新しい来客の名はマックオートと言った。
彼が見せたのは、呪われているという青白い刀身の凍剣……やはり、彼がリューシャの言っていた人物らしい。
彼にエーデルワイスを見せてみるとマックオートは暫くそれを観察する。途中、剣に自分の過去を"追憶"させられたのか、一瞬ぼうっとしていたけど。
それから変化した私の髪を見た後で、こう言った。
「恐らく、この剣はある部分で君と一体化している。だから、手放しても戻ってくるんだ。
君のどこかに手放したくないものがあるはず。それを捨てれば、剣も一緒に捨てることができる」
「手放したくない、もの……」
「呪いは目に見えない。しかし、呪いのせいで目に見える部分が左右されている。
だから、目に見えない部分で解決ができないと、目に見える部分も解決できないんだ」
「………」
目に見えない、手放したくないもの。一つだけ、心当たりがあった。
……そもそも、考えれば単純な事だった。この剣を手にしてから、私が調べた事は何だったか。
職人、商人、剣士。尋ねる相手は皆剣に関わる人ばかり。
どういった呪いなのか、呪いそのものや呪いを解ける人を詳しく調べようとはしなかった。そっちの方が大事な筈なのに。
……たぶん、無意識に目的がすり替わっていた。手放すことより、この剣を知る事に。
目の前で起こった事を放置できない。正体不明のこの剣を、分からないまま放棄できない。
その思いが剣と私を強く結びつけているのなら、私はこの剣の全てを理解する必要がある。
結局はこれまで通りかな、と私は肩をすくめる。
「ありがとう、少し分かった気がします」
マックオートに笑顔で頭を下げる。お礼に何か…と思ったが、生憎私の店にも呪いを解くのに使えそうな品はない。
……寧ろ呪われてるんじゃないかってくらい、癖のある品の方が多い。
「そうだね……今この街に、リューシャっていう刀匠の女性が来てる。
彼女の持ってた剣も、たぶん凍剣…だと思う。その人なら、何か助言もできると思います」
彼女の居た宿の場所を告げる。こんなことしか分からなくてごめんなさい、と頭を下げる私に、気にしないでくれ、と彼は笑った。
また何か分かったらここで、と約束して、マックオートは去っていった。
人とは何か。命とは何か。魂とは何か。
リオネはずっと、この問いに対する答えを探している。
******
人形で一人遊びをする幼い少女は思った。
私が動かし、声を当てているこの人形。
これがもし、人と同じように、動き、喋り、食べ、眠り、あたかも人のように行動する人形だったならば、
それは生きていると言えるのではないだろうか?
周りの大人達に聞いてみたら、変な事を言う子ねと笑われた。
どんなに人らしく動いても人形は人形で、それは人ではない。
「それは命を持っていない」から、と。
だが、少女は更に考える。
命を持たぬとされている水や石や風や精霊は、本当に命を持っていないのだろうか?
或いは、私の周りの人は、果たして命を持っているのだろうか?
命は目に見えない。
"それ"が、人のような姿をし、人のように生活しており、
誰の目にも区別ができないのであれば、それは生きているのと同じではないのだろうか?
「もし、私と同じように動き、同じように生活し、何もかも同じ人形が出来たならば、それは私ではないのだろうか?」
それを答えられる人はいない。なぜならそんな事を誰も考えなかったから。
それを確かめる術は無い。なぜならそんな人形は嘗て存在しなかったから。
ならば、自分で作るしか無い。『生ける人形[オートマトン]』を。
******
彼女にとってギ肢の制作は、彼女の目的を達成する研究過程で身につけた技術の応用でしかない。
だが、人に喜んでもらえ、研究費用も手に入れられるギ肢の制作販売は、彼女にとって非常に合った仕事であった。
また、彼女が人形制作の上で、神経や筋肉を模すために発明した「精霊繊維」は、
そのしなやかさや強度や収縮率などあらゆる性能において、既存の繊維と比べて非常に優秀であったが、
その最大の特徴は、《人の意思に反応して収縮反応を起こす》ものであるということだ。
精霊繊維を使用した義肢は特に『精霊義肢』と呼ばれるようになる。
その発明は彼女の研究費用獲得に大いに役立った。
しかし一方で、彼女の目的である『生ける人形[オートマトン]』の制作に、明確で大きな一つの課題を残すことになる。
すなわち、意思の宿らぬ人形は、人形のまま動かないのである。
精霊繊維は、その発明者であるリオネに因み、現在は《蜘蛛の糸》と呼ばれている。
精霊ギ肢装具士のリオネさんによる、精霊義肢についての簡単な講釈が終わりました。
薄暗い宿屋の一室で、私は両手を合わせて感心の息をつきます。
「なるほど……」
「精霊繊維」。そんなものがあるとは、まったく知りませんでした。
精霊は本当に色々な形で利用できるんですね。
とても為になりました。今後この知識を使う機会があるかは解りませんが。
「……で、私の言いたいことは察してもらえたかしら」
「ええ、なんとなく。鉄の腕に刃の指では、確かに精霊繊維は使われてなさそうですね」
リオネさんは、ふう、と小さなため息をつきました。
「そういうこと。ああ当然、注文さえあれば大抵のギ肢は作れるわよ?
幸い、今までにそんな技術も工夫も無い代物を注文されたことは無いけど」
「やっぱり、そうですか」
私の偽物探しはどうやらまた空振りのようです。
彼女に会うまでにも少し苦労があったので、残念さもひとしおです。
とはいえ知らないものは仕方ありません。また次の手がかりを探しましょう。
私はリオネさんにお礼を言って立ち上がりました。
「ちょっと待って。私もあなたに聞きたいことがあるの」
「はあ、なんでしょうか」
さんざん無料でお話をうかがってしまったので、無下に断ることもできません。
再び椅子に座った私を、精霊ギ肢装具士リオネさんが、じっと睨むように見つめます。
「端的に聞くわ。――その左腕は何?」
「何、と言われましても……」
質問の意図が見えません。
義手の仕組みを聞かれても、精霊繊維すら今まで知らなかった私には答えられないのですが。
困る私を半ば無視するように、リオネさんは続けます。
「素材は義手によく使われる普通の金属ね。この地域ではあまり見ない形式だけど、まあそれもいいわ。ただ……そうね、ちょっと駆動させてみてくれる?」
言葉とともに、手近な植木鉢を渡されました。
少し戸惑いましたが、特に隠しているものでもありません。
私は唯々諾々と植木の茎を軽く握って、左腕を駆動させます。
精霊では無いので吸収効率は悪いのですが、それでも植木は数秒で枯れ果ててしまいました。
なんだか、この前の巨大パンジーを思い出します。
「これは……」
リオネさんの方を見ると、目を見開いて口に本物の方の手を当てていました。
今までも驚かれることはありましたが、ここまでの反応は初めてです。
「……このサイズで、この機構……の供給無しで、周囲の精霊を……精霊駆動?
……そんな……違う、そもそも……じゃない……駆動の、たとえば、準備動作……
……準備? ……今のが?」
リオネさんは私の左腕を鈍色の手でつかんで舐めるように観察しながら、何事かを考えているようです。
ええと、私は待っていればいいのでしょうか。
「……あなた、レストさん、だったかしら。このギ肢は、一体どこで?」
ふっと顔を上げたリオネさんが私に尋ねました。
ああ、それなら答えられます。
「この左腕は、親友の形見なんです」
ソラは熱を出して寝込んでしまった。
「大丈夫?今日は安静にしていた方がいいよ」
ソフィアはソラが持ってきた卵で卵酒を作り、ベッドの横に置いた。
「うん、これくらいなら大丈夫……。魔術を使った後はいつもこうなるんだ」
ソラはふらふらとコップまで体を動かし、中の酒をゴクゴクと飲み干した。
「うわ、まっず!」
子供にはまだ酒の味がわからなかったが、眠気を誘う薬にはなった。
精霊が一般に広まる前、大国グラウフラルの方では魔法がその位置に立っていた。しかし、精霊と違い魔法を使うには代償が必要だった。呪文、時間、才能、契約……殊更奇跡と呼ばれるような大きく現実を歪める魔法ほど、大きな代償を必要とした。儀式、精神、そして生贄……古の歴史を紐解けば、魔法使いが自分の力と欲望のために人を狩る暗黒の時代もあったという。そんな愚かな時代を乗り超えた人々は、生贄の代わりに魔物を代償にすることを始めた。魔法に対して適切な魔物の体の部位を使えば、人の血や肉を捧げるより効果があることに人々は気付いたのである。魔物は魔法をより少ない代償で使うことが出来た。彼等はほんの少し自分の生命力を削るだけで簡単に魔法が使えた。それを知った人々は魔法を成功させるために魔物の体を求めるようになった。例えばそれは古き物語にも記されている、一角獣:ユニコーンの角、赤竜:ドラゴンの鱗、蛇の王:バジリスクの魔眼。
魔物の取引が金になると睨んだソウルスミスは、それまでただの商隊の護衛であったリソースガードにクエストを課し魔物を狩らせ、触媒と魔法の品を流通させることで富と版図を拡大していったのである。人々の生活を守るために危険な魔物を掃討するなんてことは、彼等からすれば建前でしかなかった。リソースガードの活躍で魔物は次々に打ち倒され、人は広大な生活圏と神秘への供物を獲得していったのである。そして、それは魔法が精霊技術に取って代わられた後も、魔物が人々の生活圏に侵入することがほとんどなくなってしまった今でも、まだどこかで続いている……。
ソラは悪夢から目を覚ました。ソラは狩られる側だった。明かりのない夜に眠ると、いつも同じ夢を見た。
塔の小窓からは月明かりが差しこんでいる。
――明かりが足りない。
ソラはかばんの中から遮光ランプを取り出したが、少し振って油の跳ねる音がしないことを確認すると、かばんの中に戻した。
ソラはそれから一睡もしなかった。
策謀連鎖網。
愛しき≪受難の五日間≫が遂行する計画は相互に保険として機能するいくつもの小策で構成されている。
ある策が失敗に終わっても、他に併走する無数の策がそれを埋め合わせる。
ただし油断は禁物だ。状況の不理解は予期せぬ事故を招く。
策謀連鎖網に限らずリリオットを駆け巡るエフェクトの流れを、メビたちは知る必要がある。
中でも特別に大きいのがクックロビン卿の動きだ。
ウォレスの言には半信半疑だったが、本人に会って確信した。それ以上のことも分かった。
クックロビン卿自身はエフェクトの中心ではない。元凶たる威厳が感じられない。
彼の行動には一貫性が無い。信念があるのにそれがぶれている。おそらく何かに曲げられている。何に?
それが一番知るべきものだ。彼は何に曲げられているのか。
セブンハウスやジフロマーシャの慣習? 政治的不都合? 人としての常識? トラウマ? どれも違う気がする。
彼が語る貧民像は借り物みたいだった。
そう、まるで、より信念が強くて思慮深い何者かに、吹き込まれたような――
「自ら考えることをせず、自分の有り様を自分で定めることをせず、与えられた労働と支配を貪る豚。それが貧民たちの正体だと、そのような考えをあなたに教えた人は、」
「うるさイイイ!!」
メビの左目が潰れた。
クックロビンの刃のように尖った靴の爪先が刺さったのだ。容赦は無かった。激情任せに押し込まれた。瞳孔をずたずたにされ、全く使い物にならなくなった。
(問題ない。生還さえすれば後でいくらでも癒せる)
メビの微笑は崩れない。自らの肉体を回復――損壊遡行術――の被験体にしていた彼女は、拷問には滅法強かった。痛みで思考や判断を損なうまでのラインが異常に高いのだ。
しかし、その彼女の笑みをも凍りつかせる事態が起こった。
「うるさいうるさいうるさい静かに静かにお静かに!」
クックロビンが叫ぶ。頭を振り回して金切り声をあげる。そして屈伸運動を始めた。
「ほらほら見て見て私の動き! 背丈が伸びたり縮んだり!」
――はあ?
唐突な奇行であった。さすがにメビエリアラも意図が読めない。何か複雑な精霊を駆動するための準備動作だろうか? しかし……
クックロビンは屈伸を加速する。激しい運動に息も上がっていく。
「わっしょいわっしょい収穫だ、わっしょいわっしょい豊作だ! わっしょいわっしょいお魚釣れた、わっしょいわっしょい大漁だああ!」
異様な光景だった。
その行為は、今までメビエリアラとしていた腹の探り合いとは全く結びつかないように見えた。クックロビンの部下たちも状況の解釈に困っている。凍りつく者もいれば、互いに顔を見合わせる者もいた。失笑している者も。確かに、クックロビンはふざけているようにも見える。
メビエリアラは冷ややかに観察していた。
金髪の女性が出て行った後、
酒場『泥水』は再び異様な沈黙に包まれていた。
「まずいですよ、プラーク顧問。彼らは何かを待ってる。
もしかしたら、さっきの女に助けを呼びに行かせたのかも」
公騎士の一人が、苛立った女性、プラークにそう助言する。
しかしプラークは頑として取り合わなかった。
「だから?彼らが今日私達を追い払ったとして、それが何になるというの。
鉱夫が採掘所から逃げ出せるわけもないし、いずれ観念して白状するしかないわ」
その時だった。
入り口の扉を空け、一人の男が入ってくる。鉱夫長だ。
「おや、何か問題でも?」
一通り店内を見回しながら、鉱夫長は軽い口調で、店の中央に立つ女性、プラークに告げた。
「あなたは?」
「ここで鉱夫長を任せられている者です。公騎士なんぞ連れて、一体何の御用かと」
「やっとまともな人間が来たわね。私は第三発掘顧問のリット・プラーク。
独自の手段で、ここから極めて特殊な精霊の反応を検知したの。それにこの建物の損壊。
詳しく話を聞きたんだけど、誰も答えてくれなくてね。どういうことかしら」
それを聞いて、がははははっ、と鉱夫長が豪快に笑う。
「ここの奴らにそんな肩書きを言っても無駄ですよ。
字も書けなけりゃ、雇い主の名前を知らないのも大半だ。口の堅さと頭の固さだけが取り柄でね。
ここじゃなんだ。休憩所で話しましょう。なに、ちょっとした事故です」
腑に落ちないような顔をしたプラークだったが、
再び外に出ようとする鉱夫長を見て、仕方なくその後に続いた。
公騎士たちも、わずかに緩んだ空気を感じ、ふう、とそれぞれに息を吐いたようだった。
「しかし、発掘顧問ですか。若いのに大したもんだ。失礼ですが、おいくつですか?」
入り口の扉に手をかける前に、後ろを向いたまま鉱夫長がプラークに聞く。
「二十七よ。顧問を任せられたのは三年前だけど。別になりたかった訳じゃないけど、両親は喜んでくれたわね」
「そうか。だが俺の娘は五歳で死んだよ。粗霊病だった」
直後、勢いよく振り返った鉱夫長は、後ろにいたプラークを力任せに横に押しのけ、
両手に握ったボーガンを公騎士たちに向かって発射した。
同時に窓からもいくつもの矢が飛び込み、ガラスを打ち壊し、
公騎士たち全員を瞬く間に串刺しにする。
うめいて倒れる公騎士たちを確認してから、鉱夫長はプラークへと向き直って言った。
「『神霊』の機密がわざわざ飛び込んできてくれたわけだ。
どこの箱入り娘かは知らんが、じゃじゃ馬が過ぎたな。どんなことをしてでも、全部吐いてもらう」
「ぐ・・・、何を・・・!?
こんなことをして、あなた達はお終いよ!殺されたって、私は何も言わないわよ!」
崩れた体勢のまま気丈に言い返すプラークだったが、鉱夫長は憐れみすら込めた目でその虚勢を否定した。
「世の中には、泣いて殺してくれと懇願させる拷問なんていくらでもある。
最後にゆっくり勉強していくんだな、お嬢さん」
その時、流血にまみれて伏した公騎士の体から、かん高い笛の音のような音が鳴り響いた。
ピィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!
その音が、リソースガード中から殺戮目的で編成された悪名高い無法者集団、
スラッガー≪叩き屋≫に虐殺を許す知らせだということを生きて知る者は、
その場にはもはや誰一人としていなかった。
ペルシャの猫目。茶髪のボブヘアーに、猫のような目と、つりあがった口。
セブンハウス、ペルシャ家に率いられた財源監視官の一人。
力に媚びる、図太く無神経な性格からリリオット家の下々からはペルシャの野良猫にしてジフロマーシャ家の飼い猫として忌み嫌われてる女である。
「使者の方に申せる情報はまだ届いて御座いません」
「あぁあぁめんどくさいなぁ!茶菓子も見当たらないし、来るんじゃなかったなぁ!」
「こちらの予定を無視し、・・・突然の来訪でしたので、配慮が行き届かず、申し訳御座いません。直ぐにお持ちします」
「いいですよぉ、どうせ高級あられのなんとかかんとかでしょお?私、あられ食べ飽きてるんですよねぇ」
「左様ですか」
「あらぁん?やっぱり高級あられなんですかぁ?流石に衰えても金はまだまだありますよねぇん。結構なことです。安心安心」
「それは当家に対する」
「心配ですよぉ。我々ペルシャ率いる家々は、未だにリリオット家一筋ですよぉん?」
「未だに?」
「あっはっはっは、感謝の言葉は要りませんよぉ?よっ、大将、あんたが一番!」
肩の上の従者と猫目の女性が淀んだ空気をかもしだす。
この女性とリリオット家は仲が悪いのだろうか。
「あのね?」
猫耳をピクピクさせて、アスカが横入りする。
「この部屋から、お姉さんの痛がってる声が聞こえてきたんだよー」
「館内待機の私どもは男性の悲鳴しか聞こえませんでしたが」
「私の声ですかぁ?幻聴じゃないですかぁ?それと貴方の存在も幻覚にしたいのですがぁ?」
「間違いない、だよー!」
すかさず両者に否定されたうえ、投げかけられる軽口も気にせずに、迷わず、アスカは自己を肯定する。
猫目は一歩引く。
「ホントですかぁ?だいたい、聞こえたのはどこからぁ?」
「窓から!」
「耳の良いことでぇ・・・おやぁ良い耳してますねぇ?猫みたい!」
「何かあったの、だよー?」
「んーんーんー?」
「いい加減、下ろしてくださいませ」
悩むそぶりを見せる猫目と、逃げ出そうと足をバタバタする従者。
「あー、ありましたねぇ。転んだんですよ。うっかり。」
「転んだの、だよー?」
「そうなんですよぉ、地盤が緩んでるんじゃないですかねぇ、この家?あぁ、深い意味は無いですよぉ?」
「下ろして、離してくださいませ!この、この無礼な女の頬を引っ叩かせてください!」
「いてて、だよー」
アスカの顔が平手で何度も叩かれる。
「そうですかぁ・・・わざわざそんな事の為に、確証も無く、暴れて叫んでここに来てくれたわけですかぁ。良いですねぇ。物語のナイトのようですねぇん、おおぉ、良い筋肉♪」
猫目が笑いながら、アスカの体をばんっ!ばんっ!と叩く。
「暴れたり叫んだりはしてないよー?」
「いやぁん♪もろに不審者じゃないですかぁ?あっはっはっはっは!!」
「転んだけど、頭に怪我は無いですか、だよー?」
アスカが一歩踏み込むと、「大丈夫ですよ」と制止する。その様子は、今までの軽い感じとは違っているように思える。
アスカが怪訝に思い、「でも」と言おうとした時、青い髪のメイドがアスカの背後に現れ、手に持ったスプレーを噴射する。
巨体が、「ふぇ?」と声を出して、音を立てて倒れこんだ。
「おぉ揺れた揺れた♪」
助け起こされた従者がようやく一息つく。猫目は笑っていた。
「スプレー一息でコロリなんてどこの害虫ですかぁぁ?あっはっはっは!」
そんな猫目を睨み付ける従者と巨体をつれて、青髪のメイドは頭を一度下げて、室内から去っていった。
「・・・・危うかったですねぇん」
猫目は一息ついて、窓を開けて覗き込むと、真下に茶髪のメイドが控えていた。
「“変声”と“変装”はもう撤退しなさい。門は元通り、開けておくように」
口を動かし、声無き指示を出しながら、人間大の大きさに包められた布を真下に落とす。
「さぁて、わたくし猫目は今夜、丘から落ちて死ぬとしますよぉん♪」
ダザは義足の交換を終えて施療院から外にでると、近くに立っているヘレン教の教会が目に入った。
黒髪以外の人種を全て救済し、戦乙女ヘレンを求め目指す宗教。
本来の目的は後者らしいが、迫害された反動から救済活動は活発であり、この街でも少しは支持を得ている。
特に小学校や学術院はセブンハウスの管理下で教会が運営しており、通っていたものには馴染みが深い。
ただし、やはり好戦的で危険というイメージも拭えず、黒髪人種への過剰までも差別から嫌悪する人も多い。
結果とし、黒髪にもヘレン教にも関わらない方が良いとする者が大多数であった。
ダザは小学校に通っていた時期があったため、多少は読み書きや計算が出来、街の歴史や、ヘレン教の知識はあった。
故にヘレン教に影響されて黒髪を差別することはないが、ヘレン教を偏見で見ることもなかった。
確かに、あの先生のような狂信者がいるが、それでも全体としては街に良い影響を与えている。
黒髪差別も、自身の排外主義と似たようなもので、同調は出来ないが非難も出来ないと考えていた。
ふと、古ぼけたヘレン像の前に子供が座って砂で遊んでいるのが見えた。
教会は孤児院も兼ねており、そこに住んでいる子供だろう。孤児の世話なんて立派なもんだとダザは眺めていた。
と、その時ヘレン像が大きく傾いた。倒れる前兆だ。
「あ、危ない!」
と叫ぶと同時にダザは義足に力を入れ地面を蹴った。
1回、まだ届かない。連続使用は体に負担が大きいが構っていられない。
2回、あと少し。着地する右足が痛い。間に合え!
3回、届いた!ダザは子供を抱え込んで跳び、崩れてくる像を避けた。
驚いた子供は大声で泣き出し、騒ぎを聞きつけた修道女が駆けてくる。
「大丈夫!?」
子供を様子を見てみると、泣いてはいるようだが外傷もなくどこもぶつけてはないようだ。
「大丈夫そうだ、怪我はない。びっくりして泣いてるだけみたいだ。」
ダザが離すと、子供は泣きながら白髪の修道女の方に駆け寄っていった。
「あ、ありがとう。しかし、貴方の方は大丈夫なのか?」
「うん?ああ、俺は大丈夫だ。」
連続加速の負荷と飛び込んだときの擦り傷で体中痛いが、ほっとけば治るだろう。
しかし修道女はほっとかなかった。
「見せてみて。」
服をめくり、擦り傷を確認した修道女はその傷に手をかざした。すると、ダザの周りに柔らかい光が溢れだし、傷と体の痛みがみるみる消えていった。
「回復術ってやつか、わざわざすまない。」
「子供を助けてくれたんだ。当然の行為だ。」
精霊駆動による回復術。数年前に実用化されたばかりの技術だ。この技術のおかげでヘレン教はさらに救済活動を活発にしている。
痛みが殆ど消えた時、遠くから微かに笛のような音の聞こえた。この音は公騎士団の危険信号音?なんでこんなところで?
疑問に思ったダザは急に起き上がる。
「ありがとう!この礼はまたする!」
修道女にそう告げると、ダザは音が鳴った方に駆けていった。
ベトスコの作業場にいた夢路は顔を上げた。
「・・・笛のおと?」
「聞こえなかったな」
「ジッチャンもう年だから」
年をとると聞こえる音の周波数は少なくなる。
「さー朝ご飯ですよーあーんしてくださーい」
「一人で食えるというのに」
「ダーメですよほらジッチャン凶悪なビオランテの触手に四肢は砕かれ内臓は抉り出されちゃって生きているのも不思議な重傷老人なンですからホラホラホラホラァ」
「モガモガァ!?」
※よい子は老い先短い老人で遊ぶのはやめようね!
「老人老人言うんじゃない!!」
程度問題ではあるが獏に夢を喰われた人間は生きている意味すら失い何も行動できなくなることがある。じゃあそこにエフェクティブの信条を叩き込んで洗脳し優秀な人材を引き抜こうというのが幹部の考えた夢路の使い方であった。
夢路は目を凝らす。
かつて、セブンハウスの精霊精製技術者として第一線で活躍し、一流の研究員でもあったベトスコの肩からは、当時とはまったく違う色の糸が伸びていた。ベトスコの夢。それは柔らかなグレーの色。夢路はその色から連想した人間の名前を呟いてみた。
「オシロくんのこと、大事なんです?」
「そりゃあなあ。孫みたいなもんだ」
老兵は顔を皺だらけにして笑った。夢路は安心する。
「私は、あの子に救われたんだよ」
「救われた?」
「20年前。私は親友を殺された。6年前。親友の娘まで奪われた。たくさんの仲間達も殺された。誰を憎めばよかった?手を下した犬?その上の貴族ども?任務を命じた洗脳者?私は・・」
ベトスコの糸がそよそよと動く。
彼の語り口はおだやかだった。
「全てを憎むしかなかった。自分が生まれ育った町を、リリオットを。愛する故郷を。精霊技術を。自分自身を。それはすごく苦しいことだったよ」
「わかるわ。」
「それを、救ってくれたんだ」
「オシロくんが?」
『じーちゃん。僕知ってるよ』
『父ちゃんも母ちゃんもいなくなってなんかないよ。母ちゃんが教えてくれたんだ、死んだ人のココロは"精霊"になるんだって。』
『父ちゃんは、死んだ人のココロをきれいにして、みんながもう一度会えるようにするのが仕事だったんだ。ホラ』
そう言って幼子は母からもらった精霊結晶を、ベトスコのマメだらけの手に握らせた。それはかつてベトスコが精製したものだった。
『ここにいるよ。わかる?』
わかるよ、と答えるつもりが、声にならず、涙が握った手の中に落ちた。
暁の教師ファローネは、差出人不明の封書を破り、中身を一瞥する。
冒頭の皮肉を読んで気付く。この手紙は、あの誇大妄想狂の紫色〔バイオレット〕からだ。
――似非教師ハルメルの倉庫からおよそ半数の精霊武器が盗まれたことは、早晩あなたのお耳に入ることでしょう。
入っていない。断じて耳にしていない。この手紙が書かれた時間から逆算すると、ハルメルが口止めに動いたか。しかしいくら口止めを徹底しても、この件が公騎士団の口から洩れ、噂になるのは時間の問題だろう。
――メビに伝えた通り、考え得る最悪のケースは「貧民の暴動」。すなわち「救済計画のご破算」です。
この妄言も聞いていない。いや、少なくともメビエリアラには伝わっているのだから、情報の確度が足りずに報告が上がっていないか、単に情報伝達に遅延が発生しているのか。
――与えられた「f予算を狙う輩を打ち倒せ」という指令に従うならば、儂はこの貧民の暴動を見逃すつもりでおりました。否、支援するつもりでさえありました。
完全な裏切り行為の告白である。ウォレスは自ら、黒であることを証明した。そのあとに何と書いてあろうと関係無い。ウォレスは救済計画の邪魔に――だがその後に書かれた文章は、暁の教師ファローネを激昂させるに十分だった。ファローネは髪を逆立て、長くたくわえた髭をぴりぴりさせる。
――「f予算を狙う輩を打ち倒せ」「そして内戦をも回避する」それにはおそらく大きなペテンが必要になる事でしょう。以下に計画書の原案を同封致します。
計画 原案
1)精霊武器の回収
・(貧民自身による)盗まれた精霊武器の保管場所の探索
・情報提供料は以下の通り
・1精霊武器あたり、銅貨五枚
・10精霊武器あたり、銀貨四枚
・100精霊武器あたり、金貨三枚
・早期に危険を察知し、これを排除する
・貧民に、武器を使うより、情報を売った方が早いと思わせる
・公騎士団との連携
・精霊武器の確保および照合
・教師ハルメルの保護、拘束
・――
2)エフェクティヴとの協定――
そこまで読んで、ファローネは理性を失って吠えた。脳内で。
「情報提供料だと? こんな金がどこにあるのか! 既存の権益の拡大すらままならぬというのに、ハルメルの失態の尻拭いをして回れというのか? あげくエフェクティヴとの協定だと!? 奴らに勝手に《ニュークリアエフェクト》など起こされてたまるか!! 死刑だ! あのクソガキは死刑! 死刑!死刑!死刑!死刑!死刑!」
しばらく脳内で吠えたのち、暁の教師ファローネは一つ咳払いをする。元来の理性を取り戻し、ファローネは思考する。
策謀連鎖網は依然として健在。エフェクトはまだ何も起こっていないに等しい。灰の教師メビエリアラからの報告は上がってきていない。あとはただ、このバイオレットの戯言を却下すれば、それで済む話だ――本当に?
ファローネは思考の中に一つのひっかかりを覚えた。もしバイオレットがまだ存命であるとするならば、今一体、メビエリアラは何処で何をしているのだろうか、と。
マックオートが去った後、私は外出の準備を整える。
道中荒事となる可能性もあるし、と私は荷物袋の底から小さなボトルを取り出す。
精霊水。真水に精霊を溶かし込んだ物で、傭兵の間では戦闘で消費した精霊を緊急時に補給するのに使われる。
体内の精霊のストックと合わせてどれだけ戦えるか計算しつつ、ボトルの中身を煽る。
補給した精霊を軽く駆動させ、身体に馴染ませる。その感覚をいつも、私は身体の中で歯車が回るように感じている。
※
物質に宿り、本来の力を上回る力を発現させる。多方面に応用される精霊技術でも基本になる技術の一つに、精霊駆動がある。
ある精霊学者によれば、物質に宿った精霊は、精神と物質の疎通を仲介するという。
肉体は、本人の意思が無ければ動かない。言い換えれば、肉体は人の意思を動力に駆動する装置とも言える。
肉体以外の道具にしても同じ。それは人の意思によって使われるものだ。
精霊は、この精神→物質の流れの間に入り込むという。そして精神の働きを受けて"駆動"し、その力を増幅しながら物質へと伝達する。
抜け落ちた機械の歯車を埋めるように、精霊が間に入ることによって、物質は精神の力をより強く受け取ることができる。
この学説は人の意思に反応する『精霊繊維』の存在、精霊が人の精神が結晶化した存在だという他派の説にも通じる点を持ち、信憑性の高い理論とされている。
※
準備を終えた私は、ソラのいる私室のドアをノックする。
「起きてる?開けるよー」
がちゃり。部屋に入れば、ソラは既に起きていた。傍に寄って見れば、目元にうっすらと隈が見える。
「あまり寝てなかったみたいだけど。怖い夢でも見た?」
「……っ」
冗談のつもりで言ったのだが、彼女はびくりと肩を強張らせた。
「ご、ごめん。悪気は無かったんだけど……」
「う、ううん、気にしないで」
慌てる私に首を振る彼女。ともかく蒸し返しても仕方無いし、と私は動揺を抑え、本題に入る事にする。
「えっと、身体の具合はもういいの?」
「うん、大丈夫。魔術を使った後の一事的なものだから」
「良かった。じゃあこれからの事だけど、ヘレン教の助けを借りようと思う」
ソラの味方につくといっても、私一人でできることには限りがある。ソラもずっと追われながら隠れ続ける訳にはいかないだろう。
協力してくれる人を増やし、事件について独自に調べ、解決策を探る。それが私の考えだった。
「……ってところだけど、これ以外でやりたい事、行きたい所はある?あ、それとお願いが一つだけ」
私はぴっと指を立てる。念のために、だけど。
「もしも公騎士や傭兵に襲われても、魔術は極力使わない事。もしそれで倒れちゃったら、本末転倒だからね」
ソフィアの言っていた、凍剣を持つ女性”リューシャ”が停泊していたという宿まで来た。
どうやらこの宿も黒髪を受け入れているようだ。財布が太っていればここで停泊するのもいいかもしれない。
残念ながら、リューシャと思わしき人物を見つけることはできなかった。
旅人が1日中宿で過ごす方がおかしい。当たり前と思いつつ、残念だった。
凍剣の情報も得られず、レストの依頼書も全く進展がない。
しかし、依頼書に関しては他のメンツが何か掴んでいるかもしれない。
情報交換は泥水でと約束した。マックオートは事の進行状況を知るために泥水へ向かうことにした。
しかし、黒髪頭でメインストリートに行くのは少しまずい。
少し時間はかかるが、職人街を通って向かおう。
「お前はここにいろ。……後からすぐに仲間が来るが、そいつらを邪魔するんじゃないぞ」
鉱夫長の言い方にはとりつく島もない。
食い下がっても意味がないと判断して、リューシャは素直に頷き、数歩下がる。
そこから先はあっという間だった。
休憩所の方から手に手にボウガンを持った男たちが現れたかと思うと、統制された動きで『泥水』を取り囲む。
窓辺に展開した彼らが鉄の矢をつがえ、一斉に放つ。
少しすると、割れた窓からプラークがヒステリックに叫ぶのが聞こえた。
「公騎士連中は一網打尽か……」
思ったよりやるな、エフェクティヴ。
数歩離れたところに待機していたリューシャが、軽く口笛を吹く。
窓辺に展開した男たちが苛立たしげにリューシャの方を振り返り、口を開こうとした瞬間。
ピィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!
口笛よりもはるかに盛大な警笛の音。
『泥水』の中から響き渡ったその音に、全員が反射的に身を固くする。
「――公騎士団の危険信号音!」
リューシャ以外の全員が、その音の意味を知っているらしかった。
男たちが浮き足立ち、リューシャは周辺に意識を走らせる。
殺気の発露。十よりは多く、十五には足りない。まだ目に見える位置にもいない。が、四方の通りをすでに囲まれていた。
狙ったとはいえ、非常に綺麗に巻き込まれたと言えよう。
「うぅん、見事なお手並み」
「バカを言ってる場合か!女だからと見逃してもらえる相手じゃない、お前も当然戦ってもらうからな!!」
「んー……戦えなくもないけど、この街はずいぶんあったかいからなあ……。弓兵ばっかりだし」
リューシャにとっては、リリオットの気温は高すぎる。
結晶の生成に有利なほど湿度が高いわけでもなく、かといって、装填に時間の掛かるボウガンに斬撃魔法の援護を任せるのは不安がある。
まして相手が十人以上となれば、空手では冗談抜きで死にかねない。
「ちょっと、そこの人。『泥水』の中にいる顧問の女からわたしの刀を回収してきて。
……あ、鞘から抜いたら死ぬかもしれないから気をつけてね」
「死ぬ!?」
「いいから速く」
言うだけ言うと、リューシャは腕を伸ばして空を撫でた。
腕の軌跡に白く輝く氷壁が生まれ、周囲の建物の壁ごと道を塞ぐ。
凍土と名付けた防御魔法。雪崩に耐える防壁だ。最高の条件とはいかないが、人の手で越えるのにはいくらか時間が掛かるだろう。
問題は、相手の接近速度にこちらの対応が間に合うかどうか。
包囲殲滅戦はさすがに勝ち目がない。最低限、相手の進行方向を絞る必要がある。
「……あとは、炎熱使いがいないことを祈るばかりね」
リューシャは小さく呟くと、相手の進路を塞ぐべく、『泥水』の周囲を凍らせに走った。
「さーてと、紹介状もらったしここで一度リューシャさんに報告するのもありかな?」
リソースガードへの道すがら、これからの予定に思案をめぐらす。
「紹介状渡せば一応任務終了ということにはなるけど…でも私を紹介してるわけだから、一緒に行ったほうがいいかな?」
どちらにしろ途中経過は報告するに越したことはない、と結論づけ、今日は報酬を受け取って宿でのんびりすることを心に決めた。
仲介所で依頼解決の報告をする。
「…ってわけで、流しの採掘者が調べてただけ、ってこと。とんだ幽霊騒ぎね」
「まぁそういうこともあるわね。はい、報酬」
「ありがとうございます」
「…とは言え、こんな噂もあるしね」
受付のお姉さんが思わせぶりなセリフを口にする。
「どんなの?」
「このリリオットの地下には『封印宮』という金銀財宝が眠るとか、ヘレン教のご神体が安置されてるとか、なんかそういうのがあるらしいわ」
「それで?」
「この噂はリリオット七不思議の筆頭でね。この話は皆知ってるけど真実は誰も知らないの。百人に聞けば百通りの回答が得られると思うわ」
「封印宮から出てきたバケモノだったかもしれないってこと?」
「ま、そういうことね。幸いそういうことではなかったけど」
「封印宮ねぇ…」
「まぁ与太話のたぐいだし」
「では私はコレで」
「はーい、またねー」
仲介所を出たところでピィィィィィ!という音が聞こえてきた。
「とんび? いやそれにしてはなんか違うような…」
何か、とても嫌な予感がする。
「…時間あるし、ちょっと野次馬しに行ってもバチは当たらないよね」
そうつぶやくと音のした方へ駆け出す。
彼女に知る由はないが、音の出処は酒場『泥水』。
今リリオットで最も危険なことになっている場所である…。
突然起こるのではない、積み重ねた結果で起こるというほうが正しい、と思う。
※
一通りお話を聞かせた後に、子供達を庭で遊ばせていたのだが、
私はその中で、一人子供が足りないことに気がついてしまった。どこかに行ってしまったのか。
子守をしていたもう一人のシスターに探してくる旨を告げて、私はその場を離れた。
はぐれた子を探していると、「あ、危ない!」男性の声と同時に、鈍い重い何かが崩れる音がした。
それから泣いている子供の声がしてくる。驚いて声の方に駆けると、清掃員姿の男と抱きかかえられている子供がいた。
はぐれた子は教会の傍の、ほんの少し外れたところで砂遊びをしていたらしい。
それから傍のヘレン像が崩れてきたところを、彼に庇われた。
あの像は大分古くなっていたので近く修繕に出す予定のものだと聞いていたが、
こんなことになるならば立ち入り禁止の柵でもつけておけばよかったのだ。短慮だった。
私は傷を負ってしまった清掃員に回復術を行い、礼を言った。治療もそこそこに、彼は街の方へ帰っていった。
その時ふと笛か鳥のような音がした気がするが、あるいは空耳だろうと私は思った。
「ルールを破って勝手にどこかに行ってはいけません。」
子供をきちんと叱って、中庭に帰してから、私はヘレン像のことを婦長に報告していた。
結果、男衆何人か手伝ってもらい、崩れた像を運んでもらうことになった。
遊び疲れた子供達を教会の中に入れてから、少しの間その様子を眺めにいって来た。
丁度、ちょっとした買出しに行っていたらしいアリサも帰ってきたところだった。
部分部分になったヘレン像は担架で別の、邪魔にならなそうな場所へと運ばれていく。
無残にも砕かれた彼女は、その悲惨さとは裏腹に微笑を浮かべていた。
「なんだか怖くなっちゃうね。ヘレンが砕けるっていうのも不吉だけど、ばらばらになったのを運ぶっていうのがさ……。」
「確かに、あまりまじまじ見るもんじゃないな、気分が悪い。」「……そうだね、じゃあ私買った物を……あれ?」
ふと、アリサが何かに気づいたようだ。私も彼女の視線の先を見た。
すると金髪の男性が少し離れたところから、物珍しいのか像を運ぶところを見つめている。
……いや、作業ではなく、教会を見つめていると言った方が正しそうだ。そんな印象だった。
「すいませんそこの人!!何か御用でしょうかー?!」アリサがよく通る、大きな声を出した。
こういう時の彼女はまるで物怖じしない。男の方はびっくりしたようで、硬直してしまったようだ。
アリサはそれが当たり前だというように男の方へ近寄っていく、私もなんとなく不安なのでついていった。
リリオット家から戻ってきた次の日。
《花に雨》亭にて、アスカはティーポットを傾け、お客の目の前でお茶を淹れていた。
猛々しい筋肉の塊が行う静かで優雅な振る舞いに、初見の客は汗をかいて緊張していた。
アスカの頭に付いたネコミミの震える様と、帰り際に譲り受けたリリオット家専有の本物の従者服を身にまとった姿に、男の常連客は「おいおいパワーアップしてるよ」と口をあんぐりと開けていた。
同僚店員の娘たちはこぞって従者服の生地とネコミミを撫で、羨望の眼差しを向けていた。
店内は姦しい雰囲気だったが、店主の顔は優れない。落ち込んでいるというよりは、落ち着きすぎているという感じだ。
店主は花をあしらった窓から外を覗いては、顔の前で指を組んでいた。店主の腰掛けた席だけが、まるで教会の様だ。
「どうかしたんですかー?店長。」
「少し、薄汚い商売敵に弔いをね。もしくは、祈り、か。」
「?」
「昨日、同業者の店で、ちょっと、な。生きてるか死んでるかはわからんから、とりあえず手を組んでいるのさ。何らかの効果があれば、いいんだが」
「店長・・・」
「あいつはあいつの、俺は俺の信ずる道に行く、それだけさ。おぉ、雨を!・・・・ふぅ。」
心配そうに眉を八の字にするアスカに、店主は言った。
「弔いといえば、君も行くんじゃないのかね?ここ半月ほど、行ってないのだろう?」
「はい、だよー。今日、このまま行こうかなー、なんて」
「そうか、なら、花を持って行きたまえ」
店主は扉付近に活けられた花束を指差した。
アスカはお礼を言うと、花を優しく持ち出した。
「あぁそうだ、アスカ君、今日は念のため遠回りしていきたまえ」
*
第八坑道。
アスカは花束を坑道の入り口に置き、指を組んで祈る。アスカの母は五年前、ここで炭鉱夫として出稼ぎに行って落盤事故に巻き込まれ、その命を落とした。巻き込まれたにしては損傷の少ない、母の古ぼけた遺体を引き取りに、初めてリリオットに馬車でやって来た時のことを思い出す。
――あの日ほど肌寒い日をボクは知らない。
頭を振って、悲しみを振りほどき、アスカは膝をついて祈り続けた。
――ママ、どうか、安らかに。
わっしょいわっしょいと屈伸運動を繰り返すクックロビンを、メビエリアラは冷ややかに観察していた。
(意味があるはず。収穫、豊作、大漁……富の潤沢? 今、彼の脳内は何かで一杯になっている。理性的な行動ではない。強制的に切り替わった。何かの条件で)
クックロビンは背筋を伸ばして直立し、上半身を前方四十五度に傾け、顔だけは精一杯上を向いて両手をばたつかせた。
「ポーンがボーン! ボーンがホーン! アア一周回ってホーンがポーン!」
まずい。
メビエリアラは焦った。これでは対処のしようがない。
理解が追いつかない。理性なら手玉に取れるが狂気は無理だ。彼の内在律を掴めないことには手の出しようがない。新手の精神防御だろうか?
クックロビンは一人で踊っている。メビエリアラは何もできない。ろくに動けない。しかしこのまま彼を放置してはいけない。何かしなければならない……
「アアアアア! 何ということだ、このクックロビンに殺意を抱いた不届き者がいるぞ! どこにいる! 隠れてないでそこに居直れい!」
クックロビンは腰を落とし、油断なく辺りを見回した。杖に仕込まれた剣をすらりと抜く。その振る舞い自体は理性的で、堂に入ったものだ。しかし意味不明だ。今ここに、彼に殺意を抱く者など誰もいない。
しかも武器を構えてしまっている。危険な状況だ。
「だあれが殺すかクックロビン。だあれが狙うかクックロビン。そうか分かったぞ!」
メビも分かった。彼がどういう状態にあるのかを理解した。しかし遅かった。
「あなたたち! 彼を止めなさい!」
メビエリアラはクックロビンの部下たちに命じた。しかし彼らは従わない。当然だ。クックロビンは彼女を敵視していた。それでも彼らは止めるべきなのだが、理由を説くには時間がない。
クックロビンは剣を水平に構えた。ただし誰もいない方を向いて。存在しない敵と相対するかのように。
彼は威風堂々と語りだす。場違いに。
「そこまでだ。追い詰めたぞ。公僕たる私の命をつけ狙い、街の安寧秩序を乱す大逆者め! 磨き上げた私の奥義、罪深きその身に受けよ。避けようもなきは天意と知れ! 必殺!」
(だめだ) メビエリアラは彼の凶行を止められないのを悟った。
「≪駒鳥の聲≫!」
剣が閃く。同時にピインと、高い音が響く。その名の通り鳥の声のように。
(あらかじめ設定されていた……漏れそうになれば、秘密そのものを消すように)
どさりと、深い絨毯に落ちた物体があった。クックロビンの頭部だ。硬直した表情は真剣そのものだ。本体も傾ぎながら、首から血を吹いて応接間を汚す。
彼は自殺したのだ。
残された者たちは呆然とするしかなかった。
「何か」への手がかりは失われてしまった。
精霊投票システム。
それは墓碑の司祭ヤズエイムが概念構築に直接関わった、理想の意思決定システム。
システムの基盤部分は、純度の高い精霊結晶に人の意志が宿るという仮説を元に、ヘレン教技術部の技師たちによって開発された。複数の意志の総和の中から、もっとも大きい意志を抽出する、全自動採択システム。嘘やごまかしの入る余地の無い、単純にして最大の知恵と啓示を与える投票システム。
だが、当の装置を開発したヘレン教上層部の間でさえ、そのシステムは持て余されていた。なぜならその最大公約数採択に至るまでの推論プロセスがブラックボックスであったから――いや、それは言い訳にすぎない。推論プロセスは後からでも検証できる。十分な時間を掛けさえすれば、生身の人間でも同じ結論に辿り着くことができるだろう。十分な時間――そう、十年か二十年議論を尽くしたのならば。
結論から言えば、精霊投票システムは、あまりに天啓じみていた。それゆえに使用が忌避されたのだ。誰もが皆、真実を知る心の準備ができているわけではない。唐突に与えられる正解とは、時として残酷な凶器になり得る。
議長である墓碑の司祭ヤズエイムが、精霊投票システムに判断を委ねようと言った時、それは議論という重大な過程をすっとばしたショートカットを用いることを意味していた。当然不平が出る。しかし精霊投票システムは実際に、鋭利な答えを与え続けてきた。システムはある意味で盲信されてきた。常にヘレン教にとって都合のよい正答を出し続けるだけの存在だと思われてきた。
精霊投票システム自体に意志が宿っていると考える者など、どこにも居なかった。
「f予算を狙う輩を打ち倒せ」
その指令がウォレスに下ったときも、誰も文句は言えなかった。しかしそのとき≪受難の五日間≫は自己矛盾に気付くべきだった。「f予算を狙っている自分達」がその指令に含まれていることは明白だった。それは明らかな反逆の指令だったのだから。
精霊投票システムの前で、暁の教師ファローネは精霊結晶に意志を込める。このシステムは、別に複数人でなくては使えないということは無い。一人でも使用できた。自らの心の内を、システムの中にさらけ出すことさえ厭わなければ。
「ウォレスを大教会に呼び出せ。あそこでなら戦闘は起きない。直接会って尋問するのだ」
それは自分一人でも到達できたはずの結論であった。精霊投票システムは、無数の推論プロセスに従って、それを後押ししたにすぎない。少なくとも、建前上は。
職人街でマックオートは足をとめた。
あの時襲ってきた女性が目の前で倒れている。全身は血にまみれ、その指は欠け、片目はえぐれ、明らかにまともな状態ではない。
血の跡を見る限り、今まで地を這って移動していたようだ。
レストの話や図書館で読んだ本のことを考える。彼女は恐らくヘレン教。ヘレン教を嫌う誰かに襲われたのだろうか?
目の前にいる人は自分を殺しにかかった人だ。しかし、それ以前に血を流し倒れた女性である。マックオートは近寄った。
女性は言葉にならない声をあげ、拒否しようとしたが、構わず抱き上げた。服に血がついた。
手をあげて、馬車を呼んだ。運転手は馬車が血で汚れるのは勘弁と断ったが、金を積んで半ば強引に頼んだ。
財布の残りから食費を除けば、今日の野宿は確定した。
もしヘレン教徒なら、教会まで運べばそこの人がなんとかしてくれるはずと、ヘレン教会に向かった。
馬車に揺られながらマックオートは考えごとをしていた。
この街に来て自分は黒髪であるために拒絶された。これは悲しい事だが、不条理だとも思うし、腹も立っている。
しかしこの女性を、襲ってきたからといって拒絶したらどうなるだろうか。
理由がある。だから拒絶する。それは同じだ。ならば同じだ。私が黒髪のために拒絶されるのも、彼女が襲ってきたために拒絶するのも。
マックオートはそういう事は嫌いだった。しかし嫌いと思っても、肯定している一面もある。
あの日、自分から両親を奪った傭兵たち、剣に呪いをかけた呪術師が憎い。そうでなければ収まらない。
しかしそれも、人を髪の色で区別するのも同じだ。それを思うと嫌な気分になる。
「一体、誰を憎めばいいんだ・・・」
思わず言葉になってしまった。
***
「すみません、だれか居ませんか?」
ヘレン教会に到着した。彼女を運び込むと、多くのシスター達が慌てふためいた。
しかし、あるシスターはマックオートに問いかけた。
「あなた、先生に一体何をしたの?」
その目には明らかな敵意と憎しみがこもっていた。
『神霊』の発掘計画の発端は、八年前にさかのぼる。
セブンハウスでも鉱業を司るジフロマーシャ家が、突如大規模な用地買収を行ったのだ。
そこにはレディオコースト第一坑道も含まれていた。リリオットで最も古く、最も深いと目されていた坑道である。
何か公に出来ないようなものを発掘する。あるいは地中深く廃棄する。f予算の手がかり、あるいはそのものが埋蔵されている。果ては封印宮の手がかりを発見した。等々。
様々な噂が囁かれたが、セブンハウスが多くの鉱夫を囲い込み始めるに至り、それらは一つに収束を見せた。
曰く、セブンハウスは第一坑道で秘密裏に精霊鉱を掘り出している。曰く、それは公にすればこの街のパワーバランスが崩れるほどの巨大なものである。
ジフロマーシャ家を主導とし、特級極秘事項として推し進められてきた『神霊』採掘であったが、ある程度製霊業に携わる人間にとってはもはや公然の秘密となりつつあるのが現状だった。
以上がマーロックが楽しげに喋った『神霊』採掘の来歴である。
ウロは歴史に興味は無いが、現状は把握しておく必要がある。
採掘団の全責任はクックロビン・ジフロマーシャが握っている。紹介状を懐に、ジフロマーシャ邸にへと足を向けた。
ジフロマーシャ邸正門、その前でウロと一人の公騎士がにらみ合いをしている。
邸内はなにやら騒然としており、今しがた門兵の片方が様子を見に行ったところである。
「・・・お前らがさっさと主人に引き継いでくれれば、俺はこんなところで時間を無駄に食わなかったんだがな」
「だから、何度も言っているだろう!クックロビン卿は今は誰ともお会いにならん!」
「何のための紹介状だ」
「一旦帰って日を改めろ!その紹介状とて今日しか使えぬわけではあるまい!」
邸内のざわめきに呼応するように、門兵も落ち着かない様子だ。門の中をちらちらと見やり、同僚が帰ってくるのを待っている。
「だったら・・・」
「たっ、大変だッ!」
ウロの無茶を遮るように、様子を見に行っていた公騎士がかけ戻る。
「一体どうしたというのだ!この騒ぎは!」
「卿が・・・。クックロビン卿が・・・!」
「ま、まさか・・・」
「自刃なさった・・・!」
バカなと虚ろに呟く門兵を眺め、ウロは、さて、俺はこれからどこと交渉すれば良いものか、と思案していた。
「なんだ?」
音が止まって、まず口を開いたのは鉱夫長だった。
「周囲に公騎士の姿はなかった。今さら危険信号を鳴らして何にな・・・」
ずずんっ
その時、まるで地震のような地響きがとどろいた。
砕けた窓からちょうど見えたのは、木々から飛び上がる無数の鳥達と、黒煙。
それはまさしく、エフェクティヴの隠れ基地の方角だった。
「くそっ、別動隊がいたのか!?」
狼狽を隠しきれず、鉱夫長が吐き捨てるように叫ぶ。
「皆、ゴタゴタが続いてすまない。非戦闘員は屋内待機、戦闘員は基地へ向かってくれ。
俺はこいつを連れて基地長を探す」
酒場にいる人々に、鉱夫長が謝罪と指示を伝える。それから、倒れたプラークの胸倉を掴み上げた。
「調査は名目で、最初から基地の攻撃が目的だったのか!吐け!残りは何人だ!?」
「し、知らない。本当に、私が頼んだのは調査だけで、こんな事になるなんて想像もしてなかった」
「囮か」
鉱夫長はそう即断すると、店内から出て行く人々や、口々に自分に問いかける声に応えながら、
そのままプラークを掴んで入り口の扉を通ろうとした。
しかしそれを、まだ店の奥に残っていた男がうわずりながら呼び止める。
「待ってくれ、鉱夫長!俺、この場面を知ってる・・・。
悪夢みたいだ。基地を先に爆破するのは、スラッガー≪叩き屋≫の手口なんだ!
それで、集まってきた奴らを一人一人に途中の道で殺していくんだ。
俺も一度、やられた!悪夢だった!この場面を、俺は知ってる!」
「何だと・・・!」
スラッガー≪叩き屋≫。
唯一リソースガードの中でエフェクティヴに抹殺対象とされる、特異な例外。
残虐な手口でエフェクティヴを殲滅する武装集団で、
彼らが活動するたびに世論が180度反転すると言われるほど、過激な連中だった。
「はい、ちょっとお邪魔さん」
そう言って、酒場の奥からいきなり現れた長身の男は、
片手に、スリングショットを二つ繋げたような道具を握り、バチンとそれを発射した。
続けざまに、バチン、バチン、バチン、と破裂音が鳴り響く。
時間にして2秒にも満たないその瞬間に、鉱夫長とプラーク、そしてオシロを除く、
店内に残っていた全ての男たちが、首や胴体を両断されて絶命した。
「なっ」
「案の定、全滅か。女が出て行った時点でヤバイと思ったんだよな〜」
長身の男は公騎士たちの死体を見て、軽い口調で言った。
鮮血の噴き出る死体を見回しながら、半ば錯乱状態でプラークが激昂する。
「やめて!彼らにはまだ何も聞いていないのよ!」
「うるせえ。てめえの尻を舐めてる最中なんだから黙ってろ。つーか、遅えよ」
「うおおおおお!!」
雄叫びを上げた鉱夫長がプラークからその手にあった剣をもぎ取り、
その柄に手をかけながら長身の男に突進する。
バチン。
再び長身の男が何かを発射したが、咄嗟に構えた鉱夫長の剣の鞘に巻きついて、
その『何か』が止まった。
くるくると回って巻きつくそれは、2つの小さな球だった。
その間を細い、恐らく精霊で切れ味を高められた紐が、球の間をつないでいる。
「いい剣だ」
長身の男はそう言うと、腰から長いバールのような棒を抜き出し、
剣を鞘のまま構えた鉱夫長の脇腹を、それで強烈に打ちつけた。
そのまま飛び上がり、よろめいた鉱夫長の右太股にバールの石突き部分を突き刺す。
「があぁぁっ!!」
「さすがに重労働者は声がデカい」
そう言って長身の男は、悲鳴を上げる鉱夫長の口に、黒い塊を押し込んだ。
「あがぁ、ごぉっ」
「取れねーよ。その精霊爆弾は、一度てめえのくせえ息で溶けたら、
トリモチみてえに二度と剥がれねー」
「んー!んーぉ゛ぁー!」
ぼんっ!
爆弾というにはあまりに小さな破裂音を立てて、鉱夫長の首から上が吹き飛んだ。
「はははははっ!見たかよ、あの顔!反応が短直すぎて童心に戻っちまうよ!」
天井まで届く血飛沫と、床に転がった頭部の破片を指差して、
長身の男は文字通り腹を抱えて笑っていた。
「ん、なんだお前」
男の視線の先には、レストへの伝言を書き記しておこうとカウンターの裏へ入ったまま、
出るに出られず隠れていたオシロの姿があった。
昨晩は夕飯も摂らずに宿に帰ってきてからそのまま寝てしまった。
そして、目が覚めると、まだ朝日も昇らぬ早朝であったにもかかわらず、
ぐっすり眠った後だったので妙に目が冴えてしまっていた。
お腹は空いていたし、風呂にも入りたかったが、この時間に開いている商店も浴場も当然ながら無く、
しかしやる事もないので散歩がてらリリオットのメインストリートを歩いていた。
この街は広い。一日の内最も気温の低い朝の空気は、澄んでいながらもどこかに孤独を含む。
と、後ろから突然声を掛けられた。
「あなたが、精霊ギ肢装具士のリオネさんですか」
「ひぁっ」
突然過ぎて素っ頓狂な声を上げてしまった。思わず振り返りながら戦闘態勢を取ろうとする。
「あ、いや、驚かせてしまってすみません。少しお話を聞かせてもらえませんか」
そこにはレストと名乗る緑髪の女性が立っていた。
======
話をしようにも、喫茶店も開いていないし、あまり無闇に他の人に知られたくはない話題のようだったし、
特に敵性も感じなかったので(殺したり何かを奪ったりするつもりなら、さっき声を掛けた時にすれば良いし)、
とりあえず私が泊まっている宿の部屋に案内した。
彼女の話をまとめると、大体以下のようになる。
ひとつ、どうやら自身の偽物が現れているらしいこと。
ふたつ、その偽物を探すために、その偽物が付けていたという義肢の情報を集めているということ。
みっつ、その義肢は、鋼鉄の腕に指の全てが刃物というおよそ私の美学に反する代物らしいこと。
私は彼女に、まず一通り、私の専門分野である精霊義肢の話をした。
彼女の話を聞いた時点で、その話は彼女の偽物に直接関係するものではないと思ったが、
それでも多少は役に立つかもしれない(立たないかもしれない)。
それよりも、私は彼女の着けているギ肢の方が気になった。
話を終え立ち去ろうとする彼女を引き止めて尋ねる。
「ちょっと待って。私もあなたに聞きたいことがあるの。
端的に聞くわ。――その左腕は何?」
======
「精霊駆動」には一定以上の純度の精霊が必要だ。
精製していない精霊では、まるで湿気た火薬に火が点かないように、駆動しようとしても不可能だ。
植物や動物にも、それらが摂取した精霊が宿るが、
そのようにして生体内に蓄積された精霊は外部から駆動できるほどの濃度を持たない。
それらを再利用しようと思うならば、大規模な濃縮還元装置が必要だ。
もっとも、普通その濃縮還元には膨大なエネルギーを伴うので全く割に合わない。
だが、目の前で起きた出来事はまるで……植木に宿った精霊を、搾り取るかのように、外部駆動させた?
いや、これは外部駆動なんかとは違う、
そもそもこれは精霊駆動によるエネルギー変換じゃない、これは大規模な精霊駆動の、たとえば、準備動作……
こんな、生命力を吸い取るような強引な精霊濃縮が、準備? ……今のが?
「……あなた、レストさん、だったかしら。このギ肢は、一体どこで?」
私は必死に冷静さを保ちながら、彼女に質問する。
彼女は答える。
「この左腕は、親友の形見なんです」
仄暗かった宿屋の一室は、既に朝日の光で満ちていた。
黒髪のリソースガードであるヒヨリは、数日ほど「救済計画」について調べていた。しかし、なかなか情報を手に入れることができない。そこで、ヒヨリは情報を集める範囲を広げることにする。
だがそれは誤った選択だった。「夜間と裏路地の徘徊だけはするな」黒髪に対して理解のある人の中には、ヒヨリに対してこう声をかける者もいた。そう感じるほど、黒髪への迫害は加熱していた。
日の暮れた裏路地。ヒヨリは駆け去っていく襲撃者の背を見ながらうつぶせに倒れていた。ヒヨリの背には厚手のナイフがねじ込まれ、そこを中心に服に暗い染みが広がっている。いくら回復術に長けていても間に合わないほどの深い傷。それは死に至る傷だった。
ヒヨリは自分の死を悟る。
ヒヨリはうつぶせのままで懐から硬貨の詰まった袋を懐から取り出そうとする。だが袋はヒヨリの手から滑り落ち、硬貨が音を立てて辺りに散らばった。それは財布代わりの袋とは違う「人を救った記念の硬貨」だけを詰めた特別な袋だった。
ヒヨリは散らばった硬貨の中に一つだけ銀貨を見つける。
「(ごめんね、ソラ)」
彼女はそれを優しい手つきで摘まむと、その隣に転がっている銅貨の上に重ねる。
カチャリ……、ヒヨリにとって聞きなれた音が耳に届く。その音を聞き、ヒヨリは安心したように大きくひとつ息を吐きだす。
そして二度と息を吸うことは無かった。
彼女の髪のように黒い夜空には、金色の星が光っていた。
「もしも公騎士や傭兵に襲われても、魔術は極力使わない事。もしそれで倒れちゃったら、本末転倒だからね」
ソフィアのお願いにソラは頷き、身支度を始めた。行き先はヘレン教の大教会。
塔からヘレン教会までの道のりはさほど遠くなかった。塔から住宅街までは辛うじて馬車が2台は通れそうな短い林道があり、住宅街に入れば教会は目と鼻の先であった。ソラは外套で全身を隠し、ソフィアと連れ立って教会へ向かった。
林道はリリオットの外周に位置する住宅街と農耕地区を繋ぐために作られた道で、中心市街に出る時は遠回りにしかならず、人通りはほとんどなかった。住宅街の方から茶色い髪の騎士が一人歩いてくるくらい。
ソラはその騎士に見覚えがあった。いつも掃除の仕事と報酬を与えてくれる、ソラにとって一番親交のある騎士だった。彼の名前はハス。ソラは優しくしてくれる彼に全幅の信頼を寄せていた。だが……公騎士ならフェルスターク一家殺害の話も知っているはず、とソラは外套のフードを寄せた。
「ソラちゃん!」
すれ違った直後、ハスは足を止めて二人の方を向いた。それに反応し、ソフィアが間に入ると、剣の柄に手をかけた。
「ソラ、離れてて!」
「ま、待ってくれ!俺は戦う気も誰かを呼ぶつもりもない!」
ハスは両手のひらを出して戦意がないことを告げた。
「ソラちゃんが事件に巻き込まれたと聞いて、心配になって探していたんだ」
「ソフィア、ハスさんなら私の知り合いだから大丈夫だよ」
ソラがそう言うなら……とソフィアは構えを解いた。
「よかった無事で……この道を進んでいるということはこれから教会に?」
「うん……」
「そうか、それがいい。ヘレン教なら疑いが晴れるまでソラちゃんの事も匿ってくれるはずだ。運よく他に誰もいないし、今あったことは誰にも口外しないよ」
ハスはうんうん、と何度も頷いてから、「それじゃ」と言ってソラ達と別れた。
ハスを見送り、ソラ達も教会へとまた歩みを進めた。
誰もいなくなった後、ハスは一人林の中で呟いた。
「はい……多少遅れてしまいましたが、《プラン》通りです。ヘレン教も、我々からの贈り物をいたく気に入ってくれることでしょう。『きっかけは些細なことでいい』とはいい言葉です。それが嘘偽りでも、我々が介入するには正当な理由となる。しかし、彼女は惜しい逸材ですよ。見聞きしたことを全て、何の疑いもなく話してくれた。教会の動向、信者の様子、黒髪との確執まで全て……ね」
まず中央がスイカぐらいの大きさにボコッと隆起し、それからバタンと倒れた。作業場の木の戸が。
夢路には何が起こったのかわからなかった。
現れたのは巨大なハンマーを担いだ男。
「女一人、年寄り一人。どちらも非戦闘員。ここは後回しかな?・・・いや」
二の腕だけが異様に発達している。ハンマーは金具で補強しただけのただの木槌で、代わりに自分の筋肉を精霊繊維で強化しているようだ。
「"皆殺し"が命令だったな。仕方ないなあ」
こういうタイプは一般人をなぶり殺すが趣味と相場が決まっている。
「えーっと」
男は夢路とベトスコを交互に見ると、
「どっちを先に殺そうか?」
夢路はなんとか逃げ出せないか、と思ったが相手との実力差はハッキリしていた。助けが来るまで時間稼ぎするしかない。
「あの!!ステキなハンマーですね!!どこで売ってるん」
「そうだ。」
男はポンと自分の手の平を叩いた。
「二人、ジャンケンしなよ。負けたら左脚・右脚・左腕・右腕・頭の順番で砕くね。」
「………!?」
「はいっ、出さなきゃ負けよ、ジャンケンッ」
出さなきゃ負け、という言葉の語圧に負けて夢路はついパーを出してしまった。
「じーさんの負け!」
ハンマーが思いっきり振り下ろされた。ベトスコは避けたが、よろめいて倒れた。空振りしたハンマーが床に穴を空ける。もう一撃が来る。真上から垂直に下ろされたハンマーは老兵の左膝に正確にヒットし、メシャッという骨の砕ける音がした。
「ガ、ぁぁ゛っ・・!?」
「ジッッッッチャぁあああン!!!こっ、のやろお――――!!」
夢路は自分がパーを出したせいでベトスコが殴られたという事実は無視してハンマー男にタックルをかました。二の腕に噛みつく。「もぐもむっぎゃんもぐぅ!」「何言ってるかわからん」「ギャッ」すぐに投げとばされてしまった。
「ハァ…ハァ…」
「さあ2回戦だ。出さなきゃ負けだよ、ジャン、ケン、」
夢路は這いつくばってベトスコの側に行くと、苦しみ呻くベトスコの右手を無理矢理グーの形に丸めた。
「いいねー、そういうの。姉ちゃんの負け!」
グシャ。
「んぁあああああっっっ!!!」
夢路の左脚が変な形に砕けた。
二方を塞いで時間切れが来た。
地震のような振動とともに離れた位置で黒煙が吹き上がったかと思うと、『泥水』の正面で男たちの声が錯綜する。
悲鳴は虚空を裂き、そして絶える――ボウガンの射出音など一度も聞こえないまま。
塞いだ氷壁の前に立っていたリューシャには、ほんの僅かな猶予があった。
今ならまだ、正面の敵は逃げ出した非戦闘員を追っている。
逃げるか、戦うか。
二正面を相手に戦える相手ではない。が、シャンタールは未だ『泥水』の中だろう。
「……他の剣なら置いてってもいいんだけど」
シャンタールはだめだ。あれは使い手を選り好みしすぎる。
事態がここまで逼迫すれば、置いていったシャンタールがリューシャの手に戻ってこないのは明白だ。
だとすれば、公騎士に渡るにせよエフェクティヴの手に残るにせよ、手にした者が何人死ぬかわかったものではない。
仕方ない、と呟いて、リューシャは『泥水』の砕けた窓に忍び寄った。
『泥水』。
先ほどまで鉱夫たちが談笑していた酒場は、今は……控えめに言って、二度と買い手がつかないだろう惨状を呈している。
やったのは、スリングのようなものを手にした長身の男か。少なくともプラークにはできないだろう。
外からでは見えないが、男の様子からして、カウンターの中にもう一人、だろうか。
これ以上ぐずぐずしている暇はない。
リューシャもまた、見つかれば殺される。
窓辺から狙いを定め、リューシャが鋭く腕を振る。
バキィッ、と音を立てて、『泥水』の扉が氷に閉ざされる。
男が扉を振り返るのと同時に、ガラスのなくなった窓からリューシャが飛び込んだ。
「なんだ、女!?」
上がった声に一切取り合わず、容赦なく、躊躇もなく、超高硬度の永久凍土を削り取るための斬撃が男の首を狙う。
不意打ち一閃。
太い血管がまとめて断ち切れたはずだが、血は出なかった。傷口は純白に凍りついていた。
「……正面からやりあったらわたしが死ぬでしょうね。運のない奴」
崩れ落ちた男を一瞥すると、リューシャはカウンターの裏を覗きこむ。
そこにいたのは、リューシャと入れ違いになったあの少年だった。
「あ、あなた、さっきの……?」
「裏口は?」
「え?」
「裏口。……まさか表のも相手にしろとか言わないわよね。わたしには無理よ」
リューシャは言うと、血みどろの店内をぐるりと見回す。
頭をなくした鉱夫長の手にシャンタールを見つけると、その手から柄を引き剥がした。
刀身を抜いて傷のないことを確かめてから、リューシャはちらりと少年に視線を投げる。
「その男が死んだのに気づかれる前に逃げないと、今度こそ死ぬわよ。
……心中するつもりなら止めないけど、裏口の場所を教えてからにしてね」
どうするの、というリューシャの問いに、少年はゆっくりと立ち上がった。
ヘレン、あなたは今、どこにいるのか。
……私の目標は、どこにあるの?
※
「何か教会に御用でしょうか?お悩みがあるなら、私達の力で及ぶ限りお手伝いさせていただきますよ。」
アリサは屈託のない笑顔で笑いかける。金髪の男の態度はどこか空々しかった。少し違和感を感じる。
「……ああ、いや、ちょっと騒がしそうだったから見ていただけです。用事なんてないですよ。たまたま通りがかっただけです。」
(手紙の中と現実の区別ぐらいちゃんとつけている……)
彼は話しかけられる前後にもごもごと何か喋っていた気がするが、よくわからない。
用事がないなら、私たちもさっさと帰ってしまうに越したことはない。踵を返そうとした時、結局男が声をかけてきた。
「なぁ、あんた……」「?」男はなんとなく言い出しづらそうだったが、強く言い放った。
「あんたは、本当にヘレンを信じてるのか。」「どういうことでしょうか?」アリサが引き続き受け答えをしている。
「ヘレンなんておとぎ話の存在だ、絵空事の世界だ。悪者を全部やっつけて、伝説の剣を振り回して、弱者を全部救えて、
そんなヒーローが本当にいるとあんたは思っているのか?そんな訳のわからないヤツのこと、信じて身を投げ出せるっていうのか?」
……わかった、この男に感じていた違和感の正体が。
彼はヘレン教を嫌っている。彼の眼は深い場所で私達に敵意を示している。
ならば引き離さねばなるまい。アリサは傷つきやすい子だ。口を出そうとした瞬間だった。
「ヘレンはいますよ。」はっきりとアリサは答えた。私も、金髪の男も少し驚いたようだった。
「ヘレンは私達の絶対なる憧れです。とはいうものの人間は各々違う憧れを抱いています。抱く憧れも一種類じゃないかもしれません。
……だからヘレンは私達の理想全てを内包していると言われています。希望の全てを彼女が持っています。
人によってはヘレンが繊細に見えるだろうし、小山のように巨大に見える人もいるでしょう。でも素敵には違いありません。
色々な理想を持つ色々な人が、ヘレンを介して集まって協力している、
それは素敵なことなんじゃないかなぁって思って、私はここにいるんです。
私のヘレンは、子供達を守る聖女です。それはきっとどこかにいる。私は彼女に少しでも近づきたいと思っています。
ヘレンに、理想の素晴らしい人に、なりたいんです。ヘレンはいます、皆の理想です。」
アリサの答え方は少し緊張して慌しかったが、ひたすらまっすぐだった。ただ純粋だった。男もそれに気がついたらしい。
「……そうか、わかったよ。変なことを聞いて申し訳ない。」
「あっ。あのっ。私の方こそいきなりこんなこと……!!」わたわたと弱気なアリサに戻ってしまう。先ほどの勢いはどうしたのか。
去り際に、男は呟いた。「あんたみたいに良い人は、こんな場所よりもっと別の場所にいるべきだと思うよ。」
もう一つ気がついたことがある。あの男は諦めている。自分の理想には、どうやっても手が届かないと思っている。
私と同じ絶望の色をしていた。
互いに身支度を整えると、私とソラはすぐに塔を出発した。
塔からヘレン教会のある住宅街へ向かうには、住宅街と農耕地を繋ぐ林道に出るのが一番早い。
人通りの少ない道なので、上手くすれば誰にも見咎められずに通り抜けられると思ったのだが……
運悪く、住宅街の方から一人の騎士が通りがかる。おまけにその騎士はすれ違い様、突然振り返り叫んだ。
「ソラちゃん!」
反射的に動く。ソラを自分の背後に隠し、腰の剣に手をかける。実戦では使えない魔剣でも、ハッタリの道具にはなる。
「ソラ、離れてて!」
「ま、待ってくれ!俺は戦う気も誰かを呼ぶつもりもない!」
きつく相手を睨み付ければ、相手の騎士は戦意が無いことを示してくる。
話を聞けば、ソラとこの騎士は知り合いらしい。最初に『ソラちゃん』と彼女のことを呼んだ事を思い返し、私は構えを解く。
「よかった無事で……この道を進んでいるということはこれから教会に?」
「うん……」
ソラとハスと言うらしい騎士は、そのまま気心が知れた様子で会話を交わす。
その間私は二人から視線を外し、誰か来ないかと周囲を警戒する。
道はそれなりに整備されており、林に逸れなければかなり遠くまで見通すことができた。
(誰も来る様子はない……かな。けど、それだと逆におかしい……?)
人が来ないことに安堵しつつ、思考を巡らせる。そうしている内に、ソラとハスの話も終わったらしい。
「お待たせ。じゃあ行こっか」
「うん。…ところであのハスって人、仲が良さそうだったけど、彼氏さん?」
「ち、違うよ!」
軽く冗談で茶化しながら、二人で再び林道を進んでいく。
いくらか進んだところでちらりと後ろを振り返り、ハスの姿が見えない事を確認すると、私は行動に移る。
「……ソラごめん、ちょっと予定変更」
「え?わっ」
ソラの手を引いて、そのまま林道から林の中に入る。
足元の小枝や木の葉が音を立てるが仕方無い。なるべく足音を顰める努力をする。
「きゅ、急にどうしたの?」
「ソラ。あなたは知らないのかもしれないけど、公騎士団は必ず2人以上の班で活動するの。
単独での活動は、何か特別な任務でも無い限り、まず行わない」
「え……」
「近くに仲間の騎士がいる様子もなかった。気味が悪いから、このまままっすぐ教会に向かうのは避けるよ」
「でも……」
ソラの表情には戸惑いが浮かんでいる。信頼を寄せる相手を疑われれば当然か。
けれどここは退けない。些細でも不安要素は見逃せない。
「分かってるよ、これは私の考えすぎなのかもしれない。彼は本当にソラのことが心配で、規則違反も構わずに、辺鄙な林道まで来てあなたを探していたところに、私たちが運良く通りがかっただけかもしれない」
「………」
「けど例えそれがどんなに酷い誤解だったとしても、死んじゃったらそれを謝ることもできないんだよ。危険を避けるには、最悪の事態を考えなきゃいけない」
まっすぐにソラの眼を見て話す。ソラはまだ納得のいかない顔だったが、不承不承といった様子で小さく頷いてくれた。
ほっと息を吐きながら、私はそのままソラと林の中を進む。
「目立たないよう少し遠回りするけど、ヘレン教会に向かうのは一緒だよ。
教会に裏口みたいな場所はあるかな。あとは教会の人で、信頼できそうな人に手紙を書いてほしい。助けてほしいって」
歩きながら、私は荷物の中からペンと日記の千切ったページを差し出す。住宅街に出たら、小銭と一緒に子供にでも配達してもらおう。
……教会に行かずにソラの安全を護る、上手い代案が思い浮かばない自分が不甲斐無い。
そうして私達は、それから数時間をかけてヘレン教会へと向かう事になった。
ダザは笛のような音が鳴った方に走っていた。
あれが危険信号音なら、公騎士団が襲われたということか?
こんな地域だとすると相手はエフェクティヴか。
そうだとすると、あんまり相手にしたくないな、親方のこともあるし。
走りながら考えていると、向かっている方向が『泥水』であることに気づく。
まさか、『泥水』で何かあったのか?
そう思い走る速度を上げようとしたとき、風を切って飛んでくる音が聞こえた。
ダザは咄嗟に身を低くすると、頭の上を何かが通過した。
その物体は弧を描き、飛んできた方向に戻っていく。ダザには金属の輪が飛んでるように見えた。
戻っていったその輪は、進行方向に立っていた男によって捉えられる。
「ありゃ、セブンハウスの清掃員じゃねぇのか?殺していいのかよ?」
「近づく奴、逃げる奴は対象以外全員殺せとの指令だ。構わしねぇよ。」
輪を掴んだ長髪の男と、隣にいた鎖が付いた鉄球を持つ巨体の男は、そう言うと臨戦態勢をとった。
どう見ても公騎士団でもなければ、近隣に住んでいるエフェクティヴでもない。
奇妙な服装に奇妙な武器。間違いなく外部から来たリソースガードだ。
何故公騎士団の危険信号音が鳴った方から来たか分からないが、余所者が殺意を持って攻撃してきた。
さらに、殺しても構わないとの宣言。ダザは当然相手に合せ構える。
「よく分からんが、害虫共相手なら手加減の必要はねぇな。」
ダザは義足に力を入れて加速し間合いを詰める。
長髪の男は金属の輪を再度投げる。投げるタイミングや軌道が見えれば躱すことは容易い。
ダザは輪を難なく躱す。よくよく見ると輪の外周は刃になっていることに気づく。
しかし、それを見てる隙に長髪の男は更に輪を投げ追撃する。今度の二つ同時だ。
ダザは義足で加速し左に飛んで追撃を避ける。
だが、その先にはいつの間にかもう一人の巨体の男が待機しており、鎖付き鉄球を振り回してダザにぶつけてきた。
咄嗟に鋼鉄ブラシでガードするが、その鉄球の勢いによりダザは吹き飛ばされた。
「おいおい、折角近づいて来てくれたのに吹き飛ばしてどうする。」
「これで終わりかと思ったが、清掃員め、ガードしやがった。なかなかやるぜあいつ。」
談笑する二人組。これはつまり余裕の現れであった。
一方、吹き飛ばされたダザは、頭から血を流しながら考えていた。
本来、自分は暗殺がメインで、こうやって対峙した戦闘は得意ではない。
油断させてから、隙をついて相手を殺る。それが基本スタイルだ。
しかし、今回の相手は二人組みで恐らく戦闘のプロだろう。実に不利だ。
吹き飛ばされたこのチャンスに退避した方が良いだろう。
だが、害虫共相手に退避だと?近づくもの逃げるもの全て殺す危険人物だ。
ほっておけば街に害を与えるのは間違いない。そんなことが我慢できるものか。
「まぁ、なんとかなるか。」
根拠ない楽観的思考。それでもダザは再度敵に立ち向かっていった。
酒場「泥水」の方へ近づくと、何やら物々しい雰囲気。
明らかに荒くれ者と思しき人が周囲を警戒している。
「これはちょっと近づくのは危険ね…」
路地に隠れて様子を見る。
「こんなところで何を警戒してるのやら」
どうしたものかと思案していると、緑色のつなぎを着た清掃員がブラシを手に目の前を通り過ぎた。そのまま荒くれ者の方へ突進していく。
「速さが尋常じゃないわね…」
ちょっと路地から顔を出す。鼻先を鉄輪がかすめる
「!?」
思わず飛び退く。
「あっぶなー。あれってチャクラム?」
などと思案していると、今度は先ほどの清掃員が吹っ飛んできた。
「大丈夫かしら…」
程なく起き上がると、頭から血を流しながらも、もう一度とばかりに再び突撃していく。
「彼は結構強そうに見えるけど1対2は不利、私が加勢してもまだ無理。魔剣は全部アイツの家だしなぁ…」
ないものねだりをしても仕方がない。ある技のみでやらねばならない。
「…だけど、不意打ち奇襲ならば?」
思いついたが吉日。路地の壁を利用して屋根に上る。
「よっと」
屋根の上なら状況がよく見える。そして、精霊砲のチャージをはじめる。
「アルティア、よーく狙いをつけてね。あの清掃員の攻撃にあわせるのよ」
そして自分の残像を作り出す。残像といえど質量はあるし、ある程度動かせる便利な代物である。
「人が屋根から飛び降りてきたらきっと驚くでしょ」
そして隙を見せたら飛び降りて必殺の居合を当てる。
あとは連携が取れるかだが…
清掃員と荒くれ者たちは睨み合っている。
「……今ね」
屋根側に近い、鉄球男にえぬえむの残像が飛びかかる!
「おい、ずいぶん魔物に詳しいようだが、お前は何百年前から生きてるんだ?」
ひげ面の酔っ払った男がライに絡んできた。
生ける伝説を目にした高揚もあったろう。酒による興奮もあったろう。
その生ける伝説の語りもホラ話と思われながら受け止められている、これもまた要因ではあったろう。
「いや、何百年ってことはないが……それなりに死線は潜り抜けているんでな」
酔っ払いの目が輝いた。およそ酒場で管撒いている連中というものは蛮族と大差ない。面白さの兆候には鋭敏な感覚を働かせるのである。
「おい、こっちのあんちゃんも大冒険しているようだぞ! 話を聞いてみようぜ!」
ちょうどウォレスが肉を食っていて語りを止めていた瞬間である。視線は一気にライに集められた。
ライにはまた、弟に手紙を書いていたことでいっぱしのストーリーテラーとしての自負も培われていた。行ける、そう判断したのも無理からぬことである。
「そうだな……俺がこの間、ヘレン教の拷問人から黒髪の少女を救った時の話なんだが……」
ヘレン教の暗黒面への言及はタブー性を含む。それゆえに一瞬凍った空気も漂ったが、酔っ払った蛮族にタブーはご褒美である。若干の緊張を持ちつつ盛り上がる中、一人の男が声を上げた。
「ヘレン教に拷問人だと? 聞き捨てならないな」
公騎士ドズモグである。
「どこの教会なんだ? 事実であれば、明日にも取り調べに行かなくては」
ドズモグも話半分で聞いてはいるが、これはつまり、公騎士である自分の前でその話は続けられるのか?という、語りへの挑戦である。ドズモグの意図を感じ取り、酔っ払いたちの期待は大いに高まった。
「え? あ、いや、それは機密上明かせないんだが……」
「なら俺は職務上お前を尋問しないとならん」
そう言ってドズモグはにやりとする。酔っ払いたちが笑い声を上げた。
「こりゃドズモグの勝ちだな」
「いや、俺はまだ若いのに期待してるぞ」
最初に話しかけたひげ面がライをけしかける。
「おい、どうした! 事実なら何も隠すことはないだろう!」
「あ、ああ……仕方ねえな、機密なんだがシャトラン通り2番地にある教か」
「シャトラン2番地? シャトラン救済教会か?」
たくましい腕をした浅黒い男が遮った。ボザックだ。
「拷問人てことは、拷問部屋があるのかあそこに」
「ああ、地下室に隠し階段があってな、その先にあるんだよ。巧妙に隠されているが……」
ボザックが大笑いした。
「そりゃ巧妙だ、あそのこ教会は俺が建てたんだぜ」
爆笑が辺りを覆った。暫くは誰が何を言っているのかまったく聞き取れないほどだった。
「大工の俺が知らない間に地下室作るなんざ、そりゃ巧妙だな」
ライが抗弁しようとするのを、ドズモグが押しとどめた。
「ではシャトラン救済教会に明日、公騎士団として公式に取り調べに行くこととしよう。
もし報告の通りなら手柄だ、表彰させてもらわないとな。名前を聞かせてもらおうかな」
チェックメイトである。勝負はついた。周りの空気が判定を下していた。
「仕方のないやつじゃ、わしの真似をするには10年は早いな」
皿を平らげたウォレスが立ち上がり、ライの肩に手をかけてそっと椅子に座らせた。
「よいか、人を楽しませる話のコツを教えてやろう」
ライを振り返ってウォレスが言う。
「本当のことを話すことじゃ」
ウォレスのその言葉に、酒場はまた笑いに包まれる。
「親友の、形見?」
私は緑髪で義肢の女性、レストに尋ねる。
「はい。六年前の大爆発事故、と言ったら分かりますか?
私と彼女は、その事故の被害者でした」
レストは、淡々と語り始める。
======
なるほど。
私は分かったように呟く。
分かったことは少ない。
ひとつ、少なくとも六年以上前からその左腕は存在していたこと。
ふたつ、レストは六年前の事故で失った内臓系の機能を、精霊を利用した人工臓器で補っていること。
みっつ、その人工臓器を駆動させる為、食事として精霊を摂っていること。
分からなかったことは残り全て。
正直言って、彼女の左腕の機構は想像すらできない。
それに、精霊利用の人工臓器? そんなものまでヘレン教は実用化していたのか。
……いや、実用化までは至ってはいない。話を聞くに、彼女は体(てい)の良い実験体にされただけだ。
それでも、成功例が目の前にいるだけで驚嘆に値する。
他にも幾つか気になった点は在るが、それは追々仮説を立てておこう。
それにしても、
「あなた、随分と冷静に喋るわね。嫌な思い出でしょうに。それとも、もう割り切ってる?」
私は、少しだけ彼女を試す。
すると、予想外の答えが返ってきた。
「いえ……『私には、心がありませんから』」
「心が……無い、ですって?」
ふうん、これはむしろ私が試されているのかしら。
「あなたの言う『心』って何かしら?
あなたは、私に、心があると思う? それは何故?
心は目に見えないわ。あなたには、それが見える?
あなたが今まで会った人、全てに心があると証明できる?
或いは、その辺に転がっている石や、この水差しの水、
そしてあなたがさっき枯らした植木、若しくはこの精霊結晶に心が無いと、証明できる?
あなたの心は何処にあるのかしら、それとも無いのかしら。それは証明できる?
いい? 『観測可能な物は、そこに存在する』わ。
『観測』は、何も計器による数値の変化のことだけを指すのではないの。
何かの『作用』に対し、それに対する『反応』があれば、それは『観測可能』よ。
水に触れる。冷たい。これは『観測可能』。
肌に触れる。暖かい。これも『観測可能』。
傷に触れる。痛い。これも『観測可能』。
あなたは何を以って『心』を観測しますか? 『心』の存在を、どう証明しますか?
もう一度言うわ。
あなたの言う『心』って何かしら?」
「……」
レストは答えない。
「つまり、『心』なんてものは何処にもないわ。
『心』とは何か、と考える瞬間にだけ人間の思考に現れる幻想よ。
普段はそんなものは存在しないわ。
だから……これが私の『観測』で『証明』よ。
さて、もう日も昇ったし、お腹もいい加減空いたわ。どこか美味しい所、知ってる?
……嗚呼、いや、あなたは一般的な食事を摂らないんでしたっけ。
いいわ。あなたには精霊繊維精製用の超高純度精霊結晶をあげるわ。特別よ。
宿の食堂で"朝食にしましょう"。」
私はリオネさんに、自分の知る限りを話すことにしました。
「六年前の大爆発事故、と言ったら分かりますか?
私と彼女は、その事故の被害者でした」
言葉を発すると自然、忘れていた出来事が次々と思い出されます。
崖で足を踏み外した彼女の姿。
とっさに手を伸ばし、落ちていく彼女の硬い左手をつかんだ感触。
閃光と爆音に、身体と意識が吹き飛ばされる感覚。
そんなこともあったなあ、というかんじです。
「その事故で、私は自分の中身と左腕と、親友の左腕以外を失ったんです」
記憶が、私の意志とは無関係にフラッシュバックします。
偽物の心臓と、親友の左腕を持って目覚めた自分。
その事実が意味するところに気付き、けれどそれを悲しいとも思えない自分。
先生の難しい説明を聞き流しながら、「親友一人も守れないこの腕と、彼女の死に何も感じられないこの心に、なんてぴったりなプレゼントだろう。さすが偉い先生だ」とただただ感心していた自分。
そんな私を見て何を勘違いしたのか「その左腕の元の持ち主もきみに、自分の分まで生きてほしいと願っているよ」と微笑む先生。
先生による死者の代弁に対し、素直に「解りました」と答える自分。
ああ、あの頃は、生きるのにこんなにお金がかかるとは知りませんでした。
***
知っていることは大体話し終わったかな、というところで、リオネさんが軽く目を細めて言いました。
「あなた、随分と冷静に喋るわね。嫌な思い出でしょうに。それとも、もう割り切ってる?」
反射的に、いつもの台詞を返します。
「いえ……私には、心がありませんから」
「心が……無い、ですって? あなたの言う『心』って何かしら?」
ええと、そういえば、あまり意識したことがありませんでした。
心。心ってなんでしょうか。
内心で首を傾げる私に、リオネさんは続けて『心』とは何か、滔々と語ってくださいました。
私、実は難しい話が苦手なので、その言葉のすべては理解できなかったのですが、簡単にまとめると、「『心』は『観測』できないのだから、そんなものはそもそも存在しないのだ」ということになるでしょうか。
心はどこにも無い。私だけではなく、他の誰にも心なんて無い。
それはとても意外な考え方でしたが、説明されてみるとそんな気もしてきます。
心なんてそもそも存在しない。
どこかほっとするその言葉にひとまず納得し、頷こうとした瞬間、頭の中で誰かの声がしました。
「でも、あなたとマックさん達とは明らかに違うでしょう?」
リオネさんのようでも、私自身のようでも、懐かしい誰かのようでもあるその声に、はっとします。
そうです。
心が存在しないというのなら、私と他の方々との違いは一体どこにあるのでしょうか。
私が他の方々に感じているそれは、一体なんなのでしょうか。
疑問は、リオネさんの「あなたには精霊繊維精製用の超高純度精霊結晶をあげるわ」という言葉によって、すぐにどうでもよくなってしまいました。
観測結果から言うと、いまだに私は難しい話が苦手なようです。
坑道入り口で祈っていると、背後から従者の姿をした壮年の男性がやってきた。
「おや、お祈り中でしたか。申し訳ない」
立ち上がり、微笑みながら振り返り会釈するアスカの姿をみて少しうろたえながら、男も会釈し返した。
「いえ、そろそろ終わろうとしてましたからお気になさらず、だよー」
「でしたら宜しいのですが・・・失礼ですが、やはりどなたか、その、落盤で?」
「えぇ、五年前の、落盤事故でマ・・・母を」
「そうでしたか・・・あの年この坑道では、本当に多くの犠牲者が出てしまいましたから・・・」
「ついでといったら失礼ですけど、他の方の分も祈りを送ろうと思って、だよー」
「ほう、それは素晴らしい」
目を凝らし見渡すと、坑道の影に色とりどりの花束の山が陳列していた。
「貴方は?」「私はヒルダガルダにお仕えする者です。この第八坑道での活動が再開される事になりましたので確認の下見に参りました」
「ということは、ウロさんが?」「えぇ、実に驚くべき能力と素晴らしく迅速な手際で御座います。貴方も彼をご存知でしたか」
「はい、いくつかお話もお聞きしました、だよー」
アスカがこの坑道の奥で、土にまみれたウロ・モールホールと出会い、母について聞いたのが三ヶ月前。
此方を振り返ることなく「知らん。」の一言で片付けられたのを覚えている。五年前には彼はまだ居なかったし、仕方ないのだが。
仕事中で初対面とは言えその態度は、と流石のアスカも頬を膨らませ、しかし一心不乱に掘り続ける彼の姿に見惚れたものだ。
それから何度か祈りの際、帰り際に声をかけた。
そうか、終わったのか。今度、店に連れて来てお茶でも淹れようかなとアスカは思った。
「五年前に止まった、この坑道の時も漸く動き出します」
「・・・・」
「せめて、犠牲者の遺族の方のお心も、この街の更なる発展と共に潤えばと思います」
「・・・!? えぇ、そうですね、だよー♪」
――ママの時は、止まったまま、もう動かない。
最初の彼の言葉にこんな事を考えて穿ち、続く彼の言葉の優しさに目を覚まし、アスカは自らを恥じる。
「ありがとう御座います、だよー♪」
「いえいえ」
突然、ゴオウッッ、とお腹の音が鳴った。ラペコーナにでも行こうかな、うちのお店とご近所さんだしとアスカは決めて、赤面しつつヒルダガルダの従者に別れを告げ、逃げるように走り出した。
「マドルチェ様だ、見つけた……!」
メインストリートから少し内に入り込んだ路地裏に佇むマドルチェを見つめながら、若き公騎士団の男は興奮を抑えられずに呟いた。
リリオット卿からの捜索命令を受け、彼は即座に行動を開始した。図書館で騒ぐ小柄の少女の噂を聞き、まさかとは思いながらも念のために図書館近辺を探っていたが、一発目で当たりを引くとは……
マドルチェを無事に屋敷に送り届けることが出来れば、金貨50枚の報酬はもちろん、リリオット卿からの信頼を勝ち取ることが出来る。それは彼の今後の出世に大きくプラスになる。
男はニヤリと笑いながら、路地裏のマドルチェに近付いた。
「マドルチェ様、こんなところにいらっしゃいましたか!」
「こんにちは! あなた、私のこと探してたの?」
「屋敷の皆さんが困っています、マドルチェ様のことを心配してね。さぁ、私と一緒に帰りましょう」
「みんな困ってるの?! もしかしてあなたも困ってる?」
「マドルチェ様……?」
突然目を爛々と輝かせるマドルチェを見て、若干の違和感を覚えながら男は続けた。
「……マドルソフ様も私も困ってしまいます、貴方が屋敷に帰ってくれないとね」
「おじいちゃんもあなたも、困ってるの! そうだったの……。おじいちゃん、昔からずっと難しい顔してたから、やっぱりハッピーじゃなかったんだ……」
マドルチェはうんうん、と自分に何かを言い聞かせるように頷いた。
「それじゃああなたもハッピーじゃない、ってこと?」
「ハッピー?」
「うん、ハッピー。あなたは今、あんまり幸せじゃない?」
「そうですね……」
夢見がちな少女の妄言、そう考えて男は大袈裟に首を捻りつつ、不思議な吸引力で話の内容について真剣に考えていた。
――マドルチェを屋敷に連れて行き、金貨と信頼を獲得する自分を想像する。
間違いなく、その時自分は幸せだろう。努力に努力を重ねて入った公騎士団。しかしいつも優秀な仲間に先を越されて大した手柄も上げられずに苦しい日々を送ってきた自分がいた。そしてそれも、もうすぐ終わる。
「……今はまだ、幸せではないです。けれどもうすぐ幸せになれる。そんな予感がしています」
顔を伏せながら男は呟いた。
「もうすぐ幸せになれる?」
「ええ、マドルチェ様が私を幸せにしてくれる、そんな予感があるのです」
男は顔を上げた。変わるんだ。こんな日々とはおさらばしてやる、と覚悟を込めて。
――目の前にはマドルチェの右手がかざされていた。
エフェクティヴ。
労働者から搾取を続けるリリオットの支配階級に仇なす反体制組織。
その到達点は街そのものの革新、『ニュークリアエフェクト』であり、
構成員はその力を求めて日々、自己SS化≪スペシャライズ≫へとまい進する。
だが、そんな大層な題目を掲げても、
その大部分を支えるのは、繰り返されるいつもの日常でしかなく、
たとえSS到達者≪スペシャリスト≫だろうが、毎日食わねばならず、
毎日衣服を着なければならず、毎日寝床で眠らねばならない。
結局、人間とは日常からは何をしても逃れられないのだ。
所詮、日常が全て。
そう考えるオシロの日常は、皮肉にも今まさに、
目の前で粉々に砕け散ろうとしていた。
「・・・心中するつもりなら止めないけど、裏口の場所を教えてからにしてね」
そうオシロの前に立つ女性は告げた。
公騎士を鉱夫長が殺し、鉱夫長を長身の男が殺し、
最後に、その長身の男を殺した女性。ついでに、オシロの命の恩人でもある。
オシロはゆっくりと立ち上がって周囲を見回した。
それは・・・、惨状だった。
血まみれの死体の中には、いくつか見知った顔もある。
物心ついてから、ずっとこの場所で育ったオシロにとって、それは当然だった。
コルベン。サッチョ。マルサムトス。バーディア。ギロ。鉱夫長。
皆、嫌な奴だった。お荷物で役立たずのオシロを煙たがった。
しかし、仕事を覚えてからは、少しずつ認めてもらえるようになった。
最初にビールを奢ってくれたのは、サッチョだった。
「呆けたくなる気持ちはわかるけど、しっかりして。
このままここにいたら、貴方もすぐに彼らの横に転がることになるわよ」
金髪の女性が叱咤してくる。
オシロはそれに素直に感謝した。確かに呆けている場合ではない。
「裏口は向こう。厨房から倉庫に抜けて、すぐ左にあるよ」
そう言うと、オシロは呆然と座り込んでいるプラークへと近寄っていった。
「って、何やってるのよ。早くしないとおいて行くわよ!」
「僕は行かない。じーちゃんがまだ基地にいるんだ。この人を連れて、助けに行く」
「基地って・・・。さっき爆破された所!?無茶よ、辿り着く前に殺される」
「ここから地下通路に降りられるんだ。
本来は基地からの脱出用だけど、もちろんこっちからも通れる」
オシロはプラークのすぐ傍にしゃがみこみ、言った。
「ここで暴れた精霊は僕が精製したものです。喋る精霊でした。
後で詳しく話します。でも、その前にじーちゃんを助けて下さい。僕の師匠なんです」
それまで焦点の合っていなかったプラークの目が、はっと見開かれる。
「早く!!」
オシロは無理やりプラークの手を引いて、地下通路へ降りる階段へと向かった。
その後を、剣を大事そうに抱いた金髪の女性がついてくる。
「心中は止めないんじゃなかったんですか?」
「君、ひょっとして性格悪い?まあ、こっちも見返りがなきゃ見捨てたかもね。
手を貸すかわりに、精霊の話、私もじっくり聞かせてもらうから」
オシロの皮肉にやや顔を引きつらせながら、
金髪の女性はお返しとばかりに不敵にそう答えた。
マックオートがシスター達に弁解する傍らで、メビはうわごとをつぶやいていた。
「わたしたちは……議論する。争う。殺しあう。どの教えこそが信仰に足るかをめぐって。
真に崇めるに足る、本物の絶対者が何であるかをめぐって。
ヘレンもまた、それに名乗りを上げた候補のひとつに過ぎない……」
「誰もが、心のどこかで望んでいる。その究極的な結論を。いかなる批判にも耐える、議論の最終回答を。
リザルトを」
「『愚者の振る舞いを鏡とせよ』と云う……では、己の愚行を恐れるのは何故か。その成長はどこに向かうのか」
「『小枝より森を悟れ』と云う……では、望みに沿ってかけられた優しい嘘を、自らの手で暴けと言うのか」
「わたしたちは言葉を発する。それは切実な、あまりに切実なひとつの欲求に基づいて。
『聞いて欲しい』『分かって欲しい』そんな思いが言葉を吐き出す」
「ヘレンは言葉を捨てた。世にあまねく生きるわたしたちをつなぐ唯一の絆を、彼女は拒絶した。
誰が真似できようか? 永遠の孤独に身を投げ出すことを。
あらゆる他人に蔑まれながら、憎まれながら、なお愛を以って自分を保つことを。
まことに残酷な話だ。真の生き方は示されてしまったのだ! もはや見て見ぬ振りはできない。
わたしたちには到達できない。恐れるしかない」
「恐れを知り、それを知恵と錯覚し、恐れを知らぬ者を哀れと蔑み、嘲笑う……
そのような愉悦を信仰に求めるのは、紛れもない堕落だ。
が、認めなければならない。
信仰とは、もっと尊いものだ……という思いが既に陥穽だ。そこに傲慢が含まれている。
避けては通れない。己の傲慢と卑劣を、見つめなければならない」
*
目を覚ましたら自分を心配そうに覗き込む黒髪の男がいたので首を絞めた。
「ふげ!? おいっ」
メビは体力を消耗していた上に何本か指が折れていたので、どうにも力が入らなかった。男の驚愕を観察しながらメビは気を失う前のいきさつを思い出す。事態を把握する。
(この人が助けてくれたのか)
「悪ぃ!」
腹を殴られる。手が離れてしまう。咳き込む。吐血する。
「何してるんですか!」
シスターが叫んだ。メビと男のどっちに言ったのだろう。どちらでもいい。
メビはむせて血を撒きながら、指の折れた右手でシスターを制止した。そして目の前の男――マックオートに言う。
「ありがとうございます。お陰で命拾いしました。黒髪を憎むヘレン教教徒と知った上での親切、心からお礼申し上げます」
まばたきして笑いかける。本心からの感謝だったが、マックオートからすれば皮肉と区別がつかない。
「あ、いや。幾らなんでも死にかけを放置は無いからね」
「不躾ながら、ご親切ついでにもうひとつお願いがあるのですが。わたくし、この通り指を痛めておりまして」
「……何?」
マックオートは嫌な予感を拭えない。これほど聞きたくないレディからの頼みも無かった。
「うっへえ……痛くないんですか?」
「ええ。痛いですよ。とっても」
メビの左目をマックオートの指が抉る。ぐちゃぐちゃになったそこから血の混じった液体が垂れる。
≪損壊の保持≫。
その傷が中途半端に自然治癒して『固着』すれば左目の失明は確定してしまう。あえて負傷状態を維持することで、回復によって完全遡行できる余地を残すという荒業だった。それが可能なのは、メビの個人的な実験で実証済みなのだが、未公表の理論なので他人からすれば常識外れの信じがたい行為だ。
マックオートは気分が悪くて仕方が無い。癒し手がこの教会に到着するまでの我慢だった。
「あッ……あ、あ、あッ、ふぐうッ!」
抑えられる声をわざと漏らして、メビはマックオートの反応を楽しむ。
何とかなるもんだなとダザは思った。無論、この少女の助けがあってこそだが。
ダザが二人組みに再度対峙したとき、屋根の上から黒髪の少女が降りてきて鉄球男に向かっていった。
鉄球男は急な乱入者に驚くこともなく、当然のように鉄球を振り上げ、少女を叩き潰した。
目の前で少女を殺されたと思ったダザは激昂し、怒りに任せて二人組みに突進する。
すかさず、長髪の男が鉄の輪を二つ同時に投げる。ダザは再び義足に力を入れ、今度は上空へ跳んだ。
上空ならあの飛び道具も鉄球もいくらか威力や速度が落ちるはずだ。
跳躍中は避けることが出来ないが、威力が落ちた攻撃なら受けれるかもしれない。致命傷さえ食らわなければ多少の損傷だって厭わない。
たとえ腕を落とされようが、相手の命を奪う。そんな考えと覚悟の上の行動だった。
だが、予想外のことが起きた。
跳んだ瞬間にダザの義足が急に燃え始めたのである。
いや、燃えているのはズボンだけで、義足自体は赤くなり発熱している。
連続加速により義足が熱暴走を起こしていた。
しかし、ダザは構わずその高熱の義足で攻撃を仕掛ける。
長髪の男は思った以上の跳躍と急に燃えた足に驚いたが、冷静に次の攻撃を行おうとした。
その瞬間、長髪の男は緑の閃光に包まれた。男は悲鳴を上げる。
何が起こったかわからないが、ダザはそのまま重力にまかせて義足を鉄球男に振り落とた。
鉄球による攻撃は間に合わないと判断した男は、鎖で義足を受け止める。
しかし、鎖は高熱の義足に触れた瞬間から溶け出し、義足の勢いを止めることは出来なかった。
ダザの義足による蹴りは鉄球男の脳天に直撃する。頭蓋骨が砕ける音と、肉が焦げる臭いがした。
緑の閃光を浴びた長髪の男は、半身焼き爛れていたが、もう半身はまだ動けていた。
着地しようとするダザに対し、長髪の男は再度、鉄の輪を投げようとする。
しかし、その攻撃は鉄球男の陰から現れた、鉄球で潰されたはずの少女によって阻止される。
少女は鞘に納められた刀を素早く抜くと、男の残った腕を切り落とした。
鉄球男と長髪の男は二人とも倒れこむ。
ダザは、咄嗟に黒髪の少女にブラシを向けるが、敵意がないことに気づくとブラシを下ろした。
「助けてくれたのか・・・?」
「まぁね。不利そうだったし。もしかして迷惑だったかしら?」
「いや、助かったよ。ありがとう。」
まさか、よそ者の少女に助けられると思わなかった。
だが、例えよそ者でも助けてくれた少女に敵意を向けるわけにはいかない。
服についていた火はもう消えた。義足はまだ熱いが大丈夫だ。
ダザは少女にいろいろと聞きたかったが、自分の目的を優先させた。
「・・・『泥水』に行かないと・・・。」
「泥水?」
「・・・向こうにある酒場だ。」
「え?止めといた方がいいわよ。そんなに血を流してるのに。似たような連中もまだまだ大勢いるわよ。」
「仲間がいるかもしれないんだ。」
そう言うと、ダザは頭から血を流しながらフラフラと移動を始めた。
「本当だ!俺は何もやっていない!倒れていた所をここまで運んできただけだ!」
しかし、マックオートの必死の弁明は届かない。黒髪人種だからである。
何人かのシスターが女性を囲んで手をかざしている。自分の頬の傷を回復してくれた公衆浴場の受付と同じものだろうか。
途中、顔に火傷の跡が残るシスターも駆けつけた。この中では彼女が最も術に長けているようだ。
マックオートは思いをめぐらした。
黒髪だから、自分はヘレン教の敵であり、黒髪だから、自分はヘレン教に危害を加える。
というのが、ヘレン教徒にとっての自分の姿なのだろう。
なんとか自分の無実を証明できないだろうか?いや、それは不可能だ。
この場から逃げ出そうか?いや、この濡れ衣を肯定してしまう。
ならばどうしようか、いっそ、彼女たちの思い通りの黒髪人種 -破壊と殺戮を繰り返す悪魔- を演じ、
望みどおりの結末を迎えさせるのはどうだろうか?
・・・馬鹿げた話だ。誰がそんな結末を望んでいるんだ。
彼女たちが黒髪を嫌うのは、黒髪から損害を受ける事を望んでいるからではない。
かつて黒髪から損害を受けたからだ。図書館の本にはそう書いてあった。
しかし、この前提は、黒髪が絶対悪という前提は、真実を受け入れない、被害者精神に満ちた心は・・・!
あぁ、嫌だ。だからヘレン教会に近寄りたくはなかったんだ。それなのに彼女を助けたいと願い、それを叶えてしまった。
マックオートは拳を震えるまでに握りしめ、歯を食いしばった。
誰に対しても向けてはならない感情が溢れてくる。・・・しかし、止まった。
顔に火傷の跡を残すシスターが冷静な口調でマックオートに声をかけたのだった。
「…ところであのハスって人、仲が良さそうだったけど、彼氏さん?」
「ち、違うよ!」
ソフィアの問いに対し、ソラは顔を真っ赤にした。
「ま、まだ食事にもいったことがないし……手も触れるくらいしか行ってないし……」
「……ソラごめん、ちょっと予定変更」
「え?わっ」
ソフィアはソラの手を引いて木立の合間に身を潜めた。踏みしめられた下草が音を出す。
「きゅ、急にどうしたの?」
「ソラ。あなたは知らないのかもしれないけど、公騎士団は必ず2人以上の班で活動するの。単独での活動は、何か特別な任務でも無い限り、まず行わない」
「え……」
「近くに仲間の騎士がいる様子もなかった。気味が悪いから、このまままっすぐ教会に向かうのは避けるよ」
「でも……」
ソラの表情には戸惑いが浮かんでいた。ハスは自分を心配してわざわざ探しに来てくれたのだとそう思っていたから。
「分かってるよ、これは私の考えすぎなのかもしれない。彼は本当にソラのことが心配で、規則違反も構わずに、辺鄙な林道まで来てあなたを探していたところに、私たちが運良く通りがかっただけかもしれない。けど例えそれがどんなに酷い誤解だったとしても、死んじゃったらそれを謝ることもできないんだよ。危険を避けるには、最悪の事態を考えなきゃいけない」
ソフィアの気迫に圧され、ソラは渋々と頷いた。
「目立たないよう少し遠回りするけど、ヘレン教会に向かうのは一緒だよ。教会に裏口みたいな場所はあるかな。あとは教会の人で、信頼できそうな人に手紙を書いてほしい。助けてほしいって」
ソフィアは荷物の中からペンと千切ったノートの一片を差し出した。
「うん、わかった」
ソラはペンを取り、紙切れに伝言を書いた。
〜〜〜
親愛なるシャスタへ
お願い、助けて。フェルスターク一家殺害という身に覚えのない容疑をかけられてしまったの。迷惑だというのはわかっているけど、今頼れるのはシャスタしかいないから……。少しの間だけでいい、疑いが晴れるまで力を貸してほしい。 ――ソラ
〜〜〜
「もう一枚いいかな?」
ソラはシャスタ宛の手紙を書き終えると、ソフィアに二枚目の切れ端を貰った。もう一つの手紙の頭には、『親愛なるヒヨリへ』と綴った。書き終えた二つの手紙を折り畳み、ソラはソフィアに二通の手紙を渡した。
「書けた!片方は教会のシャスタに、もう片方はリソースガードの仲介所にいる人に出そうと思うんだ。あの人なら、力になってくれるはず……!」
ソラは自信に満ちた顔で言った。
(カラス)
彼女が瞬きするたびに緋色の瞳が見え隠れする。蝋燭の炎が揺れているようだ。サルバーデルは、可愛らしい銀の燭台が喜んでくれそうなものはないかと見回した。女の子が喜びそうなものといえば・・
「もし貴方が気に入れば、この中に入っている物を差し上げましょう」
彼女の銀の髪が揺れてサルバーデルの方を向いた。サルバーデルが撫でているのは白塗りの柱時計だ。柱時計には驚くべき繊細さで花や木や森で遊ぶ妖精や剣を持った短髪の女性の姿が彫刻され色彩を施されている。12時の方向からぐるりと彫刻の絵を追えば、物語になっているのがわかるだろう。
「ううん・・」
しかしカラスの背ではてっぺんの絵を見ることはできなかった。
「大変失礼いたしました。」
サルバーデルは相手に恥をかかせた非礼を詫びた。そして時計を斜めに倒した。中からガコン、と音がしたが、
「ご心配なく。今は動いていません」
「…確かに、おやつの時間で止まっています。」
彼女はそれが本当の時刻でないことにひどく落胆したようだった。サルバーデルはそっと、後ろに控えた男性に(菓子と紅茶を用意するように)伝えた。
「この時計はリリオットに来てから手に入れたもの。元の持ち主は、まるで収納家具のように使っていたようですね。中にはこんなものが」
今の持ち主はゆっくりと時計の蓋を開いた。カラスはその演出に促されて、中を覗き込んだ。
空のハンガーが一本ぶらさがっていた。
「いかがでしょうか?ほら」
サルバーデルはただのハンガーを取り出すと、大袈裟な動作でカラスの胸に当てた。
「思った通り、よくお似合いだ。この赤のドレスを着た貴方はまるで海に沈むアマテラスのよう」
カラスは半口を開けてポカンとし、それから相手が何を考えているのか探ろうと顔を見たが時計の針がちょっと困った眉を描いているだけで何もわからず、それから真面目な表情で暫く考えこんだ。
そしてそばにあった棚のてっぺんを撫でると、次に爪先立ちでサルバーデルの頭を撫でた。
「旦那様、こちらのベレー帽もよくお似合いですわ。絶対買いですわ。さらにこちらの特製蝶ネクタイ(サルバーデルに着けてあげる動作)と特製あられちゃんマスコットもつけてお値段はな、な、なんと!驚きの9999ゼヌ!9999ゼヌです!」
少しの沈黙。
のあと、サルバーデルは仮面の下でプッと吹き出した。
「9999ゼヌか。買った!」
「あ、いや、その、今のはマダム・コルセットの物真似でして…似てなかったのだろうか……。」
サルバーデルは柱時計の中にハンガーをしまった。
「ははは。マダム・コルセットはとても愉快な方だということがわかりました。貴方もね。この時計とハンガーにはちょっとした謂われがあるのですが…よろしければ、先にお茶にいたしませんか?」
紅茶時計の終わりの砂がちょうど落ちた頃であった。
「クックロビン卿が死んだ」
日没後。
大教会の礼拝堂の中央で待ち受けていたウォレスの言葉に、現れた教師ファローネは愕然とする。市井に下りているウォレスのほうが、風の噂には詳しい。その単純な情報力の差が、正装の、赤いローブを着た暁の教師ファローネの威厳を吹き飛ばした。
「リソースガードのコイン女も死んだ。メビは負傷しておるが、幸い死んではおらん……」
ファローネは己の思考を言葉にしようとして、怯え、逡巡する。
「――ヘレン教はもう『おしまい』か?」ウォレスが言葉を継ぐ。
「答えは『否』じゃ。まだ儂らがいる。暁の教師ファローネがいる。錆の教師ジゼイアがいる。堆肥の司祭フトマスがいる。墓碑の司祭ヤズエイムがいる。灰の教師メビエリアラもいずれ回復する――しかし、まだ『死の連鎖』は、終わってはおらん」
「触れてはいけないエフェクトに、触れてしまったのか」ファローネが呟く。
「おそらく、そう考えるのが当たりじゃろう。このところ死人が増える一方じゃ。なんなら今ここで儂とやり合うか?」
「教会で冗談はよせ、紫色〔バイオレット〕――いや、ウォレス・ザ・ウィルレス」
「そうじゃな。冗談を言い合っている場合ではない。事はヘレン教の存続に、この街の未来に関わることじゃ。計画書は読んだな?」
「ああ読んだとも。だがまさか本当なのか? 本当に貧民蜂起が現実味を帯びていると? 救済計画がご破算になり、ヘレン教に危機が訪れるかもしれないと?」
「そう書いたはずじゃ。じゃが、もう遅いのかもしれぬ。今から公騎士団やエフェクティヴとの交渉に入っても、相互不可侵協定の締結には間に合うまい。今はヘレン教弾圧の三年目じゃ。忘れたわけではあるまいな?」
「クックロビン卿は……メビエリアラが独断で殺したのか?」
「自刃したらしい。じゃが、公式発表ではメビが殺したとして処理される可能性が高いじゃろう。『貴族殺し』の教師、メビエリアラ。ヘレン教の差し向けた極悪非道な暗殺者。それを匿うヘレン教徒は皆悪人、という筋書きになるじゃろうな」
……そうだ。私は救いたいのではない。救われたいだけなのだ。認めることができずに眼を瞑る。見つめられない。
暗闇の中をそのまま進んでいく。それで答えは見つかるだろうか?
※
教会に帰って来て気がついたのは、シスターの人だかりと血の臭い、女性の嗚咽と男の声だ。
「何があったのですか?」「シスターシャスタ!丁度よかった、貴方は今、回復術を使えますね?!怪我人です……!」
一人のシスターの合図で人だかりが散る、その中にいたのは……。
「……うっ。」刺激が強かったようで、アリサが思わず口元を押さえる。目の前には血濡れの女性が横たわっていた。
数人係りで大分癒されているものの、金髪の女性の怪我は相当深刻だったのがわかった。
私は彼女を知っていた。若きヘレン教の教師にして、類稀な才気を持つ精霊研究者、
メビエリアラ・イーストゼット。私の憧れの一人だった。何故彼女がこんなことに……。
いや、考えるよりは早く治さねば。私は治療に加わる、アリサも少し躊躇してから、隣で回復術を行ったようだ。
……周りから聞いた話だと、彼女はついさっきまで意識があったのだが私が来るのとほぼ同時に眠ったようになってしまったらしい。
重症を負った彼女を運んだのは、黒髪の男だった。彼は彼女に何もしていないと言い張っている。
しかし、それは余りにも不自然だ。皆がそう考えている……何故なら、彼はヘレンに敵対する黒髪だからだ。
敵意の中に居心地悪そうにしている男に、私は回復術を止めて話しかけた。男の服や指先には、彼女の血がこびりついている。
「貴方がメビリエアラ様を、彼女をここに運んだのですね?」
「……そうだ。どんな理由があっても死にかけの人間をほっとくなんてできないからな。」
彼はもはや、少しうんざりした様子だった。この空気に流石に参ってるらしい。
「貴方は何者か。名前や職業は?」「……マックオートだ。マックオート・グラキエス。職業は……旅人だな。」
少し考える。受け答えは常識的にできるようだ。
そしてこの男とメビリエアラ様の関係は謎が多い。もちろんこの場では彼の言葉のみを頼りにはできない。
しかしわざわざ敵意を向けられる場所にのこのこやってくるところは本当に善意なのか?それとも裏があるのか?
それにシスター達は彼に敵意を向けているのと同時に、正直怯えを隠せないでいる。どうすべきか。
「ノードかネイビーはここにいますか?」私が名前を出した二人は、まだ歳若いがインカネーションに所属しているものだ。実力は知っている。本物だ。
「彼に見張りをつけて、ここに留めるべきです。本来ならこの教会に黒髪が居るなどおぞましいことなのですが……。
尋ねるべきことや、不審なことがいくらもありますし、メビエリアラ様にも詳細を聞かなければ。」
シスター達が動揺する。男はまっさきに感づいたようだ。「あの、それはつまり……。」
「私は事実関係がはっきりとわかるまで、マックオートをここで軟禁することを提案します。誰かチェレイヌ様に報告を。」
少年の虚ろな目が店内を見回し、無惨に切り刻まれた日常を視界に収める、その遅々とした挙動。
無理もないとは思うが、少年が今日のうちに彼らと再会したいのでなければ、呆けていてもらっては困る。
「呆けたくなる気持ちはわかるけど、しっかりして。
このままここにいたら、あなたもすぐに彼らの横に転がることになるわよ」
言ってだめなら横っ面を叩くくらいはしてやろうと構えていたリューシャの予想に反し、少年の返答はしっかりしていた。
裏口は、厨房から倉庫に抜けて左。
少年の声に従いかけたリューシャとは対照的に、しかし、少年はプラークのもとに向かう。
プラークを連れて基地へ戻る。
少年のその言葉にリューシャは呆れ返ったが、どうやら彼は本気らしい。
少年は真剣な目で、じーちゃんがまだ基地にいるんだ、と言った。
生きているか死んでいるかもわからない相手をたすけに行く。
それは確かに正しい行動だが、今この状況に限って言えば、拾った命を捨てに行くようなものだ。
リューシャは正しくない。正しくなくていい。
結果的にたすけたことになったが、リューシャは少年の命に責任を持つ気はない。
言葉で止まらないのなら、これ以上粘る余地もない。
だが、そう切り捨てかけたリューシャの耳に、少年の言葉が滑りこむ。
「ここで暴れた精霊は僕が精製したものです。喋る精霊でした。
後で詳しく話します。でも、その前にじーちゃんを助けて下さい。僕の師匠なんです」
それはプラークに向けられた言葉だったが、リューシャの足を止めさせるには十分だった。
プラークの手を引いて隠し階段を降りていく少年の背を見ながら、めまぐるしく思考が回る。
「……心中は止めないんじゃなかったんですか?」
最終的に打算が勝った。
ここで引かないからヴェーラの気苦労が絶えないのだが、染みついた性質はこの土壇場で変わるほど柔くない。
リューシャは少年に続いて階段へ降り、彼の皮肉を笑ってやった。
「それと……不吉なことを言うようだけど、一応聞いておくわ。
君は、そのじーちゃんとやらが死んでた場合、どうするつもり?」
「そんなこと……今は考えてません」
「そう。ちなみに、わたしは最悪の場合君を見捨てて逃げるから、そのつもりで」
あっさり言ったリューシャの顔を、少年がちらりと見上げた。
「……貴女にはいないんですか?
たとえ死んでるかもしれなくても、どれだけ危なくても、助けずにはいられない人」
「いないわ」
リューシャは即答した。
「ヴェーラは死なない。わたしはそれを信じているし、彼女もわたしを信じてる。
どちらかをたすけるために互いを犠牲にするのは、双方の信頼に対する裏切りだわ」
だからもちろん、わたしは生きて帰る。たとえ君を犠牲にしても。
リューシャはきっぱりと言い切って、行きましょう、と少年を促した。
振り抜かれる鉄球。圧し潰される幻影。
それに合わせて清掃員が跳ぶ。同時に彼の左足が赤く燃え始めた。
鉄球男の方に向かっている。となれば…
「アルティア! あっちに!」
光条一閃。チャクラム男に精霊砲が直撃する。
同時に手近な路地に降り、そのままチャクラム男の方へ駆ける。
「終焉呼ぶ剣よ、我が手に宿りて…」
詠唱とともに手許に鞘付きの剣を構築する。
「幕を…下ろせ!!」
居合一閃。鉄輪の投擲よりも速く、腕を斬り落とす。
倒れ伏す男。振り向くとちょうど鉄球男も蹴り殺された所だったようだ。
剣を回転させ、鞘に収める。そのまま剣は消失する。
清掃員に空の両手を見せ、敵意がないことを示す。
「助けてくれたのか…?」
「まぁね。不利そうだったし。もしかして迷惑だったかしら?」
「いや、助かったよ。ありがとう」
鉄球の一撃に耐えたり、足が燃えたり、謎の多い清掃員ね。
おそらくあれは見張り。他にも何人かいるはず。などと考えていると…
「…『泥水』に行かないと…。」
「泥水?」
「…向こうにある酒場だ」
「え?止めといた方がいいわよ。そんなに血を流してるのに。似たような連中もまだまだ大勢いるわよ」
「仲間がいるかもしれないんだ」
清掃員は酒場の方へ向かい始めた。
えぬえむも慌てて後を追う。
「えーっと、私の名前はえぬえむっていうんだけど貴方の名前は、…ってこれは…」
入り口が氷に閉ざされている。
「こういう時こそ精霊砲よね。清掃員さん、ちょっと離れててね」
精霊のチャージを始める。殴って壊すよりかはいくらか速いだろう
「もうちょっと溜めようかな」
「…窓から入れそうだぞ」
「えっ」
結局、さしたる妨害もなく、『泥水』へ入る。
その中は、凄惨で、そして、寒々しかった。
絶句するしか無い惨状。
「これはひでぇ…」
「そうね…」
死体の検分はやりたくない。
だが一人、目を引く死体。首を掻っ切られているにもかかわらず、出血がない。傷口は凍り付いている。
「この手口は…まさか、リューシャ…?」
たしか師の書いたリューシャの特徴に冷気を使った攻撃・防御を得意とする、とあったはずである。
血の海のなかリューシャと思しき人は沈んでない。まだ死んではいない。安堵一息。
となると、どこから脱出したかだが。裏口を見るが、開いていない。
窓は外から内に割れている。扉が外から凍りついていたのと合わせると、退路を塞いで窓から奇襲したのかもしれない。
そして、再び出た様子はない。出ていたら気づいて然るべきはずである。
「となると…」
カウンターの裏を探る。
「あった! 清掃員さん、こっちこっち!」
「コレは…隠し通路か」
そこには階段が隠されていた。
ソラに二通の手紙を書いて貰ってから、私達は林を北西へと突き抜けて住宅街まで辿り着き、そのまま昼下がりの人の流れに紛れ込む。
「っと、この辺で……すみません、そこのあなた」
道中、メインストリートへ向かう適当な人物を捕まえ、数枚の銅貨と共にソラの書いた手紙の一通を渡す。
「リソースガード仲介所の、ヒヨリという女性までこれを渡してほしいのですが」
「ああ、いいよ。商店街まで行くついでだ」
快く快諾してくれた相手に頭を下げ、私達は再び教会へと歩を進める。
私が選んだ道は、やや西回りに住宅街と貧民街の境界地帯を通り抜けるルート。
飢えた貧民達が糧食や小銭を乞い、貧民街から住宅街へ溢れ出してくる地帯。
貧民街と住宅街が混ざってしまわないよう、二つの区域の間に意図的に設けられた緩衝地帯だ。
通りを歩む貧民の中には、ヘレン教の救いを求めて教会へ向かう者もいる。私達はその人の流れに紛れ込んだ。
「ヘレンは我らにパンと剣を与えし乙女。現在(いま)を生きる糧を与え、未来を切り開く刃を与えしは、過去より我らを救いし乙女……かぁ」
「……それ、ヘレン教の言葉?」
ソラが首を傾げる。心の中で呟いたつもりが、声に出ていたらしい。
気恥ずかしさに苦笑を浮かべながら、私は彼女の疑問に答える。
「私の両親が、ヘレン教の教師でね。よくこういう話をしてくれたんだよ。……二人とも、私が6つのときに死んじゃったけど」
※
ヘレン教の大教会に辿り着いてみれば、様子がおかしいのが外からでも分かった。
教会の門を叩く貧民に対応する信者の様子に、どこか落ち着きが無い。動揺と混乱を孕んだ空気が、漠然と周囲を覆っている。
何か事件だろうか、と物陰で様子を窺ってみれば、幼い子供が一人、教会の庭から出てくるのが見えた。
この教会で世話されている子かと考え、私はソラを物陰に待たせて子供に声をかける。
「ねぇ、あなた。シャスタって人の事を知らない?」
「しゃすたせんせーのこと?」
「そう。私はね、シャスタ先生のお友達から手紙を預かってるの。良かったら、あなたから先生に渡してくれないかな」
私はその子供に、ソラの書いた手紙を手渡す。手紙の端に、「教会の裏手にてお待ちします」と書き添えてから。
一緒に、ポケットから飴玉を取り出して、それも一緒に握らせて微笑む。
「こっちは先生には内緒ね。ね、やってくれる?」
「うん、いーよ!」
元気良く頷いて教会へと戻っていく子供を見送ってから、私はソラを招き寄せ、教会の裏手へと向かう。
「教会に入れてもらえたら、まずは少し休憩したいなぁ」
「私も、少し疲れちゃった……」
「服も昨日のままだし、身体洗ったりできないかな。教会にお風呂ってあるの?」
「どうだっけ?」
努めて私は他愛の無い無駄話をソラに振る。
もしかしたら、この状況により焦燥を覚えているのは、私の方かもしれない。
滑らないよう注意しながら、レディオコーストを南下する。
降りる途中、大きな木々の連なる山道で立ち止まる。
「ちょっとだけ、貰っていくね、だよー」
そういって木に抱きつく。じっとして、離れて、次の木に抱きつく、を十数回繰り返す。淡い光が現れ、また消える。一息ついた後、再び走り出した。
西の丘にそびえ立つ古城と、東には大きな邸宅が見える。その邸宅を有する敷地の傍を走り抜ける。
「あ、ここがヒルダガルダさんの家なんだー♪」
リリオット家ほどの厳かさな雰囲気はないが、とても広大な敷地だ。
すごいなー、だよー!と口走りながら、南下。門番がこちらを見て警戒していた。
気にせず、走り抜ける。南下し続けると、図書館と学術院のある区画まで到達したので、路地を東に、メインストリートに出るまで走る。
途中、裏路地から悲鳴が聞こえた。聞いてしまった。裏路地に入る。腐臭汚臭の中を駆け抜ける。ただひたすら、駆け抜ける。止まると危険だ。この路地に危険が渦巻くならば、自分を見定めさせる時間を与えてはならない。
道すがら、ナイフをちらつかせた男に襲われていた貧民らしき男性を発見し、通りすがりに掻っ攫う。男性を抱えたまま、後ろからの罵声も気にせずに走る。
走りっぱなしだが、時間は無駄に出来ない。メインストリートが見えた。
「よしっ、だよー!」
危機は去った。苦難は通り抜けた。至極安全に、商店街に入る。
流石に荒くなった息を抑えて、大量の汗と臭いが染み付いた服を着替える為、《花に雨》亭の裏口から店に入る。
「戦争の帰りかね、アスカ君」
「むー!遠回りしたほうがいいって!店長が!・・・・ふぅー!言ったから、だよー?」
「遠回りしすぎだろう!・・・まぁ、いい。君が、そういう感じなのを解って雇ったのだから。いいんだけどね・・・あ、そうそう」
「だよー?」
「君宛てに手紙が届いていたよ、これだ。受け取りたまえ。」
「あっ!はい、だよー!」
黒い蝶の刻印が捺された手紙。間違いない。祖母からだ。
「で、そちらのお客さまはいかがします?」
「は、はぁ・・・」
アスカに攫われ、茫然自失といった表情の男性が、「と、とりあえず」、とお茶を頼んだ。
アスカは身支度に少しの時間を要してから、商店街食堂「ラペコーナ」に入店し、日替わり定食を注文した。
味はまぁまぁでおかずの量も多く、雑多な雰囲気の店内は肉体労働を主にした住人達で賑やかだ。
喫茶店店員である自分は少し場違いかも、と要らぬ心配をしながら、店員の働きぶりを目に留めた。
実に軽やかで、機敏だ。少し頼りない顔だが、自分にはない小刻みな小動物のような動きに感服する。
「ボクもダイエットしなきゃ、だよー・・・」
ため息を吐きながら、店員の少女におかわりを注文した。
「キングス・インディアン・アタァーーック!!」
「何を!ツーナイツ・ディフェンス!」
マックオートは教会の一室でインカーネーション所属の見張りとチェスをしていた。
血が固まっていた手は洗ってあり、血のついた服は支給された予備のローブに着替えていた。・・・女物のローブではあったが。
「ふ、あたしの勝ちね!チェックメイトよ!」
「・・・フフフフ・・・」
「ちょっと、何がおかしいのよ!」
「ステルスメイトさ・・・引き分けダァァァァ!」
「しまった・・・!」
マックオートは負け試合を強引に引き分けに持ち込んだ。
その時、”許可がない人は絶対誰も開けないでね☆”と張り紙がされたドアが開き、一人のシスターが覗きこんだ。
「お静かに!」
「「すみません・・・」」
チェスは静かにやるのがマナーである。
和気あいあいとしているとはいえ、この部屋の中だけである。今は軟禁状態。泥水の伝言板を見に行くのも後になりそうだ。
それに、メビエリアラという名前だっただろうか?彼女の容態も心配だ。
抜け出すにしても見張りがいるし、アイスファルクスも没収されている。
ふと、マックオートは疑問を抱いた。
「・・・君は黒髪に抵抗はないの?」
見張りの少女は答えた。
「ネズミみたいなもんですよ、近寄られると不衛生な気がして嫌だけど、写真や絵や標本で見ると、
たまにかわいいって思いません?ほら、リスとか仲間だし」
「はははは・・・」
マックオートはとても悲しい気分になった。
ともかく、今はこの教会に自分の運命を決めてもらうしか無い。
「チェス、もう一回やる?」
「いいわよ、今度は完璧に追い詰めてみせるんだから!」
マックオートはチェス盤に駒を並べた。
オシロと名乗った少年とともに暗い地下通路を抜けていくと、降りてきたのと同じ構造の扉が頭上に現れる。
「……開けますよ」
オシロがその扉に手をかけて、そっと押し開いた。
その瞬間、灰だか埃だかわからない何かが、土煙をあげて通路に雪崩落ちる。咳き込むと、空気には黒煙のにおいが混じっていた。
たしかにここは、爆破されたエフェクティヴの基地であるらしい。
「この部屋、どこだかわかる?」
「さあ……僕も全部の部屋に入ったことがあるわけじゃないですから」
白く汚れたスカートをはたきながら、リューシャはあたりを見回す。
オシロも同様に周囲を確かめると、右手の壁にある、倒れた棚に塞がれた扉へ近づいた。
「ここから出られそうですよ」
そう言いながら、オシロは早速棚を押し動かそうとしている。
手を放されたプラークは所在なさげに立ち尽くしているが、積極的に逃げるつもりも、二人を邪魔するつもりもないようだ。
放心している、というのだろうか。自分の目的を見失ってしまったように見える。
リューシャはその様を無害と判断して、オシロに近づき、自分も棚に手をかけた。
「ねえ、オシロくん。君のじーちゃんを回収したら、ここからもう一度『泥水』に戻るつもり?」
相手が馬鹿正直に正面から出してくれるとは思えない。
基地を爆破した手口といい、『泥水』でのやり口といい、相手はあきらかに敵を殲滅させるつもりだ。
今『泥水』がどうなっているかは知らないが、仮に火を付けられていてもリューシャは驚かない。
「……それしかないんじゃないでしょうか。
基地の中にいるのが、『泥水』を襲ったのより少ないってことはないと思いますし」
『泥水』、と口にしたオシロの顔が、わずかに歪む。
感情が器いっぱいに満たされて、少しの刺激で溢れてしまいそうな危うさ。
「……苦しい?それとも怒ってる?」
不意に、リューシャが尋ねた。
「わたしは自分の知り合いを殺されたわけじゃないから、君にとってひどいことを言うかもしれないけど……
これ以上大切な人をなくしたくないなら、今は苦しくても悲しくても、それは凍らせておくべきよ。もちろん自分の命のためにもね」
「リューシャさんは、そうしてるんですか」
オシロは皮肉っぽく笑う。
リューシャはそれに、至極真面目な顔で、わたしはもとから氷の眷族だもの、と返した。
「でも、氷は融けるものよ。普通はね」
「……氷が水に戻っても、『泥水』のみんなは戻ってきませんよ」
頑なな横顔。
それを見たリューシャは、それ以上なにも言わなかった。
報告は通った。許可も降りた。
さて、メビリエアラ様が目覚めるのを待つか、それともあの男の話を先に聞くか。
悩んでいる所に、また一つ問題が起きたらしい。「しゃすたせんせー!!おてがみもらったの!!」
この手紙は最優先事項だろう。
※
一方、マックオート達はシスターに怒られたので、今度は世間話をしながらチェスをプレイしていた。
「メビリエアラさんだったか、あの人本当に気絶してるのか?起きた途端俺の首絞めようとして、
しかも俺に眼を……アレさせるぐらいの肝があったってのに、いきなり寝ちまうなんて。」
「メビ様だって人間だし、疲れが出るくらいおかしくないとは思うけど。まぁそのまま起きてても納得しちゃけどさ。」
「インカネーションって呼ばれてたが、君みたいな子までヘレン教では兵士みたいに扱ってるのか?」
「実働部隊は志願すれば誰でも入れるようになってるけど強制ではないよ。まぁ実力がなくちゃ即オダブツなんだけどね。私は憧れてたから早く入りくて頑張っちゃった。」
「……ここは孤児院も兼ねてるらしいが、みんな兵士になるのか?」
「ううん、ここで暮らしてる子が全部が全部ヘレン教の関係者になるわけじゃないよ。
実際ある程度一人立ちできるようになったら、鉱山や商店で働くようになったりする人とかいるし、
みんなの意思の自由を尊重してるもの。」
「へー……。」こうして話してみると新鮮この上ない。本来なら交わることもない者同士の会話だからか。
(しかし、この子にだけまかせて俺の監視か。その気はないが俺が力任せに逃げようと思えばできてしまうんじゃ)
突然、マックオートの頬を熱の塊が掠め、髪の一房をもぎ取る。わずかに血が滲んだ後に、冷や汗が一気に沸く。
塊は少女の銃を模した指先から発射されたらしい。
「黒髪さん。今、変なこと考えてませんでした?」少女の表情はにこやかかつ口調が丁寧になっているが、目の奥が笑ってない。
「い、いやいや全然!ていうかいきなりなにすんの!!チェスじゃ俺に勝てないからってさー!!」
咄嗟にメビのあの眼を思い出しながらマックオートは全力で首を横に振った。
「いえ、別に疑ってる訳ではないんですけどね、子供だと思われて舐められても癪なので、牽制代わりの挨拶ですよ。
……そうですねーチェスばっかりしてるのもどうかと思うから、次はテーブルトークゲームとかしない?
紙とペンがあればできるし、戦略の体操になるんで私達 ―― 同年代のヘレン教関係者の間では人気なんだよ。
『あい さだ し』ってTRPG知ってる?いや、それは時間がかかりすぎるし、対戦の『マーガレット』がいいかな。」
マックオートは内心動転しそうだった。だが漠然と考えることもある。
(今まで出会った人々と比べて、このお嬢さんが俺に対する嫌悪感が少ないのは事実だ。
こうやって待たされている間に、何か、もっと色々と聞き出せないものだろうか?)
「教会に入れてもらえたら、まずは少し休憩したいなぁ」
「私も、少し疲れちゃった……」
「服も昨日のままだし、身体洗ったりできないかな。教会にお風呂ってあるの?」
「どうだっけ?」
二人でそんな他愛もない会話をしていると、教会の裏手に着いた。大教会は煉瓦ブロックをモルタルで塗り固めた壁と、身長よりも高い金属製の柵で囲われている。柵にはところどころ蔦が絡み付いている。幸運なことにほんの一部の柵が老朽化して折れ曲がっており、女性か子供程度ならそこから這って入れそうだった。
「ここから行こう」
ソラはかばんを提げたままするりと柵の合間を潜り抜けた。続いてソフィアも這い進んだ。途中で身につけていた何かがつかえたのか先に進まなくなるが、しばしの格闘の末ソフィアも教会の柵を抜けた。
柵を抜けた先、二人の眼前には開放的なガラス張りの浴場が広がっていた。大体10人は一緒に入れそうな大きさだ。浴場のすぐ横には直接外へ繋がる扉もつけられていた。
「お風呂だ!」
「こんな場所あったんだ」
ソラは礼拝堂とその周辺しか掃除していなかったので、教会の奥にある施設まではあまり知らなかった。
「少し、お邪魔しちゃおうか?」
言ってソフィアは扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。
エフェクティブ基地内部、炎に巻かれた大会議室の中央で、
いくつも倒れる死体の一つに、男が腰掛けていた。
「三人やられたか。残党狩りは公騎士まかせだな、こりゃ」
手元の精霊の光を見てそう呟く。
「基地一つをたった十二人で落とせるかってんだ。
いつも通り、手を抜かせない発破ってわけかよ。クソッ」
男がそう毒づいた時、壊れた扉の奥に人影が現れる。
「ん、丑(ウシ)か。どうしたんだ?撤退にはまだ早いだろ」
男が扉から現れた、巨大なハンマーを引きずった男にそう言うと、
ハンマーを持った男は涙を流しながら這いつくばって謝った。
「マ、ママ、ごめんなさい!もうしないから!許して!許して!」
「?」
明らかに正気とは思えないその男は、それから疲れ果てて眠るまで、
一度も泣き止むことなく謝り続けた。
××××××××××××××××××××××××
唇に生暖かい感触を感じながら、夢路はついさっき、
永遠にお別れしたはずの意識をかろうじて取り戻した。
「こっちも戻ったわ!」
すぐ近くでそんな大声が上げられる。
薄く開いたまぶたのすぐ前には、金髪の若い女性の顔があった。
(だれだろ。こんなぴちぴちのおねーちゃんなんて、ここにはいなかったと思うけど)
指一つ動かせない朦朧とした状態で、夢路はかろうじてそんな事を考えた。
(体、動かない。そりゃそうだ。スプラッタだし。
でも最後に口ジャンケンまでさせられたのは、焦ったなあ。
グーしながら食べ続けるなんて、私がんばったよ。二番目くらいにがんばったと思う。
何の順番かわからないけど。でも、二番くらいに入れとけば、大抵問題ないと思うんだ・・・)
再び意識を失いかけた夢路の耳は、他に聞いたことのある少年の声と、
もう一人の女性の声を、かろうじて拾い続けた。
「駄目だ!この精霊じゃ危険な状態を抜けるまでは回復できない!」
「公騎士団病院に連れて行けば、まだ間に合うかも。
でも、私が許可できるのはその老人だけよ。他のエフェクティヴまで連れて行けないわ。
それにどの道、私達だけで二人も怪我人を運んで脱出するなんて、どう考えても無理よ」
「置き去りにするってこと?」
「選択肢なんか、ないでしょ」
「夢路さんは僕が背負うよ。きっと、じーちゃんを庇ったんだ。置いてはいけない」
「無茶よ・・・。あなたは特に小柄なのに」
「ぐだぐだ言ってる暇はないわ。ローテーションを組んで持ち回りで背負う。
もちろん貴女もね。駄目なら一人、そこで置いていけばいい」
小柄な体に背負われる感触を感じてから、夢路の意識はそこで再び途絶えた。
(打てど響かず……か)
敢えて傷に触れるように放った言葉は空を切った。『観測』には失敗したと言える。
(だけど……まあ、弾丸とは言わずとも、楔程度にはなるでしょう……)
(……それに、あなたが心無い人形だったら、私の研究が終わっちゃうじゃないの、ねぇ?)
「あ、そうそう、よく考えずに高純度精霊をあげるって言ったけど、
あなた、普段摂取している精霊はどのくらいの純度?」
私はがさごそと荷物を探り、小指の先ほどの試験管と、汎用精霊結晶を入れた袋を取り出す。
「ええと、中級精霊です」
「だとすると、毒になっちゃうか、最悪の場合異常暴走するかもしれないわね。
……一時的に、爆発的な駆動力は得られるかもしれないけど」
試験管を渡しながら言葉を継ぐ。
試験管からは、星々をこれでもかという程押し込めた夜空のような、昏く妖しい光が漏れ出ている。
「だから、そうね、これは宝物にするか、どうしても必要なときにだけ食べなさい。
食べるなら自己責任で。売ってもいいけど……怪しまれるでしょうね。
だから、こっちもあげるわ。こっちは普通の精霊だから」
そういって、袋からおはじき大の結晶を一握り渡す。
「ありがとうございます……でも、いいんですか? こんなに頂いて」
「要らないならあげないわよ。
いいのよ、あなたからは面白い話が幾つか聞けそうだし、これはその前払いだと思って」
======
予想は完全に的中し、色々気になる話を聞けた。
『救済計画』の話。精霊を帯びた巨大パンジーの話。ヘレン教の特殊施療院の話。
特に、巨大パンジーの話は興味深い。
出来ればこの件も調査したいけれど……さすがに情報規制が取られているだろうから難しいかもしれない。
「今日はどうもありがとう。あなたを引き止めたのは大いに正解でした。
研究のヒントになりそうな話が沢山聞けたのは素晴らしい収穫だったわ」
「いえ、もとはこちらが話を聞かせてもらえないかと参りましたので、
こちらこそありがとうございました」
「いや、私は大して役に立つ話が出来なかったような気がするけど……
そうね、私もあなたの偽物について、何か分かったら連絡するわ。
報酬はその時に、また新しい話を聞かせてくれればいいわ」
「はい、ありがとうございます」
======
食堂からレストを見送った後、今日は何をするか考える。
偽物探しにも、協力するとは言ったが、何の手掛かりもないので無闇に動いても意味が無い。
とりあえず公衆浴場に行ってから、図書館にでも行こうかしら……?
教会の裏手は高い金属の柵で囲われ、侵入するのは難しそうだった。
やっぱりここで待つしかないか……と思っていると、ソラが柵の老朽化した箇所を見つけてくれた。
「ここから行こう」
そう言ってソラがするりと柵の隙間を通り抜けるのを見て、私もその後に続く。が、途中でつっかえて先に進めなくなる。
腰の剣や、荷物の位置を変えてみるが、進めない。……というより、そもそも荷物がつっかえていた訳じゃなかった。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫、気にしないで」
柵の向こうからこちらを覗きこんでくるソラの視線から目を逸らしつつ、身体を捻ってどうにか隙間を抜ける。
「背丈は伸びないのに、どうしてこう無駄な所ばっかり育つかな……」
「え?」
「なんでもない、こっちの話」
這って土のついた服の胸元をぱっぱとはたき、私は改めて辺りを見回す。
真っ先に視界に飛び込んできたのは、ガラス張りの大きな浴場。外から入れる扉もあり、おまけに鍵もかかっていない。以前の利用者がかけ忘れたのだろうか。
「少し、お邪魔しちゃおうか?」
無断侵入しておいて図々しい話だが、昨日からの汗を流すいい機会だ。扉を開ければ、幸いな事に先客はいなかった。
浴場から教会内に通じる扉も開けて中を覗いて見るが、通路にも今のところ人の来る様子はない。チャンス。
「よし、今のうちに入っちゃおうっと」
「嬉しそうだね、ソフィア……」
ソラが少々呆れるほど私の声は弾んでいたが、どうか許して欲しいと思う。
……だって公衆浴場に出入り禁止を食らって以来、行水くらいしかして無かったんだもの。
まさか脱衣場に置いた筈の追憶剣が、入浴中に突然手元に現れるとは思わなかった。「浴場への武器持ち込み厳禁」の掟に従い、一発退場である。
この例に限らず、この剣は大抵全く役に立たないタイミングで空気を読まずに戻ってくる。いっそ悪意を感じるレベルで。
「……ともあれ今はお風呂お風呂、と」
「そ、そうだね」
沈みかけた気持ちを切り替える。ばさりと衣服を脱ぎ捨てて、荷物と一緒に浴場の隅に置く。傷跡の多い身体は見栄えの良いものでは無いと思うが、今はソラしかいないし気にならない。
用心のために短剣をマントに包んで手元に置いてから、まずかけ湯で汗を流し、置いてあった布で身体を拭いて、湯船にちゃぷんと肩まで浸かる。
「ふぅー……」
熱過ぎずぬるくもなく、丁度良い湯加減だった。極楽。
地下通路を進むダザとえぬえむ。遠くから足音が聞こえるので、誰かが移動してることがわかる。
しかし、それが敵か味方かは判別出来ないため、二人とも足音に気をつけながら歩いていた。
「足音からして、3人ってところかしら。」
「・・・耳がいいんだな。」
「師匠の修行で鍛えられたからね。」
小声で会話する二人。
聴覚を鍛える修行とは一体どんなのだろうとダザは疑問に思ったが、同時にその師匠の修行とやらで、こんな少女が高い戦闘技術を得ることが出来たのだろうなと納得も出来た。
「俺も耳はいい方なんだが、足音は分かっても人数までは把握できないな。」
ダザは元鉱夫であり、落石や有毒ガスの危険がある坑道内での労働をしていたため、音や臭いには敏感であった。
ふと、『泥水』で見た光景を思い出す。
そこには、馴染みの酒場の主人や顔見知った元同僚、親方の死体が転がっていた。
恐らく、えぬえむがいなかったらダザはその場で泣き叫んでいただろう。
赤の他人の少女がいたからこそ、ダザは少女に不安や動揺を伝えないように気丈に振舞っただけであった。
「エフェクティヴなんかに関わるから碌な死に方をしないんですよ、親方。」
ダザは心の中でそう呟いたが、それは本心ではなく、怒りと悲しみを抑えるための責任転換であった。
しばらくすると、地下通路の先から聞こえていた足音が消える。外に出たのだろうか?
ダザとえぬえむは移動速度を速める。待ち伏せの可能性もある。ダザはブラシの柄を握り締め、えぬえむも攻撃に備える。
数分後、足音が消えたと思える場所に着くと、頭上に扉があることに気づく。
扉の外に集中するが、人の気配はない。
「俺が先に出る。えぬえむはもしもの時の後方支援を頼む。」
ダザがそう言うと、えぬえむはコクリと頷いた。
ダザは頭上の扉を開けると、勢いよく飛び出し、ブラシを構えた。
周囲を見回すが、特に人影もなく安心する。えぬえぬも続けて地下通路から出てくる。
「敵はいなさそうですね。うん?向こうで話し声が・・・?」
確かに、数人の話し声が聞こえる。なにか焦っているようだ。しかも近づいてきている。
ダザとえぬえぬは再度、臨戦態勢をとる。
話声と足音はどんどん近づいて、この部屋までやってきた。
ダザは、部屋に入ってきた人影に攻撃を仕掛ける。
が、攻撃を仕掛けたダザの首元には、部屋に入ってきた人物により冷たい剣が突きつけられていた。
「リューシャ!?」
「えぬえむ?」
剣を突きつけている女とえぬえむが驚く。さらに、後ろから来た人物も驚いた。
「ダザさん!?」
「オシロ?それに夢路!?」
それは、負傷している夢路を背負うオシロだった。
「あなた、清掃美化機構の清掃員ね!?私は第三精霊発掘顧問、リット・プラークよ!私を保護しなさい!」
「あ?」
さらに続けてはいってきた偉そうな女はダザに命令したが、血だらけのダザに睨まれ黙ってしまった。
商店街の外れの裏路地にて。
4人の鉱夫が、一人の女性を決して逃がさぬように取り囲んでいた。
「ですからねぇん、私も良くわかるんですよぉ?あなた達の気持ちはぁ」
「うるせぇぞ!糞貴族が!」
「逃げられると思うなよ!てめぇ!!」
間合いが一歩、縮まる。
「そう言わないでくださいよぉん。私も元々は貧民の生まれでしたからぁ、虐げられてきた者の苦しみは良くわかるんですよぉ?」
茶髪のボブカットの女性は、そうやって彼らを宥めようとする。
「皺と傷だらけの手で泥や汗をかき、生きる為に手探りで這いつくばり、僅かな食事で生命を繋ぐ。
飢えた子供を見殺さねば自分が生きて活けない日々。体の奥が日々欠けていき、激化する痛みに耐えて薬を待つ日々。
老いてもなお働かねばならぬ日々。荒れる肌。爛れた足。」
「ぐっ・・・」
過去を思い出した男が目頭を押さえる。
「汚れていかなければ生きれない我々を見下ろす着飾った小娘達。自らが踏み潰した蟻の欠片を見るかのように気にも留めず歩くお偉方。
あなた達の主張、憤りも御尤もです」
「黙れ猫目!金で買われたセブンハウスの獣!貴様らが行った非道の数々を思い出せ!
お前もその一部だろうが!採掘所の連中にだってそうだ!よくも、あんなえげつねぇ事をしやがって!」
「そうだ!あそこには俺の従兄弟もいたんだ!」
「許せねぇ!」
男が叫ぶと、怒りが収まりかけた者も奮起する。
(あの件を持ち出してきたか、これはもう駄目だな)
内心でそう呟いて「そうですねぇ、えげつないですよねぇぇぇ」と言葉を吐きながらうつむく。背後にまわした左手で、鈍く光る短剣を握る。
あの襲撃のせいで、エフェクティブだけではない。話を聞きつけた一般の鉱夫や流れの労働者自体にまで、根付いた貴族層全体への不満や憎しみの猛りが激化している。そしてこの先、身内を噛み千切られた貴族も刃を握り直すだろう。
裏路地を通ったとはいえ、ここまで絡まれるとは。しかも、彼らの目には明らかな殺意が宿っている。
(ジフロマーシャの件といい、僅か数日でここまで事態がうねるか)
「どうか、ここは皆さん穏便に。これでも受け取ってくださぁい」
右手で金貨を取り出して男達に見せ、短剣を握る左手に力をこめた時、それは起こった。
「危ない、だよー!!」
唸るような音と共に、道をふさぐ男達が壁際に吹っ飛ぶ。目の前には、手を交差してそびえ立つ、あの害虫が居た。
「あれ、猫目さん、だよー?」
「えぇぇ、また、貴方ですかぁん?」
「状況を説明してもらおうか」
言いながらダザは額の血を拭った。
村を囲むリソースガード、爆破された基地。基地の中でダザ&えぬえむが鉢合わせた一行の正体は、オシロと夢路(負傷)、ベトスコ老(負傷)、偉そうな女A、偉そうな女B。…Bは政府の人間らしいが
「そ、そうね、清掃員にどこまで話していいか・・」
「私が説明するわ」
偉そうな女Aが遮った。シャクに触る派手な金髪。
「今から私たちは地下通路から"泥水"に戻る。それから怪我人を病院に連れてくわ。貴方はどうするの?」
ダザの知りたい情報が何一つ含まれていない。そのうえ説明ではなく"怪我人を背負うのを手伝え"と命令されているのと同じだった。
しかも向こうはすでにこちらを無害と判断したようで、剣を鞘に収めていた。
「・・・・」
仕方なくダザもモップを収納した。
ベトスコさんを背負いながら地下通路を歩く。
最初オシロから夢路の方を受け取ろうとしたが、オシロが
『じーちゃんを背負ってもらえませんか。敵が来たとき、リューシャさんが動けた方がいいと思うので』。
なんとも見上げた冷静さである。金髪の女は、名前をリューシャというらしいが、オシロはあいつの戦闘能力を高く買っているらしい。
精霊灯(?)で通路を照らすえぬえむと、彼女とお喋りをしているリューシャが先頭。ダザとオシロが真ん中、政府の女が最後尾を歩いた。
怪しい剣を持つこの女、村の人間ではない。エフェクティブでもない。リリオットの人間にはとても見えない。油断はできない。どんな裏があるかわからない。ダザは後ろを歩きながら、怪しい動きがないか観察する。
といってもリューシャに敵意がないこと、彼女が自分の(オシロの)味方であることはとうに理解っていた。――だが、それを口にするようなダザではない。
「ダザさん」オシロの声。「来てくれてありがとうございます」
「―――いや、……。無事でよかったよ」
首にベトスコさんのか細い息を感じる。むにゃむにゃいう夢路の寝言。
泥水の惨状を見たときには、もうこの村には一人も生存者がいないのではないかと思った。俺は遅かったんだと。心ではいつも守りたいと思いながら肝心な時にそばにいない。しかし生きていた。まだ俺にも守れる人がいる。助けてくれたのは――
――そんな感情を口にするダザではない。
マックオートはヘレン教に対する考えを少しづつ変えていた。
黒髪を探して殺し歩く殺戮マシンの集団かと思っていたが、普通の人間の集まりでもある。
ここの人たちは普通に駄弁ったり笑ったり、食べたり飲んだりしているようだ。
しかし、変わらない考えもある。
(ヘレン教の人たちは頬から血を出させるのが好きなの!?)
「何か言った?」
「え?あぁ、ううん、ちょっとデジャヴとかいうのを感じてね・・・」
マックオートは苦笑いをしながら頭に手を回した。嫌な感触がした。
負傷したメビエリアラを抱き上げた時は全く考えていなかったが、自分の頬が血で滲んだことで感触がよみがえってくる。
「あぁ・・・感触が残ってる・・・公衆浴場行きたい・・・」
「教会からは出せないけど・・・ここにも簡単な浴場ならあるけどね。」
浴場と聞いて、見張りは当番を怠って浴場の鍵を開けっ放しにしていたことを思い出した。
「え!?マジ!?是非入らせてください!」
マックオートは懇願した。体を洗う事でいなや感触を流したいという気もあったが、いきなり攻撃をしてくる見張りと
二人きりで過ごすことにビビっていた。せめて、もう一人温和そうな人がいてくれれば・・・
一方、威嚇で完全にビビったマックオートを見て勝気になった見張りは余裕を見せる。
「どうしよっかな〜・・・この時間なら誰も入っていないはずだし、まぁいいかな」
ここでマックオートを浴場に入れれば、鍵を開けっ放しにしたことを咎められても言い訳が出来るかも、と
考えた見張りは承諾した。
「でも、逃げるつもりなら・・・ね?」
「いえいえいえいえまさかまさかそんなばかなそんな」
すっかり弱くなったマックオートを見て見張りは笑った。
***
ちょっと前までは孤独に苛まれていたというのに、今は一人でのんびりできるのが幸せとは。
マックオートはニコニコしながら浴場に入った。が、誰もいないはずの湯船に二人の人影が見えた。
「うぁ、す、すみません!」
顔を見て女性と判断したマックオートは慌てて隠れた。脱衣所には自分のローブ以外に何もなかったはずなのに。
しかし、その顔はどちらも見覚えがあった。
「え?ソラちゃんにソフィアちゃん!?どうしてここに?」
マックオートは思わず顔を出した。飛んできたエーデルワイスが顔に直撃したので、片方がソフィアなのは間違いないだろう。
「あばばば!?」
慌ててローブを表裏逆に着たマックオートは逃げるように脱衣所から出た。
「どうしたの?」
「他に人がいるんですけど・・・」
「え!?嘘!侵入者!?あぁ、もう・・・!!」
顔を真っ青にした見張りはマックオートを置いて浴場に走っていった。
「マックオート!?なんてこんな所に?」
めまぐるしく変わる状況についていけず、呆然としたマックオートに通りかかったシスターが声をかけた。
あの時、冷静に対応してくれた火傷跡のシスターだった。
通路の先にいたのはリューシャと見知らぬ少年、見知らぬ女性、そして負傷者二人。
先ほど聞こえた足音は三人分。
彼女らが先行し、負傷者を背負って戻ってきた、と考えるのが妥当か。
この先に何があるにせよ、危険なのは間違いない。負傷者は四肢をへし折られている。爆薬の匂いなどもした。
酒場に戻って負傷者を病院に運ぶというリューシャの案に特に反対する理由もない。
えぬえむたちは地下通路へ引き返す。
アルティアによって通路を照らしながら慎重かつ迅速に通路を進む。
ついでに、リューシャに現状を報告する。
「…でねー、そのウロさんにマッピングの手伝いさせられてね。で、報酬として紹介状もらったわけ。確かべトスコさんといったっけ」
「えっ」
声を上げたのはリューシャではなく、女性を背負った少年―オシロ―だった。
「うちのじーちゃんだ…」
「そうなの? 一段落ついたら紹介してもらえる?」
「というか、今ダザさんが背負ってるのが…」
言いながら、清掃夫の男が背負っている老人を見やる。
つまりは、彼がべトスコさんらしい。
「…取りあえず、病院まで運ばないと」
「泥水」へ通じる階段を登り切る。地獄のような光景が再び目に入る。
床を閉じ、少し思案する。
(向こうの状況からして追手が来たら厄介ね)
「ちょっと待って。この床封鎖したほうがいいと思うの」
「私がやるわ」
リューシャが腕を振るうと、通路への入口はあっという間に氷に閉ざされる。
「ありがと」
「どういたしまして」
「それで、今からどこに向かうのかしら」
「公騎士団病院ね、急ぎましょ」
「じゃ、ちょっとあの子手伝ってくる」
裏口から酒場を抜け出す。さっきのような荒くれが他にもいないとも限らない。
病院につくまで油断はできないのだ…。
久々の温かい湯は快適だった。一時とはいえ、無防備な状態で警戒を緩めてしまうほどに。
そして天は私の愚行を見逃さず、すぐさま襲撃者を差し向けてくる。
がらり。脱衣所へと続く扉が開く。
「?!」
ばしゃり、と湯を跳ね上げて立ち上がる。マントの中から短剣を引き抜く。だが遅い。相手にその意図があれば、確実に先制される……。
だが、扉から現れた人影もまた、動揺した様子でそれ以上の動きを見せる様子はない。こちらに気付いていなかった?湯気越しに見える相手の姿は黒髪の……男。
「うぁ、す、すみません!」
「んなっ……マックオートさん?!」
「え?ソラちゃんにソフィアちゃん!?どうしてここに?」
慌てて一度は引っ込んだ彼は、こちらが知り合いだと気付くと再び顔を覗かせてくる。
気が付くと、隅に置いた筈のエーデルワイスが、再び手元にある。初めて気の利くタイミングでやって来た魔剣を、マックオートの顔目掛け力一杯投げつける。
「とにかく出てけーっ!」
「あばばば!?」
直撃。今度こそ退散していく彼の足音を聞きながら、私は荒げた呼吸を落ち着かせる。
まずい。かなりまずい。黒髪の彼が何故ヘレン教会にいるかは分からないが、この分だとすぐに他の人間もやってくる。
ともかく湯船から上がる。濡れた身体に触れる外気の肌寒さが、思考を急速に冷やしていく。
「ソラはここで様子を見てて。危ないと思ったら、さっきの隙間から外に出て」
「え、ちょっとソフィア、服は?!」
マントで身体を覆い、右手に短剣を構えて駆け出す。狼狽えた様子のソラが叫ぶが、流石に着替えている余裕はない。
脱衣所に飛び出せば、此方に向かってくるシスターの少女と鉢合わせる。
「止まりなさい!」
警告の言葉と同時に少女が指先から光弾を放ったのを見て、私はマントの精霊を駆動させる。防御力を強化されたマントに触れた光弾はそのまま四散するが、ジュッ、という音と共に布が焦げる臭いがする。
熟達した精霊駆動術……この少女、インカネーションか。
「この忙しいときに、侵入者だなんて……!」
苛立ちと共に次弾を放たれる前に、私は手に持ったナイフを放り捨てて床に伏し、抵抗の意思が無いことを示す。
「……なんのつもり?」
「無断で侵入した事は謝罪します。しかし私は貴女方に危害を加える意思はありません。
謂れ無き罪科を課せられ、追われる身となった少女がいます。どうか彼女を助けていただけないかと、ヘレンの恩寵にお縋りすべく、無礼を承知でここまで参りました」
頭を下げ、精一杯の誠意を込めて事情を話す。下手な抵抗や誤魔化しは今は逆効果だ。
「彼女の名前はソラ、私はソフィアと申します。シャスタという方に取り次いで頂ければ、真偽は定かになるでしょう」
「シスターシャスタに…?」
「何事ですか?」
不意に聞こえた女性の声に顔を上げると、そこにはマックオートと共に、顔に火傷跡を残す、白髪のシスターが立っていた。
目当ての部屋を、オシロがすぐに見つけてくれたのは幸いだった。
だが、そこで見つけたオシロのじーちゃん……べトスコ老と、一緒にいた夢路という女性は二人ともほとんど瀕死の重症だ。
プラークまで動員して二人を背負い、地下通路へと駆け戻る。
だが、隠し扉のある部屋の扉を開けた瞬間、リューシャの眼前を鉄の棒が薙いだ。
反射的にシャンタールを抜き払い、相手に突きつける。
戦闘になるかと身構え、交錯した相手の顔を見る前に、えぬえむの声がリューシャを呼んだ。
次いで、オシロが驚いた声で、相手のことをダザさん、と呼ぶ。
知り合いなら話は速い。リューシャは即座にシャンタールを引くと、説明を求めるダザに向かい合った。
「今からわたしたちは地下通路から『泥水』に戻る。それから怪我人を病院に連れてくわ。あなたはどうするの?」
求められている説明は一切省いた。ダザは苛立ちをのぞかせたが、それも無視。
今ここで、長々と議論する気はない。
手を貸して目当ての人物を無事に回収したとはいえ、ここはまだ危険地帯にかわりなく、なによりリューシャも命は惜しい。
夢路をオシロに、べトスコ老をダザに任せ、再び地下通路へ潜る。
明かりの代わりに精霊砲を灯したえぬえむと先頭に並び、地下通路を早足に進む。
道中話を聞くと、どうやらえぬえむは別のルートを経由して、技術者であるべトスコ老に辿り着いたようだ。
正式な紹介状も持っているらしく、こんな状況でなければリューシャはおもいきり喜んだだろう。
ますます、べトスコ老を急いで病院まで運び込まなければならない。
「……だから、私が許可できるのはそっちの老人だけだって言ってるでしょう!?」
だが、辿りついた『泥水』の隠し扉を封鎖したところで、先に裏口を抜けたオシロたちのほうからプラークの声が聞こえた。
「どうしたの」
「この人が、公騎士団病院に夢路さんを連れて行くわけにはいかないって……」
ベトスコ老をえぬえむに預け、今にも鉄モップを振り上げそうなダザ。
オシロはオシロで、夢路を背負ったままプラークを睨みつけている。
「お前がどんなお偉いさんだかは知らないが、ふざけたことを言うな!
夢路だってお前らのせいで負傷したんだ。べトスコさんと一緒に、急いで治療する必要があるんだぞ!」
ダザが怒鳴りつけると、プラークは肩を震わせて一歩下がった。
「なんと言われても、私の権限では許可できないわ!」
「このっ……!」
鉄のモップが振り上がる。悲鳴を上げたプラークがそれを避ける。
「ちょっと、どっちも大声を出さないで。
このあたりにはまだ敵がいるかもしれないんだから」
『泥水』の中から追いついてきたリューシャは、そのやり取りに顔をしかめて言った。
「お前、じゃあ、夢路を見捨てろっていうのか!」
「そんなことは言ってない」
「だったら、」
ダザの言葉を遮るように、リューシャは鞘ごとシャンタールを抜き、振り下ろした。
短い悲鳴を残して、プラークが路地裏の地面に沈む。
「こいつはわたしとえぬえむで交互に背負うわ。
責任は全部こいつに被せて、知らん顔して三人まとめて担ぎ込みましょう」
少女が男の顔に翳した右手からは、極光のような光が溢れ……
いや、その光は、少女の右手から溢れ出ているのではなく、――
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それは初めての経験であった。温泉である。
東の国のスパを参考にしたという其処は、身に着けたものを全て外さねばならないらしい。
ギ肢を外したのは久しぶりだった。
換装可能な部分は簡単に外せるが、
身体とギ肢を直接接続する部分は神経と精霊繊維の同期を一旦切らねばならず、
外すのにも着けるのにも時間が掛かる。
「外した、は良いけど……重っ」
ギ肢の重さはギ肢で支えているので、ギ肢を外すと、それを持ち運ぶだけで重労働である。
やっとの思いで金庫にギ肢を金庫に預けると、既に汗だくだった。
「これじゃ、出てきた後、また汗をかいてしまいそうね……」
それは予想通りになったのだが、それでもひととき汗を流せたのは良かった。
後から詳しく聞いてみたら、義肢は外さなくても良かったらしいが、
「他のお客様が驚かれると思いますので……」とやんわり断られた。
それから適当に露天で食事を摂り、
図書館へ。
技術的研究資料を漁るのも良いが、
詳しい内容は機密事項が多く、深くまでは探れない場合が多い。
なので、今日の目的は物語のエリアだ。
北方の精霊鉱山、南方のダウトフォレスト、そして地下に眠るという『封印宮』の話。
「こういう秘密の多い街には、大抵……おお、あったあった」
そう言って探り当てたのは、この地域一帯に伝わる伝承や神話の記された古い本だ。
丘の上の古城に住む魔法使いの話。
森に住まう怪物の話。
死んだ人の命が宝石に宿り精霊となった話。
闇を統べる魔王の話。
御伽話の、その殆どは、昔を生きた人々の思い込みや、過大な脚色が施された故事であるとされているが、
時々、あまりに荒唐無稽すぎる神話が実は昔本当にあった話だったりすることは、稀によくある。
特にこういう街では、既に人々に忘れられてしまった伝承が、不可解な現象を紐解く鍵となることもままある。
それに、物語が物語だったとしても、物語は"ここ"とは違う世界を見せてくれる。
それは現実を見ているだけでは見つからない何かを見つけるきっかけにもなるのだ。
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図書館でたっぷりと本を満喫したリオネは、
その帰りに、路地裏に佇む二人の人影を見た。
一人は可憐な少女。一人は若き騎士。
少女の翳す右手には、影を微かに照らす光。
あの光は……高濃度精霊から漏れる光に似ている?
いや、少し、違う?
そして、やがて、若い騎士は――
食事を終え、ラペコーナを出る。満腹。
さて、まずは図書館に行こう。
今日はするべき予定が多い。
こういう時は、なんというんだったか。思い出の中の、祖母の真似をしてみる。
「ちょっぱやでいかないとけつかっちん、だよー♪」
「うるせぇぞ!糞貴族が!」
「逃げられると思うなよ!てめぇ!!」
そう言った矢先に、裏路地のほうから声が聞こえたので、アスカは走り出した。
「裏路地に貴族って、リリオットのお嬢さんかも、だよー!?」
*
「いやぁ、一度ならず二度までもってやつですかぁん?あなた、人助けの為にこの街に来たんですかぁ?それとも、私を追っかけてるんですかぁ?
私、お金と権力持ってて直ぐ死にそうな人が好みなんですがぁ?これでも貴族ですからぁん。身分違いなんですよねぇ」
助けたのはあの時に会った女性だった。
先ほどから、頭が高い!頭が高い!と腹筋に頭突きを繰り出してくる。
「ここは危険だから通らない方がいい、だよー?」
「硬い衝撃がたまりませんねぇ。ていうか黒髪の人に言われたかありませんよぉ?よっ、と!」
わざわざ地面を蹴って、大胸筋に跳び頭突きを繰り出してきた。
「まぁ、あえてあなたを襲う人は少ないでしょうがぁ・・・ぴぎゃっ!」
「あ、大丈夫ですか。だよー?」
頭を抑えた猫目が唸る。
「硬っ!?」
「あー、お守りに当たっちゃったん、だよー」
「お守りですか、随分硬質ですねぇ」
ごそごそと胸をまさぐって取り出した緑色の固形を見せる。
それを見た猫目の顔色が変わった。
「お守りって言うか、宝石?精霊結晶?これは……?」
「お祖母ちゃんから貸してもらった、大戦前の魔石、だよー」
「へぇぇぇぇ?この精霊時代の只中でも金の臭いが、プンプンしますよぉ?涎出ちゃうから早く仕舞いなさいなぁ。その自家製?自肉製の胸ポケットにぃ」
「はい、だよー。あっ、いっけない!時間が無いんだよー!それじゃ、ボク行くね、だよー♪」
「はぁい。どうぞぉん?ていうか、あんまり調子に乗らないことですよぉ?死にたくなければぁ、(当の本人は死んでますけど)あっはっはっは!!」
嫌味も渾身の冗談も聞かず、音を立ててやってきて、音を立てて去っていく肉の背中。倒れ伏せた男達を見て、「命、拾っちゃいましたねぇん?」と猫は鳴いた。
*
ここに来たのももう何度目だろうか。
図書館の棚を流し見しながら、目的のスペースに向かう。
そこには、街の日々の情報を乗せた過去の広報紙が棚一面に畳んで並んでいた。、
調べるのは、第八坑道の落盤事故。
ボクがこの街に来た一番の理由。
故郷を飛び出し、ボクがこの街を選んだ理由。
――ママの生きた日々と、死を追う事、だ。
『泥水』の裏口から出た一行は、囲まれることを危惧し裏路地を通って病院を目指した。
途中、『泥水』やエフェクティヴの基地を襲撃した連中の1人と思われる男が現れた。
東国の服を身につけ、2つの刀を所持していた。
男が二本の刀を抜く。片方の刀身は赤く熱を発しており、もう片方は青白く冷気を放っていた。
「熱剣と凍剣の使い手か・・・。」
リューシャがそう呟く。そして、男は一行に向かって斬りかかって来た。
が、熱剣はダザの義足により防がれ、凍剣はリューシャの剣で受け止められてしまった。
「「えぬえむ!」」
「了解!」
ダザとリューシャが叫ぶと、えぬえむは剣を出現させ、二人の間から男を縦に斬り抜いた。
男は体の真ん中から血を噴出しながら倒れる。
人数差か、相性が良かったのか、それとも男の実力が低かったのかわからないが、あっさり敵を倒すことが出来た。
その後、病院までの路中では他の邪魔者は現れなかった。
病院に入ると、ダザ達は受付に急ぐ。
「今日は掃除の依頼はしてませんが?」
ダザを見た受付の男はダルそうに答える。
「後ろがみえねぇのか。重症の急患だ!」
ダザが吼えると、受付の男は後ろを確認する。
「急患?一般の方は貴族の紹介が必要ですがね?」
「この女の人の依頼です。重要人物なので助けて欲しいと!」
オシロがえぬえむに背負られたリットを指す。
「第三精霊発掘顧問のリット・プラーク様よ。今は疲れて気を失っているけど、起きた時にこの人達が死んでたらどうするかしらね。」
「怒り狂って助けなかった受付担当者をクビにしちゃったりして。」
リューシャとえぬえむが受付の男を脅し始める。
男が狼狽えていると、奥から黒い髪をポニーテールにした女が現れた。
「いいじゃないですか、どうせ手も空いてますし。」
「しかし、もし違っていたら・・・。」
「どっちにしろ、そんなに重症患者を追い返すわけにはいきません。」
「癒者のあんたが言うなら構わんが、わたしゃ責任取れませんよ。」
黒髪の癒者は受付の男を納得させるとダザ達に目線をやった。
「患者をこちらに、治療室で処置します。」
「あら?あなた、仲介所にいた・・・?」
リューシェが黒髪の癒者の顔を見て尋ねる。
「仲介所?ああ、それは妹のヒヨリです。元気にやってますか? さぁ、急いで!そちらの女の人は?」
「ああ、この人はそこらへんで寝かせていれば大丈夫ですよ。」
リットについて聞かれたため、彼女を背負ったえぬえむが答える。治療中に起きられて、余計なことを言われたら困るため適当にごまかす。
「そう、なにかあったらご連絡を。あと清掃員の貴方も一緒に治療します。」
「俺はいい。先にこいつらを。」
「いいから、癒師命令です!」
黒髪の癒者はそう言うと、怪我人を連れて治療室に向かった。
公騎士団の男はそのまま無抵抗に地面へと倒れ込んだ。マドルチェはその様子を見つめながら小さく肩をすくめて呟く。
「なんだ、あなたも幸せになれないんだ……」
心底残念そうな表情で取り出した光を手放す。そのまま、精霊に似た光は空気中に粒子となって霧散してしまった。
「どうして誰も幸せになってくれないんだろう……」
門番のおじさんも、公騎士団のお兄さんも、幸せになることに耐え切れなかった。苦悶の表情を浮かべる男の顔を見て、ふと数十秒前の彼との会話が頭を過ぎった。
(……マドルソフ様も私も困ってしまいます、貴女が屋敷に帰ってくれないとね)
「おじいちゃんも、困ってるって言ってた……」
昔から気難しそうな顔をしていたおじいちゃん。私のことを危険物扱いして屋敷に閉じ込めたおじいちゃん。私から自由に、そして幸せになる権利を長い間奪い続けていたおじいちゃん。そんなおじいちゃんが「ハッピーじゃない」というのなら、今すぐにでも私が幸せにしてあげる。
「……今すぐ私が幸せにしてあげるね、おじいちゃん」
澄んだ声音でマドルチェは歌うように呟いた。それは私にしか出来ないことだ。世界中のみんなを幸せにしてあげなくちゃ。私のこの力で、ハッピーじゃない人をハッピーにしてあげるんだ。
決意も新たに、マドルチェは駆け足で路地裏を飛び出した。行く先は決まっている。口元に歪んだ笑みを浮かべていることに、彼女自身は気付くことはなかった。
*
本能的な危機感から、リオネは物陰に隠れてその一部始終を声を上げることもなくただ呆然と見守っていた。
「人間から、精霊を……」
有り得ない。しかしあの光は間違いなく精霊の輝き。原理は分からないが、彼女は確かに人間から精霊を取り出していた。そして取り出された人間は……。リオネは倒れ込む男に近付き、胸に手を押し当てた。
「……そんな」
脈はない、呼吸も止まっている。男は完全に事切れていた。あの少女は危険すぎる。先ほどの独り言を聞く限りでは「おじいちゃん」なる人物にも再び力を行使するつもりなのだろう。しかし、生きた人間から精霊を取り出すなどという前代未聞の現象が目の前で確かに行われた。興味と畏怖が混ざり合った複雑な感情がリオネの胸の中を渦巻き始めていた。
公騎士病院の待合室兼カフェテリア。
「よし、クイーン奪ったー!」
「よかったわね。はい、チェックメイト」
「げっ」
二人の姿を横目で見ながらリューシャは紅茶をすすった。さすが貴族専用病院のカフェだけあって実にお高級な香りだ。
オシロに"チェスでもしない?"と声をかけたのはえぬえむであった。
一時でも気を紛らわしてやりたい、と思ったのだろう。
平気な顔で人間を真ん中から斬り裂いちゃう少女に、そんな繊細な心遣いがあることがなんだか可笑しい。
カフェに例の癒師が現れた。
白衣をなびかせてリューシャの横に立つと、
「ヒマな人ですか?」
オシロとえぬえむが元気よく手を挙げた。リューシャもちょうど暇で暇でしょうがなかったので挙げた。
「一人でいいですよ。ちょっと図書館で調べ物してきて欲しいんですが」
「僕が行きます。」
黒髪の癒師はほほえんだ。
「図書館の地下に、珍しい精霊病についての本があります。このメモに病名がいくつか書いてあるので、該当するページに書いてあることをすべて書き写してきてください。」
「わかりました」
「これがメモと、ノートと、ペンです。よろしくお願いしますね」
「はい」
「・・・・」
「・・・・」
「…お駄賃ですか?はい、どうぞ。これであられ揚げでも買ってください」
「ど、どうも・・」
「先生。三人の容態は?」
怖くて聞けないオシロの代わりにえぬえむが尋ねた。
「女性の方は、手足の修復に彼女自身の精神エネルギーを使わせてもらったので、あと一週間は目を覚まさないでしょう。」
「一週間・・」
「男性の方は、よくわからないけど今からみんなを助けに行くとか騒いで非常にうるさかったため強力麻酔を打ったので、あと八時間は目を覚まさないでしょう。」
「・・・・。」
「二人とも命に別状はありません」
最後の言葉を聞いてオシロの顔が凍った。
「・・・知っての通り」癒者の申し訳なさそうな口調。「ここの患者のほとんどは中流階級以上の方です。だから、私は精霊精製技師特有の病気についてはあまり詳しくないのです。」
「どうして、」
じーちゃんの仕事を知ってるのか。なぜなら。「…彼の肺には長年蓄積された粗霊の微粒末がいっぱい溜まっていました。」
オシロは手渡されたメモを開いた。知らない病名がいくつもかかれている。しかし一つだけ知っている名前があった。過去にその病気にかかった仲間がいたから。発症して三日後に、彼は死んだ。
ジフロマーシャ邸の騒動の後、五日が過ぎた。
ウロは今、第一坑道最奥、『神霊』の前に立っている。
神霊。不遜にも神の名を頂いた精霊結晶。高さがウロの10倍ほどもあるホワイトスモークの不等辺多面体が、精霊ランプの灯を受けてちらちらと輝いている。人夫たちがあくせくと動き回る中、ウロは結晶を見上げ、神霊が、そしてこの場自体が発する空気に身を震わせていた。
はらわたを裂かれる怒りと、宝物庫に土足で踏み入られる焦り。大地が発する怨嗟をウロは聞く。
すぐに楽にしてやる。誰にともなく呟く。
「おや、武者震いかい?君でもそんなことがあるんだね」
極めて軽く、そして明るく話しかけてきたのはマーロック・ヒルダガルデである。泥と岩にまみれた坑道にはふさわしくない、青の執務服で身を固めている。
ふん、と鼻を鳴らし、質問に答えず応じる。
「マーロック、珍しいな。お前が現場に出てくるとは」
「いやいや、神なんて呼ばれてるシロモノだ。見られるときに見ておかなきゃ損だろう?せっかく僕のおかげで採掘許可が出たんだ」
クックロビンは『神霊』の採掘についての全権を掌握していた。よそ者であるウロがその計画に組み込まれるには、なんとかしてセブンハウスの、いやクックロビン個人の信用を得なければならなかった。
「しかし今や卿は墓の下。」
くつくつと笑いながら、マーロックは、君が掘った墓穴のな、と付け足す。
「まあ、ジフロマーシャはアレの手腕で成り立っていたんだろうね。脇を固めるヤカラの横面を札束ではたいてやったらこの通りさ。」
要するに、混乱に乗じてカネで現場の指揮権を買ったわけだ。
「セブンハウス様の仰るには、この『神霊』をこのままの状態で、切り出さずに掘り出せ、とのことなんだけど・・・。どうだい?」
「そうだな・・・」
ウロは考える。
この大きさの結晶を運び出すには坑道の幅が明らかに足りない。地上までのおよそ3000を、拡張しながら運び出すのは骨だ。第一、このあたりの地盤では、何度落盤があるか知れない。他のルートを見つけ出すにしても時間がかかるだろう。
ウロは『神霊』に手を置き、大地の怨嗟に耳を傾ける。奴らの急所を探すのだ。
「掘るとすれば上からだな」
ウロのその一言に、マーロックは思わず天井を見上げた。
「心っつーのは、人間を人間たらしめる何かである、ってのが一般的な認識だと思うんだがよー。
だからまあ、心とは何かっつー問いは、人間とは何か、って問いと同じだろ?
心無い人と人非人は同義語だろ?
で、人間とは何かと言えば、あたしは『人間』が理解、共感できる存在のことだと考えてる。
おっと、別にトートロジーで誤魔化そうってわけじゃないぜ。
人類ほとんど誰もが自分は人間だと思い込んでるが、それを外部から認められない限りは社会の構成員にゃなれねー、って話さ。心ある存在とは認められねー、って話さ。
知ってるだろ? ヘレン教は、黒髪を人間として認めてない。
セブンハウスは、自分たち以外を対等な人間として認めてない。
大概の民衆は、奴隷や貧民を人間として認めてない。
逆に共感できるなら、エルフだって精霊だって人間扱いだ。
自分たち『人間』にとっての共感可能性があって初めて『人間』なんだ。
翻って心ってのは、だから言ってしまえば、存在の公約数なんだよ。
ワタシとアナタは同じような部分を持っている。だからいずれ解りあえる。
そういう楽観的で単純なロジックこそが人間の言う『心』の正体ってやつなのさ」
見方によっちゃ、それは人に心が内在しないと言えるのかもな。
一息にそれだけを言って、彼女は机に肘を叩き付けるような動きで豪快に頬杖を突きました。
机の上に築かれていた硬貨の塔が盛大な音を立てて崩れ、仲介所内の目が一瞬こちらに集まりましたが、彼女は気にしていない様子です。
「まあ、それに関しちゃ今はまだどうでもいい。大抵のことはどうでもいい。
今大切なのは、ジフロマーシャ本家が混乱してるっつー、それだけだ。
いやはやまったく、本気で焦ったぜ。計画は善良なる馬鹿のせいで半ば失敗。手駒は聖なる正義の戦士とやらの手にかかり再起不能。挙句、エフェクティヴにまで事態を知られる始末だ。
どういうロジックならそんなエフェクトが起こせるのか知らんが、クックロビンの殺害犯には感謝してもしきれねー」
彼女が楽しそうに嬉しそうに気だるそうに語るのを、私は困り果てて眺めるしかありません。
「ああ悪い。全部喋りたくて喋ってただけだ、理解する必要は無いぜ。
――さてじゃあお待ちかねの本題だ。ここからは理解しろ」
言って、彼女は先ほど崩れた硬貨の山をがっと寄せ集めました。
「いいか、お前に依頼だ。ここにある金、全部が依頼料。
依頼内容は、『今後しばらくあたしの指示に従って動け』。
期間は長くても一月は越えねーし、悪いようにはしない。
すべてはお前のためでもある。拒否した場合、お前は死ぬ。何か質問は?」
そこまで言われて、ようやく私は、聞きたかったことを聞くことができました。
突然の依頼理由やその異常な内容よりも、気になっていたことを聞くことができました。
「あなたは、本当にコインオンナさんなんですか?」
私の疑問に、彼女――コインオンナさんは、犬歯を剥き出しにして。
「そうだがそうじゃない。コイン女はあだ名だろ? こいつは、いやあたしはヒヨリというんだ」
ぐしゃりと、何か手紙のようなものを握り潰しながら。
「ヒヨリ・ハートロスト。人非人さ」
そう言って、私の知る彼女らしからぬ、獰猛な笑顔で笑うのでした。
「剣の呪いを解く」その目的のためにマックオートはリリオットに来た!
黒髪という理由で周囲から避けられるも、理解ある人達と出会う事もできた!
ででん!
夢路、ダザ、オシロ、レストと共に巨大パンジーを倒したマックオートは
消えた依頼書とレストの偽物の調査に出る!
でででん!
しかし、道中で黒髪を嫌う集団の一人が倒れていた!
助けるために教会に運び込むも、疑いをかけられ軟禁されてしまったのであった!
ででででん!!
顔に火傷の跡を残すシスターは何者か!?追憶された過去を打ち明けられる相手はいるのか!?
剣にかけられた呪いの正体とは!?ジーニアスには会えるのか!?
次章『黒髪人種とヘレン教徒編』
新たな仲間と共に運命に立ち向かえ、マックオート!!
さて、私はカラスを連れて、館の奥の部屋まで案内した。
廊下の壁や、棚などに飾られた時計達を物珍しそうに眺めるカラスに、幾ばかりかの思い出を語ると、それもまた随分と懐かしい事のように思えた。
──やめるんだ。やめたまえよ!私は喜劇役者なんだ、君も、よくそうやって変な事を思い出す人だな!せめて君が、幕の落ちるまで待っていてくれても、誰だって「それくらいが当たり前だ」と、まぁ仰られるでしょうな。じっさいのところ、駒鳥の死から、葬式までの距離も無いのですからね……。
茶色の扉を潜ると、ちょうど少年のお仲間が、広い机の上に紅茶とビスケットの皿を用意し終えたところだった。私はお仲間に礼を言うと席を外させ、机の奥の方へと回り込み、どうぞ其処の椅子へおかけになって下さいと言った。
「失礼します」
カラスは丁度机の真ん中に位置する椅子を引き、その椅子の高い背に、ぴたりと背を合わせた。それから私も丁度向かい合うような形になるよう椅子に座った。
「急に散歩に連れ出して、すみませんでしたね」
私がこう言うと、カラスは恭しく首を振り、いいえと答えた。
「こんな場所に時計館があったなんて知りませんでした。様々な時計が見れて、楽しいです」
「時計に興味を持つ人は、そう多くありませんから、傍目には誰も気付かないんですよ。然程目立たぬ位置にある訳でも無しに、それでも人の目には映らないのです──不思議とお思いですかね。しかしその為か、此処には様々な方がお見えになります。例えば乞食のような恰好をしていて、しかし実際は真逆のような立場の──」
ぐう、と突然にカラスのお腹が鳴った。
刹那の沈黙が流れ、カラスが恥ずかしそうに脇に目を反らした。
「──其処に積まれたビスケットの蓄え分と紅茶は、総て貴方のものです。どうぞ、遠慮なさらずに」
「いただきます……」
余程飢えていたのだろうか。ビスケットを一つ摘み、それを口に運んだカラスの面持ちはすぐに、見ている此方が嬉しくなるような微笑みの形になった。
叱ったッ!!次章完!!
(ごめんなさい言ってみたかった。)
※
私に手紙を持ってきたのは、あの石像が倒れた現場にいた子供だった。
「まったく君は。みんなが部屋の中にいるのに、どうしてまた外に出たんだ。」
「だって、あそこにわすれものしちゃったから……ご、ごめんなさい……ちゃんとほかのせいせいにいったよー!!」
とりあえず、私は手紙の内容に眼を通す。焦ったような筆跡だ。
「……そうか、ならいい。それに手紙を届けてくれてありがとう。」私は子供の頭を撫でた。
(助けてくれ、か……)
ソラが暗殺の疑いをかけられるなど、なんの根拠があるかわからないが馬鹿馬鹿しい域の戯言だ。
私にどこまでできるかわからないが、彼女を教会にかくまうぐらいならできるだろう、
もともとここはそういう人々のための施設だ。それにソラは教会の人々と知り合いだ。変な疑いもかけられまい。
……教会の中を通って裏手に向かい移動していたのだが、何か騒がしい気配がする。
浴場の方からだった。まだ入浴時間ではないはずだが、誰かが勝手に入ったのだろうか。
しかもこれだけ大きな声を張り上げれば、何を話しているかまではともかく、人がいることがいつばれるかわかったものではないだろうに。
これは叱らねばならないと思って近づくと、脱衣所の方から慌てて誰かが出てきた。しかもそれが黒髪だったので、かなりぎょっとした。
「マックオート!?なんでこんな所に?」
「ああ、あーえーシスターさん!!ちょっと立て込んでてですね!!俺もよくわからないけどえらいことになってます!!」
彼は非常に狼狽していた。まともに話が聞けなさそうだと判断した私は浴場に踏み込む。人影がいくつか見える。「何事ですか?」
ソフィアという女性の対処が冷静だったこと、私が間に入ってことによって
場はなんとか大事になる前に収まった。だが、色々と問題点はあるので、指摘していこう。
「状況をまとめて……そうだな。まず4人それぞれに言うべきことがある。
まずネイビー、勝手に黒髪を外に出すんじゃない。情報は伝わっていてもやはり黒髪を見るのは皆が動揺するんだ。
それから浴場の管理は本来私達の仕事だが、君の好意で当番を請け負ってもらっている。
負担を減らしてくれるのには感謝しているが、一度責任を負ったことは最後までやりとげるようにしなさい。
ソラと、ソフィアさん。人目を避けたいから正門ではなく裏手に回りたいと言う気持ちはわかる。
だが勝手に敷地内に入らないでくれ。泥棒じゃないんだから、それは誤解を招く行為だから。最後にマックオートは。」
「な、なんでしょう。」
「君はとにかく部屋から出るな。君に悪意がなくとも面倒なことになる。浴場にも入るな。
不潔なのが嫌ならあとで持っていくから濡れタオルで我慢しろ。」
「そ、そんな。ふ、風呂が遠のく……。」
みなが縮こまっている中で、彼は一層よよよと泣き崩れた。
……一段落したらソラの話を聞こう。
「ふー」
一息つく。
あの笛の音を聞いてからいろいろなことがあった。
謎の荒くれとの交戦。
惨劇の酒場。
リューシャとの再会。
負傷者の移送。
オシロとのチェス。
取りあえずクタクタである。
負傷者の片方はべトスコさんだという。
幸か不幸か。それは分からないが取りあえずしばらくは目を覚まさないらしい。
また、怪我とは別に重大な病気に罹っていることは看護師とオシロのやり取りから察することが出来た。
何にせよ、自分にできることはあまりない。
「…オシロくん出かけちゃったし、そろそろ私も宿に戻ろうかな。べトスコさんはしばらく起きないみたいだし」
「そうそう、えぬえむ」
帰ろうとしたところで、リューシャから声が掛かる。
「なぁに?」
「昨晩、魔剣を持った子が来てね。あなたのこと紹介しておいたわ」
「魔剣? まぁアイツなら興味持ちそうだけど」
「やっぱりね。で、その魔剣だけど、エーデルワイスと言って刀身は白くて―」
そこまで聞いてえぬえむはぱちんと指を鳴らす。
「炎と冷気の力を合わせ持ち、剣を抜くに人生の走馬灯を巡る」
「知ってたの?」
「アイツが探してた剣の特徴と一致してるわ…。探してる理由が『なんか面白そうだから』というのが物凄い癪だけど」
「とにかく、彼女にあなたのこと紹介しておいたから一度あってみたら?」
「うん。で、その人って?」
「"螺旋階段"のソフィア。街外れの塔で骨董屋をやってるそうよ」
「じゃ、機会があったら会ってみるわね」
取りあえず、クタクタである。
暖かいお布団が恋しい気分である。
今日の残りの時間はアルティアを撫でて過ごしたい。
そう思いながら宿への帰途に着く…。
(柵を越えたあたりから気になっていたけど、ソフィアって大きい……?)
ソラは自分の平坦な胸とソフィアを見比べながら困惑した。
教会の浴場は2人で使うにはとても広かった。ソフィアは浴場に入れることがわかってしまうとすぐさま服を脱ぎ、嬉しそうにお湯の中に入っていた。ソラはしばらく悩んだ末、帽子だけ残して裸になり、体についた汚れをさっと流してから浴場に飛び込んだ。
「フライングクロスチョープ!!」
ソラのダイビングの衝撃で浴場の水は波打った。ちょうどソラが飛び込んだあたりの水深は浅く、手を底にぶつけてしまった。
(この技は隙と負荷が大きすぎる、実践では使えないだろう……)
ソラはしばらく湯船に浸かり、体の疲れをを取った。
突然、脱衣所へと続く扉が開いた。ソフィアは湯を跳ね上げて立ち上がった。
「うぁ、す、すみません!」
「んなっ……マックオートさん?!」
「え?ソラちゃんにソフィアちゃん!?どうしてここに?」
マックオートとは一度仲介所で頼まれごとをした時に会ったが、こんな場所で会うとは予想外だった。そして自分たちが裸であることにハッと気付き、赤面して湯船の中に顔を沈ませていった。
「とにかく出てけーっ!」
「あばばば!?」
ソフィアはいつの間にか手に魔剣を持ち、それをマックオートめがけて投げつけた。剣はマックオートの顔に直撃し、彼はその場から逃げ出した。それを追うように、ソフィアは湯船から上がるとマントで体を覆い、短剣を構えて飛び出していった。
「ソラはここで様子を見てて。危ないと思ったら、さっきの隙間から外に出て」
「え、ちょっとソフィア、服は?!」
ソラの言葉が届く前にソフィアは駆け出して行った。
ソフィアがいなくなり、ソラは浴場で一人取り残されていた。
「やっぱり大きいなあ……」
ソラは必死に寄せたり上げたりしてみたが、揺れることはなかった。
「ん?」
ソラは窓の外から気配を感じ振り返った。だが、浴場から見える庭に人影はない。杞憂だったようだ。まあいい、ソフィアを待っている間少し遊んでいよう。ソラは浴場の中で手足をバタバタと動かし泳いだ。
しばらく経った後、ソラが浴場に駆け付けたシャスタから延々と長い説教を受ける羽目になったのは言うまでもない。
ダウトフォレストに関して、守られるべきだった「契り」がある。88年ごとに、更新されるべきだった盟約がある。
セブンハウス七家「ジフロマーシャ」のクックロビン卿亡き今、それは唐突に、南の農村部近くにあるセブンハウス七家「モールシャ」バーマン卿の管轄となった。バーマン卿はその相互不可侵契約の条件の履行、再契約を行う必要性に迫られていた。
邸宅の一室で、バーマン卿は悩み続ける。
「どうすればいい? どうすればいいんだ?」
バーマン卿は赤い絨毯の上を歩き回りながら、ずっと一つのことを思い悩む。
それはたった「88人」の犠牲者のこと。換算すれば毎年たった一人だけの人間を、生贄として捧げる行為。そのツケが、延々溜まっていた。契約の終わる88年後の今、88人にまで。
「一体私はどうすればいい? もはやお前の機転だけが頼りだ。私にはそんな数の犠牲者をかき集めるアイデアが無い。いや勇気すらない。リリオットとダウトフォレストとの間に、まさかこんな語るもおぞましい契約があるなど私は知らなかった。本当に何も知らなかったんだ」
「では張り紙を張り出しましょう」青年は提案する。
「張り紙? どんな張り紙だ?」バーマン卿は問う。
「第二次ダウトフォレスト攻略作戦。参加者急募。内容は約100名での威力偵察行為。前金、戦果に応じて賞与あり」
「馬鹿な……貧民ならまだしも……民間から……公騎士団やリソースガードから犠牲者を募れというのか?」
「ジフロマーシャ時代、このツケは溜まりすぎました。おそらくただの88人ではもはや足りない、許してもらえない。ダウトフォレスト攻略を意図する、ダウトフォレストへの『明確な悪意』を持った88人を贄に捧げなければ!」
「捧げなければ……どうなる? ツケを踏み倒すという方法だって無いわけでは……」
「捧げなければ、おそらくエルフたちが侵攻してきます。精霊武器を持たないとはいえ、精神感応網でつながった森の軍勢どもは侮りがたい。リリオットはたちまち戦場となるでしょう」
「私は……私は悪人にはなりたくない。悪人にだけは……」
「別にいいではないですか、バーマン卿。知り合いや同胞が皆死ぬというわけでもないでしょうに」
ラクリシャ家の末弟ムールドはバーマン卿の肩に手を置く。するとバーマン卿の全身が、びくびくと痙攣した。
「張り紙を……張り紙を張り出さなくては……」
バーマン卿の言葉は、思考は、スプーンを曲げるように、簡単に捻じ曲げられた。
そこから公騎士団病院までは、さしたる脅威もなく辿りつけた。
裏路地を選んだとはいえ、傍目にも重症の人間を二人に加えて、明らかに貴族とわかる女を担いで走っていたのだ。
敵との遭遇もさることながら、なんら関係のない市民や傭兵に見咎められなかったのは運が良かった。
なにはともあれ、プラークをダシに怪我人を癒師に任せる。
重傷者のついでに、目立つ怪我を追っていたダザも連れて行かれた。
リューシャにできるのはそこまでだ。
カフェテリアを兼ねた待合室で紅茶を啜りながら、リューシャもようやく、ほう、と息をついた。
紅茶の香りが肺を満たし、粘ついた戦闘の余韻を、血と煙のにおいとともに洗い流してくれる。
あとはベトスコ老と夢路の容態が安定すれば言うことはないのだが……
「ここの患者のほとんどは中流階級以上の方です。だから、私は精霊精製技師特有の病気についてはあまり詳しくないのです」
癒師の言葉によれば、怪我とは別に、ベトスコ老はなんらかの病を患っているらしい。
オシロはそれに察しがついたのか、青い顔をして、癒師に頼まれた調べ物に走っていった。
やることがなくなってしまったえぬえむも、宿に戻るという。
しかし、リューシャは去就に迷った。
オシロが去り、えぬえむが去った。
ここに残っているのは、リューシャと意識不明の重傷者が二名、暴れて麻酔を打たれたというダザ、そしてプラークである。
問題はプラークだ。
この女をどうするか。彼女が起きれば、なんだかんだと騒ぐことは目に見えている。
「……ダザに任せてばっくれようかしら」
その場合、ダザとプラーク、どちらが先に目覚めるかは運次第だが。
加えてダザには、説明を求められたところで何を言って何を言わないべきか、判断基準も情報もない。
これに関してはリューシャ自身が説明をざっくりと省いたので、恨み言をいう権利もなかった。
「……これはもしかして、ダザかプラークが起きるまで待ってなきゃいけない……?」
というか、プラークが先に目を覚ましたら、適当に言いくるめるのもリューシャの仕事になるのだろうか。
あのヒステリックな女を。一人で。
リューシャはかちん、とティーカップを置く。
癒師はダザについて、あと八時間は目を覚まさないでしょう、と言っていた。
八時間。
それより前にプラークが目を覚まさなければ、最長で八時間ここで待機。
――どちらにしても、とっとと逃げ出しておくべきだった。
リューシャはうんざりと溜息をつくと、とりあえず給仕に紅茶のおかわりを頼むことにした。
やってきた白髪のシスター、シャスタのとりなしによって、どうにかその場は収まった。
無断侵入についても、お説教だけで済ませて貰えたのは幸いだった。素直に反省するとする。……隣で一緒に延々と説教を受けるソラのしょげっぷりには、少し同情したが。
ひとまず服を着替えた後、私とソラは教会の隅の一室に通される。まずは詳しい話を聞きたいということで、シャスタともう一人、別のシスターも同室する。
「へくちっ」
くしゃみが出る。少し湯冷めしたかもしれない。やっぱりマント一枚で動き回るものじゃない。
もう一人のシスターがお茶を淹れてくれた。少し苦いが美味しいし、身体も温まる。
茶葉を分けてもらえないかな、と考えていたところで、さて、とシャスタが話を切り出した。
「それじゃあ、話を聞かせて貰えるかな、ソラ」
「うん……」
こくりと頷いて、ソラはここに至る経緯を語り始める。その辺りの説明は本人に任せる事にして、私は茶を啜りながら室内を見回す。
それほど大きな部屋ではないが、置いてある物も少なく手狭な印象はない。掃除は欠かされていないのか埃っぽさは無いが、生活感も薄い。普段は半ば物置になっているのかもしれない。
「……ん?」
ふと、私の視線が壁にかけられた一枚の宗教画に釘付けになる。
くい、とお茶を淹れてくれたシスターの袖を引き、小声で尋ねる。
「あの、すみません。あの絵に描かれてる人って……」
「ん?あぁ、あれは『ヘリオット』の少年時代の姿を描いたものです。ご存知ですか?」
「ヘリオット……ええ。親がヘレン教徒だったので」
ヘリオット。かつてヘレンの理解者として共に戦いながら、後に彼女を裏切った者。正邪様々に表現される、聖者にして逆徒。
宗教画に描かれているのは、ヘレンに忠実であった頃の彼を表した絵画。抜き放った剣を掲げる、純真なる白髪の少年。しかし私が目を奪われたのは、その少年にではない。
「……この絵を描いたのは誰か、分かりますか?」
「えっ?いえ、私は何も……教会の備品目録を調べれば、分かると思いますけれど」
「お願いします。どうしても、この絵について知りたいんです」
真剣な眼差しで訴える私に、シスターは戸惑いを隠せない様子だった。
絵画のヘリオットの持つ剣。その刃も、柄も、腰の鞘も、それらを染める純白も、全てが。
私が今手にする剣……追憶剣エーデルワイスと、寸分違わぬ外見だった。
オシロ。
13歳。男。
エフェクティヴに所属する精霊精製作業員。
両親はエフェクティヴとして要人暗殺のテロ活動の最中、
精霊爆弾の暴走を起こして、両名とも死亡。
暴走は多数の一般人犠牲者を出したが、最終的には事故として処理された。
その後、エフェクティヴ内部で処理される寸前に、老精製作業員ベトスコに引き取られる。
以後、精製技師見習いとして働き始めるが、
その心内には、精霊の暴走を根絶するという静かな意志があった。
オシロ7歳。それは今からちょうど6年前の出来事――。
図書館といえば、オシロには馴染み深い場所であった。
両親やベトスコは、オシロを学校へは行かせなかった為、
オシロは読み書きを一人、図書館で覚えるしかなかった。
しかしそれもずいぶん昔の話で、成長してからは顔を覚えられることを危惧して、
その出入りも固く禁じられるようになっていた。
(じーちゃんが病気・・・)
頼まれた本の内容を書きとめながら、オシロは呆然と先刻告げられた言葉を反芻していた。
基地の壊滅。
仲間の死。
祖父の病。
「勘弁してよ・・・」
思わず口から出た言葉だった。
だが、それに全く予期していなかった返事が返ってくる。
「なら、全部捨てちまうか?」
「え?」
声は、頭から外して、腰に巻いてあったポシェットから聞こえていた。
それはあの、パンジーの花弁を拾って、入れておいた場所だった。
「俺を取っておいたのは、まだ生きてるかもしれない、って思ったからだろ?
相変わらず、抜け目のない小僧だぜ。その通りだ。俺は死んでねえ。
ま、正確には、お前が手に取る直前に、俺が移動したんだが」
聞き覚えのある奇妙な響きの声、『常闇の精霊王』の声だった。
確かにオシロは、その滅んだはずの花弁をポシェットへ忍ばせていたのだが、
あまりにも反応がなかった為、完全に忘れてしまっていた。
「で、さっきの話の続きだが、
何も死にぞこないの老いぼれ一人の為に、わざわざ敵地に戻ることはねえ。
エフェクティヴとかいう、しみったれた組織か?も、
どうせ、どの時代でも腐るほどあるやっかみ集団だろうが。
そいつらが仮に政治転覆を成功させたとして、何をするかわかるか?
今の為政者と同じ事をするのさ。権力を囲い、文句を言う奴は皆殺し。
何てことはねえ、てめえが偉くなりてえってだけの話よ。
わかるか?こんな下らねえ奴らに付き合うこたあねえ。たった今、捨てちまえ。
かわりにお前には、新たなる視点をくれてやる。下らないものを下らないものとして廃絶し、
世界の森羅万象を、真に価値あるものとして愛でることができる玉座だ。
馬鹿な親、馬鹿な仲間、馬鹿な組織、馬鹿な政府、付き合ったって碌なことにはならねえよ」
聞こえてくる『常闇の精霊王』の声に、オシロはもはや笑うしかなかった。
「はは、さすが魔王だ。傷心に付け込むのがうまい。
不思議と、そうかもしれないと思えてくるよ。けど・・・、それはない」
「そうかい。まあ、気が変わったらいつでも言えよ。どうせ俺はもう動けねー。
余分の精霊力が底をついちまってるからな。お前次第だ」
存外、あっさりと引いた精霊王に少し拍子抜けしながら、
オシロは立ち上がって図書館の出口へと向かった。
(焦る必要はない、ってことか。いつか篭絡できる、と・・・)
笑えない寒気を感じて、オシロはその予想を肝に銘じた。
「ああ、それとな、オシロ。チェスくらいは鍛えとけ」
すっかり饒舌になった花弁が、ついでとばかりに声をかけてくる。
「なんでだよ」
「チェスの弱い魔王なんて、格好がつかないだろ?」
「知るか!」
外はもう、日が暮れ始めていた。
「わたしの名前は……そうねえ……あなたがヴァイオレットだから……ああ、ちなみになんでヴァイオレットかというと、菫(ヴァイオレット)ちゃんが暴力的(ヴァイオレント)だったら面白いかと思ってつけたのよ〜」
「すごい……それはすごい良いアイディアですね……。独創的というか……。それでは、満を持してあなたの名前を教えてくれると嬉しいんですけど……」
「あ〜〜名前を教えて欲しいんだったわね、ネーミング。ググッと、とにかく、くわしく、唇から、ラララ〜〜♪ わたしの名前は〜〜、えーと、何がいいかしらね〜。うーん、……そう。紫の淑女〜〜ホ〜リ〜・マゼンタ〜〜よ〜〜♪」
「まあ、なんともしりとりと歌がお上手で……」
噛み合わない会話を前に、頭痛を通り越して解脱の境地に至りそうだったが、
「おだてても銀貨くらしかでないわよ」
なんと銀貨をもらえたので、ふっと我に返った。
いけない、わたしが聞きたいのは歌じゃなくて、この状況だ。
「それで本題なのですけど。わたしの着ているこの服…というか、髪の毛も……もっというと皮膚の色も少し変わっている気がしますけど、これはなんなんですか? さっきの腕輪が関係しているんでしょうか」
「あら、冴えてるわね! 頭のいい子は好きよ〜〜。わたしより頭がいい子はそんなに好きじゃないけど。あなたは勉強とかロクにできなかった貧乏少女でしょう? だから大好きよ〜」
「その腕輪はとーっても高度な精霊加工品なの。『精霊皮(ホーリー・テクスチャ)』っていうんだけど、うん。でもやっぱりダサいから正式名称は『愛の調べ(ラヴ・ドレス)』なんてどうかしら? うん、それはそれでダサいわね。すみれちゃんは、どっちがいいかしら? あなた乾パンばっかり食ってそうだし、『乾パン一丁』とかの名前のほうがお好みかしら〜? あら、違うの? そうなの。意外ね〜〜、ウフフ。やだやだ、ちょ〜っとした冗談よ」
自分の言ってることが心底楽しいのだろう。マゼンタが話せば話すほどケラケラ笑いが増幅していくのだった。
「まあ、仕組みを詳しく言っても技術者じゃないあなたがわかるわけないし、簡単に言えば音声コードを入力すれば即座に人体の境界に極薄の装甲膜を展開する、戦闘に良し、変装に良し、特殊な性癖のかたにもウフフな、そりゃあもうフレキシブルな兵器なのよ〜」
「……そんな高価そうなものを、何故わたしに?」
「そりゃあ、今みたいに人をパクパク食べちゃう怪物を退治してもらうためよ〜」
何を言ってるんだこの人は。本当に話が通じない。
もういいからさっさと退散しよう。
「わたしにそんなこと出来るわけありま……」
――いや、待って。人を食う怪物?
もしも私がこの腕輪を得ていなかったら、その死に様は一体どうなっていた?
腕は噛みちぎられて、振り回された身体は擦り傷だらけになっちゃって。動かなくなったらはらわたなんかも食べられちゃって――、下半身なんてすっぽりなくなっちゃうんじゃないだろうか。
そう、今日病院で出会った兄のように。
あれ?
ttp://dl.dropbox.com/u/44192804/Twain.jpg
机一杯に情報誌、広報誌の束を広げる。黙々と目的の記事を探す。
《第八坑道、落盤事故多発》、《第八坑道、依然、採掘進まず》
、《第八坑道、封鎖決定》。
首を横に振る。この記事は何度も読んだ。
ここまでの情報も既に読んでいる。調べたいのは、封鎖が決定された直接の原因となった事故だ。
アスカの次の記事を探す手が止まる。
《第八坑道、沈没事故》、コレだ!
「……事故の絶えない第八坑道であったが、五日前、遂にこれまでにない大規模な事故が発生した。坑道内天井の一斉落盤。同時に、内部で広範囲の地盤沈下である。活動中の鉱夫の大多数が生きながら土砂に飲み込まれた。現在、坑道入り口の近くで活動していた鉱夫の半数は救助され、公騎士団病院、ヘレン教大教会、特殊施療院に回されるも、残りの犠牲者達の救助活動は依然進まず、セブンハウス・ジフロマーシャ家は事態の収拾までの第八坑道およびレディオコースト全体に対する一般人立ち入り禁止を命じた。第八坑道に至っては採掘所関係者も立ち入り禁止に含まれる。発掘された重傷者、死亡者は既に50を超えている。この数は恐らく、今後も跳ね上がると思われる。……うん、これ、だよー。」
しかし、アスカはまだ納得がいかない。予想以上だったが、酷い事故ということは知っている。太い手が、怪しげなゴシップ誌に伸びる。
《爆発事故の謎に迫れ!》、違う。
《あられ揚げの真実》、違う。
《リリオット上空に現れた謎の円盤》、違う。
《ダウトフォレストは存在しない》、違う。
《消えたあられ揚げ創始者、その完全犯罪と綻び》、違う違う。
《沈没事故の不透明さにおける疑念》。……読んでみよう。
「……第八坑道、沈没。多くの犠牲者を出したおぞましい事故であるそれは、余りにも不可思議な事象でもある。
誰一人として、生存者が当時の状況を語らず、沈黙しているのだ。街を離れ、足取りの掴めなくなった者も多い。セブンハウスによる、徹底した情報規制。これには、何か裏があるのではないか。事故から数年がたった今でも、依然封鎖は解かれず。多くの者が圧力をかけられたとの噂もある。とにかく、沈没事故の全容が余りに不透明なのだ。沈没事故、そのものが、本当に存在したのか?誰も語らないのではなく、語れないのではないか。例えば、この事件はセブンハウスによる、エフェクティブの大規模な粛清ではないかと筆者は想像している。救助も打ち切られた、埋もれた土砂の中、真実の光は未だ射さない、……ううっ!!」
アスカは、息を呑んだ。
「…………これ、だよー」
アスカは、納得のいく結論を探している。取っ掛かりを探している。
半月前、最後に会ったウロ・モールホールの言葉を思い出す。
「大規模な事故?俺が聞かされたのは事故が多発した、だ。この坑道に死者が居ないとはいわないが、俺が掘り返した土に含まれた骨なぞ、そんなにたいした量じゃあないぞ」
ふと、時計を見たアスカは、机の上を慌てて片付けて立ち上がる。
「もう行かなきゃ……」
振り返ることなく、午後の街へ走り出した。
やがて、若い騎士は――倒れた。
糸が切れた操り人形のように。
「人間から、精霊を……」
そう、私が見たのは確かに、精霊の光。
一瞬、少女の右手から溢れ出ているように見えた光は、
よく見れば、溢れているのではなく、
右手の翳された騎士の顔から「引き出されていた」と言った方が正しい。
「……そんな」
騎士は、死んでいた。
一体何が起きた? 分からない。
あの少女は何者だ? 分からない。
何故騎士は死んでいる? 分からない。
少女は何処へ行った? 分からない。
分からない。分からない。分からない。
パニックになったリオネは自動的に高速思考に切り替わる。
目の前で起きた事象は理解できない。
騎士は、自ら望んで"ああなった"のか?
そう、"ああなる"前には、にこやかに少女に話しかけていた。
少女と目線を合わせるために、屈んでいた。
少女も、特にそれを退けることも無かった。襲われる様子もなかった。
だからあれは「護身」ではない。
しかし、今の騎士の顔は……苦悶の表情で事切れている。
自ら望んで"ああなった"のならば、それはあり得ない。
あの光は精霊?
人から精霊を取り出した?
そんな現象は聞いたことがない。そんな技術は聞いたことがない。そんな能力は聞いたことがない。
嗚呼、でも、そんなことを考えている場合ではない!
とにかく、人を呼ばなければ!
「誰か! 誰かいませんか! 誰か!」
路地裏からリオネは声をあげる。
その声は、贖罪か、あるいは懺悔のように悲愴だった。
バキッ、パキッ、ボキッ、
「あ〜」
”許可がない人は絶対誰も開けないでね☆”と張り紙がされた部屋の中、マックオートは首を回していた。
ネイビーといっていただろうか、見張りの少女は叱られてごきげんななめである。
部屋から出るなと言われ、浴場にも入れなくなったが、代わりに濡れタオルが支給されるという。
あのシスターの名前はたしかシャスタ・・・
ドアが開いた。
「言っていた濡れタオルだ。」
「ありがとうございますシャスタさん!」
マックオートは両手をあげて無邪気に喜んだ。
「・・・メビエリアラ様が目覚めるまでもうしばらく待っていてくれ。」
対応に困るが、渡すものは渡したという顔でシャスタは出ていった。
「良かったじゃない、濡れタオル」
腕を組んで壁にもたれかかっていたネイビーがしゃべった。
確かに、本来なら濡れタオルさえもらえず、監禁状態でも良かった。
しかし、この濡れタオルも、手錠もかけられていない今の状態も、シャスタの配慮のおかげなのは間違いない。
黒髪人種を嫌う立場でいながら、これほどの事をしてくれるとは。マックオートは感謝した。
早く事情がハッキリし、ここから出られればなお良いのだが・・・
しかし、マックオートは漠然と思うものがあった。
彼女は自分のためにいろいろとしてくれている。しかし、自分はどうだろうか。
昔の事を思い出す。あの時自分は弱いためになにも出来なかった。守ることができなかった。
旅をする理由も残念だ。この剣の呪いを解く・・・それも、自分のためであって、他の誰かのためではない。
「あぁ、俺は・・・俺は・・・」
急に悲しい思いが胸を打ったマックオートは、手にとった濡れタオルを握りしめ、額によせた。
「ちょ、ちょっと・・・」
ネイビーは慌てた。イライラした態度で接した事に、少なからず後悔していたからである。
ともかく、今は時間が経つのを待つしか無かった。
ソウルスミスのクエスト仲介所に、大きな張り紙が一つ。
第二次ダウトフォレスト攻略作戦。参加者急募。内容は約100名での威力偵察行為。前金、戦果に応じて賞与あり 詳細はセブンハウス七家「モールシャ」バーマン卿まで
「あのダウトフォレストに挑むのに、たった100人? 自殺行為だな!」張り紙を見た一人の年老いた傭兵が、大声で言った。
「酒場の紫のガキの与太話を信じるわけじゃねえが、100年前に1000人で行って全滅したってのがホントなら、死にに行くようなもんだろう?」
年老いた傭兵は道化師のように、大げさに肩をすくめてみせた。
「だが時代は変わった。こっちには精霊武器があるんだ。ダウトフォレストがどうした! 古臭いエルフどもなんか蹴散らしてやる!」若い傭兵が応える。
別の傭兵が言う。
「どうだかな。エルフのほうでも戦略や戦術は進歩してるのかもしれん」
若い傭兵が言い返す。
「だったらなんで攻めてこないんだ? 俺たちにビビってるんじゃないのか?」
年老いた傭兵が呟く。
「まったく、近頃のガキは、『盟約』のことも知らんのか」
「『盟約』? 一体それがどうしたっていうんだ?」若い傭兵が無知をさらけ出す。
「大国グラウフラルが88年前に宣言した『終戦協定』だよ。周辺国との戦争を一方的に打ち切って、今後数十年だか百数十年だかは、軍拡せず防衛に徹すると誓ったんだ。一体誰に、何に賭けて誓ったのかまでは知らんがな。それで、ダウトフォレストからの侵攻も止んだ――」年老いた傭兵は言葉を切る。
「ダウトフォレスト『からの』侵攻?」周囲の傭兵が訊き返す。
「ああ、ダウトフォレストからエルフどもが這い出してきたことが、一度だけある――これは聞かなかったことにしてくれよ。リリオットに展開していたグラウフラルの軍隊の一部が、まるで見せしめのように皆殺しになったんだ。殺戮現場の目撃者は誰もいない。残っていたのは死体だけだった。そして、それは人間にはとてもできないようなむごい殺され方だった。だからエルフのせいだと――」
老兵が語り終える前に、ひとかたまりの公騎士団の集まりが、がやがやと音を立てて、クエスト仲介所に割り込んできた。ソウルスミスのクエスト仲介所に、ぴりぴりとした緊張感が走る。
一人の騎士団のリーダーらしき男が言った。
「ここに、ダウトフォレスト攻略作戦に名乗りを上げる者はいるか?」
リソースガードの傭兵たちは、互いに目配せをして、顔を背けて歩き去る。
「ふん! 腰抜けの臆病者どもめ!」
「……なんとでも言うがいいさ」さきほどの話を聴いていた、若い傭兵が呟いた。
「昔から言うじゃないか。『少しのことにも、先達はあらまほしき事なり』ってね」
「精霊を一言で言うなら、便利な落し物です」
「はぁ?」
図書館からの使いを終えたオシロは、
公騎士団病院の控え室で、なぜだかリューシャ相手に、
精霊の解説のようなものをする事態になっていた。
この街の外から来た刀匠を名乗る彼女は、
どうやらそれが目当てでオシロに協力していたらしかった。
さすがに疲労の色が濃くなっていたオシロだったが、
プラークが目覚めれば、ほぼ確実にエフェクティヴとして拘束される以上、
今以外に話せる猶予はないという結論だった。
「つまり、由来が何もわかってないって事です。
何故あるのか、何故動くのか、何故その性質があるのかさえ、未知なんです」
「だから落し物?」
「そうです。なので、基本的にはその扱いを知るには、経験が大きなウエイトを占めます。
その中で、一般に見い出される精霊の大きな特徴は二つあります。
人の精神に感応する事と、動力回路であるという事」
「動力回路?」
「動力を伴う回路。あらゆる精霊は動力を持ち、回路を持つという事です。
つまり、精霊に対して行えるインプットというのは、
原則的に、精神の力で動力を働かせるか、精神の力で回路を形成するか、だけです」
「ふーむ、なるほど。ちょっとイメージが湧いてきたわ」
「ですが、『精神に感応する』という性質は、便利なことばかりでもありません。
武器なんかだと敵の精神の影響もありますし、それでなくても、使い手の精神の乱れで、
いつ暴走するかもわかったもんじゃないです」
「確かにね」
「それを補うのが、精製の理由の一つって事です。
精霊は場所ごとに感応しやすさのムラが存在するので、
それを一度砕いて感応度別に分離した後、再び焼き固めることで、
一部以外の表面の感応度を低く覆ってしまう事が可能なんです。
それによって、その『入り口』以外からの操作を防ぐと共に、
感応のムラも均一にする事ができて、結果的に性能も上がります」
「ちょっと待って。精霊って砕いても再結合できるの?
それだと、いくらでも強力な精霊が作れちゃうんじゃない?」
「ところがそうでもありません。精霊は採掘時点で個別の塊として存在していて、
他の精霊同士は結合どころか、拒絶反応で連結も不可能なんです。
だから精霊は大きさによって、全く別の等級で売買されるんですよ。
記録では大戦時、リリオットで発掘された直径2メートル塊の精霊が最高だとか。
今でも王都の宝物庫で厳重に保管されてるって話です」
「2メートルか。そこまで行くと、もう完全に兵器ね・・・」
オシロはそこでわざとらしく咳払いをし、横でちょこんと座って聞き入るリューシャに、
申し訳なさげに説明を切り上げた。
「とまあ、こんな感じなんですが・・・、
はっきり言って、精霊の精製と武器加工は全くの別物なんです。
精製はあくまで精霊を使いやすくするまでの作業で、
そこからの回路造成や創意工夫は、個々の職人の間でしか伝わっていません」
「あ・・・、そう。まあ、そんな気はしてたんだけどね。けど、目ぼしい所はもう当たったわよ。
それで済んでたら、あんな危険な橋を渡る気も起きなかったでしょうけど」
「はい。たぶん、誰も喋らないと思います。
でも、エフェクティヴなら条件次第で何とかなるかもしれません。
ここからは、リューシャさん次第ですけど・・・。
エフェクティヴの活動や、その風当たりは、これから更に激化するかもしれません。
また、危険に巻き込まれるかも。
でもそれでも構わないというなら、職人街にいる僕の知ってる、
エフェクティヴの職人を教えます。会うのに必要な符丁も。
でも本当に会うかどうかは、リューシャさん自身で決めて下さい。
僕には、何も保障ができないので」
怒るのか、喜ぶのか、見つめるリューシャの目からは、
彼女がどう返事するか、その感情の片鱗すらオシロには読み取れなかった。
ダザは『泥水』に居た。周りは先ほどと同様、血の海だった。
ただし死体が違っていた。鉱夫仲間や親方、おやっさんに混じって
オシロ、夢路、マックオート、レストの昨日の連中も倒れている。
えぬえむ、リューシャ、教会の子供と修道女、先ほどの癒師、機構の先輩に後輩、街に住むいろんな人々。
ダザが今まであってきた人々の多くが倒れ、切り刻まれている。
「誰が殺ったんだ!?誰が!?」
と怒りに震えていると、ふと酒場に飾っていた鏡で自分の姿が見える。
ダザはそれにより、自分が血まみれで剣を持っていることに気づく。
「ま、まさか・・・。」
疑いながら鏡に近づく。すると鏡の中の自分が語りかける。
「戦闘への高揚感がヘレンだ、殺人によってヘレンへの扉は開かれるのだ!!」
鏡の中のダザは笑い出す。
一緒になって特殊施療院の先生の笑い声が響く。
「ダザ君。これがヘレンに近づくということだよ!」
ダザの義足が熱を発しだす。義足部分がどんどん体を侵食していく。
いつの間にか、正面に巨大な古ぼけたヘレン像が現れる。
ヘレン像はグラリと揺れて倒れてくる。
逃げなければ!
ダザは逃げようとするが、体が義肢に覆われ動けない。
ヘレン像はゆっくりと倒れてくる。その顔は微笑んでいたがどこか悲しそうだった。
・
「仕事に遅れる!?」
ダザはガバッと起き上がる。辺りを見渡すとここは病院の治療室だった。
そういえば、他に襲われている人が居るかもしれないと戻ろうとしたら
黒髪の癒師になにか打たれて・・・。
何か夢を見ていた気がするが、思い出せない。昨日、今日といろいろありすぎて疲れたんだろう。
時計を見ると、あれから8時間経っている。恐らく事件も沈静化しているだろう。
助けられる人がいたかもしれないが、もう遅い。
ダザは歯軋りをし、立ち上がる。
もう、自分に出来ることがないことを察したダザは、本来の仕事に戻ることにした。
丁度、ジフロマーシャの夜勤が始まる時間が近い。昼の仕事が出来ず、レストの依頼書は探せなかったが仕方ない。
治療室から出ると、あの黒髪の癒師に出くわした。
文句を言ってやろうかと思ったが、治療してくれた恩もあるためとりあえず礼を言う。
「それで、他の2名は・・・?」
ダザが夢路とベトスコの安否を確認すると、癒師は容態を説明してくれた。
夢路は命に別状はないが1週間は目を覚まさず、ベトスコは、損傷以外に別の病気も患っているらしい。
しかし、ダザには何も出来ない。だから癒師にお願いするしかない。
「二人をよろしくお願いします。」
ダザは癒師に頭を下げて、待合室に向かった。
それからより一層勢いを増して、一つ、また一つとビスケットの山を崩して行くカラスの姿をしばらく眺めていたが、山がついに平坦になりかけるとそれを止めて、私は話を切り出した。
「率直に申し上げますと、私は貴方を雇いたいと考えているんですよ」
カラスがビスケットを運ぶ手を止めて、此方をじっと見つめた。
「ええっと、雇う、と言いますと」
「カラスさん、貴方はこの町の不穏な空気や、噂なんかを既にご存知のようですね」
カラスの瞳に物悲しさが灯るのが解った。
「この時計館は私と、私の仲間達でひっそりと営んできたものです。今は度々此処を訪れてくれる、素敵な友達さえ居ます。退屈もありますが、しかしすべて私の愛したものたちです。……それでも、我々は武力には脆く、それらの脅威から身を守るすべを持ちません。この歪んだ空気の中では例え何が起きても、まぁ、誰も嘘とは言えないでしょうな──しかし、貴方の話を聞いたり、その身体つきを見れば、どうやら貴方の力は確かな物らしい」
私は椅子を鳴らして席を勢いよく立ちあがり、上半身だけ机に乗り出す姿勢を取ると、少し大きめの声を出した。
「カラスさん、貴方には、私の愛するものたちを守って頂きたいのです」
此処までを私が一度にまくし立てたものだから、私が急に言葉を噤んでからも、少しの合間、カラスはぽかんと口を開けていた。それから私の話した事をようやく呑み込めたと見えて、慌てて喋り出したものだ。
「な、なるほど。守る、と……って、もしかするとそれは護衛の依頼、なんでしょうか。しかし戦闘には許可が……ああ!」
何か事情があると見えて、カラスはおぼつかぬ様子で物で何かを言いかけては、言葉を詰まらせるという事を繰り返していたが、ふいに部屋に響いたノックの音にやり取りの手は止まった。
私が扉の方へ身体を向けて、入るようにと声を投げかけると、間もなく「失礼します」という返事が聞こえて、銀のトレイを持った、背の高いお仲間と太ったお仲間が部屋に入ってきた。
彼等の持つトレイの皿にはそれぞれ、狐色のターキー、ボロネーゼ・パスタ、舌平目のムニエルや、ウミガメのスープ、クリーム・アイスのクレープ、それからベリーソースのケーキ、計6品の料理が乗せられていた。それらは部屋に良い匂いを振り撒きながら、テーブルまで運ばれてきた。目の前に手早く並べられる料理の数々を、カラスは目を丸くして見ていた。
私は彼らの料理を並べ終るのを見終えると、カラスへ声をかけた。
「これらは話に付き合って頂いたお礼です。宜しければどうぞ、お腹一杯召し上がって下さい。腹が減っては馬、角を生ずとは、確か東の国の諺でしたかね。まぁ、依頼の件は良くお考えになさって下さい。もし考えて下さるのならば、いつでも時計館へ御出でになって下さい。願わくば、良いお返事をお待ちしていますが……」
時計館での、今までを忘れるような一時。
館の主人のサルバーデルは、自分を雇ってくれると言っていた。
カラスは迷った挙句に曖昧な返事をして、館をいったん後にした。
煌びやかな調度品に、豪華な食事、優しい言葉。
そこを出れば、また乾燥した街の姿に戻った。
それから翌日のことだった。
「お〜、お〜、そこの、そこの」
身体の大きな男が話しかけてきた。
彼はとてもがっしりとした姿であり、何らかの肉体労働者であることを示していた。
カラスはそれに応じた。
「あ〜、ボウズ!」彼は呼びかけた。が、カラスは否定した。
「私は坊主ではありませんよ」「お〜、ボウズボウズ!ボウズボウズ!」
カラスの話は聞いていない感じがする。
「聞いてくれよなあ、ボウズ。俺あ、つい最近〜、とても悲しいメにあっただあ」
カラスは逃げようと思ったが、そのまま彼の話を聞くことにした。
「お、おお、俺あ、生まれてきでからずっと、悪いことばっかあ、してきただあ」
彼はまるで舞台に上がった役者のように話した。
その間、カラスの相槌はことごとく打ち消された。
「ああ、たっくさん、盗みをしただ。たっくさん、ケンカもしただ。
たっくさん、殺しもやっただ…」
カラスの目は曇った。
「そしたらな、ボウズ。最近な、俺あのワル仲間がドジって殺されちまったんだあ。
悪いこどするつもりだったがよ、返り討ちにあってな、輪になって囲まれて殺されたんだあ。
ワルより悪いやつに引っかかっちまったんだ、そうすっとワルもな、どうしようもなんねえんだな…」
大男の目には涙が浮かんでいるようだった。
「ワルだったけどよ、いい友だちだったんだあ。盗みも殺しもしたけどよ、俺あにはちゃあんと優しかったんだあ。
だがな、ワルは結局…最後にいい死に方をしねえんだあ。俺あがぶっ殺したやつらもいい死に方じゃねがっただ」
「もし、俺あたぢがワルじゃなかったらと、ふと考えるだ。い、今からでも、遅くはねえ。
俺あだけでもアシを洗ってよ、もう一度考えるんだあ。
ボウズ、俺あ、出家してな、ヘ、ヘ…ヘレン様にお使えしてえと思ってるだ。
俺あ、頭悪くてワルになってたけどよ、今度は生まれ変わりてえだよ…。
ヘ、ヘレン様ならワルだった俺あでもよ、や、や、優しくしてくださると思ってなあ…」
「そうですね…ヘレン様ならきっと、あなたのことを受け入れてくださるでしょう」
カラスは大男の話を全て聞いて、穏やかな顔を見せた。
「お、おお!ヘレン教会のボウズ!ボウズ!出家させてくれええ!」
「ま、待ってください。私は僧侶ではありませんので、教会に案内するくらいしかできませんが…」
「おおおお!ボウズボウズ!ボウズボウズ!やっただああ!」
「うええん、話を聞いて!」
その後、カラスはヘレン教会に新しい信徒を連れて行った。
彼の決心を聞いて、カラスもまた心を決めることにした。
夕べの散策は、往路と帰路では異なる経路を通ることにしている。
往きには、サジェの手綱を引きながら木々の変化を観察しつつ歩く。帰りは背中に乗り青い丘の上を一気にかけぬける。丘はリリオット家の敷地だ。しかし当主であるリリオット卿が、夕焼けの頃にドド、ドド、と丘を疾走する彼の姿を風物詩として愛しており、咎められることはない。
「よし、よし、サジェ」
彼は鞍から下りた。ほほを汗の雫が伝う。白いシャツが透けて肌に張り付く。
「今日の走りは最高だったよ」
愛馬の顔に触れてキスをする。それは馬にとっても大したご褒美であるらしく、嬉しそうに主人の首を舐めた。くすぐったさに身をよじる。
「さあ水をあげよう」
息を整えながら手綱を引く。
よく冷えた水を井戸から引き上げると、バケツごと馬に与えた。
ゴクゴクと勢いよく水を飲む愛馬の姿を見ながら自分も腰掛けて休む。
と、よく知った足音が聞こえてきた。
「やはりここにいましたか、坊ちゃま」
「ただいま、パシア。んん」
彼は石垣に腰掛けたまま手を伸ばすと自分の執事にもキスをした。それから執事は一歩ひいて、
「・・おかえりなさいませ。どこへいらしていたか存じ上げませんが」
「パシア、新しい厩務員の給料を上げておいて。仕事が丁寧だし馬のことをよく見ている。」
「それどころではありませんよ、坊ちゃま」
「なに?」
青年は髪を掻いて執事の顔を見上げた。どう伝えるべきか迷っていた執事であるが、彼の瞳は事態を率直に述べるように求めていた。
「クックロビン卿がお亡くなりになったそうです。」
その知らせを聞いて、彼の顔から笑顔が消えた。
「・・・・おじさまが?」
「本日のことです。」
「まさか。」
「お察しします。卿は坊ちゃまを大層可愛がっておられた。明日、ジフロマーシャ邸で告別式が。ラクリシャからは御当主とムールド坊ちゃまの二名が出席する手はずになっております」
「ああ…わかった。」
主人は俯くと苦しそうに答えた。執事は主人を慰めようと思ったが、言葉が見つからなかった。
「坊ちゃま・・」
馬の毛を撫でながら命じる。
「パシア……少し一人にして。」
「わかりました。」
青年は立ち上がった。
夕闇が町を覆っていく。この町が本当の姿を現そうとしていた。
事情聴取を終えた後、私は教会の中庭で休息を取っていた。
ソラの保護は問題なく行われるようだし、今後の彼女の安全については、この教会の人達に任せて大丈夫だろう。
だがソラに濡れ衣を着せた相手に、エーデルワイスと同じ魔剣を持つヘリオット……調べたいことがまだ残っている。
しかし、それをさて置いても今は少し休みたい。昨日から色んな事がありすぎて、精神的に疲労しつつある。
(もうちょっと、物事に対して手を抜くって事も覚えた方がいいのかなぁ……)
20年生きてきて身に付かなかった技術なのだから、今後の習得は絶望的かもしれないが。
ふぅ、と溜息を吐きながらベンチに座り、んーっ、と背を伸ばす。そのままぐったりと背もたれにもたれかかっていると、逆さまになった子供の顔が見えた。
「おねーちゃん、つかれてるの?」
「……ん、ううん、大丈夫だよ」
正しくは、もたれかかっている私の頭が逆さになっているだけだった。身体を起こして、気遣わしげにこちらを見る子供に微笑んでみせる。
どうやらこの中庭は、教会で暮らす子供達の遊び場になっているらしい。騒がしくも楽しげな子供達の様子を、私は目を細めて眺める。
「ね、おねーちゃんもいっしょにあそぼ?」
「私?うん、いいよ、遊ぼうか」
私はひょい、とその子供を抱き上げて、そのまま肩車する。急に視野の高くなった子供は驚いたようだったが、すぐにきゃっきゃとはしゃぎ始める。
「ほーら、ぐるぐるー」
「ぐるぐるー!」
肩車したままその場で回ったり中庭を歩き回ったりしていると、ぼくもわたしも、と他の子供達も寄ってくる。この子達全員を相手するのは骨が折れそうだが……気分転換には丁度良いだろう。
「よーし、ソフィアお姉さんと鬼ごっこする人っ。鬼の人は肩車したげるよー」
「わーい!」
※
幼い頃は丁度こんな風に、みんなで両親に遊んでもらった。
"父さん"や"母さん"は、私みたいな孤児を大勢拾って育てていた。
白い髪、金色の髪、そして黒い髪、いろんな姿の子と私は一緒に暮らした。
ヘレン教の教師だった二人がそれを行うのは、実はとてもすごい事なのだと後に知った。
優しい二人が、あの頃の私の一番の誇りだった。
そして、大好きだった優しい私の両親は。
信じ続けたヘレン教にも、救い続けた黒髪にも、拒絶されて、死んだ。
リューシャが待合室に居ついているうちに、オシロが図書館から帰ってきた。
オシロは大事に抱えたノートを黒髪の癒師に手渡して、くれぐれもじーちゃんを頼みます、と頭を下げる。
できる限り、と答えた癒師が去ると、リューシャはその場に残ったオシロを手招いた。
「おかえりなさい。……疲れているところ悪いんだけど、君に聞きたいことが山ほどあるの」
すでにえぬえむが宿に戻ってから三時間が経過しており、リューシャは完全に暇を持て余している。
ダザもプラークもまだ目覚めていない今、ここでオシロを逃す手はない。
リューシャはオシロにも紅茶を注いでやり、さあ、と精霊について聞き出しはじめた。
ずいぶん身に染みついた技術なのだろう、オシロの語り方には淀みがない。
しかしリューシャは、眼前に展開される精霊の精製技術を噛み砕きながら、どこかで違和感を覚えてもいた。
何故あるのか、何故動くのか、何故その性質があるのかさえわからない。
精霊。もとよりずいぶんファジーな命名だとは思っていたが。
「これは技術というより、むしろ……」
精神の力で動力を働かせる。回路を形成する。それは魔法と同じではないのか。
もちろん、エフェクトの発動に求められるものは置換されている。才能の代わりに加工技術を、媒介の代わりに精霊を。
精霊の精製加工を純粋な技術と呼べるかどうかは、リューシャの感覚から言えば微妙なところだった。
「どうしたんですか?」
「……いえ、気にしないで、続けて」
オシロは、リューシャにその気があるなら、エフェクティヴの技術者を紹介してくれるという。
昨日までのリューシャならば確実に迷わなかっただろう。が、精霊について知った今は違う。
リューシャの造る凍剣は、ただでさえ癖が強い。
シャンタールを極北として、精霊を付加するまでもなく主の精神にひどく敏感だ。
「……でも、そうね。どうするにせよ、選択肢は多いほうがいいわ」
リューシャはしばし考えたが、結局、職人の名前と所属している工房、身内を示す符丁を聞き覚えておくことにした。
それらをしっかりと記憶に刻むと、リューシャはオシロに向きなおる。
「ありがとう、オシロくん。……これでわたしの用は終わったけど、君はこれからどうするの?」
「え?僕は……って、どういうことですか?」
「プラークはまだ起きてないもの。逃げるつもりなら今のうちよ」
プラークが目を覚ませば、病院から動かせない二人やダザはともかく、オシロを確保しない理由はない。
「でも、僕はあの基地以外に行くところなんて……じーちゃんだって置いていけないし」
そう言って目を伏せるオシロに、リューシャはふむ、と頬杖をついた。
「……行くあてがないなら、わたしの泊まってる宿に来る?
近日中に精霊の精製を直に見せてくれるなら、当面の宿代を出してあげてもいい」
どうする?今度はリューシャがそう問う番だった。
図書館を退出後、走りながら、アスカは思考する。
当時の第八坑道について詳しそうな者に話を聞き直そう。
当時の鉱夫長、そして搬送先となったはずの病院や、特殊施療院、ヘレン教大教会。
セブンハウスによる情報規制が存在するのであれば、犠牲者遺族であっても碌な情報を得られそうにない。
あの男気のありそうな鉱夫長ならばどうだろう。アスカが母の子として挨拶をしに行った際、彼は沈痛な面持ちで労いの言葉と謝罪を告げた。
もっと深く胸の内を突けば、真実に至る情報を教えてくれるかもしれない。
このまま鉱夫達の集まる場所まで行ってみようかと足を運んでいる最中、路地裏から助けを呼ぶ声が聞こえた。悲痛な、それも、最近聞いたことのある声だ。
これで今日、何度目だったか。アスカは腕を顔の前で交差して、突撃体勢をとり、路地裏へ。
そこにいたのは、緑のドレスを着た女と、倒れ伏せた公騎士の男。
「誰か!」
「だよー!って、リオネちゃん、だよー?」
「あ、アスカ!?・・・あぁもう、丁度いいところに来たわ!」
四つの手で、アスカの服を掴んで問答無用で引き寄せる。
その表情には何処か、焦りと興奮が見受けられた。
「ど、どうしたの、だよー?」
「アスカ、今、大丈夫かしら?大丈夫よね?彼を運ぶのを手伝って!」
「彼?リオネちゃんの彼氏さん?ふぇ!?息してない、だよ?」
「事情は後で話すわ!人目につく前に、早く移動しましょう!」
「う、うん、わかった、だよー!ちょっと待ってて!」
*
メインストリートへ走り出したアスカが戻ってくると、風呂敷代わりになりそうな布を露天商人から譲り受けて持ってきた。
それで男を包み隠し、すっと片手で持ち抱える。
どこへ行こうか。取り合えず、宿か?《花に雨》亭か?
「お客様!目的地は何処までですか、だよー?」
尋ねられたリオネは、思考を高速活動させた。
シャスタの説教が一段落した後、礼拝堂に場所を移して今回の経緯をソラは話し始めた。
フェルスターク一家殺害の事件があった時、自分がそこに出入りしていた覚えはないということ。いつも掃除の仕事を与えてくれた騎士、ハス・ヴァーギールの動きがおかしいとソフィアが言っていたこと。街で追ってきていた公騎士達がペルシャ家の騎士達であったこと。あられ揚げの味付けについて。もし教会にはいられなくなってしまった時のために、リソースガードのヒヨリという女性にも救援の手紙を渡していること。
「それで、これからどうすればいいんだろう……。犯人の目星もないし……」
一通り語りを終えてソラは息をついた。
「ここで暮らすかい?ソラさえよければ、いつまでもここにいたっていい。子供達もソラがいれば喜ぶだろう」
シャスタは優しく、ソラに問いかけた。
「う〜ん……」
ソラはシャスタから差しのべられた手を前にして悩んでしまった。これが私の望んだ答えではなかったのか。反射でステンドグラスを仰ぎ見るが、空に薄い雲がかかり、外からの光がほとんど入ってきていなかった。ステンドグラスのヘレンもまた、ソラの問いに対して沈黙していた。自分の心がわからない。心に一つ、壁があるみたい。
その悩みの答えは、外からの音で後回しにせざるを得なくなった。
石畳を打ち鳴らす蹄鉄の音、馬の嘶き、十を超える金属具の足音。全てが礼拝堂にまで聞こえてくる。
「大変です!武装をした公騎士団がこちらに!入り口の開放を求めています!」
「なんだと!」
シャスタは命令を飛ばす。
「シスターの皆は子供達を安全な場所へ、メイビーは他の者達に通達を!ソラも安全な場所に隠れているんだ!」
ソラは頷き、咄嗟に礼拝堂の教壇の裏に身を潜めた。
教会中が騒然とする中、礼拝堂の入り口が勢いよく開かれ、騎士達がなだれ込んできた。先頭には赤い鎧に身に包み精霊武器のランスを持った通称『焔の騎士』が、その後ろにはソラを追っていた騎士達5人と騎士ハス、そして彼等に雇われた傭兵達が十名ほど。
焔の騎士が無言で目配せをすると、ハスが一歩前に出た。
「我々の要求は一つ、この教会に匿われた罪人を引き渡してもらうことです。もし従わなければこの教会がどうなるか、察しの良い方ならばわかるでしょう。……もっとも、あなた方の答えを聞くまでもなく、この教会の運命は決まっていますがね……」
ハスはニヤリと笑みを浮かべた。