 世の中には色々な考えの人がいるのじゃよ」
遅すぎるティータイムを取っていると、城下の庭園で、戦闘音がする。
弟を助けに来たライだろうか、あるいは、それとは別の英雄も来ているのか。眼下を見下ろす。硬貨で出来た、鈍い輝きはなつ強欲の獣〔グリード・ビースト〕たちが、次々に飛びかかり、襲いかかり、敵の体力を削っていく。だが中には力尽き、金貨に戻ってしまう強欲の獣も何体かいた。全部を任せきりにするわけにもいかないだろう。
***
ライは最初、愚痴っていた。茨に囲まれた庭園を制圧するのも面倒だったし、途中で出会った女――こもれ火すみれという――が一緒に行くと言い出したのだ。ライは自分が戦力にならないことは知っていたが、この女はさらに足を引っ張るのではないかという予感があった。
しかしライの予感は外れた。庭園から襲ってきた強欲の獣たちは、すみれが変身したホーリー・ヴァイオレットの必殺技によって撃退されてゆく。討ち漏らした、あるいは手負いの強欲の獣を倒すのは、ライの役目だった。幾つかかすり傷ができるものの、致命傷ではなかった。
普通、獣を切れば剣にはアブラがつき、切れ味が悪くなる。今回、敵は血の通わない金貨で出来た強欲の獣だ。ためらえば剣がへし折れる危険性はあった。それを理解してなお、ライは全力で剣を振るう。今のライにはそれしかできない。だが一振り一振り毎に剣戟は洗練されていった。
城門がひとりでに開く。「白のウォレス!! 弟ペテロを返してもらうぞ!」
死によって御伽噺の足枷が外れ、自由人となったウォレスは、魔王となることを選択した。明白なるリリオットの敵となることを選択した。
決断は成された。もはやウォレスを意気地なしと呼ぶ者はいないだろう。彼は正真正銘の化物になったのだから。白の魔王ウォレスになってしまったのだから。
そして、白の魔王ウォレスと<<ヒーローソード>>ライの戦いが始まった。
最初に動いたのはウォレスだった。
「この戦い、全力で行かせてもらう」白の魔王ウォレスが己の『意志』を示す。
ライはその言葉を終わりまで聞かぬうちに斬りかかる。ウォレスの片腕の無力化を狙い、剣を『叩きつける』。事前の計画〔シミュレーション〕は完璧だった。だが、ライは見誤っていた。ウォレスは予想よりもずっと狡猾だった。
「誰も儂の使う『死』からは逃れられぬ」
剣を振りおろすまでの数瞬のうちに、指先から放たれる『死』の連撃を食らうライ。ライはそれでも剣を『叩きつけ』、ウォレスの腕を一本麻痺させた。
だがウォレスは狼狽えることなく、悠然ともう一方の腕を持ち上げる。再び『叩きつける』ことしかできないライの目に、絶望の色が浮かんだ。
「お主はよくやった。だが人間にも魔王にも、二本目の腕があることを忘れてはいかん」
再び、『死』の連撃がライを襲った。さっきは気合いで耐えたが、今度は無理だった。視界が暗転し、床にどさりと倒れるライ。それきり、ライは立ち上がらなかった。
ライは死んだ。
「お兄ちゃん!」「ライさん!」弟ペテロとすみれの悲鳴が広間に響いた。
「決闘の時間は終わった。儂の名は白の魔王ウォレス。いずれ英雄に倒される運命を背負い、死の夢を希う、脆く儚い化物じゃ……だが、今はその時ではない」
「暗弦七片の一つ『虚妄石』はライが持っておる。そして儂の暗弦七片『希望』のオリジナルはこの城の奥の部屋にある。どちらも今の儂には不要のものじゃ。持っていくがいい」
ウォレスはライの死体に駆け寄るペテロを見ながら、悲しげな表情をして言った。
「儂はこれからこの城を離れ、しばらく旅に出る。行く先々に死を振り撒き、破壊の限りを尽くし、新たな英雄たちと戦おう。さすればいつか不死者の儂にも、きっと死がやってくるじゃろう」
「だから儂の話は、これでおしまいじゃ」
ウォレスの姿は消え、最後に声だけが響いた。
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名前:白の魔王ウォレス
性能:HP70/知5/技5
スキル
・意志/1/6/1
・金縛り/10/0/8 封印 防御無視
・死の沼/30/0/12 封印 防御無視
・首切り鎌/65/0/16 防御無視
・死/5/0/1
プラン
1:最初に意志
2:相手が防御無視なら死
3:相手の防御力が0(参照不能では無い)なら死
4:相手の残りウェイトが16より大きく、相手のHPが65以下なら首切り鎌
5:相手の知性が1で、自分が金縛りを一度も使っていないなら金縛り
6:相手の知性が2または3で、自分が死の沼を一度も使っていないなら死の沼
7:相手の残りウェイトが12より大きければ死の沼
8:相手のHPが40以上65以下なら首切り鎌
9:相手の残りウェイトが8より大きければ金縛り
10:相手の防御が1以上なら首切り鎌
11:さもなくば死
12:さもなくば首切り鎌
[0-773]
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