ペテロへ
ちょっと仕事でドジやっちまってしばらく手紙が書けなかった。時間空いちまったが、前回の続きだ。
ヘレン教の拷問人の鉄球が俺の頭に迫ったその時だ、【遠隔視<<ゴースト・サイト>>】で教会全体を見張っていた【コイン女】の指が一瞬止まった。
眠そうな目つきが瞬時に鷹のような鋭い視線に変わり、積み上げられたコインの塔を素早く、だが精密に突き崩す。
と、鎖の1つが命中直前で外れて鉄球は頭の脇を飛んで行き、鎖が俺の目の前を素通りして行った。
【占い治療師<<ドゥームズ・ヒーラー>>】の名は仮の姿、これが【コイン女】の能力【運命支配者<<ドゥームズ・ディーラー>>】だ。
拷問人の奴が事態を理解するより早く、俺は身を転がして弾かれた剣に手を伸ばした。あいつは止めを刺したと確信していたから、何が起きたか一瞬わからなかったんだ。振り向いた時には、俺の剣は既に振り下ろされていた。慌てふためいてもうないってわかってる鉄球を構えようとしていたが、俺の瞬速剣はお構いなしにそいつを斬り伏せた。
勘違いしてもらっちゃ困るが、主役は【コイン女】じゃないからな。あいつの能力は長時間の集中と調律が必要で、一回発動すればそうそう連続して運命に干渉はできない。前線で戦う戦士がヘボいミスばっかしてりゃ、【コイン女】じゃかばいきれない。俺の卓越した戦闘スキルあってこそあいつのサポートが冴えるってわけさ。何より、<エクスカリバー>って組織名はこの俺、【英雄にして剣<<ヒーローソード>>】にちなんでつけられているんだからな。
俺が剣を鞘に収め、ヘレンに捕まってた子を縛ってるベルトを解いていると、
「こっちも片付いたぞ」
と、後ろから声がかかった。黒髪の子供たちを連れてやって来た【神童<<アマデウス>>】ウォレスだ。
ウォレスってのはだいたいお前くらいの年に見えるんだが実際は300年も生きてるってやつでな、『10で神童、15で秀才』ってのあるだろ? こいつは「わしは10で神童、15で神童、そして今なお神童だ」って自分でそう名乗ってるんだ。中身がジジイだから言うことがいちいちエラそうで、それがガキの姿してるってんだからな、年相応のかっこしろよって思うよ。
ま、魔法の腕はまあまあなんで、直接戦闘になりそうなこっちを俺が担当、姿消したりが得意なじっちゃん坊やに牢屋の方任せてたんだ。
こうして俺たちはヘレン教団から無実の子供たちを救い出し、家に送り届けて帰途に着いた。
しかし教団は強大だ、俺はまだ邪悪の森の中で悪の芽をほんの1つ摘み取ったに過ぎない。<エクスカリバー>の戦いはまだまだ続くんだ。
ペテロも絶対ヘレンのやつらにはついて行くんじゃないぞ、お兄ちゃんの仕事を増やさないでくれよな。
5/19 ライ・ハートフィールド
「おい。」
ダザがぶつぶつ言ってる。
「なんで『見舞い』に行くのに抜き足差し足忍び足なんだ、夢路?」
「シッ、だって」
「つーか手を離せ」
「ヤバイでしょー見つかったりとかしたら」
「お前は見舞いという言葉の意味を知ってんのか?」
マスターの自室だったり食料庫だったりする奥の部屋。
引きずられたような泥の跡をたどればたしかにそこにスヤスヤと安らかな表情でお休みになられているドブさらいの男もといドブ男がいた。背中の剣もドブまみれ。
「…きったねぇなぁ…」
「ヒッヒッヒ、よく寝ておるわ」
夢路はさっそく食糧を物色した。
寝ているドブ男の体に、淡く輝く糸のようなものがまきついている。何重にも巻きつく糸は伸びたり縮んだりしながら男の体から出たり入ったりしていた。
寝ているにもかかわらずこのようにはっきりと夢が見えるのはこの男が夢にかかわる夢を見ているからだろう。夢は夢と密接に関わっているので寝ているときに夢があらわれることはよくあり夢を見ている人間は夢喰いのターゲットとして適切といえる。
「…あんま美味しくなさそうだなぁ」
「何がだ。」
ドブ男の夢は、たくさんの情報量で殻ばかりが極端に肥え太り、肝心の身の部分が未発達で貧弱だ。
まあ、男の夢なんてだいたい似たようなものだが
「いわば豚の脂身とかみたいなものだね。」
「お前酔ってんの?」
「まっ豚の脂身でもいいわ…お腹へってしょうがないし」
「さっきあられ揚げボリボリ食ってただろ。俺の分まで。」
「いただきまーす」
「酔いを覚ませ!目の前にいるのは豚のステーキじゃなくて人間だ!」
夢路が、自分にしか見えない糸の先端を指先で捕まえたとき、
「わぁあああ!!!まぶしー!」
寝ていた男がとつぜん叫んで両手を振り上げたのだ。
「うわ!?」
びっくりした夢路(と夢路にひっぱられたダザ)は急いで物陰に隠れた。
闘いは本来孤独なことだ。手助けがあったとしても、自分の目標のために行動するのはつきつめてしまえば自分だけ。
だからこそ、友や仲間や家族と呼べるあたたかい者がいることはありがたい。
※
執務室から出ると、二人のシスターが私のことを待っていてくれたのを知った。
私と身長はかわらないが二つ年下で長い茶髪のアリサと、低い身長と短い金髪、猫目が特徴的なミレアンだ。
彼女達が私を見つけた瞬間、まずアリサが泣き出しそうな声で話しかけてきた。
「シャスタさぁん本当にどこいってたんですか!!私、日が暮れ始めた頃からいい加減心配で心配で……。」
「いやーでも無事に帰ってきたんだからよかったじゃん。アタシャてっきりもうどっかの誰かに襲われてオダブツかと。」
「おまけに隣でミレアンがこんなことばかり言うから余計に不安だったんですよー!!」
いや、アリサはついさっきまで本気で泣いていたらしい。目が腫れてしまっている。申し訳ない気分になった。
「……すまなかった。ミレアンにも夕方の仕事を押し付けることになってしまったな。
だがそれはそれとして、いつもそうやってアリサをからかうのはほどほどにしておけ。」
「正直アタシはシャスタがごろつき何人にからまれようが、ぜーんぶ倒してくれるって信じてるよん。
この程度の冗談でくよくよするなんてアリサはシャスタの強さ他を信じてないからじゃない?」
「その心配性だけど優しいところが彼女のいいところなんだよ。」「……あーんシャスタさーん!!」感極まったアリサに抱きつかれる。
「キマシタワー!」ミレアンは相変わらず茶々を入れている。「うん、落ち着いてくれ。」
この教会に従事しているシスターは、私達三人を除けば皆そこそこの年齢だ。
だから歳の近い私達はいつの間にかよく集まるようになっていた。
彼女たちといると私も心が和んだ。歳の近い友人というのは、ここに来るまで居なかったからだ。
いくらか話し込んでから、アリサに夕食を温めてもらい、私はようやくすきっ腹を満たした。
いつもは食堂で皆揃って食べるのに、それができなかったのは少し残念だ。
「寝る前に子供達に会わないの?ちょっと遅いけどまだ就寝前だよ?」
「いや、今日のうちに消えてしまう訳じゃないんだから。眠る前を邪魔しちゃ悪い。」
「さっさと安心させてあげなさいよねー。みんな『シャスタせんせーどこー?』って聞いて来たんだから。」
婦長からは聞いていたが、みんな私のことを本気で心配してくれたようだ。
不謹慎かもしれないが、少し嬉しかった。明日はきちんと子供達の世話をしようと思いながら、私はようやく眠った。
あの時の緑髪の少女と誰かの会話が聞こえる少し前、マックオートは新しい出会いを果たしていた。
体を起こしてあたりを見回してみると、自分が引きづられてここにいることが分かった。泥の跡が自分の所まで伸びていたからである。
「自分を運んだ人はいないみたいだし、掃除くらいはやっておくべきかな・・・」
ちょうど物陰にブラシらしき道具の棒が飛び出ているのを見つけたマックオートは近づいて手に取ろうとした。その時!
「うわ!」
「あばばば!?」
より強く驚いたのはマックオートだった。そこには、どぶさらい中に怒られた清掃員と、もう一人、女性がいた。
「あー、もうドジ!バレちゃったじゃないの!」はじめに女性が喋った。
「仕方ねぇだろ!」
「ば、バレる?え?」
マックオートは現状を全く把握できなかったが、顔見知りの清掃員がいたのは助かった。
「あぁ、あの時の清掃員さん!あの時はすみませんでした・・・」
3人とも軽いパニックを起こしていたが、清掃員は言葉を返してくれた。
「・・・ま、まぁ、掃除して逆に汚れるのは本末転倒だからな。
それにしても、一体どんな掃除をしていたんだ。頬に傷までついているじゃないか。」
清掃員はマックオートの頬にある傷を指摘した。
「仕事帰りに襲われまして・・・」
マックオートは辺りをもう一度見回す。
「それはそうと、ここは一体?となりのお嬢さんはどなたで?」
「あ、私!?私は夢路よ!あぁそうだ、ダザ、あんたも自己紹介くらいしなさい!」
「あ、ああ・・・。俺はダザ。ダザ・クーリクスだ。」
二人の名前が分かった所で、夢路とダザはぶつぶつと何かを言いながら退散していった。
マックオートはここはどこなのか、なぜここにいるのかは分からないままだった。
リューシャに連れられ、宿の食堂で夕食を摂りながら依頼の詳細を聞く。
つまるところ、精霊鍛冶の技術を掴みたいということだ。
アイツができるかどうかはわからない。出来るのかもしれないが少なくとも見たことはない。
精霊炊きおいしい。そういえば銘菓を5種類買えとかいうのもあったっけ。依頼の駄賃で適当に買おう。
「消えた街の予算がどうとか、なんとかいう計画が進行中だとか、精霊をこれ以上掘るのは危険かもしれない、とか」
どれもこれも不穏な噂である。こんな噂が民間に流れてる時点でまずいことになっているのは明らか。
アイツの底意地の悪さにはほとほと反吐が出る。知ってて送ったに違いない。どう知ったかはわからないが。
「……とにかく、無理をさせたいわけじゃないわ。それらしい情報があれば、わたしに回してほしいってだけ」
何はともあれ、自分もこの街では新参者だ。情報が手に入るかどうか。酒場では場違いもいいとこだし。
「でも、何も手に入らなかったら二年待ちでしょ?」
不安げに尋ねる。
「あら、わたしはそんなに狭量じゃないわ。……秘書には怒られると思うけど」
それでいいのかしら、などと思いつつ。
刀剣作成依頼用の書類を渡される。ここのフロントに情報と一緒に渡せばいいらしい。
「おっけー。わかったわ。しばらく滞在予定だし調べてみる」
宿の部屋にて。ついでなのでリューシャと同じ宿に泊まることにした。連絡は取りやすいほうがいい。
「にしても…ホント、どうなってんのかしら」
渡された書類を見る。希望の仕様、希望納品日、依頼主の名前…
「…そういえばアイツの名前知らないわ…」
取りあえず自分の名前を記入。仕様はおいおい考えればいい、と結論づけ、布団に潜る。
アルティアを撫でながら眠りにつく…
えぬえむの去った食堂で、リューシャは隅のカウンターに席を移し、一人で酒を飲んでいた。
この宿には、商人や職人、あるいはリリオットにコレクションを求めるマニアなど、ソウルスミスに縁のある者が多い。
かくいうリューシャがここに宿を取ったのも、ソウルスミスの受付嬢が薦めてくれたためだ。
周囲の会話に耳を澄ますと、やはり、商談や情報交換が多い。
真っ当な値切り交渉が盛り上がっているテーブルもあれば、密輸と思しき契約についてこそこそと喋っている男たちもいる。
製鉄の技術はどこの親方が信頼できて、いや、大量生産用に必要なそこそこの質ならあそこの店が格安だとか。
精霊の精製はあの工房、武器加工は、防具なら、魔具は、生活用品は……。
「お姉さん、一人かい?」
聞き耳をたてて雑多な情報を拾い上げていたリューシャの隣に、見知らぬ男が席を取った。
薄汚れ、ほつれた服。彼の頬にはヘラヘラとした笑みが浮かんでいたが、それもどこか不自然だ。
商人の身なりや振る舞いではない。かといって、職人という感じもしない。
「なあ、アンタ、リューシャさんだろ?今日アンタのことを職人街で見かけてさあ……」
「……つけてきたわけ?」
リューシャの鋭い視線が、男を上から下までぎろりと舐める。
帯剣者。剣の質だけが、身なりとはかけ離れて高い。
「いやあ、俺もアンタみたいな旅の女にこんなことしたくなかったんだけどさあ……」
笑う男の手が、その剣に伸びた。
瞬間、リューシャは手の内のグラスから、男の顔にむかって酒をぶちまける。
反射的に目をつぶった男の顔を、グラスを投げ出した手が撫でる。
指先の軌跡に咲く雪の華。
ガラスの砕け散る音。
顔面が氷結した男の悲鳴。
流れるようにシャンタールを抜いたリューシャが男の襟首を引っ掴み、冷たい刀身を、その首元にぴたりと押し当てた。
「お、お客さん……揉め事はちょっと……あの」
「ごめんなさい、割ったグラスは後できちんと弁償するよ。……大丈夫、血も流れない。流れる前に凍るから」
目を潰された男にもわかるようにか、その声はわざとらしいほど楽しげだ。
「さて、……服装からして貧民街の人かな?」
「お、俺は」
「いくら貰ったのかしらないけど、金で命まで売る気がないなら……」
シャンタールをぴたぴたと遊ばせながら、リューシャはにっこりと言う。
「誰に頼まれたのか、素直に吐いてくれると嬉しいな」
=*=*=*=*=*=*=*=*
第5の月 19日 ノームの日 晴れのち雨
今朝の仕込みの時、レディオコーストの東壁がやけに紅く染まってるなーと思ったら、
昼過ぎから叩き付ける様な雨が降ってきてビックリした('0')
店長曰く、これからの時期、そんなに珍しい事って訳でもないみたい。
今は猫の目みたいに細い月が登ってる。高地の所為かな、故郷で見てたのよりおっきい。
えーと、今日から日記を書くことにした。記録と情報整理の意味合いは勿論、
優柔不断で浮沈み激しいあたしが、迷わないようにする為に。…なるたけ明るくね!(笑)
こっち来て暫くは、お店の忙しさや街の喧騒に疲れて、閉店後は眠りこけるだけだったけれど、
今ではやっと、こうして出来た夜の時間に、日記を書いたりする余力も出てきた。
ここでの仕事や生活にも大分慣れてきた。試用期間も終わりお休みの日を貰える様にもなった。
少しずつ貯めてきたお給料で、ギルドクエスト仲・・・介所?で人探しを依頼出来るかもしれない。
明日から本格的に、おにいを探す活動を始めよう。
元々、のんびり屋さんなのが珠に傷だけど、あたしなんかと違って強いおにいだし、
成人した男子が外部に出て帰って来ないなんて、なんら珍しい話じゃない。
おとう始め、皆「単に音信不通なだけだろ」って心配してなかった。
あたしもその点は同じだったけど…おにいに会いたい気持ちはずっと消せなくて、
こっそり準備を進めて、成人の儀が済むのを待てずに、リリオットへ飛び出てきてしまった。
それをこうやってやっと落ち着き始めた今になって振り返るに、
臆病なあたしにしては良く思い切ったよなー…と、少し怖く感じる。
でも悪い癖の堂々巡りな後悔は、もう止めるんだ。
具体的な行動は…、まずは図書館に行こうかな、リリオットの事をもっと良く知らないと。
それから仲介所ってのにも行ってみて…、忙しくなりそう。
でもあたしはめげずに頑張るのだ!o(^-^)o また、おにいのあの優しい顔が見たいから。
★本日の気になるお客さま
最近お店に来てくれる、箒持った白い髪の女(ひと)。
こないだの店内大掃除の際、手伝いを依頼してから、店長は彼女の事がお気に入り。
なんでも、彼女の故郷の知恵で「使用済みの茶葉を床に撒いてからの掃き掃除」に、
「埃がたたねえ!臭いも消える!」とえらく感心したそうだ。
(でもあの茶葉ならもう1回位は飲めそうだったのに…あたしとしては複雑だ。)
それに彼女は義理堅いというか、仕事に決して手を抜かない丁寧な所作と、
更には、女のあたしから見ても惹かれる容姿も相まって(これが要因として最大か?笑)、
以来、時折ある店内大掃除手伝いの“約束”の代わりに、
彼女はいつお店に来ても歓迎!ってことになってる。
その華奢な身体に反して彼女は良く食べる。まるで男の人みたいに。
ご飯を美味しそうに食べてくれる人は好き(^^)こっちも作りがいがあるってもんさ!
機会あれば話し掛けたいんだけど…人見知り強いあたしには中々なー(*ノ_ ノ)
★おにい情報
なし。
=*=*=*=*=*=*=*=*
第八坑道にざくりざくりという音が響く。
すでに廃坑になったはずのその奥で、一人の男が作業をしていた。
精霊ランプの灯がチラつく下で、土というより岩に近い壁面を、黙々とスコップが削り取っていく。精霊を宿した器具と肉体を以ってすれば、硬い岩盤も砂糖菓子のように崩れる。その男、ウロ・モールホールにとっての問題は、土砂の重さや落盤よりも、これだけ掘ったにもかかわらず鉱脈にたどり着かないことだった。
半刻ほどかけてボタでいっぱいにしたトロッコを横目に、ウロはしばし自答する。
第八坑道が閉鎖されたのは五年前、理由は「採掘量の低下」と「落盤事故の多発」ということだったが、ウロにはとてもそれが本当だとは思えなかった。大地はまだまだその臓腑を抱え込んでいるし、坑道は大地の喉首にまで喰らいついている、ウロにはそう見えたのだ。
「掘れば出る」というウロの発言をオーナーが信用したのが三月前のことである。
精霊を多く含む土地が、気まぐれで狡猾なのはウロの知るところであったが、それにしてもこれだけ彼の感覚を「誤魔化す」土地は始めてだった。彼は若干の焦りを感じると共に、ある種の期待を抱いていた。
更に半刻、岩壁を砕き続けるスコップに、がちり、という感触が走る。
坑道の空気が一変する。ウロは、彼としては珍しくにやりと笑うと、嬉々としてその周辺の壁面を突き砕く。
スコップを地面に突き刺し、倒れこむように座り込む。表情こそ薄いものの、ウロの内心は大快哉だった。大地よ、また俺の勝利だ!お前がどれだけ狡猾にその姿を隠そうと、俺はその血肉に至るまで奪い取ってやる!
ランプの淡い光を反射しふわふわと燐光を放つ精霊の大鉱床を眺めながら、ウロはオーナーには良い報告が出来そうだ、とぼんやり思った。
彼女はジフロマーシャ家に仕える諜報員である。
小学校の教師として働きながら、この界隈のありとあらゆる情報を観測し、
それらを本家に逐一伝えていくことが任務である。
本家がそれらの情報を、どのように利用しているのかは全く知らない。
知る必要もないことである。
……そういえば最近、整理してなかったな。
彼女は今までの観測ログを、振り返る。
============
修道女は孤児と戯れている。
インカネーションに、f予算防衛の指令が。
異国の鍛冶屋が都市へ来た。
凍土の刀工は故郷へ筆を取る。
清掃員が影で暴れている。
コイン女は今日も塔を積み上げる。
占い師は小銭を稼ぎ。
機械だらけの傭兵は『救済計画』に挑む。
修道女は哀れな黒髪の少年を拒み、ステンドグラスを拝む。
紫ローブは衆目を気にせず、堂々と調査を進める。よほど自信があるのか。
異国の鍛冶屋はギャグが寒かった。
嘗ての侍は、過去の屈辱を想起する。
刀工は技を求めて奔走。
エフェクティヴは精霊精製競技会に少年を送り込むのか?
============
……ふぅ、一気に思い返すと、さすがに疲れる。
彼女は観測ログを物理媒体には記録していない。
記憶の欠落は自己のスペックによってカバーリングできるが、
紛失や襲撃による奪取のリスクは計り知れないからだ。
「知られてから30分経った情報は、ジフロマージャの盟主にも止められない」。
そのため、彼女は本家への伝達の日まで、こうやって毎日思い返すことで、
記憶の欠落を防いでいる。
…さて、ログはまだまだある。
彼女は記憶の中へ、再び溶け込んだ。
運のいいことに、酒場『泥水』に入ってすぐ、オシロさんを見つけることが出来ました。
オシロさんは、以前ちょっとしたクエストの最中に知り合った、精霊精製技術者の少年です。いつも格安で質のいい精霊を譲ってくださる大変に親切な方で、色々な面でよくしていただいています。
こちらに気付いたオシロさんに、私は早速頭を下げて言います。
「ああ、オシロさん。夜分に申し訳ないのですが、他に頼れるところもなくて……」
意識の無い黒髪の男性を休ませようと考えたとき、真っ先に思い出したのは、オシロさんと出会ったこの酒場のことでした。その当時は素性も解らなかった私を追手から匿ってくださった、オシロさん達なら、今回もこの男性を匿ってくれるかもしれないと思ったのです。
断られたらまた別の場所を探さなければいけないところでしたが、幸い、オシロさんと彼の師であるベトスコさんは首を縦に振ってくださいました。
「ありがとうございます。私はもう少しやることがあるのですが、今夜中には必ずもう一度訪ねますので。よろしくお願いします」
「ああ待って、レストさん!」
酒場を辞去しようとした私をオシロさんが呼び止めます。
何事かと思い振り返ると、彼は余りものだと言って、明らかに中級以上の精製度に見える精霊結晶を私のポーチに入れました。しかも、なんと無料同然で、です。
まだ使えるお金は残してあったので少しでもお礼を支払おうと思ったのですが、その申し出も上手く流されてしまいました。
……ううん。人は独りでは生きていけませんから、他人を頼りにするのは基本的に良いことだと思っていますが、ここまで一方的に親切にされるばかりだと、さすがに悪い気がしてきます。きょうはコインオンナさんを始め色々な方に頼みごとをしてしまったので、尚更です。
心は無くても多少の良識は持ち合わせているつもりです。
私は自分の振る舞いを思い返し、ついつい、苦い笑みを浮かべてしまいます。
酒場を出てからも、その笑みはなかなか消えませんでした。
そのせいで、気付くのが遅れました。
「お前、リソースガードだな」
酒場を出て、二百歩も歩かないうちに。首筋に冷たく危険な感触と、言葉。
「違います」
即答。くるりと身体を回して、同時に精霊心臓を、過剰駆動。
「なっ」
動けずに居る相手に足払い。倒れ行く相手の姿を確認。
ナイフを持った男、戦いには慣れていない雰囲気。それならば。
私は、心臓を通常駆動に戻して、左腕を構えました。
***
さて、思わぬ収穫があったので予定変更です。
当初の目的はあしたに回して、ひとまず酒場『泥水』へと戻ることにしました。
「すみません、命までは奪いませんけれど、代わりにこれを頂いていきますね」
下着姿で倒れている襲撃者の方にそう声をかけ、私はその場を後にします。
どうもお酒に酔っただけの不良さんのようですから、報復などは気にしなくてもいいでしょう。
「あまり上等な服ではありませんけれど……あの泥まみれの服よりは、マシですよね。たぶん」
襲撃者の方から頂いた服を両手に抱いて、私は歩いてきた道を戻ります。
誰かから親切にされた人が、他の誰かに親切な行いする。
ええ、それはとても良いことです。お金がかからなければ、更に。
私は満足の笑みを浮かべて、再び『泥水』の扉を開きました。
すぐに誰かが来た。緑の髪の女の子。かわいかったので夢路は声をかけようかと思ったが、あいにくそれどころではない。食事中である。
夢路の口の端からは蜘蛛のように糸が伸びていた。それは店の奥まで続いている。でもその糸は夢路以外には見えない。
「これを?」
「はい。ちょうど服が調達できたものですから、着替えさせようと思いまして。」
「着替え………レ…レストさんが?」
「泥だらけのままではきっとお気の毒でしょう。」
「えーとえーと……僕がやりますよ!」
僕はレストさんの服を、じゃないレストさんの持ってきた服をなかばひったくった。
「なにから何まで、すみません。」
レストさんがニコニコ笑う。
しかし、泥だらけの男はすでに起きていた。
「マイサーン。俺に会いに来てくれたの?」
マイサンってなんだ。
「隣の少年はどなた?弟くん?君に似てリハツそうだね」
「お友達のオシロさんです。」
「なるほど。それで、ここは?」
「はい。あなたは私と話しているときに、おそらく疲労のためだと思いますが、とつぜん気絶してしまったんです。あのままクエスト仲介所にいては目立ちすぎますし、ここにあなたを連れてきて預かっていただきました。ここは、採掘所にほど近い酒場、『泥水』の一室です。」
「なるほど。よく解ったよ」
男は真面目な表情でうなずいた。
「ところでマイサン、俺がさっき渡した巻物だけど穴とか開いてなかった?」
その言葉を聞くと、レストさんは眉間を押さえて天井を見た。レストさんのそんな表情は初めてだ。
「……冗談ですよね?それとも記憶が?」
「記憶だって?」
男は顔を青くして、なんと僕に、
「少年。1から1636までの数字をみっつ、選んでくれ!」
「えっ?」
「みっつ。」
「え、えーと、36ー、641ー、1234。」
「…36ページ目、古代の大呪術師"タリバ=ハーン"の墓所に残された呪いから学ぶ古代呪術基礎、一目的性、目的を明確にすること、二非言語性、時代依存呪文の非奨励、三素数性、素数を使用した構造基盤。641ページ目、近代地霊呪術の複雑化、セングリット土着呪術方程式に地霊所在地の霊座標を適用すること。1234ページ目、食物性自然被呪の解除法について。」
「ふう……大丈夫、記憶の方はやられてないよ」
別の何かがやられてるみたいだ。
教会の朝は早い。朝食当番なら尚早い。なので、今は少し眠たい。
※
中庭に音楽が流れ始め、拡声器を通したミレアンの声が元気よく響く。
「それではー、ヘレン教会特編レイディオ体操ぉ!!今日も一日のはじめから元気よくいきましょおー!!
まずは腕を上げて背筋を伸ばす構えからぁ、さん、はい!!」 ♪〜〜♪〜……
教会特編とは言うものの、特別な効果はないほぼ普通の体操だ。しかし、この教会では朝の習慣となっている。
体がきちんと動く人なら、健やかな体づくりのために子供達から老人までみんなにできるだけ参加してもらっている。
この5分ほどの体操が終わったら、そのまま全員食堂に移動して朝食の時間となる。
今日の朝食はイモとネギ煮込みスープ、ほの甘いコッペパン、あとは牛乳だった。
教会の食事は決して豪勢ではないし、量だってそこまでない。本当は栄養バランスのことだって心配だ。
でも、全員にはきちんと行き届く。朝食作りの時もそうだが人手が足りない分は一般の人にも手伝ってもらい、
子供達にやいのやいの騒がれながら朝食を配り終わると、チェレイヌ様がみなの前で挨拶をする。
「皆の心の内に輝くヘレンと、大地の恵みに敬意を払いまして。それでは、いただきます。」
それから、みんなで声をそろえて「いただきます!!」
「三日間の外出禁止、か。」朝食後の食堂の片付けをしながら私は呟く。
「よかったじゃーん、大して怒られない上にそのぐらいですんで。」隣では結局片付けを手伝っているミレアンが言い返した。
婦長に怒られた後に決まったようなのだが、私には当番の変更以外にきちんとした処罰を加えられることになった。
処罰の理由は「また貴方を外に出したらなんだかあぶなっかしいことになりそうだから」だそうだ。
婦長の考えは、おそらく正しい。
……まぁ、私の生活の拠点は教会一つだ。ここの仕事は忙しいし、やるべきことはいくらだってある。
どうしても暇なら読んでない本だってある。子供達だっている。情報は他の皆から聞こうと思えば聞ける。
「私の目標は、この教会を何があっても守ることだろうからな。」
「もぐもぐ、なにやら面白そうな話題が…?」
「お前、なに拾い食いしてるんだよ。」
「食事中だから黙って!もぐもぐ。ところで、あの緑髪の子知ってる?」
「黙れと言っといて聞くな。リソースガードのレストって奴だよ。」
「ふーん、レストちゃんっていうのか。ごくり。ふぅ腹の足しにはなったかな。」
食料庫から出たダザと夢路は今だ通路にいた。夢路がなにか言っているがダザはいつものことだと思って諦めている。
「じゃあ、俺戻ってるから」
「じゃあ、私また行ってくるから」
「はぁ?また行くのかよ」
「だって、可愛い子がいるし。あと、面白そうだからね。ん?そう言えばブラシどうしたの?」
「あ…。」
あのゴタゴタの中、食料庫に忘れてきたらしい。
仕方なくダザも夢路と一緒に食料庫に戻ることにした。
「話は聞かせてもらった!」
夢路が元気よく中に入ると、中にいた3人は驚いた顔でこちらを見た。
「ゆ、夢路さん!?」
「ごめんね。ダザが忘れ物したみたいで。」
夢路はそう言うとブラシ取り、ダザに投げ渡した。
「私は夢路、こっちのはダザ。貴方がレストちゃんね?」
レストは何故名前を知っているんだろうと警戒しながら頷く。
「よろしくね。そっちの少年は、えーと?そう言えばドロ男君の名前も聞いてなかったね。」
「あ、すみません。マックオートです。
「オシロです。」
夢路のマイペースに皆がのまれていく。
「よろしくー。…ところでさ、なにか困り事あるみたいだね?」
レストは部外者に言うべきか悩んだが、マックオートがしゃべり出したので、諦めて説明することにした。
「ふーむ、難事件だね。」
「仲介所にいる人間全員に混乱や幻想をかけれる程の使い手がそう居るとは思わんがな。
似た人物が偶然同じように指令書を落とした可能性が高くないか?」
「私もそうは思うんですけど…。」
レストはチラリとマックオートの方を見た。
「後半のことは全然覚えてない…。本当にすまなかった。」
「マックオートさんの記憶が消されれているところ見ると、術者と見たほうが…。」
話を聞いた俺たちはそれぞれ意見を出し合う。夢路が変によそよそしい。
「じゃあ、当面は似た緑髪の子、落ちてるかもしれない指令書、混乱や幻想の使い手を探すわけね?」
「まぁ、そうですね。」
「なるほど。じゃあ、探すの手伝って上げるよ。」
全員が「えっ」という顔をする。
「私は露天占い師で人探し可能だし、ダザは清掃員だから落ちてる指令書を見つけられるかもしれないしね。」
「そんな、悪いですし・・・。」
レストが本当に困った顔で拒否をするが、
「僕も手伝います!」「もちろん、俺も手伝うよ!」
と、オシロとマックオートまで言い出したため、仕方なくお願いすることにした。
当然、ダザも手伝うことになった。
翌朝。太陽が昇ってから数刻。
ハルメルとウォレスは、馬要らずの馬車に乗ってメイン・ストリートを駆け、ハルメルの倉庫へと向かう。
ふと前方を見ると、馬車の通り道に、奇妙な男が見えた。時計の仮面をつけた男が、ひょうひょうと風を切って歩いていた。本来なら危険なことこのうえない馬車の通り道を歩くという行為。だがウォレスには分かった。この男、高速移動する馬車の全てを「見切って」歩いている。並みの者にできることではない。
そこに、あのステンドグラス磨きの少女、ソラがひょいと現れたものだから、ウォレスはぎくりとした。時計の仮面をつけた男は、ソラの手をぐいと引っ張る。すぐそこを馬要らずの馬車が駆け抜けるのが見えた。
「ふう、危機一髪か。しかし、時計の仮面の男……この街に長く居るが、始めて見たのう。世の中とは広いものじゃ」
「何かおっしゃられましたか」ハルメルが問う。
「いえ、なんでもありませぬ」すぐに口調を戻して誤魔化すウォレス。
この先のハルメルの倉庫に、精霊武器が本当にまだあるのかどうか。それが、当面の懸念事項であった。
もし陰険邪悪なクックロビン卿によって既に精霊武器が動かされてしまっていたのなら、もはや全ては手遅れなのかもしれない。貧民の暴動は不可避なのかもしれない。そのときには、クックロビン卿を上回る鬼畜外道な策略を用いねばなるまい……ヘレン教を、この街を守るために。
しかもそれとは別に、「f予算」を嗅ぎ回っている連中についても調べた上で対処しなければならないときている。最近、酒場に居るとなんかリソースガードやフリーランスの連中がいっぱい絡んでくるようになった。それはそれで情報源として有効ではあるが、果たして。ソラに頼んだ伝言は一体どこまで正確に広まっているのだろうか。
ウォレスは策謀事とは筋違いと知りつつヘレンに祈った。どうかこれ以上面倒なことにはなりませんように、と。
「なあ、なんか変じゃないか?」
清掃員姿の男、ダザがそう唐突に呟いた。
「ぎく」
その真横にいた占い師のような格好をした女性、夢路がむせ返る。
「静かすぎる。それにこの感じ、いつも尾行がばれて、見つかった時の空気と同じなんだよな」
「確かに、いつからでしょう。フロアの方から声が全く聞こえません」
緑髪の女性、レストはそう言うと、立ち上がって酒場のフロアへ続く扉へと手をかけた。
ドガァッ!!
その瞬間、レストが手をかけていた扉が吹き飛んだ。
レストも同様に吹き飛ばされたが、器用に空中で反転して、
たまたま後ろにいた黒髪の男、マックオートの上に着地する。
「むぎゃ!」
そんな悲鳴が聞こえると同時に、扉の壊れた入り口からレストめがけて緑色のツタが突出した。
体勢の崩れたレストは咄嗟の反応が間に合わず、覚悟を決めて歯を食いしばったが、
あと瞬き一つ遅れればレストに達するというタイミングで、その足元から突き出された剣がツタを切り落とした。
「アやぁスファらぁかス」
レストに踏まれながら剣を握るその男がそう呟くと、ツタの切り口が瞬時に凍結して枯死する。
「ずいぶん精霊武器が集まってるじゃねえか」
静まり返った酒場のフロアから姿を現したのは、巨大なパンジーの花だった。
無数の太いツタを従えながら、オシロ達のいる部屋へと侵入してくる。
「この声・・・。もしかして、トコヤミさん?」
恐る恐るオシロが聞く。
「そうだ。ずいぶん探したぞ?おかげで最初に眠らせた奴の残り時間はぐんと減っちまった」
「何このビオランテ、オシロ君の知り合いなの?」
夢路が興味津々の顔をしてオシロの方を向く。
「えーっと、どこまで話していいんだっけ・・・。基地長、厳重管理してたんじゃないんですかぁ〜・・・」
混乱とアルコールで回らなくなった頭を抱えて、オシロは天井を見上げて嘆いた。
「ま、お前らには関係のないことだ。餓鬼、これからお前を連れて行く。
この地のどこかに未だ眠る俺の本体の再生を手伝ってもらうぞ。ゴネるのは無しだ。
俺を置いていた施設、この酒場の客。今は寝ているが、お前の返事次第じゃ全員が死ぬ」
「おいおい、なんだって?」
清掃員姿の男がブラシを構えて巨大パンジーを睨みつけた。
「お前らには関係ないと言っただろうが。
俺とて精霊師と無駄に立ち回って、消耗してもつまらん。だが――」
さらに多くのツタが部屋に入り込んで、一層激しく動き回り始める。
「そこの餓鬼を守る、ってんなら、その限りじゃねえ。
さあ・・・、どうする?」
==========<参考データ>==========
あくまで強制力のない仮想スペックですが、
一応の目安として巨大パンジーの強さを記載しておきます。
見た目からの判断や展開の参考に利用したりしなかったりして下さい。
「常闇の精霊王inパンジー」
性能:HP200/知6/技10
スキル:
・ツタの串/50/0/5
・ツタの鞭/30/15/12 封印 凍結 炎熱
・ツタの壁/0/75/5
・ツタ再生/180/0/15 回復
・麻酔ガス/30/0/9 混乱 防御無視
・余裕/0/0/15 防御無視×5
プラン:
・自分のHP≦50なら『ツタ再生』。
・相手のHP>80なら『ツタの串』。
・100カウントに一度だけ『ツタの鞭』。
・相手が攻撃力1以上なら『ツタの壁』。
・相手のHP>30なら『麻酔ガス』。
・さもなくば『余裕』。
(補足)
・プラン判定は一人一人個別に行い、攻撃は全て単体を対象とする。
・条件を満たす対象が複数存在する場合、最も残りHPの高い相手を選ぶ。
・残りHPが同じであればランダムに対象を決定する。
自分の知らない事は、他の誰かが知っている。
ならその人を見つけ出せばいい、だけなんだけど…
「悪いが、そんな剣の話は知らんね。お役にたてなくてすまないが」
「……そうですか。いえ、お時間とらせてすみません」
現在の所、それは芳しくない。
最近の私の日課の一つ、宿屋巡り。勿論、寝るところに困っているわけじゃない。
探す宿はソウルスミスと縁のある……つまりは"外"からきた職人や商人が多く泊まっている宿。
そこで魔剣について尋ね、話を聞かせてもらう。
そういうやりとりを繰り返しても、有益な情報はほとんど出てこない。
「……っと?」
今日も空振りかな…と思っていると、不意にガラスの砕ける音と、男の悲鳴。
何事かと思って見回せば、食堂の隅で何やら揉め事らしい。
「何事だ、あれは?」
「さぁ……」
今まで話を聞いていた商人の言葉に、身の入らない相槌を返す。
見たところ、揉め事の中心になっている一人は男性。格好は貧民街のそれに近く、どうもこの宿には似つかわしくない。
もう一人はその男の首元に刀を押し当てる女性。金髪で、鋭い目つき。
優勢なのは女性の方。男性の襟首を掴み、刃を付き突けているところを見れば一目瞭然に。
けれど、女性から逃れるようにばたつく男性の手の動き。それが少し……
「それじゃ、私はそろそろお暇しますね」
「お、おい」
「お話、ありがとうございました」
喧騒に戸惑う商人に一礼し、席を立つ。
荷物から紅い糸を一本引き抜き、押さえつけられている男に放る。
糸は男の手首に絡まり……そのまま、きつく腕を締め上げる。
悲鳴と共に、男の手から小さなナイフが零れ落ちる。
「事情も知らない奴に口出しされたくは無いだろうけど。殺しあうにしろ話しあうにしろ、場所を変えたほうが良くないかな?」
こちらを見る(男の方は見えなかったかも。顔面に氷が張り付いていた)二人に告げる。
余計な事だった気もするけど、胸中で自己弁護するなら、この行動については一応、考えがあった。
考えの一つは、聞き込みを邪魔されたことへのちょっとした八つ当たり。
「できれば、私も聞きたい事があなたにあるんだけど…取り込み中みたいだしね」
もう一つは揉めてる二人の内、女性が持っていた刀があまりに見事だったから。
彼女なら、私の剣について何か聞けるかもしれない。
アスカ・スカイマイグレイトがリリオットに来て、早くも三月ほどが経った。
今日も、昨日と変わらず空に陽が昇り、正午を知らせる鐘が鳴り響く。
「いっけない!遅刻、遅刻、だよー!」
真昼時、慌てながら人の群れの中を走り抜ける影があった。一際大きいその影は、人ごみの中、遠く離れていてもよく目立つ。
この街の大通りの光景や道順も漸く目に馴染んできた。迷うことなく、最短で、目的地である雇い先に向かえるだろう。問題があるとすればこの混雑さであろうか。リリオットの情勢は芳しくなく、きな臭い噂が現れては跡を絶たない。呼応するように、人の波は街の外から溢れ、最近は食事時だというのに人通りが多い。
ぶつからないよう、人ごみの間を縫うように心がける。特に、小さな子供、老人や怪我人を轢いてしまったら大変だ。アスカはどうにも背丈が大きく、四肢も長い。出来うる限り縮こまるが、人を勢いのまま弾き飛ばしてしまいかねない。人間馬車というやつだ。
だからだろうか、むしろ、人ごみの方が後ろから来る巨体を警戒して左右に避け、道を開けてくれた。
「あぁっ♪ありがとう、だよー!」
開けた道を走りながら、横を通り過ぎる人達にお礼の言葉を吐いていく。
――ふふ、皆、優しいなぁ♪
にこりと口に微笑みを咲かす。男臭い顔に似合ってないのが歪だが。
重く大きな足音を鳴らして、アスカは疾走していく。奇妙な光景に、街行く人々は口を丸くしていく。
途中で何度か道を曲がり、少し大通りを外れた所に目的地の姿が見える。大小様々な花束が飾られている看板に、《花に雨》亭と、ひっそりと書かれていた。ここが、アスカの職場である。
元々酒場であったが、突然店主が甘味と茶の類をメニューに置くことで、酒場兼喫茶店として新しく営業した店だ。大通りから外れた小さな通りに客足もまぁそれなりで、若い街娘達と荒くれ者達を同時に存在させながら、順風満帆とはいかないが細々と営業している。 ……大抵の客からの評判は概ね、色物扱いではあったが。
「遅れてごめんなさい!おはようございます、だよー!」
花と鈴をあしらえた、質素な素材の扉を開け放つ。
少女趣味を思わせるリボンやフリルを飾った若い娘の従業員達と、同じくリボンやフリルを発達した筋肉のあちこちに巻き付けた奇妙な出で立ちの巨漢が、店内に現れて向かい合った。勢いよく、お互いのスカートと鈴が揺れる。
呼応して、酒を口に流し込む荒くれ者や、従業員目当ての若い男の客が眼を揺らす。
……色物が、どれのことを指すのかは不明だが。順風満帆とはいかないが、細々と、アスカとこの店の今日は続く。
「うーん、ここに泊まることにするわ。
ちょっと狭いけど、『ここなら夜に多少の音を立てても大丈夫』なのよね?」
リオネは、宿の主人に尋ねる。
主人は、営業スマイルを取り繕おうとして少々失敗し引きつった笑顔のまま答える。
「それは、はい、その、そのように配慮いたします、はい」
「では、この部屋を1ヶ月借ります。ちょっと待って下さいね……」リオネは小切手にペンを滑らせる。
「はい、これで」
「確認させて頂きます、……」小切手を受け取った主人は、目を丸くした。
「すみませんお客様、この数字は私どもの宿の代金よりずっと……」
「いいのいいの、気にしないで。さっきも言ったけど、多少迷惑を掛けるわ。
なので、その分の前払いだと思って下さい。代金1ヶ月分の1.5倍。
隣の部屋から苦情が来たら、この余剰分からお金を出して割引サービスにでもしてやりなさい。
もし私が何か壊したりしたら、この余剰分から出して。積極的に壊そうと思っているわけではないけど。
勿論、何もなかったら、全てあなたの利益よ」
「しかし、お客様」
「何よ、まだ文句あるの」
「いえ、そうではなくて、その、それではこの小切手の数字は……一桁足りないようですが。」
「……ふう。」
背中の荷物とギ手に持たせた荷物を降ろし、彼女はため息を吐いた。
「とんだ恥を掻いてしまったわ。かっこ良く決めたつもりだったのにね。
んー、でもこれで、宿も確保できたし、"研究"を始める前に、夕飯でも食べに行きましょうかね!」
彼女は伸びをして立ち上がると、部屋を出た。
階段を降りる途中で、黒髪の少女とすれ違った。年は、私と同じくらいか、少し年下だろう。
ヘレン教の力が強いこの街で、黒髪にしては元気な顔をしている。
凛とした雰囲気は、東の国の者だろうか?
しかしリオネは実際に東の国を訪れたことが有るわけでもなく、確証はない。
黒髪の少女は会釈をすると、そのまま通り過ぎてしまった。
奇異の目で見られることが多いリオネにとっては、久々に覚える新鮮な感覚だった。
食事を宿の食堂で摂ろうかとも思ったが、どうやら何かいざこざが起きているようだ。
グラスの割れる音と、ざわついた声が聞こえる。
食堂の隅で、金髪の女性が倒れた男に剣を向けているのが、かろうじて見て取れる。
「彼女だけには、例え何があっても、絶対戦いを挑んではいけないわね……」
そう横目で呟き、リオネは宿を出た。
「確かソウルスミス本部で貰った地図に、食事処一覧みたいなのがあったわね。
ええと、『泥水』『ラペコーナ』『花に雨』……。さて、どこにしましょうか」
「レストちゃん、ですよね・・・」
「はい」
マックオートは仲介所で依頼書を渡した所から目覚めるまでの記憶が全て消えていた。
まさか、女の子の名前すら間違えてしまうとは、マックオートは後悔した。
この後悔が1度目なのか、2度目なのかさえ、今のマックオートには分からない。
ともかく、レストという少女が困っているらしい。居合わせた全員で協力することにした。
と思えば、次の瞬間には謎の巨大パンジー立ちはだかっている。
これではもらった服に着替える余裕もない。
「俺とて精霊師と無駄に立ち回って、消耗してもつまらん。だが――
そこの餓鬼を守る、ってんなら、その限りじゃねえ。
さあ・・・、どうする?」
どうやらこのでかい花はオシロを目的にやってきたようだ。
話からすると、人質もいるようだ。それぞれが決断に迷ってるようだったが、
マックオートの心はすでに決まっていた。
飛んできたレストを受け止め、優しく地面に下ろしたマックは振り返って言った。
「女の子に乱暴する奴は生かしちゃおけねぇ!!」
マックオートはアイスファルクスを振り回し、辺りでうねるツタを片っ端から切り落としはじめた。
突然すぎる行動にパンジーはビビった。周りのメンツもビビった。
「ええい!こしゃくな!」
パンジーはあわててツタを振り回すと、偶然にもマックオートに直撃した。
「あばらぼねぇぇ!」
そのまま弾かれたマックオートを合図に部屋の全員が立ち向かった。
ダザは襲いかかるツタをブラシを振り回して追い払い、
レストもツタの動きを確実に見きって対応した。
オシロはなにやら嘆いていた。
夢路は・・・これは珍しいものだと眺めていた。
「ダメだ!きりがないぞ!」ダザが声をあげた。
「オシロさん、相手について何か知ってるんですか!?」
「あれは僕が精製したんだよ!それが大人たちにとられちゃって・・・」
「精製・・・?では、あれは精霊なんですか?」レストは冷静に答えた。
「そうだよ!」
「なら、私に対策があります。私の左腕には、精霊の力を奪う機能があります。」
「なら、早くやってくれ!」ダザが怒鳴るように叫ぶ。
「しかし、発動までに少しの時間が必要です。それまで、誰か・・・」
「俺に任せろ!」
マックオートは声をさえぎって立ち上がり、レストとパンジーの間で剣を構えた。レストは左腕にエネルギーを集める。
「そんな剣、へし折ってくれるわ!」
パンジーのツタがアイスファルクスを何度も打った。しかし、びくともしない。
「残念だが、こいつの加工方法は俺でも分からないんだ。」マックオートは自慢気に答えた。
「・・・準備できました!」
レストの左腕が薄い精霊光を帯び、その腕でパンジーを掴んだ。
「のぉわぁぁぁぁああああ!?貴様!俺を・・・!」
セブンハウス七家の1つ「リリオット」
街にその名を冠することからも伺い知れるように、かつてはセブンハウスの中でも最高の栄華を誇った。
しかし、ジフロマーシャの謀略によりその地位は下降し、今や七家の中では「お飾りの当主」と化していた。
リリオット家の一人娘、マドルチェ・ミライエール・フォン・リリオットはそんな事情など露知らず、今日も「人助け」の為に精を出す。
世界中の全ての人間の悩みを解決してハッピーにすること、それが彼女の夢なのだ。
「何か困っていることはない?」
セブンハウス直属の庭師、メイド、清掃員――、マドルチェは彼らに問う。
外への出入りを厳重に管理されているマドルチェにとっては、リリオット家の邸宅と庭だけが世界の全てだった。
*
《絶対王制》――Absolute Monarchism.
それは、人間の身体から感情を抜き出す能力。
取り出された感情は精霊に似た力へと変質し、二度と人間の身体に戻ることはない。
幼少期に発現したその力のせいで、マドルチェは半ば幽閉される形でリリオット家の屋敷で暮らしていた。
変化のないお飾りとしての生活。いつまで続くとも分からない無味無臭の人生。
暗い暗い屋敷での生活の中で、徐々に彼女の心は色褪せていった。
「こんな自分なんて、死んでしまえばいいのに」
17歳の誕生日、彼女は自らの力を己に向けて行使した。
取り出した感情、それは長く暗い生活の中で彼女が大きく蓄えた「負の感情」そのものだった。
そして彼女は「ハッピー」になった。
*
残ったのは、歪な享楽主義の心。
世界中のみんなに幸せになってほしいというその一念だった。
昔見た絵本の中に広がる世界。
どうすれば私もあちら側へ行けるのだろう?
誰か私をここから連れ出して。
叶うなら、みんなみーんな幸せにしてあげたいから。
私と『同じ』ハッピーになってほしいから。
翌朝。
階下の食堂で朝食を摂りながら今後の方針を考える。
「『ヘレンに近きものは機械人形の如し、ヘレン本人は本能で動くが精密に刻まれた動作はそれに匹敵』…いやどうでもいい上に罰当たりに思われかねないわね」
紙の束を捲る。適当にとって残りは部屋においてきた。
「『強化したい魔剣の噂があるから現物持って来い。なんか刀身が白くて鞘から抜こうとしても抜けないとか』…物凄く曖昧ね。こんな情報だけで探すとか正気の沙汰じゃないわ」
そもそも抜けないなら刀身の色なんてわかるはずもないじゃないあの馬鹿と思いながら食器を片付ける。セルフサービス。
前日の依頼の報酬をもらうため、リソースガードへ向かう。フードを深く被る。用心は大事である。
「そういえば、昨日宿ですれ違ったひと、とっても変わってたわね…」
腕も脚も十全であるにもかかわらず、この大荷物では猫の手も借りたいとばかりに腕や足を増やし、
さらにはヘレン教に喧嘩を売らんとばかりに長い黒髪までつけていた。
「うーん、なんかの流行りなのかしら?」
仲介所で報酬を無事に受け取次の依頼を探す。
「なになに、廃坑の幽霊退治?」
黒髪お断りでない依頼の中から、手近に済みそうなのを選ぶ。
「あー、それね。最近、廃坑になった鉱山からなんか掘る音とか聞こえてくるらしいのよね」
受付のお姉さんが詳細を話す。
「で、なんか巨大な人影を見ただのなんだのって」
「ふーん」
「落盤で死んだヒトの幽霊かもしれないってことで依頼が回ってきたってとこ」
「幽霊ねぇ…廃坑を一人で掘るような人は…うーん」
「廃坑だし落盤の危険もあるからねぇ。…お嬢ちゃんには危なくないかしら?」
「やるわ」
「えっ」
「廃坑掘りならまぁ話せばなんとかなるでしょうし幽霊だったらそれはそれで退治すればいいし」
「まぁ、頭上には気をつけてね」
えぬえむには一つの考えがあった。
職人は教えてくれない。だが精霊を掘り出す者なら?
それも廃坑で掘ろうというアウトロー、かつ掘って脈を当てるほどの者なら?
行動は迅速に。もしハズレでも依頼をこなすことは出来る。
目的地は廃坑。場所を確認しそこに歩を進めた…
目の前の男の手から、からん、と小さなナイフが落ちた。
死角で用意されたそれを落とさせたのは、男の腕を締め上げる紅い糸のようだ。
「事情も知らない奴に口出しされたくは無いだろうけど。殺しあうにしろ話しあうにしろ、場所を変えたほうが良くないかな?」
驚いて顔を上げると、見事な白髪の女が、その糸を手繰りながらリューシャたちに近づいてくる。
足取りに迷いはない。リューシャに対する敵意も感じられない。……少なくとも、今は。
「できれば、私も聞きたいことがあなたにあるんだけど……取り込み中みたいだしね」
近づいてきた女は、男の腕を巻きついた糸ごと無造作に捻り上げる。
ここじゃあ迷惑だから外に行きましょう、と言うが早いか、彼女は男を引きずるように連れて行ってしまった。
リューシャはその後ろ姿を追う前に、カウンターで顔をひきつらせたマスターに銀貨を一枚差し出す。
「グラス代はこれで。余分は迷惑料として受け取ってちょうだい。……代わりにひとつ。彼女、お知り合い?」
「え?ああ、えーと……」
名前はソフィア。リソースガードの傭兵で、同時にリリオットで骨董屋を営んでいる。
鍛冶屋を始めとする職人を中心に、この宿でもしばしば何かしらを聞きまわっているようだ。
そこまでを手短に聞き出すと、リューシャはマスターに礼を告げてカウンターを離れる。
食堂を出れば、人目を避けてか、ソフィアが奥まった裏口を抜けていくところだった。
リューシャもそれを追い、路地に抜ける。
「……とりあえず、こちらの尋問を先に済ましておきましょうか。
あなた、わたしに聞きたいことがあるならちょっと待っててね。すぐ終わるから」
人通りの絶えた夜更けの裏通りで、リューシャがシャンタールを手に、ソフィアに告げた。
ソフィアもそれに頷いて、紅い糸をぎりっと締めあげる。
「さてと。まず、あなたの持ってる剣、借り物でしょう。……雇い主は職人街の誰かかな?武器屋の親方?
数は多すぎてちょっと絞り切れないけど、名前を吐く気はある?……そう。じゃあいいわ。
知りたいのは、どっちかっていうと理由のほうだからね」
半分凍りついた男の顔色を観察しながら、リューシャは淡々と質問を重ねる。
シャンタールで軽くつついてやれば、男はだいたいのことをぼろぼろと喋った。
「……ずいぶん手馴れてるのね」
「ま、技術目当ての産業スパイなんかを結構扱い慣れてるから……、うん?」
呆れたようなソフィアに答えていたリューシャが、ふと言葉を切って男に向き直る。
零れた言葉に、リューシャの瞳が、興味深げにきらりと光った。
“ジフロマーシャ主催の、精霊精製競技会”。
ソラが花と鈴で飾られた扉を開けると、ふんだんにリボンやフリルを纏った若い女性たちと、巨漢が出迎えた。ここは《花に雨》亭、大通りから少し外れた場所にある、酒と甘味を同時に揃えた食事処だ。
「アスカ、いつものちょうだい!」
ソラは開いている席に腰掛け、肩から下がったかばんを置くと、近くのウェイトレス姿をした巨漢に7枚の銅貨を渡した。巨漢は、男には少々不釣り合いな満面の笑みを浮かべると厨房へマスターに注文を告げる。しばらく花で飾られた店の窓から外の明かりを眺めながら時間を潰して待っていると、巨漢はパンと料理皿を持って戻ってきた。
「はーい♪いつもの、だよー!」
皿にはミルクの海が広がり、その中から桃色の魚の切り身が顔を覗かせている。また、脇には添え物として緑と赤の野菜が盛りつけられている。ミルミサーモン……《花に雨》亭の人気メニューの一つで、サーモンをミルクで煮込んで特性の味付けをした料理だ。味も良いが、それだけがこの料理の評判の理由ではなかった。食べた者はその内に眠る潜在能力を開花させることができるという噂がまことしやかに囁かれている。
ソラはスプーンで切り身を細かく切り分け、フォークを突き刺してそれを口に運ぶ。ぽたぽたと滴るミルクを舌で受け止めながら柔らかい肉をゆっくりと頬張る。
「うーん、おいしー!」
ソラはミルミサーモンを夢中になってつつき始めた。
だが、ソラが食事を始めた直後、4人組の公騎士団員が扉を激しく開け放ち、店の中へぞろぞろと入ってくる。それまで会話で華やかだった店の中が急に静まり返り、皆騎士達へ視線を向ける。騎士達はミルミサーモンをつつくソラの傍までやってくると、その中の髭を蓄えた初老の男が一歩前へと進み出る。
「君がソラ君だな」
ソラが「はい?」と顔を向けると、初老の騎士は「……まだ年端もいかない少女じゃないか……」とくぐもった声で呟いた。手で合図を出し後ろの騎士達に錠縄を用意させた後、緩慢な口調で告げる。
「君をフェルスターク公一家殺害容疑で連行させてもらう。外に傭兵も控えている、抵抗はやめた方が身のためだ」
ソラはまだ食べ終わっていないミルミサーモンと公騎士達を見比べる。完全な濡れ衣だが、素直に従って無事帰してもらえる用件だろうか。どう見てもそうは思えない。
「えーと……どうしようかな……」
ソラはかばんの紐を手に取りながら、冷や汗を浮かべた。
ペテロへ。
仕事でドジ踏んだってのは、<エクスカリバー>の方だ。ちょっと後をつけられててな、家に帰ると正体がバレそうだったんだ。ヘレン教徒に正体握られたら、お前を人質に取ってくるだろうからな。正体をさらさない、ってのも大事な戦いだ。
こないだ助けた子? まあ顔はちょっと綺麗だったけど、まだ子供だったしな。お前となら釣り合い取れたかもしれないが、あれで一応剣士みたいだから、お前じゃ尻に敷かれちまうかもな。
ペテロもそういうのに興味が出てきたのか? お前にゃわからんだろうが、女とつきあうってのはけっこう疲れるんだぜ。いくらお兄ちゃんでも炭鉱掘りと<エクスカリバー>と女の機嫌とるのを同時にやるのは骨が折れる。まあ、ヘレン教が片付いたら考えるかな。
ヒーローの仕事で食ってけないの、ってのは無理な相談だ。俺らが助ける相手はたいてい金なんて持っちゃいない貧乏人だ。お前、実際に正義の味方なんて見たことないだろ? それで生活できるならみんな正義の味方やってるよ。金に尻尾振ったら公騎士やリソースガードの犬どもになっちまう。
あの常闇の精霊王を封じたヴェッテルラングだって本職は酒場のオヤジだしな、アーネチカ殺しのミルミも死ぬまでメイドさんだ。ナプラサフラなんてのに至っては物乞いしながら勇者をしてたって言う。報われないんだよ、英雄なんて。
ところで、この間の手紙の隅に染みがついてたが、血だろうあれ? お前、病気なんじゃないだろうな。暑くて息苦しいだろうが、マスクは必ずつけろよ。炭鉱掘りは肺をやられたらおしまいだ。念のため、新しい布を3枚つける。ちゃんと洗って乾かして、毎日違うのを使え。
何か困ったことがあるなら、ちゃんと言えよ。
世界も大事だが、お兄ちゃんが一番大事なのはお前だ。
わざわざリリオットに来てるのも、ヘレン教の本山がここだからだ。あいつらを潰さないことには、お前みたいな黒髪がいつさらわれちまうか、心配でしょうがないからな。正義の味方なんてのはついでだ、俺はお前の味方だ。
<エクスカリバー>はついでで世界救っちまうんだ、かっこいいだろ。
肺病じゃなくヘレン教徒に捕まってた女の子のこと考えすぎて鼻血が出た、ってのを祈るぜ。それはそれでちょっと心配だけど。
尾行されてた時の話はまた今度書こう。
5/21 ライ・ハートフィールド
「どうしてこうなったのかしら……」
話には聞いたことがある。
庶民層には馴染みの浅い女性使用人の立ち姿や振る舞いが大いに曲解され、本来の女性使用人の姿とは似ても似つかないが、
しかしその曲解された姿を給仕に取り入れることで人気を博す喫茶店が存在するらしいことを。
どうやらこの店は、その類の店、のように、見えるのだが……。
なぜその給仕の中に、筋骨隆々とした男性が混じっているのだろうか?
唖然としてしまい固まったまま店の入口を塞いでしまったリオネは、
大男には全く不釣り合いな黄色い声の店員に促されるまま店の隅の席に着き、
とりあえずメニューを取ったはいいが、全く頭に文字が入ってこない。
行動予定《プラン》を徹底的に破壊されたリオネは、かろうじておすすめメニューを注文することに成功した。
食事を終える頃にはすっかり混乱も解け(味は良く思い出せないが、結構美味しかった、ように思う)、
店員と
「そんなにお皿とかジョッキをいっぺんに運ぶの大変じゃない?
私のギ肢を使えば、一度に沢山運ぶのも楽になるわよ。
良かったらお安くしておくわ」
などと談笑する余裕も出てきた。
もっとも、リオネと話している大男には、ギ肢など全く必要なさそうであったが。
店のコルクボードに、ビラを貼っても良いかどうか交渉していたら、
突如として4人の騎士が店に押し入ってきた。
騎士の一人が、帽子を被った少女に告ぐ。
「君をフェルスターク公一家殺害容疑で連行させてもらう。外に傭兵も控えている、抵抗はやめた方が身のためだ」
帽子を被った少女は額に汗を浮かべながら、何かを考えているようだ。
たった一人の少女を確保するのに、騎士を4人も使うのは大袈裟だ。
それに、今「フェルスターク公一家殺害容疑」と言った。
「フェルスターク」はセブンハウス七家「ペルシャ」の分家であり
少女一人で安易と一家を殺し尽くせるような警備体制ではないはずだ。
すなわち、これはどう見ても明らかに濡れ衣であると判断せざるを得ない。
彼女を助けたい。
だが、確かこの街の騎士団は、セブンハウスが展開しており、商人との連携が強かったはずだ。
ここで私が彼女を助けようものなら、私の商売許可証が取り消されるどころか、
すぐさまこの街を追い出されるか、それとも牢屋で過ごすかだ。それは勘弁願いたい。
見ず知らずの彼女を助けるために、それだけのリスクを冒せるのか?
いや、まだ方法はある。
リオネは『姫荊の種[アルラウネ・ユニット]』の安全装置を解除し起動させた。
鈍色の茨は音もなく増殖し、店の足元を這いはじめる。
------
リオネは以後、姫荊の種を回収するまで、姫荊抱擁[アルラウネ・スクィーズ]を封印されたものとして扱う。
遅刻したアスカが、店内で給仕をしていると、帽子を被った少女がやってきた。この少女、ソラは明るくて、楽しい気分にさせてくれる娘だ。そして彼女がよく注文する品、ミルミサーモン。この品は自分も気に入っていてたまに食べている。値は張るが、ラズベリーを煮込んだジャムを自分で付けたりすると、これまた美味しいのだ。
次に、奇妙な手と足を生やした女性を出迎えた。
初めて見る人だ。注文の品を提供しながら、よくよく見ていると、自分が苦手な、昆虫を少し思い浮かべてしまった。
その時、店内に公騎士達が現れて、ソラに近づいて口上を述べた。 こんなに静まりかえった店内では、聞こうとしなくても聞こえてしまう。
――ソラちゃんが?そんなことを?
疑問と抵抗感が浮かんだ。このまま捨て置くことはしたくない。馬車を見つけた時とあの日と同じだ。真実がどうあれ、あの娘はお客さんだ。何か助けになることが出来るなら、してあげたい。馬車の通る大通りまでソラを放り投げようか?
――でも怪我しちゃいけないよね。
店側としては騎士達に抵抗はしにくい。それは店主にも悪かった。
アスカは騎士達とソラの間にぬうっと、割って入ることにした。あくまで店員として。
「いらっしゃいませ、だよー!《花に雨》亭にようこそ♪皆様、合わせて四名様で宜しいでしょうか、だよー!」
「……何だね、君は」
「ボクの名前は、アスカ、だよー!アスカんって呼んでね♪」
「!?」
突然現れた、奇妙な大男に騎士達は“警戒”する。
初老の騎士を含んだ三人がアスカの顔を見上げた。アスカの背後に位置するソラを、四人目が見張っている。自分の足下に背後から茨草が迫っているとも知らないで。
「うわっ!?」
その四人目が驚きの声をあげて、三人が振り返ると同時に、アスカは悲鳴をあげながら、背後のテーブルに両手を付いて向き直る。身体でソラを隠しながら、そっと素早く、耳打ちした。
「テーブルを潜って後ろのカウンターへ。カウンター奥の厨房に、換気用の小窓。そこから木を伝っていけば隣の建物の屋根に昇れるはず。ソラちゃんは高い所、大丈夫、だよ、ねー?」
その後。騎士を助けようと近づき、その眼前でわざと茨草に腕と足を絡めて捕まってみせることで、店側は無関係であることを証明した。
「あ〜れ〜、だよー!」
複数の絡まった鈍色の茨が、アスカの隠された大胸筋をはだけさせる。
「んんっ・・・!」
くぐもった声がアスカの口から零れる。
ソラを探す騎士以外の男客達は、総じて目を白く濁らせて、ある者は机を小突き続けたり、ある物は幼少の頃の思い出を思い返し、あるものは故郷を思い返した。
連なるハルメルの倉庫。そこを守る公騎士団のうちの一人が、応対する。
「精霊武器は、ハルメル様のいいつけ通り、別の倉庫に移動する作業を行っております」
「なんだと!? 私はそんな指示を出した覚えはないぞ!」
「しかし、昨夜遅くにハルメル様が現れて、『今すぐ武器を移動させろ』との御指示を与えて下さったはずでは……」
「その時間、まだ私は自宅で寝とったはずだぞ!!」
「で、ではあのときのハルメル様は一体……」
「偽物〔フェイク〕ですな」ウォレスが声をあげる。
「これはやっかいなことになりましたぞ。ハルメル様」
「ど、どういうことだ!?」
「精霊武器は何者かによって勝手に移動されてしまった。おそらくあなたに『姿を変えた』人間によって。つまり……見方によっては、『あなたが』クックロビン卿の私物を横流ししたことになる。『あなたが』単独でヘレン教を裏切ったという形になる」
「な、な……」あまりの展開に、ハルメルは言葉が出ない。
「ハルメル様。あなたは『罠にはめられた』んですよ。もう手遅れかもしれませんが、移動先の倉庫に人をやって見に行かせるべきです。今すぐ動けば、あるいはまだ……半分くらいなら精霊武器を取り戻せるかもしれない」
「あ、ああ……セブンハウス七家『ジフロマーシャ』か!! あの黒髪のクックロビン卿が私を裏切ったのか!?」
「証拠は何もありません。したがって、このままいけば損害賠償は請求されるでしょうな――流出した精霊武器に匹敵する、莫大な金額を」
ハルメルはその金額を想像し、真っ青になって、ふらふらばたりと地面に倒れる。公騎士団の一人が仲間に救護を求め、ハルメルは担架で医療所へと運ばれていく。
精霊武器の移動は全て中止。速やかに元の倉庫へと持ち帰れ、と指示が飛び交う。だが、全ての倉庫に連絡が行き渡るのは、正午ごろになりそうだった。
兄の無残な死に様を問いただしたものの、公騎士団の職員は頑として「職務中の事故」の一点張りを崩さず、詳しい事情を教えてくれない。職員はヘレン教ではないようだったが、黒髪の私と長々と会話しているところを余人に見られると厄介なことになると考えたのか、わたしは早々に病院を追い出されてしまった。遺体は火葬した状態で送り届けるとのことだ。呆けた頭をなんとか持ち上げ、途方に暮れながら帰路をよろよろと進んでいると、人気のない裏路地に差し掛かったところで、妙な振動音を耳にした。
こるこるこるこるこるこるこるこる。
ガラス玉が器の中で転がり続けているような音。通路の端に流れる下水溝に何かが引っかかっているのかとも思ったが、そうでないことはすぐにわかった。暗がりの中から音の発生源がのそのそと近づいてきたのだ。
真四角。全身が鬱血しているような紫色をしている真四角の大型動物……いや、「怪物」とでも呼んだほうが良いのだろうか。攻撃的な角、中心に寄りすぎた二つの目玉、多過ぎる脂肪に、たるんだ皮膚。兄が読ませてくれた動物図鑑のどの動物にも似ていない、醜悪としか言いようのないその姿は、万物に恐怖を与えるべく生まれたような印象すら漂わせていた。
怪物はこちらに対して明確な害意を持っているらしく、歯を剥き出しすると、こるこると喉を鳴らして近づいてくる。わたしはサッと血の気が引いてしまった。唯一の生きがいである兄が死んだ世界に、今更、未練などないものの、こんなものにくれてやるほど命を安売りしているわけではない。
わたしはどうにかこの場を逃れようとするものの、すくんだ足は縺れるようにしかならず、怪物はゆっくりと距離を詰めてくる。どうやら、一息で獲物まで飛びかかれる確実な距離を測っているようだ。到達まで目測で30歩、あと10秒ほどだろうか。
逃げなきゃ。
逃げなきゃいけない。
しかし、震えた足を無理に動かそうとしたツケは、わたしに転倒という罰をもたらしてしまう。どすっという間抜けな音と同時に、脳内に死という文字が浮かび上がった。わずかだけ、ほんのわずかだけあったかもしれない希望が完全に潰えたことにより、それまでの身震いが嘘のように収まり、全身を脱力が襲っていった。
ttp://drawr.net/show.php?id=3775451
「……ずいぶん手馴れてるね」
宿を出て、人気の無い裏通りへと場所を移し。
金髪の女性(名前はリューシャと言うらしい)の尋問の手際の良さに、感心半分呆れ半分で呟く。
「ま、技術目当ての産業スパイなんかを結構扱い慣れてるから……、うん?」
こちらに答えながらも尋問を続けていたリューシャが、男の漏らしたある言葉に反応を示した。
"ジフロマーシャ主催の、精霊精製競技会"。
リリオット全域という規模で参加者を募集している競技会。優秀者は当家お抱えの作業員に抜擢するという告知に、精製技術者達は色めき立っている。
気になったのは、大規模過ぎないかということ。
精霊関連の技術はリリオット最大の財産のはず。これだけの規模の競技会では、技術漏洩のリスクも高い。
何か裏があるという噂も巷で流れている。それが笑い飛ばせないほど、セブンハウスの暗い噂は多い。
男が語った話に、私からそうした補足を加えてみても、リューシャの瞳に宿った輝きは変わらなかった。
「察するに、あなたの目的はこの街の精霊技術の獲得、かな?」
「……あなた、リソースガードだそうね。だとしたら、あなたはわたしを咎める?」
「ううん、別に。骨董屋が職人のする事に口出ししてもね。……ああ、そうだ」
ふと思いついて、私はごそごそと自分の荷物の中身を漁る。
『職人』と表紙に書かれた小さな手帳を探し当てると、それをリューシャに投げ渡す。
「……これは?」
「リリオットのめぼしい武器職人のリストだよ。ソウルスミス所属者からそうでない人まで、色々ね。
何人かは、以前私が依頼を受けた相手もいる。"螺旋階段"のソフィアの紹介だって言えば、話を聞く気になってくれる人もいるんじゃないかな」
リソースガードで買った情報と、自分がこれまで積み重ねてきた依頼と人脈には、それなりに自信がある。
と言っても、ソウルスミス所属者で技術を外部に明かす者はいないだろう。
逆に非所属の職人と彼女が交流しても、リソースガードの私が咎めることじゃない。
手帳を受け取り、怪訝そうに私を見てくるリューシャに、私は微笑みを返す。
「なぜ、これをわたしに?」
「私にはもう必要ないし、あなたに渡した方が役立つかなって。頼み事をするのに、お礼も無しじゃ失礼だしね」
表情を真剣なものに変えて、私は自分の剣をリューシャに見せる。
鞘から柄まで真っ白な剣。
「名は追憶剣エーデルワイス。私はこの剣に呪われててね、何度手放してもすぐ手元に戻ってきちゃう。
この剣について、あるいはこうした魔剣や呪いについて……何か知っていたら、教えて欲しい」
「では、何かわかったら『泥水』に伝言をお願いします」
そう言って、レストとダザ、そしてマックオートの三人は帰っていった。
白み始めた明け空を背に、オシロと夢路がそれを見送る。
「レストちゃんはたぶん気づいてるっポイよね。ダザはあれで結構鈍いからわからないけど」
「僕は夢路さんがエフェクティヴだったことの方がビックリですよ・・・」
レストの手でとどめを刺された巨大パンジーは、直後急速にしおれ、完全に活動を停止した。
それから手分けして周囲の被害を確認することになったのだが、
幸いなことに村の被害は酒場だけにとどまっている様だった。
その酒場の客も、10分ほどで最初の一人が回復し、その他ベトスコも含め、
全員が30分程度で意識を取り戻したことが確認された。
「どういうことだ!」
「やめろ、ここには部外者もいるんだぞ!」
事態が周囲に伝わり始めると、そうした口論がパンジーの残骸を横目に行われ始めた。
部外者とは明らかにレストらを指し、当事者とはエフェクティヴをかくまう鉱夫達と、
その協力に頼るエフェクティヴ構成員達のことだった。
エフェクティヴのミスによって住民に危険が及んだのであれば、その危うい信頼関係は簡単に崩壊しかねず、
反体制組織にとって住民の協力を失うことは、例外なくその活動の破綻を意味していた。
「すいません。採掘に関する守秘義務があるから、詳しくは言えないんです。
逆にソウルスミスから情報の流出を疑われた方が迷惑になっちゃうと思うんで、
今日のところはひとまずここにいない方がいいと思います。ごめんなさい」
パンジーの正体について言及するレスト達にも、オシロはそんな嘘で誤魔化すしかなかった。
「私はもうちょっと残っていこっかなー」
「夢路さん、無理言わないで下さいって・・・」
一人、異を唱えた夢路だったが、
その直後こっそりと小声でオシロに囁いて、それ以上の反論を黙らせた。
「私はこっち側だから、だいじょうぶい」
「うそでしょ」
三人を見送った後、基地の様子を確認に向かうベトスコ達について、夢路もその場を後にした。
『常闇の精霊王』の言葉を信じるなら、基地の方の被害も相当であるはずで、
実際、その時点まで基地からの帰還者はまだ一人もいなかった。
一方オシロは酒場に残り、その後片付けを手伝うことにした。
「でもなんで、よりによってパンジーなんだ?」
しおれた花弁の一枚を手に取り、オシロは誰に問うでもなく、そう一人ごちた。
パンジーはオシロの死んだ母親が、唯一オシロに残した思い出の花だったのだ。
この事件の原因が、その作業場に置かれたパンジーの鉢植であったことにオシロが気づくのは、
それからちょうど1秒後のことだった。
泥水を出た直後、マックオートはふらつきながら尋ねた。
「レストちゃん、これからどうする?」
「はい。・・・私は自分の依頼書を探すつもりです。」
「君にはかなり迷惑をかけているみたいだから、何か力になれれば・・・」
マックオートはそこまで言うと倒れそうになった。
「おい、大丈夫か!?」
それを支えてくれたのはダザだった。ダザの服にも泥がついた。
レストから受け取った服は未だに着替えららずにいた。
「すまない・・・」
「全く、無茶をする奴だよな、お前は。・・・そうだ、」
マックオートに肩をかしながら、ダザはある提案をした。
「温泉にでも行くか?」
「オンセン?」
温泉とは、公衆浴場のことだそうだ。確かに、マックオートの体は洗いたいほどに汚れている。
また、そこに備え付けられている”精霊渦の箱”という道具を使えば服の洗濯もでき、
軽い傷なら入浴前に受付が回復してくれるらしい。
マックオートは賛成した。レストは拒否した。
手をあげて、馬車を呼ぶ。料金は割り勘にした。レストも仲介所の近くまでは乗ることになった。
馬車に揺られるあいだ、マックオートは本を取り出そうと自分の服に手を入れた。
「ん・・・場所が少しずれているな・・・」
マックオートは持ち物の異変に気がついた。
「あ、それは・・・すみません、ここに来るまでに、あなたの持ち物を勝手に調べました・・・
依頼書を隠し持っている可能性もあったので・・・」
「なんだ、そういうことか。」
マックオートは安心した表情で本を取り出した。しかし、レストは少しうつむく。
「あと・・・」
「あと?」
「ここに来るまでの馬車代もマックオートさんから出してもらいました。」
ティンときたマックオートは報酬袋を調べた。確かに、硬貨の枚数が足りない。
しばらく困った顔をしたマックオートは、納得して答えた。
「緊急事態だったみたいだからね。レストちゃんの判断は正しかったと思う。あと・・・」
「あと?」
「俺の事はマックと呼んでくれ」
「あ、・・・はい」
うなずいたレストを見て微笑んだマックオートは本を読み始めた。
ダザが興味本位で覗いてみると、その本には謎の図形と長い文章が一面に記載されていた。
「すごい本を読んでいるな・・・」
おもわず口が動いた。
「これ?これは”第3版呪い辞典”。ちょっと解きたい呪いがあってね・・・」
マックオートはこの本の大半を暗記するほどに勉強していた。
自分の剣の呪いについては、レストの依頼書探しで忙しい今は話すべきではないと
考えたマックオートは、そのまま本を眺めていた。
少なくともリリオットでは、ヘレン教も黒髪人種もあまりよく思われていない。
どうせどちらも争いの種をひきつけるのは違いないと思われる、らしい。
※
朝食の片付けを終えた後、私が教会の玄関や廊下の掃除をせっせとしているとベルが鳴った。訪問者の合図だ。
その時に一緒にいたのは年老いたシスターと、手伝いをしてくれた孤児の少年だ。一番近くにいたシスターの方が戸を開けてみると、何人かの乞食がいた。
異臭が染み付き髪も肌も服も汚れきっているが、黒髪はいない。年齢や性別には違いがあれど、一様に彼らは飢えきっているのは明らかだった。
「施しをください……食べ物か、お金があれば……。」と、かぼそい声でその中の一人がいった。
「少しお待ちください。」シスターに頼まれ、私は少年と一緒に食堂から残っていたご飯を持ってきた。
乞食達に与えると、彼らは喜ぶより先にがっつきはじめた。その眼は落ち窪んで、光が無くて、まるで人間らしさを感じない。
その様子を見て、シスターが哀れみを込めて「貧しい人々よ、あなた達が望むなら、私達は衣服と住居と食べ物を提供しますが。」と申し出た。
だがその途端、彼らは怯えたような表情で黙り込んで、逃げるように立ち去ってしまった。
ヘレン教の信者というだけで、いきなり取って食われるイメージがかなりの人々にあるらしい。
メインストリートにあんなに乞食が居ても、この教会には貧民の殺到しない理由だ。
私達に来る者全て助けられるような予算がないというのも確かにあるが、それでも求める者にはできる限りの施しをしている。
「ケンカしあってる同士を外から見ちゃうと、どっちにもかかわりたくねーよなーって感じなんだろうね。
どうしてもっていうなら、その時に得しそうな方がいいってだけ。」
隣の箒を担いだ少年が、ぼそりと言うのが聞こえた。私も、きっと皆もまったくその通りに考えている。
掃除が終わって休憩中にふと、礼拝堂の方に赴いてみた。今日はまだソラは来ていないようだ。
見かけたら昨日買ってきた飴玉でもあげよう、と考えていたのだが。
いや、もしかしたら流石に子供扱いのしすぎだと怒られるかもしれないな。どうだろう。
精霊精製競技会。
男の話を要約すれば、彼の雇い主はリューシャをその競技会に備えたライバル工房の回し者だと考えたらしい。
見たところ旅人の上、帯剣者とはいえ女が一人、軽く脅せばリリオットから出ていくだろうと思った……。
そう語った男は、声が半分泣いている。目元が氷結していなければ普通に泣いていたかもしれない。
これ以上つつきまわしても何も出てこないと判断して、リューシャは男を解放した。
「いいの?」
「ええ。死体を埋めとく雪もないしね」
「えーと……ジョークなの?それ」
故郷の凍土なら、処理に困る死体は適当に掘削した雪原に埋めておくだけで、大概二度と出てこない。
リューシャ自身が人間を埋めたことはないが、掘り当てたことは二回ほどあった。
そんなことを言って白い目を向けられても意味がないので、軽く肩をすくめるに留めておく。
それをどう解釈したのか、ソフィアは気を取りなおしたように、精霊精製競技会について詳しく説明してくれた。
聞けば腐るほど裏のありそうなイベントだが、内実がどれだけ汚泥にまみれていようと、リューシャの興味を削ぐには至らない。
加えてソフィアには、リソースガードとしてリューシャを咎める気はないらしい。
骨董屋が職人のする事に口出ししてもね、と言って、小さな手帳を投げ渡してくれた。
「リリオットのめぼしい武器職人のリストだよ。ソウルスミス所属者からそうでない人まで、色々ね」
むしろそれを対価に頼みごとをしたいと、ソフィアは一振りの剣を差し出す。
純白の剣、追憶剣エーデルワイス。
「……、これはなかなか……」
「……魔剣、詳しいの?」
「一応、魔剣つくりなんて呼ばれる身だからね」
今はリューシャの腰にあるシャンタールも、一度手を離れた後、所有者を三人殺して戻ってきたという曰くつきである。
しかし、エーデルワイスはそれよりも度を越して複雑だ。
「……炎の力が混じってるね。わたしは炎とは相性が悪いからなあ……」
「……やっぱりわからない?」
肩を落としたソフィアに、リューシャはしばし考えこむ。
「そうね……さっきの宿に、えぬえむっていう黒髪の女の子がいる。
あの子の師匠の鍛冶屋は、そういうややこしい武器が好きだっていう噂よ」
「えぬえむさん、ね」
「あとは、今日見かけた黒髪の男のひと。彼の凍剣も、たぶん呪われてる。解く気があるなら調べているかも。
……名前はわからないけど、ドブさらいが趣味でなければ、リソースガードのクエストを受けてたんじゃないかしら」
こんなことしか教えられなくてごめんなさい、と詫びたリューシャに、ソフィアが首を振る。
今後も何かわかれば“螺旋階段”に、と取り決めて、ソフィアは路地を去っていった。
「ここが例の廃坑ね…」
第八坑道。幽霊が目撃されたのはこのあたりだという。
そもそも目撃した人がこの廃坑付近で何をやっていたのか。
自分には関係ないと思い直す。
「取りあえず用心に越したことはないわね」
フードを外し、そこらに打ち捨てられていたヘルメットをかぶる。
ヘッドライトの機能は失われてはいるが、アルティアに精霊砲をチャージさせ、それを照明代わりにする。
「おっけー、アルティア。行きましょうか」
いくつも枝分かれしている坑道。幽霊なら掴みどころはないが、もし採掘者がいるなら、そして採掘しているなら。
耳を澄ませた。地面に耳を当てたりもした。
規則正しく。脈打つがごとく。
音に導かれながら、慎重に、慎重に歩みを進めていった…。
「うーんと……どうするかなー……」
かばんの紐を持ったままソラが逡巡していると、アスカが騎士との間に割り入ってきた。
「いらっしゃいませ、だよー!《花に雨》亭にようこそ♪皆様、合わせて四名様で宜しいでしょうか、だよー!」
「……何だね、君は」
「ボクの名前は、アスカ、だよー!アスカんって呼んでね♪」
「!?」
騎士達はアスカの奇妙な姿にうろたえ、初老の騎士と後ろの二人がアスカに釘付けになった。残りの一人はソラへの警戒を解かなかったが、鉛色の茨に足を取られて転んだ。
「うわっ!?」
突然の悲鳴に騎士達がそちらに気を取られるや否や、アスカは悲鳴をあげながら、背後のテーブルに両手を付いて向き直る。身体でソラを隠しながら、そっと素早く、耳打ちしてきた。
「テーブルを潜って後ろのカウンターへ。カウンター奥の厨房に、換気用の小窓。そこから木を伝っていけば隣の建物の屋根に昇れるはず。ソラちゃんは高い所、大丈夫、だよ、ねー?」
「ありがとう、アスカ」
ソラはカウンターを飛び越え、一度だけ客席を一望した。アスカ以外にもう一人、助けてくれた人がいるはず……と、一瞬だけ義肢の少女と目が合う。彼女のようだ。
ソラはそのまま厨房に入り込み、換気用の小窓を開け放った。客席からは男達の悲鳴が聞こえた。
「ちょっと窓使わせてもらうよ!」
厨房にいた調理師にそう告げると、彼女は卵を投げてよこした。とりあえず貰っておこう。ソラは窓からジャンプし、木に飛び移る。
「裏で音がしたぞ!」
ソラが木をよじ登っている隙に、公騎士一人と腕の立ちそうな傭兵が2人、街路を通り駆けつけてきた。
「貴様!逃げると罪は重くなるぞ!」
血気盛んな公騎士は高圧的に喚き散らしてきた。
「べえーっだ」
ソラは舌を出して挑発すると、木を渡り屋根の上へと這い上がった。
屋根の上から見る空は青かった。
=*=*=*=*=*=*=*=*
第5の月 23日 ウンディーネの日 晴れ
今日もお店忙しかったー疲れたー(´`)
今夜の月も細長いなー…。
おにいについては、こないだのお休み以来、たいした進展ナシ。
まとめてみても、街の全体像がやっと把握出来てきた事と、
とりあえず図書館から借りてきた本とかから、
この都市の情勢?とかが少ししずつ解ってきただけだなあ。
あたしはあんまり頭も良くない…。
長閑な田舎暮らしだったから、世相なんて気にかけた事もなかった。
加えて、ここリリオットの公用語も、あたし達の使っていたそれとは少し違う事もあって、
ただ本を読むだけでも思ってたより骨が折れるよ。
まあそんなすぐに色々進まないかあ…いきなりめげそうだけれど。
店長からは「夜間と、裏路地の徘徊だけはするな」って注意される。
黒髪のあたしは、日中の公道や施設はともかく、
こと裏路地なんかは、黒髪ってだけで何されてもおかしくないらしい。
何されても…か。まあ殺されたりとかは…流石に、ねえ?(笑)
この辺の街の仕組みも、頭の中でやっとなんとなく繋がり始めてきた。
おにいは無事なんだろうか、ふとそんな不安も過ぎるけれど。
心配性はあたしの悪い癖。おにいなら大丈夫。
★本日の気になるお客さま
お昼にお弁当を買っていった、緑色のツナギを着たお兄さん。
後で店長が言うには公的機関の清掃員さんだそうで、確かに街中でたまに見かける制服だ。
ただ、あたしの言葉遣いが変でよそ者だと知られたからか、
それとも掃除がいい加減な店内が目に付いたからか、よく解らないけれど、
お会計の時あわせた目が、誠実そうなその声とは裏腹に、少し鋭かった気がする…('*';)
(真面目で良さそうな人だなーって感じただけに、ちょっと落ち込みました…。)
でもそれより印象に残ったのは、彼の片足。異質な匂い、あのお兄さんは義足だ。
でもあたしの体質がなければ、義足なんて気付けない程、彼の所作には何の違和感もなかった。
精霊採掘盛んなこの都市で、事故や怪我で手足を失うのは珍しくないのかも知れないけれど、
あんな義足はお目に掛かった事がない。そんな技術やそれを扱う技師が存在するのかな。
…お金、もの凄く掛かりそうだけれど…。
★おにい情報
なし。
=*=*=*=*=*=*=*=*
「すみませんすみません! 新作の茨型ギ肢が勝手に暴走してしまって! 本当にすみません!」
リオネは今にも泣きそうな顔で、四人の騎士団にぺこぺこと謝っている。
「謝って済む問題じゃないだろ、君! どう責任を取ってくれる!」
「本当にすみませんでした!」
リオネは至極自然な動作で騎士団の手を握り、そして他の誰にも聞こえないように小声で告げた。
「これで、許して頂けませんか」
リオネの手には1枚の大きな金貨。下っ端騎士団の給料の、実に3ヶ月分に当たる大金だ。
「………………よし、いいだろう。もうよい、手を離せ! 次から気をつけるように! 」
「……はい、ありがとうございます!」リオネは一粒涙を零し、上目遣いで騎士を見つめる。
「よし、引くぞ! ついて来い!」
「え、どうしたんですか、班長! 班長!」
金貨を受け取った一人の騎士が歩き出したのを皮切りに、他の三人の騎士がそれを追いかけ、彼らは去ってゆく。
「ふう。行ったわね」
けろりとした顔でリオネは振り返る。
「よかった〜、だよー!」
大男は黄色い声で応える。初めて見た時は驚くしかできなかったが、結構イイ奴らしい。
「あなた、名前は?」
「ボクの名前は、アスカ、だよー!アスカんって呼んでね♪」
ただ、その姿と声には一生慣れられそうにないが。
「あの子を助けてくれてありがとう。私はリオネ。よろしく」
「よろしく、だよー!」
大きな手がリオネの手を包む。さっきの騎士の手とは比べ物にならない、優しい手だった。
「ねえ、リオネちゃん。さっきのいばらは、なに?」
「ええとね、」
リオネは未だうねうねと動き続ける茨の中から、
『姫荊の種[アルラウネ・ユニット]』を回収しなにやら操作した。
茨の動きが止まった、かと思えば、またうねうねと動き始める。
ただし、先程とは逆に、種へと茨が吸い取られるように戻っていく。
「これは、私の開発したギ肢のひとつ。腕の代わりに、自在に伸ばせる触手を生やしたら便利かなと思ったんだけど。
なんかうねうねしていて落ち着かないし、そもそもさほど便利じゃなかったから、戦闘用に改造したの。
勿論、勝手に暴走したなんて嘘。軽くは暴走させたけど。
見えるかしら? この糸。これで私は種を繋いでいたの。
《私の作ったギ肢は、人の意思が無いと動かないから》。」
「う〜ん。なんだかよくわからないけど、すごいね〜、だよー!」
「うん。なんだかよくわからないけど、ありがとう。」
「さて、と。
あなたにも迷惑をかけてしまったわね。
そう、ちょうど今思い出したのだけど、明日。
リリオット家のお祖父様からギ肢制作依頼を受けているのだけど、よかったら一緒に来る?
その……本物のお嬢様とか、使用人が見れるわよ。」
何かを言い淀みながらも、リオネは続ける。
「それと、これ。」
「……なんですか、これー?」
「動くネコミミ。一種のジョークグッズ。良かったら着けて。飽きたら他の店員にあげてもいいわ」
六年前。私がまだ、自分にも心があるのだと思っていた頃。
私には、一人の親友がいました。
彼女は底抜けに明るく、よく笑う人でした。
辛いときでも、楽しいときでも、悲しいときでも、同じように笑う人でした。
けれど時折、何の前触れも無く他人を遠ざけようとすることがありました。
そんなとき、彼女は必ず戒めのように、あるいは自嘲のように、その左腕を見つめて呟くのです。
「あたしのこの義手は、誰かと仲良く手を繋ぐためにあるんじゃあないんだ。他人から奪って奪って奪って奪って――」
すべてを得るためにあるんだよ、と。
普段の私ならまだ眠っている時間帯でしたが、商人さんたちにとってはもう活動時間のようです。メイン・ストリートでは、まだ薄暗い中、多くの人たちが慌ただしく行き交っていました。
私は自分の左腕をぼんやりと眺めながら、この時間帯に独特な喧騒の中を歩きます。
考えるのは、先ほどまでの出来事です。
ダザさん、夢路さん、マックさん、オシロさん。
ものの流れで四人もの方が、私の個人的な事情である『偽物探し』を手伝ってくれることになりました。オシロさん以外の方とはほぼ初対面なうえ、報酬もほとんど出せないにもかかわらず、です。
嬉しいことです。ありがたいことです。それは間違いありません。
けれど私は、彼らの判断が不思議でなりませんでした。
どんな危険があるかも、どれだけ時間がかかるかも解らないクエストを、あんなに簡単に引き受けてくださるなんて。それが、人の心というものなのでしょうか。
彼らの善意には何か裏があるのではないか、などと疑ってしまうのは、私に心が無いからなのでしょうか。
あの精霊を帯びた巨大パンジーのことも気になります。ビオランテ・トコヤミさん、でしたか。自ら意志を持って動き、会話の出来る精霊なんて、そんなものがあり得るのでしょうか。うやむやにされてしまいましたが、オシロさんと夢路さんは、あの精霊植物について何か御存じのようでした。いえ、そもそもあの植物はオシロさんが精製したのだと、そんなような話も聞いた気がします。
ただの精霊精製技術者に、そんなことが出来るのでしょうか。
「……ダメですね、これでは」
私は小さくため息をつきました。
疲労のせいか、どうも疑心暗鬼になっているようです。
このように判断力の低下した状態で活動しても、経験上ろくなことになりません。
今は休んで、疲れを癒すべきでしょう。
本格的な調査はそれからです。
「起きたら、まずは特殊施療院に行かなくてはいけませんね」
私は目の前に掲げた左手を強く握りしめました。
駆動していない今、それはただの義手にしか見えませんでした。
マックオートとダザは、レストを仲介所の近くに下ろし温泉へ向かった。
「ふぅー、疲れた・・・。」
ダザは体を洗うと、温泉につかった。マックオートは汚れが酷いらしく洗うのに一苦労しているらしい。
今日はいろんなことがあった。
ウォレスの爺さんと緑のローブの少女、親方からのエフェクティヴ勧誘、レストの依頼書に、花の化け物。
花の化け物は精霊の暴走らしいが、暴走であんなのになったのは聞いたことがない。
まぁ、最近の技術発展は凄いし、採掘所の機密なら黙っとかないとな。
レストの依頼書は、街の掃除の際探してみるか。他の仲間にもそれとなく聞いておこう。
しかし、夢路のマイペースには困ったものだ。最後何故か残ってるし・・・。
エフェクティヴはどうするかな。巨大な精霊、セブンハウスの裏切り者、巨額な資金。
たしかに、それだけあれば『ニュークリアエフェクト』の実現できそうだが・・・。
ウォレスの爺さんがクックロビン卿が貧民に武器を流している可能性があると言ってたけど
それが例の裏切り者なのか、それとも別に裏があるのか。
どっちにしろ、セブンハウス内の偵察は必要か。
ウォレスの爺さんは『ニュークリアエフェクト』ついてはどう考えてるんだろうか。
内戦の危惧はしていたけど、一応聞いてみるかな。
あの爺さんはなんとなく信用できそうな気がする。
ただ、エフェクティヴが巨額な資金を狙っているは伏せといたほうがいいかもな。
と、ザダが今日あったことを思い返していると、マックオートがやっとドロを落として温泉にやってきた。
「よう、ちゃんとドロ落とせたか?」
「なんとか落とせました。」
そう言うと、マックオートも温泉につかった。
「ふぅー、気持ちいい。」
「ドロさらいは大変だもんな。俺も新人の時にやらされたよ。」
「そうなんですか。」
ふと、マックオートはダザの義足に目を向けた。
「ん?ああ、この義足か?昔、爆発事故にあってな。この街は昔から抗争や事故が多くて、手足を失う奴は多いんだ。」
「あ、すみません。」
マックオートは義足に目を向けたことを謝る。
「しかし、全然気づかなかったです。ダザさんが義足してるなんて。」
「精霊義肢の技術が発達してるからな。こんな風に温泉につけることも可能だ。」
「精霊義肢ですか。凄い技術ですね。」
「まぁ、そういう技術を盗みにきたり、金で雇われて街で暴れるよそ者が多いのが大変なんだがな。」
ダザのマックオートを見る目が変わった。
「俺は、そういう連中が大の嫌いなんだ。勝手に人の街で暴れ盗み治安を悪化させる。街に根を張り育つわけもなく、害虫のようにやってくる」
ダザは隠し持っていたブラシをマックオートに突きつけた。
「!?」
「マックオート、てめぇは何のために街にやってきた?他の害虫どもとは違う気がするが、返答次第じゃ追い出させてもらう。」
ウロは地図が苦手だ。
地霊の声に感応する彼の能力を以ってすれば、大抵の場所で迷うことは無いし、ましてや地中では目をつぶっていても目的の場所に着くことができる。
そんな彼が一枚の羊皮紙と、羽ペンを前に考え込んでいた。
いつもなら坑内図作成など引き受けないウロだったが、今度のクライアントは頑迷だった。マッピングは引き受けていない、いや坑内図までが山師の仕事だ、そもそも俺は山師ではない、調査の結果を文書にまとめないと結果がわからんだろう、というような押し問答の末、報酬の上乗せの代わりに坑内図を作ると妥協してしまった。
すでに大小含め7箇所の鉱床を発掘し、すでに紙面上にまとめるだけなのだが・・・。ウロはひとつ息をつくと、人の気配に気付く。
「・・・あなたが幽霊かしら。死んでるようには見えないけれど」
振り返ると精霊のぼんやりとした光に照らされた少女が目に入る。
黒髪の割には身なりはきちんとしている。貴族か冒険者か。
まあ良い。頼むことはひとつだ。ウロは彼女へ向き直り、たずねる。
「お前、地図は書けるか」
「は?」
「地図は書けるか」
「いや、まあ、そりゃあ簡単なマッピングならできるけど」
重畳だ。羊皮紙と羽ペン、そしてインク壷を渡す。思わず受け取る少女。
「頼んだ」
「え?いや、何を?」
「何をって・・・地図だ」
「だから何の地図よ」
「この坑道のだ」
「ちょっ・・・なんで私が!」
「報酬は出す」
「そういうことじゃなくて・・・」
「鉱床は全部で7つだ。入り口からここまでなら4つ。あとの3つは横穴の先にある。それだけ忘れずに記入してきてくれ」
「いや、だからね・・・」
「よろしく頼む」
それだけ言ってウロは岩壁に向かう。まるでもう言う事は無いとばかりに少女に背を向ける。
少女は大きくため息をついて、言う。
「困ったときはお互い様っていうし、良いわ。手伝ってあげる。でもね、この仕事が終わったら、私の知りたいこと、あなたの知っていること、全部洗いざらい話してもらうからね!」
坑道の入り口へと踵を返す彼女を見ながら、ウロは、はて、俺の知っていることとはなんぞや、と思った。
彼女はこの世界にいる人の、だいたい百倍の事を観測しているだろう。
彼女はこの世界にある全ての、だいたい百分の一も観測できていないだろう。
見る。聞く。嗅ぐ。触れる。調べる。学ぶ。予見する。観る。
どこまでも、誰よりも。
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紫ローブはステンドガラスと救済計画に触れる。
修道女は街に出て、何を想う。
嘗ての侍は、今の傭兵へと成る。
異国の鍛冶屋は己の髪色を知り、剣で地を穿つ。
占い師は夢を喰らう。
教会の地下には実験室。
凍土の刀工は未だ技巧を掴めず。
機械の傭兵から『救済計画』が零れ落ちる。
傭兵所に子供がいる。
コイン女は今日も塔を積み上げる。
時計館の壁は、割れる。
ガラス磨きはランプ屋へ。灯油が高い。
清掃員は、紫ローブの力を知る。
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───想起せよ。我ららが主のために。
まだまだ、足りない。感覚も、時間も。
アスカが茨に絡め取られていると、傍で先ほどの女性と騎士たちの声がした。
「すみませんすみません! 新作の茨型ギ肢が勝手に暴走してしまって! 本当にすみません!」
「謝って済む問題じゃないだろ、君! どう責任を取ってくれる!」
「本当にすみませんでした!」
「もうよい、手を離せ! 次から気をつけるように! 」
「よし、引くぞ! ついて来い!」
「え、どうしたんですか、班長! 班長!」
騎士団が去っていった。どうやら、ソラは無事に離れたらしい。
先ほどのやり取りの中で言われた、「ありがとう、アスカ」という声を思い返し、安堵する。
「ふう。行ったわね」
「よかった〜、だよー!」
同じく安堵しながら、此方に向き直った彼女。アスカは満面の笑みで応えた。
この女性が、あの茨を出してくれたのだろう。
「あなた、名前は?」
「ボクの名前は、アスカ、だよー!アスカんって呼んでね♪」
少したじろぎながら、彼女はアスカに返事を返し、手を差し伸べた。
「あの子を助けてくれてありがとう。私はリオネ。よろしく」
「よろしく、だよー!」
アスカは手を握って、暖かい気持ちになった。
――この人、優しい人だね♪
そして、ふと思い浮かんだ疑問を彼女に問う。
「ねえ、リオネちゃん。さっきのいばらは、なに?」
「ええとね、」
彼女は床にしゃがみこみ、茨の中から、種のようなものを取り出した。茨が繋がってる所をみると、これらの鈍色の草はそこから発生したらしい。
うねうねと動く茨が種に戻っていく光景に、アスカは大きな口を丸くした。気がつけば、先ほどまで絡み付いてた茨も無くなっている。
「これは、私の開発したギ肢のひとつ。腕の代わりに、自在に伸ばせる触手を生やしたら便利かなと思ったんだけど。
なんかうねうねしていて落ち着かないし、そもそもさほど便利じゃなかったから、戦闘用に改造したの。
勿論、勝手に暴走したなんて嘘。軽くは暴走させたけど。
見えるかしら? この糸。これで私は種を繋いでいたの。
《私の作ったギ肢は、人の意思が無いと動かないから》。」
初めて見た物の説明に夢中になる。つまり、昆虫というよりは、タコだ。そういうことなのだ。
「う〜ん。なんだかよくわからないけど、すごいね〜、だよー!」
「うん。なんだかよくわからないけど、ありがとう。」
タコ。幼い頃、旅の行商人をやっているアスカの祖母から、お土産と称してタコの干物を貰ったことがある。
この地から遠く離れた東の国では、この触手まで食べるらしい。驚きながら、今のように、未知の話に夢中になったものだ。
リオネの話は、面白い。祖母と同じく、やはり旅人なのだろうか。
「さて、と。
あなたにも迷惑をかけてしまったわね。
そう、ちょうど今思い出したのだけど、明日。
リリオット家のお祖父様からギ肢制作依頼を受けているのだけど、よかったら一緒に来る?
その……本物のお嬢様とか、使用人が見れるわよ。」
何かを言い淀みながらも、リオネは続ける。
「それと、これ。」
「……なんですか、これー?」
「動くネコミミ。一種のジョークグッズ。良かったら着けて。飽きたら他の店員にあげてもいいわ」
ギ肢を手渡され、二つの誘いに、アスカは思案した。
リオネに付いていけば、貴族の建物内部にいけるかも。きっとそこもギ肢や祖母のような、アスカにとって未知の世界だ。
店主の顔を振り返る。店主は、ソラを突き出すべきだったかと思案していた。
ここの店主は成り上がりたいという欲を持ち、貴族とのコネを欲しがっている。雨を待つ花のように。・・・もしかすれば、自分を雇ってくれた恩に応えれるかもしれない。
アスカは決意した。
気が付けば、もう休憩の時間だ。
アスカは頭につけたカチューシャを外して、束ねた髪をふわっと手で梳いて下ろし、肩までなびく黒の長髪を露にして、
「よろしくお願いします♪、だよー!」
アスカはそれらの誘いに乗ることにした。
「――お兄ちゃん、今からそっちに行くね」
私の口から溜息のような言葉がこぼれたその時。
頭上から銀色に輝く腕輪が無造作に落下してくると、
スコン
という簡素な音と共に足元の土に刺さった。
突然の出来事を訝しんでいる間もなく、
「まだ、諦めちゃダ〜メダメ、ダメっ子! それを腕につけて『ホーリーシステム・ウェイクア〜ップ!』って叫ぶのよ〜」
と、気の抜けた炭酸水のようなハリのない女の声が路地裏に響く。
…………。なんだろう、この声は、誰なんだろう? とにかく、本当に笑えない冗談だと思った。いや、というより、わたしは人付き合いを殆どしたことがないので、全般的に冗談を聞くのも言うのも苦手である。もしかしたらこの冗談も、本当はすっごくおかしい、すごくすごく笑える冗談なのかもしれない。もしかしたら。仮に。万が一の確率で。
これから私は無残に殺されるだろうというのに、この人は何故それを茶化すんだろう。面白いの? ……でも、もうどうでもいいかな。今日はもう笑えない冗談だらけで疲れていたし、どうせこのまま死ぬのなら少しくらいは、苦手な冗談にチャレンジしてみようか。天国の兄に持っていく土産話として。
冗談に乗る決心を決めたわたしは、足元の腕輪を腕にはめると、怪物が間近に来るまで待った。冗談のあとに出来るだけ恥ずかしい思いをしないよう、叫んだらすぐ死にたかったのだ。もっと近づいて、近づいて……よし、これくらいかな?
息を吸って、腕輪をかざし。怪物が私の体をひとのみにするくらいの大口を開いたのを確認して、
「ホーリーーシステムッウェイクアーーーップッ!!」
わっよく通る声が出た!
こんな大声出せたんだ、わたし。すごいすごい!
この声が自由に出せてたら八百屋のおじさんも、もうちょっとわたしに気づいてくれてただろうにな。
おじさん、玉ねぎ売ってくれますか! それと、大変申し訳ないんですが、芽の出てる芋とか、虫食いで捨てちゃった葉野菜の外側もらっていいですか!
なーんて!
……さ、死のう。
粘液に濡れた怪物の牙がわたしの肉体に食い込んだ、そう思った瞬間。
怪物の目を晦ますように、全身からすみれ色の強い光が放たれていたのだった。
ttp://drawr.net/show.php?id=3776407
「……結局、今日も収穫なしかぁ」
結局リューシャからも、エーデルワイスについて確たる情報を得る事はできなかった。
とは言え、他の心当たりを教えて貰えたのは幸いだった。
鍛冶屋を師匠に持つ黒髪の少女。
呪われた凍剣を持つ黒髪の男。
また何か分かればと、リューシャには自分の店の場所を伝えておいた。何か買う時はサービスするよ、と付け足して。
「さて、っと……今日はもう帰るかな」
今から黒髪の少女…えぬえむの宿を尋ねるのは気が引ける。なにせ先程騒ぎを起こして出てきたばかりだ。
明日の朝に再度訪ねて、それからリソースガードの仲介所で、凍剣の男についても聞いてみよう。
そう今後の計画を立てつつ、ぼんやりと空を見上げながら帰路を歩く。
「……、…………」
「おい、そこのお前!」
「っと?」
呼びかけられたのに気が付き視線を戻すと、武装した数名の男がこちらを見ていた。
殆どは傭兵らしき風体だが、その中に混じって公騎士団員と思しき鎧姿の男がいる。私に声をかけたのは、その男らしい。
「……何か御用ですか?」
「我々は現在、逃亡中のある事件に関わる重要人物を追跡中だ。歳格好は十代半ばの女で……」
公騎士の男は人相風体を伝え、そうした人物を見なかったかと尋ねてくる。尋ねると言うには、随分高圧的だったけれど。
「んー、そんな女の子が一体どんな事件を?」
「機密事項だ。いいから見たのか、見なかったのか」
「…………」
横柄な態度にうんざりしつつ、私は適当な方向を指さす。
「あっちに駆けていくのを見ましたよ。随分焦ってる様子だったけど」
「そうか。よし、行くぞ」
公騎士の男はそのまま礼も言わず、傭兵達と共に駆け出していった。
ふぅ、と溜息を吐きながら、私は独り言を呟く。
「高い所は目立つから、適当な所で降りて身を隠したほうがいいよ。
もしも隠れる場所の当てがないなら、東区の外れの塔に来てもいい。
私としては、そこで買い物もしていってくれれば万々歳だけど」
あるいは、さっき上を見ていたら、ちらっと見えた人影への言葉を。
隠れているのかもしれないし、もう立ち去った後かもしれないけど。
それだけ呟いて、私はまた帰路を歩む。
やっぱり余計なお節介、とは思うけど、どうにもこれは性分だ。
目の前で起こった事には全力で取り合わないと、どうにも気分が悪い。
私がエーデルワイスについて調べるのも、そうした気持ちが強く働いている。
薄暗い巨大な空間にいくつもの微光が明滅していた。
そこに一人たたずむ女性が、中でもひときわ大きい光を見上げながら呟く。
「やっぱり誤反応じゃない。ここにも確かに『神霊』があるんだ」
その直後、大きく輝いていた光は、空中で溶ける様に消滅した。
セブンハウスの一家ラクリシャ。その本邸三階の奥、豪奢な執務室に、
同じくセブンハウス、ジフロマーシャが抱える第三精霊発掘顧問リット・プラークはいた。
「誰もが誤反応だと信じきっていました。しかし、ディバイン・スプライダー≪神霊探知測距≫は完全に正常です。
反応点は明らかな人為的経路を移動した後、昨晩の深夜に突然消滅したのです。この私の目の前で」
言い切るリットを前に、執務椅子に座る中年の男は疑惑の顔を見せる。
「考えられん。神霊の一部が流出しているというのか?そんな報告はないぞ。
含有量が低すぎる精霊はそのまま放出しているんだ。その反応だろう」
「いいえ、それはありません。反応が大きすぎる。大きすぎるんです。
何より、この観測データが正しければ、この神霊は我々の精製した神霊よりも、精製精度が高いことになるんです」
「そんな馬鹿な。それでは誤反応は確実ではないか」
「それを確かめに。反応のあるラボタ地区は御家の管轄地区ですので、
公騎士をお借りできないかと参じた次第であります」
「そう、か。まあいい、好きにしろ。私にはとても信じられんが」
「ありがとうございます」
リットはそう言って深々と礼をすると、静かに執務室を後にした。
その直後。
「私です」
執務室の男の胸ポケットに飾られた小さな精霊結晶から、若い男の声が響いた。
それまでの様子とは一転、執務室の男はぎくりとして、全身を強張らせて直立する。
「話を聞いていました。ラボタは精霊産出量も乏しい鉱夫の寒村地でしたよね。
そんな所で高精製精度の神霊が反応した。おかしいと思いませんか?
考えられる主な可能性は二つ。神霊の鉱脈そのものが飛び地していて、それが産出された。
もう一つは、放出された低含量の精霊から、誰かが神霊を濃縮精製した。
精製精度の反応から、可能性はまず後者に絞られます。となると誰が精製したのか。
我々が採掘した精霊は、ほぼ例外なく関連工房で精製されます。しかしラボタに工房など一つもない。
不正精製です。さらに鉱夫村はエフェクティヴの代表的な温床地の一つだ。
抱え込んだ精製技師にそこで精製を行わせていたとしても、不思議ではありません。
個人やヘレン教の隠れ工房の可能性もありますが、それならそれでいい。
しかしエフェクティヴだったなら、彼女は危険です。ヘレン教と違い、彼らにとって我々は明確な敵、ですからね」
息継ぎ一つするそぶりもなく、声はそこまで一気に喋り続けた。
その場にいないはずの相手を意識して、執務室の男は滑稽なほど直立不動で答える。
「いかが致しましょう?」
「スラッガー≪叩き屋≫を1ダースほど。彼女には知られずにつけて下さい。
公騎士の現場隊長がエフェクティヴの潜伏地と判断した場合、技術者を除き構成員全員をすみやかに皆殺し」
「は!?いや、それは・・・」
「殺すべきでない者を殺した時、それは後悔すればすみます。
しかし、殺すべき者を殺さなかった時、それは後悔だけではすみません。わかりますか?」
「しかし・・・、ですが・・・はい。わかりました、ムールド様。ご指示の通りに」
そう言うと男は再び執務椅子に座り、羊皮紙の命令書を取り出した。
ブラシを突きつけられると、反射的に背中に手がのびた。
・・・しかしここは湯船の中、武器を持っているわけもなく、
鞘をつかむはずの左手を無意味にグーパーさせるだけだった。
「マックオート、てめぇは何のために街にやってきた?他の害虫どもとは違う気がするが、返答次第じゃ追い出させてもらう。」
ジーニアスからも問われた事だ。何のために剣の呪いを解くのか・・・
マックオートは答えを出せていなかった。・・・いや、それが答えか。
「・・・分からなくなった。」
「分からなくなった!?」
出来れば誰にも悟られずに一人で解決したい問題だった。しかし、そういうわけにもいかないようだ。
「俺の剣、アイスファルクスにかけられた呪いを解く方法を知るために旅をしている。
この街にある”ジーニアス”という精霊結晶にこの世のあらゆる情報が刻まれていると噂で聞いた俺はここまできた。
しかし・・・」
「しかし?」
「泥水で眠っていた時、夢の中でジーニアスに会った。
そこで、”何のために剣の呪いを解くのか”と問われた。その時も俺は答えられなかった。
・・・俺は何の意味もなく、何の理由もなく、湧いては消える存在なのかもしれない。」
マックオートは湯気を眺め、しばらくただよってから消えるさまを自分と重ねていた。
すぐにでも街から出ていくべき身分かもしれない。しかしマックオートには一つだけ願いがあった。
「だから、出ていけと言われればおとなしく出て行く。
だけど、その前に終わらせておきたい事がひとつある。」
「終わらせておきたい事?」
「レストの依頼書探し。あれは一段落させておきたい。俺が関わった事でもあるから・・・」
ダザからの返答を待つあいだ、マックオートは湯気からもうひとつのものを連想した。
あの時、酒場で見た白い髪の女性・・・
彼女のようにしっかりと立つことができていれば、答えを失うこともなかったのかもしれない。
ウォレスはめずらしく、酒場で悩んでいた。歴史の選択肢が自分の手に握られているとき、ときどきウォレスも悩むことがある。
あくまで指令の遂行を優先するか否か。それとも自分にしかできない選択肢を選ぶか否か。いずれにせよ、残された時間は……あまり多くないように思われた。
「――歴史を紐解けば、そこにはいつも一人の意気地なし〔ウィルレス〕がいました。あなたはいつもそうやって、実力を隠して、出来事に目を瞑って、事件から逃げ回ってきた。意気地なし〔ウィルレス〕のウォレス――」
メビの言葉が思い出される。意気地なしのウォレス。だが、意気地とはそもそも何なのだろう。指令を優先させる冷酷な義務感か。内戦を回避するという熱血の正義感か。
「儂は意気地なし〔ウィルレス〕じゃ……」
今日だけは、酔えない体質であることが恨めしい。ウォレスの脳裏にふと、一人の青年の姿が浮かんだ。もし、これがダザならどうしただろう? この街を愛し、家族を愛し、汚れ仕事を引き受け続けるあのダザ・クーリクスなら。――いや、訊くまでもないことか。
「指令を優先する」「内戦も回避する」両方やらなくちゃあいけないのが、裏切り者〔ヘリオット〕の辛いところじゃな。ウォレスはぐいと酒を呷ると、何も書かれていない羊皮紙にペンを走らせる。
暁の教師ファローネ宛に、手紙を書く。
拝啓 街の歪みと軋みがギリギリと音を立てて崩壊に向かう中、如何お過ごしでしょうか。似非教師ハルメルの倉庫からおよそ半数の精霊武器が盗まれたことは、早晩あなたのお耳に入ることでしょう。
メビに伝えた通り、考え得る最悪のケースは「貧民の暴動」。すなわち「救済計画のご破算」です。与えられた「f予算を狙う輩を打ち倒せ」という指令に従うならば、儂はこの貧民の暴動を見逃すつもりでおりました。否、支援するつもりでさえありました。
ヘレン教への弾圧が激化し、「f予算」などというものに関われないほどに教団が疲弊するまで放置することもやぶさかではありません。
しかし、儂の知るある男ならば、おそらく同時に「内戦も回避する」と言って憚らないでしょう。彼の正体は、精神は、正直なところ、儂よりずっと強いものなのです。
『f予算を狙う輩を打ち倒せ』『そして内戦をも回避する』それにはおそらく大きなペテンが必要になる事でしょう。以下に計画書の原案を同封致します。ご一考のほどをよろしくお願いいたします。 敬具
ウォレスは蝋で封をすると、【速達】【極秘】【超重要】【親展】【エフェクティヴの中の人の閲覧禁止】など、ありとあらゆる文句を書き付けて郵便局のポストに突っ込んだ。あとのことは、おそらく教師たちが判断するだろう。
彼女の予想は当たっていた。
幽霊と云われていたのは流しの採掘者だった。
彼の近くにある鉱床。ほぼ間違いなく今しがた掘ったものであろう。
廃坑となった鉱山から掘り出す技術。一つなら偶然もあろうがもう7つも見つけているらしい。
「…予想外なのは、地図作成を頼まれたことね…」
彼が改めて掘り出したのを確認し、入口の方へ踵を返す。
「途中に3つ、横穴に3つ、ねぇ…」
分岐を戻りながら、慎重にマッピングしていく。
アルティアの明かりで照明には困らない。
「ここは下り、傾斜きつし、と…」
迷わないよう、時たま剣を生成し壁や床に目印となる刻みを入れる。刃毀れの心配はない。
「まぁ理由はわかったし、地図作って渡して正体見たり採掘者、ってことでリソースガードの依頼も達成」
あとは…こちらが望む情報を持っているか、だ。
精霊の扱い方。あるいは精霊技術者のコネ。
「…そういえば彼の名前訊いてないわね。地図渡すときでいいか」
独りごちながらマッピングを取る。たまにアルティアを突っついたりする。
ふと耳を澄ますと採掘音。
「更に掘ってそうね…急いで仕上げなきゃ。蟻の巣のようにされたらこっちの仕事が増えちゃう」
駆け足で坑道を進み、横穴の鉱脈を確認していく。
駆けまわったせいもあって、出口にたどり着いたときはもうヘトヘトだった。
坑夫がかつて用意したと思しきベンチに座り、休憩する。
「はふー…」
アルティアが肩に止まる。つっ突き合って小休止。
「さーて、入れ違いになる前に彼のところへ戻りましょうか」
求めるものを手に入れるため、再び、坑道の奥へと潜り込んでいく…。
夜が明けた。
リューシャは枕辺のシャンタールを掴み、眠い目を擦りながら起き上がる。
ソフィアから貰った手帳を端から検分していたせいで、ベッドに入ったのは窓の外がほのかに明るくなってからだ。
あくびを噛み殺しながら食堂に降りていくと、フードをかぶったえぬえむが出ていくところだった。
「元気ねえ……」
駆けていく後ろ姿を見送って、リューシャはとりあえず席に陣取る。
温かい紅茶をゆったりと啜る、少し遅い朝。
ぱらぱらと手帳のページを遊ばせながら、リューシャは一人、今後の予定を考えていた。
ソフィアの手帳は確かに興味深いが、そこに記された職人たちは、やはりソウルスミスに所属する者が多い。
一方そうでない者は、ほとんどがリューシャのこれまでの行動半径を外れた位置に居を構えているようだ。
昨夜のようなことが起きないとも限らない以上、できるなら、未知の区域に無策で突っ込むような真似は避けたかった。
ましてこの街の技術者には、おそらく一定数のエフェクティヴが混じっているはずだ。
不用意に余計な摩擦を起こした場合、リューシャの手には負いきれない事態になる可能性は十分にある。
「……うん。接触の前に、きちんと準備を整えますか」
どれだけ急いでいようとも、雪洞は、周囲を揺るぎなく固めながら進まねばならない。
ましてそれが軋みを上げているのなら、なおさら。
故郷でならヴェーラのフォローにすべてを任せてもいい。
だが、こんなところで雪崩を起こしても、リューシャを掘り返してくれる幼馴染はいない。
凍土の地を離れ、リリオットは故郷よりもずっと暖かい。
なのに、預ける相手を見失った背中は少しだけ寒かった。
故郷を想うと、シャンタールが震える。
「……お前も、故郷に帰りたい? だからわたしのところに戻ってきたの?」
リューシャはそのかすかな振動を、柄に手をやってそっと抑えた。
そうすることで、自分の迷いを抑えたかったのかもしれない。
シャンタールが沈黙したのを確かめると、リューシャは席を立ち、今日もリリオットの街へと踏み出していった。
ペテロへ。
こないだリリオットのメインストリートを歩いていた時の話だ。
あの辺はどこに誰が陣取るかだいたい決まってるんだが、郵便局のまん前辺りにいつも青い髪の女がいて占いのパチモンみたいなことして稼いでんだ。
こいつはこんなナリだが<エクスカリバー>のNo.2だ。こうやって乞食の振りをして情報を集めている。俺らは隠密組織だから、こういう諜報員も<<円卓の騎士>>には必要なんだ。俺らは【物乞い】って呼んでるが、その時々で【野ばら】だの【まだら雲】だの適当な名前名乗ってるな。本名は誰も知らない。
こいつの情報力は本物だぜ。俺がまだ<<ヒーローソード>>として一人で動いてた頃、タダとかでいい、同じ場所でに話しかけられたんだ。
「名前を当てて見せましょうか……え〜と、ライ・ハートフィールドさんですね」
と、まあここまではドキッとはしたけどな、物乞いなんて一日中地べたで暇してるわけだし、なんかの拍子にたまたま名前知った、ってことも考えられる。郵便局の前だしな、多分目がよくて俺の名前見て覚えてたんだろう、くらいに思ったのさ。で、「なんでわかった?」なんて思い通りの反応してやるのもつまんないだろ?
「当たり。アンタの名前は?」
って聞き返したんだ。
そしたら、
「私の名前は特にないので好きな名前をつけてください」
って言われてな、どう返すかと思ってたら
「……って言ったらなんてつけます? <<ヒーローソード>>、とか?」
ヒヤっとしたよ、どこで漏れたんだ、ってな。……ま、幸いなことにこいつは敵じゃなかった。<エクスカリバー>の活動はこうして始まったんだ。
俺はその日、本を読みながらメインストリートを歩いていた。歩くの遅くなっても怪しまれないからな、便利なんだ。『情報あり』なら、【物乞い】は髪を縛って上げてる。俺が声が届く距離まで近づいたのを見計らって【物乞い】は適当な客を捕まえた。
「占いとかいかがですか?たったの25ゼヌですよ」
これは時間を表してる。今日の25時、夜中の1時に、ってこと。
「う〜ん、誰か気になっている人がいるようですね」
『気になってる人がいる』ってのは「捕らえられてる人がいる」って意味の符丁だ。そっから集合場所が指示されるんだが……ちょっと書き切れないな、続きはまた明日だ。
5/22 ライ・ハートフィールド
「お初にお目にかかります、リリオット卿。
本日はお招き頂き有難う御座います。」
豪奢な屋敷の応接間。
そこに、明らかにこの場の雰囲気、格調、調度品、その他諸々から浮きに浮きまくった二人が並んでいる。
その内の一人、挨拶を述べた少女は、
質素な緑色のドレスに、明らかに人のものではない手足を左右ひとつずつ、本来の身体のパーツと合わせて計八本。
その姿はまるで蜘蛛のようだ。
そしてもう一人は、フリルを沢山着飾ったゴシック調のエプロンドレスに、何故かネコミミ。
その出で立ちは、まるで魔法をかけられた子猫が身を尽くして働いてくれる、青少年の妄想を具現化したかのような姿だ。
ただしそれが、可憐な花ではなく無骨な岩を思わせる大男でなければの話だが。
そしてこの珍妙な二人を出迎えるているのが、
その昔この精霊都市リリオットを興したリリオット家の現当主であるリリオット卿その人である。
初老の男性ではあるが、精悍な顔つきと衰えの見えない肉体は、往年の戦士と言っても通じそうである。
今でこそリリオット家は他のセブンハウスの影に隠れてしまってはいるものの、
その屋敷は嘗て栄華を極めた面影を濃く残し、平民には一生手の触れられない空気を纏っていた。
「さて、本日の要件ですが」
「うむ。手短に話そう。私は冗長な話が嫌いでね」
リリオット卿は右足のブーツを脱いだ……より正確に言えば、『外した』。
ガシャリ、と重い金属の擦れる音がする。
「見ての通り、私は若い頃、右足の膝から下を失っている。
リオネ君。君は、この国どころか、世界中でも有数の精霊義肢の装具士として名を馳せていると聞いている。
間違いないかね?」
「はい。わたくしの作るギ肢は、その加工技術、反応精度、そして多様性に於いても右に出る者はいないと自負しております」
そう言ってリオネは、背中に背負った荷物の底から、ギ肢の右手を使って義肢会の免状を取り出し、提示した。
メイド服を着た大男のアスカは、落ち着きなさげに部屋の中を見回している。
緊張した面持ちだが、ぴょこぴょこと動くネコミミは、彼の興奮を如実に物語っている。
「……確かに。では、契約と参ろうか。
依頼は、私の新たな右足となる義肢の制作。品質は最高のものを。代金は如何程になる?」
「卿の体躯の大きさや要望にも依りますが、最高品質ですとおよそ金貨30枚程になります」
「……ふむ。いいだろう。では早速、計測と要望の確認を行おう。
代金と製作期間の見積もりが終わったら、本契約といこう」
「承知致しました」
信奉者は理想の偶像を拝んでいる。
鍛冶屋は剣の切っ先を睨んでいる。
鉱夫は掘った穴底に視線を落とす。
騎士は過去の名誉に見とれている。
誰も自分を見てはいない。
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修道女のくせに、贖罪を求むか。
受難の五日間、開催。灰の教師が動く。
異国の鍛冶屋、ナンパに失敗するも、逆ナンされて逃げ出す。衆目を集めるのがお好きなようで。
嘗ての侍は酒場で謡う。
自我を持つ精霊。過去の精神、とは?
灰の教師は凍土の刀工にこの地の教えを説く。
コインが裏を向く。
紫ローブ、精霊武器の流通調査。要注意。
修道女、教理を拡大解釈。珍しい。
清掃員、逆スパイ?
ガラス磨きによって、紫ローブは伝言ゲームに敗北。
機械の傭兵の話は廻りくどい。
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ならば私が、見つめていよう。
この世界ごと。
マックオートに街に来た理由を尋問したダザは、その回答にイラついていた。
理由が分からない?湧いては消える存在?おとなしく出て行く?それでいて指令書探しはしたいと?
確かに他の害虫とは違うが、これじゃあウジウジしたウジ虫、メソメソした泣き虫だ。
あの花の化け物と勇敢に戦った男と同じには見えない。
ダザは怒鳴りつけたい衝動に駆られたが、落ち込んでいる相手に逆効果だと怒りを抑えた。
「ふぅー。」
ダザは一旦息を吐いてから、喋りだした。
「とりあえず、他の害虫のように街に迷惑をかけないっていうのは分かった。追い出すのは止めとこう」
ダザは突きつけていたブラシを逸らした。
「ジーニアスって奴は聞いたことがないが、図書館にでも行けばなにか分かるかもしれん。
あと、看板の大きい酒場にいる紫のローブを被った子供に聞いてみてもいいかもな。子供に見えて博識だ。街のことも良く知ってる。」
「・・・だが、俺は・・・。」
「よく分からんが、あんな難しい本を読むほど呪いを解きたいと思ってるんだろ?じゃあ、とりあえず呪いを解いた後に、理由考えればいいんじゃないか?」
「・・・えっと、意味がよく分からないが?」
「行動が先で理由が後ってことも良くあるってことだ。今日だって、レストが花の化け物に襲われた時に咄嗟に護っただろ?あの時、わざわざ助ける理由を考えてから動いたか?」
「しかし、あれは咄嗟のことだからで・・・。」
「あー、ごちゃごちゃうるせぇな。じゃあ、咄嗟って何秒だ?1秒?2秒?10秒は咄嗟じゃなくて、9秒は咄嗟だとしたらその差はなんだ。
悠久の歴史の中じゃ俺らの人生なんか刹那のようなもんだろ。それなのに、いちいち全てを理由を考えてから行動してたら何もできねぇ。
呪いが解きたいから解く。気に食わない奴は追い出す。気に入った奴は助ける。ただそれだけだ!」
自分に街に来た理由を尋問した男とは思えない台詞だとマックオートは感じた。
一方ダザも怒りと酔いでよく分からないことを言ったなと思っていた。
「・・・まぁなんだ、少なくても今日お前がいたおかげで、あの花の化け物を倒せたんだ。
お前のおかげで救われた人が何人もいるんだ。だから、お前は決して"何の意味のない存在じゃない"。」
そう言うと、ダザは少し照れくさくなって温泉から上がった。
「温泉に誘ったのも、別にお前を追い出すためじゃない。ただ真意が知りたかっただけなんだ。脅して悪かったな。」
「ダザさん・・・。」
「ダザでいい。まぁ、温泉につかってゆっくり考えな。理由じゃなく、どうするかを。あと、依頼書探し頑張ろうな。呪いの件もなにかあったら手伝うよ。」
ダザはマックオートを残して先に温泉から出て行った。
「誰か来た!」
自室でぼんやりと窓の下を眺めていると突然見慣れない男女が現れた。
マドルチェは訪れた男女を目を凝らしてじっと見つめた。
女の子は、そもそも人間なのか、身体からニョキニョキと面白い手足をたくさん生やしている。
そしてもう1人は、フリルのたくさん付いた可愛らしい服を着た男性。
「新しいメイドさんなのかな……」
男の人がメイドさんの服を着るなんてちょっとおかしいことかもしれない。
しかしハッピーになったマドルチェにとってそんなことは些細な問題だった。
当人が幸せなら、他人の自由を咎めることなどあってはならない。
それがハッピーになったマドルチェの考えだった。
*
その2人が屋敷の中へ入ってくる姿を見つめている時、はっとマドルチェは閃いた。
「今ならお屋敷の門が空いてる!」
普段は重く閉ざされた門。
しかし来客があった今なら、あの2人が帰るまでは門を開けっ放しにしているかもしれない。
今なら、このお屋敷は外の世界と繋がっている。
絵本の中で見た、広大に広がる世界。
マドルチェは居ても立ってもいられなくなり、駆け足で自分の部屋から飛び出した。
*
「あれは、マドルチェ様……?」
リリオット家に仕える門番は、門の横に佇みながらマドルチェが屋敷の玄関から飛び出す姿を見咎めながら呟いた。
突然の予期せぬ来客があったため、普段は3名ほど門で待機しているはずの彼らも慌ただしく仕事に追われていて、今残っているのは彼だけとなっていた。
息を切らしながら笑顔で駆け寄ってくる少女の姿を見つめながら、門番は顔を曇らせた。
「はぁっ、はぁっ……、こ、こんにちは!」
「マドルチェ様、どうしてこちらに?」
マドルチェ・ミライエール・フォン・リリオット。
理由は詳しく教えられていないが、小さな頃からあの大きな屋敷の中で育ってきた娘だ。
彼の知る限り、マドルチェが明るく振舞う姿を見たことは一度も無かった。
それがどうだ、目の前にいる少女は明るく元気に笑っていた。
「あなたはハッピー?」
「ハ、ハッピー?」
突然の質問に鼻白んでしまう。
「ハッピー、とは何でしょうか……?」
「えっ、ハッピーはハッピーだよ。」
「えっとですから……」
意図が掴めずに言葉が頭の中に浮かんでは消えていく。
「なんだ、違うの?」
「あ、あの……」
「でも丁度良かった、それなら私が――」
――ハッピーにしてあげるね。
そして、暗く閉ざされたリリオットの屋敷に、男の裂くような悲鳴が響き渡った。
「それじゃあ、集合場所はこの店の前でいいわね。アスカ、また明日。・・・あぁ、お茶、美味しかったわ」
休憩中、リオネにお茶を淹れ、明日落ち合う時間と場所を話しあう。リオネはお茶を綺麗に飲み干し、去って行った。
次の日、ついにアスカはリオネとリリオット家に到達する。
門番による危険物持ち込み等の確認後、応接室に案内された。目くるめく煌びやかな世界にアスカは呆然とし、過去を思い返す。
アスカがこの街で働き初めて、だいたい二月半が経った。
三月前、この街に来たあの日。
道すがら、森の中で、精霊石の破損した馬車を見つけた。
生憎、近距離での運用だったらしく。修理人も、換えの精霊石も乗り合わせていなかったらしい。
商人や騎士、身なりの整った数人の人々が困り果てていたので、自分が後ろから押していくことで、夜が来るまでに一緒に街に到着できた。
街の入口で、公騎士達や傭兵達も含めたリリオットの人々が集まって出迎えてくれたのを覚えている。……集まった彼らは困惑していたのだが。
困ったことに黒い長髪と体格のせいで雇い先が見つからず、半月ほど、手当たり次第に商店に出向いていた。その時、人間馬車リリオット到着時の光景と自分を見た《花に雨》亭の店主がアスカを雇ってくれた。なので店主には非常に感謝している。
「君は悪目立ちするが、この際悪目立ちでも構わん。俺はこの店を有名にしたいのだ。しがない酒場で終わってたまるか。良かれ悪かれ、噂を聞いた危険知らずで知恵の足りない年頃の貴族の小娘共が!この店に来て甘味をねだってくれればいい。俺は貴族連中にコネを作りたいのだ!そうしていつかはこの店や俺も貴族のお抱えになろう!この甘味とこの店で、美しき花に甘い甘い雨を与えるのだ!そしてこの俺にも――ああ!雨を!花に雨を!」
「……で、今まで通りに酒を飲みに来てる俺等はどうすりゃいいんだよ」
「おーいオヤジ!俺達にも雨をくれよ!さっきからジョッキが空なんだ!枯れちまうぜ!」
「――あぁあぁ、喧しい花だ!」
荒くれ者達が演劇じみた店主を冷やかす光景を思い返して、アスカは笑う。眼前では当主とリオネが話し合いをしていた。
厳かな雰囲気に緊張しながらも、招かれた部屋を観察する余裕も出てきた。
頭に着けたギ肢を震わせながら、思案する。
――コネ、出来るかなぁ。
流石に、壮年の当主にそんな話は持ちかけられない。
せめて、このギ肢提供が万全の形で上手くいったときならばまだ違うだろうが、リオネに何度も付いていくわけにもいかない。
――んー・・・お嬢様と話す機会は無いだろうし、使用人のお姉さん達に話しかけてみようかなー。
アスカは赤面しながら、おずおずと手を上げた。“用を足したい”のですがよろしいですかと声をかけ、苦笑するリオネを横目に室内を離れることにした。
「誰か、居ないかなー、だよー」
呟きに応えるように、廊下の窓からかすかな悲鳴が聞こえた。
マックオートはダザが言った事のすべてを理解したわけではないが、彼とは和解できたようだ。
どれだけ自分を否定しようとも、自分が生きている事には変わりなく、
まぁ、そんなもんでしょうと納得して湯船から上がった。
それにしても、あの時の夢でこんなにも心を揺るがされるとは、あれは夢以上の何かだと肯定している
自分がいることにすこし驚いていた。
服は汚れがひどすぎるためにもうしばらく時間がかかるという。レストから受け取った服に着替えて出発した。
太陽はすでに昇っていたため、クエストを受けにいくことにした。
***
「人呼んで、”マック・ザ・ドラゴンスレイヤァー!!”」
そう言ってマックオートが剣を振り下ろした相手はオオトカゲだった。
証拠として退治したオオトカゲのシッポを切り取ったマックオートは仲介所に持ち帰った。
「おつかれさまです。」
受付嬢はいつものように報酬を渡した。
「ちょっと悪いんだけれど、この地図に書いてある図書館はどう行けばいいかな?
道が入り組んでいて、これだとわかりにくいんだ。」
マックオートはダザのアドバイスで図書館に行くことを決めていた。
「あぁ、それですか、それならカクカクシカジカです。」
とてもわかりやすい説明に納得してマックオートは図書館を目指した。
***
「な、なん・・・だと・・・!?」
マックオートは本棚の前で驚嘆していた。
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』という本からもただならぬオーラが出ていたが、
それよりも『第4版呪い辞典』が出版されていたことに驚きのショックを受けていた。
出版日は・・・3日ほど前だった。マックオートは思わず手が伸びた。
「”毒ガエルの呪いにかかってから2週間以上たっても解呪できる方法”!?不可能だと思っていたのに・・・」
「”解呪用煮汁をつくるにはどの時期の茨が良いか”!?なんてマニアックな・・・」
新たな知識が脳に、いや、魂に入っていった。しかし、アイスファルクスの解呪法になりそうな情報はなかった。
呪いの正体がわかれば、それに対処することでどんな呪いでも解くことができる。
しかし、アイスファルクスの呪いの正体は未だにつかめていなかった。
呪いの症状が出れば、正体を推測することができる。
しかし、アイスファルクスの呪いで受けたとされる損害は今まで一つも見つけることができていなかった。
占い師に頼ったことも何度かあったが、どれもペテンだった。
マックオートは自分の無力さを痛感した。これは2度目だった。
ソラはしばらく屋根伝いに公騎士達から逃げると、途中で立ち止まった。
屋根の上からはリリオットの街が一望できた。屋根が続いている街の北は職人街となっており、いくつかの煙突からは絶えず煙が立ち上っている。その先には貧民街。貧民街の先を進んで行けば終着点にあるのは鉱山だ。ヘレン教の大教会は鉱山へ向かう道から分岐して、郊外へ出た先にぽつんと見える。別の方角を見渡せば大通りを挟んで、時計塔やセブンハウスの屋敷などの特徴的な建物が点在している。
「ここから教会まで屋根伝いは……無理かな」
ソラは屋根の起伏を確認しながら独り言を言った。
「ここなら誰もいないよね……」
ソラはいつも被っていた帽子を取った。帽子の中から肩まで伸びている翼のような耳が解き放たれる。耳の内側は白く、外側は茶色い。ソラは耳をバサバサと羽ばたかせながら深く息をつく。
ソラはもう一度屋根から景色を一望した。故郷は見えない。見えたとしても、もうなくなっているだろう。
ソラはもう一度帽子を深くかぶり直すと、降りられそうな場所を探してまた屋根を渡り始めた。しかし、すぐ下に公騎士がいるのに気付き、身をかがめてやり過ごす。公騎士は街の女性と話し込んでいるらしく、なかなか立ち去る気配がない。
「あっちに駆けていくのを見ましたよ。随分焦ってる様子だったけど」
「そうか。よし、行くぞ」
しばらく話をしていたが、女性の方がやけになったらしい。騎士達を適当な方角へ案内していた。ソラは騎士達が去ったのを確認すると、起き上がりまた屋根を渡り始める。と、先ほどの女性が空に向かって声を出した。
「高い所は目立つから、適当な所で降りて身を隠したほうがいいよ。もしも隠れる場所の当てがないなら、東区の外れの塔に来てもいい。私としては、そこで買い物もしていってくれれば万々歳だけど」
ソラが東を見やると、街外れに相当古い塔があった。あの塔には『螺旋階段』という骨董屋が店を開いているという話を聞いたことがある。屋根伝いなら、教会よりも安全に行けそうなことを確認してから、ソラは下を見やる。
「ありが……」
ソラがお礼を言おうと路地を覗き見た時には、その女性の影はなかった。
ソラは街外れの塔へと、屋根を渡って向かうことにした。
「全然おわらーん」
ぐちゃぐちゃに荒らされた作業部屋を片付けながら、
オシロは投げやりにそう言い放った。
基地は死傷者数ゼロと大事には至らなかったが、
基地中を這い回ったツタは見事にあらゆる設備を滅茶苦茶に荒らしていた。
オシロは昼の配給の干した芋の茎を噛むと、片付けを一段落にして、
基地本館にあるエフェクティヴの資料室へと向かった。
エフェクティヴのブラックリスト。
エフェクティヴ基地に最低一冊は配備されているという、
敵対勢力の危険人物をピックアップして、まとめられたリストである。
そこにはオシロが噂でしか聞いたことのないような、
そうそうたるメンバーが名前を連ねていた。
七家筆頭騎士団長たるリリオットの守護神、マカロニ・グラタン。
その妻であり一角騎士団を率いる罪人追い≪クライムトレーサー≫、チーズ・フォンデュ。
ソウルスミス擁する秘密諜報機関エレメンタルの最終兵器、ハッサン・フィスト。
ヘレン教会が最もヘレンに近づいたと崇める不出の少女、ヘルミオネ。
SSランクと呼ばれるそんな化物たちが載ったページをいくらかめくると、
ふと見知った名前を発見してオシロは手を止めた。
精霊食いのレスト。
(レストさんはしょうがないんだ。高価な精霊が必要なんだから)
オシロは反射的に、そう心の中で誰に問われるわけでもなく弁明した。
リソースガードは普通、一部の例外を除いてエフェクティヴの攻撃対象に指定されない。
それはリソースガードのあまりにも多様な所属者の気質や目的から、
不用意に反感を買うのは、むしろ得策ではないとエフェクティヴ上層部が考えたからだった。
(でも、他の人は一体どんな理由で人を殺すんだろう・・・)
そんなことを考えながら、思考が逸れていることに気づき、オシロは頭を振った。
条件に合う人物を探しながらページをめくるオシロだったが、
あるインカネーションの一ページにさしかかった所で指を止める。
「ビンゴ」
そこにはオシロがレストから聞いた、偽者だと目される人物の特徴を一揃え備えた、
一人のインカネーション工作員の名前が記されていた。
皆が幸せになれる日は、いつか来るのだろうか。私にはまだわからない。
※
礼拝堂で日課となっている祈りを捧げている最中に、アリサとミレアンの二人がやってきた。
二人も瞑想に来たらしいのだが、気がついたら三人で普通におしゃべりをしていた。
その中で、ミレアンが喋った「貧民救済計画」について聞いた時は驚いた。
「聞いたことないの?マジ?みんな結構話してるじゃん。実行部隊とか部隊志願の子とかひそひそと。」
「知らないな。」「んー、私もあんまり聞いたことないんだけど。」「えー!?」
ミレアンは私達の中でも噂話に詳しい、外にもしょっちゅう普通の街娘の格好をして出歩いている。
私とアリサが世間に疎すぎるだけかもしれないが……。
「だいたいあんたらは年頃の娘としての振る舞いとかそーいうものを知らなさすぎんのよ、
そうね、今度シャスタの外禁解けたら三人で街に繰り出すわよ!」
「この前喫茶に行ったばかりじゃ……。」「いつのこの前よッ、それ2ヵ月以上も前じゃない!」「ううぅ、怒らなくても。」
「……シャスタが知らなかったのは流石に面食らったけど、
まー私らリリオット内のヘレン教じゃ窓口専門、末端も末端だから情報入ってこないのも仕方ないのよねぇ。
いったい具体的にどういう計画が行われているのか気になるけど、詳しく知ってそうなのはせいぜい婦長ぐらいかしら?」
「そのうち私達にも説明とかされるのかな。貧民の人が来たら忙しくなるとか?」
「忙しいどころじゃないわよこの教会の収容人数なんてたかが知れてるのに。私達が外で乞食みたいに暮らすハメになるわ。」
「……でも本当にあの貧民の人達をみんな助けられるなら、とても素敵だと思うんだけど。」
アリサは素直に喜びたいようなのだが、私とミレアンはそうでもない。
「費用に人手に場所に……とても可能とは思えない。本当に救済が実行されるなら何を根拠にそんな。」
「わっかんないわよ私達じゃ、お偉いさんの考えてることなんてさ。
ヘレン教だっていっても、上の方々なんざ肥えた貴族と同じで利権争いに忙しいなんて聞いちゃうわよー。」
「ミレアンちょっとそういうことは……。」
「ま、アリサみたいに極端にのほほんとしてなければ、救済計画に疑念を抱いてる人はここでも多いだろうね。
こんな話題が出回るようじゃ近頃のキナ臭さに拍車がかかりそうでやだやだ……。」
アリサは不満気というか、悲しそうというか、結局抗議できずにぼそりと呟いた。「本当にできたら素敵なのに……。」
「それは、私らだってみんなだってそう考えてるんだろうけどね。」ミレアンは、そっけなさげに返した。
私は返事ができなかった。
リリオットの東の外れに建つ、苔生した廃墟の塔。
そこに多少の改修を施したものが、私の骨董屋"螺旋階段"の店舗兼住居になる。
最初ここに住むことに決めたのは、単に金銭の問題だったりするが。それから2、3年になる今ではすっかり馴染んだ我が家だ。
「朝、露天市にて依頼の品を発見。リソースガードに届けて、クエストを達成。
仲介所で求めた情報は無し。そろそろ切り口を変えて調べるべきかな。
宿屋巡りの最中に刀匠の女性と出会う。名前はリューシャ。
彼女から、他に魔剣について知っていそうな人を紹介してもらった。
帰り道で公騎士団が誰かを追っていた……」
その店舗の窓口に居座りながら、私は今日の出来事を日記に綴る。
窓口と言っても単に、陳列棚にしている塔の螺旋階段の下というだけだけど。
マントに包まりながら、カップに注いだお茶を一口。
「ま、こんなところかな。……ん?」
日記を書き終えて一息ついたところで、小さな足音が耳に飛び込んでくる。
開け放たれている塔の入り口を見れば、先程見た屋根の上の少女がそこにいた。
「あの……」
「いらっしゃい。早かったね」
微笑みながら立ち上がると、彼女を塔の中に招く。今日はもう店じまいしたほうが良さそうだ。
保温容器から、別のカップにお茶を注いで差し出す。
「飲む?」
「あ、ありがとうございます」
おずおずとカップを受け取った彼女に、じゃあまず最初に、と言葉を紡ぐ。
「乗りかかった船だし、私はあなたの味方をするつもり。それこそあなたが私に直接危害を加えたりしない限りね。
だからあなたも、私の事を信用してほしい」
「……どうして、あなたは私を助けてくれるんですか?」
「一度関わった事は、最後まで付き合わないと気になっちゃう性分でね。逆にこれ以上関わるなって言われちゃうと、少しもやもやする」
答えながら苦笑する。我ながら自分勝手な理由だなぁ。
「ボロい店だけど、それでも寝床や食事くらいは出せるよ。他に頼る当てがあるなら、そこまで護衛してもいい。これでも腕に覚えはある方だから」
話を続けながら、私室にしている塔内の一室の中を見せる。毛布は予備があるが、ベッドは一つ。
彼女が泊まっていくなら夜は番をしているつもりだし、問題無いかな。
「その代わり、あなたの事情を聞かせてほしいな。その方が、今後の予定も立てやすいし」
私の問いかけに、彼女は数秒の沈黙の後に、小さく頷きを返す。
……その段になってようやく、私はまだ自己紹介をしていないのに気付いたのだった。
金貨が7416枚。銀貨が34410枚。銅貨が16189枚。
宝飾剣が189振り。宝石が散りばめられた装飾品が407点。
呪術書、骨董品、絵画、風変わりな刀剣、怪しい光を放つ玉――。
水晶の檻には無数の財宝がある。
ヴィジャもその中の一つだ。
――――カシャン、……カシャン、……。
足を踏み出す度に奇妙な音が響いた。
錆色の瞳。冷たい身体。白金に覆われた色味のない肌。
全身を廻る、血ではない重い流体……。
それらはヴィジャが人でないことのわかりやすい証明と言えるだろう。
少年の姿をしていた。動き回ることもできた。
しかし、彼の心は空っぽだった。
どこで抜け落ちてしまったのか。いつからヴィジャはヴィジャなのか。
わからない。
記憶も無い。
ただ、渇望だけがあり……彼はそれを数字で埋めた。
金貨を数える。銀貨を数える。
指折り数える。自分を数える。
溢れても、零れても、彼は数えるのを辞めなかった。
数え終われば数え直し、幾度も幾度も確かめた。
ヴィジャは少年だった。
いつから少年だったのかは、もう覚えていない。
ヴィジャは誰かを待っていた。
それが誰なのかは、もう覚えていない。
心は自然数である。
リリオットは広い。
そして当然、そのすべてが観光向きの技術都市というわけではない。
メインストリートの周辺はともかくも、街の辺縁部になるにつれ、未整備の区画が多くなる。
物乞いの姿はむしろ少ないが、やはり住民の服装は中心街に比べて貧しい。
崩れかけた塀や、轍の跡が深く残った未舗装の道も目立つ。
しかし午前中いっぱい歩きまわって一番目を引いたのは、目の前にある、なにやら壊滅しかけた一件の酒場だった。
酔っぱらいの喧嘩で荒れてしまった、などというレベルではない。建物自体が、わずかながら歪んでしまっている。
老朽化というには、壁に入ったヒビのあとが生々しい。
傾いて見づらい看板に目を凝らすと、店の名は『泥水』とある。
「……何があったのかしら」
ソフィアの手帳によれば、このあたりにはソウルスミス非加盟の武器職人が数人いるはずだ。
明記はされていなかったが、この街並みの雰囲気からして、リューシャは彼らがエフェクティヴ所属だと考えていた。
エフェクティヴのいわゆる《義賊》活動についても耳にしているが、いくらなんでもこの区域でそんな活動はしないだろう。
だとすれば、試作の精霊武器でも暴走させたのだろうか。
昼時が近いためか、『泥水』には鉱夫の男たちが何人も出入りしている。
傾きかけた店構えにもかかわらず、繁盛しているようだ。
……気になる。
リューシャはさして考えこむこともなく、興味の赴くままその扉に手をかけた。
「いらっしゃ……おっと、旅の人かい?」
「そうよ。もしかして、一見さんはお断り?」
「いや、そんなことはないがね。お嬢さんの口にあうようなもんは、この店にはないよ」
主人が訝しげな顔をするのに構わず、リューシャはカウンターに腰を下ろす。
「おすすめは?」
「……泥水って安酒だ。こいつはお嬢さんにゃキツイと思うが」
「それでいいわ。それから、適当に食事を」
主人は微笑んだリューシャを珍しげに眺めながら、まず酒を注いでくれた。
アルコールの匂いがぷんと鼻を突く強い酒。
周囲の男たちの物珍しげな視線を一身に集めながら、リューシャはそのグラスを一気に呷った。
「……あら、わたし結構好きよ、こういう酒」
咳ひとつなく泥水を干したリューシャに、泥に汚れた男たちがおお、とどよめいた。
大戦後の大復興を端緒に、この都市で急速な発展を遂げた精霊義肢技術。
それを支えてきたのが、豊富な精霊を産出し続ける霊鉱レディオコーストと、ヘレン教の異端精霊師らが構築した特殊施療院というシステムです。
詳しいことまでは知りませんが、特殊施療院の歴史は大戦中まで遡れるほど長いのだそうで。
非人道的な制度と秘匿性が災いして、後年に発足した義肢会とは不仲だとも聞きますが、この街で義手について調べるのなら、まずは特殊施療院しかないでしょう。
そう考えた私は、目覚めてすぐに特殊施療院に足を運びました。
「ふん、鉄の腕に刃の指、か。鉄。鉄って、あの鉄か? このご時世に? 新しいな」
「御存じありませんか」
内臓機能をチェックしていただきながら、マックさんが言っていた「私の偽物」の特徴を伝えると、先生はつまらなそうに笑いました。
「ま、私も過去の被験者全てを覚えているわけではないが。その義手は、少なくともここで造られたものでは無いだろうな。基本的な設計思想に反している」
基本的な設計思想とは、いったいなんでしょうか。
「きみ、この特殊施療院が、一応はヘレン教を信奉する組織だってことを忘れてないか。義肢も人工臓器も、我々が戦乙女ヘレンに近付くための手段に過ぎないんだ。……ま、表向きはな。だから、そんな奇抜なだけの、汎用性の低そうな義手は作れない」
「そうなんですか」
「ああ。出来てせいぜい、爪状の刃物を手首に格納できる義手、ぐらいだろうな」
あまり、違いが解りませんが。専門家の先生がおっしゃることなら、きっと正しいのでしょう。
「では、どなたかそういった義手を造りそうな方に心当たりは」
「義肢会にならそういう奴も居るかもしれないが、あまり交流が無いからな」
残念ながら、空振りだったようです。困りました。
あとは、地道に聞き込みをしていくしかないのでしょうか。
「力になれず済まない。……よし、チェック終了。問題無しだ」
「ありがとうございます。あ、これ、今回の代金です」
「代金じゃなくて寄進、な。ありがたく頂戴しよう」
先生が、受け取った袋を乱暴に机へ放り、風圧で置いてあった紙が床に落ちました。
少しもありがたそうではありませんが、まあいつものことです。
「では、私はこれで」
立ち上がって、落ちた紙を机に戻そうとしたところで、その紙に書いてあった文字が目に留まります。
「精霊ギ肢、装具士?」
「ああ、それか。前の被験者が置いていったんだ。なんでもそのチラシの主、腕と足が三本以上生えていたそうだよ。まったく新しい」
「……先生、このチラシ、いただいてもよろしいでしょうか」
「構わないが。なんだ、新しい腕でも欲しくなったか」
「いえ、ちょっと、この方にも鉄腕の人のことを聞いてみようかと」
先生は、ふたつうなずいて、肩をすくめました。
……どういう意味のジェスチャーでしょうか?
=*=*=*=*=*=*=*=*
第5の月 26日 ノームの日 夕方に雨
開けた窓からはちょっと太ってきた月が見える。
湿気を帯びた風も入り込んで、ぼんやりした今はそれが心地良い。
今日はお休みの日だったから、朝から出かけて、
いよいよクエスト仲介所という施設に、おにい探しの依頼に向かった。
摺りガラスの戸を開けて入った屋内は、強そうな…傭兵さん?が一杯だった。
外から来た者の働き口は、まずここが手っ取り早いと耳にはするけれど、
調理しか出来ない上、鈍臭いあたしには、やっぱり到底無理そうだなー…(´_`)
お店でも傭兵さんはお客さまとして来るけれど、
ここで見る彼らは少し怖いように感じるし、こうも大勢だと圧倒される。
受付はごった返していて気後れする。幾分空いた頃合を見つけて、
一番話し掛け易そうな可愛らしい(姉妹っぽい?)受付嬢さんに話しかけた。
結果…相場を読み誤っていた。充分足りると思ってた依頼金は、
今度のお給料を全部足してなんとか…と言った具合だった。
我ながら情けない声を上げて、思考停止してしまった(苦笑)
隣で手続きしていたお金持ちそうなおばさんからの、呆れた様な視線が痛い。
受付嬢さんの、困ったような笑顔が余計に苦しい。
何をするにもお金がいるのだ。それに見通しが甘かった。
あたしは、いつも、いつもこうだ。嫌になる。
考え方が幼稚で浅はかで、目の前の皆の世界との距離は遠くて届かなくて。
ああほらまたお得意の悲観思考の歯車が回り始めて止まらない。
そんな暗げな気持ちのまま受付を離れ、備え付けの椅子で暫く俯いてたら、
頭の上から「痛いの痛いの飛んでいけ〜」って声がした。
驚いて顔を上げると、その黒髪の女性はふわりと優しい微笑みを返してくれた。
すぐに彼女は向こうから呼ばれたらしく(コイン?がどうとか聞こえた…?)、
話す間もなく、その独特なツーテールを揺らしながら行ってしまって、
でもあたしは不思議と少し身体があったかく軽くなった気がしたんだ。
あんな人もいるんだなー。見た感じ傭兵さんらしくない雰囲気だったけど…?
仲介所を出たのは、正午を知らせる鐘を聞く少し前。
その後、図書館に行き、街も散策しながら、雨が降る前にお店に帰ってきた。
リリオットはホントにおっきい。
便利な施設や、お店がいっぱい揃ってるし、いつだって賑やかだ。
なにより故郷では見たこともないような、食材。
メイン・ストリートの市場に行けばその美味しそうな匂いに、
ちょっとだけつまみ食いしたくなる…けど我慢しなきゃ(`へ´)
華やかさの反面、暗い影を落とす人達もこの街にはいるんだ。
物乞いの人も多かったなー…。あの人達とあたしとの差なんて何もない。
リリオットに駆け込んだは良いものの、勢いだけだったあたしが、
こうして今の宿と仕事が得られたのは、単に運が良かったんだ。それだけ。
故郷ではおちこぼれだったあたしも、ここではそれを咎められる事もない。
大きな街、あたしを知らないでいてくれる人達。
無能なのは依然変わらないけれど、放って置いてくれる心地良さ。
そんな事思い巡らしていたら、おにいの作った料理が食べたくなった。
★おにい情報
なし。
=*=*=*=*=*=*=*=*
ペテロへ。
俺が【物乞い】の暗号に耳を傾けていた時だ、
「あなた、黒髪の匂いがするわね」
いきなり腕を掴まれて振り返ると、緑のフードかぶった見るからに目がイっちゃってるヘレン教の女がいたんだ。あれは間違いなく、4,50人は殺してる目だ。俺に言わせりゃ、あの女こそ死臭がしたよ。ゾッとしたね。【物乞い】に正体を見破られた時の方がマシなくらいさ、まだ真っ金々の頭してた俺の手掴まえて「黒髪の匂い」だぜ、病気だろもう。
すぐに手を振り払ったんだが、瞬間、何かがおかしいのに気づいた。あの女は俺に【つきまとう黒猫<<ホーンティング・ブラックキャット>>】って魔法をかけたんだ。こいつをかけられると、俺の見てるものや聞いたことが伝わっちまう。
魔法は専門じゃないんだが、俺も何度も死線を潜り抜けてるからな。前にもやられたことがあるんだ。ほんのちょっとした違和感なんだが、音が一瞬遅れて、微妙にズレるんだよな。普通なら「何かおかしいな」くらいで気づかないだろうが、戦士っていうのは五感をフルに活かして戦うからな、研ぎ澄まされた俺の耳にしてようやく捉えられたってとこだ。
向こう側からウォレスの奴がやって来るのを見て、俺は慌てて道を曲がった。人前で話しかけてはこないだろうが、ちょっとした視線や仕草で不審に思われるのは避けたい。とにかく接触を断つべきだと思ったのさ。
こいつはけっこうやっかいな呪文でな、ウォレスや【コイン女】に頼めば解除はできるだろうが、それじゃ俺たちの繋がりがバレちまう。自然に消えるには一週間くらいはかかる。
家には帰れなかった。夜中になれば<エクスカリバー>の連中が尋ねてくることがある。そうなったら一巻の終わりだ。かといって普通の労働者にしか見えない俺が、偵察の魔法をかけられた瞬間からいきなり一週間家を空ける、ってのもそれはそれで怪しいだろ?
それでどうしたかっていうとな、その晩は酒場で飲んだくれて潰したんだ。ま、一晩くらいこんなこともあるだろう。それで次の日は炭鉱に行ってな、ほんとにこんなことはしたくなかったんだが、わざとヘマしたのさ。
そのまんま救護室に運ばれて、痛くてとても歩けない、ってちょっと誇張してな、これでなんとか一週間。あの女の尾行を撒いたってわけさ。
今回は地味な話で悪かったが、英雄ってのも外から見るような華々しいことばかりじゃないってことさ。【物乞い】だって乞食に混じって情報収集してるしな。裏じゃ結構泥臭いことしてるもんだぜ。ま、ペテロからだってそんな遠い世界じゃないってことさ。
p.s.
返事が遅いから心配したよ。たいしたことなくてよかった。でもナイフの傷程度でも、破傷風の原因にはなるからな。甘く見ないでちゃんと消毒しろよ。
使ってる剣の名前なあ、考えたこともなかったよ。あのな、真の英雄は武器なんか選ばないんだ。あのエクスカリバーだって、普通に鍛冶屋に打ってもらったものだからな。石に刺さってたなんてのは後からついた尾ひれだよ。英雄は武器を選ばない、使ってる武器が伝説になるんだ。あえて言えば、この俺が最強の剣<<ヒーローソード>>だな。
5/24 ライ・ハートフィールド
私がリリオット卿と契約の話を進めていると、隣で落ち着かない様子だったアスカが、
少々恥ずかしそうに手を挙げ、用を足したいのですがよろしいですか、と口にした。
私は反省する。こちらの話に夢中になりすぎて、彼のことを忘れていた。
しかし、「用を足す」とかじゃなくて、もっとこう、「お花を摘みに」とか言った方が……
などと思っていたら、苦笑いの表情が顔に浮かんでしまった。
彼を見送り、卿と話を続けていると、男の悲鳴のような声が聞こえた。
「何事だ!」卿は立ち上がり、部屋にいたメイドを一人、使いに送る。
「騒がせてしまって済まない。すぐに状況を確認する。話は一時中断だ」
部屋にいたもう一人のメイドを側に付け、警戒姿勢を取る。
――まったく、次から次へと事件ばかり起こる。
しかし、この状況は結構不味い。
屋敷のような閉鎖的な空間で何か事件が起きた時、真っ先に疑われるのは私達のような余所者だ。
ましてや、私達は昨日、《花に雨》亭で騎士団に反逆とも捉えられかねない行動を取っている。
口止め替わりに金を渡してはいるが、それらが卿に知られたら、あの口止め料は全くの逆効果だ。
セブンハウスへの敵対者だと思われても不思議は無い。
しかも、アスカは席を外している。まさか彼が犯人ではないだろうが。
悲鳴は少なくとも彼のものではないから、彼の身は無事だと思うが、やはり心配である。
また、犯人の狙いがリリオット卿だった場合、私達も巻き込まれかねない。
この屋敷の門戸をくぐるため、危険物と判断される戦闘用ギ肢は全て、入口で預けたままだ。
これでは、卿を守るどころか自らの身すら護れない。
何れにせよ、ここは大人しくしておく他ない。
『何もしない』以外の方法で、何もしていないことを証明することはできない。
アスカもきっと、直に戻ってくるだろう。
それを信じて待つことしか、今の私に出来ることは無い。
「情報・・・の前に、あなたの名前もまだ聞いてないんだけど」
地図の内容を改めもせずに懐にしまうウロを眺めながら、少女が問う。
「俺か。俺はウロ・モールホール。オーナーの依頼でここの鉱床の探索をしていた」
もうその仕事も終わったが、とぼそりと付け加える。
「報酬は情報だったな。何が聞きたい」
おそらく自己紹介の準備をしていたであろう少女は、一瞬の間を空けて答える。
「そうね。精霊の加工か精製技術に関してなんだけど」
「知らん」
「ええー・・・」
予想外に早く簡潔な答えに面食らう。
「そういう技術を持っている人を紹介してくれるだけでも良いんだけど」
「俺がこの街に来てまだ三年だ。そんな人脈は知らん」
「まだ三年って・・・」
取り付く島もない。
「俺の仕事は掘ることだ。それが金であろうと精霊であろうと、あるいは古代の遺物であろうと、掘り出された後の使い道には興味が無い。漁師は魚の食べ方まで一々口を挟んだりしないだろう」
「・・・でも、漁師は魚の調理法くらい知ってそうだけど」
しばらくの沈黙の後、ウロがもう一度口を開く。ウロは例え話が苦手だ。
「・・・まあ、それはともかく。精霊の加工と精製か?それは俺の専門外だな。残念だが」
無駄足とわかり、肩を落として入り口へと戻ろうとする少女に、ウロは言葉を続ける。
「だが、今回の俺の報酬に、その情報とやらをねじ込むことは出来ないでもない。ちょうど今から仕事の報告に行くところだ。自分の口から説明すると良い」
それだけ言うと少女の脇を通り抜け、さっさと入り口へ向かう。少女は慌てたように彼の後ろを着いてくる。
少女―えぬえむという名をまだウロは知らないが―と共に向かう先は、「稀代の成金」こと商人ヒルダガルデの屋敷だ。
「ふぁー」
ダザは欠伸をしながら、清掃美化機構の依頼一覧表前に来ていた。
「今日残っている依頼でセブンハウス関連はジフロマーシャの夜勤だけか。」
朝一番、上司にウォレスが『f予算』を狙ってないと伝えに行った為、他のセブンハウス関連の依頼は既に取られていた。
清掃美化機構は高度な清掃技術があるだけでなく、戦闘技術を持ったものも少なくなく、清掃員兼護衛ということで金持ちやセブンハウスでからよく依頼が来ている。
また、清掃員達も街や公共施設に比べ報酬の高いため、そっちの仕事を優先的に取っていた。
「とりあえず、今日は昼間に町の清掃して、夜からジフロマーシャかな。」
そう呟くと、その依頼に自分の名前を書いて、街の地図を確認する。
南西に広がる小高い丘の頂にある大きな屋敷が「リリオット」本家だ。
その丘の麓には、貴族街が広がっており、その中に公騎士団を有する「バルシャ」家、公騎士団病院や清掃美化機構を運営する「クローシャ」家、学術院などの学校、図書館を管理する「ラクリシャ」家がある。
元々は、ここら一体の大地主である「リリオット」とその付き人である騎士、癒師、学者がそれぞれ貴族の地位を与えられたとか。
残りの3家は、街の発展に大きく寄与した家が、その功績を認められ貴族の地位を与えられた。
北の職人街にある「ジフロマーシャ」は採掘と精霊精製技術の発達に寄与し、貴族入り後はそれらの統括管理や新技術開発の研究、奨励などを勤めている。
中心街にある「ペルシャ」は、リリオットに商人を呼び物流を作ることで、街を豊かにした。ソウルスミスに自身が管理していた市場ルールをレンタルした後は、その監査と財務管理をしている。
南の農村部近くにある「モールシャ」は、南に広がっている猛獣が住むダウトフォレストの一部分を開拓し、農地を作ることで食糧難を解決した。
現在も、農地と農地拡大及び害獣駆除のためにダウトフォレスト周辺の警備、開拓する狩人組織を管理している。
このように、セブンハウスはリリオット家を頂点にそれぞれの家の特色を活かすことで、数百年順調に施政が出来ていた。
と、ダザは小学校で習ったことを思い出しながら地図を見ていた。
「だが、近年、特にソウルスミスが市場を管理し出してからは、利権争いや私利私欲に走りだして腐敗が進んでるんだけどな」
そう思い地図から目を逸らしたとき、自分の行動予定に「定期健診」と書いてあるのに気がついた。
「えー?」
かすかに聞こえた裂けた悲鳴。アスカは窓の下を覗き込む。窓枠に両肩がつっかえた。
だが、眼下に広がる光景に異常は見受けられない。
幻聴だろうか?・・・いや、何かあったのかもしれない。嫌な予感がする。
アスカは廊下を走り出した。大きな音と共に、辺りを見渡し、悲鳴の元を探す。
いくつもの扉を横目に通り過ぎては突き当りを曲がる。本当に、ここは大きな屋敷だ。
十字路を抜けると、男の大きな悲鳴が聞こえたのでその先に向かう。
館内は慌しい声と、命令する声が飛び交いだした。むしろ、異常は館内に広がっていた。
「何だ、今の声は!?」
「門の方から聞こえたと思ったら、今度は館内か!?護衛はすぐに当主様の元へ迎え!」
「門のほうに向かわせた門番たちからの連絡はまだか!?」
「半刻ほど前に来られた、部屋で待たせているペルシャ家の使者に、何かがあっても困る!そちらにも手配を!」
「くそ!【ペルシャの猫目】め!連絡もなく急に来るなんて!清掃員、従者は身分の不確かな者を見つけたら報告しろ!」
「それらしき男は居ないぞ!?何処だ!?」
思った以上の、何かが起こった。アスカは判断を誤ったかもしれないと思いながら、従者の女性の姿を見つけ、そちらに向かう。
「何があったの、だよー!」
従者はかなり慌てている様で近づいてくるアスカに警戒心をむき出しにした。
「な、何者ですか!?止まりなさい!」
「ボクはアス・・・ 」
「その格好!当家の従者に化けたつもりですか!稚拙甚だしい!隠せるとでも思ったのですか!?」
取り付く暇も無い。
――確かに、服装は物真似だけど。
「えっと」
「誰か、誰か来て!不審者はここに、きゃあ!」
突進。叫んだ女性を拾い、片手で担ぎ上げて走り出す。
抵抗の余地なく、すかさず隆起した右腕の力瘤で女性の腰を挟み、右肩に乗せて固定した。
「ボクはアスカ!お姉さん!道案内をお願いします、だよー!」
「ひぃぃ!!」
飛鳥は走りながら思う。
――ボクが聞いた“女の人の声”は何処からだろう?
*
リリオット家、門にて四人の男が館を眺めている。
「何だ、今の声は!?」
「おいおい、またこいつのように、蛇に怯えて叫んだとかじゃないだろうな」
「慌てて戻ったが、まったく傑作だったな」
{門を開けっ放しでひやひやしたぜ、この坊ちゃんが」
「あぁ、もう、からかわないでくれよ!尻尾の不意打ちを食らって驚いちまったのさ!」
「おい、今度こそ何かあったのかもしれんぞ、俺は行ってくる!」
男が一人、館に向かう。
「よし、そろそろ門を閉めておかんとな。おい坊や、もう腰も立つだろう?そろそろ男に戻れよ」
「あぁ、わかったよ。ちゃんと立つさ。門を閉めよう。
・・・“侵入されるなんて持っての他だからな”」
男は立ち上がると、二人に悟られないように、暗く、笑った。
体を包む強い光が……収まっていく。
今のは、一体、なんだったのだろう?
目を眩ませていた怪物が、まぶたをゆっくりと開いた。表情にはいくらかの狼狽が残っていたものの、ふた呼吸もしない内に、やがて平静を取り戻す。
今しがた起きた怪現象のせいか、先ほどまでとは違い、怪物は明確にこちらを敵と認識しているようだった。歯をむき出して睨みつけてくる、その凶相に、わたしは思わず唾を飲みこむが、思った以上に大きくなった唾の嚥下音が攻撃の合図となってしまう。
仰天するほどの速度で駆け寄った怪物は、躊躇なく、わたしの右腕に噛み付いた。
始まってしまった! わたしは襲いくるであろう激痛に耐えるべく、目を閉じて奥歯をぎっと噛みしめる。
しかし、
しかし……。
おかしい。なにも痛くない。感触はあるものの、手を握られてるほどしか感じない。目を開いてみると、怪物は一生懸命にわたしの右腕を噛み切ろうとしていたが、まるで歯がない老人が干し烏賊を咀嚼しているかのように口をもごもごさせているだけだった。
わたしは反射的に噛まれた腕を引き抜こうとするが、瞬間、縄が切れるようなブチブチとした音を鳴り、怪物の歯が飛散した。同時に巻き起こった大量の出血から、先ほどの音が、わたしの動作によって怪物の歯肉が断裂した音だと理解する。
「いやあーーっ!」
肉体を破壊する生々しい感触と、グロテスクな傷口を目前にした不快感から、両手で思い切り突き飛ばすと、怪物はものすごい勢いで後方に飛んで行く。そのまま頚椎を壁に激突させると、ぐにゃりと力なく地面に倒れこみ、怪物はピクリとも動かなくなった。絶命したようだ。
「おめでとう、すみれちゃ〜ん! いやさ、新たに誕生した愛と正義の使者〜ホ〜リ〜〜ヴァイオレットちゃん!」
呆然とするわたしに、先ほどの音が鳴らない失敗作の笛のような声がかけられる。緊張感を著しく欠如した声の持ち主は、倉庫の屋根から跳躍してきた。
「ハ〜イ、ヴァイオレット。初陣は成功、まさにSAY HOってかんじね〜」
まさにSAY HO。
……セイホーがなんのことかはわからなかったが、理解せずとも話は続けられるのでは? という直感に従い、わたしは、はぁ、まぁ、と濁った返事を返す。
目の前に現れた妙齢の女性は、顔立ちこそ美しいものの、年齢に合わない少女趣味の服装で身を包み、いくつもの三つ編みをぶら下げた銀髪のロングヘアー、三つのレンズで構成されたゴーグルグラスなど、およそ正気とは思えない格好で着飾っていた。
「あ、あなた……誰ですか? あと、なんなんですか。その、なんというか、その格好は……」
その異常な美意識に則して作られた狂気と冒涜の服装はなんなんだ、と本音を言いたかったが、わたしは人を傷つける言動が苦手なのだ。わたしはグッとこらえ、オブラートを幾重にも重ねた物言いをするように心がけた。
「あら。あらあら! あなたひど〜いこと想像してるでしょ〜。自分だってはずかわいい格好してるくせに〜!」
恥ずかしい格好? 近所の市場で買った、このなんの変哲もない革製ワンピースが?
なるほど。狂人の世界では常人の格好がひどく恥ずかしく見えるものなのだ。わたしの世界と彼女の世界は根本的に見え方が違うのだなあと納得しつつ自分の服に目を向けると、先ほどまで着ていた革製ワンピースはどこかに消えており、奇天烈ファンシーなロリータファッションに身を包む緑髪少女がそこにいた。
「な、なんなのこれーーーっ!?」
ttp://drawr.net/show.php?id=3782955
「きゃははは!ポーンがボーン!」
マックオートはなぜか、図書館で謎の少女とチェスをしていた。
というのも、いきなり「あなたはハッピー?」と質問され、「チェスをしている時はハッピーかな」と答えたからである。
この少女、キングとルークを入れ替えるだけで笑い、ポーンが取られるだけで笑い、
さらにはナイトが他の駒を飛び越えるだけで笑っていた。
駒の動かしかたも全くのデタラメで全く読めない。ここまでくると不気味である。すると突然、
「ねぇ、今あなたはハッピー?」
少女はこのような質問を投げかけた。
満遍の笑みを浮かべる少女からただならぬ狂気を感じ取ったマックオートは考えた。
(ここでNOと答えたらどうなるかは想像もつかない・・・きっと恐ろしいことになるぞ・・・)
「もちろんハッピーだよ!」
マックオートはいつもの気取った調子で答えようとしたが、顔がひきつっていることが自分でわかった。
「じゃあ、よかった!」
そう言った少女はチェスの試合をそのままにどこかへ走り去っていった。
あのようにしてあちこちを襲撃しているようだ。
マックオートには恐怖が残った。
普通の時はそれとして、女性と接する時はいつでも気取った調子で接するマックオートにとって、
そんな調子で接することができない女性・・・それも、こちらに敵意のない女性にそうできないとは。
冷や汗をかき、胸に手を置きながら深呼吸をした。ふと、チェス盤の上にあるルークが目にとまった。
そういえば、東の外れにある塔は骨董屋と地図に書いてあったような気が。
確認すると、確かに骨董屋だった。
もしかしたらアイスファルクスの呪いを解く手がかりがつかめるかもしれないと、
チェスセットを服にしまったマックオートは急ぎ足で図書館を出た。
ソラが骨董屋『螺旋階段』を訪ねると、店主の女性は快く通してくれた。その上お茶まで出してもらった。その暖かさで一息ついたところで、ソラは話を切り出した。
「私はソラ、リリオットで掃除や伝言を頼まれながら細々と暮らしています。今回追われている理由は私にもよくわからなくて、フェルスターク一家殺害事件の容疑者にされていたんだけど、その事件に首を突っ込んだ覚えはないし、詳しいことはさっぱりで……」
あ、とソラは狙われる心当たりを一つ思いついたが、すぐにその答えを取り消した。
「どうしたの?」
「ううん、何でもない。ええと……それからは他の人達が色々と助けてくれたこともあって、つい逃げ出しちゃったってところかな。あはは……」
なるほどね、とソフィアは頷き、
「私の方も自己紹介しなきゃね。私はソフィア、この店の店主よ。それに、リソースガードの依頼もこなしているから腕に自信はあるわ」
ソラは蛇に睨まれた蛙のように一瞬顔を強張らせたが、ソフィアの顔を見てゆっくりと表情を戻した。もうソウルスミスは私のことなんて忘れているだろう。
「さっきも言ったけど安心していいよ。あなたを売るような真似はしないから。あなたが私に何かするつもりなら別だけど」
「助けてもらったのにそ、そんなこと……」
ソラは必死になって否定した。ソフィアはそれを見て少し微笑んだ。
「そうだ、助ける前に条件が1つだけ」
ソフィアはそう言いながら腰から下がっている、一振りの剣を見せた。
「この剣は追憶剣エーデルワイス。この剣に呪われてしまって、その呪いを解く方法を探しているの。あなたは何か心当たりない?」
真っ白な剣は言いようのない美しさを讃えていた。ソラは唾を飲んだ。呪いだったら少しはわかるかもしれないと思ってよく見てみたが、この魔剣の呪いがどのようなものかすら知ることが出来なかった。強い力と想いを感じるのは確か。
「ちょっとした呪いならこの魔術で解けるんですけど……」
ソラは剣に手をかざし、念を込める。手に力を集中し、それを剣に注ぐ。ソラの手からは透き通った白い光が剣に降り注がれ、ソラの肌も淡い光に包まれる。飲みかけのお茶から湯気が立ち、じわじわとその水量を減らしていった。剣に変化はない。
「あ、やっぱり駄目みたいですね」
ソラは体の光と激しくなる動悸、息切れを抑えながら残念そうに剣から離れた。
オシロがレストへの伝言を頼みに、酒場『泥水』の扉を開けると、
そこには異様な光景が広がっていた。
店の壁に整列させられた鉱夫たち、その中に混じった見慣れない金髪の女性、
店の中央で腕組みをして立つ上等のショールを巻いた女性と、その周りに控える四人の公騎士、
そして、カウンターの奥で殴られている『泥水』の主人と、それを殴る一人の公騎士・・・。
『泥水』の主人はすでに顔のあちこちが腫れ、鼻と口からも血が滴っていた。
「あら。こんな子も顔を出すような店なのね、ここ」
オシロに気づいた中央の女性が、振り返って言った。
「私は採掘所のプラーク顧問。まあ、あなた達の監督の一人ってトコね。
ちょっと用事があって訪ねたんだけど、この店がこんな有様でしょ。
理由を聞きたいんだけど、誰も答えてくれないの。君は何か知ってる?」
オシロは一瞬ぎくりとしたが、少し逡巡してから、首を振って沈黙を守ることにした。
「駄目か」
女性、プラークは溜息をついて、懐から握り拳ほどの精霊結晶を取り出した。
「これはスプライダーといって、精霊の位置を調べることができる道具なんだけど、
このスプライダーは特別に、ある特定の精霊にしか反応しないように作ってあるの。
その反応がここであった。それは絶対に、ここには無いはずの物なのに。
この酒場で何かがあったのだと私は確信している。突きとめるまでは帰れない」
子供の口なら割りやすいと思ったのか、尋問の対象は完全にオシロに切り替わっていた。
スプライダー。精霊鉱脈を探す為にここでもよく使われる道具だったが、
それほど精度がよい物ではないはずだった。
さらには特定の精霊にだけ反応するスプライダーなど、オシロは聞いたこともない。
(ひっかけか?)
一瞬、そう疑う。
しかし、特定の精霊とやらに十分過ぎるほど心当たりはあった。
喋る精霊。『常闇の精霊王』。
「部外者の前では話せません」
「私は採掘所の管理職員よ。あなた達以上の機密だって知ってるわ」
オシロは頭を振って、それから先刻見た壁際で立つ見慣れない女性を示した。
「違います。そこの、金髪の人」
「彼女?さっき聞いた時は、ここによく出入りする工房の刀匠だって言ってたけど」
「そんな言葉を信じたんですか?信用できる人は顔で覚えないと駄目なんです。ここでは」
公騎士の一人に腕を引かれ、金髪の女性が突き出される。
そのすれ違いざまに、オシロは最大限に注意して絞った声で、囁いた。
「休憩所から鉱夫長を呼んで下さい。お願いします」
「え?」
金髪の女性はまるで予想していなかったその言葉に、目をぱちくりさせ、
蚊ほどの疑問を発した後、公騎士によって即座に閉められた扉に遮られて、その姿を消した。
思えばいつも、優しい膜に包まれていた。
高速接近物体に反応するように設定したオートガードや敵意のスキャンは、いかなる時も彼女に安寧を許していた。
それが今や剥げ落ちて、今、彼女はいつでも死に得る。
怨恨を持った黒髪に背後から棒で頭を割られれば死ぬし、二階の窓から偶然落ちてくる鉢植えに頭を割られても死ぬ。
生きていれば当然のリスク。そんなささやかな危険もメビエリアラにはうれしい。
酒場を出て歩く通りはいつにも増して新鮮に、輝きを増して見える。鋭敏になった感覚が、瑞々しい情報を運んでくる。
街の様子もよく視える。
久々に思える現実感を楽しみながら、彼女はセブンハウスへと足を運ぶ。
*
数時間後。
「死にに来たのですかな? 性根の腐った差別主義者の筆頭が」
ジフロマーシャ邸の客室で、メビエリアラは数人がかりで床に組み伏せられていた。
振り払えない。戦えない。精霊が駆動できない今、彼女は無力だ。
指に鋭い痛みが走る。爪先で踏まれ、床に捻じ込まれていた。
さらに金属の杖で何度も打たれ、背中や肩の骨が砕ける。
顔を上げると、そこには初老の紳士の済ました顔があった。その黒髪は老いで白がかりつつあるが、本能的な嫌悪感は拭えない。表には出さないが。
メビエリアラは笑う。脂汗を垂らしながら。どれだけ激痛に苛まれようとも、交渉の場で礼を失してはならない。
「死のうとしているのはあなたの方です、クックロビン卿。いや、滅ぼうとしていると言うべきですかね」
「まったく害虫そのものだ。妄言を吐く元気がまだあるとは」
ふっとメビエリアラを押さえつける力がなくなる。その代わり、新たな激痛が口の中に走った。
ジフロマーシャはステッキを半回転させると、取っ手でメビの口を吊り上げる。魚のように。メビの口蓋から血が滴り、杖が汚れる。
「ふん!」
腹を蹴られて後ろに吹っ飛ぶ。彼女は背中から壁に打ち付けられた。
「立ちなさい」
クックロビンに命じられた。全身が軋んでおり崩れてしまいたい誘惑にかられるが無視する。言われなくても立つつもりだった。
「その薄汚い口で私に何を吹き込もうとしているのか。あと数分の余命で喋れるものなら喋ってご覧なさい」
暴力は無視していい。クックロビンに聞く耳はあるのだから。
「精霊武器の貧民への配布。それは敵に利する愚かな行為です」
クックロビンがメビの腹を蹴る。メビは血を吐く。微笑みは絶やさない。
「貧民たちは蜂起するでしょう。あなたの思惑通りに。そして正騎士団は鎮圧の口実を得る。反動でリソースガードも出動する。ヘレン教は狂信者集団として粛清できる……」
「おやおやよくご存知で。あなたを生かして帰す理由がありませんな?」
クックロビンがメビの腹を蹴る。メビは血を吐く。微笑みは絶やさない。
「卿、あなたはまぼろしを見ている」
クックロビンがメビの腹を蹴る。メビは血を吐く。微笑みは絶やさない。
「貧民たちはふたつの世界に属している。どちらかに。または両方に。ひとつは彼らに救いの手を差し伸べる、我らへレン教。そしてもうひとつ、血肉のようにその思想に殉じているエフェクティヴ。その敵は言うまでもなく搾取者たる貴族。セブンハウス。あなたは最大の敵に凶器を送ろうとしている」
「ふざけたことを。何を学ぶでもなく積み重ねるでもなく、日々怠惰に、上から与えられた労働と支配を貪る者たちに何ができるというのですか? 彼らの感情は偽物です。泥水の酔いに任せて我々を罵るだけで満足してしまうのですから」
議論に乗ってきた。本音も出てきた。相手に圧倒的な優位を与えなければ、この状態は引き出せなかった。
「それはあなたの考えですか? エフェクティヴは取るに足らない無力な烏合の衆だと、以前から考えていましたか?」
「当然だ――」
彼の呼吸が少し速くなるのを、メビエリアラは見逃さなかった。彼が我知らず嘘を吐いたのを確信する。
「いいえ。あなたが憎んでいたのはヘレン教だけだったはず。何がきっかけでしょうね? 貧民を経由してエフェクティヴをも蔑むようになったのは」
クックロビンは押し黙る。最近足しげく彼の元に足を運んできた、一人の若者の顔を思い出していた。
ラクリシャ家の末弟に生まれた好青年。才気溢れる位相幾何学者にして精霊物理学者。
ムールド・クオル・カナル・ヒエト・ラクリシャ。
酒場でやることのないウォレスは、今日も定期的なお喋り大会を開いていた。
ウォレスの饒舌な語りをタダで聴こうと、周囲に人だかりができている。
「それはつい一昔前、たった100年ほど前のことじゃった――ダウトフォレスト攻略作戦のため、1000人の兵士と傭兵たちが集った。いずれも皆、名の知れた古強者たちじゃった」
「100年前なんて俺のじいさんも生まれてねーぞ」「どのへんが『一昔前』なんだ?」「嘘もたいがいにしとけよオイ」公騎士団やリソースガードの面子たちが笑う。だが、本音では紫色の少年が語る与太話に、誰もが皆聴き入っているのだ。
ライは酒場の入口で立ち惚けていた。ウォレス・ザ・ウィルレス。丘の上の古城に住む魔法使い。手紙の中に書いたことはあるが、リアルに遭遇したのは初めてだった。
「あの大戦の最中、リリオットに展開した大国グラウフラルの部隊は、エルフたちによる背後からの奇襲、挟撃を恐れた。そこでグラウフラルは、1000名の古参兵を引き連れ、最強の布陣でダウトフォレスト攻略作戦を決行した――にも関わらず、部隊は壊滅した。生存者は僅かに一桁!! それも半分は狂気に支配されていた……」
全員が息を飲み、続きを聞こうと耳を立てる。
「一体何が起きたのか? 僅かな生存者は語った。『森が襲ってきた』『あの森は生きている……要塞なんだ』『胃袋の中に入れば消化されるのと同じこと』『エルフ、狼男、トロール、ツリーフォーク、そして、ああ、ああ、あの化物』」
「『目〔オクルス〕』だ……目が来る……あいつが来る……逃げられない……誰も逃げられなかった……誰も逃げ切れなかったんだ!!」
「目〔オクルス〕ってなんだ?」「トロールより恐ろしい化物か?」酒場には屈強な男たちもいた。だが目について知るものは少ない。
だが、ライには目について、僅かばかりの知識があった。
「ところでお主、座ったらどうじゃ?」ライが自分のことを言われていると気付くのに、10秒かかった。
互いに自己紹介を終え、話を聞けば、大凡の事情は知る事ができた。
彼女の名前はソラ。あのフェルスターク一家殺害という、身に覚えの無い容疑をかけられているらしい。
濡れ衣にしか思えないが、事実として公騎士団が動いているのは厄介だ。
容疑を晴らすには、彼女に犯行は絶対に不可能だったと証明するか、真犯人が見つかるか、くらいだろうか。
「誰か、あなたを信じて助けになってくれる人はいる?逃げ出した時に助けてくれた人達とか」
「あ、助けてくれたのは《花に雨》亭っていうお店の店員と別のお客で……あとは私、ヘレン教の礼拝堂の掃除してますから、そこの人達にも知り合いが……」
「ヘレン教、かぁ」
少し考える。戦乙女ヘレンへの信仰と弱者救済を掲げるヘレン教。ソラが教会に駆け込めば、匿って貰うこともできると思う。
しかし現在のヘレン教はセブンハウスの仮想敵政策の矛先を向けられる期間中。下手を打てば組織間の対立に巻き込まれる可能性も……無いとは言えない。
「……悲観し過ぎても仕方無いね。じゃあとりあえず、ソラ」
「は、はい」
「今日はもう寝ようか。明日は早いからね」
気付けばすっかり日は暮れていた。
真夜中に行動するのは騒動の元だし、もし夜間巡回にでも鉢合わせたら面倒なことになる。
そう説明してソラをベッドに押しやって、私は苦めの珈琲で夜を明かした。
※
「……ふあぁ」
翌朝。塔の窓から降り注ぐ陽光を浴びながら、私は欠伸を噛み殺す。
今日はまず、ヘレン教会までソラを送っていき、そこで彼女の助けになってくれる人物を探そう。
「……ソラはまだ寝てるかな」
珈琲をまた一口啜りながら、寝室を見やる。少しは具合が良くなっているといいのだけれど。
ソラの事情を聞いた後、私は駄目元のつもりで、彼女にもエーデルワイスについて尋ねてみた。
すると予想外なことに、彼女は不思議な魔術によって剣の解呪を試みてくれた。
解呪できなかったことは気にしていない。気になったのは、その魔術がソラにとって消耗を伴うものだったこと。
消耗の程度は分からなかったが、大事を取りたかったのも日を改めた理由だ。
「……私の事情で、無理させちゃったかなぁ」
なら私も、彼女の行動に見合う働きで報いないと。
決意を固める事で眠気を散らしていると、ふと外から近付いてくる足音を耳にする。
「あぁ、すみません、今日はお店やってないんです……」
誰か知らないが、今はお引取り願おうと入り口を見て、思わず言葉が止まる。
そこに居たのは黒髪の男性。背中には剣を背負っている。
その姿を見て私は、リューシャから聞いた凍剣の男の事を思い出していた。
……今は、ソラのことが最優先。
けれど少しだけ、話を聞いてみよう。
採掘者の男、ウロからの情報はゼロ。だが、彼の依頼主ならなにかコネがあるかも知れないことを匂わせていた。
入り口へ引き返すウロの後を遅れないようについていく。
「そういえばまだ名乗ってなかったわね。私はえぬえむ。リソースガードの依頼で、この廃坑に幽霊が出たって聞いて調べに来たんだけど…」
「そうか」
「きっと流れの採掘者か何かだと思って、この依頼受けてあわよくば精霊技術の情報も得ようと思ったんだけど…」
「残念だったな」
「むぅ。知らないんじゃ仕方ないわね。あ、そうそう、幽霊退治の依頼の証拠に一枚撮らせてもらうわね」
早足で追いかけながら羊皮紙を開く。転写されるウロの姿。
ちょこまかと動くえぬえむの姿はまるでリスのごとし。
出口でヘルメットを脱ぎ、再びフードをかぶる。
「そういえば、依頼人ってどんな人なの?」
「金に糸目をつけないタイプだな」
「うーん」
「マッピングも無理言ってねじ込んできたしな。強引でもある」
「精霊技術者のコネとかあるかしら…」
「さぁな。一人か二人ぐらいはいるんじゃないか」
「だといいけど…。そういえばそのシャベル、かなりの業物に見えるわね」
「まぁな。母の形見だ」
などと話しているうちに、目的地―ヒルダガルデの屋敷に近づいてきた。
カラスが初めて『変化の術』を使用したのは、
物心がつくかつかないかの年頃であった。
カラスは術を使って鳥に変身し、気の向くままに飛び回った。
住んでいた場所が見下ろせた。そして、高い空が見渡せた。
歩いていた頃では考えられないような気分であった。
そして、自分の姿に疑問を持ち始めたのはそれからだった。
普段の翼もなく二本足で立っている、傍から見れば人間のこの姿が、
ひょっとしたら偽りの姿であるのかもしれない。
翼をはためかせ、空を自由に飛んでいる姿こそが、
何もかもから開放された真実の姿なのかもしれない。
だが、鳥のさえずりが言葉に聞こえたことは一度もない。
もっとも、自分が人間であるという保証もどこにもない。
だから、柔らかい地盤のような自己の認識を魔女に狙われたのか。
魔女に呪いの釘で打ちつけられた時から『変身の術』は使えなくなり、
身体はその時の仮の姿、作り物の魅力を備えた女の姿のままになってしまった。
カラスの持っている異国の術の方式は、少し精霊駆動に近い。
彼とカラスは、酒場を出て街路を共に歩き出した。
彼とはカラスの歌芸を聴いていた一人であった。
彼はサルバーデルと名乗り、カラスを散歩に誘った。
彼は一見すると上品な紳士であったが、一つの特徴があった。
彼は、仮面を身につけていた。
偶然にも、今の二人は共に仮の姿であった。
街の空気は、少し冷たい。そして、いつも不穏な感じがする。
歩いている途中、カラスは身の上を彼に少し話したが、
魔女の呪いの事は明かさなかった。
カラスは、街の一画にある時計館に案内された。
古今東西様々な時計が、シックな建物の中に規律良く並べられている。
カラスはふと、館にある金属の缶に目をやった。
「これは、古い砂時計。廃材をつなぎ合わせた無骨な物です。
ひっくり返すと、ほら。音がするでしょう。砂の音です。
貴方の時はこのように、動き出しました」
彼は砂時計を逆さまにした。
「ただ、普通の砂時計と違って砂の流れ落ちる様子は見えません。
ですので、誰も好んで使おうとしませんでした。
私はその珍しさに惹かれて、購入を決めたのです」
カラスはこの砂時計と同じく変わっていたから、
サルバーデルに声を掛けられたのではないかと思った。
リューシャが三杯目の泥水を飲み干した瞬間、扉が叩きつけられるように開いた。
店内のざわめきがさっと凪ぎ、みなの視線が、そこに立つ鎧姿の男達に集まる。
扉を開けた男の他に、同じく騎士が三人、そして女が一人。公騎士だ、と誰かが囁いた。
「私は第三精霊発掘顧問、リット・プラーク」
上質なショールをなびかせて悠々と入ってきた女は、身分と名前を高らかに宣言する。それだけで十分だと思っているようだった。
プラークはステージでも歩くように店の中央まで進むと、手振りだけで公騎士に命じ、店内の鉱夫たちを壁際に追い立てさせる。
そしてその目が、ふとカウンターに座るリューシャに留まった。
「……そこの貴女。採掘者には見えないわね。こんな店で何をしてるの」
「顧問、このお嬢さんは」
カウンターの中で声を上げた店主をプラークが目線で黙らせる。
「お前には聞いていないわ。貴女。答えなさい」
「……わたしは刀匠です。採掘者ではありませんが、工房の仲間にここの馴染みがいるので」
リューシャは至極あっさりと嘘をついた。
通りがかりだと言ってもどうせ信じそうにはなかったし、それを察してか、周囲の鉱夫たちや主人もあえて何か言おうとはしない。
プラークは疑わしそうな目をしていたが、リューシャが腰のシャンタールを鞘ごと抜いて渡してみせると幾分表情を和らげた。
リューシャはそのまま、鉱夫たちに倣って壁際に移動する。
鉱夫たちが全員移動したのを確かめると、プラークは店主に近づき、何かを問いただしはじめた。
内容は壁際にまで届かなかったが、そこから始まった拷問一歩手前の尋問を見れば、店主が知らない、と答えたのは確かだ。
その尋問は、店の扉がもう一度開くまで十数分は続いただろうか。
入ってきたのは、まだ十代半ばにも届かないような少年だった。
面食らったような少年を与し易しと見てか、プラークは尋問の矛先を変える。
やがてリューシャは、少年に「部外者の前では話せません」と名指しされたおかげで店を追い出されてしまった。
だが。
「休憩所から鉱夫長を呼んで下さい。お願いします」
「え?」
ばたん、と扉が閉まる。
……なるほど、少年と思って侮らないほうがいいようだ。
リューシャは一瞬だけ迷ったが、すぐに鉱夫たちの休憩所に走りだした。幸い、このあたりの道は午前中に確かめてある。
採掘所の揉め事にも興味があるが、なによりシャンタールをプラークに預けてきてしまった。
リューシャは走りながら、少しだけ笑う。
殴られていた店主には悪いが、……首を突っ込むいい口実ができた。
「ほ、報告致します!」
リリオット家応接室に、息を切らした使用人が駆け込みながら大声を上げた。
「叫び声の主は当家の門番です! 意識不明で地面に倒れていました! そして不審者を発見との連絡、エプロンドレスにネコミミを付けた大柄の男とのことで、おそらくリオネ様のお連れになった方かと……」
「……」
リオネは無表情を保ちながら、心の中で大きく項垂れた。
「それだけではないだろう、続けろ」
弛緩しかける空気が、当主の一声塗り替わる。
「はっ、そちらの不審者には現在使用人が1名対応中です。……それから、屋敷の中及び近辺にマドルチェ様の姿が見当たりません! そして入口に、この装飾品が……」
「これは……」
リリオット卿はまさかという表情で、使用人の手に握られた髪飾りを凝視した。
豪奢な金の下地、埋め込まれた黒曜石には短髪の女性の意匠が施された髪飾り。
「――リリオット家の紋章、マドルチェ……!!」
「!」
リオネを除いた、その場いるほぼ全員が息を飲んだ。
「精霊義肢よ。契約の話は後日に回してもらう。それどころでは無くなってしまったのでな」
「と、申しますと」
「この騒ぎを見てしまったならば仕方がない。内密にしてもらうぞ」
「心得ております」
「……我が家の跡継のマドルチェが行方不明だ。最悪、何らかの事件に巻き込まれた可能性がある。お前たち! 即座に公騎士団のリリオット直属の部隊にマドルチェの捜索依頼を出せ!」
リリオット卿は使用人の数名にそう一喝して頭を抱えながらソファに深く腰掛けた。
「万が一にもヘレン教、エフェクティヴの耳に入るようなことがあってはならないが、迅速に見つけることでそれを防ぐしかあるまい。最優先でリリオット家の直属に通達! それから信頼のおける優秀なフリーランスにも声を掛けろ。報酬は金貨50枚、これなら情報を売る者も現れないだろう……」
冷静に、しかし底深くから唸るようにリリオット卿は呟く。
「……それから、決してマドルチェに手傷を負わせることのないように。見つけ次第、即座に私に連絡を」
「承知致しました!」
当主の命を受け、使用人が散る。
(想像している以上に、厄介なことに巻き込まれた……)
鬼気迫った当主の表情を見つめながら、リオネは心の中で呟いた。
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リリオット家当主マドルソフ・リヴァイエール・フォン・リリオットより通達
リリオット家第一息女マドルチェ・ミライエール・フォン・リリオットの捜索命令
マドルチェ・ミライエールに一切の危害を加えることなく発見次第保護、当主へ連絡せよ
報酬:金貨50枚
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アスカはそれから程なくして戻ってきた。
彼を連れてきたのは、モップを片手にした青髪のメイドだ。その身体は華奢に見えるが、驚いたことに、彼を肩に担いでいる。
何かまた彼が別の事件に巻き込まれたのかとも思ったが、どうやら目を回しているだけのようだ。
「あー」とか「うー」とか唸る声が聞こえる。
青髪のメイドは、どさりとアスカを降ろすと、頭を軽く下げて何も言わずに去っていった。
「さて、彼も戻ってきたところで、リオネ君。
私は君のことは買っているが、しかし君たちのことは少々調べさせてもらうよ。
何、心配することはない。君達が騒動の原因ではない事は私が証明するが、その証明をより強固にするためだ。
しばしの間、ご辛抱願う」
「いえ、こちらこそ、彼が迷惑を掛けたようで申し訳ありません。
以後このような事が無いよう気を付けますので、どうぞご容赦下さい」
「いや、いいんだ。君のような者が連れて来るのだから、変人でない方が驚きだ」
「はあ。しかし、卿は私についてよくご存知のようで」
「君は、ここが何処だか忘れたのかね? 『精霊採掘都市リリオット』であるぞ。そして私は長い間義肢生活だ。
あまり知られてはいないが、私は精霊義肢の一般化にも大きく力を入れている。君のことを知らない方がおかしい。
分かってくれたかね?」
「はい。卿のような方にも名前が知られていることは身に余る光栄であります」
「気にするな。その代わり、この件が落着したら、君の他の"ギ肢"もよく見せてもらおうかな」
「恐縮です」
身体検査では、当然肌を晒すわけで。私のギ肢を見たメイドたちは、
始めは皆驚いていたが、途中からは興味を持ってくれた者もいた。
もしかしたら、ネコミミくらいなら彼女たちに売れるかもしれない。
一方、壁を挟んだ隣の部屋からは「んんっ……!」とか「あんっ……!」とかいうくぐもった声が漏れ聞こえ、
まあ、その、なんだ……ごめんなさい。
詳しい身体検査が終わる頃には、既に日は傾き、空の彼方は赤く染まっていた。
久々に受けた大型案件が御破算になったのは、まあ良いとして(良くないが)、
それにしても今度は、リリオット家の跡継が行方不明、である。
「今日は済まなかったわね。また事件に巻き込んでしまって」
「ううん、大丈夫、だよー!
メイドさんもたくさん見れたし、お嬢さんは見れなかったけど、
街にいるなら、もしかしたらばったり会えるかも、だよー!」
「ええ、そうね。」その言葉はちょっと楽観的すぎるかもしれない。
「それでね、今日は――」アスカは今日の騒動のことについて話そうとしたが、私はそれを遮る。
「嗚呼、ごめんなさい。今日はちょっと疲れちゃったから、お話は後で。
あなたに何があったのかは知りたいけど、それは、私が今度あなたの店を訪れた時にでも頼むわ」
さすがに、色々ありすぎた。今は宿に帰って、泥のように眠りたい――
呪いを解くヒントを得るために骨董屋に訪れたマックオートを白い髪の女性が迎えた。
「いらっしゃいお客さん。あなたは何をお探しなの?」
「やぁお嬢さん、解呪に役立つ品を探しているんだが・・・というのも、この剣が呪われていてね。」
マックオートは背中の剣を少し引き抜き、青白い刀身を見せた。
すると、”やっぱりあの人だ”というような顔で話を始めた。
彼女はソフィアと名乗った。彼女もまた、腰にある剣”追憶剣エーデルワイス”にかけられた呪いを
解く方法を探しているという。
それを聞いたマックオートの心に火がついた。今まで溜めていた知識が逆流を始めたのである。
「その剣、ちょっと見せてくれない?」
そう言ってマックオートは剣を手にとった。その時!
『マックオート!あなたはこの剣を持って逃げなさい!』
『跡取りが逃げるぞ!グラキエスの剣は1本たりとも逃すな!』
『砕けない!?クソッ!あれがアイスファルクスか!』
『壊せないなら呪いでもかけておけ!使いたがる奴もいなくなるだろう!』
「ちょっと・・・大丈夫?」
ソフィアの声でマックオートはハっとした。マックオートは昔に記憶の中にいた。
妙なしこりが残った。ともかく、剣の観察を続けた。
「この魔剣は手放してもすぐに戻ってくるんです・・・」
「程度の低い呪いなら茨の煮汁をかければ解ける・・・しかし、これはかなり頑丈な呪いだ。
炎で焼き付けてある。」
「やっぱり無理ですか・・・」
しかし、マックオートは白い剣とソフィアの白い髪を見て思い当たるものがあった。
「ちょっと触るよ?」
「え・・・?きゃっ!」
マックオートは有無を言わさずソフィアの髪を触った。普通なら気取った顔をしている所だが、
今回はいたって真顔だった。見たところ、染物や脱色で白くなっているわけではないようだ。
「この色は生まれた時から?」
「いえ、この剣に取り憑かれた時に白くなってしまったんです・・・本当は金髪でした。」
「やっぱりそうか。恐らく、この剣はある部分で君と一体化している。
だから、手放しても戻ってくるんだ。
君のどこかに手放したくないものがあるはず。
それを捨てれば、剣も一緒に捨てることができる。」
ソフィアはよくわからないという顔をしていたので、言葉を付け足した。
「呪いは目に見えない。しかし、呪いのせいで目に見える部分が左右されている。
だから、目に見えない部分で解決ができないと、目に見える部分も解決できないんだ。」
そうソフィアに告げると、マックオートはまたハっとした。
もしかすると、自分の剣の呪いもそうなのかもしれない・・・
「具体的な解決策は分からない。ごめん」
気が付けば、アスカは自分の宿で寝ていた。外を見てみればすっかり真っ黒な夜である。
リリオット家から去り、リオネに謝りながら別れた。それで、何があったんだっけ?と、ぼやけた頭で今日の出来事を思い返す。
・・・あれは、従者に道を聞いてからのことだ。
*
「止まれ!おい!」
此方へと向かって突進してくる肉の巨体に、顔つきの鋭い清掃員達が鋼鉄製のモップを、数人係で幾度も叩きつける。
自らの体で快音を打ち鳴らしながらも、紛い物メイドは止まらず、一直線に清掃員の真横を通り過ぎる。
「なんだあれ、勢いとまんねぇぞ!」
「くそっ!追え!」
清掃員達はその後を追いかける。
「いてて、だよー」
片目を閉じてしかめっ面をしながら、同じくしかめっ面の女性を肩に背負ってるにもかかわらず、荷物なぞ持ってないかのようによどみなく階段を駆け下りる。
打ち付けられた上半身の筋肉が肥大し、メイド服のボタンがはち切れそうに震えていた。
「お姉さん、次はどっち、だよー?」
「・・・右ですが」
担がれている女性はため息をつき、諦めた顔で質問に応えた。
「もうそろそろかな、だよー」
「・・・そうですね、右に曲がって、突き当たりを通り抜けて、また右に行けば貴方の言う場所の・・・あ、助けて!・・・ちょうど真下ですね」
アスかは通り過ぎにまた叩きつけられる。
「慣れてきた、だよー」
「どんな体ですか・・・」
「あ、ところでお姉さん!美味しい酒とお菓子とお茶を置いてある店があるのですが、だよー」
「・・・はぁ!?」
そんな一幕と共に、目的地に到達した。
――僕の聴いた声は女性。外から聞こえたはずだけど皆は聞いてない。
ドアノブを握って捻る。
――窓から聞こえたんだ。声の発生源は真下の部屋の窓からかも。
「すみません!大丈夫ですか、だよー!」
扉を開けると、猫目の女性と目が合った。服を着替えているところだったのか衣装掛けを触っていた。
「ナンですか貴方ぁ?」
「ボクはアスカだよー。お姉さんは?」
「はぁん?」
「・・・ペルシャの猫目様です」
「だ、そうですよぉん」
正真正銘メイドの目が複雑そうな顔で猫目を見る。
猫目の女性は、意地悪そうに口を吊り上げた。
「ナンですかぁ?この騒ぎはぁ?」
アスカは思い出す。そして結論が出た、自分が聞いたのは確かにこの声だ。
「いやーご苦労ご苦労。助かったよウロ君」
執務室でにこやかに二人を出迎えたのはヒルダガルデの若き当主、マーロック・ヒルダガルデその人である。
「これでウチの鉱夫の働き扶持が賄えるよ。新しく坑道を掘るのは手間だし、最近は地盤もだいぶ脆くなってきてるからねえ。古い坑道がまだ生きてるなら使わない手は無いね。」
広げた羊皮紙をくるくると丸めながらマーロックは話し続ける。
「それにしても今回は随分と時間がかかったじゃないか、君にしては。いつも素晴らしい早さで掘り当てるのに。勘でも鈍ったかい?」
「・・・どこかの誰かが地図作りまで俺に押し付けたからな」
マーロックは大げさに肩をすくめてみせる。
「おいおい、坑内図くらい作るのが山師としての仕事だろう」
「・・・まあ、それはともかく、あの一帯は特に念入りに鉱脈が秘匿されていた。随分と狡猾で、疑い深い大地だ」
「狡猾で疑い深い・・・ねえ」
今度は胡散くさそうに首を傾げる。
「まあ、君のその言い回しもだいぶ慣れたね。最初は何を言ってるのかと思ったけど。実績は上がってるし。まあそういうものなんだろう。便利なもんだねえ」
放っておけばいつまでも喋っていそうなマーロックを遮り、ウロは本題を切り出す。
「で、報酬の件だが」
「ああ、代金と、あと『神霊』採掘団への紹介状だったか?今書き上げてしまうからちょっと待ってくれ」
「それももちろんだが。地図作り分の追加報酬があるだろう。まだ内容は決めていなかったはずだ。」
「まあ金額に色はつけてやるつもりだったけど。それじゃ不満かい?」
「まあ、途中で協力者を雇ってだな。彼女なんだが。・・・あー。なんて名前だったか」
さっき名乗ったじゃないか!内心毒づきながらえぬえむは名乗る。
「えぬえむ、といいます。早速で申し訳ないのですが、精霊の加工や精製、その技術に関しての情報が欲しいのですが」
「目の怪物というと、バジリスクですか?」思いつくままに、ライが問う。
「うむ。この世に目のある怪物は数多い。ドラゴン、ベヒモス、サイクロプス……しかしその中でも一等恐ろしいのがヘビの王、バジリスクじゃ。バジリスクは『死の魔眼』を持っており、見たもの全てを殺すという言い伝えがある」
「じゃあ、目〔オクルス〕ってのはバジリクスのことか?」
リソースガードの言葉に、ウォレスはゆっくりと首を振る。
「あるいはそうかもしれぬ。違うのかもしれぬ。本当のところは誰にも分からん。じゃが儂は、この場合の目〔オクルス〕とは、文字通り天窓〔オクルス〕だったと解釈するのが妥当だと考えておる」
言葉遊びだ、とライは思った。
「森そのものに『目』がついていて、それに真上から直視されたのなら。人は恐れ戦き、逃げ出そうとするのではないか? いかな強者とて狂気に陥り、身も心も壊されてしまうのではないか?」
ライは想像する。森の真上に現れた巨大な目を、天窓を。想像するのは得意だった。だが、今回はあまりに規模が巨大すぎて、想像が追いつかない。しかしそれでよかったのかもしれない。ライのまわりには、あまりのスケールの大きさに、天を仰いだり、手で目を覆い隠したりする人々がいた。
「ダウトフォレスト。その名前そのものが一匹の単眼の化物の名前なのではないかと、儂はときどきそう思う。それは恐ろしいことじゃ。畏怖せねばならぬことじゃ」
「汝、この世に生を受けたる者なれば。たとえ何があってもダウトフォレストには近づかぬことじゃ。どんなに報酬が高くても、死んでしまえば元も子もないからの」
ライは思う。ならばこの与太話を熱く語るこの紫色の物体は、いったいどこで生まれ、何を見てきたのだろうかと。そう考えると不意に可笑しくなって、ライはウォレスを見て笑った。
「綺麗に使ってるね。個人的にはもっと激しく使ってもらった方がデータが取れていいんだけど。」
白衣を着た男は、ダザの外された義足を見ながらそう言った。
ここは、ヘレン教の特殊施療院にある一室。この男はここに勤める精霊義肢技術者である。
ダザの義足はこの男に製作され、定期的に整備されていた。
「しかし、清掃美化機構には感謝しないとね。多額な寄進と、こんな良い実験体を提供してくれるとは。」
「・・・本人の目の間に実験体とか言わない方がいいですよ。先生。」
正式には癒者ではないが、ダザは先生と呼んでいた。
男はセブンハウスから多額な寄進と被験者の提供を受けることで、戦闘用義肢を開発し、被験者に与えているヘレン教の裏切り者であった。
特殊施療院は裏切り者による精霊義肢技術の流出対策として、特定の部屋でしか義肢知識を参照できないように技術者の記憶にロックをかけていた。
しかしながら、開発した義肢の流出対策は完全ではなく、男の裏切りを可能にしていた。
「詳しい原理は思い出せないけど、加熱性の精製精霊を使用し加速移動を実現してるのか。我ながらいい仕事をしてる。」
と、先生は笑いながら自分が製造した新しい義足をダザに装着した。
「しかし、神経系の作りはまだ甘い。最低限の神経しか構築できてない。神経路を細く出来れば複雑な動きも可能になるんだけど。」
先生は精霊義肢製作を趣味のようにしており、こうやって義肢性能についてブツブツ語ることが多かった。
「では、稼動チェックだ。動いてみてくれ。」
ダザは言われたとおり歩いたり走ったり跳んだりしてみた。
「通常稼動は問題ないね。次は加速移動だ。」
「了解です。」
ダザは義足に力を入れるような感覚で曲げ、その足で地面を蹴った。
次の瞬間ダザは10メートル程先に跳んでいた。
「問題なさそうですね。」
「耐久性、軽量性、機能性も前回より向上してるね。まぁ、僕のことだ。他にどんな機能入れているかは分からないけど。」
「前みたいに、蹴ったときに足首から先が飛んでいくのは勘弁してくださいね。」
先生は大きく笑った。
「しかし、これだけ動く義肢が作れるなら、機械人間みたいのも作れそうですよね。」
ダザはなんとなく思ったことを聞いてみた。すると、先生はニヤリと笑い語り始めた。
「機械人間。異国ではロボットとか言うらしいけど、それに最も必要なものは何かわかる?」
「?」
「脳だよ。いかなる強靭な体や力を持っていたとしても行動を考えることが出来なければ意味がない。
特殊施療院の技術者の中には機械人形にヘレンの精神を入れて復活させると意気込んでる奴がいるけど
僕に言わしてもらえばそんなのは邪道だ。僕達はヘレンを造ることを目的にしているのではなく
ヘレンに近づくために義肢開発をしているんだ。義肢ならばひ弱な僕でもヘレンに近づけるからね。」
「・・・それで、自分の両腕と両足を切り落としたんですか?」
「その通りだよ。ダザ君」
先生は再びニヤリと笑う。服の隙間から義肢がチラチラ見えた。
ある伝承で、旅の途中のヘレンは苦難に喘ぐ人々のために、悪漢共、悪魔達、悪しき神すらを打ち倒したと言われている。
故に、弱者の保護もヘレン教の行うところとなった。
彼女の強さこそは、間違いのないこの世の真理だ。だから強き彼女が行ったと伝えられるものは、私達の正義になるのだ。
※
昼間を過ぎれば子守の時間だ。お話を聞かせたり、体を動かさせたり、私はきっとこの時間が一番幸せだ。
……たとえばよく幼い子供達に、「どうして黒髪の人と、シスター達は友達になれないの?」と聞かれる。
子供達は私達シスターやヘレン教の人物が、黒髪の人々を拒むのを何度も見ている。
それを単に不思議そうにしているだけの幼い子供もいれば、反発を覚えている子供も何人かいた。
「……じゃあ黒髪とヘレンにまつわる御伽噺をしてあげよう。うん、新入りの子も増えたし、
最近はあぶないことが多くて、みんなあまりお外に出してもらえずにつまらないだろうからね、私も頑張って話すから。」
ヘレンの伝承は多岐に渡る。私が聞かせるのはその中のひとつひとつ。
ヘレンの影のようにそっくりで、言葉で人を騙すことに誰より長けていた「夜露のディオナ」。
彼女の傍につきそいながらも、後に敵に回った「裏切り者〔ヘリオット〕」。
異界から訪れたという、全ての破壊を成し遂げようとする「第六世界の魔王」。そして黒髪の悪達と果敢に戦うヘレンの物語。
気がつけば、周りの子供達は話を目を輝かせて聞いている。
まだ意味をよくわかっていないような歳の子も聞き惚れるようだ。そんな時、私はとびきり嬉しい。
人前で物語をするときは内容と同じく語り手の雰囲気が重要だ。スピーチと一緒だ。
身振り手振りを交えながら、声の調子を変えながら、場を紡ぎだしていく。
ヘレン教は真理を織り交ぜた寓話を、デフォルメした概念を、物語をずっと語り続けてきた。
そうやってヘレンを皆に覚えてもらいつつ、心の傷を癒してきたのだ。故にこのような才能も訓練、育成されている。
それから子供達も話がヘレンの勝利に終わった後に、彼女が人々を守るために戦った相手が『卑劣な黒髪の悪魔』なのなら、
私達が黒髪人種を嫌うのも仕方が無いのかな、と、その時は彼らはなんとなく納得してくれるのだ。
……彼らが大きくなった時に資料を調べてしまえば、真実というのはわかってしまう。
その時に、彼らは私達に対して幻滅してしまうだろうか。そうだとしても、私はまだこの子達に『迫害』の物語をしたくはない。
私は愚かだろうか。
鉱夫たちの休憩所で、ガタついた扉が音高く開いた。
そこに立っていたのは鉱夫の一員ではなく、少しばかり髪を乱したリューシャだった。
何人かの鉱夫が見慣れない顔に怪訝な表情をするのに構わず、リューシャは平然と休憩所に踏み込んでいく。
「誰だいアンタ。ここは鉱夫の休憩所だ、部外者は遠慮してくれんかね」
「わたしはリューシャ。鉱夫長はどなたですか」
「……俺だが」
リューシャが問うと、壮健そうな中年の男が一人、声を上げた。
「なんだねアンタは。新しい査察官かい? 査察なら作業場へ行ってもらいたいね」
「鉱夫長。単刀直入に言いますが、『泥水』へご同行願います。大至急」
「……『泥水』へ?査察官に業務時間中の飲酒をすすめられるとは思わなかったな」
周囲の男たちが、鉱夫長の冗句に笑いを立てる。
それに軽く片眉を上げて、リューシャはかんかん、とヒールを鳴らした。
「大至急、と言いました。
……『泥水』のご主人が現在リット・プラーク第三精霊発掘顧問とかいう女に暴行を伴う尋問を受けています。
『泥水』には顧問の女と、公騎士が四人。
わたしは部外者ということで放り出されましたが、入れ違いになった少年に鉱夫長を呼んでくれと頼まれました。
まあ、みなさんが『泥水』のご主人を見捨てるおつもりなら、わたしはそれでも構いませんが」
淡々とした言葉が積み重なるにつれ、周囲の男たちから笑いが引いていく。
絶句した鉱夫長に、リューシャは肩をすくめた。
「どうします」
「馬鹿野郎!どうしてそれを早く言わねえんだ!!」
鉱夫長ははじかれたように立ち上がって怒鳴った。
ほとんど罵声に近い勢いで近くの鉱夫にいくつか指示を飛ばすと、リューシャを突き飛ばすようにして休憩所を走って出ていく。
「おっと」
たたらを踏んだリューシャも、すぐにそれを追って踵を返した。
あっという間に追いついてきたリューシャに気づくと、鉱夫長が声を荒げる。
「査察官がなんの用だ!」
「まず誤解を解いておこうと思いますけど、わたしは査察官ではありません」
「じゃあどうしてついてくる!伝言なら受け取った、もう用はないぞ。部外者は引っ込んでろ!!」
苛立たしげに叫ぶ鉱夫長に、リューシャはしれっとした顔で嘯いた。
「顧問の女に刀を没収されました。あれを取り返さないと」
実際は自分から手渡したのだが、そんなことをわざわざ言う必要はない。
この際だ、不都合や多少の無理はプラークにおっかぶせてしまえば、どうせ彼らはあの女や公騎士の言い分など聞くまい。
「……巻き込まれても知らんぞ!!」
「ええ。わたしのことは、どうぞお気になさらず」
吐き捨てた鉱夫長に応えて、リューシャは何食わぬ顔で『泥水』への道を駆けていった。
「えぬえむ、といいます。早速で申し訳ないのですが、精霊の加工や精製、その技術に関しての情報が欲しいのですが」
「ほほー、早速だねぇ。とはいえ、私は一介の商人だからそういうのには疎くてね…。
だが、そういうのに詳しい知り合いならいる。そちらに紹介状を一筆書いてあげよう」
「ありがとうございます」
ぺこりとおじぎをする。
マーロックは羽ペンをとり、紹介状を書きながらも尋ねる。
「それにしても君のような女の子が何故マッピングの手伝いを?」
「それなんですが…」
ウロの方にちょっと恨みがましい視線を向ける。
当の本人は素知らぬ顔である。
「別件で廃坑の調査を依頼されまして、そこでウロさんと出会いまして。で、なし崩し的に…」
「廃坑の調査? 私の他にも調査を依頼するものがいたのか?」
「いえ、なんか幽霊が出たとか何とか。多分ウロさんの影を見たのかも知れませんね。
マッピング中には他に怪しいものもありませんでしたし」
そう言ってえぬえむは肩をすくめる。
「まぁどうせ今は廃坑ですし、幽霊騒ぎの一つや二つならむしろ好都合」
「そういうものなんです?」
「他に怪しいものもなかったのでしょう?」
「そうね。私が見た限りではウロさん以外の人は見なかったわね…」
「そうと決まれば善は急げだ。手取りを決めて鉱夫を送らねば…っと」
マーロックが羽ペンを置く。羊皮紙に蝋で封をしていく。
「ウロ君、これが『神霊』採掘団への紹介状と、こっちの袋が代金だ。でこっちがお嬢さんの紹介状、と住居までの地図」
それぞれ報酬を受け取る。
紹介状を受け取るときに、マーロックから耳打ちを受ける
「…このベトスコ老は今はエフェクティヴに所属している。君のようなお嬢さんが行くには危険なところだぞ」
「それでも、やらねばならないときはやらなければなりませんし」
「若いのに肝が座ってるねぇ」
まぁいろいろあったのですよ、と返す。
すでに踵を返しているウロの後を追ってえぬえむもヒルダガルデ邸を後にした。
「…エフェクティヴか…アイツのクエストに情報とかあるかしら。
リソースガードに報告したら確認がてら一旦宿に戻って疲れを癒しましょ」