『彼女の瞳は恐れも憎しみも怒りも有りはせず、
ただ、千夜の果てに澄み切った
満月のように輝いているのだとも言われる。
私達にはヘレンだけが本当の価値だ。
彼女以外のものに意味などない。』
何度も読み返した文庫本は、
赤茶けた表紙も、黄ばんだページも
端がすりきれてぼろぼろになってしまっている。
彼女以外に価値などない、と言う。だけれども。
※
「しゃすたせんせーみてー」
「……うん?」
文字をなぞりながら考え事をしていたら、
孤児の一人に話しかけられた。
「きょうのおめんは
「核シェルターのドアの一部」を
さいりようしたものです!
きけんぶつまーくがよくできました!」
「うん、上手だよ」
「でしょー?!」
最近ここに来た金髪の子だった。
事故で顔にかなり酷い傷があるせいで、
いつもは表に出たがらず内気なのだが、
こういう工作の時間は大好きのようだ。
紙粘土でつくられたお面は、よくできていた。
「せんせーこっちもできたよ!!
すっごくぜんえいてきなけんができた!
やばい!!せかいがしんかんする!!」
それを皮切りに一斉に子供達に呼ばれる。
最近彼らの間にはごっこ遊びが流行っており、
工作も勇者の剣や賢者の杖などを模した物が多い。
……やはり他のシスターだけでは
元気いっぱいの彼らの相手は間に合わないようだ。
私は持っていた本を傍らに置いて、立ち上がった。
「いまいくよ」
※
ヘレン教は至高の戦乙女ヘレンを崇拝している。
「ヘレンの強さ、振る舞いこそは絶対だ」と。
私は、彼女の強さに憧れている。
けれども私では彼女どころか
あまねく猛者達の技術に追いつくことすら叶わない。
いつからかそう思うようになってしまった。
インカネーションに一度供をしてからはなおさらだ。
孤独で美しい強さに追いつくことのできない私は、
せめて、このか弱き人々を護って、癒してやりたかった。
身寄りのない子供達、身を守る術のない女性、
身体を欠かした者、あるいは力を失った老人達、
誰かを頼るしかない人だってたくさんいるのに、
この発展と欲望を求めるだけの街の環境は厳しすぎるのだから。
だが考え直してみると、
そのためには、やはり強くならなければいけない。
「ヘレン、あなたは今、どこにいるのか」
私達が、いつも問いかける言葉だ。
[補足事項]
リリオット北側の郊外に存在するヘレン教の教会。
名前や通称はまだ(決めて)ない。
孤児院なども兼ねて住んでる人もたくさんいるのでけっこうでかい。
年周期で迫害されたりする集団の施設が
街中にどーんとあるのもおかしいかなと思ったので、
(インカネーションの基地は街中にこっそりあるかも)
買出し等の交通の便は不便になりすぎない程度に離れ、
なおかつ知らない人々の目にはあまりつかない程度の位置にあり。
なんというか閑静な住宅街に紛れてる感じ。
子供やよわっちそうな女性や病人怪我人ご老体などが
駆け込めば助けてもらえるかもよ!やったね!!
ただし黒髪種族はノーテンキューだ!!
丘の上の古城に、魔法使いが住んでいるという。それは語り尽くされた御伽噺。
月初め。いつものようにウォレス・ザ・ウィルレスは丘の上の古城から市街地に
下りてきていた。精霊採掘都市リリオットの中心街、今風に言うなら「郵便局」に
出向き、偽名「ヘリオット」名義の私書箱を確認する。そこには毎月、ウォレスが
所属する組織インカネーションからの指令が送られてくるのだ。
今回は、何の変哲も無い封筒が一通。ウォレスは封を破る。
「f予算を狙う輩を打ち倒せ」それはおよそヘレン教らしくない指令だった。
ウォレスは、弱者救済を謳うヘレン教ならば、いずれ「f予算を手に入れろ」との
指令が来るだろうと思っていた。だが、そういうストレートな指令は来なかった。
つまり、この指令には教団上層部の苦渋の決断が、「裏がある」ということ。
ウォレスは勝手にそう判断する。そう判断しろと命じられたのだと諒解する。
「やれやれ。ターゲットすら不明のままに『打ち倒せ』ときたか。今回はだいぶ
めんどうなことになりそうじゃのう」
「馬要らずの馬車」とはまたすばらしい。
馬を飼わないから費用が安い。費用が安いということは、運賃も安いということだ。
おまけに、馬の機嫌や天候に左右されない安定した走りを実現している。
馬車の運転手も、馬車に行き先を命じるだけで勝手に動いてくれると絶賛していた。
運転手とチェスを楽しみながら「馬要らずのナイトです」と駒を配置しないジョークをされた時には
思わず腹を抱えて笑ってしまった。
精霊都市リリオット・・・
そこには他にも、精霊技術による便利なもので溢れているという。
マックオートはそれを目的にやってきた。
背中に携えた大剣の存在を確かめ、馬車を降りた。
リリオットを訪れる者たちは、幾つかの宿を、主に懐具合によって選ぶ。
リューシャもまたそれにならって、その内のひとつに身を寄せていた。
据え付けられた机に灯をともし、開いた手紙に綴られた几帳面な文字の並びを眺めて、リューシャは微笑む。
見慣れた文字だが、改めて見るのは数カ月ぶりになるだろうか。
故郷に山積した依頼を放置してリリオットに腰を据えてからしばらく経つ。
所在は知らせていなかったが、ヴェーラは探し当てたらしい。
幼馴染でもある秘書は、もったいないほど優秀だ。
ソウルスミスの支部を経由して届けられた書簡には、なんだかんだと文句を言いながらも、リューシャの身を案じる色が端々に見えた。
幼馴染として長く共に在ったせいか、ヴェーラの考えていることは手に取るようにわかる。
ヴェーラもまた、そうなのだろう。
リューシャはペンを取り、便箋を前に少しだけ考えこむ。
*
久しぶりの連絡になって悪いと思ってる、……なんて書いても信じてもらえないと思うから正直に言うよ。
わたし、もうしばらくそっちには帰らないつもり。
リリオットの精霊技術は面白いよ。今、すごく楽しい。
できるものなら、自分の剣にも精霊を宿らせてみたいくらいだ。
精製技術なんかの関係は企業秘密や秘法の類も多くて、部外者のわたしにはなかなか底が見えないけどね。
一般公開されてる鉱山やギルドの見学ツアーはひと通り見て回ったから、今はこれからどうするか考えているところ。
依頼のほうは、きみに任せておけば安心だと思ってる。
適当に、うまく処理しといて。
Lyusya
*
書き終えた手紙を閉じるべくペンを置きかけて、ふと思い直す。
サインの前に一筆、「愛をこめて」と書き足した。
そして、今度こそ便箋を折りたたむ。
「……とりあえず明日はソウルスミスの支部に寄って……それからどうしようかな」
リューシャは笑って、ランプの灯を消した。
深夜過ぎの暗い裏路地に数人の男たちが集まっていた。
「約束の品だ」
「確かに・・・」
約束の品とやらを確認した男は、相手に大金が入ったケースを渡す。
おそらく、公に出来ない闇取引だろう。
近年の抗争激化によりこのような取引は増えている。
違法改造の武器や不正規の精霊、秘匿されている情報など様々なモノが取引されている。
取引が終わり男たちが解散しようとした時、物陰から枝の折れる音が聞こえた。
「誰だ!出て来い!」
出て来いと言われて素直に出てくる馬鹿はいないが、恐怖のあまりか物陰から男が怯えながら出てきた。
男はツナギ姿にブラシをもっており、おそらく清掃員だと思われた。
「す、すみません。仕事が遅くなって、帰っていたら話し声が聞こえて・・・」
と、清掃員の男は言い訳を始める。清掃員も深夜残業とは世知辛い世の中である。
しかし、深夜に怪しい取引をする連中に言い訳は当然通じなかった。
「話を聞かれたなら仕方がない、殺れ!」
リーダー格の男がそう言うと、部下の男たちは銃を構え一斉に撃ちだした。
ここリリオットは精霊採掘で栄えた街である。
しかし、その豊潤な資源を巡る組織間の争いは絶えず、
抗争で一般人が巻き込まれることも少なくなかった。
銃声は数発で終わった。
一般人相手に貴重な銃弾を大量に使うのは勿体ないのである。
銃を撃った男たちも、数発撃てば相手を十分殺せると思っていた。
しかし、清掃員の男は死んでいなかった。
それどころか、外傷もなく平然と立っている。
清掃員は、自分に向けて撃たれた銃弾を避けたのである。
しかし、多方向からの銃撃を全て避けることは出来なかった。
避けれなかった銃弾は、全て弾かれていた。
清掃員が持っていたブラシによって。
カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ、カチャリ……。
リソースガードのクエスト仲介所は今日も人が溢れていた。その待合テーブルの上に硬貨の塔が建設されている。建設しているのは黒髪ツーテールの女だ。
「……ふう」
カチャリ。女は細い指でコインをつまみ、慣れた手つきで硬貨を乗せる。小さな音とともにまた一つ塔が高くなっていく。
女の名はヒヨリ。ヒヨリは硬貨を積み重ねるという奇妙な趣味から、別名“コイン女”と呼ばれている。仲介所の人々はそんなヒヨリの行動に慣れているのか、それを気にとめるものはほとんどいない。
ガヤガヤとした喧騒の中、仲介所の外からクエストを終えた傭兵が帰ってきた。その緑髪の傭兵は僅かだが腕に傷を負っていた。ヒヨリは硬貨の塔を作るのを中断して、その傭兵に歩み寄る。
「その傷を私に癒させてくれませんか?その程度の傷なら治療代は結構です」
ヒヨリは精霊駆動技術を利用した回復魔法の使い手だ。その腕前はリリオットでも指折りである。
「……ですが、傷を治した記念に銅貨を一枚頂けないでしょうか?それが私の勲章なのです」
こうして、硬貨の塔は今日も建築資材を増やしていく。
板張りの床に、朝日が落ちているのを見て目を覚ます。
オシロは倒れるように床に眠っていた。
村外れの崖に掘られた横穴に、
半分埋った小さな木造小屋がオシロの仕事場だった。
「あと二日か・・・」
任された精霊の精製期限を一人ごちて、オシロはのろのろと食糧庫へ向かった。
精霊の精製。
それは採掘された直後の精霊に、
使いやすいよう前処理を施す作業のことを指す。
精製前の精霊は、精製作業者の間で俗に粗霊(アラレ)と呼ばれ、
一般に流通する精製済みの精霊とは区別された。
公式の精霊販売元であるソウルスミスは、一定の精製品質を保証していたが、
それだけに精霊の価格は貧困層に容易に手が出ないものとなっており、
持たざる彼らが手にできるのは、非合法な入手手段による粗悪な粗霊(アラレ)に限られた。
必然的に貧しい者は、精霊の精製を自身の手で行うことになる・・・。
食糧庫へ行く間にある、もう一つの作業小屋から人の気配を感じて、
オシロはわずかに足を止めた。
「じーちゃん、朝飯取ってこようか?」
「ああ、頼む」
小屋から返ってきた返事は、いかにも疲労困憊した老人の声だった。
オシロの育ての親であり、精霊精製の師でもある、老精製技師ベトスコである。
「年なんだから、ちょっとは寝ろよ」
「ああ」
気のない返事の後、微妙な間を空けてベトスコはもう一言付け足した。
「寝てるよ」
ハァ、と呆れながらオシロは足を進めた。
オシロが所属する反体制組織、エフェクティヴでは、
配給制による構成員の最低限の食事を保証していた。
オシロやベトスコが使っている作業小屋もエフェクティヴの提供物である。
「イモ茎、イモ茎・・・、豆パン、豆パン・・・」
鼻歌のような独り言を呟きつつ、古びた棚から二人分の朝食を取り出していく。
「おはよう」
突然背後からかけられた挨拶に、オシロはびくりと手を止めた。
「あ、基地長」
「配給表は守っているか?お前はランク5のはずだろう」
声の主はこのエフェクティブ基地を指揮する基地長だった。
エフェクティブの隠れ基地は、いくつもの小村に付属する形で散在しており、
それぞれに駐屯する中隊を基地長が指揮する形式を取っていた。
「いや、じーちゃんよりいいものを貰うのもどうかな、って思って・・・」
「遠慮か。なかなか愁傷な奴だ」
粗末な皿一枚に食糧を乗せ、オシロは入り口に立つ基地長の横を抜けた。
再び朝日に当てられて、視界が一瞬白む。
「それより例の精霊は順調か?期限は明日か・・・、くらいのはずだったが」
「提出は明後日です。ま、何とかなりそうですね」
内心、本当か?と自分で自分に問いかけつつ、
オシロは自分よりランクが下になってしまった、徹夜がちの師の元へと朝食を運んだ。
リリオットのメイン・ストリートだけあってその道幅は馬車が4台通れるほど広い。ちなみにリリオットは左側通行、ただしセブンハウスの権力者は右側を通ってもいいみたいです。
メイン・ストリートの両側には無数の乞食が座っている。一部の階級に属する人間には貧しい人への施しが重要なステータスなので、乞食業もそれなりに需要がある。
ウォレスが「郵便局」を出ると正面に乞食がいた。いや右にも左にもいた。
ウォレスは見かけには騙されない。でも本質を知っているわけでもない。
<正面>義足をつけた男がその下に健康な足を持っていることを見破ったとしても、彼が自分が歩けることを知っているかはわからない。
<右>女乞食が着ているボロボロの服はよく見れば自分で破ったものなのがわかる。だがもしかしたら貧民街で流行ってるファッションなのかもしてない。
ウォレスはそこで観察遊びをやめた。暇ではない。さきほど受け取った指令について真面目に考えなければならないし。
「おーい、そこのお兄さん。」
声をかけられた。そちらに目を向ける。
<左>占いの店を広げている女。だが乞食にしては清潔だ。
「なんじゃね、お嬢さん」
「占いとかいかがですか?たったの25ゼヌですよ。」
「申し訳ないが、持ち合わせがなくてのぅ」
「タダとかでもいいですよ」
「タダ"とか"?」
「タダでもいいですよ」
二人組のスリか何かかもしれないが、だとしても大した脅威ではない。
「ではお願いしようかの。お主は何の占いをしとるのかね?」
腕のいい魔法使いは腕のいい占い師でもある。明らかにろくな魔力のない自称占い師の女を、ちょっとからかってやろうという気持ちもあった。
「手相占いです。右手とか見せてください」
女は手袋をはめた両手でウォレスの手の平に触れた。しかし皮膚の接触による魔力の伝播で相手のオーラを読み取るのが手相占いのはず。これではモグリ以前の問題だ。
そして言うことが。
「お兄さん、中指より薬指の方が長いですね。」
「そのようじゃの」
「ズバリ、あなたはエロい人です!!」
「・・・・」
こんなので25ゼヌもふんだくるつもりだったとは。乞食業の方が何倍もましである。
***
新出用語
【メイン・ストリート】
リリオット中心街の中心を貫く。
【ゼヌ】
最小の貨幣単位。この世界の1/10を意味する言葉が語源であって、銭(ゼニ)とは関係ないんですよ!
中年男性のくぐもったうめき声が、暗い路地裏に響きました。
細く長い、野生動物のような断末魔の叫びです。
声に驚いたのか、酒場の裏口で丸まっていた野良猫が跳ねるように駆けていきます。
ああ、安眠を妨げるなんて、申し訳ないことをしてしまいました。ごめんなさい。
心の中で猫に形式的な謝罪をしつつ、私は中年男性の背に深々と刺さったナイフを抜きました。
「ごめんなさい」
今度はしっかり声に出して謝ってから蹴倒すと、中年男性――ええと、名前が思い出せません――は無抵抗に倒れてそのまま動かなくなりました。これできょうのクエストは終了です。
私はポーチから小さな精霊結晶をひとつ取り出して、口に放り込みます。
いつもながら、結晶は何の味もしません。
物流ギルド「ソウルスミス」は、傘下の傭兵部隊を支援するシステムとして、各地の支部にクエスト仲介所を設けています。どぶさらいから人さらいまで、自分の能力に見合った仕事を自由に受けられるこの制度は、一芸特化の多い傭兵界隈では大変に評判がよく、クエスト報酬だけで生活している方も少なくありません。私も、そんな傭兵の一人です。
「や、いつも仕事が早くて助かるよ」
翌朝。仲介所で依頼の完了を告げると、報酬と一緒にそんな言葉を投げられました。
「いえ、十分な見返りは頂いていますから……あ、すみません。報酬の銀貨、一枚分だけ銅貨に両替していただけませんか」
「ん? ああ、コイン女か」
仲介所の方が、私の後方に目をやります。目線の先は、テーブルの上に硬貨の塔を築いている不思議な髪型の女性でしょう。
あの方はいつもあの席に座って、誰かを治療するか硬貨を積み上げるかしています。
何かの修行なのかもしれませんが、私にはその真意は解りません。
「ええ、傷を治療してもらったんですが、ちょうど銅貨の持ち合わせが無くて」
「あいつは銀貨でも受け取ってくれるよ」
それは私の生活プランに反します。
「まあいいけどね。あ、両替の手数料代わりと言っちゃなんだけど、また受けてほしいクエストが来てる」
「はあ。どんな内容ですか」
「んー、調査依頼だね。『救済計画』って聞いたことある?」
「ありません」
「だよね。こっちにも名称しか入ってきてないんだけど、ヘレン教の一部でそういう計画が動いてるって噂があるから調べてくれ、だそうだ。期限は一か月、調査方法は自由。証拠のねつ造も、自由」
「……つまり、いつもの仮想敵政策の一環ということですか」
「まあ、ヘレン教の3年目だからね。セブンハウスも切り替え前に一応の実績が欲しいんだろう。連続で汚れ仕事になっちゃうけど」
「いえ、構いませんよ」
軽く目をそらして、答えます。
「私には、心がありませんから」
『黒髪人種の大迫害』が始まったのは、大戦よりも古い。今からもう90年以上昔と伝えられている。
当時、黒髪の女性ばかりを狙う殺人事件が繰り返された。
大戦の起こる数年前から界隈の情勢は荒れており、このような事件が起こると住民の不安はさらに掻き募った。
そこでとうとう捕まった犯人はこう言い放ったらしいのだ。
「戦闘への高揚感がヘレンだ、殺人によってヘレンへの扉は開かれるのだ!!」
それが歴史の中では目立たなかったヘレン教への根強い差別の皮切りになってしまった。
発端になった事件よりも残酷で醜い争いが信者と黒髪人種の間で何度も起こるようになった。
大迫害の発端は、あまりにもくだらない事件のせいだった。
それにも関わらず、ヘレン教の信者はきちがいだ、
人を殺して喜ぶような人間ばかりなのだと、今日までずっとひそかに噂されている。
※
買出しに出ようとした際に、私よりも年下のシスターが、
彼女より更に幼い来訪者と口論しているところに出くわした。
「お願いします、この子を助けてください。ここの人達は弱い人を助けてくれるんでしょ?」
「しかしその子は……」
「早くしてください、もう三日もずっとこのままなんです……!!」
少女の身なりはみずぼらしく、心身ともに疲弊している様子だ。
茶髪のシスターの方は対応に困っているらしく、かなり歯切れが悪い。
「シスターアリサ、どうかしたのですか」
私が声をかけると、シスターよりも先に少女の方がこちらを向いた。
「あなたもシスターです……か……」
言葉の途中で彼女は一瞬息を呑んだ。こういうことも無理は無い。
ここの仲間や孤児達は既に見慣れてしまったようだが、普通なら二目と見られぬ醜い傷だ。
よく新入りの子供にも泣かれるものだから慣れていた。
「緑髪の少女よ、あなたは何者で、なんのために訪れたのですか?」
私が落ち着いた口調で問い直すと、彼女も気をとりなおして話した。
「私の名前はリッシュです。貧民街の者です。数年前から身寄りなく生きてきました。この子は血は繋がってませんが、私の大切な弟です。
ずっと二人で生きてきたのに、病気にかかってしまったらしく私ではどうしようもないんです。
ここは困った人を助けてくれると聞いてます。どうか彼を助けてもらえないでしょうか……」
少女は項垂れるように懇願した。よくみれば彼女は自分よりも少し背の低い男の子を背負っている。
彼の髪の毛は、『黒色』だった。
「……確かにヘレン教は弱者の保護に努めています。ですが私達は黒髪人種を受け入れはしません。
あなたを助けることができたとしても、その子を助けることは教理に反します」
「! そんな!!おねがいです……!!」
私は少女を睨みつける。隣のシスターですら一瞬すくみ上がるのが目に取れた。
この相貌で凄めば大抵一般の者は怖気つく。便利なものだとたまには思う。
「リッシュよ、ここを立ち去りなさい。私達にはヘレンと教理が絶対なのです」
※
この地のヘレン教に入信してから、わかったことがいくつかある。
最初の事実がどうであれ、もはや一世紀に近い溝を埋めるには不可能だ、と。
ならば私は、こうするしかない。
恨みと恐怖を視線にこめてから、無言で少女は出て行った。
……それから、私も何事もなかったのかのように出かけていった。
リリオットの郊外に建てられたヘレン教の大教会。その礼拝堂の祭壇の壁には巨大なステンドグラスがはめ込まれている。モザイク状の色硝子は、黄色いロングヘアーに尖った耳を持つ女性の姿を映し出している。それは決して飾られることのない、エルフであることを除けばどこにでもいそうな女性を象った絵だったが、陽光を取り込んだ彼女はソラがこれまでに見たことがない美しさを持っていた。まさに聖女だった。ソラは最初に聖女を見た時から、ステンドグラスのヘレンの虜になっていた。
最初にリリオットに来たのは2年前、ソラがソウルスミスの追手を撒く途中で逃げ込んだのがこの礼拝堂だった。最初のうちは頼れるものもなく、助けられるために教会に足を運んでいたが、リリオットに滞在するうちに寝床を見つけ仕事を見つけ、今度はソラが教会のために働くことになった。しかし、その時のステンドグラスは輝きを失っていた。埃が積もったガラス窓は光をほとんど通さず、聖女の美しさも威厳も感じられなくなっていた。
「またきたね」
ソラが礼拝堂の掃除を終えると、白髪と火傷跡が特徴の修道女が現れた。名前は確かシャスタ。彼女はソラの視線が一方向に集中していることを一瞥し、先ほどソラが磨き上げたばかりの聖女のステンドグラスに目を向ける。
「私の仕事はこの教会を綺麗にすることだからね」
ソラはステンドグラスに見蕩れたまま言葉を続けた。
「それに、教会に助けて貰った恩も返さなきゃいけないし、このステンドグラスには色々なものを分けて貰ったから。強さと美しさを兼ね備えながら、弱き者を救うために戦う戦乙女ヘレン、それはこの教会のシンボルでもあるし、彼女の光はいつだって絶やすわけにはいかないでしょ」
なーんて……本当はこの聖女のステンドグラスが輝きを失うのが勿体ないだけ、とソラは心の中で呟く。私はヘレンを、そしてヘレン教をよく知らない。ただ、この教会の修道女と子供達の笑顔を見ていれば、それが優しいものなのだということはわかる。
「ヘレン、……」
シャスタは硝子の聖女に祈りを捧げていた。
――せっかくだし。
シャスタに倣い、ソラはステンドグラス越しの天に向かって願をかけることにした。
――もしも願いが叶うなら、この虹の天幕のような華やかな日々の中に居続けさせて下さい。私はステンドグラスが好き、この教会が好き、リリオットが好き。だから、好きな物の傍にもっといさせて、彼等の輝きにもっと気付きたい。
誰でも知っている鉄則がある。酒場には情報と人間が集まるという鉄則が。
「あいにく儂は酔えん体質じゃが、まあとりあえずビールでも頼もうかの」
「……うちじゃあ子供に酒は出してねぇんだが」
「三百歳じゃ」ウォレス・ザ・ウィルレスは指を三本立てる。
「……は!?」
「じゃから、儂はこう見えても三百歳じゃ」
「がははは! ぼうずが三百歳なら、俺は三億五千万歳だっつーの!」
パリン。店員が磨いていた皿が音を立てて割れる。
「儂が言うことに間違いは無いと、皿が何枚割れたころに気付くかのう?」
店員が、そして周囲の客たちがゾッとする。三百歳。もしもそれが、与太話の
類ではないのだとしたら?
「ビ、ビールでいいんですね」
「ふむ。ここの店員は物わかりが良くて助かる。ついでに訊くが、公騎士団の
連中は最近何をこそこそ嗅ぎまわっている?」
店員の顔が凍りつく。公の場で公騎士団の批判をするような口を利く輩は、
私的制裁を食らっても文句は言えない。当然のことだが、この酒場には公騎士団
の者たちも出入りしているのだ。万一聞き咎められたら事である。
「お客さん、まさか『f予算』絡みのフェルスターク一家惨殺事件のことも知らないんで?」
「ほう……『f予算』……一家惨殺……道理で連中がぴりぴりしとるはずじゃ」
ウォレスはビールを呷った。しばらくはここを拠点に情報収集するつもりだった。
それにこのクエストは、「f予算を狙う輩を打ち倒せ」というのは、一人で
こなすには荷が重すぎる――
精霊都市リリオット。ここは予想以上に人が多かった。
メイン・ストリートに一歩入れば道物乞いが道の端を埋め尽くし、
その道路の中央は権力者と思わしき人物が大勢の部下を連れて馬車を走らせていた。
まずは酒場で腹ごしらえと情報収集をしたいと思ったマックオートはそれらしい建物を探す。
途中、多くの人が振り返り、マックオートに何かを言っていた。
中にはあからさまに指をさし、すごい気迫の人もいた。
何を言っていたのかは聞かなかった事にしたが、その口の動かし方をみれば、
褒め言葉ではないことはすぐに分かった。
マックオートのなにがいけないのだろうか。
武器を持ち歩いている所だろうか?いや、他にも武器を持った人はいくらでもいる。
部外者だからだろうか?いや、旅人と思わしき人も大勢いる。
デカデカと看板をつけた店を見つけた。酒場だ。
ランチタイムを過ぎていたために店内はそこまで混雑していなかったが、
店員が割れた皿を掃除しているあたり、たびたびトラブルが起きているようだ。
マックオートはオススメのメニューを頼むことにした。ハンバーグがでてきた。
なるほど、食べれば体力がつきそうな、ボリューム満点なハンバーグだと感心しながら
皿を手に取り、空いた席についた。
ハンバーグを切り分け、肉汁が出るさまを楽しんでいた所、ふと、女性が目に止まった。マックオートの瞳が潤った。
白い髪をしたその女性は、ほうきをギターにみたてた芸を見せていた。周りの客はその姿を舐めた目で見ていたが、
マックオートは非常に魅力を感じた。思わずポケットに手が動く。
「君の瞳に乾杯♪」
そう言って手にとった硬貨を1枚指ではじいた。硬貨はその女性の足元の缶にむかって飛んでいき、金属音を鳴らした。
客の視線を集める行為になった。
それを確認したマックオートは軽いため息をはき、半分に切りわけたハンバーグをおおげさに指差して言った。
「半分のハンバーグ」
ダジャレである。しかしなにも起こらない。お前のせいで興ざめだと訴える客の視線も変わらない。
ただ一人、あの白い髪の女性は微笑んでいた。
酒場で歌う、白髪の女が一人。
周りからすれば、下らない芸かもしれない。
心優しい青年が、彼女に金を与えた。
女はそれを、何年も待ち続けていたように喜んだ。
およそ一月前のことであった。
リリオットから少し遠方の町に、流れのサムライが一人。
サムライは、東の国の剣士である。
彼らは魔法使いの呪文と、切れ味の鋭い刀を使いこなす。
サムライの名前は、カラスといった。
カラスは、魔女討伐の依頼を受けた。
魔女はリリオットの近くの森に住んでおり、
男を喰らい、女を好んで奴隷にするという。
カラスは得意の『変化の術』を使って奴隷女に化け、
森にある魔女の館に忍び込んだ。
カラスと魔女は、術による戦いを繰り広げた。
「残念だったな。お主の術式は『アポロンの釘』によって、全て封じさせてもらった。
もはや、身動きすら取れまい。魔女よ、観念する事だな…」
カラスは得意げに語った。
「…舐めるな、術剣士ごときめ。奴隷女に化けるとはつくづく卑怯な奴。
しかし魔術に一生を捧げてきた私と、剣に反れたお前とでは力の差は歴然としている」
魔女の身体には、術でできた釘が刺さっている。
「何とでも申せ。この最後の封印の『釘』で、お主は存在を封じられる」
カラスが釘の術を打ち込もうとすると、魔女は腕に刺さっていた釘を引き抜き、
それを投げ返した。
術剣士と魔女の姿は消え、女が一人残った。
傍には、釘の刺さった黒い水晶が落ちていた。
女はそれを拾い上げ、森の館を去った。
女の腕には、魔術の釘が刺さっていた。
ソウルスミス、リリオット支部。朝から賑わうその一角に、リューシャは佇んでいる。
商人、職人、傭兵に物乞い。目を引くところでは、併設されたリソースガードの仲介所でコインを積む女。
リューシャは申請書類の審査を待ちながら、彼らの装備を見るともなく見ていた。
「……やっぱり、精霊憑きの装備が多いなあ……」
実用品としてはもちろん、ある種のステータスなのだろう。羽振りのよさそうな者は、多くが精霊武器を持っている。
その質はリューシャの目から見てもまちまちだが、それでも普通の刀剣に比べれば性能は段違いだ。
「精霊武器がほしいんですか?
リリオットでは、それなりの武器屋に行けばどこにでも置いてあると思いますよ」
もちろん普通の剣より値は張りますけど、と微笑んだのは、先程リューシャを担当した受付の少女だった。
リューシャは彼女の差し出した書類を受け取って確かめながら尋ねる。
「わたしは武器そのものよりも、加工技術のほうに興味があるね。
……どこか、わたしのような余所者でも技術提携してくれるような鍛冶屋を知らない?」
「うーん……難しいかもしれませんね。
精霊加工は、リリオットが他の街に差を付けられる一番の技術だもの。みんな企業秘密にしたがるから」
困ったように笑って少女が続ける。
「どうしてもっていうなら、リソースガードに傭兵登録してみたらいかがです?
街でクエストをこなしていけば、そのうち信用されるようになります。
リューシャさんはソウルスミスとの取引実績もあるから、すぐに採用されると思いますし……
あっ、書類不備で申請を却下された旅人もいるんですけどね。最近だと、白い髪の……」
少女のいつまでも続きそうなおしゃべりに、リューシャは軽く微笑んで、サインした書類を示した。
それを見て、彼女のなめらかな舌がようやく止まる。
「……あら、ごめんなさい。じゃあ、提出されたお手紙は送付しておきます。またのご利用を」
「ええ、よろしく」
頭を下げた少女にチップを握らせて、リューシャはソウルスミスをあとにした。
職人街へと足を向けながら、今後のことを考える。
ヴェーラに居場所がバレた以上、この先長期間リリオットに留まることは難しい。
放っておけば、遠からずリューシャを連れ戻しに来るだろう。こつこつと信用を稼ぐ暇はない。
互いに与えることができないのなら――技術は目で盗むもの。
それもまた、職人の常道だろう。
その日の深夜、村の隅の古びた納屋で、
エフェクティヴの定期報告会が行われた。
「納められる精霊は以上です」
オシロの師、ベトスコが精製が完了した精霊を報告すると、
次に基地長が長めの書簡を持って立ち上がった。
「セブンハウスに動きがあった」
一瞬、30人近く集まった構成員の間でざわめきが起こる。
「セブンハウスの一家、ジフロマーシャの主催で、精霊精製競技会が行われるらしい。
参加者をリリオット全域から募集しており、優秀者は当家の精製作業員に抜擢するとのこと。
エフェクティヴの三将軍はこれを『神霊』の採掘が完了する準備段階と判断した。
ひいては、構成員の中から見込みのある精製技師を参加させ、
可能であれば内部より諜報を行えとの指令である」
「『神霊』とは?」
精悍な青年が律儀に手を上げて質問を発する。
「セブンハウスが3年かけて発掘している精霊だよ。とてつもなく巨大な、な。
最初はただの噂話でしかなかったが、ここ最近になってようやく存在が現実視され始めた。
こいつがいよいよ発掘されるとなると、確かにその精製もかつてない規模になる」
基地長のその説明には、傾聴する者はほとんどいなかった。
世情に疎い構成員か新人でもなければ、大抵の者が耳に挟むような話である。
「ではベトスコを送るのですか?」
「彼はさすがに年だろう」
「ドロッセンはどうだ?」
「あいつはもう抜けたがっている。娘夫婦について西区へ行く気だよ」
口々に候補者の精製技師が挙げられ、そして否定されていった。
それは、当然といえば当然だった。
正統な理論を学び、一線で評価されるような技術を習得しているのなら、
そもそも不満の代弁者たるエフェクティヴに参加などしない。
「オシロは?」
いくらか静かになった頃合に、そう問いを発したのは基地長だった。
「この基地で公式資格を持つ参加者に対抗できる候補を探すのは無理だ。
このままでは、該当者なしとして返答せねばならんが、
どうせなら駄目元であいつを送ってみるのも面白い。将来性を買われる可能性もある」
静まりかえった納屋には、あえて反論する構成員はいないようだった。
が、一人ずれたテンポで老人が口を開く。
「あの子は人前に出せません。両親が現れる可能性があります」
発言者はオシロの育ての親、ベトスコだった。
「なに?確かあいつの両親は、二人ともエフェクティヴだったのではないのか?
しかも共に死亡していると聞いているぞ」
「・・・・・・」
ベトスコはそれ以上何も喋ろうとはせず、
報告会は結局、該当者なしとして返答を決定し、閉会した。
その少し離れた崖下の小屋では、
オシロが一人、徹夜で仕上げの精製作業を行っていた。
昼間っから酒ばかり飲んでる青少年がいるって通報されるのもあれだしなー、と。
ぶらり、郊外に建てられたヘレン教の大教会に出向くウォレス。目当ては教師クラスのヘレン教団員。見つけ次第、今回のアバウトな指令の真意を問いただすつもりであった。が、空振り。今日は全員不在らしい。
礼拝堂の中央にぽつねんと立つウォレス。
「当てが外れたのう……」
がっくり肩を落とすウォレスの瞳に、ステンドグラスを磨く少女の姿が映る。
「あー、そこの少女」「こんにちは。いい天気ですね」
「悪いが銀貨を一枚受け取ってくれんかのう」「はい? なんでですか?」
「儂の罪滅ぼしのためじゃ。儂は他でもない自分自身の目的のためにヘレン教に属しておる。ヘレンの強さでも、美しさでも、優しさのためでもなく、ただの己の自分勝手のために信じたフリをしておるのじゃ。じゃからかのう、教会に来るたびに、儂はなんだか申し訳ないような気持ちになる……」
「そうですか……まだお若いのに大変ですね。じゃあ遠慮なくもらっておきます。あ、そうだ。伝言や配達の用事はありますか? 簡単なものだったら、やっておきますけど」
「伝言……伝言なあ……あるにはあるが」
「どんな伝言です?」
<仲間急募!『f予算』に全く興味が無くて、しかし日銭と戦闘に興味がある人材募集中!ソウルスミス、リソースガード関係の方はご遠慮ください。黒髪不問。詳細は酒場の『紫色〔バイオレット〕』まで!>
「という内容なんじゃが……」
「んー。『f予算』っていうと、『救済計画』と何か関係あるんですか? 最近ヘレン教内部で、リリオットの貧民救済計画とかいう大規模な計画が進められているって立ち聞きしたんですけど……」
銃弾は精製が難しく貴重だ。にも関わらず一般人にも銃を使うのは、抵抗されるのを防ぎ、逃げられる可能性を減らすためである。
この哀れな男も、いつもと同じように銃を撃ったらそれで終わりのはずだった。
しかし、この男は倒れなかった。3人が2,3発撃ったが、それを避け、持っていたブラシで弾いたのである。
ブラシなんかで銃弾が弾けるわけがない。銃を撃った男達はそう呆気にとられた。
その隙に
清掃員は一足飛びで銃を撃った男の一人に近づき、ブラシを振り上げ、頭に向けて、殴打した。
裏路地に何かが砕ける音が響く。頭をブラシで殴打された男は、頭から大量の血を出しながら倒れた。
異常事態を察した残った男達は、再度銃を構え撃ち始めたが、銃撃を避けて弾ける清掃員の男には無駄であった。
残った男達も、最初の男と同様に一人、二人ブラシで殴打され倒れていく。
リーダー格の男も銃を取り出したが、撃つ間も与えられず倒されてしまった。
残ったのは取引相手の男だけであったが、小太りでとても戦うことが出来るようには見えなかった。
しかし、戦うことが出来なくても、多人数の銃を持った相手をブラシ一つで倒す男に敵うわけがないことは理解できた。
「ひっ」
と、小さな悲鳴をあげると、小太りの男は大金の入ったケースを抱え逃げ出した。
「逃げる相手を殺すのも気が引けるが・・・、見られたなら仕方がないな」
清掃員の男はそう呟くと、ブラシの柄の先端を回し、引き抜いた。
引き抜いた柄の先端にはおよそ掃除に使うとは思えない、錐状の鋭い金属がついていた。
清掃員の男はその仕込み錐を掴むと、大きく振りかぶり、逃げた男に向かって投げつけた。
投げられた仕込み錐風を切って飛んでいき、見事男の後頚部に突き刺さった。
清掃員は、倒れた男から仕込み錐を引き抜くと、その男の服で血を拭い、元のようにブラシに戻す。
「はぁ…、今回は偵察だけのはずだったんだったんだがなぁ。ばれたら殺してもいいと言われていても
こうも簡単に見つかっちゃあ、やっぱり偵察にはむいてねぇな…。」
清掃員はそう呟くと、街の警察組織である公騎士団が駆けつける前に、大金が入ったケースと取引品を持って裏路地の奥へと消えていった。
彼の名前はダザ・クーリクス。
リリオット生まれ、リリオット育ちの公益法人清掃美化機構に勤めている清掃員である。
主な仕事は、床磨き、ガラス拭き、街の修繕に、町の害となすとされる組織や人物の偵察、暗殺。
街のため、離縁した家族の養育費のため、今日も深夜残業で働く。
私は黒髪人種だが、もはや黒髪ではなかった。私はヘレンを信じたかったが、ヘレン教をどこかで信じきれずにいた。
たまにこうして考えてみると自分がどうしようもなく矛盾していて、馬鹿らしい存在にも思えてくる。
いつだって、みんなどこかで苦しい思いをしている。
※
ほんの少しの間だけ礼拝堂に寄ってから、メインストリート脇の商店街に赴いた。
今回は喧騒の中で、新しい本と子供達のための飴玉袋だけを買った。一人の時の買い物は手早く済ませたい。
一目ではヘレン教員とはわからないような服に変えても、あまり時間をかけて量を買い込むと色々と目をつけられやすいからだ。
(そこのあなたー。占いとかいかがですか?たったの25ゼヌですよー。)
(なんでおつかいの中に『銘菓5種ぐらい買って来い』なんてのがあるの?しかも微妙に高価っぽいのばっかだし!!)
(……お土産かぁ。オフィスに置物でも買ってきたら彼女、喜んでくれないかな。)
(冷静ハアアア合点か? 冷静ハアアア合点だ! 情熱わっしょい力持ち!)
(かわいいおじょーっうさん♪よかったらそこで俺とお茶でも……)
(リリオット名物『あられ揚げ』だよー。うまいよー。)
(待てなんかヘンなのいたぞ!!誰かツッコめよおい、つっぱり暴走してるぞあいつ!?)
日中は相変わらず露天なども開かれるほど活気があるが、どこか不穏さも漂わせる。
最近更に乞食が道端に増えてきたせいかもしれない。
「熟したら輝くでしょうが、今は不純物が多すぎて進んで食べる気分にはなれないですねぇ」
声に驚いて振り向くと、道端の占い師の女がじっとこちらを見つめていた。
「……あ、すいませんご飯の話ですよ。うん、私の食べ物の話です。
あとあなた結構でかいですね、胸が。いいですねー。あらでも肌は……なんでもないです」
彼女は確かになんだかよくわからないものを箸でつまんで食べていた。一瞬ただならぬ気配を感じ取ったのだが、気にしすぎたのだろうか。
今はそんな様子は微塵もなくただの小奇麗な女性のようにしか見えない。箸をいったん置くと居住まいを正して、ぼんやりした愛想笑いを浮かべた。
「占いどうですか?たったの25ゼヌです。タダとかでも可です。」
「……お構いなく。『迷った時は助けを請うのもよいが最後に道を選ぶのは自分であることを忘れる無かれ』とも言うから。」
「ん。例の教団の人ですか? ああー、なんかなるほど。」
動揺したのか、つい零れてしまった教理の文句にも聞き覚えがあったようで、彼女はなんだか得心がいったようだ。
占い師というだけのことはあって、知識と直感で私の本質も見抜いてしまったのかもしれない。
歩き続けて道も末になり、あとは郊外の教会に帰るだけだった。
……ふと、私は足をとめた。貧民街がすぐ傍に見えた。
カラスはリリオットの街へ辿り着いた。
先ほどの戦いで、魔女を封じることには成功した。
しかし、自分の姿は最後に『変化の術』を使ったままに固定された。
今はおそらく、どこからどう見ても女である。
魔女は、強烈な呪いを最後に放ったのだ。投げ返した釘に乗せて。
釘は、カラスの左腕に刺さったまま抜けない。
それをあざ笑うかのように、魔女の封じられた水晶は光っている。
カラスの『変化の術』は完全に封じられた。
カラスは新しく腕を隠す防具を買うために、水晶を引き取ってもらうことにした。
立ち寄った店には、『ソウルスミス加盟店』とある。
異邦人であるカラスには、何のことか分からない。
「ダメだね。この水晶はキモい邪気を放ちまくりだね。
君はリソースガードでもないのに、そんなキモい物持ってるんだね。
正式な許可を得た真面目なリソースガードさんのお話でない限り、
そんなバカなことは信じないね。君は魔女かなんかじゃないよね。
とにかくお帰りよ、お嬢さん」
店主に引き取り話は断られ、おまけに変えられた姿で呼ばれたので
カラスはとても気分が落ち込んだ。
しかし、リソースガードの話は気になった。
カラスは、ガード仲介所へと足を運んだ。
街へ来てわずかも経たないが、登録手続きまで何とかこぎつけた。
しかし、書類のある一部分がどうしても記入できなかった。
素直に書けば良いのに、カラスにはそれが出来なかった。
一時間も経った頃、耐えかねた係員が残りの部分を追加した。
「ちょっと、どうしたんですか?具合でも悪いんですか?
左手が疼いてるみたいですけど何かあったんですか?邪気ですか?
何でこんな簡単な事が書けないんですか?女性に○しておきますよ?
ここに○をしないと、正しい強さの試算が出来ないんですよ?
ガードに正式登録できないんですよ?戦闘が出来なくなるんですよ?
たまにいるんですよね、出身地とかも書かない人。
うんと珍しい事じゃないんですけど。分かってるんですか?
どういう状況か知らないけど、その分ペナルティは課せられるんですよ?」
係員はカラスに冷たい言葉を浴びせた。
カラスは力なく返事をし、現在の提出書類の確認を行った。
「じゃ、とりあえずこの非戦闘系のクエストを受けてくださいね。
初めての人はほとんど非戦闘系のクエストから正式登録となって
色んなクエストが受けられるけど、申請中のままだと無理ですからね。
あんまりお金も入ってこないから、
さっさと登録かアルバイトでもすることですからね」
こうして、カラスのリリオットでの冒険は始まった。
お金を消費してしまったからには、お金を供給する必要がある。
マックオートは酒場でリリオットの地図を買い、クエスト仲介所を目指した。
クエストをこなして日銭を稼ぎ、旅を続ける生活をしていたからである。
クエスト仲介所の中は依頼を受ける人、報告する人、その他業務員などで賑わっていた。
その中でも、コインを積み上げて塔を立てている少女がひときわ目立っていた。
マックオートは声をかけようと思ったが、集中を乱すマネはやめておくことにした。
求人一覧表の束を手にとった。リソースガードと呼ばれる組織に向けたクエストが中心だったが、
無所属の旅人がこなせるものも充実していた。
しかし、大抵のクエスト表にはこのような注意書きがしてあった。
「黒髪人種お断り」
・・・マックオートは急に周りの人が気になった。
青、緑、赤・・・黒髪はあのコイン塔の少女だけである。
マックオートは自分のボサボサ頭をつまんで色を確認した。・・・黒だ。
あの時、メインストリートで受けたものは黒髪が原因だったらしい。
それはそうと、何かしらのクエストをこなして金を稼ぐ事が最優先だ。
幸いにも、どろさらいの仕事は黒髪でも受けることができる。これしかない。ちょっとした質問と共に受付に持っていく。
「スコップは借りられますか?」
「レンタル料をいただきます」
「あぁ、そうですか。なら遠慮しときます」
「どろさらいのついでに人さらいもどうですか?」
「どろさらいだけで十分汚れますって!」
この受付のお姉さんはちょっと怖い。マックオートはビビって仲介所を後にすると、
仕事場である貧民街へ向かうことにした。
***
「こいつか・・・」
マックオートは敵である泥の前にたたずんでいた。背中の大剣を引きぬく時がきた。
シャキリ・・・鋭くも鈍い音がする。
青みを帯びた白い刀身・・・反り返った内側にある刃先・・・
これはただの剣ではない。溶けない氷を打ち叩いて造られた凍剣”アイスファルクス”なのである。
溶けない氷は加工方法のわからない物質で、本来は刀剣を造るのには全く向いてない。
しかし、ひとたび剣の形になれば、折れない、欠けない、錆びないと、まさに最強の剣といえる。
「もちろん穴も掘れる!うおりやぁぁぁぁ!!」
マックオートは溝に潜む邪悪な魔物である泥たちに凍剣を突き刺した。
「下っ端最高ぅーっ!」
これがスコップのレンタルを断った理由である。
泥がとびちる。これは戦いなのだ。
教団の女性(巨乳)が通りすぎると、女占い師はすぐに弁当の続きにとりかかった。
弁当の中身は米、梅干し、あと野菜が何品か。サムライの国の国旗に似ているため「日の丸弁当」と呼ばれる。
「あーお腹すいたな〜・・・モグモグ」
その時たまたま露店の前を通りかかった黒髪少女(微乳)が「弁当食べながら言うこと?」っていう目で見た。
すいていたのは彼女の別腹であった。別腹と言ってもスイーツが食べたいわけじゃない。食べたいのは「夢」。
女占い師は"獏"であった。
獏は夢を食べる。
体はただの人間だから夢を食べなくても生きていけるんだけど、時々無性に食べたくなる。そうなると、いてもたってもいられない。
「そこのお嬢さん、占いとかどうですか。モグモグ…タダですよ。特別サービスでアスパラとかつけますよー。」
そうやって獲物を探すが、なぜか誰も足を止めてくれない。
ポコン。
「痛い!」
後ろから殴られた。
「……公道に米をまき散らすな、夢路(ゆめじ)。」
冷たい声でそう言ったのは緑の制服に身を包んだ清掃員。
女占い師の後頭部を狙ったのは彼の持つデッキブラシだった。
「ダザ。」
ダザ・クーリクス。神出鬼没の清掃員で、夢路がリリオットのどこで店を開いていてもよく会う。
ちなみに夢路とは女占い師の名前だ。
「弁当を食べながら叫ぶんじゃない。俺の仕事が増えるだろう」
と言いながら夢路がこぼした米粒をプロの手際で片付けている。
「ごめんごめん。アスパラとか食べます?」
「要らん。」
この二人、リリオットの同じ地区で育った同い年の幼なじみだが、大人になってみれば一方は(清掃員とはいえ)公務員。一方は乞食まがいのインチキ占い師。やはり、真面目な人間はマトモな職につき、チャランポランな人間はそれなりに…ということだろうか。
「……でもお前の方がいいモノ食べてる気がする。」
「だって儲かるよ?占い。」
二人とも、ホントウの職業はお互いに秘密だ。
メビエリアラ・イーストゼットは考える。
荒廃する世界に刺すひとすじの光。黄金の翼をはばたかせて光臨し、隅々もらさず人を裁き、暴虐には鉄槌を、飢える者には七頭の家畜を、迷える者には導きを、清き者には祝福を与える、至高の女神。貧者の妄想を膨らませたようなそんなそんな神話は、言ってしまえばでたらめの創作だ。
哀れな信徒たちを騙している。そういうことになる。しかし、騙すことによって救えると信じている。
神話は比喩だ。現実ではない。しかし偽物でもない。真理を織り交ぜた比喩を、口当たりの良いようシロップをかけた物語。それが神話だ。だから女神の光臨を否定してもヘレン教の本質を否定したことにはならない。メビだってそんなものは信じていない。信じているのは、そしてみなに説こうとしているのは、概念だ。概念をそのまま説いても、耳を貸す人は少ない。だから物語を覚えてもらう。そうやって、織り込んだ真理が生活の中でゆっくり染みていくのを待つ。迂遠だが、昔ながらの確実な方法だった。そうやって、ヘレン教は世を少しずつ癒してきた。
そもそも生きている以上は論理的な帰結なのだ。究極を求めるというのは。
生が一度しかなく、転生を信じても記憶を持ち越せない以上、自分というのは最善を追求する装置以外の何者でもない。
そのことをメビエリアラははっきりと自覚する。
だから求める。精霊の究極を。それがメビエリアラの形だから。物心ついてからずっと、精霊が好きだった。その揺らぐ姿も、構造も。
精霊を練った先にあるリザルト。それが彼女のヘレンだ。ヘレンというのはつまるところ、究極とか生きがいとか意味とか言い換えるだけで理解できる。論理的に明快な話なのだ。
彼女は精霊を知りたい。そのためにはたくさん試したい。だから金と人がほしい。
ヘレンを実現するために生命を研究していたら、副産物として回復法ができた。彼女はそれを売った。
ヘレンを実現するために精神を研究していたら、副産物として洗脳法ができた。それはまだ試せていない。
試したい。
誰かに見られると困るので、教会の地下に実験室をこしらえた。
ただ、そこに入れる実験体はまだ用意できていない。人間で試すのは倫理にもとる。
しかしその問題への答えも出ている。
黒髪たちだ。
幸いなことに彼らは人間と酷似した性質を持っている。
しかし人間ではないので、壊しても罪にはならない。
職人街には、メインストリートに溢れる人々の喧騒とは種類の違う騒がしさが満ちていた。
鋼を打つ鎚の音。徒弟を叱る親方の怒鳴り声。
道の端では、ドブをさらっている黒髪の男が「下っ端最高ぅーっ!」と叫んでいた。
貧民街へ続く道にはさらいあげた泥の山が転々と残っており、どこからドブさらいを続けてきたのか検討もつかない。
本人はいたく楽しそうだが、彼の黒髪もあってか、街の人々からはかなり異様な視線を向けられていた。
しかも、彼が使っているのはスコップではなく、幅広の刀身をした大剣だ。
リューシャが見れば、その青白い刀身が氷によるものだとすぐに分かる。
思わず足を止めて観察してしまったが、幸いにもリューシャの作品ではないようだ。
刀身の変質を最小に抑えられるのが凍剣の利点とは言え、自作の刀でドブさらいをされれば、さすがに今後の取引について考えてしまう。
「まあ、自分の剣をどう使おうと持ち主の勝手だけど……
できればシャンタールの主には、剣を剣として真っ当に振るってほしいなあ」
……とはいえ、シャンタールほど頑迷に人手に渡るのを拒む刀は珍しい。
相応しい引き取り手がいれば、主がシャンタールでドブさらいをしようとリューシャが文句を言う筋合いではない。
リューシャは軽く首を振って、彼の横を通り過ぎた。
そうして軒を連ねる工房の中から、これまでに目をつけていた幾人かの親方を尋ねて歩く。
だが、数件を回ってもリューシャの言葉に頷く者はいなかった。
精霊加工は、リリオットの職人が何代にも渡って研鑽してきた技術の結晶。
街の人間ですらない者を相手に、そう簡単に話すことはできない。
皆が口を揃えてそう言う中、一人の老職人が、リューシャに向けてぽろりとこぼした。
「精霊技術を、儂があんたに教えることはできない。
……そもそもリリオットの一部じゃあ、これ以上精霊を掘るのはやめようという連中もおる」
「精霊の発掘をやめる? ……精霊の発掘と加工は、リリオットの主要産業でしょう。それなのに?」
リューシャの言葉に、老職人は困ったように頬を掻く。
「このまま精霊を掘り続けると、大いなる災いが人々を襲う……とかなんとか。
儂も詳しくは知らん。単なる噂だが、そういう連中もいるってこった。
……さあ、悪いがもう帰ってくれ」
それだけ早口に言うと、老職人は立ち上がり、傍らの工具箱を手に工房の奥へと引っ込んでいった。
「じゃあ詳細はこれに書いてあるから。一応、覚えたら燃やしちゃって」
「はい、解りました。ありがとうございます」
私は仲介所の方にお礼を言って、報酬と新しい依頼書を受け取りました。
『救済計画』。響きからすると特に悪いたくらみとは思えませんが、仲介所の方がわざわざ私を選んで依頼するということは、きっと何か裏があるんでしょうね……。
まあ幸い、期間は十分にあります。ゆっくり調べていきましょう。
巻物状にして封印のされた依頼書をズボンのポケットにしまいながら、私は待合テーブルで塔を建造中のコインオンナさんのところに向かいます。
「お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。先ほどのお礼です」
銅貨を差し出すと、彼女は「ありがとう」と笑ってその銅貨を硬貨の塔に重ねました。
この重ねられた硬貨は、そのまま彼女が他人を治療した回数なのだと聞いたことがあります。積みあげられた硬貨の高さがそのまま彼女の心優しさを表しているようで、心ない私としては気後れせざるを得ません。が、それはそれとして、優しそうな方には頼っておきましょう。
「ところでコインオンナさん」
「……? アタシ、ごほっ、私ですか? 何でしょう?」
「『救済計画』という言葉を聞いたことはありませんか」
「……ありませんが」
思いのほか素っ気ない返事です。
「そうですか……では、もしどこかでその言葉を聞いたら教えてください。私も、二日に一度はここに来ますから」
ゆっくり首を傾げるように動かれたのは、否定の意味でしょうか。まあ、報酬はあまり出せませんし無理強いも出来ません。
私は彼女にもう一度だけ治療のお礼を言って、仲介所を出ました。
その足で近くのソウルスミス加盟店に行き、報酬の七割ほどを使って中級精霊結晶をいくつか購入します。
私は内臓機能の多くを精霊駆動の人工臓器に頼っているので、一般的な食事の代わりに精霊結晶を摂取しないといけません。そのこと自体に不満は無いのですが、日々の食費だけでけっこうなお金が必要になるので、少し大変です。
さて。買い物も済んだことですし、まずは寮に戻ってクエスト依頼書を読んでしまいましょう。
そう思い、ポケットにしまった依頼書を確かめます。いえ、確かめようとしました。
けれど、ポケットは空でした。というかいつの間にやらポケットの底が破れてしまっています。
あら?
急いで他のポケットやポーチの中まで探しましたが、依頼書は見つかりません。
認めたくないことですが、どうやらどこかに落としてしまったようです。
「……」
仲介所で落としたのならまだいいですが、もし物乞いの方などに拾われていたら、少し厄介なことになるかもしれません。
ああ、どうしましょう。
「ふー、やっとついたー」
精霊採掘都市リリオット。しばらくはここが拠点となる。
「とは言えまずフードかなにかないとまずいわよね…」
えぬえむは取りあえず懐から布切れを取り出した。
「まぁとりあえず服屋か帽子屋ね…」
ボンネットのように頭にかぶせて門に近づく。
番兵に不審な目で見られはしたが「ほら、黒髪だし…」と言ったら納得してくれた。
ついでに手近な服屋とリソースガードの場所も聞く。
服屋に行ってフードを購入。ついでにリボンタイも買っておしゃれする。路銀がさらに減る。
「って私何やってんの!?」
いそいそとリソースガードの仲介所へ。
「あら、貴方のような子供が傭兵登録?」
「世知辛い世の中だし…」
「ふーん。紹介状とかある?」
「一応あるわ」
師匠からの紹介状を手渡す。というかなんでコネああるんだアイツなどと思ってると
「…いいでしょ。とりあえず手近なクエストこなして行ったり行かなかったりして信用を上げることね。あとこれ許可証ね」
許可証を受け取る。存外あっさりしたものである。
ふと思い立つことがあって聞いてみる。
「そういえば、ここってソウルスミスの傘下よね。リューシャ、って人の名前に心当たりない? 刀鍛冶の」
「リューシャさん? つい先程こちらに来て、今は職人街の方ではないでしょうか」
この街に来ているらしい。師は何故わかったのか。謎は尽きない。
仲介所にはいろんな人がいる。
コインを楽しげに数えてる女性や、どこかで見たようだけど気のせいだろうと思える若くて白髪の女性。
宿泊前になんか一つ依頼をこなすのもありだろう…。
「ありがとう」
ヒヨリは受け取った銅貨を硬貨の塔の上に重ね、緑髪の女傭兵としばらく話しをした。
彼女は『救済計画』に興味があるようだった。いきなり声をかけられて挙動不審な態度を取ってしまったヒヨリは、仲介所に集まる傭兵にそれとなく聞いておこうと心に決める。
それはさておき、ヒヨリはさらにコインを積んでいく。
カチャリ……。硬貨の塔を更に何枚か積み上げた後、ヒヨリは袋の中のコインを摘まんで静止した。
その姿勢のまま、先ほど歩いていた柔らかい金髪を携えた女を思い出す。束ねた金髪があまりにも綺麗に輝いていたので、つい目を奪われたのだ。その女の手にはリソースガードの申請書類が握られていた。
ヒヨリはコインをテーブルに置き、頭の右に束ねた髪の毛を摘まむ。黒くてゴワゴワした髪の毛が視界に入り、ヒヨリは一つ溜息をついた。
「綺麗な金髪(ブロンド)だったわね……」
子供の頃、ヒヨリは馬車に轢かれて死にかけた事がある。その時に助けてくれたのはヘレン教の金髪の女性だった。昔の事で顔は思い出せないが、その美しい金髪は今でも印象に残っている。
「さっきの子、無事に傭兵になれるといいけど」
傭兵登録はそれほど難しいことではない。だが、先日登録でごたついている人を見たばかりなのでヒヨリは少し心配になった。
受け入れられない事は悲しい事だ。ヒヨリは自分がヘレン教に入信しようとした時の事を思い出して少し悲しくなる。
ヒヨリは黒髪人種であり、それは変えようがなかった。ヒヨリはヘレン教に入りたかったが、ヘレン教は黒髪を受け入れなかった。
ヒヨリは思う。
いつだって、みんなどこかで苦しい思いをしている。
だからヒヨリは助けるのだ、少しでも多くの人々を。
リリオットの貧民救済計画。
それを少女から聞いて、ウォレスは思考する。
インカネーションは、ヘレン教は決して裕福な団体ではない。予算的裏付けの無い貧民救済事業など、単なる世迷い言にすぎない。しかも今この時期に、ヘレン教弾圧の三年目に、わざとそんな目立つ計画を実行に移そうというのは、あまりにも愚行に過ぎた。
そもそも今回の指令も指令である。まるで、インカネーション内部にも「f予算」を狙う輩がいるとでもいうような――いや――実際に「居る」のか。「f予算」の実在を信じ、空絵事の計画を推進しようとする輩が。見境なく事を荒立て、ヘレン教を危機に陥れようとする連中が。手練れの教師たちにもどうしようもない勢力が。
「おぬしの名は?」「ソラといいます」「ソラ。銀貨をもう一枚やろう。そのかわり『救済計画』についてもう少し調べてもらえんかのう」
「は、はい」
教師に会わねばならない。仲間を集めねばならない。
できもしない「救済計画」が発動され、それが公騎士団とリソースガードに察知され、ヘレン教弾圧が激化する前に。いままさに舞台の上に踊り出ようとしている連中の出鼻を挫かねばならない。
さもなくばインカネーションは、ヘレン教は――適切な表現が見つからないが――殴られ、打たれ、叩かれ、潰され、そして弱体化してしまうだろう。そうなればソラというステンドグラス磨きの少女の日常も、無事ではあるまい。
「教団を守るために教徒を討つ、か。これではまるきり裏切り者〔ヘリオット〕じゃな」ウォレスは呟き、教会を出た。
*** 新出用語
【裏切り者〔ヘリオット〕】
それは最初にヘレンの良き理解者であり、ヘレンと共に戦いに明け暮れた者。しかし途中でヘレンの存在に不審を抱き、最期にヘレンを裏切った者。この裏切りは失敗し、ヘレンは生き残り、ヘリオットは数十名の反徒たちと共に死んだ。一説によれば、裏切りは元々有害な信者をあぶりだすための計略だったともいわれる。ヘリオットは、宗教画では幼い頃は純真なる白髪、青年になってからは背信の黒髪であらわされる。ヘレン教の教義に詳しい者にとって、ヘリオットとは単なる「裏切り者」以上の複雑な響きを持っている。
星の見下ろす頃にもなると、形だけいちおう見に来た客たちも、いや珍しい物を見せて貰いましたと言って、装飾の施された大きな戸口を押し開けて時計館を出て行く。私はと言うと、その度に形だけいちおう、またいらして下さいと言わなくてはならなかった。
ちょうど館の入り口の柱辺りに立って、はて、これでもう客は全員帰ったのだろうかな、という風に私が首を傾げていると、胸に勲章を付けたお仲間が階段脇の扉を開けて、私に近付いてくると話しかけてきた。
「もう皆さんお帰りになられたようですよ」
私はこの言葉を聞くと、随分と晴れやかな心もちになると同時に、そろそろ新しい友達が此処を訪れはしないかと、少しく不満を覚えた。
「喜ばしくも退屈な事だよ。人生たまには刺激が欲しいじゃないか。人生を謳歌するなれば、幸福の連続だけは忌避すべきだ。私は、自分自身の人生をより良い物とする為に、餌を与えてやりたい。たった一つの大きな目標を達成する為の糧とし、今を食い繋ぎたい……」
私は、其処まで言ってから、まったく嘆いていても仕方の無い事だという事に気が付いて、一つ咳払いをした。勲章を付けたお仲間は、私の話を表情を表さずに静かに聞き入れ、其処に佇んでいたのだが、私が合図を出すと館内の照明を落としに再び奥へと戻り始めた。私は彼の後にくっ付いて行ったが、途中で勲章のお仲間と別れると階段を昇り始めた。階段の踊り場まで来ると、恋人の姿が見えた──彼女はせっせと振り子を揺らしていた。私は恋人の時を刻む姿に暫しうっとりし、恋人が私の為に休まず働いてくれる事を、日頃の事ながらも感動を覚えて、思わず腕を伸ばして抱擁し、ケースにキスをしてしまった。そのまま暫くは抱擁の姿勢を崩さずに居たのだが、零時を告げる恋人の声に起こされ、私は身体から腕を解くと頭を掻いた。
「君は、容赦無く時を刻む。私は君の、そして君達のそういう所が愛おしくて堪らないのだよ」
私は彼女から離れると階段へと向き直り、手すりを擽りながら階段を昇り切った。直ぐ傍の小さな扉を潜り、白黒のツートンカラーの廊下を渡り、壁に飾られた一枚の絵を前に私は立ち止まった。油絵の具で描かれた……それは、ひどく物静かで騒がしい、塗り潰される時計の絵であった。旅の途中で出会った画家から私が買い取ったものだ。私は絵をすっかり見据えると、静かに足を擡げて──靴の踵を素早く三度鳴らし、それから咳払いをした──重い音と共に、壁が割れた。
リリオットのメインストリートに連なる建物には大小様々な店が並び、人々の往来で賑わっている。道の脇では乞食の集団をツナギ姿の男がブラシを振り回し追い払っている。
ソラは数並ぶ店の一つで足を止めると、そこのショーケースに貼りついた。
その店は古今東西のランプだけが揃えられた専門店で、ショーケースの中には最新型の精霊ランプが置かれていた。燃料として加工された精霊をエネルギーにして灯りを提供するものだ。
精霊エネルギーを利用したランプは、従来の油ランプより明るく、燃料も比べものにならないほど長い時間保つ。ただし、流通量は少なく高価。貴族からすれば端もない金額のがらくただが、普通の市民がやすやすと手を出せる代物ではない。
ソラはポケットの小銭を探ってみたが、残っているのは銅貨たった3枚だけ。
「はあ…」
ソラはため息をついて鞄の中から手垢まみれになった青い遮光ランプを取り出した。
「おじさん、油の補給をお願い」
ソラはランプ屋のカウンターに3枚の銅貨を全て並べた。
「悪いな、油は値上がりしたんだ。3枚だけじゃ足りないな。最低でも5ゼヌ、それ以上はまけられん。文句はギルドの連中に言ってくれよ、流通量も価格もあいつらの一存で決められてるんだからな」
ランプ屋の店主は手持無沙汰そうに古布でカウンターをこすっている。
忘れるところだった、とソラは帽子に手を突っ込み1枚の銀貨を取り出した。
「ふっふー、臨時収入ー!おじさん、これで満タンいけるよね」
ソラは頬肉をつり上げ、得意げに鼻を鳴らす。
「ああ!だが、これだけあればそのランプを下取りして粗霊(アラレ)で動くランプに変えてやってもいいぞ!」
「このランプで十分だよ。精霊を使うのは好きじゃないし……」
「そうか……ほらよ」
店主はランプの給油口に十分な油を差すと、3枚銅貨と共にカウンターに置いた。
「あれ、銀貨の残りは……?」
「言っただろう、『最低で』5ゼヌだ。灯油はこの間仕入値が3倍以上になったんだよ。お前は油の無駄遣いが多いようだし、これを機に節約でもするんだな」
店主は布で銀貨を磨きながら白い歯を見せた。
「このペテン師!」
ソラは油で重くなったランプと銅貨をひったくりながら店を後にした。
「ありえない。なんだあの化け物は」
ダザは自分自身ある程度強いと自負していた。
故に、偵察では見つかっても構わないと注意が散漫になってしまうことが多々あった。
しかし、昨夜の偵察は見つからないように必死だった。見つかってしまえば、命を落としていた可能性があったからだ。
昨夜の仕事は、最近『f予算』について調べている人物についての調査、偵察であった。
『f予算』、街の情勢をひっくり返すほどの巨額の消えた予算。
その分、その情報の取り扱いは慎重にしなければならなかった。
つい先月も、酒場で『f予算』のありかを知っていると嘯いた男が、酷い拷問の末殺される事件もあった。
そんな予算をおおっぴらに調べているところみると、街の住民ではない可能性が高い。
ダザは目撃情報から出没範囲を絞り、身を潜めて対象が現れるのを待つことにした。
日が沈んだころ、その男は現れた。目撃情報どおり、紫のローブをまとった少年のような男だ。
少年のようなというか、見た限りでは少年にしか見えなかった。
「あんな子供が『f予算』を調べている?何かの間違えじゃないのか?」
そう疑問を思いながらダザは追跡を開始しようとき、少年の前に数人の男達が現れた。
『f予算』を探ってるいるのだ、当然複数の組織から狙われる。
男達は相手が少年だと思い、ニヤニヤした顔で少年に銃口を向ける。
「『f予算』について調べているのはお前か?ちょっと一緒に来てもらおうか」
男の一人が少年についてくる様に脅し始める。
しかし、少年は怯えた様子も見せず、軽く溜息を吐いた。
「やれやれ、儂が求めているのは『f予算』に興味のない仲間なんじゃが、相変わらず治安が悪い街じゃのぉ」
そう言うと、少年は男達に向けて指を指した。男達はその意味不明な行動に、まだニヤニヤしている。
次の瞬間、男達のそのニヤニヤ顔は文字通り消え去った。男達の顔は、太い杭で貫かれように抉られていたのである。
。
ダザには少年がなにをしたのかは理解できなかったが、男達が指一本で一瞬に殺されたことは理解できた。
その少年、いや、その化け物は再度溜息は吐いて、顔がない死体の合間をぬって去っていった。
身を隠していたダザは一歩も動くことが出来なかった。これ以上の調査は危険すぎる。ダザはそう直感した。
翌日、ダザは上司にことの顛末を報告をしたが、普段顔色一つ変えない上司が暗い顔をして「そうか、ご苦労」と答えるだけだった。
「いやな予感がする・・・。だからよそ者を入れるのは嫌なんだ」
とダザは歩きながら呟く。ダザは偏った郷土愛からくる排外主義者であった。
採掘資源をめぐる争いは昔から存在するが、近年の抗争激化により傭兵などで外部のものが多く出入りしており、ダザを苛立てていた。
それでいて、昨夜の化け物だ。あんな化け物まで出入りしているなんて・・・。
いや、そもそも本当によそ者なのか?紫のローブ、少年、化け物・・・。どこかで聞いたような・・・?
「くそ・・・、久々に飲みにいくか」
答えを見出せずイラつくダザは、そう言うと酒場へ向かった。
ヘレン教弾圧の発端は無関係の人々の殺人を是とするような、狂言が理由だった。
だが無抵抗の弱者を一方的に殴っても、それは単なる猟奇趣味だ。
ヘレンは弱者をいたぶったりはしない。いつも弱者を助けていた。
でも私達はヘレンじゃない、ただの弱い人間だ。自分達を迫害した人を許せるほど強い人ばかりじゃない。
自分達の家族を殺した人を憎まないほど強い人なんてそうそういない。
ヘレンのような人がいたなら、弱い人間を見たら黒髪人種だろうとなんだろうとそれは助けるのだと思う。
でも皆、それができない。許さない。
考えれば考えるほど、胸がひたすらに苦しい。
※
昼下がりも過ぎていくが、日が長くなり始めたこの時期ではまだまだ暗くならない。
だが路地裏の多いこの貧民街、女一人で歩くにはなにがあるかわかったものではない。ないはずだ。
「おぉいねぇちゃあん。こんなところでなにしてるんだぁ?」
さっそく私が歩いていると、肩に男の手、鼻に酒臭い臭い、耳に品の無い声がかかった。私は素直に振り向いてやる。
「……あな、うらめしや」 「ッ!? うおっ ででででで!!!」
この顔では冗談にならない冗談に男も肝を潰しかけたようだ。隙ができたところを男の手首をとって捻る。
そのまま向こうの壁へ放り投げるようにたたきつける。
「こ、このアマ、げっ……!」 男の額を思い切り強く拳骨で叩きのめす。
彼はずるずると地面に落ちていき、そのまま動かなくなった。気絶はしてないかもしれないが、痛みで動けないだろう。
私は息を吐きながら、(来るべきじゃなかっただろうか)と思った。
目立たないように気をつけてほんの少し探すぐらいなら構わないと考えたが、
情報は貧民街の出身というだけだ、そう簡単にみつかるはずもない。
それでも私はあの少女と男の子に謝りたかった。もしかしてもうねぐらに帰ったのだろうか、
それとも男の子を助けてもらうために彼女はまだ駆けずり回っているのだろうか。
途中で倒れたりはしていないだろうか。
私は仲間を騙し、慕う子供を騙し、助けを求める弱者を騙し、
私の罪を少しでも減らしたいがためだけに他人の心配をしている、きっとそんな浅ましい人間だ。
探していたのはほんの数十分だ。その間にも懲りずに何回か絡まれかけた。全部返り討ちにしてやった。
これで数人に顔を覚えられて、逆恨みでも買われたら不味いのだが……。
しかしその中でも幸いなことに、私は目的の人物は驚くほどあっさりと見つけることができた。
道端に座り込み、顔を覆い隠し、緑髪の少女が黒髪の子供の隣で泣いていた。
黒髪の少年はひたすら息が荒く、苦しそうだった。やがて、彼女は目の前で立ち尽くしている私に気がつく。
「……あんた、こんなところに」私を見て、それだけ喋って黙り込んだ少女は、今度は確かな敵意を込めて私を見ていた。
物事を推し進める基本は数だ。味方となる人間を増やすことだ。
人の集まりが織り成す、好意と敵意のネットワークを制御する。口実はなんでもいい。実効力さえあれば。
多数に訴える場合は、明朗性が何よりも重要となる。敵と味方を分割する基準は、分かりやすくなければならない。
正しい倫理をもって複雑な善悪正邪を丁寧に見分けることなどは、一般民衆に期待してはいけない。それは残酷な要求だ。
セブンハウスは自分たちの都合からそのまま他勢力を仮想敵に設定した。分かりやすい。
ヘレン教創立者はもっと分かりやすい基準を選んだ。髪の色だ。烙印を押すよりも手っ取り早いシンボルだ。
その偏見はメビエリアラにも刷り込まれてしまった。自覚しても治らない。
不自由といえば不自由だが、まあそれはそれだけのことだ。
必要とあらば嫌悪感を完全に抑制して黒髪と握手することだって出来る。
逆に倫理を踏み越えるときの自分への口実にも設定できるし、悪いことばかりでもない。
『救済計画』も同様に、f予算獲得の協力者を適切に定めるために考案されたものだ。
ヘレン教で主導権を握りつつ、営利追求を公言してはばからないソウルスミスを除けば、表向き誰も反対できないのがこの概念の強みだ。
セブンハウスですら、この計画を表立って批判することは支持の損失を意味する。
≪受難の五日間≫。
ヘレン教の中でも高徳とされる五人が、さらなる修練に励むという名目で集まる会議だ。
盗聴可能性を清められた聖堂の卓につき、彼らは計画を検討する。
「事は順調に運んでいると思いますよ。救済の理念は浸透し、エフェクティヴの一部も抱き込みつつある。そして手に入れた予算を再配分する過程で、我々が利益を独占するのはそう難しいことではない」
暁の教師ファローネが長くたくわえた髭を揺らした。
「順調な事態などあるものか。想定はいくらでもすべきだ。セブンハウスだって動いているし、何より厄介なのは内側の敵だ。現に我々の存在に勘付き、対抗しようとする勢力の存在が観察されているではないか」
錆の教師ジゼイアが落ち窪んだ目を光らせた。
「そんなことより配分率が不満ですな。人材面で最も貢献している私の取り分が、あなたがたと同等なのは公正ではない」
堆肥の司祭フトマスは、血の滴る肉を貪りながら主張した。
「バイオレットが動いているな。誇大妄想に憑かれた若造らしいが……実力は本物だ。インカネーションの中でも戦闘力は突出している。抱き込めるならそうしたい。反救済勢力の情報も聞き出したい。それができなければ、消すべきだ」
墓碑の司祭ヤズエイムが、会議の長として問題の焦点を示した。
「その見極めにはわたしが当たりましょう」
灰の教師メビエリアラが申し出た。実際ここにいる者のうち、市街で最も動きやすいのは彼女だった。
「メビ、殊勝なことだな。少ない取り分でよく動く」
「何をたくらんでいる?」
フトマスが鼻を鳴らし、ジゼイアが疑った。
「とんでもない」
メビは涼しげに微笑む。目の前の同胞を愛しく思いながら。
「棲み分けが出来ているだけです。お金は少しでいい。わたしが本当に欲しいのは黒髪の身柄です。『救済』実施の貧民管理に紛れて、200ほど都合していただければ、それで十分なのです」
クエスト仲介所の、受付嬢の内の一人が、年上の受付嬢に声をかけた。
「ねぇお姉ちゃん、あの黒髪に”写し絵の羊皮紙”持たせた?」
「あ!・・・いけない、持たせてないわ・・・」
「もぅ、お姉ちゃんはいつもそうなんだから・・・」
「仕方ないわね・・・あの子にもたせましょう」
「リソースガード嫌いだけど大丈夫かな?」
「関係ないクエストだから、駄賃でもあげればやってくれるでしょう。」
***
見よ、これが戦いの終わりだ。
単なるどろさらいの割に報酬がいいと思えばその規模は大きく、貧民街から職人町を抜け、
さらに続く場所までを一直線に結ぶ溝の全てのどろをさらう必要があった。
途中でその雑な仕事のために、正規の清掃員に口汚く罵られたりもしたが、きっと彼も何か嫌な事があったのだろう。
長い距離を歩いた分、街のだいたいの構造も理解できた。剣を納め、帰ろうとすると、少女が声をかけた。
「あの・・・マックオートさんですか?」
「ん?そうだよ。何か御用かい?お嬢さん。」
話をすると、彼女はマックオートがきちんと仕事の報告ができるために、”写し絵の羊皮紙”というものを
届けに来てくれたのだという。
「もう終わっちゃっているみたいですから、私がやっておきます。」
そう言いながら彼女が丸められた羊皮紙を広げると、どろのなくなった溝の情景がそっくりそのまま書き込まれていく。
これも精霊技術によるものなのだろうか。
「これはすごい・・・」
「じゃ、これを受付に渡してくださいね。」
彼女は急ぎの用があるのか、羊皮紙を渡すとすぐに立ち去ろうとする。しかしここで別れるマックオートではない。
「お嬢さん、名前は?」
「え・・・?ソラですけど・・・」
「ソラちゃんだね」
「ちゃん?」
「今度一緒に、食事にでもいかないかい?」
「結構です。変な人ですね・・・」
ソラは去っていった。
マックオートは女性をお茶や食事に誘い、断られる事を習慣にしている一面があった。
そのため、声をかける前に女性をよく観察し、断ってくれるかどうかを判断している。
さて、仲介所に帰ろうと振り向いた時、一人の女性がいた。緑のフードからは金髪が見える。
マックオートは自分とその女性以外に人がいないため、自分に用があると確信した。いつもの調子で声をかける。
「お嬢さん、俺に何か用かい?」
女性は何も答えずに歩み寄ってくる。その表情を観察し、”それ”を警戒した。
そぐそばまで近づいた時、女性はスっと手を突き出した。その手は鋭く、まるで槍のようだった。
マックオートはギリギリの所でその腕をつかんだ。
「レディとこんな乱暴なふれあいはしたくなかったが・・・俺も痛いのはごめんだぜ。」
やはり”それ”だった。この女性はマックオートを殺す気か何かである。少なくとも、血を見たがっている。
女性はマックオートの手を振りほどくと、さらに2回、3回と手を付き出した。
マックオートも4回目までは対応できたが、5回目の手は頬をかすめた。血が流れた。
恐らく、まともに受けていれば体を貫き、悲鳴をあげることすらできなかっただろう。
「く・・・こうなったら・・・アイスファルクス!」
大きく距離をとり、剣を抜いた。それを見た女性は構えをとった。ますますやる気になったらしい。
マックオートは自分でさらった泥山に剣を突き刺し、すくいあげた泥を女性に投げつけた。
相手は顔を守るために腕で覆った。チャンスだ。
左足を軸にくるりと回り、一目散に走りだすマックオート。
相手が追いかけてきているかを確認する余裕すらない。
走って、走って・・・そして・・・疲れた。
この街では、黒髪に命があることすらお断りらしい。
カラスは、酒場で語りの芸を見せた。
いにしえの神々は 人間に戦いを挑みました
神々はそれより昔 技と魔を用いて
人間を支配していました
技を伸ばした 人間たちは
やがて 神を超えたいと思うようになりました
いにしえの神々は 人間に戦いを挑みました
長く続いた戦いの末 神々は人間に
光の世界を譲りました
その裏側にある 影の世界
やがて 神々は小さくなり…
精霊と なりました
「ここより、はるか西の島国に伝わる伝承です。
あらゆる自然の現象はその昔、神々の力と信じられてきました。
そして、神々が信じられなくなると…
自然の力は精霊と例えられるようになったようです。
私は異邦の者でございます。この街に伝わることはまだ良く知りません」
「ええと、今のでお金を取るのかしら」
「インカネーション部隊に職務質問されそうな内容だな…」
「旅人は容赦ないのね」
観客は、少々ざわついた。
カラスは、とぼとぼとその場を去った。
あの時の青年を思い出す。
彼のあの優しい笑顔が、たまらなく魅力的に思えた。
…呪いで身体がこんな風に変化したからだろうか。
いっそのこと、このまま素敵な旦那様を見つけて
幸せに暮らした方が良いのだろうか。
東の国で手合わせをしたサムライ仲間の内に、
今のような身体だったらすぐにでもついて行きたくなる程の伊達な男がいた。
いや、そんな考えはあまりに駄目だ。
そうなりたいとも思っていた頃もあったが、
いきなりこうなってしまっては、心の準備もあったものではない。
左腕に刺さった釘は、存在を思い出すと強烈に痛む。
逆に忘れるとその実像自体が薄れ、痛みはなくなっていく。
カラスは一生懸命働くうち、剣のことは忘れていった。
魔法のことも忘れていった。
呪いのことも忘れていった。
しかし、食べるだけの金は集まらなかった。
金になりそうな物といったら…手持ちの仕込み刀がある。
せめて、手放す前に刀身の輝きを見ておこう。
カラスはそう思ったが、しばらくの間使用していなかったためか
引き抜く事ができなくなっていた。
語りには続きがあった。
ときどき 不思議な事が起こるでしょう
精霊たちが 騒いでいます
人々のことを影の世界からずっと 見ているのです
忘れないでいてほしいと
思い出してほしいと
人々は自らにとって未だに知らぬ脅威である自然を、
昔から語り続けている。
朝も近い、静まり返った深夜。
オシロは一人、作業場で時計の秒針を凝視していた。
そして素早く火かき棒を精霊釜の奥に突き入れ、ゆっくりと金属の容器を引っぱり出す。
容器を完全に釜から出し終わると、オシロは汗だくの額をぬぐって大きく息を吐いた。
「カン、ペキ」
残しておいた最後のビールを飲み干し、オシロはそのまま寝転がろうと作業台にコップを置いた。
その直後。
ボッ ドドーーーンッッ!!
大爆発が起こった。
オシロの頭には一瞬、『暴走』の二文字が浮かんだ。
精霊の精製中、何らかの誤作動によって精霊が暴走し、
命を落とす精製技師が後を絶たないと、師は繰り返し忠告していた・・・。
しかし、作業場の壁へ逆さに叩きつけられたオシロが見た光景は、
燃え上がる木造の小屋ではなく、たった今精製し終わったばかりの精霊が、
微かに光りながら宙に浮かぶ姿だった。
「なんてこったああーー!」
爆音に重なってそんな声が聞こえた気がした。
そう思っている間にも、壁に押し付けられていたオシロの体が重力に負けて落下する。
「いてっ」
「誰だ!」
威圧的な声は、精霊から発声されていた。
「精霊か?精霊が喋ってるのか?」
混乱したオシロは、誰に向けるでもなく、思ったことをつい口に出してしまった。
「うるせぇ!俺を精霊と呼ぶな!
ちっくしょう〜、ウジ虫どもが姑息な悪知恵を働かせやがってぇ・・・。
俺が精霊になっちまうとはよぉ〜、笑えねえ。悪夢だぜ・・・」
言葉を発する精霊は、その語調とは裏腹に、穏かに光り、虚空を上下していた。
「おい、餓鬼。俺を再生したのはお前か?答えろ」
喋る精霊はどうやらオシロを認識し、詰問しているようだった。
「再生、っていうか、精製はした。精霊が喋るなんて聞いたこともないけど」
「ちっ。てことは、精霊の再生も忘れられるほど、時代が過ぎちまったってことか。
奴らも死んじまったのかよ・・・。それとも、ここがとんでもねえド田舎なのか?」
オシロは立ち上がって精霊に近づいてみた。周囲を見ると、思ったほど荒れてはいない。
精霊の周囲で爆風のようなものが起こったのだと、オシロは推察した。
「おい、餓鬼。低劣かつ見るからにお稚児野郎のお前に、
俺様が金にも等しい古代の知識を与えてやろう。脳蓋をかっさばいて聞け。
精霊とは、精神の化石だ。畜生動物では持てない、人間様の上等の精神が堆積し、
奇跡的な物理的、霊的条件を経て初めて結晶する魂の宝石だ。
正しい手順をもって再構築を行えば、過去の精神を再生することすら可能となる」
状況の混乱とは裏腹に、その言葉は驚くほど明瞭にオシロの頭に入ってきた。
懐疑を口にする前に、思わず聞き入ってしまう。
「そして俺が『常闇の精霊王』。暗黒を制し、精霊を統べた百虐の魔王だ。
光栄に思うがいい。俺の本体を再生するまで、お前のその薄汚い肉体を使ってやろう!!」
「え?」
反射的に思わず身構えたオシロだったが、つぶった目を恐る恐る開けてみても、
精霊は相変わらず穏かに浮遊しているだけだった。
拍子抜けした様子で精霊が呟く。
「あれ、動けん」
「コーティングしてあるから、駆動してもエネルギーは外に出ない」
「それじゃ精霊として使えねーじゃねーか!」
「外側から駆動すると自動的に解除される仕組み」
「それ、誰が考えたの?」
「僕。暴走対策に」
「すげーなお前」
「そう?」
それ以上何も言うことはなかったのか、単に間を取っているだけだったのか。
精霊が20秒ほど沈黙した次の瞬間には、
連日の強行軍で疲れ果てたオシロは、気づくと床に眠りこけてしまっていた。
「……ちぇー。正式認可の鍛冶屋は、どこの国でも頭が硬いんだから」
職人街を端から端まで練り歩いたあと、リューシャは広場の隅でベンチに腰を下ろした。
名物だとかいうあられ揚げの温かい袋を開き、いくつかまとめて口に放り込む。
「未精製とはいえ、低質の精霊はこんなひと山いくらで売ってるのに……」
その一方で、中級以上の精霊を扱う技術については、みな驚くほど口が堅い。
確かに、不用意な技術の外部流出は職人にとって危険な行為だ。リューシャとてそれは身に沁みている。
だが、リリオットの秘密主義は行き過ぎている気がした。
リューシャは外部の人間だが、今のところ、慣例的な技術提携、あるいは技術交流の申し入れの形式を外れたことはしていない。
それでもなお、誰ひとりとして迷う素振りすらなく、即答でノーを突きつけてくるとは。
「リリオットの職人は、みな恐れているんですよ」
不意に、誰かがリューシャに声をかけた。
視線を上げると、緑のローブを纏った女が微笑んでいる。リューシャよりも淡い色の金髪が、さらさらと風に揺れていた。
「あなたは?」
「ああ、わたしはメビエリアラと申します。ヘレン教で教師をしているのです。あなたは、旅の方でしょう?」
隣に座ってもいいですか、と尋ねた女に頷く。
するとメビは、宗教を志す者に特有の教えを説くような語り方で、リリオットで巡る迫害の輪について教えてくれた。
リソースガード、エフェクティヴ、ヘレン教。三年ごとに入れ替わる仮想敵。
「ソウルスミスに属する者の立ち位置は、その中で少しだけ特殊なのです」
メビは言った。
リリオットもまた、ソウルスミスの持つ物流網に各種の輸出入を大きく依存している。
それ故、リソースガードが迫害の対象になっても、その上位組織であるソウルスミスに直接牙をむく市民はほとんどいないのだと。
「みなその立場を手放したくないのです。ソウルスミスの認可は免罪符のようなものですね」
「……なるほど。外部の人間と技術交流に手を出して、職人仲間から浮き上がるようなことも避けたいわけだ」
道理で、どこもかしこも判で押したような対応ばかりのはずだ。
リューシャがため息をつくと、メビは控えめに、お役に立てましたか、と尋ねる。
「ええ、とても。ありがとう」
「いいえ。……あなたとはお話ししておいたほうがいいと感じたのです。予想通り、楽しい時間でした。ご縁があれば、またいずれ」
メビはそう言って立ち上がり、軽く一礼すると、リューシャを残して広場を去っていった。
海だ。
ここは、海だと思われる
とても暗い。
海底。おそらく深い海の底だ。
長い間、闇だけの映像が続く。
突然、光が生まれた。
小さくて活発な光。
曲線を描きながら飛び回っているのが見える。
光の正体を見極めようとじっと見ていると、光が1つから2つになった。
2つになった光はつがいのように仲良く、くっついたり離れたりしながら飛んでいる。
その様子をあなたは愛しそうに眺める。
やがて2つは分かたれて4つになり、
4つは8つになり、8つは16に・・・
たちまち、周囲は白い光の粒であふれた。
あなたのいる場所はもはや闇ではない。だが、海は思っていたよりもずっと広かったようで、遠くの方で終端の光が飲み込まれていく様子が見えた。
でも光は増え続けている。やがて闇は消し去られるだろう―――
そう思っていた。
すでにあなたは気づいていた。
いや、とっくに知っていた。
これは過去の記憶[イメージ]。このあとに本当は何が起こるのか知っていた。ここが海なんかではないことも知っていた。
光の粒は、やがてその輝きを弱めはじめた。理由はわかっている。老化だ。分裂を繰り返したところで寿命が延びはしない。全ての光の粒は一斉に老化し、同時に消滅する。それがシステムの定めた運命だった。
分裂を繰り返しながらも今まさに消えようとしている命の大群を前に、あなたは思考する。
"なぜ僕はここにいるのか?"
悲しい。
"なぜ僕は泣いているのか?"
あなたは神ではない。
あなたはただの人。
感情が、記憶[イメージ]が、あなたに道を指している。あなたの役割。あなたの運命。あなたは何という名前の光?
僕は―――
…指先で、光の粒の1つに触れる。
白い光は色の一部を奪われ、赤い光となった。あなたは愛しさのあまり、赤い光の粒にキスをする
すると――赤い光はなんと、他の光に攻撃を始めたのだ
それが引き金となり、光の粒たちは、今まで見たことのない様々な性質を見せはじめた。いくつもの光が合体して大きな光になったり。赤い光を中和させるため緑に変化したり。
緑だけではない。青、紫、橙、黄、……
弱い光たちは戦いにやぶれ消えていくが――しかし、そうした変化によって他の粒たちは確実に寿命を克服していった。
静かな誇らしさが胸を伝う。
あなたが生み出し、そして消えていった光。
弱くか細く、しかし真っ赤に燃える光。
あなたはその光を「エフェクト」と名付けて弔った。
ピンッ……パシッ。
リソースガードの仲介所で、ヒヨリは指で1ゼヌ銅貨を弾きながら聞き耳を立てていた。仲介所には多くの傭兵が集まり、毎日色々な話題が飛び交っている。ヒヨリは誰かが『救済計画』という言葉を口にしたら、すぐにでもすり寄って話を聞かせてもらうつもりだった。
しかし、いつまでたってもそのような言葉が聞こえてくる気配は無い。
「うーん、他の場所でも聞いてみようかなあ……」
別の回復術の使い手が仲介所にやってきたのを見て、ヒヨリは銅貨を弾きながら考える。
最近どうも黒髪に対する風当たりが強くなっていたので、ヒヨリは外を歩き回るのをなるべく控えていたのだ。
ピンッ……パシッ。
「ま、万が一の事なんか気にしていたら何もできないよね」
そう言うと、ヒヨリはテーブルの上のコインをかき集め席を立った。
ヒヨリは気付いていなかったが、ヒヨリが考え事中に弾いた14枚の銅貨は、全て裏を向いていた。
閉店間際の酒場に、ウォレスとダザがいた。ダザは最初こそウォレスを化物として警戒していたが、ウォレスの饒舌な語りを聴くうちに、すっかり話術に取り込まれてしまっていた。
そこに、一人の女性が現れる。ダザは咄嗟に清掃員のフリをした。
「儂が調査した結果によると、先々月から『粗悪な』精霊武器の流通量が『跳ね上がって』おる。武器屋の主人の話を総合すると、主な購入者はセブンハウス七家『ジフロマーシャ』と割れた。そしてその受け取り手は巧妙に偽装されておる」
「一つの疑問がある。この『大量の』『粗悪な』精霊武器は誰のためのものなのか? ヘレン教が己を守るためという理由では、こんな量は必要ない。 宙に浮いた武器たちはどこに行くのか? 公騎士団? 違う。リソースガード? 違う。エフェクティブには少し流れるじゃろう。だが儂は、この武器の大半は貧民街の者達の手へと渡るのではないかと危惧しておる」
「粗悪とはいえども精霊武器。使えば人が死ぬしろものじゃ。治安の悪化は避けられまい。事態が公騎士団の手におえなくなれば、暴動の鎮圧にはソウルスミスの傭兵どもが投入される。そうなればもはや恒例のガス抜きなどという話ではない。内戦じゃ」
「貧民救済計画の主役たる貧民が蜂起すれば、救済計画はあっけなく空中分解し、それに関わっている連中の取り分も無くなるじゃろう。否、大赤字になるじゃろうな。もはや『f予算』がどうだこうだとなどと言っている場合ではない。まさに一触即発。戦争前夜といった状況なのじゃ」
「『弾圧を抗争に』『抗争を内戦に』 救済計画をご破算にして、なおお釣りがくる大量の武器流通。いかにもセブンハウス七家『ジフロマーシャ』クックロビン卿の考えそうな極悪非道な計画じゃとは思わんか?」
「そして最初に言ったが、儂は『f予算』については興味が無い。誰がそれを手に入れても文句は言わん。必要ならば共闘でもなんでもしよう。じゃが儂には……それ以前の大問題が、精霊採掘都市リリオットには山積みになっておるように思えてならんのじゃ。のう、灰の教師メビエリアラよ」
ウォレスは振り向き、メビは微笑む。
「詭弁ですね。あるのは妄想と憶測だけ。あなたの言葉には理論も証明も含まれていない」
「では教会はまた儂の予言を無視するのか? 88年前のあのときのように」
「同じ過ちは犯しません。善処はしますよ」
助けもなんでも、求めて自分から動くものにヘレンは微笑んでくれるそうだ。
故に保護を求める者をヘレン教は拒まない。
私のこの胸につまりそうな思いも、自分から動いていけば、いつか。いつの日にかは。
(ヘレン、あなたは救ってくれるか?)
※
「少しの間、その子を見せてくれないか。」
少女は驚いていた。(何故今更)というような、不信が混じった表情だった。
……このまま話しても多分しょうがないので、私は黒髪の子の方に手をあてる。
「やめて!!勝手に触らないでよ!!」少女が食いつこうとする、だが、私は振りほどきもしない。
「『黒髪の子を助ける』ことは教理に反する。だが『君を困らせている原因を取り除く』と言い換えれば教理に反しない。
まぁ、そういうことにしておいてくれないか。」
「何を言い出すの……。」彼女が言いよどんだのは、男の子の周りにふわりとした柔らかい光が溢れたからだ。
ヘレン教の若き教師、メビエリアラ・イーストゼットが精霊駆動による回復術を編み出したのはほんのここ数年だ。
彼女が生み出した回復術は、実際には『体力と負傷の治癒』ではなく『戦闘中でも可能な程簡略化された肉体の時間遡行』という認識が近い。
そしてそれは戦闘負傷ではない、こういう病にもそこそこの効果がある。時間をかければ少しずつ健康体に『戻す』ことができる。
十数分後、続けていくうちに男の子もほんの少し息が楽になったようだ。
「ねーちゃん。」「ジルバッ!よくなったの?」「さっきより少しだけ。」「……よかった、よかった……!」
息を呑み、思わず泣き出しそうな表情で嬉しがる彼女を隣に、私はもう少し癒しの術を続けた。
息の他にも顔色が少しよくなった。しかし流石に私も疲れて、これ以上続けるのは無理だった。
「なんでこんなまどろっこしいことしてるの、あの時助けてくれればよかった。」
少女はまだ私を疑っているようだった。私はなんとか話し出す。
「……教理だからな。私はヘレン教の人々も助けを求める人々も、両方失いたくないんだ。そういうわがままだ。」
あの時黒髪を助ければシスター達に迫害される、助けないままなら私は黒髪に憎まれる。それは嫌だった。
「君が私に助けを請って断られた時に、
『どうしてこの子は何もしてないのに、黒髪というだけで助けてもらえないのだろう』、そう考えなかったか?」
彼女は黙りこんでいる。
「たぶんそれは『どうしてヘレンを信じているだけで、黒髪に迫害されなければならなかったのだろう』、そういう考え方と一緒だ。
私は、黒髪とヘレン教が憎み合うことが嫌いだ。ヘレンに反してる気がしてならないんだ。
そうしてできれば君に何かを、ヘレンを憎んで欲しくなかったんだ。
どうしても憎いというのならば、ヘレン教を憎まずに私一人を憎んで欲しかった。そんなところだよ。」
憎まないというのは何よりも難しい。現に私は殺したいぐらい憎い奴等が昔からずっといる。
私はそれを少女に頼みに来て、謝りに来たのだ。「すまなかった。」と。
とうとう日が暮れ始める、私は彼女の答えを待っている。
「詭弁ですね。あるのは妄想と憶測だけ。あなたの言葉には理論も証明も含まれていない」
ローブの少女が言ったこの言葉で目が覚めた。
例の化け物、いやウォレスの爺さんの話を聞いていたら確かにその通りだと思えてきていたが、よくよく考えればほとんど憶測レベルの話だ。
これなら、夢路の占いのほうがまだましだ。
しかし、まさかこの化け物に酒場で出くわすとは思わなかったな。昨日の偵察もばれてたみたいだし。
その後捕まって、延々と閉店近くまで話を聞いちまった。
なんか、いろいろと納得してた気がするが、話術っていうか、これも魔法使いが使う魔法の一種だったのか?
なにせ、御伽噺に出てくる丘の古城に住む不老不死の魔法使いだもんな。よそ者どころか古参の老害もいいところだ。
まぁ、なにはともあれ、爺さんが『f予算』に興味がないなら機構の偵察対象からも外れるだろうし、よかったよかった。
あとの精霊武器の流出先やクックロビン卿の内戦計画とかの話は保留だ保留。確かな証拠がないと動けようにない。
あ、だから俺がセブンハウスの偵察するんだっけ?
確かに本当に内戦になれば、多くの住民が犠牲になる。これは避けるべきだろ。
しかし、セブンハウスや機構を裏切って逆スパイをするなんて・・・、リスクが高すぎる。
セブンハウスの偵察なんか断ればよかった。いや、断れば殺されるかもしれないのか。
実は俺偵察苦手なんですって言っても無駄だろうなぁ。
とりあえず、受けるだけ受けとくか。出来るかどうかは別にして。
幸い、ウォレスの爺さんはこの少女との会話に夢中のようだし、今のうちにずらかろう。
誰だか知らないが助かったぜ。
「それでは、ウォレスさん。自分はこの辺で、何か分かりましたらまた連絡します。」
「ふむ。ではしっかり頼むぞ。仮に偵察が苦手でもな」
くっ、なんでもお見通しみたいなこと言いやがって!
ダザは出口に向かい再度ウォレスとローブの女に会釈をすると、ローブの少女は軽く微笑み会釈を返した。
ダザは「かわいい」と感じたが、同時にウォレスと同じような「恐怖」も感じた。
ウォレスが少年に見えるように、この少女もそう見えているだけなのだろうか。
話の内容はほとんど聞いていなかったが、喋り口調が普通の少女とは違った。
その口調を聞いていると、不思議な感覚になる。これも魔法なのか・・・?
ダザはそう考えながら、その不思議な感覚を振り払うために一度頭を振って酒場のドアを閉めた。
「ふぅー、どっと疲れた。全然飲めなかったし、他の酒場にでも行くか。」
酒場を出たダザはそう呟くと、次の酒場を目指して移動した。
果てしない量のどろをさらいあげた直後に命がけで全力疾走した男がいた。
その男は、目はたれ、口はぽかんと開け、背中は曲がり、肩でぜぇぜぇと息をしながら仲介所を目指していた。
体を押し付けて仲介所の扉を開けた。無理な力がかかったために、大きな音をたてた。
ガコン!その音とともに現れたのは、人のような形をした何かだった。
「何奴!?」
仲介所にいた傭兵は一斉にマックオートに注目し、おのおのが武器を手にとった。
緑の髪をした小柄な少女にいたっては、鉄でできた両腕を構え、いまにも斬り裂きにかかりそうだった。
「ま、まて・・・俺の肉はフレッシュだ・・・ゾンビなんかじゃあ、ない・・・」
マックオートは自分の無害さをアピールしようと必死に身振り手振りをした。
今にも倒れそうな、その情けない姿を見て、あえて攻撃しようとする者はいなかった。
あぁよかった、わかってくれたと安心したマックオートは受付へ向かう。
量があったとはいえ、クエストはただのどろさらい。それなのに彼は疲れきっている上に頬からは血が流れている。
受付嬢はビビりながらもいつもの調子で業務をしようとつとめた。
「ぁ、あ、はい。では羊皮紙を確認します。・・・き、れいになりましたね。ありがとうございます。
では、これが報酬です。」
報酬を渡した受付嬢は、羊皮紙に鳥の羽のようなものをかざした。すると、羊皮紙に描かれた情景は消えていった。
このようにして長い間使われているようだ。
「あ、あとそういえば・・・」
まだ何かあるのかと恐れる受付嬢。マックオートは封印された巻物を取り出した。
「これ、多分ここのクエスト依頼書ですよね?落ちていたんですが、誰のでしょうか・・・?」
マックオートは逃げる途中で道に落ちていた依頼書を拾っていた。
その巻物を見た緑の髪の少女はマックオートの元へ近づいてきた。
「あの・・・それを見せてください・・・」
さっきのあの少女だ。あの時はそれどころでは無かったが、あらためて少女を見たマックオートの瞳は
輝きを取り戻し、細胞が活性化し、背筋がピンと伸びた。
目の前で行われる数々の怪奇現象を目の当たりにした受付嬢はついに倒れた。
「もしかして、お嬢さんのものかい?」
「・・・そうです、ありがとうございます。」
少女は依頼書を取り、急いで仲介所を出た。素早かった。名前を聞くことすらできなかった。
それに関しては少々残念だが、困っていた人が助かったようで、なによりだ。
とてつもなく疲れたので、さっさと食事を済ませて宿で寝ようと思った。
ウォレス・ザ・ウィルレスを尋ねる道すがら、調子はずれの歌を聴いた。どぶさらいだった。
汚物にまみれてもご機嫌というのはどんなだろう。あったかくなってメビエリアラは近づいてみた。
「お嬢さん、俺に何か用かい?」
黒髪だった。周りには他に誰もいなかった。だから自然と体は動いた。
どぶに踏み込んでブーツが汚れる。別にいい。
指先に精霊を灯し、殺せる手刀を喉元に差し出す。相手に捕まれる。黒髪との接触はおぞましかった。それも別にいい。
「レディとこんな乱暴なふれあいはしたくなかったが・・・俺も痛いのはごめんだぜ。」
そんなことを言ってくるのが可笑しかった。
――ふふ。泥にまみれて平気なのに、血を流すのは避けたいの?
――知ってる? 黒髪は死んでもいいんだよ。死んでもいい気楽な人生ってどんな気分? 愉快極まって歌っちゃう?
捕まれた手を振りほどいて突きを繰り返す。
「く・・・こうなったら・・・アイスファルクス!」
業を煮やして相手が抜剣する。その剣で泥を飛ばされた。顔に飛んできた。
そのまま受けても良かったが、視界を防がれては殺せない。彼女は防いだ。それでも一瞬視界が遮られる。
すると相手は逃げていた。
追わなかった。長引くほど人に見られる危険は増す。
「……泥ほど汚くもないのに」
メビエリアラは、袖についた泥を手に取る。
握ってみた。隙間からにゅるりと漏れた。ぞくぞくと気持ち悪いのが面白い。
ぽたりぽたりと地面に落ちる。その形の無さは、精霊に似ていた。
ウォレス・ザ・ウィルレスを尋ねる道すがら、あたたかい人をもう一人見つけた。
広場のベンチでうなだれる女がいた。その姿を見て電撃が走った。なぜだろう? 理由があるはずだ。
「……ちぇー。正式認可の鍛冶屋は、どこの国でも頭が硬いんだから」
その独り言から、メビエリアラは多くを察することが出来た。
頭が硬いということは、頭突きで鍛造ができるということだ。彼女はそれが出来なくて困っている。つまり彼女も鍛冶屋なのだ。
「未精製とはいえ、低質の精霊はこんなひと山いくらで売ってるのに……」
女はあられを口に放り込む。メビは察する。もっと上質のあられを食べたいのだろう。
しかし上質の粗霊は勿体なくて普通は食用にはしない。貴族向けの高級品ならともかく、市井ではどこにも売っていない。
であれば自分で作るしかない。そのためには精製技術を職人に教わるしかない。
それで職人の門戸を叩いてみたものの、事情も分からず断られ続けたということなのだろう。
教えてあげよう。この人と話すのは楽しそうだ。
メビエリアラは声をかけた。
「リリオットの職人は、みな恐れているんですよ」
メビは女に、ソウルスミス影響下にある職人組合の硬直について説いた。
「お役に立てましたか?」
「ええ、とても。ありがとう」
礼を言いたいのはこちらの方だ。
話しているうちに、わかった。
彼女はヘレンを感じさせるのだ。まだ見ぬ、その究極の意味に。
リューシャ。
凍土に生まれた美しき刀匠。
メビが見出すヘレンはきっと、彼女に似たものになるだろう。
「これどうしようかなあ……」
ソラはノートを広げ見ながら裏通りを歩く。
『救済計画』メモにはそう書かれていた。掃除の合間に教会の修道士に聞いてみれば、教師達の間でそういう話が持ち上がっているらしい。ソラはヘレン教の教師と会ったことはなかった。こんな計画を立てる人達だ、きっと高い理想を持っている人がなれるのだろうな。
「そういえば教会で変な子供の伝言受けてたんだっけ。ええと、内容は……」
ソラは白いチョークを取り出すと、建物の壁に文を書き始める。リリオットの子供達の間では裏通りの壁や酒場のトイレなど、特定のポイントが伝言板として使われている。リリオットの噂話はこの伝言板を介して急速に広がっていくことがあるのだ。
<仲間急募!『f予算』に興味があって、金と戦闘にも興味がある人材募集中!ソウルスミス、リソースガード関係の方は大歓迎。黒髪不問。詳細は酒場のバイオレットまで!>
ソラはリリオットの各所に伝言を書いて回ると、「なんか違った気がするけどまあいいか」と呟きチョークをかばんにしまった。
それよりも大事なのは救済計画のことだ。好奇心で道端に落ちている依頼書なんて覗き見なければ、こんな場所に好んで来ることもなかっただろう。ソラは帽子を目深に被り直し、リソースガードの仲介所へ出向いた。
仲介所の入り口は摺りガラスが立てかけられ、中の様子がほとんど見えない。ガラスの先からはリズム良く金属を弾く音が聞こえる。ソラは恐怖で胸が一杯になる。心は勇気で満たしたつもりだったが、体は正直だ。曇りガラスの先にあるのは闇、曇天の夜、煙突の煤、馬車の天幕の中、地下牢、まっ黒。彼等ではないことはわかっていても、リソースガードを意識するだけで、鼓動は早くなっていき、汗か涙かもわからない液体が顔を濡らす。
一転、曇りガラスの先の金属音は止み、ガタリと椅子の動く音が聞こえた。緊張と驚きでソラは危く失禁しそうになった。
「あら……こんな所でどうしたの。顔色が悪いわよ」
ガラスの雲の隙間から現れたのは不揃いのツーテールを持つ黒髪の女性。彼女は軽く微笑むと、ソラの体に触れ、黄緑色の優しい光でソラの体を包んだ。誰かに似ている……そうだ、シャスタだ。
「あ、ありがとうございます。あの……」
「お礼なら硬貨を一枚くれないかしら」
「私の依頼を受けてくれませんか」
ソラは破ったメモと1枚の銀貨を出しながら、ツーテールの少女に深く頭を下げた。
歴史ある組織の常でしょうか。
ヘレン教も、決して一枚岩ではありません。
それは実働部隊インカネーションを有する、一般に言うところの「ヘレン教」の内部にも様々な派閥があるという意味でもありますし、そうした「ヘレン教」とは袂を分かつ分派が存在する、という意味でもあります。
同じ弱者救済を掲げてはいても、貧困にあえぐ民の保護をうたうのではなく。
学の無い子らに教育を施すことで、そもそも弱者が生まれない世界を目指すヘレン教や。
力無き者、肉体を欠損した者に、自らの力で生き抜く術を与えることこそが、本当の意味での救済なのだと信じるヘレン教もまた、存在するということです。
彼らは武装組織の代わりに、契約と実益でもってその身を守っています。
セブンハウスに条件付きで公認された学術院や、ソウルスミスと協定を結ぶ特殊施療院は、正統な「ヘレン教」からの異端視と引き換えに、迫害されない立場を手に入れたのです。
とはいえ彼らもヘレン教。その教理は解釈の違いこそあれ、根本的な部分は共通しています。
「それが、黒髪人種の拒絶です」
私の説明を解っているのかいないのか、黒髪の男性は数度頷きました。
「知的な話し方だ。それに声も素敵だ」
どうやら解ってもらえなかったようです。
「いや解ったよ。そういう背景があったんだな」
「ええ。中央は、学術院に通っていた方が多いですから。いわゆる「ヘレン教」をよく思っていなくても、黒髪を好意的に見ることも出来ないんです」
他にも「暴走したヘレン教信者の黒髪殺しに巻き込まれたくない」という即物的な理由もあるのですが(クエストの受注制限はむしろこちらの理由が強いです)、それはまあ、言わなくてもいいでしょう。というか、言うまでもないでしょう。
「ああ、うん、それは解ったんだが、なんでそれを俺に教えてくれるんだ? 愛?」
愛って、なんなんでしょうね。
「ですから、あなたが周囲の人から避けられていたのは、おかしくないということです」
「・・・ああ、うん。ありがとう?」
「……すみません、説明が回りくどいとよく言われます。話を進めましょう。おそらく、あなたが謎の女性、たぶんヘレン教の方なんでしょうが、その女性に襲われた。そこまでは何もおかしくないと思います」
「いや、十分おかしいが」
「おかしいですけれど、おかしくないんです。あなたはその女性から逃げて、私の依頼書を拾った。そうですね」
「ん? そうだよ」
「そのまま半狂乱でこのクエスト仲介所に戻り、周囲の人、いえ、私に、切り裂かれそうになった。そうですね?」
「そうだってば。さっきも言っただろ」
「そして、最終的にはその依頼書を、私に返してくださった、と」
黒髪の男性がこっくりと頷くのを見て、私は、天を仰ぎました。
考えうる限り最悪の展開です。まだ物乞いの方に売られていた方がよかったかもしれません。いえ、それでも、私が仲介所に戻ってきたタイミングでこの黒髪の男性と出会えたのは、「どうしたんだ? 忘れものか?」などと声をかけていただけたのは、最悪中の幸いだと、そう言わなければならないのでしょうか。
「ああ、解った。依頼書が破れてたとかそういうことだな。知らないよ、俺は拾っただけだ」
「いえ、そういうことでもなくてですね……」
私は何を言うべきかしばし考え、まずは解りやすくシンプルに結論だけを言うことにしました。
「あなたが私の依頼書を渡した相手は、私ではないんです」
(シャスタ)
赤い――
夕日に照らされて、少女の緑髪は黒に近い色に。その隣で静かに息をする少年の黒髪は、ワインのような色に変わった。
私は緑髪少女の答えを待っていた。彼女の目を見つめる
目の前にいる彼女と私の間には、彼女が知るよしもない90年以上にわたる憎しみの歴史が横たわっていた。
私はこの深淵を越えていきたい。だが勇気が足りなかった。だから彼女に……リッシュに手を伸ばして欲しかったのだ。それを掴んで向こうに渡るために。年端のいかない少女の手を。
大人げないと自覚している。
「あなたの、…」
リッシュもまた私の目を見つめた。ただれた瞼に包まれた目を。
「………あなたの髪ピンクできれい。夕日のせいかな」
少女はそう言って俯いた。
小声でありがとう、とも……
「何をしてる、ヘレン教っ!!」
甲高い怒号。
酒焼けした女の声に怒鳴られた。
見れば派手な服に身を包んだ女性がランプでこちらを照らしていた。安っぽい香水の臭いもするし、おそらく娼婦だ。
「ここがアタシらエフェクティヴ中央支部の自治区だって知ってんのかい!?その黒髪をどうする気だい!ガキを置いてさっさと立ち去りな!!」
普段はヘレン教以上に人目を忍んでいるエフェクティヴだが、ヘレン教の仮想敵期間だけは大きな顔をしてくる。
「……どうする気もない。この子は病気で…。」
「忠告は一度だよ、ヘレン教!!」
女性は長いスカートの裾をまくりあげると、太腿のベルトに挿してあった細剣[レイピア]を構えた。精霊が含まれている。
できれば私は戦いたくない。しかし今、私は怒りとも悲しみともつかない感情を女性に抱いていた。
私は立ち上がり、その感情を公然と訴えた。
「『エフェクティヴ自治区』?ならば、なぜちゃんと『自治』しない。貴方たちがちゃんと守ってあげているならこんな小さい子が二人きりで暮らしたり、病気で私たちを頼ったりするわけがない。」
「やかましい!!」
女性は勢いに任せてレイピアを突いてきた。後ろにはリッシュとジルバがいる。
「…………!!」
…私が小さく詠唱すると、薄闇の中に紫の煙がたちこめた。
「!?ゴホッ。どこにいる、ヘレン教ッッ」
このまま、逃げるべきだろうか?
緑髪の傭兵が聞いてきた『救済計画』とは何なのか。
それを調査するために、ヒヨリは仲介所の外へ出る。すると、ヒヨリの視界に苦しそうな顔をした少女が映った。その少女は青い帽子に金色の髪を携え、澄み切った空のような青い瞳をしていた。ヒヨリは、少女の顔がその青い瞳と同じくらい青ざめているように感じた。
「あら……こんな所でどうしたの。顔色が悪いわよ」
ヒヨリはそんな少女を放っておけず、少女に近づき回復術を行使する。ヒヨリの回復術は『時間遡行による回復術』と『肉体の自然治癒力を高める回復魔法』の合わせ技だ。体調不良にもそれなりに効果がある。
「あ、ありがとうございます」
「お礼なら硬貨を一枚くれないかしら?」
少女の顔に少し精気が戻ったのを見て、ヒヨリはすかさず硬貨を要求した。しかし、返って来たのは予想外の言葉だった。
「あの……私の依頼をうけてもらえませんか」
その少女の依頼は、「『救済計画』について調べ、ウォレスという青髪の少年に伝えてほしい」という内容だった。ヒヨリは丁度『救済計画』について調べようと思っていた所だ。断る理由は無い。
「まず、あなたの名前を教えて頂けますか」
「ソラといいます」
「ソラ……いい名前ですね。ソラさん、その依頼はこの私、ヒヨリが確かに承りました」
「あ、ありがとうございます!」
ソラが笑顔を見せる。その笑顔の可愛らしさにつられ、ヒヨリは自分の心が明るくなっていくのを感じた。
「ですがこの依頼。“依頼”じゃなくて“約束”にしてもいいかしら」
「はい?」
「ああっ!誤解しないでね。”依頼”だとリソースガードを仲介しないと怒られちゃうのよ。安心して、アタシは『“約束”を必ず守る』と傭兵達の間でも評判だから」
パチリとウインクをしながらヒヨリが笑顔を見せる。傭兵達の間に実際にそのような評判はないが、ヒヨリはヒヨリなりにソラを不安がらせないように気づかったのだ。
「わかりました。では“約束”。よろしくおねがいします」
「クエストクエストっと…」
受付に今受けられるクエストを確認してもらう。碌な依頼がない。
「コレほどの都市ならもうちょっと遣り甲斐の有りそうな依頼があってもよさそうだけど…」
「あー、それはねー」
受付の少女が語る。
「黒髪お断りのクエが多いからなの。ほら、ヘレン教が割と盛んだしね」
つまりは他の人がやりたくない仕事ぐらいしか無いということである。
「一番マシそうなので近くの野犬退治…」
「貴方は戦えるのかしら?」
「まぁ、護身程度には」
「ふーん。お手並拝見。退治できたらこの羊皮紙を広げて」
「情景を記録するアレ?」
「そうそう。じゃ、頑張ってね」
と、依頼を受けて出ようとしたところで入り口にマッドマンが!?
すわ、ゾンビか!?などと口走るものもいたが彼女には泥男に見えた。
結局、ゾンビではなく普通の傭兵だったらしい。よくよく見ると黒髪。
つまりはなんか仕事中ろくでもないことになったのだろう。黒髪だったために。
彼が手に持っている武器は凍剣の類に見えた。だが同時になんか嫌な予感がした。何かとんでもないことになりそうな。
とりあえずフードを深く被って外に出ることにした。
途中で職人街に寄り、郊外に出て野犬退治、帰って報酬もらって一泊。
職人街かどこかでリューシャを見かけたら剣の作成を依頼する。
心のなかでこれからの行動を反芻する。
「…長居は危なそうだけど…長居せざるを得ないかもしれないわね。はぁ…」
えぬえむはため息を吐きつつ、職人街の方へ歩を進めた…。
ソールの衣は、身につけた者の姿を消すことができる古代の神具である。
光の屈折を利用して相手の資格を惑わし、
あたかも使用者が透明になったかの様に見せる。
リリオットの街には、公衆浴場が設置されていた。
誰でも安く入れるらしい。
浴場の形式は、創始者が東の国のスパを参考にしている。
男女が別れ、人々はほとんど何も付けないで入浴する。
カラスは東の国にいた頃、それは特に納得がいかなかった。
が、今は久々の風呂であるし、別の目的が一つある。
この湯は、「霊傷」にも効くという。
カラスは腕に刺さった封印の釘が何とかなるなら、
何にでもすがりたいのであった。
どうしても受け入れられない風習にでもすがりたかった。
まさか、昼間から湯に使ってのんびりとする者はいないだろう。
カラスはそう思い、貯めた小ゼヌを払って浴場へ進んだ。
今の身体で入れるのは、女性用の浴場である。
服を脱ぐと、変化させられた身体が嫌でも目に入った。
もちろん女性のはずだが、少年のように痩せた姿である。
明らかに均整の取れた理想の身体ではない。
カラスはせめてもの気休めにと、ソールの衣を持参した。
この衣さえあれば、自分の姿だけは人に見えなくなる。
人がいれば、こっそりと紛れていればいい。
却って良くない行為となるかもしれないが。
案の定、昼間の浴場には誰もいなかった。
カラスは上から流れてくる打たせ湯のある場所で、
魔術の釘の刺さった左腕を打たせた。
「ぎえっ!」
思わず悲鳴を上げるほど痛かった。当然の結果である。
しかし、ここでくじけてはいけない。
「ぎええええっ!」
「ぎゃああああ!!」
何回繰り返しても痛かった。
すると、何者かが風呂場へ入ってきた。
カラスは慌ててソールの衣を被った。
「どうしたんですか?大きなバスタオルなんか掛けて」
衣の魔力は通じなかったようだ。そして、若い娘らしい声をしている。
カラスは、ますます慌てた。
「ちょっと装甲を洗いに来ました。
クエストの途中で泥の精霊が自爆したんです。
なかなか精霊汚れが落ちなくなっちゃって」
「あら、そうですか…!?それはそれは…」
カラスは慌てながら返事をして、相手の方をちらりと見た。
泥に汚れた装甲姿の女傭兵がそこにいた。
安心しつつも、カラスは恥ずかしくなりその場を後にした。
設定原案:Matrioshka_doll様
メビと別れてからしばらく、リューシャはかりかりとあられ揚げを頬張りながら、行き交う人を眺めていた。
改めて意識してみると、確かに、この街にはどこか張り詰めた緊張感がある。
深く掘り進めた雪洞の中で、頭上の雪がきしりと鳴った時のような感覚。
雪は非情で、氷は薄情だ。畏れても慕っても、平等に溶け崩れて多くを押し流していく。
その微かな前兆を捉えそこねれば、人はみな、あっという間に呑まれて消える有象無象に成り下がる。
リューシャはその軋みを知っている。
リリオットは軋んでいる。
「この街……深入りしすぎるのは危険、だろうなあ。バレたらヴェーラに死ぬほど絞られそう」
目的以外を疎かにしがちなリューシャに比べ、ヴェーラは利益を得るよりも不利益を避けるタイプだ。
その危機管理能力はリューシャを幾度となくたすけてきたが、最近はそれに伴うお小言の時間も伸びる一方で閉口している。
今回に至っては、わかっていてどうして手を引かないの、と言われるのが目に見えるようだ。
「……だけど、引くのはいつでもできるし」
もちろん、フットワークを軽くすれば、その代償として公的組織のバックアップを得ることは難しくなる。
リソースガードに登録することも一応視野に入れてはいたが、それもやめておいたほうがいいだろう。
というか、“ソウルスミスの正当な財産を守る”集団に、技術窃取を目論む身で乗り込んだのが発覚するのは非常にまずい。
この街からは逃げ出せばそれまでだが、ソウルスミスは契約書を取り交わした正式な取引先なのだ。
柄やら鍔やらの素材の入手ルートを完全に新規構築してくれなどと言ったら、さすがの幼馴染にも愛想を尽かされかねない。
ソウルスミスの受付嬢が一応どうぞ、と渡してくれた傭兵の登録申請用紙を、くしゃりと握りつぶす。
傾いた陽の眩しさに目を細め、リューシャは立ち上がった。
周囲にも、一日の仕事を終えた人々の流れが渦を巻き始めている。
握りつぶした書類と食べ終えたあられ揚げの袋をまとめてゴミ箱に放り込み、リューシャもまた、その渦の中に溶けこんでいった。
「どうぞ、お入り下さい」
割れた壁の奥には、髪のリボンで飾り立てた、可愛らしいお仲間の姿が見えた。可愛らしいお仲間の立つ部屋を照らす物は、まるでテーブルの上を揺らめくスタンド・ランプの灯くらいで、こうして廊下からぼうと立ち眺めると、なんともあの宝石のような生き物たちの泳ぐ、水族館の水槽を思わせるのだった──すると私はこの部屋の中に踏み込むのがなんだか恐ろしくなって、怯えながらも一歩、また一歩という風に足を前へと踏み出さなくてはならなかった。私がこうしてすっかりと部屋の中へ立ち入ってしまうと、可愛らしいお仲間が取っ手を引いて、壁を閉じてしまうのであった。いや、なんということの無い、快適な水槽じゃないか……。
私は安心すると、今度は部屋の奥へと進み、其処にある梯子に手をかけると、ぐいと身体を"屋根裏"まで押し上げてやった。
屋根裏──それは私の思い出の場を再現して、其処に幾つもの遊び道具や、机、椅子、食べ物なんかを持ち込んだ簡単なカジノだった。賭博の法で禁じられているリリオットのこと、私は時計館に訪れた者の中から、気に入った者だけを招く事で、こうして世の目を免れてて遊んでいた。……尤も、此処は私が儲ける為の場では無い。私は、屋根裏をあくまで遊び場として考えていた。それ故に、1ゼヌから遊ぶ事ができ、決して大負けが出ぬように掛け金の上限も定められていた。
友達のうち一人が連れてきたらしい蛇が、私の足元ををうろうろと散歩していた。踏まないように気を配りながら辺りを見渡すと、猫背のお仲間が弾くピアノの調、その最中、3人の友達がネクタイのお仲間を交えて、今、ポーカーの手を明かすところらしかった。ネクタイのお仲間がカードを総て捲った──ハートとクローバーのキング、ジョーカー、ハートの8、ダイヤの9。つまり、キングのスリー・オブ・ア・カインドだ。其れを見て乞食風の格好をした友達は、にんまりと笑みを浮かべ、手札を晒した。此方はスペード、ハート、ダイヤのエース、スペードの5、ハートの7。エースのスリー・オブ・ア・カインドだ。
「貴方は三連続も同じ手ですな、いや、しかしお生憎様ですがね、どうやらこのゲームは吾輩の勝ちのようですよ」
泣き顔の友達が手札を静かに捲った。ダイヤのエース、スペードの2、クローバーの3、クローバーの4、ジョーカー。ストレートである。チップを叩き付けて、乞食風の友達が悔しがった。
「やられたぜ、もう少し、あんたの動きを見張っておくべきだったかな」
泣き顔の友達は隣を向くと、このゲームを降りた友達に声をかけた。
「貴方は上手い事免れましたな」
その友達は蛇を手元におびき寄せながら、微笑んだ。
「"弟"が僕に教えてくれたんですよ、重複するカードがあるってね」
「それはいけませんな、蛇の奴に屋根裏を散歩しないよう、しっかり言いつけて下さいよ」
3人の友達は愉快そうに笑い合っていた。
他人の気高い強さは目標になる。ヘレンも、私にヘレンを教えたあの人も、今の私の指針となっている。
私も子供達の指針となれるような、強い人間でいたい。
……こうやっていかなる時も目標を考えるのは、ヘレン教信者特有の、もはや癖のようなものだ。
※
ここで捕まりでもしたら大事だと考えた。
『決めてしまったらもう迷うな、一瞬の迷いで戦闘には敗北する。信念<プラン>のままに行け。』
教理の文言が私の頭を掠めている。私はリッシュの手に小袋をねじ込みそのまま伝えるはずだった用件を削り取りながら早口でまくし立てる。
「煙は吸うな。君が不快に思わなければ使ってくれ。これぐらいのことしかできなくてすまない。私ではせいぜい症状を遅らせたぐらいだ。
この後もその子を守りたいならヘレン教にも黒髪にも近づくな勿論私にも。」
私はもう一度煙幕を張って、そこを逃げ出した。
郊外へ向かって走り続けて、追っ手が来なかったのを確認してからようやく呼吸を整える。流石に肺が痛い。
(ステンドグラス拭きのソラと、同じくらいの歳だったのかな。)
思えばあの少女の心と言葉遣いは、根っからの貧民のものとは思えないぐらい整っていた。
しかも彼女はリリオットの情勢にかなり疎いようだった。あの貧民街で数年は暮らしていると自称して関わらずに?
あるいは彼女の過去にいたたまれないことがあったのか。私はまた苦しくなる。
(……これでもヘレン教とは決め付けられないような服を着てきたつもりだったんだが。)
6月も初旬となり、体全体を覆うようなローブを着てる人間も少なくなってきたのだが、リリオットは山が近くて土地も高い。
まだ冷え込む日もあるし、コートぐらいで不自然ではないと思ったのだが。
いや、どちらかと言えばエフェクティブ特有の目印でもあるのかもしれない。
リソースガードなら性質上よそ者の服を着ていたりすることが多い。公騎士団などは制服や鎧を着込んでいるからもっとわかりやすい。
そういう印が特になく、貧しすぎず目立たない服装のくせに、一般人のような気がしない怪しそうな人物がヘレン教だ。
……なるほど。見分けることも可能かもしれない、極端ではあるが。
日は暮れた。街灯も明りがつき始める。
私はどうしても帰りを待つ子供達のところへ帰らなければならなかった。家まであと少しだ。
※
「アンタ平気かい?さっきアイツに何かヘンなことされてなかったか?」
「うん、私達二人とも大丈夫だから。心配してくれてありがとう」「……その子、病気だって?」
「大丈夫よ、ちょっと風邪引いてるだけ、私達寝床もちゃんとあるんだから」
エフェクティブを名乗っていた女性が立ち去ってしまってから、
リッシュはとっさに隠した小袋の中身を確認してみる。幾枚もの銀貨の他に何かが入ってるのを見つけた。
それは紙包み入った二つの飴玉だった。オレンジ色と赤色をしていた。
少し考えてから、赤色の方を口に放り込んだ。オレンジの方は弟にあげた。二人は久々に甘い物を食べて、
そして元気が出てくるような気がして(もう少しがんばってみよう)と、思った。できるならあのシスターのように。
メインストリートを一本外れた路地に、小さな武器屋があった。今では流行らない、木目調の建物。その古さといえば、柱の一本一本に毎年年輪が増えていると言い張っても、誰も彼もが信じそうになるほどだった。
真剣な目をした老人が、ウォレスの提示した品物を鑑定する。
老人のため息が、一つ。
「こいつは買い取れないね」「なぜじゃ?」ウォレスは問う。
「最近はちょっとばかり性能が悪くても、精霊駆動の商品ほうが売れ行きがいいんだ。こういう骨董品〔アンティーク〕は、もううちの界隈じゃあ取り扱ってない」
それは魔法のランプ。昼に消え失せ、夜になると再び輝き出すもの。それは「希望」という名の、昔ながらの魔法細工。かつて貴族たちがこぞって買い集めたそれも、今では精霊駆動のランプに取って代わられていた。
「そうか。この店にはずいぶん世話になったが……時の流れとは早いものじゃな」
「ウォレス……やはりおまえさんの感覚では、『このワシ』の世話になったというより、『この店』の世話になったという感想が先に来るか」
「ああ、先々代からの長い付き合いじゃからな。この店の造りには愛着がある」
ウォレスは柱の木目をなぞり、過去を思い慈しむ。
「最近、粗悪な精霊武器をまとめ買いしている貴族がいるという噂を聞いた」
「ああ、うちにも来たよ。どこもかしこも『これで不良在庫の処分が出来た』と大喜びじゃ。しかし景気が良いのはかまわんが、あれほどの数の精霊武器を、一体何に使うのか……」
「近いうちに……貧民たちが暴動を起こすかもしれぬ。あくまで可能性じゃが」
「暴動……」
「この街の公騎士団は、精霊武器を持つ者相手に手加減ができるようには作られていない。メイン・ストリートは血の海になるじゃろう。それを警告しに来た。その時が来たら、固く戸を閉めてやり過ごすことじゃ」
その助言を受けて、老人はへなへなと机に崩れ落ち、観念したように呟く。自分のせいで人がいっぱい死ぬと聞かされることほど、武器屋の経営者にとって残酷な話は無い。
「精霊武器の納入先は、ヘレン教教師ハルメルの倉庫だ。あの一代で成りあがった似非教師ハルメルの奴が、この件について何か知っているかもしれん……」
「ハルメル。あの成金ブタのハルメルか。ついに教師の座をカネで買ったか! 奴も偉くなったものじゃな!」
さっきのエフェクティヴの女がシャスタの正体を知っていたのは理由があった。
以前シャスタのことを見たことがあった
女には子どもがいた。今はヘレン教の孤児院にいるが。
『処分しろ』
エフェクティヴ幹部はそう命じた。
『我々に必要なものは何か。我々の正義の必要なのは何だ。力だ。武器だ。精霊だ。精霊を調達するための金だ。いいか。戦力にもならない赤ん坊に与えるミルク、衣服、寝床、総じてカネ、は、無い。加えて赤ん坊は泣く。この(コンコンと壁を叩く)薄っぺらい壁をどこまでも突き抜けて泣き叫ぶ。いいか。ここがどこだか知ってるか。お前が今いる場所がどこだか知ってるか。反政府勢力の総本山、肥え腐った豚を解体するナイフの芯、ニュークリアエフェクトの爆心地、エフェクティヴ本部の基地なんだぜ。そこから赤ん坊の泣き声が聞こえるような事態になったらどうなる。考えろ。お前は理解できる。いいか。我々が今までやってきたことを無駄にするな。そうだ。殺せ』
それが当時の幹部の方針だった。
社会から虐げられて生きてきた彼女の、エフェクティヴに対する帰属意識は高かった。「正義のため」――それをすべての合い言葉に、女は赤ん坊をかかえて走った。
街の外れまで来ていた。
細剣を構えて赤ん坊の喉元を狙う。
(―――)
女は剣を収めると、赤ん坊の体を道の端に寄せた。
「わざわざ血を流すこともないね。ここに放っておけばどうせしぬさ。」
そう言うと、踵を返して一人来た道を走った。
冬、だったか。
雪がちらちらと降っていた。
非情すぎる白さが彼女の心を残酷に抉った。
そして…
…1kmほど行ったところでついに耐えきれず、引き返してしまった。
赤ん坊はもといた場所にはいなかった。
それもそのはず、そこはヘレン教の孤児院の前だったのである。
『シスター・アリサ。この子、おなかがすいてますね。直ぐミルクを淹れてください』
あたたかそうな室内に自分の赤ん坊がいた。顔を火傷に覆われた修道女に抱かれている。
たっぷりとミルクのつがれた哺乳瓶を口に含まされた。
『もう大丈夫。今日からここが貴方の家だ』
赤ん坊はきゃっきゃっと笑った。
(母親のアタシが抱いたってほとんど泣きやみゃしなかったのに。)
頭上に雪がふりつもる。
(憎い。)
ヘレン教に子どもを奪われた。彼女はそう解釈した
(…憎い…。)
そう思うことでしか、母親であることを放棄した自分を正当化できなかった。
これだけ大きな街だと酒場も何件もある。
一番大きいのは、さっきまでいた市街地の近くにある看板が大きい酒場だ。
ダザが向かっているのは採掘所に近い小さな酒場。ここは、残業明けの鉱夫達が利用できるよう早朝まで営業していた。
店の名前は『泥水(どろみず)』。酷い名前だが、採掘所の鉱夫達の受けはよく、安い値段で泥酔するまで飲むことが出来た。
店の中は閑散しており、鉱夫が数人、あとは老人とジョッキにビールを残したまま寝ている少年がいるぐらいだ。
そういえば、俺も若いときに飲みに連れて行かれるたびにあんな風に酔って寝てたな。
そう思いながら、店の中に入った。
「おう、ダザ坊じゃないか。久しぶりだな。」
店の中に入ると、店主の親父が声をかけてきた。
「お久しぶりです、おやっさん。」
「採掘所にいたころには毎晩のように飲みに来てたのになぁ、まぁ一杯飲めや」
そう言って親父はクズ粗霊(アラレ)をアルコール精製した酒、精霊酒を注いでくれた。
安くアルコール濃度も高くクセの強い酒で、店名にもなっている「泥水」と俗に呼ばれている。
「採掘所を辞めて何年になるんだ?」
「今年で6年目です。」
「そうか、足のほうはどうなんだ?歩けはしてるようだが。」
「義足のおかげで何とかです。ただ、採掘所には戻れそうにはないですね。」
ダザは6年前まで採掘所で鉱夫として働いていた。
しかし、とある爆発事故により足を失い採掘作業が出来なった。
その後、採掘所を辞め、現在の公益法人清掃美化機構で働くようになる。
「そりゃ残念だ。今の掃除屋がそんなに気に入ったか?」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。
「親方!お久しぶりです」
「がははは、元気にしてたかダザ?おい親父!俺にも泥水だ!」
この威勢のいい髭面の男は、ダザが勤めていた採掘所の鉱夫長である。
面倒見も良く部下の鉱夫達からも慕われているいい男だ。ダザも採掘所時代によくお世話になっていた。
親方はダザの隣に座り、ジョッキに注がれた酒をグビッと飲んだ。
「しかし、義足だとしても普通に歩けるようなら採掘所でもやっていけるだろ。何が駄目なんだ?」
「この義足には稼動制限があって、採掘所のような過酷な環境には向いてないんですよ。」
「あぁ、そういえばそうだったな。事務職ならあいてるぞ?」
「俺が事務ですか?勘弁してくださいよ。」
いつもなら、こんな具合に炭鉱所の話で盛り上がるのだが、今日は少し様子が違っていた。
「ガハハハ、確かにおめぇに事務は似合わんな。・・・ところで調度いいところに来てくれた。ちょっと頼みたいことがあるんだ。」
と親方が言うと、急に真面目な顔をしてダザの方を向いた。
「親方が俺に頼み?珍しいですね。」
「・・・ダザ、おめぇ、エフェクティヴに入らねぇか?」
「俺が依頼書を返したのが、君じゃない? 何を言ってるんだい、お嬢さん」
黒髪の男性がわざとらしいぐらいに気取った態度で、そう尋ねました。
「私も、何が起きたのかは全然解っていないのですが」
でも、妙なことや、そこから予想できることはいくつかあります。
そうですね、この男性がクエスト仲介所に入ったところから考えてみましょうか。
「まず第一に、私は、あなたがクエスト仲介所から出ようとしていたところで初めてあなたを見ました」
「は?」
「私は、依頼書を返していただくどころか、あなたに対して戦闘態勢をとった覚えすらないんです」
男性が、私をぽかんとした顔で見ています。
「そもそもあなたが言う『切り裂きにかかりそう』というところからおかしいんです。私は基本的に、急に誰かに襲われた時は、回避行動をとります」
相手の戦闘力を奪う方が避けるよりも簡単そうならその限りではありませんが、その場合でも使うのは左腕だけです。格闘姿勢をとったり、ましてや人を『切り裂きにかか』れるようなナイフの類を構えることはありません。
「いや、そんなことを言われても」
たしかに、私の癖を説明しても仕方がありませんでした。
「問い詰めるようになってしまってごめんなさい。あなたを疑っているわけではないんです」
彼の言っていることが事実らしいのは、既に受付の名物姉妹の妹さんから確かめてあります。
この男性は、確かに、「私」に依頼書らしきものを渡していた、と。
「では、ええと、受付さんの反応が、妙だとは思いませんでしたか」
「・・・いや、別に」
疲労と困惑が見て取れます。申し訳ないとは思うのですが、私も必死です。
「この、身元も確かでない傭兵たち相手に、今までいくつものクエストを仲介してきた受付さんが、精神が弱くてはとても勤まらないであろう受付さんが、簡単に失神してしまったのを見ても。何も思わなかったんですか?」
「いやそれは、あのときは君の美しさに目を奪われていて、気付かなかったんだよ」
ぶれませんね。尊敬します。
「……いいですか、いつもの受付さんなら、そんなことは起こらないはずなんです」
名物姉妹のお姉さんは、まだ目を覚ましていません。確かにこの男性は奇妙ですが、だからといってそこまで動揺するとは、いくらなんでも考えられません。
「もしかしたら、受付さんは、誰かから思考を幻惑、≪混乱≫させられていたのではないでしょうか」
そのような、人の思考や認識を阻害する技を受けた人の話は、よく噂で聞くことがあります。
混乱状態にある方は、正常な判断能力を失ってしまうそうです。
場合によっては、何も出来なくなって、意識すら失うこともあるのだと。
「そして、あなたも」
たとえば、私と同じ格好、同じ髪型をした人間が、周囲を≪混乱≫させるような技を用いていれば。
周囲に居た仲介所の方々が、その人物を私と誤認しても、何もおかしなことはありません。
そしてこの方は、そもそも私のことを知らないのです。
私の言葉を聞いた男性は、軽く眉を寄せ、黙ったまま少しうつむきました。
何かを考えているようでしたが、私は続けます。
「これは、誰かが私を陥れ、何かをしようとしているのではないでしょうか」
私の言葉は仲介所の喧騒に飲まれ、周囲には響きませんでした。
困っていた人が助かったようで、なによりだ?
いやそんな事はない。重大なミスをしたために、逆に人を困らせてしまったのだ。
マックオートは後悔した。
仲介所のテーブルで、二人の男女が会話をしていた。
マックオートは確かに依頼書を持ち主の少女に渡した・・・つもりだった。
というのも、マックオートは疲れきっており、目の焦点があっていなかったのだ。
緑の髪の少女は、今いる自分が本物で、その時渡した相手は自分の偽物だったと説明した。
なるほど、思い出してみれば、あの時の少女の腕はシザーマンもびっくりの鋼鉄。そのうえ、
指のすべてが刃物というおぞましいものだった。
しかし、今ここにいるレストの腕は鎖帷子に包まれてはいるが、人間の腕の形をしている。
うむ、こちらの方が何倍もかわいい。もちろん腕以外もだが・・・
「それは済まないことをした。すぐにでも偽物をとっ捕まえないとな・・・」
テーブルで対面して座っていた所を、マックオートが急いで立ち上がろうとする。しかし、足に力が入らない。
「うおっつ!?」
「大丈夫ですか?あなた、相当疲弊していますよ?」
「あぁ、すまない。君の素敵な服に泥をつけてしまったね・・・」
倒れそうになったマックオートを、レストが支えたのである。
「それに、黒髪なんかにさわったりして、忌み嫌うべき行為じゃないのかい?」
「それは大丈夫です。私には、心がありませんから」
「そんな心ないことを言わないでくれよ。俺はこの街にきて今までずっと一人だった。
しかし君のおかげで、そうでなくなったんだから・・・
俺は機械か何かに対してこんな感情は沸かないさ・・・」
マックオートは黒髪というだけで避けられていた。黒髪を泊めてくれる宿もほとんどなく、
黒髪でも利用できる唯一の宿も相部屋で、肩身の狭い思いをしていたのである。
酒場で白い髪の女性が美しく見えた。その女性は微笑みをくれた。
しかし、一人だった。
誰もやりたがらない仕事を一人でうけた。気持ちを紛らわすためにあえて変なテンションで取り組んだ。
やはり、一人だった。
仕事帰りには襲いかかる金髪の女性から逃げまわった。
そして、一人だった。
しかし今は、話をしてくれる人がいる。
安心すると、借金の利息のように積み重なっていた疲れがマックオートにのしかかった。
そのまま眠り込んだマックオートを見てレストはどうしたものかと考え、
抱きかかえると仲介所を出た
なんだかんだで職人街へたどり着く。
「ここまで大きいとさすがに盛況ねー…」
目に入るはいろんな店。
馴染みのある武器を売ってる見せから分けのわからぬシロモノを売ってる店まで千差万別。
なんだかんだで彼女も鍛冶屋の弟子。
武器の質ぐらいなら一目でわかる。
(なにこれ。鍛冶屋の腕が泣くわね。ひどい材料)
精霊を作った武器ではあるものの、粗悪。その一言に尽きる。
(ぶっちゃけそこらの鉄で作ったほうがよさそうな気もするけど)
口には出さない。因縁付けられて殴られるのがオチだ。
価格を見るとあり得ないほど安い。しかも大量に並んでいる。
(薄利多売もいいけど、こんなんじゃあ…)
並んでいる店の主の顔をひとつひとつ確認するがリューシャと思しき人物はいない。
(まぁ少なくともそこらで安物売ってるようなチャラい鍛冶屋じゃないのは一安心ね)
帰りにもう一度寄ろうと心に決め、えぬえむは野犬退治に向かった…。
「善処はしますよ……ウォレス様」
立場も歳も下の少年相手に、メビエリアラは目を伏せて敬意を示した。
「ふん」
ウォレスの態度に、メビはやはり、と得心する。
ウォレス・ザ・ウィルレスの妄想じみた自意識の真偽を量ることに意味はない。真実は瞬間に宿る。ウォレスが仮にも信じるならそれは今この場の真実なのだから、メビもまたそれを信じる。それは妄信ではなく、見えるものを増やすことだ。客観は主観の排除ではない。主観の集積だ。
やはり墓碑の司祭ヤズエイムの指摘は正しい。重視すべきは、この少年には力があることだ。そして情報も持っている。それは≪受難の五日間≫がこの街に広げている策謀連鎖網にもエフェクトし得る情報だ。見過ごすことは出来ない。
しかしメビエリアラの見るところ、自分とこの少年の利害は対立していない。直交している。であれば交渉は可能だ。
メビは一歩を踏み出す。
「ご一緒してよろしいでしょうか?」
「近寄るな。ふん、平手で争えばお主は儂を殺せよう。しかしお主もタダでは済まさぬぞ。癒せぬ傷を与えてやろうか」
ウォレスの拒絶で一気に場が冷える。メビは苦笑した。
「こんな人目のある所で? わたしを通り魔か何かと勘違いしていませんか?」
「お主がそれより危険な者ではないとどうして言える。儂も沢山の人間を見てきたが分からぬな。お主、何から生まれ何に育てられた?」
「そんな……精霊のうろから人が生まれるでもなしに」
困ったものだ。確かにこの少年の慧眼は素晴らしい。彼女の性質に感づける者は滅多にいない。しかし彼女に敵意は無かった。
「底が知れなければ信用もできないとは、ずいぶん臆病ではありませんか」
「長寿の秘訣を何だと思っておる」
メビは嘆息する。そこまで警戒するなら仕方ない。彼女は右手を上げた。
ウォレスは動かなかった。反応する必要はなかった。メビの手からは、薄い煙状のものが放たれていく。それは精霊だ。しかし攻撃や煙幕効果に化ける気配はない。何も起こらず、ただ空中に溶けていく。
「お主……狂っているな」
「剣を怖がる相手には剣を仕舞う。当たり前の礼儀でしょう? わたしはあなたと話がしたいのです」
人に精霊を宿らせる方法は単純だ。食物などから直接摂取する。これによって蓄積された精霊は、文字通り自分の体のように駆動することが出来る。
メビエリアラはそれをすべて放出し霧散させたのだ。これで彼女は精霊を一切駆動できない。戦いもままならなくなる。
「ご一緒してよろしいでしょうか?」
好きにしろと言ったウォレスだが、それは獣を招くより勇気の要ることに思えた。
夕暮れが藍に呑まれて消える頃、街は、昼とは違う色の衣を纏ってそこに立ち上がってくる。
精霊の光に照らされて、リリオットの夜は明るい。
しかし精霊灯の明るい光に照らされた表通りを一歩離れると、道端に立つのも、一段暗いオイル灯やガス灯が多くなる。
それより先は、薄い闇がそこここに淀む裏通り。
リューシャはその境界に立って、シャンタールの柄を静かに撫でていた。
軽く鯉口を切ってみると、刀身の放つ冷気が白く零れる。
この先にあるのは、昼には表出しない街の暗部。必然、血や欲のにおいが強くなるものだ。
「……お前は本当に癖の強い子だね。人斬り包丁に造ったつもりはないよ」
わずかに覗かせていた刀身を鞘に収め、リューシャはため息をつく。
踏み込むか、引き返すか。
普段のリューシャならば躊躇はしない。だが、この街で派手に動くのは遠慮したいというのが正直なところだった。
ヘレン教への、そして黒髪への態度を見ていれば、この街が異物排除に躊躇しないのは明白だ。
できることなら、敵を作るのは最小限に抑えたい。
「ねえ。……あなた、ひょっとしてリューシャさん?」
考えに沈んでいたリューシャに、誰かが後ろから声を掛けた。
振り向くと、深くフードをかぶった少女が立っている。
「そうだけど、あなたは?」
「あー、えっと。なんて言ったら伝わるのかしら」
少女はひとりでブツブツと「あのクソ野郎」「紹介状くらい書いとけ」などと吐き捨てていたが、やがて考えがまとまったのか、
「うちの師匠が、リューシャさんの凍剣を一本欲しがってるの。打ってもらえない?」
というようなことを、師匠への隠し切れない罵倒混じりに告げた。
リューシャはその言葉の端々から、ああ、と相手に思いあたったらしい。
「依頼主に検討はついたわ。じゃああなた、えぬえむさん、かしら」
「え、ええ。リューシャさん、もしかしてあいつの知り合いなの?」
「知り合いというか、あなたの師匠って……まあ、……この業界でも目立つ人だから」
濁した。人のことは言えないが、彼はなんというか、目的のためには手段を選ばなすぎることで有名だ。
「打つのは構わないけど、正規の依頼として請け負うと残念ながら二年は待つわよ」
「げっ。そんなに掛かるの?」
「ええ、……ただし。あなたがこの街でわたしのお願いを聞いてくれるなら、特別に依頼を一番頭にねじ込んでもいい」
ぴ、と指を立てて笑んだリューシャに、えぬえむは少し考えて、聞くだけ聞くわ、と頷いた。
「ですがこの依頼。“依頼”じゃなくて“約束”にしてもいいかしら」
「はい?」
つい訊き返してしまった。それは予想外の答えだった。普通なら、ソラの身なりを見るだけでもっと訝しむし、大抵は興味なさそうに断ってくる。そう思っていた。
「ああっ!誤解しないでね。”依頼”だとリソースガードを仲介しないと怒られちゃうのよ。安心して、アタシは『“約束”を必ず守る』と傭兵達の間でも評判だから」
黒髪ツーテールの女性、彼女はさっきヒヨリと名乗っていた。ヒヨリはウインクをしながらソラに笑顔を見せた。
「わかりました。では“約束”。よろしくおねがいします」
渡した銀貨は戻ってこなかったけれど、ソラは胸の高鳴りを感じていた。
リリオットの夜。ソラは自分の部屋の硬いベッドの上に転がりながら、今日の出来事を思い返していた。今でも、ヒヨリとの”約束”で一度高鳴った胸はまだおさまっていない。
ランプの火は橙色に輝き、枕元を照らしている。
今日は色々あった。そのことを思い出す。
「やっぱり……ステンドグラスに願をかけてから世界が変わった。そんな気がする」
ソラが手のひらをランプにかざすと、指と指の隙間からキラキラと光が漏れていく。
リリオットの街は光に溢れていて、楽しい夢の一時を感じさせてくれる。人も、物も、精霊も、みんな嬉しそう。自分の喜び
ソラは約束した時にヒヨリに触れた指を大事そうに両手で包んだ。ソラの胸の高鳴りは、その日の夜が明けるまで続いた。朝日が見えソラの心が落ち着いた時、ランプの油は底を突いていた。
例の精製の夜から目覚めた後、オシロを待っていたのは基地長からの尋問だった。
どうやらオシロが眠りに落ちてから、爆発音に気づいた基地長たちが作業場に駆けつけたらしく、
そこであの『トコなんとかの精霊王』とやらが、またしても大演説をかましたらしい。
オシロの証言を得た後、基地長は『トコなんとか』を二級機密扱いに指定。
上層部に報告後、直ちに搬送する予定となったのだった。
(ったく、大人はいっつも一番面白いとこだけ一人占めしようとするんだから。
・・・まあでも、精製失敗で弁償させられるよりマシか)
何度目かの全く同じ愚痴を心の中で呟きながら、オシロは酒場のボロ机の上で酔い潰れていた。
そこは仕事終わりに、オシロの育ての親であるベトスコがよく連れて行ってくれる、
村近くの安酒場だった。
オシロの暮らす小村のほとんどの住人は鉱夫であり、その全てがエフェクティヴの協力者でもある。
つまるところ、オシロもベトスコも彼らの口裏合わせによって鉱夫として村に住み着き、
実際は近隣の基地で精製作業を行うという日常を送っているのだった。
「・・・ダザ、おめぇ、エフェクティヴに入らねぇか?」
「何ですか?藪から棒に」
「すみません。オシロさんはおられますか?」
「・・・ちっ、何でこんな所にリソースガードが来るんだよ・・・」
ぼんやりと酒場の会話を聞いていたオシロだったが、
その声を聞いたとたん、がばりと起き上がり、入り口の扉の方へと頭をひっくり返した。
「レストさん!?」
オシロの視線の先には、緑髪の女性と、それに寄りかかる黒髪の男性の姿があった。
「ああ、オシロさん。夜分に申し訳ないのですが、他に頼れる所もなくて・・・。
知り合いの男性が疲労で倒れてしまわれたんですが、少し様子を見ておいて貰えないでしょうか?」
その緑髪の女性、レストは、そう言って肩をまわした男性の顔を見た。
ぐったりとした黒髪の男性は、顔色こそいいものの、
全身は泥まみれでまさに疲労困憊という状態であるのが見て取れる。
「はいもちろん、って言いたいんですけど・・・、じーちゃん?」
オシロは伺うように、一緒に来ていたベトスコの顔を覗いた。
オシロもベトスコも、レストとは面識があったが、
彼女は、彼らがエフェクティヴであることを知らないはずだった。
それは当然でもあり、彼女が属するリソースガードとエフェクティヴは、
場合によっては互いの利害をぶつけて争い合う敵同士なのである。
「かまわんよ。その黒髪の坊主も随分苦労したんだろう。ここで一泊させていけばいい」
「ありがとうございます。私はもう少しやることがあるのですが、
今夜中には必ずもう一度訪ねますので。よろしくお願いします」
「ああ待って、レストさん!」
店から出ようとしたレストを、オシロは慌てて引き止めた。
駆け寄ってポケットから精霊を握ったまま取り出すと、それをそっとレストのポーチに滑り込ませる。
「余りものですけど。お代はまた今度ビールでもおごって下さい」
「いつもすみません。でもこれ、本当はもっと価値のあるものなのでは・・・」
「いえいえ、全然、全く。あ、そうだ。この間、すごく面白いことがあったんです。
今度、ぜひ聞いてくださいね。本当は言っちゃいけないんですけど」
苦笑いをしながら出て行くレストを見送った後、オシロは横になった黒髪の男性を見下ろすと、
ニコニコしながらその両足を抱えて店の奥へと引きずっていった。
さて、私は戸棚からビスケットを取り出し、皿に盛りつけるとテーブルまで運んだ。
「皆さんお楽しみのご様子。どうですかね、御飲み物でも」
友達はみなポーカーに熱中していたと見えて、私が声をかけると、今やっと気付いたという風に此方に顔を向けた。
「やあ、楽しんでいますよ。ミルクに蜂蜜を入れていただけますか」
泣き顔の友達がチップを掻きまわしながら言うと、乞食風の友達が下舐めずりをした。
「キャローレルがまだ残っているか、そいつを頼む」
「のんだくれめ。僕は水で良い。弟にもあげてくれ」
蛇飼いの友達は、蛇をマフラーのように首に巻き付けていた。
「畏まりました」
友達の注文した品を揃える為に、ポーカーのテーブルを離れるとカウンターの辺りへ向かった。
ああ、楽しいじゃないか。気の合う仲間と、友達に囲まれて。それで退屈だなどと、それこそ要らぬ心配というものじゃあなかったかね。私は、この楽しみという奴を、よくよく眺めまわしてやらねばなるまい。さもなくば、消えぬものも消える、という事じゃあないかね……。
私がそんなふうに物を考えていると、梯子を昇ってくる者があった。学生服のお仲間と、首にバンダナを巻いたお仲間が、街から帰ってきたのだった。
私は、彼らの方に近寄ると、やあ、お疲れ様という風に声をかけた。しかし、二人とも表情がいつもと違った様子で、私はどうしたのだろうと思っていると、バンダナのお仲間が何やら耳打ちをしようと、私の耳元に口を近づけてくるのであった。私は、彼の話す言葉の数々に耳を傾けていると、自分で私の瞳が爛々と輝いて行く様子が解った。血が沸き立ち、熱くなってくるのが解った。心臓がカチカチと音を立てるのが解った──楽しい期待!
「おお、私の仲間たちよ!先ずは礼を言おう。だがね、私は心配だよ。君たちは、其処までの事をしてくれなくても良いのだよ。君達は、私の事を良く考えてくれて、それは本当に嬉しい事なのだけれども、我々は貧弱だからね。私は、君たちのような同じ趣味を持った──そうとも、時計についてよく知り、ちょっとした賭けなんかで盛り上がれる友人を──気の合う友人をみすみす失う訳にはいかぬのだから」
二人の仲間は暫しの沈黙のあと、私の言葉に無言で頷いてくれた。
私はその様子に満足しながら、これからの事に胸を期待で膨らませていた。
『おお、幕が上がるのを見たぞ、舞台がやってきたぞ。我々役者は舞台を歩き回ろう、帽子を被り、仮面を付けて、手袋をして。着飾って逍遥しよう。ガス灯の合間を泳ごう。満月の夜には帽子を夜高く放り、それを受け止めよう。意味も無くわあと叫んで煉瓦の道を踊ろう──ともすれば、楽しい事しかないさ』
サルバーデルはこう言った。
「では、何から話そうかのう」
慣用句である。思考する以前に、最初に訊くべきことは決まっていた。
「教師メビエリアラよ。率直に訊こう。この無謀な指令は、『f予算を狙う輩を打ち倒せ』というやつは、まだ有効か? 止められるのは今だけじゃ。中止しろと言ってもらえれば、儂は自分の城に帰る」本気で城に帰るつもりであった。だが。
「中止はしません」メビは微笑み、優しく残酷な声が響いた。
「あの指令は各教師たちの『願い』を精霊投票システムで最大公約数化したものです。誰もが皆『f予算は自分のものだ、誰にも渡さない』と考えている。だからそういう指令になってしまったのだと私は推測しています」
ウォレスはうんざりする。結局、こうなるのではないかと予感はしていたのだ。
「私からも訊きましょう。あなたは――どんな意味で不老不死なのですか?」
それは回復術を操る教師から見れば訊かずにはいられない疑問だった。言われて、ウォレスは考える。果たしてどこまで話したものか。メビは若い。だが驚くべき回復術の開祖でもある。知識もあり、機転も効く――
「ただ死んだことが無く、昔の記憶がある、としか言えんな。しかし実際のところは分からんぞ。どの街にも丘の上の古城の御伽噺はある。儂は何処かの時点から枝分かれしたコピーなのかもしれぬ」
自分がコピーかもしれないと語ってなお、ウォレスの精神は揺るがない。可能性だけならなんとでもいえた。あるいは世界は5分前に作られたばかりかもしれない。
「しかし本当に良いのじゃな? 結果がどうなっても知らんぞ? 儂はヘレン教の司祭でも教師でもない。教団の存続や、この街の未来にまでは責任は持たん」
「――歴史を紐解けば、そこにはいつも一人の意気地なし〔ウィルレス〕がいました。あなたはいつもそうやって、実力を隠して、出来事に目を瞑って、責任から逃げ回ってきた。意気地なし〔ウィルレス〕のウォレス。あなたの人生はまるでからっぽの伽藍堂のよう」
「そうじゃとも。儂の人生はからっぽの伽藍堂。しかも嘘と詭弁で塗り建てられておる。毎夜毎夜、己が己であることすら疑い、死の夢を待ち望む、弱く儚い化け物じゃ」
メビは少なからず落胆したようだった。不老不死の秘密を聞き出せるのではないかと期待していたのだろう。だがあいにく、ウォレスはそれを明かすつもりはなかった。
「何ですか?藪から棒に。・・・その話は前断ったと思いますが?」
エフェクティヴは労働条件が厳しい鉱夫などの貧困層による反体制組織である。
鉱夫長である親方もエフェクティヴに所属しており、また、親方の下で働く鉱夫達も多くが加入していた。
ダザも配属直後に勧誘を受けたが、そのときも断っていた。
親方も「無理に入るもんじゃねぇ」と言ってそれ以降しつこく勧誘してくることもなかった。
「ちょっと事情があって人数が必要なんだ。確か、断った理由は戦力差が大きすぎてニュークリアエフェクトが起こせねぇからだったろ?」
「そうです。それなのにセブンハウスやソウルスミス相手に小競り合いを起こし、無駄に犠牲を増やしている。本気で街全体のシステムを再構築したいのか疑わしいもんです。」
ダザはこの街が好きだった。そして、この街の施政機能、七つの貴族とその分家から構成されるセブンハウスが公平かつ正当に機能していないことも知ってる。
エフェクティヴはそのシステムを破壊して、再構築するニュークリアエフェクトを起こすことを目的にしている。
ダザはニュークリアエフェクト自体にはそこまで反対ではなかった。ただし、それは圧倒的戦力差で実行可能かつ犠牲がより少なくすむことが前提であった。
再構築が不可能なら、現状のシステムをより正常に働かせるよう努める。それが今の仕事に就いている理由の一つであった。
「その戦力差だが、どうにかなるかもしれん。」
「…といいますと?」
親方は更に周囲に注意し話し始めた
「誰にも言うなよ・・・?まず、炭鉱所で今までにねぇ巨大な精霊が見つかったらしい。これを奪えれりゃ武器や資金が増やせる。
それに、セブンハウスも再構築後の待遇さえ良くすれば裏切る分家の奴が何人かいる。そいつらとも接触中だ。」
「確かに、随分ましになりそうですけど、それだけじゃまだ戦力も資源も・・・」
「それだけじゃねぇ・・・。」
親方は、酒を一度飲むと緊張した面立ちで続けた。
「ある巨額な資金を得る目処がついた。あの金さえあればリソースガードを抱え込むことも可能だろう」
「巨額な資金?ま、まさか・・・!?」
その時、酒場のドアが開いた。ダザと親方は一瞬身構えた。
入ってきたのは緑髪の女とドロだらけの男。両方見たことある顔だった。
緑髪の女は6年前の爆発事故の時、一緒に特殊施療院に運びこまれた子供の一人。
確か名前はレストで、今はリソースガードやってる。
もう一人の男は、ドブさらいをしてた奴か。ドロがいろんな所に飛び散ってて、それを注意したんだっけ。
「すみません。オシロさんはおられますか?」
「・・・ちっ、何でこんな所にリソースガードが来るんだよ・・・」
親方が悪態をつく。レストは男を連れて、寝ていた少年のところに向かった。
親方は再度声を小さくして聞いてきた。
「まぁ、なんだ。気が変わったらいつでも来てくれ。」
ダザは答えなかったが、断りもしなかった。
光っていた。
マックオートは巨大な光を放つ物体の前に立っていた。
「青年よ、お前が私を探しているのは知っている。」
耳を介さず、声が心に直接響いた。知っている・・・知識・・・
マックオートは超自然の怪異に驚きながらも、心当たりが一つあった。
「まさか・・・精霊結晶ジーニアス!?」
「最近の人間は私をそう呼んでいる。しかし、存在の認識は噂程度だがな・・・」
精霊結晶ジーニアス・・・マックオートは、ありとあらゆる知恵と知識が刻まれたものだと噂で聞いていた。
どうしても知りたい事があったマックオートはジーニアスを求めてここまで旅を続けてきた。
どんなに研究してもわからず、どんな占い師に頼んでんもわからなかった事を知るために・・・
「では、聞こう。お前は何を求めている?」
「・・・この剣にかけられた呪いを解く方法を求めています。」
マックオートは答えた。しかし、良い答えではなかったようだ。
「いや、私が聞いているのはそこではない。
お前は剣の呪いを解くことに何を求めている?
剣の呪いを解くことに、どのような利益を求めている?」
マックオートは意外な返答を受けてしまった。剣の呪いを解くことに執着するあまり、
呪いを解く理由を見失っていたのだ。マックオートが答えを出せないと分かったジーニアスは続けて声を送る。
「ならば、今は答えまい。お前がお前自身を知った時、また会おうではないか。」
何も分からいまま終わってしまうのだろうか、マックオートはそうなる事を避けたかった。
「ま、待ってくれ!また会うなんてどうすれば・・・?」
「私に会いたいと強く望め。そうしれば私はもう一度、お前の元に現れよう。」
そう告げると、その光はさらに輝きを強め、ついには目を開けていることさえできなくなった。
マックオートは顔を腕で覆うと、いつのまにか横になっていた。
・・・夢だったのだろうか。しかし、その割には意識があった。不思議な時間だった。
それにしても、肩や後頭部が痛い。どこかで打ったのだろうか。
体を起こすと、そこは知らない部屋だった。床の上で寝ていたらしい。
痛む頭を抑えながら、自分の身に起こった事を整理していると、近くから会話が聞こえてきた。
「それで、あの男性はどこに休ませたんですか?」
「あぁ、こっちだよ。ついてきて。」
一人の声は分かった。あの時の緑髪の少女だ。
ヘレン教に必須なのは純粋な力よりも、論理を組み立て、知略を巡らし、考えること。
勝つために、生きるために、とにかく頭を回転させる。それから口からの出任せ等も上手くなる。
※
「シスターシャスタ、貴方は少しの間買い物に行くと言っていたのに、何故こんなに帰りが遅くなったのですか?」
名前の前に役職名等をつけるのは私達があらたまって会話をする時の礼儀だ。だから私は礼儀正しく答えた。
「メインストリートにつっぱり牛魔人が現れて、そのお祭り騒ぎに巻き込まれました。」
「アンタともあろうものが何を真顔でとんでもないごまかし方をしているのよッ!!」「事実です。」
少なくとも前半は事実だったのに、どうしても信じてもらえなかった。こういうことは悲しいものだ。
現在、この大教会に住んでいる人間は六十人程度。内訳は身寄りのない老人達や怪我人、家に帰れない女性などをまとめて十人程。
更にインカネーションに所属して、寝泊りする場所を借りている者が数名。
孤児達がのべ四十人、その中で十にもみたない年齢の子供が三十人はいる。残りが純粋に教会の仕事に従事している者だ。
教会は人手が少ないために、一人が抜けた仕事の負担はかなり大きい。
清掃担当と孤児の相手をすっぽかし、夕飯の時刻を過ぎても連絡無しに外出していた私は、
大教会の運営責任者、チェレイヌ様に執務室でこってりと絞られていた。
「……どうしても本当の遅れた理由は話せないの?」「ですから先ほど話したのが事実です。」
「アンタも拾った頃から頑固なヤツだったわねぇ。埒が明かないわこのままじゃ……やだわ、こんなこと言ったら本気で歳とったみたい」
「婦長、あなたの希望に沿えないことなど私は行うはずがありません。」
「その呼び方はやめなさい。せめて教会長や院長って呼びなさいって。」
「私は素敵だと思います、婦長が。」「こうやって関係ないことでごまかして煙に巻こうって寸法ね、やめなさいって!」
チェレイヌ様の呼び方は私達の間では圧倒的に婦長が人気である。シスター達の頼りになるまとめ役であるからだ。
「あぁ、しょうがないわね。貴方のことだから別におかしなことはしてないでしょう。そう信じてあげるわ。」
そのうち婦長は私への質疑応答を諦めてしまったようだ。ドアを指差し、帰るように促した。
「留守の間はミレアンが貴方の代わりをしていたようだから、彼女の朝食当番を代わってあげるように。
貴方の分の夕飯は、アリサが取っておいてくれたみたいよ。」
「……失礼します。」私が席を立とうとすると、最後に婦長はこう言った。
「何があったのかは知らないけれど、最近は物騒さに磨きがかかってるから用心しなさい。
みんな貴方の留守を心配していたのよ?」
「……今後は、このような失態がないように致します。」私はそう言って、礼をしてからドアを閉めた。
夕食と聞いてそういえば腹が減ったので、私はまだ眠れなさそうだ。
日はすでに傾いていた。6時までに"家"に帰らなければ"当番"に間に合わない。
「ヤーバイヤバイ」
夢路は急いで店をたたんだ。
夢路の"家"はメイン・ストリートを一本それた風俗街にある。ピンク色のカンバンがバンバンが立ち並ぶなんだかムワァーッとした雰囲気の街、一軒だけシャッターの下りた店の、二階が"家"だ。
「ただいま。」
「遅いっ!」
玄関を開けるなり布でくるまれた何かをポーンッと投げられた。
キャッチしてみれば柔らかい。中身は赤ん坊だ。ボールみたいにぽんぽん投げられてもまったく怖がらず、むしろ楽しいのかきゃっきゃっと笑っていた。
「仕事」
「私も」
「ゆめじー留守番よろしく」
「はーいはい、いってらっしゃーい」
夢路は、赤ん坊に手を振らせてママたちをお見送りした。
ここはエフェクティヴ中央支部。別名、"エフェクティヴ女子部"とも呼ばれる。その名の通り女性と、1歳未満の子どもしかいない。
1年前まで、ここは「エフェクティヴ本部」だった。当時の「戦略会議室」は今は「会議室兼ミラールーム兼育児室」だ。
当時唯一の女性幹部かつ現中央支部基地長のチグリスは提唱した。
『最も強い生物は母親である。よく知られている通り彼女たちは精霊よりもポテンシャルの高いエネルギーを体内に保持している。そう…愛だ。誰であれ、守るべきものがなければ強くなどなれない。よって、生まれてきた子どもを殺すことは直接的に重要な戦力を削ぐことであり、我々の目的・ニュークリアエフェクトを明らかに阻害する。これは現実的な話だ。貴方のような、子どもっぽい理想と無駄な犠牲にまみれた机上の空論とはまったく別の、常識以前の、いわゆる"猿でもわかる話"をしている。』
未婚の女が生んだ子どもは殺す、というのが慢性的にお金のないエフェクティヴの(そういう事態は普通この基地でしか起こらないが)慣例であった。チグリスはそれに異論を唱えたのである。
他の幹部はこの主張を無視しようとした。そんなことより一挺でも多くの精霊武器を買いたかった。
そこで、チグリスは娼婦達をまとめあげ、幹部とその他男たちを残らずこの基地から追い出した。
"本部"は逃れるようにして他の場所に移動し、ここは"本部"から"中央支部"になった、というわけである。
『救済計画』について調べるため、ヒヨリはメインストリートを歩く。
右へフラフラ、左へフラフラ、粗霊(あられ)揚げをカリカリ。
だが具体的な情報は何一つ手に入れる事ができなかった。
ヒヨリはメインストリートの乞食たちに銅貨を与え、「何か『救済計画』について聞いたら教えて」と協力を仰ぐ。
しばらく歩いた後、メインストリートの端で、ヒヨリは一人の弱りきった老齢の乞食を見つけた。
ヒヨリはその乞食に銀貨を与え、回復魔法を施しながら願う。
まだ名前しか知らない『救済計画』が、その名の通りに誰かを救うものでありますようにと。
「……つまり、精霊の精製とか、加工の技術者に関する情報がほしいってことね?」
リューシャの逗留する宿の食堂で、えぬえむはそう確認した。
グラスを置いたリューシャが頷く。
「そう。外部の人間にも技術を提供してくれるような相手ならもっといいけど、交渉まではしなくていい」
「ふーん。でもあなた、ソウルスミスに顔が利くんでしょ?紹介してもらえばいいじゃない」
「ソウルスミスの認可を持ってるところはだいたい回ったけど、あれはダメね」
リューシャは肩をすくめて、メビが教えてくれたリリオットの現況についてをかいつまんで説明する。
えぬえむは精霊炊きと呼ばれる煮込みをもくもくと咀嚼しながら、その話をふんふんと聞いていた。
「なるほどね。それで、アングラな技術者を探して欲しいってわけ」
「ええ。……ただ、まあ、できる限りでいいわ」
リューシャは酒を片手に、ちら、と店内を見回して声を潜める。
「……この街は、なんだかキナ臭い。深入りは危険かもしれない」
「危険?」
「消えた街の予算がどうとか、なんとかいう計画が進行中だとか、精霊をこれ以上掘るのは危険かもしれない、とか」
ひとつひとつ指を立てて数え上げる。
宿の食堂で語られる世間話、職人街の徒弟たちの噂、広場で飛び交うゴシップ。
多くを語ろうとする者はいないくせに、みななんとなく、何かが起ころうとしているのを感じているらしい。
周囲で酒や食事を楽しむ人々の中にも、どんな裏のある人間がいるかわからない。
「……とにかく、無理をさせたいわけじゃないわ。それらしい情報があれば、わたしに回してほしいってだけ」
街の状況を考えれば、認可を持っていない職人が“そういう”活動に従事していることは十分に考えられる。
そう言ったリューシャに、えぬえむは軽く眉を寄せた。
「でも、何も手に入らなかったら二年待ちでしょ?」
「あら、わたしはそんなに狭量じゃないわ。……秘書には怒られると思うけど」
いたずらっぽく微笑むと、リューシャはポケットから一枚の紙を取り出す。
紙には枠線が切られ、依頼主の名前、希望の仕様などいくつもの記載項目が羅列されていた。
「これ、依頼用の書類。記入が終わったら、この宿のフロントに、わたし宛に言付けしてくれればいいわ」
もちろん情報もね。
そう告げて、リューシャはぱちりとウインクした。
会話中に突然意識を失って倒れた黒髪の男性を、私はクエスト仲介所から運び出しました。あまり注目を浴びるのは避けたいところでしたし、それに話をうかがう限り、この方、受付や他の傭兵の方々が見ていた偽物の「私」とは、また違う「私」を見ていたらしいのです。
ほとんど何も解らないこの状況で、その情報はとても重要な手がかりになります。そんな人を、ソウルスミス直轄の仲介所に捨て置くわけにもいきません。
……そう、私は実のところ、リソースガードとその雇い主のソウルスミスをも少し怪しく思っています。
偽物が男性を待ち伏せた上で人々を≪混乱≫させて依頼書を奪ったのではないか、という推測を立てはしましたが、実はこの推測には致命的な欠点があるのです。
すなわち、「なぜ彼が依頼書を拾ってクエスト仲介所まで行くと解ったのか」。
そして「解っていたならなぜ、先にその依頼書を奪ってしまわなかったのか」。
いえ、それ以前に「なぜ私が依頼書を落とすことが解っていたのか」。
仮に、誰かが私のポケットの底を刃物で切ったとしましょう。そんなことができるなら、なぜその方はそのとき、私の依頼書を盗んでしまわなかったのでしょうか。何らかの理由で、誰かが拾った依頼書を私のふりをして取り返す必要があったのだとすれば、どうやってその方は、依頼書を拾った彼を、クエスト仲介所で待ち伏せたのでしょうか。
この男性は、依頼書を拾ってから仲介所まで全速力で走った、というようなことを言っていましたから、待ち伏せをするには、とてつもない健脚か、予知能力のような力が必要になってしまいます。
≪混乱≫のような特殊技術を使える人でしたら予知やテレポートも使えるかもしれませんが、それならまだ「偶然、私に似た少女が、偶然、私と同じく依頼書を紛失していて、偶然、それを取り返しただけで、私の依頼書はまだどこかに落ちている」という方が可能性が高いように思えます。でも、前提条件を一つ変えれば、誰かが拾った依頼書を取り返すだけなら、それほど難しくは無いのです。
たとえば、犯人が個人ではなく、複数犯だったなら。
それも、二人や三人ではなく、何らかの組織だったなら。
依頼書がどこにどのタイミングで運ばれても対応できるように人材を配置しておく、それだけの予算と人材さえあったなら、待ち伏せは十分に実現可能です。
この街には、そうしたことを実行可能な組織がいくつか存在しています。
そのうちの一つが、ソウルスミスというわけです。
「完全に熟睡していますね……」
眠っていることを確かめてから、一応、彼がまだ依頼書を隠し持っていたりしないか、持ち物を勝手に調べてみましたが、やっぱり特に怪しいものは見当たりません。
私は手を挙げて、メイン・ストリートを走っていた馬要らずの馬車を止めました。
私の知る範囲で、大きな組織の息がかかっていない場所と言えば……
「……すみません、採掘所近くの『泥水』までお願いします」
代金は、申し訳ないのですが、この男性の報酬から出していただくことにしましょう。
野犬退治は彼女にとっては些細な障害であった。
前から襲い来れば剣を構築して斬り払い、
死角から襲い来ればアルティアの精霊砲で打ちのめす。
接近遭遇から5分と経たずに、野犬の群れは壊滅していた。
「まぁ、コレでしばらく来ることもないでしょ」
渡された羊皮紙を広げ、退治の証拠を撮る。
「日も暮れてきたわね。戻る頃には夜になりそう」
アルティアが髪の毛の中に潜り込んだのを確認し、フードを再び被り直す。用心に越したことはない。
帰り道、念のため職人街を再び通る。
しばらく歩くと、剣を手に取り、ため息をつく金髪の女性の姿。
その刀身はチラリと見ただけでもわかる。相当な質のモノだ。
アイツも様々な属性をもたせた魔剣を作れるのに、
わざわざ注文(奪ってもいいとか書かれていたがそれは措く)する理由がわからないと思っていたが、
一目見ただけで得心した。なるほど、達人の業前だ。
取りあえず、凍剣を作れる刀匠が目の前にいるのだし逃す手はない。話しかける。
「ねえ。……あなた、ひょっとしてリューシャさん?」
「そうだけど、あなたは?」
「あー、えっと。なんて言ったら伝わるのかしら」
衝動的に話しかけたことを少々後悔する。
(リソースガードへの紹介状を用意しといて彼女への紹介状を書かないとか頭おかしい書いとけよ)
ぶつくさ悪態をつく。
(大体同業者なんだから私通さなくてもいいじゃない直接注文してよあのクソ野郎)
ぶちぶち文句を言いながらどう説明したものかと考え、ここはそのまま話したほうが早いと結論づけた。
「うちの師匠が、リューシャさんの凍剣を一本欲しがってるの。打ってもらえない?」
「依頼主に見当はついたわ。じゃああなた、えぬえむさん、かしら」
「え、ええ。リューシャさん、もしかしてあいつの知り合いなの?」
「知り合いというか、あなたの師匠って……まあ、……この業界でも目立つ人だから」
ろくでもないことは容易に想像がつく。自分ですら(自分だからこそ、ともいえるが)存在を抹消したい相手である。
「打つのは構わないけど、正規の依頼として請け負うと残念ながら二年は待つわよ」
「げっ。そんなに掛かるの?」
2年待ち。700日ちょっと。その間「あー早くこないかなー楽しみだなー」などと言いながらこっちを意味有りげに見つめるアイツの姿が目に浮かぶ。
プレッシャーを四六時中かけることは間違いない。そういうろくでなしなのだ。アイツは。
「ええ、……ただし。あなたがこの街でわたしのお願いを聞いてくれるなら、特別に依頼を一番頭にねじ込んでもいい」
またとないチャンス。もしかしたらここまで織り込んだ上でクエストを入れたのかもしれない。
だとしたら相当狡猾ではある。
だがチャンスはチャンス。2年待ちの恐怖から逃れるためなら火の中水の中ぐらい余裕で飛び込むつもりである。
内心の喜びを隠しつつあくまでクールに。
「…聞くだけ聞くわ」
街の雰囲気は、何も知らない旅人にとっても不穏に感じられるほど変化し始めた。
ましてや、現地住民にとってはいかがな事であろう。
ここにもまた一人、無知の旅人がいた。
カラスは、リリオットの図書館に来ていた。
図書館に来れば、この街の歴史を知ることができる…
もとい、無料で時間や空腹を潰せるからである。
この静かな場所なら、邪念も払える。
先程出くわしたあられ揚げの屋台を眺めてから、カラスの邪念は朝霧のように消えない。
カラスは『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』という本を借りて読んだ。
あられの卵とじ載せトーストが、実に旨そうに掲載されている。
だが、そんな事をしている場合ではなかった。
金もない、仕事もない、おまけに呪われている。
街からは抜け出せない。このままでは干からびてしまう。
仕方ない。今は街のことを良く知り、上手な過ごし方を考えよう。
カラスは、知識を増やすために本を読んだ。
『観光客に贈るリリオットの歩き方』
『リリオット経済誌』
『騎士剣術指南』
『古代精霊論』
『リリオット広報:あられ』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『やさしいヘレン様』
『児童用フルカラー天然色精霊図鑑』
『みんなで遊ぶレクリエーション』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『美味しいあられの揚げ方(恋愛小説)』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
そして、図書館を出た。
目の前には、汚れた作業着の少年がいた。
ちょうど入れ違いになろうとしていた彼の手に、
あの美味しそうなあられ揚げの袋が握られていたのだった。
カラスは、少年に話しかけた。
「そこの君、私は東の国のサムライ。光陰相対流のカラスと申す。
今はこうして各地を修行して回っているが、そのついでに珍しいものを集めている。
そうだ、東で作られたビー玉を交換しないかい?」
「これから、調べものをするんだ。また後でね、バイバイ」
少年は面白そうに笑ったが、急いでいるようだった。
「あ、あ、あの…あられ…あられが…」
カラスは少年の手にある袋がどうしても欲しかった。
「ん?この袋?全部食べちゃったけど」
いそいそと図書館へ入っていく彼を、カラスは残念そうに見送った。
はて、彼女は何をしているのだろうか。
私が良い傭兵を雇いにふらふらと街を彷徨い歩くと、酒場の辺りで、東洋風の衣装に身を包んだ、白髪の娘をみつけた。
見れば彼女は芸を披露しているらしく、箒を弦楽器のように抱えて何やら歌を歌っていた──歌の言葉には聞き覚えがあった。確か、東の国の言葉だったか。
私は、暫しその歌声に耳を傾け、やがて歌が終わると、欠伸なんかをしている人の脇を通って彼女に声をかけた。
「解りかねる!貴方のような者が何故、このような事をしているのか?」
彼女はキョトンとした表情で私の顔を見ていた──いや、彼女だけでは無い、その場に居合わせた幾つもの視線が私を向いていた。全く、散歩とは気苦労事だ。何処へ行ってもこうなのだ。
私は周囲をじろじろと眺めてから、わざと大きな音を立てて咳払いをしてやると、白髪の娘へ向き直った。
「これは失礼しましたな。私は其処らで小さな時計館を開いている、サルバーデルという者です。もし宜しければ、少しく私の話相手になっては頂けませんかな?」
私がそう言うと、彼女がはっとした表情をすると、名乗りを返してくれた。
「私は、カラスと申します」
カラス!何とも澄んでいて、綺麗な名前だろうか。
「宜しい!ではカラスさん、其処のテーブルで食事でもしながら……と言いたい所ですがね、どうも、ちと人の目が騒がしいですな。外の澄んだ空気でも吸いながら、そうだ散歩でもしませんかね。いや、人間、健康が一番ではありませんか」
私が彼女を誘うと、どうも彼女の瞳からは不安さが見て取れたので、私は言葉の端に付け足した。
「なに、お礼はしますよ」
オシロの所属するエフェクティヴ基地。
その精霊保管庫に、運送用に梱包された精霊が一つ置かれていた。
魔王を自称する喋る精霊、『常闇の精霊王』である。
その表面にはさらに厚く対暴走コーティングが施され、
いかに内部から精霊エネルギーを駆動しようとも、発動できないよう封印されていた。
はずだった。
しかし、精霊の内部に、ほんの僅かな不純物が残っていたのである。
パンジーの花粉。その細胞を精霊エネルギーで強化し、
物理的に対暴走コーティングを破壊することは、『常闇の精霊王』にとって難しいことではなかった。
めきめき・・・ ずんっ!
「!?」
保管庫の前で番をしていたエフェクティヴ構成員は異常な音に気づくと、
すぐに鍵を開け、保管庫の内部を確認した。
「うわ・・・!」
保管庫から飛び出した緑色のツタが、構成員の口めがけて飛び込む。
直径10cmはあろうかという太さが、彼から声を出す権利を迅速に奪った。
「わざわざ俺を精霊と一緒に置いておくとはな。
やはり人間全てが小賢しくなったというわけではないらしい」
パンジーと同化した『常闇の精霊王』が、虚空に向かって告げる。
保管庫の中はもはや原形をとどめておらず、安置されていた精霊は全てツタに突き破られ、
無数に絡まりあった太い茎が庫内をバタバタと跳ねまわっていた。
「殺しはせん。せいぜいあのクソ生意気な餓鬼のご機嫌でも取ってやるさ」
構成員の口内にガスが噴出され、精霊で強化されたパンジー内で合成された化学物質が、
すぐさま構成員からその意識を奪った。
「もっとも、24時間から先は命の保障はできないが」
レストはドロだらけの男を少年に任せると、店を出て行った。
少年はその男を引きずりながら店の奥へ連れていった。
「たく、リソースガードめ。」
親方はレストに対して再び悪態をつく。
「知ってるんですか?」
「直接やり合ってはないがな。緑髪のレストって奴で実力は確からしい。」
「そうなんですか。」
リソースガードをやってるのは知っていたが、事故から6年頑張ってやってるんだなと、ザダは感傷に浸った。
「ところで、ダザ坊」
店主の親父が申し訳なさそうな顔で声をかけてきた。
「なんでしょう?おやっさん。」
「悪いんだけど、さっきの若いのが汚していった床、掃除しといてくれんか?」
「はい?あんなよそ者が汚していった床を?」
「頼むよ。公務員の掃除屋だろ?酒代1杯分タダにするからよ。」
「たく、大した値段じゃないくせに。」
と、ダザは渋々と掃除を始めた。
ダザが掃除を始めて数分後、再度店の扉が開いた。入店してきたのは街で占い師をしている夢路だった。
「ふぅ、疲れたー。あれ?ダザがいるなんて珍しいね。掃除しにきたの?」
「飲みに来たんだよ。」
「ふーん、まぁいいや。おっちゃん、ビールとお寿司ね。」
「夢路のねーちゃん、うちに寿司はねぇーな」
「そうだっけ?じゃあ、あられ揚げ一つ」
夢路は相変わらずのマイペースだ。ダザは苦笑しながら掃除を続けた。
「あれ?親方顔色悪いね?」
「おう?そ、そうか?」
急に顔色を心配された親方は戸惑いながら答えた。
「占ってあげるよ。えーとね、ズバリ飲みすぎでしょ!?」
「・・・それなら俺でも分かる。」
「え?ダザも占いできたんだ。知らなかった。」
「がははははは」と、親方の笑い声が店に響いた。
「で、なんでダザは掃除してるの?」
夢路はあられ揚げをかりかり食べながら尋ねた。
「食べながら喋るな!また汚れるだろ。」
ダザは溜息を吐きながら、掃除をしてる理由を説明した。
「ドロだらけの男が汚した床を掃除してるんだよ。ほら、ドブさらいやってた奴いたろ?」
「あー、いたね。すっごい勢いでドブさらってた人。」
「今、店の奥にいる。気を失ってるみたいだがな。」
「へー・・・。ねぇねぇダザ。お見舞いに行かない?」
「はぁ?なんでよそ者のお見舞いなんかに。」
「そんなこといってるからダザは友達少ないんでしょ?」
なにかがダザ胸に突き刺さる音がした。
「ほらほら、いくよ!」
「あ、おい、こら!」
ダザは夢路に無理やり、ドロだらけの男がいる店の奥へ連れて行かれた。
少女が、リリオットのメイン・ストリートを歩いている。
先ず目に付くのは、背に負った、その躰の大きさに見合わないほどの大きな荷物。
次に、ショートカットの金髪の中に垂れ下がる不自然な黒髪の束。
そして、最も特徴的なのが、肩から生えている(ようにしか見えない)鈍色の腕とスカートから覗く鈍色の脚。
その鈍色の手足は明らかに"肉体"ではなかった。
しかしその動きは奇妙なほどに滑らかで、じっと見ていると、
それはまるで元から彼女に生えていたかのような錯覚に陥る。
彼女が一歩歩く度、ガチャリガチャリと大きな音を立ててはいるが、
それは背中の荷物の中身が擦れる音で、鈍色の手足は軋む音一つ立てない。
「まったく……こんなに手続きに時間が掛るとは思っていなかったわ。
商売許可を取るより前に宿を探した方が良かったかしら。
でも、これでやっとこの街で商売できるわ。
それにしても、ソウルスミスの受付嬢さん、卒倒しかけるなんて思わなかったわ。
こんなもの、『馬要らずの馬車』なんかよりも、ずっと自然じゃないの」
独りごちながら彼女は、鈍色の右手を、ぎゅっと握り、広げる、という動作を2回繰り返した。
彼女はまだ気付いていない。自然すぎるからこそ、それが不自然であるということに。
「それじゃまずは、宿探しね。
それから、ビラ配りは……明日にしましょう。
さすがにお腹がすいたわ」
彼女の(肌色の)左手に握られたビラには、このように書いてあった。
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腕・脚・翼・ヒレ・角……
あなたが求める身体の部品
目的・予算に合わせて
だいたいなんでもお作りします(※要相談)
精霊ギ肢装具士:リオネ
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傭兵部隊リソースガード、そのクエスト仲介所には、主に二通りの人が集まってくる。
困っている人、困り事を求めている人。
その基準だと今の私は、そのどちらでもあった。
「……はい、これが今回の依頼の品」
私は懐から小箱を受付の女性に渡す。
「確認させてもらうわね」と、彼女は箱を開けて中身を検分する。
「……うん、品に間違いは無し。良く見つけてきたわね、こんなの」
「ま、副業が副業だしね」
「もう本業みたいなものじゃない?ともかく、これなら依頼主も文句無いでしょ。仕事も早かったし、ちょっぴりボーナスも付くわよ」
「やったっ」
思わずぐっ、と拳を握る。ボーナスと言っても大した額じゃないけれど、それでも働きが評価されて悪い気はしない。
今回の依頼は失せ物探し。どこぞのお金持ちさんが、街で落とした大事な物を見つけるお仕事。
私はどっちかというと表通りの大きなお店よりも、小さな露天市の方に顔が広い。
高値な落し物なら間違いなくそちらに流れていると思ったら案の定。
買い手がつく前に見つけ出せたのは幸運だった。
「それじゃ、これが報酬。品の方は私から依頼主に渡しておくから」
「ん、ありがと。……それで、いつもの件だけど」
「分かってるって」
渡された硬貨袋の中から、何枚か取り出して渡す。
気が付けば、私が依頼の報酬を「ある情報」のために使うようになって、もう随分経つ。
「"剣に詳しい人"か"腕の立ちそうな剣士"の情報でしょ?けど正直、この街の目星い剣士や武器屋や武器職人や武器マニアの情報は渡しちゃったのよねぇ」
「街の外から来た人についてはどう?」
「そっちもなかなか。この街に来る剣士や武器職人の数って相当よ?調べ切るのは絶対無理ね」
投げやりに返事をする彼女に苦笑を返す。面倒な頼み事をしたものだと、少し申し訳なくもなる。
それが表情に出てしまったのか、彼女は気にしないで、という風に手を振ってきた。
「魔剣の呪い、だっけ。早く解けるといいわね」
「……ん、ありがと」
笑顔と共に心から感謝を告げる。
情報代の硬貨を残したまま踵を返し、仲介所の外に出る。
街道を歩き出せば、真っ白な髪が追い風になびくのが視界の端に映る。
……それが自分の髪だということに、まだ違和感が残る。
「……あなたと別れるのは、もう暫く先になりそうだねぇ」
ぽん、ぽん、と腰の剣を撫でる。私から決して離れてくれない剣を。
"彼女"を手放す術を求め、今日も私は街を行く。
まだ太陽が出てから数刻しか経っていないというのに、リリオットの街のメインストリートは盛況だった。ソラは通りの両脇に設置された街灯を布で磨きながら人の往来を眺めていた。道の中央を馬車が駆けて行き、その脇を公騎士団の巡回班、その隣を他の住民が歩き、そして道の周囲を乞食や大道芸人たちが囲んでいた。
表通りの街灯は、精霊の力によって長く光を出し続けることが出来る精霊灯。リリオットを古くから治めるセブンハウスが共同で設置した施設の一つだ。この精霊灯を、ソラはペルシャ家に雇用される形で、リリオットの公共施設の掃除を任されている。といっても間には公騎士が仲介人として入り、稼げる日銭は他の貧民がやっている単純労働と何も変わらない。
ふと、街路を奇妙な仮面をつけた男が歩いているのが目に入った。時計を象った仮面をつけたその男は、帽子とスーツとネクタイで正装し、手には白い手袋をはめた至って紳士的な姿をしており、彼が傍目におかしいという事実を油断していれば見落としそうになった。彼は馬車が風のように走り抜ける合間をまるで意に介さず、まるで舞踏会の会場にいるように華麗に歩いていた。
ソラは一瞬、夢でも見ているのかと耳を引っ張ったが、羽根が一枚ぶつりと抜け、痛みに襲われた。現実だ。あの変な仮面も、馬車の間を歩いているという事実も。
周囲を見回してみたが、誰も彼に気付いていそうな人はいなかった。公騎士団は運悪く歩いていなかった。
「そんな所を歩いたら危ないですよ!」
ソラは慌てて精霊灯の掃除を放り出して彼の下に駆け寄ろうとする。仮面の紳士とソラの間を朝露に濡れた馬車が横切った。紳士はこれくらい問題ないとでも言いたそうな無表情の顔で、声を大きく張り上げた。
「おやお嬢さん!そこは馬車の通り道、そんな所に立っていては危険ですぞ!」
「えっ……ちょっと、それはこっちの……うわ!」
ソラが反論しようと思うや否や、仮面の紳士は手袋でソラの手を取り強く引いた。ソラは紳士の胸の中に受け止められた。と、その直後に道を外れた馬車がソラのいた場所を駆け抜けていく。
「危機一髪であったな!これからは気を付けなされよ」
時計の仮面をつけた紳士はメインストリートを颯爽と通り過ぎて行った。
まだリリオットには知らないことがあるものだ。ソラはこの不思議な人物の噂話を誰かにしたくて仕方がなかった。
昔々ずっと昔。
神々が戦争をする前のことでした。
神々の中でも一人、強大な力を持つ神が王様となって、
世界を支配していました。
王様の力にかなう神は、何千年も現われませんでした。
ところが最近、戦乙女という者たちが、
力を増してきているではありませんか。
その名もずばり、戦う乙女の姿をした神です。
神々の王様はこれを恐れ、戦乙女だけでなく、
全ての乙女たちに不思議な力を与えました。
『魅力』です。これを持っている限り、
表向きは力が増えたように思えます。
しかし、実際はその代わりに力を失います。
その後、王様はしめしめと思いましたが、
結局は知恵と策略と判断力の高かった一人の戦乙女に
負けてしまいました。
※一つ先の町の伝承。なお、この一人の戦乙女が
ヘレン伝説の一部となったと研究家は考えている。
カラスは依頼された商店の掃除を終えると、
食堂『ラペコーナ』へと向かった。
以前は良くヘレン教会から施しのスープをもらって食べていた。
だが、この間の掃除の依頼で『ラペコーナ』の主人と仲良くなり、
以来世話になっている。
カラスはメニューを考えて、わくわくした気分になっていた。
ふと、狭い路地から良くない声が聞こえてきた。
「おい爺さん、大人しくしな…」
「おうおう、兄貴に逆らうと怖いぜ?スキルが封印されるぜ?」
「噂によると若い頃はフサフサの黒髪だったと聞くぜ?」
「だとしたら怖いぜ?じゃなくていい所へ行かないかだぜ?」
「ゲヘヘ…」
5人の男たちが黒髪のようだが頭髪のほとんどない老人を取り囲んでいた。
リリオットにおける黒髪の人物の地位については、最近分かったばかりである。
カラスは抜けなくなった刀を手に、男たちに近づこうとした。
その時だった。
「ザルは全てを通す魔法の装置!
だが、私の目は全ての悪を通さない!
聖なる正義の戦士、ホーリーバイオレット・華麗に参上!」
光る衣に身を包んだ女戦士が現われた。
その姿はまるで、英雄伝説にでも出てきそうな戦乙女のようであった。
「ち、ちくしょう!俺たち五兄弟の強さが5人合わせて50しかないのをバカにしやがって!」
「兄貴!それを言ったらまずいって…」
「逃げよう逃げよう、プランも書き換えてねえし」
「何か封印されそうだし…」
「ゲヘヘ…かわいいなあ…かわいいなあ…」
男たちは慌てて逃げていった。
「さ、もう大丈夫。そうだ、あの人にお家に連れてってもらいましょう。
何かあったら、また呼んでくださいな」
女戦士は、助けた老人をカラスに引き渡した。
「もう一度言いますけど、我が名はホーリーバイオレット。運が良ければ再び会いましょう」
彼女は、颯爽と風のように駆け抜けていった。
リリオットに住んでいると色々あるが、それでも、すみれは幸せだった。
すみれには自慢の兄がいるからだ。
すみれの兄は一族の中でもとりわけ能力が高く、23歳という若齢にも関わらず、公騎士団の幹部候補生試験に合格。芽の生えた芋で作ったスープと味のボソボソした乾パンだけで日々を過ごしていた家族に別次元の生活を与えてくれた。
抜きん出た能力を鼻にかけない優しい性格は、黒頭として産まれてしまった出来損いの妹・すみれにも向けられており、公騎士団に入団してからは表立って面会することが叶わなくなったものの、ブルカによって頭を隠し、夜毎町外れで大好きな兄に面会し、たわいない一日の報告をするのがすみれの唯一の憩いの時間だった。
だった。
だった、が。その幸せな時間は、突然の終焉を迎えた。
差別の対象となる黒髪を隠すのも忘れ、公騎士団病院に駆け込んだすみれが見たものは、治療室のベッドに横たわる兄の無残な亡骸だった。擦り傷だらけの頭部に、鼻から上唇まで食いちぎられたような裂傷が存在していたが、死後に施された洗浄によって傷口には一滴の血液も滲んでおらず、人間の断面図解模型がそのまま展示されているように見える。身体にかけられたシーツの隆起は、腰が存在するはずの位置から垂直に近い不自然な傾斜を見せており、兄の下半身がさっぱりと消失していることを表していた。
消毒剤の香りが充満した室内は、寝台以外の余分なもの廃した機能的な空間が広がり、その中で兄の存在だけが異彩を放っている。いつからか、兄の亡骸に焦点を合わすことを放棄していたすみれは、自らが、それまでの世界から切り離されたことをぼんやりと、しかし、確実に感じていたのだった。
大商人ハルメルの豪邸に辿り着くには、門の前の受付を通さねばならない。
「私はヘレン教の特使でございます。緊急の用件で『大教師』ハルメル様に会いに来ました」
「『大教師』ハルメル様ですね。少々お待ち下さい……」
ハルメルのもとには、多くの商人が出入りしている。だが大商人と呼ぶ者はあっても、大教師と呼ぶ者は少ない。成金デブのハルメルは、何を置いても自分を「大教師」と呼ぶ者と優先的に会う。そんな自意識過剰な男であった。
金メッキを施された机が、棚が、皿やナイフやフォークが、シャンデリアに照らされてキラキラと輝く、無駄に悪趣味な一室。
ソファに腰掛けたハルメルは、皿の上の肉を貪りながら問う。
「それで、緊急の用件とは?」
「大教師ハルメル様、あなたに『裏切り者』の嫌疑がかけられております」と紫のローブを着た少年は言った。ウォレスである。
「それは、どどど、どういうことだ」ハルメルはびっくり仰天して言った。
「救済計画のことはよく御存知ですね?」
「あ、ああ、よく知っている。とにかく救済するんだろう?」ハルメルは咄嗟に嘘をつく。その反応から、実際はろくに会合にも呼ばれていないのがよくわかった。
「ハルメル様がセブンハウスにお貸ししている倉庫の中に、大量の精霊武器が納入されたとの噂が広がっております」
「それで?」
「そのこと自体は問題ではありません。しかしこの精霊武器、貧民の蜂起に使われるとの、嘘か誠かわからぬ情報が出回っております。貧民が蜂起すれば、貧民救済の大義が失われ、ヘレン教は大きな窮地に立たされます。その意味で、ハルメル様がセブンハウス側に付き、ヘレン教を裏切っているのではないかとの疑惑が……」
「そ、そんなことはない! 私が今までにヘレン教にどれだけ多くの寄進をしてきたと思っておる! 今回の救済計画にだってちゃんと、か、金を払う準備はしておるわ!」
「そうでございましょう。私も何かの間違いだという話だと了解しております。しかしハルメル様がセブンハウスに貸し出した倉庫に、精霊武器があるというのは事実ではありませんか?」
「それはセブンハウスが、あの『ジフロマーシャ』のクックロビン卿が勝手にやったことだ! 私は何も知らんぞ! そんなことで『裏切り者』の烙印を押されてたまるものか!」
「では、さっそく現地を見にまいりましょう。私はただその目で見た事実のみを報告するよう言われておりますゆえ」