[0-773]
HP62/知3/技5
・牽制行動/3/3/1
・過心機動/1/36/5
・左腕駆動/30/0/12 封印 防御無視
定義
致命的な一撃:相手の攻撃力が私の現在HP以上なら、それを【致命的な一撃】であると判断します。
回避可能:相手の攻撃力が私の現在HP+36未満かつ、相手の残りウェイトが8以下なら、私はそのスキルを【回避可能】であると判断します。
1:相手の知性が3以下なら、「左腕駆動」で動きを封じます。
2:相手が何も構えていないなら、とりあえず「牽制行動」をします。
3:相手が回復しようとしているなら、隙と見て「左腕駆動」です。
4:相手が防御無視なら、仕方ありません。相討ち覚悟で「左腕駆動」です。
5:相手の残りウェイトが12以上なら、ええ、やっぱり「左腕駆動」です。
6:相手が【致命的な一撃】を放とうとしていて、それが【回避可能】なら、「過心機動」で対処します。
7:相手が【致命的な一撃】を放とうとしているなら、「牽制行動」をとりつつ、対応方法を考えます。
8:それ以外の場合は「左腕駆動」です。
ライフプラン:
0:生き続ける。
0-1:余裕があるなら、精霊結晶を備蓄する。
0-2:十分な収入が期待できるなら、お金を稼ぐ。
0-3:無益な争いは、出来るだけ避ける。
0-4:不意に危険が迫ったら、ひとまず精霊心臓の過剰駆動で対応。
0-5:それ以外のことは、心ある人たちの考えに従っていれば大丈夫でしょう。きっと。
女。
リソースガードの一般傭兵。
6年前の大爆発事故に巻き込まれた子供たちのうちの一人。現在19歳。
事故の際に心臓を含めた内臓系の多くを損傷し、ヘレン教の特殊施療院にて精霊を利用した人工臓器を埋め込まれた。
同じ境遇の患者は他にも数名居たが、精霊心臓の駆動に成功したのは彼女のみ。
定期的に精霊を摂取しないと心臓が止まってしまうため、何かと金銭を稼ぎやすいリソースガードに所属。
事故のトラウマと人工臓器へのコンプレックスとで「自分には心が無い」と思い込んだまま、日々の金策に勤しんでいる。
tokuna
ツイッター tokunagi
中年男性のくぐもったうめき声が、暗い路地裏に響きました。
細く長い、野生動物のような断末魔の叫びです。
声に驚いたのか、酒場の裏口で丸まっていた野良猫が跳ねるように駆けていきます。
ああ、安眠を妨げるなんて、申し訳ないことをしてしまいました。ごめんなさい。
心の中で猫に形式的な謝罪をしつつ、私は中年男性の背に深々と刺さったナイフを抜きました。
「ごめんなさい」
今度はしっかり声に出して謝ってから蹴倒すと、中年男性――ええと、名前が思い出せません――は無抵抗に倒れてそのまま動かなくなりました。これできょうのクエストは終了です。
私はポーチから小さな精霊結晶をひとつ取り出して、口に放り込みます。
いつもながら、結晶は何の味もしません。
物流ギルド「ソウルスミス」は、傘下の傭兵部隊を支援するシステムとして、各地の支部にクエスト仲介所を設けています。どぶさらいから人さらいまで、自分の能力に見合った仕事を自由に受けられるこの制度は、一芸特化の多い傭兵界隈では大変に評判がよく、クエスト報酬だけで生活している方も少なくありません。私も、そんな傭兵の一人です。
「や、いつも仕事が早くて助かるよ」
翌朝。仲介所で依頼の完了を告げると、報酬と一緒にそんな言葉を投げられました。
「いえ、十分な見返りは頂いていますから……あ、すみません。報酬の銀貨、一枚分だけ銅貨に両替していただけませんか」
「ん? ああ、コイン女か」
仲介所の方が、私の後方に目をやります。目線の先は、テーブルの上に硬貨の塔を築いている不思議な髪型の女性でしょう。
あの方はいつもあの席に座って、誰かを治療するか硬貨を積み上げるかしています。
何かの修行なのかもしれませんが、私にはその真意は解りません。
「ええ、傷を治療してもらったんですが、ちょうど銅貨の持ち合わせが無くて」
「あいつは銀貨でも受け取ってくれるよ」
それは私の生活プランに反します。
「まあいいけどね。あ、両替の手数料代わりと言っちゃなんだけど、また受けてほしいクエストが来てる」
「はあ。どんな内容ですか」
「んー、調査依頼だね。『救済計画』って聞いたことある?」
「ありません」
「だよね。こっちにも名称しか入ってきてないんだけど、ヘレン教の一部でそういう計画が動いてるって噂があるから調べてくれ、だそうだ。期限は一か月、調査方法は自由。証拠のねつ造も、自由」
「……つまり、いつもの仮想敵政策の一環ということですか」
「まあ、ヘレン教の3年目だからね。セブンハウスも切り替え前に一応の実績が欲しいんだろう。連続で汚れ仕事になっちゃうけど」
「いえ、構いませんよ」
軽く目をそらして、答えます。
「私には、心がありませんから」
「じゃあ詳細はこれに書いてあるから。一応、覚えたら燃やしちゃって」
「はい、解りました。ありがとうございます」
私は仲介所の方にお礼を言って、報酬と新しい依頼書を受け取りました。
『救済計画』。響きからすると特に悪いたくらみとは思えませんが、仲介所の方がわざわざ私を選んで依頼するということは、きっと何か裏があるんでしょうね……。
まあ幸い、期間は十分にあります。ゆっくり調べていきましょう。
巻物状にして封印のされた依頼書をズボンのポケットにしまいながら、私は待合テーブルで塔を建造中のコインオンナさんのところに向かいます。
「お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。先ほどのお礼です」
銅貨を差し出すと、彼女は「ありがとう」と笑ってその銅貨を硬貨の塔に重ねました。
この重ねられた硬貨は、そのまま彼女が他人を治療した回数なのだと聞いたことがあります。積みあげられた硬貨の高さがそのまま彼女の心優しさを表しているようで、心ない私としては気後れせざるを得ません。が、それはそれとして、優しそうな方には頼っておきましょう。
「ところでコインオンナさん」
「……? アタシ、ごほっ、私ですか? 何でしょう?」
「『救済計画』という言葉を聞いたことはありませんか」
「……ありませんが」
思いのほか素っ気ない返事です。
「そうですか……では、もしどこかでその言葉を聞いたら教えてください。私も、二日に一度はここに来ますから」
ゆっくり首を傾げるように動かれたのは、否定の意味でしょうか。まあ、報酬はあまり出せませんし無理強いも出来ません。
私は彼女にもう一度だけ治療のお礼を言って、仲介所を出ました。
その足で近くのソウルスミス加盟店に行き、報酬の七割ほどを使って中級精霊結晶をいくつか購入します。
私は内臓機能の多くを精霊駆動の人工臓器に頼っているので、一般的な食事の代わりに精霊結晶を摂取しないといけません。そのこと自体に不満は無いのですが、日々の食費だけでけっこうなお金が必要になるので、少し大変です。
さて。買い物も済んだことですし、まずは寮に戻ってクエスト依頼書を読んでしまいましょう。
そう思い、ポケットにしまった依頼書を確かめます。いえ、確かめようとしました。
けれど、ポケットは空でした。というかいつの間にやらポケットの底が破れてしまっています。
あら?
急いで他のポケットやポーチの中まで探しましたが、依頼書は見つかりません。
認めたくないことですが、どうやらどこかに落としてしまったようです。
「……」
仲介所で落としたのならまだいいですが、もし物乞いの方などに拾われていたら、少し厄介なことになるかもしれません。
ああ、どうしましょう。
歴史ある組織の常でしょうか。
ヘレン教も、決して一枚岩ではありません。
それは実働部隊インカネーションを有する、一般に言うところの「ヘレン教」の内部にも様々な派閥があるという意味でもありますし、そうした「ヘレン教」とは袂を分かつ分派が存在する、という意味でもあります。
同じ弱者救済を掲げてはいても、貧困にあえぐ民の保護をうたうのではなく。
学の無い子らに教育を施すことで、そもそも弱者が生まれない世界を目指すヘレン教や。
力無き者、肉体を欠損した者に、自らの力で生き抜く術を与えることこそが、本当の意味での救済なのだと信じるヘレン教もまた、存在するということです。
彼らは武装組織の代わりに、契約と実益でもってその身を守っています。
セブンハウスに条件付きで公認された学術院や、ソウルスミスと協定を結ぶ特殊施療院は、正統な「ヘレン教」からの異端視と引き換えに、迫害されない立場を手に入れたのです。
とはいえ彼らもヘレン教。その教理は解釈の違いこそあれ、根本的な部分は共通しています。
「それが、黒髪人種の拒絶です」
私の説明を解っているのかいないのか、黒髪の男性は数度頷きました。
「知的な話し方だ。それに声も素敵だ」
どうやら解ってもらえなかったようです。
「いや解ったよ。そういう背景があったんだな」
「ええ。中央は、学術院に通っていた方が多いですから。いわゆる「ヘレン教」をよく思っていなくても、黒髪を好意的に見ることも出来ないんです」
他にも「暴走したヘレン教信者の黒髪殺しに巻き込まれたくない」という即物的な理由もあるのですが(クエストの受注制限はむしろこちらの理由が強いです)、それはまあ、言わなくてもいいでしょう。というか、言うまでもないでしょう。
「ああ、うん、それは解ったんだが、なんでそれを俺に教えてくれるんだ? 愛?」
愛って、なんなんでしょうね。
「ですから、あなたが周囲の人から避けられていたのは、おかしくないということです」
「・・・ああ、うん。ありがとう?」
「……すみません、説明が回りくどいとよく言われます。話を進めましょう。おそらく、あなたが謎の女性、たぶんヘレン教の方なんでしょうが、その女性に襲われた。そこまでは何もおかしくないと思います」
「いや、十分おかしいが」
「おかしいですけれど、おかしくないんです。あなたはその女性から逃げて、私の依頼書を拾った。そうですね」
「ん? そうだよ」
「そのまま半狂乱でこのクエスト仲介所に戻り、周囲の人、いえ、私に、切り裂かれそうになった。そうですね?」
「そうだってば。さっきも言っただろ」
「そして、最終的にはその依頼書を、私に返してくださった、と」
黒髪の男性がこっくりと頷くのを見て、私は、天を仰ぎました。
考えうる限り最悪の展開です。まだ物乞いの方に売られていた方がよかったかもしれません。いえ、それでも、私が仲介所に戻ってきたタイミングでこの黒髪の男性と出会えたのは、「どうしたんだ? 忘れものか?」などと声をかけていただけたのは、最悪中の幸いだと、そう言わなければならないのでしょうか。
「ああ、解った。依頼書が破れてたとかそういうことだな。知らないよ、俺は拾っただけだ」
「いえ、そういうことでもなくてですね……」
私は何を言うべきかしばし考え、まずは解りやすくシンプルに結論だけを言うことにしました。
「あなたが私の依頼書を渡した相手は、私ではないんです」
「俺が依頼書を返したのが、君じゃない? 何を言ってるんだい、お嬢さん」
黒髪の男性がわざとらしいぐらいに気取った態度で、そう尋ねました。
「私も、何が起きたのかは全然解っていないのですが」
でも、妙なことや、そこから予想できることはいくつかあります。
そうですね、この男性がクエスト仲介所に入ったところから考えてみましょうか。
「まず第一に、私は、あなたがクエスト仲介所から出ようとしていたところで初めてあなたを見ました」
「は?」
「私は、依頼書を返していただくどころか、あなたに対して戦闘態勢をとった覚えすらないんです」
男性が、私をぽかんとした顔で見ています。
「そもそもあなたが言う『切り裂きにかかりそう』というところからおかしいんです。私は基本的に、急に誰かに襲われた時は、回避行動をとります」
相手の戦闘力を奪う方が避けるよりも簡単そうならその限りではありませんが、その場合でも使うのは左腕だけです。格闘姿勢をとったり、ましてや人を『切り裂きにかか』れるようなナイフの類を構えることはありません。
「いや、そんなことを言われても」
たしかに、私の癖を説明しても仕方がありませんでした。
「問い詰めるようになってしまってごめんなさい。あなたを疑っているわけではないんです」
彼の言っていることが事実らしいのは、既に受付の名物姉妹の妹さんから確かめてあります。
この男性は、確かに、「私」に依頼書らしきものを渡していた、と。
「では、ええと、受付さんの反応が、妙だとは思いませんでしたか」
「・・・いや、別に」
疲労と困惑が見て取れます。申し訳ないとは思うのですが、私も必死です。
「この、身元も確かでない傭兵たち相手に、今までいくつものクエストを仲介してきた受付さんが、精神が弱くてはとても勤まらないであろう受付さんが、簡単に失神してしまったのを見ても。何も思わなかったんですか?」
「いやそれは、あのときは君の美しさに目を奪われていて、気付かなかったんだよ」
ぶれませんね。尊敬します。
「……いいですか、いつもの受付さんなら、そんなことは起こらないはずなんです」
名物姉妹のお姉さんは、まだ目を覚ましていません。確かにこの男性は奇妙ですが、だからといってそこまで動揺するとは、いくらなんでも考えられません。
「もしかしたら、受付さんは、誰かから思考を幻惑、≪混乱≫させられていたのではないでしょうか」
そのような、人の思考や認識を阻害する技を受けた人の話は、よく噂で聞くことがあります。
混乱状態にある方は、正常な判断能力を失ってしまうそうです。
場合によっては、何も出来なくなって、意識すら失うこともあるのだと。
「そして、あなたも」
たとえば、私と同じ格好、同じ髪型をした人間が、周囲を≪混乱≫させるような技を用いていれば。
周囲に居た仲介所の方々が、その人物を私と誤認しても、何もおかしなことはありません。
そしてこの方は、そもそも私のことを知らないのです。
私の言葉を聞いた男性は、軽く眉を寄せ、黙ったまま少しうつむきました。
何かを考えているようでしたが、私は続けます。
「これは、誰かが私を陥れ、何かをしようとしているのではないでしょうか」
私の言葉は仲介所の喧騒に飲まれ、周囲には響きませんでした。
会話中に突然意識を失って倒れた黒髪の男性を、私はクエスト仲介所から運び出しました。あまり注目を浴びるのは避けたいところでしたし、それに話をうかがう限り、この方、受付や他の傭兵の方々が見ていた偽物の「私」とは、また違う「私」を見ていたらしいのです。
ほとんど何も解らないこの状況で、その情報はとても重要な手がかりになります。そんな人を、ソウルスミス直轄の仲介所に捨て置くわけにもいきません。
……そう、私は実のところ、リソースガードとその雇い主のソウルスミスをも少し怪しく思っています。
偽物が男性を待ち伏せた上で人々を≪混乱≫させて依頼書を奪ったのではないか、という推測を立てはしましたが、実はこの推測には致命的な欠点があるのです。
すなわち、「なぜ彼が依頼書を拾ってクエスト仲介所まで行くと解ったのか」。
そして「解っていたならなぜ、先にその依頼書を奪ってしまわなかったのか」。
いえ、それ以前に「なぜ私が依頼書を落とすことが解っていたのか」。
仮に、誰かが私のポケットの底を刃物で切ったとしましょう。そんなことができるなら、なぜその方はそのとき、私の依頼書を盗んでしまわなかったのでしょうか。何らかの理由で、誰かが拾った依頼書を私のふりをして取り返す必要があったのだとすれば、どうやってその方は、依頼書を拾った彼を、クエスト仲介所で待ち伏せたのでしょうか。
この男性は、依頼書を拾ってから仲介所まで全速力で走った、というようなことを言っていましたから、待ち伏せをするには、とてつもない健脚か、予知能力のような力が必要になってしまいます。
≪混乱≫のような特殊技術を使える人でしたら予知やテレポートも使えるかもしれませんが、それならまだ「偶然、私に似た少女が、偶然、私と同じく依頼書を紛失していて、偶然、それを取り返しただけで、私の依頼書はまだどこかに落ちている」という方が可能性が高いように思えます。でも、前提条件を一つ変えれば、誰かが拾った依頼書を取り返すだけなら、それほど難しくは無いのです。
たとえば、犯人が個人ではなく、複数犯だったなら。
それも、二人や三人ではなく、何らかの組織だったなら。
依頼書がどこにどのタイミングで運ばれても対応できるように人材を配置しておく、それだけの予算と人材さえあったなら、待ち伏せは十分に実現可能です。
この街には、そうしたことを実行可能な組織がいくつか存在しています。
そのうちの一つが、ソウルスミスというわけです。
「完全に熟睡していますね……」
眠っていることを確かめてから、一応、彼がまだ依頼書を隠し持っていたりしないか、持ち物を勝手に調べてみましたが、やっぱり特に怪しいものは見当たりません。
私は手を挙げて、メイン・ストリートを走っていた馬要らずの馬車を止めました。
私の知る範囲で、大きな組織の息がかかっていない場所と言えば……
「……すみません、採掘所近くの『泥水』までお願いします」
代金は、申し訳ないのですが、この男性の報酬から出していただくことにしましょう。
運のいいことに、酒場『泥水』に入ってすぐ、オシロさんを見つけることが出来ました。
オシロさんは、以前ちょっとしたクエストの最中に知り合った、精霊精製技術者の少年です。いつも格安で質のいい精霊を譲ってくださる大変に親切な方で、色々な面でよくしていただいています。
こちらに気付いたオシロさんに、私は早速頭を下げて言います。
「ああ、オシロさん。夜分に申し訳ないのですが、他に頼れるところもなくて……」
意識の無い黒髪の男性を休ませようと考えたとき、真っ先に思い出したのは、オシロさんと出会ったこの酒場のことでした。その当時は素性も解らなかった私を追手から匿ってくださった、オシロさん達なら、今回もこの男性を匿ってくれるかもしれないと思ったのです。
断られたらまた別の場所を探さなければいけないところでしたが、幸い、オシロさんと彼の師であるベトスコさんは首を縦に振ってくださいました。
「ありがとうございます。私はもう少しやることがあるのですが、今夜中には必ずもう一度訪ねますので。よろしくお願いします」
「ああ待って、レストさん!」
酒場を辞去しようとした私をオシロさんが呼び止めます。
何事かと思い振り返ると、彼は余りものだと言って、明らかに中級以上の精製度に見える精霊結晶を私のポーチに入れました。しかも、なんと無料同然で、です。
まだ使えるお金は残してあったので少しでもお礼を支払おうと思ったのですが、その申し出も上手く流されてしまいました。
……ううん。人は独りでは生きていけませんから、他人を頼りにするのは基本的に良いことだと思っていますが、ここまで一方的に親切にされるばかりだと、さすがに悪い気がしてきます。きょうはコインオンナさんを始め色々な方に頼みごとをしてしまったので、尚更です。
心は無くても多少の良識は持ち合わせているつもりです。
私は自分の振る舞いを思い返し、ついつい、苦い笑みを浮かべてしまいます。
酒場を出てからも、その笑みはなかなか消えませんでした。
そのせいで、気付くのが遅れました。
「お前、リソースガードだな」
酒場を出て、二百歩も歩かないうちに。首筋に冷たく危険な感触と、言葉。
「違います」
即答。くるりと身体を回して、同時に精霊心臓を、過剰駆動。
「なっ」
動けずに居る相手に足払い。倒れ行く相手の姿を確認。
ナイフを持った男、戦いには慣れていない雰囲気。それならば。
私は、心臓を通常駆動に戻して、左腕を構えました。
***
さて、思わぬ収穫があったので予定変更です。
当初の目的はあしたに回して、ひとまず酒場『泥水』へと戻ることにしました。
「すみません、命までは奪いませんけれど、代わりにこれを頂いていきますね」
下着姿で倒れている襲撃者の方にそう声をかけ、私はその場を後にします。
どうもお酒に酔っただけの不良さんのようですから、報復などは気にしなくてもいいでしょう。
「あまり上等な服ではありませんけれど……あの泥まみれの服よりは、マシですよね。たぶん」
襲撃者の方から頂いた服を両手に抱いて、私は歩いてきた道を戻ります。
誰かから親切にされた人が、他の誰かに親切な行いする。
ええ、それはとても良いことです。お金がかからなければ、更に。
私は満足の笑みを浮かべて、再び『泥水』の扉を開きました。
六年前。私がまだ、自分にも心があるのだと思っていた頃。
私には、一人の親友がいました。
彼女は底抜けに明るく、よく笑う人でした。
辛いときでも、楽しいときでも、悲しいときでも、同じように笑う人でした。
けれど時折、何の前触れも無く他人を遠ざけようとすることがありました。
そんなとき、彼女は必ず戒めのように、あるいは自嘲のように、その左腕を見つめて呟くのです。
「あたしのこの義手は、誰かと仲良く手を繋ぐためにあるんじゃあないんだ。他人から奪って奪って奪って奪って――」
すべてを得るためにあるんだよ、と。
普段の私ならまだ眠っている時間帯でしたが、商人さんたちにとってはもう活動時間のようです。メイン・ストリートでは、まだ薄暗い中、多くの人たちが慌ただしく行き交っていました。
私は自分の左腕をぼんやりと眺めながら、この時間帯に独特な喧騒の中を歩きます。
考えるのは、先ほどまでの出来事です。
ダザさん、夢路さん、マックさん、オシロさん。
ものの流れで四人もの方が、私の個人的な事情である『偽物探し』を手伝ってくれることになりました。オシロさん以外の方とはほぼ初対面なうえ、報酬もほとんど出せないにもかかわらず、です。
嬉しいことです。ありがたいことです。それは間違いありません。
けれど私は、彼らの判断が不思議でなりませんでした。
どんな危険があるかも、どれだけ時間がかかるかも解らないクエストを、あんなに簡単に引き受けてくださるなんて。それが、人の心というものなのでしょうか。
彼らの善意には何か裏があるのではないか、などと疑ってしまうのは、私に心が無いからなのでしょうか。
あの精霊を帯びた巨大パンジーのことも気になります。ビオランテ・トコヤミさん、でしたか。自ら意志を持って動き、会話の出来る精霊なんて、そんなものがあり得るのでしょうか。うやむやにされてしまいましたが、オシロさんと夢路さんは、あの精霊植物について何か御存じのようでした。いえ、そもそもあの植物はオシロさんが精製したのだと、そんなような話も聞いた気がします。
ただの精霊精製技術者に、そんなことが出来るのでしょうか。
「……ダメですね、これでは」
私は小さくため息をつきました。
疲労のせいか、どうも疑心暗鬼になっているようです。
このように判断力の低下した状態で活動しても、経験上ろくなことになりません。
今は休んで、疲れを癒すべきでしょう。
本格的な調査はそれからです。
「起きたら、まずは特殊施療院に行かなくてはいけませんね」
私は目の前に掲げた左手を強く握りしめました。
駆動していない今、それはただの義手にしか見えませんでした。
大戦後の大復興を端緒に、この都市で急速な発展を遂げた精霊義肢技術。
それを支えてきたのが、豊富な精霊を産出し続ける霊鉱レディオコーストと、ヘレン教の異端精霊師らが構築した特殊施療院というシステムです。
詳しいことまでは知りませんが、特殊施療院の歴史は大戦中まで遡れるほど長いのだそうで。
非人道的な制度と秘匿性が災いして、後年に発足した義肢会とは不仲だとも聞きますが、この街で義手について調べるのなら、まずは特殊施療院しかないでしょう。
そう考えた私は、目覚めてすぐに特殊施療院に足を運びました。
「ふん、鉄の腕に刃の指、か。鉄。鉄って、あの鉄か? このご時世に? 新しいな」
「御存じありませんか」
内臓機能をチェックしていただきながら、マックさんが言っていた「私の偽物」の特徴を伝えると、先生はつまらなそうに笑いました。
「ま、私も過去の被験者全てを覚えているわけではないが。その義手は、少なくともここで造られたものでは無いだろうな。基本的な設計思想に反している」
基本的な設計思想とは、いったいなんでしょうか。
「きみ、この特殊施療院が、一応はヘレン教を信奉する組織だってことを忘れてないか。義肢も人工臓器も、我々が戦乙女ヘレンに近付くための手段に過ぎないんだ。……ま、表向きはな。だから、そんな奇抜なだけの、汎用性の低そうな義手は作れない」
「そうなんですか」
「ああ。出来てせいぜい、爪状の刃物を手首に格納できる義手、ぐらいだろうな」
あまり、違いが解りませんが。専門家の先生がおっしゃることなら、きっと正しいのでしょう。
「では、どなたかそういった義手を造りそうな方に心当たりは」
「義肢会にならそういう奴も居るかもしれないが、あまり交流が無いからな」
残念ながら、空振りだったようです。困りました。
あとは、地道に聞き込みをしていくしかないのでしょうか。
「力になれず済まない。……よし、チェック終了。問題無しだ」
「ありがとうございます。あ、これ、今回の代金です」
「代金じゃなくて寄進、な。ありがたく頂戴しよう」
先生が、受け取った袋を乱暴に机へ放り、風圧で置いてあった紙が床に落ちました。
少しもありがたそうではありませんが、まあいつものことです。
「では、私はこれで」
立ち上がって、落ちた紙を机に戻そうとしたところで、その紙に書いてあった文字が目に留まります。
「精霊ギ肢、装具士?」
「ああ、それか。前の被験者が置いていったんだ。なんでもそのチラシの主、腕と足が三本以上生えていたそうだよ。まったく新しい」
「……先生、このチラシ、いただいてもよろしいでしょうか」
「構わないが。なんだ、新しい腕でも欲しくなったか」
「いえ、ちょっと、この方にも鉄腕の人のことを聞いてみようかと」
先生は、ふたつうなずいて、肩をすくめました。
……どういう意味のジェスチャーでしょうか?
精霊ギ肢装具士のリオネさんによる、精霊義肢についての簡単な講釈が終わりました。
薄暗い宿屋の一室で、私は両手を合わせて感心の息をつきます。
「なるほど……」
「精霊繊維」。そんなものがあるとは、まったく知りませんでした。
精霊は本当に色々な形で利用できるんですね。
とても為になりました。今後この知識を使う機会があるかは解りませんが。
「……で、私の言いたいことは察してもらえたかしら」
「ええ、なんとなく。鉄の腕に刃の指では、確かに精霊繊維は使われてなさそうですね」
リオネさんは、ふう、と小さなため息をつきました。
「そういうこと。ああ当然、注文さえあれば大抵のギ肢は作れるわよ?
幸い、今までにそんな技術も工夫も無い代物を注文されたことは無いけど」
「やっぱり、そうですか」
私の偽物探しはどうやらまた空振りのようです。
彼女に会うまでにも少し苦労があったので、残念さもひとしおです。
とはいえ知らないものは仕方ありません。また次の手がかりを探しましょう。
私はリオネさんにお礼を言って立ち上がりました。
「ちょっと待って。私もあなたに聞きたいことがあるの」
「はあ、なんでしょうか」
さんざん無料でお話をうかがってしまったので、無下に断ることもできません。
再び椅子に座った私を、精霊ギ肢装具士リオネさんが、じっと睨むように見つめます。
「端的に聞くわ。――その左腕は何?」
「何、と言われましても……」
質問の意図が見えません。
義手の仕組みを聞かれても、精霊繊維すら今まで知らなかった私には答えられないのですが。
困る私を半ば無視するように、リオネさんは続けます。
「素材は義手によく使われる普通の金属ね。この地域ではあまり見ない形式だけど、まあそれもいいわ。ただ……そうね、ちょっと駆動させてみてくれる?」
言葉とともに、手近な植木鉢を渡されました。
少し戸惑いましたが、特に隠しているものでもありません。
私は唯々諾々と植木の茎を軽く握って、左腕を駆動させます。
精霊では無いので吸収効率は悪いのですが、それでも植木は数秒で枯れ果ててしまいました。
なんだか、この前の巨大パンジーを思い出します。
「これは……」
リオネさんの方を見ると、目を見開いて口に本物の方の手を当てていました。
今までも驚かれることはありましたが、ここまでの反応は初めてです。
「……このサイズで、この機構……の供給無しで、周囲の精霊を……精霊駆動?
……そんな……違う、そもそも……じゃない……駆動の、たとえば、準備動作……
……準備? ……今のが?」
リオネさんは私の左腕を鈍色の手でつかんで舐めるように観察しながら、何事かを考えているようです。
ええと、私は待っていればいいのでしょうか。
「……あなた、レストさん、だったかしら。このギ肢は、一体どこで?」
ふっと顔を上げたリオネさんが私に尋ねました。
ああ、それなら答えられます。
「この左腕は、親友の形見なんです」
私はリオネさんに、自分の知る限りを話すことにしました。
「六年前の大爆発事故、と言ったら分かりますか?
私と彼女は、その事故の被害者でした」
言葉を発すると自然、忘れていた出来事が次々と思い出されます。
崖で足を踏み外した彼女の姿。
とっさに手を伸ばし、落ちていく彼女の硬い左手をつかんだ感触。
閃光と爆音に、身体と意識が吹き飛ばされる感覚。
そんなこともあったなあ、というかんじです。
「その事故で、私は自分の中身と左腕と、親友の左腕以外を失ったんです」
記憶が、私の意志とは無関係にフラッシュバックします。
偽物の心臓と、親友の左腕を持って目覚めた自分。
その事実が意味するところに気付き、けれどそれを悲しいとも思えない自分。
先生の難しい説明を聞き流しながら、「親友一人も守れないこの腕と、彼女の死に何も感じられないこの心に、なんてぴったりなプレゼントだろう。さすが偉い先生だ」とただただ感心していた自分。
そんな私を見て何を勘違いしたのか「その左腕の元の持ち主もきみに、自分の分まで生きてほしいと願っているよ」と微笑む先生。
先生による死者の代弁に対し、素直に「解りました」と答える自分。
ああ、あの頃は、生きるのにこんなにお金がかかるとは知りませんでした。
***
知っていることは大体話し終わったかな、というところで、リオネさんが軽く目を細めて言いました。
「あなた、随分と冷静に喋るわね。嫌な思い出でしょうに。それとも、もう割り切ってる?」
反射的に、いつもの台詞を返します。
「いえ……私には、心がありませんから」
「心が……無い、ですって? あなたの言う『心』って何かしら?」
ええと、そういえば、あまり意識したことがありませんでした。
心。心ってなんでしょうか。
内心で首を傾げる私に、リオネさんは続けて『心』とは何か、滔々と語ってくださいました。
私、実は難しい話が苦手なので、その言葉のすべては理解できなかったのですが、簡単にまとめると、「『心』は『観測』できないのだから、そんなものはそもそも存在しないのだ」ということになるでしょうか。
心はどこにも無い。私だけではなく、他の誰にも心なんて無い。
それはとても意外な考え方でしたが、説明されてみるとそんな気もしてきます。
心なんてそもそも存在しない。
どこかほっとするその言葉にひとまず納得し、頷こうとした瞬間、頭の中で誰かの声がしました。
「でも、あなたとマックさん達とは明らかに違うでしょう?」
リオネさんのようでも、私自身のようでも、懐かしい誰かのようでもあるその声に、はっとします。
そうです。
心が存在しないというのなら、私と他の方々との違いは一体どこにあるのでしょうか。
私が他の方々に感じているそれは、一体なんなのでしょうか。
疑問は、リオネさんの「あなたには精霊繊維精製用の超高純度精霊結晶をあげるわ」という言葉によって、すぐにどうでもよくなってしまいました。
観測結果から言うと、いまだに私は難しい話が苦手なようです。
「心っつーのは、人間を人間たらしめる何かである、ってのが一般的な認識だと思うんだがよー。
だからまあ、心とは何かっつー問いは、人間とは何か、って問いと同じだろ?
心無い人と人非人は同義語だろ?
で、人間とは何かと言えば、あたしは『人間』が理解、共感できる存在のことだと考えてる。
おっと、別にトートロジーで誤魔化そうってわけじゃないぜ。
人類ほとんど誰もが自分は人間だと思い込んでるが、それを外部から認められない限りは社会の構成員にゃなれねー、って話さ。心ある存在とは認められねー、って話さ。
知ってるだろ? ヘレン教は、黒髪を人間として認めてない。
セブンハウスは、自分たち以外を対等な人間として認めてない。
大概の民衆は、奴隷や貧民を人間として認めてない。
逆に共感できるなら、エルフだって精霊だって人間扱いだ。
自分たち『人間』にとっての共感可能性があって初めて『人間』なんだ。
翻って心ってのは、だから言ってしまえば、存在の公約数なんだよ。
ワタシとアナタは同じような部分を持っている。だからいずれ解りあえる。
そういう楽観的で単純なロジックこそが人間の言う『心』の正体ってやつなのさ」
見方によっちゃ、それは人に心が内在しないと言えるのかもな。
一息にそれだけを言って、彼女は机に肘を叩き付けるような動きで豪快に頬杖を突きました。
机の上に築かれていた硬貨の塔が盛大な音を立てて崩れ、仲介所内の目が一瞬こちらに集まりましたが、彼女は気にしていない様子です。
「まあ、それに関しちゃ今はまだどうでもいい。大抵のことはどうでもいい。
今大切なのは、ジフロマーシャ本家が混乱してるっつー、それだけだ。
いやはやまったく、本気で焦ったぜ。計画は善良なる馬鹿のせいで半ば失敗。手駒は聖なる正義の戦士とやらの手にかかり再起不能。挙句、エフェクティヴにまで事態を知られる始末だ。
どういうロジックならそんなエフェクトが起こせるのか知らんが、クックロビンの殺害犯には感謝してもしきれねー」
彼女が楽しそうに嬉しそうに気だるそうに語るのを、私は困り果てて眺めるしかありません。
「ああ悪い。全部喋りたくて喋ってただけだ、理解する必要は無いぜ。
――さてじゃあお待ちかねの本題だ。ここからは理解しろ」
言って、彼女は先ほど崩れた硬貨の山をがっと寄せ集めました。
「いいか、お前に依頼だ。ここにある金、全部が依頼料。
依頼内容は、『今後しばらくあたしの指示に従って動け』。
期間は長くても一月は越えねーし、悪いようにはしない。
すべてはお前のためでもある。拒否した場合、お前は死ぬ。何か質問は?」
そこまで言われて、ようやく私は、聞きたかったことを聞くことができました。
突然の依頼理由やその異常な内容よりも、気になっていたことを聞くことができました。
「あなたは、本当にコインオンナさんなんですか?」
私の疑問に、彼女――コインオンナさんは、犬歯を剥き出しにして。
「そうだがそうじゃない。コイン女はあだ名だろ? こいつは、いやあたしはヒヨリというんだ」
ぐしゃりと、何か手紙のようなものを握り潰しながら。
「ヒヨリ・ハートロスト。人非人さ」
そう言って、私の知る彼女らしからぬ、獰猛な笑顔で笑うのでした。
ヒヨリさんからの依頼内容を頭の中で復唱しながら、私は静かな住宅街を歩きます。
「いいか? 今から口頭で指示を伝える。覚えろ。紙面では渡せねーし、声に出して復唱も駄目だ。隠せ。特にあたしの名は出すな。いいな」
そんな言葉とともに伝えられた、いくつかの行動指示。
その意図は解らないままですが、私は彼女の指示通りに、郊外の大教会に向かっていました。
話を聞く限りでは、とりあえず従っても問題の無さそうな内容でしたし。
既に私の偽物のめぼしい手がかりも尽きてしまいましたし。
従わないと死ぬとまで言われてしまいましたし。
というか、破格の報酬でしたし。
ひっかかることがある気もしましたが、目的地に到着したので思考は中断です。
大教会の威容を眺めながら、ここで行うべきことを再々確認します。
ええと、まずはソラさんという方を探すのでしたか。
「あら?」
突然、教会の中から、何か悲鳴のような叫びが聞こえました。
驚いて耳を澄ますと、閉じられた扉からかすかに怒声や争うような物音が漏れています。
嫌なかんじです。
一度『泥水』にでも行って、時間をおいてから来た方がいいのでしょうか……。
思っていると、物陰から黒いローブを頭からまとった影が飛び出しました。
反射的に心臓を過剰駆動しそうになりましたが、影は足音を響かせない走り方で私の横を走り抜けると、そのまま貧民街の方へと消えていきました。
すれ違いざま、ちらっと見えたその横顔には薄い笑みが浮かんでいるように見えましたが、何か楽しいことがあったのでしょうか。
影が消えた方をぼんやり眺めていると、今度は甲高い笛の音が響きました。
「公騎士団の危険信号、ですね……」
何が起きているかは解りませんが、何かが起きていることは解りました。
もう迷う余地はありません。逃げましょう。
決意してすぐさま『泥水』の方に身体を向けます。
「あれ、レストちゃんじゃん」
いつの間に近寄られていたのか、目の前に、見覚えのある方が居ました。
何度かクエストで同道したことのある黒髪の女性です。
驚いて竦んでいると、彼女は構えたナイフを下げ、
「こんなとこでどうしたん? 危ないな、殺しちゃいそうだったよ」
「ええと、いえ、教会に用事があったのですが、立て込んでいるようなので出直そうかと」
「あー、そうして。今からちょっと血なまぐさいことになるんでね。見逃したげるから、レストちゃんも見なかったことに」
「ええ、解りました。ありがとうございます」
彼女が裏口の方へと走っていくのを待たず、私は今度こそその場から逃げだしました。
教会から逃げ出した私は、人通りの少ない道を選んで酒場『泥水』へと向かいます。
ヒヨリさんには「出来るだけ早くやれ」としか言われませんでしたから、教会での用事は後回しでも問題ないでしょう。ええ、利益も無いのに自分から危険に飛び込むなんて、出来ませんからね。公騎士団の方々と関わってもいいことはありませんし。
「誰か、偽物の手がかりを見つけてくださっていればいいのですが」
と、そんな願望を呟きはしましたが、実際あまり期待はしていませんでした。
あれからさほど時間も経っていませんし、皆さんが積極的に偽物探しに取り組む理由もありません。
時間を潰すついでぐらいの気持ちでいて、本当に、期待はしていなかったんです。
ですが、当然、こんな状況も予測していませんでした。
「ええと、これは、どういう……」
『泥水』とその周囲は、一変していました。
凍りついた壁面、砕かれた窓、離れていても漂ってくる血の臭い。
辺り一帯を封鎖する公騎士団の方々は殺気立った様子で、野次馬すら近寄れないような物騒な空気です。
もしや、あの巨大パンジーが、また?
「貴様、そこで何をしている!」
あー。
せっかく逃げてきたのに公騎士の方に見つけられ、私は内心で悲鳴をあげました。
……いえ、でも今日は一応、何もやましいことは無いはずです。
両手を胸の前で合わせて、無害な一般人を装います。
「私はただ、お酒を……。何があったんですか」
「現在ここは封鎖中だ。帰れ」
「どなたか、殺されたんですか」
公騎士さんが無言で腰の剣に手をかけました。
「わ、私の友人が居たかもしれないんです!」
上から睨みつける公騎士さんを、懇願の目で見つめることしばし。
演技が通じたようで、彼は大きくため息をつきました。
「詳しい事情は言えんが……怪我人は既に各所へ搬送済みだ。死者は後日の発表を待て」
今すぐには教えられない死者。
それは、数の問題でしょうか。質の問題でしょうか。
私は公騎士さんに深く頭を下げ、踵を返しました。
走り去ったように見せかけて今度は注意深く物陰に隠れ、見張りの公騎士さん達の会話に聞き耳を立てます。
「どうした?」「なんでもない。一般人だ」
「そうか。ああ、また新しい死体だ。何十体目だ?」
「担当区域外まで駆り出されて、いつまで続くんだ、この後片付けは」
「チッ、鼻が麻痺しちまった」「こういうのは美化機構の仕事だろう」
「フムン、上はよほど後ろめたいことがあると見た」「確かに最近は妙な任務が多いな」
「よせよ。下手なこと探ると寿命が縮むぞ」
「なあ、今度のは白骨死体だとさ」「白骨?」「おいおい」
「間違って墓を掘り返したんじゃないのか」「まあ埋まってたというのは確からしいが」
「は? なんで地面掘り返してるんだ」「検分終わった死体を埋めるんだと」「酷いな」
「死体用の穴を掘ったら別の死体か。笑えん」「というかそれじゃあ、今回の件とは関係ないだろ」
「いや、だが、戦闘用の義手をつけたまま埋まってたんだそうだ」
「義手? トクセの?」「さあ。両手ともに鉄腕で刃の指だとか」「物騒だな。傭兵か」「知らんよ」
……? ええと、今、聞き捨てならない言葉が聞こえたような。
「偽肢、ですか?」
「ああ。従来の肉体改造としての義肢ではなく、近年研究されてるらしい肉体拡張としての擬肢でもない。人類では扱えなかったエルフ級魔法を精霊技術により無理やり行使する、精神強化としての偽肢。それがあたしの研究だよ」
「ギシ、ギシ……?」
「解らないか。そんな難しい話はしてないんだが……。つまり、あー、この偽手、ワードプロトは本来、凄く不思議なことが出来る、魔法の腕なんだよ」
「……魔法、見たいです」
「本来、っつったろ。この腕はあたしには使えねえ。つーか、人間には使えねえ」
「?」
「燃費が最悪なんだよ。使用者含めた周囲の命ぜんぶを奪っても、こいつを駆動させるには足りねえんだ。神経接続の関係で単純な義手としても勝手がいいから使ってるが、まあ偽肢としては失敗作だな」
「……?」
「こんなのを扱えるのは、それこそヘレン様ぐらいだろうさ」
「……」
***
盗み聞きではこれ以上、大した情報を得られそうになかったので、誰かに見つかって面倒なことになる前に『泥水』を後にします。
公騎士の方々が噂していた、地面に埋められていた、鉄の腕に刃の指を持つ白骨死体。
義手の条件は合致しますが、私の偽物が地面に埋められて白骨化しているとは考えにくいですから、何かの偶然だと思った方がいいのでしょう。
「ふむ」
『泥水』の惨状も気になりますが、今は依頼が優先です。
教会が近付いてきたので、一応、遠くから眺めて辺りの様子を伺います。
教会周辺は『泥水』と同様に血の臭いが漂っていましたが、静まり返っていて、争い自体は既に終わっている空気です。
どういった種類の争いがあったのか解りませんからまだ安全とは言い難いのですが、あまり落ち着くのを待っていると、『泥水』のように封鎖されてしまいかねません。
今が突入時でしょう。
そう思い敷地内に入っていくと、ちょうどよく扉が開きました。
扉の向こうから血色の悪い公騎士団の方が現れ、私の方を一瞥もせず、フラフラとどこかに歩いていきます。
尋常でない様子です。
何があったのかと開いた扉からそっと中を覗くと、そこは礼拝堂で。
たくさんの死体が床に転がり、床も壁も血にまみれていて。
その中に、紫色のローブを着た少年が何事も無かったかのようにたたずんでいました。
狂気を感じると同時、ヒヨリさんの依頼を思い出します。
「ソラという帽子を被った小さい女に、今は力になれないと伝えろ。教会あたりに居るはずだ。
ただし、紫ローブのガキが一緒に居るようなら」
関わるな。見つかるな。伝言はしなくていい。逃げろ。
私は、足音を立てないようにそっとその場を立ち去りました。
虫の声が響く、深夜の林道で。
私は精霊結晶を二つ、口に放り込みました。
「さて」
改めてあたりを見回し、周囲に誰も居ないことを確認します。
ヒヨリさんからの依頼その二。
深夜に、誰も居ない林道あたりで、左腕を限界まで駆動させ、その後は何もせずに一時間待機しろ。
「どういう意味があるのかは解りませんが、依頼、ですからね」
虚空に左手を伸ばして、
「左腕駆動、です」
声と意志に応じて、左腕がゆっくりと震えはじめました。
何もない空間から精霊を奪おうとしているせいか、腕からは聞きなれない異音が鳴り、虫の声を掻き消しています。
いつもなら駆動して数秒で目的を果たして停止する腕を、そのまま無理やり連続駆動。
他に奪うものが無いからか、私自身の中から精霊が奪われていくような感覚に身震いします。
一瞬ごとに身体が重くなっていくようですが、まだ止めません。
十、十五、二十。……二十五。
三十秒で限界が来ました。
左腕を停止させると、もう立っていることも出来ず、その場に倒れ込みました。
心臓がほとんど止まりかけているような気がして怖くなりましたが、指示通り、そのままの状態で何もせずにただ待ちます。
十分、二十分、三十分。
どこかで、男性の悲鳴が聞こえました。
気にせず、三十五分。
「もういいぜ」
倒れたまま声のした方に目線だけ動かすと、満月を背にヒヨリさんが立っていました。
「いやあ正直、ここまで上手くいくとは思わなかったな。観測者システムも種さえ解れば大したことがねえ」
「う、うう」
「さて、これでようやく安心して話が出来る。もう推理とかまどろっこしいことをする必要は無いぜ。
事の首謀者たるあたしが直々に解決編を始めよう」
「う……」
「あ? うお、やべえ、早く結晶食え。死ぬぞ」
言われ、震える指で精霊結晶を飲み込みます。
「焦らせるなよ、お前が死んだら何のためにあたしが動いたか解らないだろ」
行動を指示したのはヒヨリさんなのですが、反論する体力も残っていません。
ただ、聞かねばならないことだけを尋ねます。
「……何のため、ですか」
「ああ? ……あたしが動いた理由、ってことか? 最初に言っただろ。すべてはお前のためだよ」
「……私、の?」
「そうだよ。依頼したのはほとんどお前のためだし、そもそも依頼書を奪ったのからしてお前のためだ」
少し不機嫌そうに言われたその言葉。
ええと、今、ちょっと頭が回らないのです、けれど、何を。
何を奪ったと。
「あれ、言ってなかったか? ……そういえばそうか。悪い。
余計な話ばかりして、いつも肝心なことを言い損ねまう」
飲み込んだ結晶のおかげで、次第に精霊心臓が正常な動きを取り戻してきます。
「そう。お前の依頼書を奪ったのは、あたしだ」
「なんで、そんな……」
というか、依頼書を盗んだのは、鉄腕に刃の指を持った女性では無かったのでしょうか。
わけが解りません。
「それももう言った気がするんだけどな。私が動かなかったら、お前は死んでいたんだよ」
「死ん……?」
「お前は、教会で起きた惨劇を見たはずだ。見られるように、わざわざ教会へ行く用事を与えたんだからな」
ええと、実は争いの気配を感じて逃げてしまったので、具体的に何があったかは知らないのですが。
一応、血の海はちらっと見ましたから、見たということにしておきましょう。
回復してきたとはいえ、多くを話す元気はまだありません。
ヒヨリさんは、私を見下ろしたままで続けます。
「あの教会で血の海に沈むのはな。公騎士どもなんかじゃなく、お前の予定だったんだよ」
「そういや、お前はヒヨリに頼みごとをしてたんだっけな。救済計画について教えろ、と。
じゃあ今その約束を果たそう。
救済計画ってのは、ヘレン教がf予算を獲得するための手段だ。
大金使って貧民どもを救済してやるっつー、上から目線も甚だしい試みだ。
そして、セブンハウスがヘレン教弾劾に利用するはずだった計画だ」
「貧民を救済する。そのお題目は素晴らしい。
表に立って批判をすれば、批判者の方が悪になる。
それだけの意味を持つ言葉だ。
当然、実際に救済が為されるまで計画が真実かどうかは解らない。
だが、敢えて疑うだけの理由も無い。
善行したがりな奴らが支持をするから、下手に手を出すことも出来ない」
「しかしどうだ。
誰かの依頼で偶然計画を調べようとした一人の傭兵が、有無を言わさず殺されてしまったら。
昔からこの街に住み、生きてく金を稼ぐため傭兵に身をやつし頑張る少女が、貧民を救済しようという計画を調べただけで殺されてしまったら。
そんな計画が言葉通りのものだと、誰が信じられる?」
「紫ローブのガキは見たか? ふん、なら話が早い。
あいつはな、f予算を狙う奴を打倒するよう、教会上層部から指示されてたんだ。
f予算を獲得するための計画に、f予算を狙う人間を殺す教会の私兵。
さあ、そこに姿も隠さず計画を嗅ぎまわる傭兵を放り込んだら、どうなってただろうな。
公権力が相手でさえ問答無用でぶち殺す奴らだ。相手がただの傭兵だったなら?」
「実際は殺さないかもしれない。
情報操作や攪乱にも騙されず、策謀の気配を察知して賢く立ち回ったかもしれない。
インカネーション内でも、あのガキは得体が知れないって噂だったしな。
けどまあ、正直そんなのはどっちでもいいんだ。
ヘレン教が殺さないなら、ヘレン教のフリをした奴が殺せばいい。
それで教会が悪事を企んでるって構図は成立する。
セブンハウスが胸張ってヘレン教を糾弾するには十分な材料だ」
「お前に救済計画を調べさせるわけにはいかなかった。
かといって、下手にセブンハウスの計画を妨害するわけにもいかなかった。
だから、あたしはお前に成り代わり、お前として調査を成功させてしまうつもりだったんだ」
「まあ想定外のエフェクトのせいで偽物騒動が観測者システムに認知されちまったから、その作戦は失敗に終わったんだが……結果的にお前は偽物探しに奔走し、救済計画に近付くことは無かった。
していると今度は何の因果かクックロビンが死に、あたし自身がお前に接触できる機会が生じた。
あとは観測者システムの裏をかき、ひとまずの安全を確保することで、こうしてお前に種明かしが出来る状況になったというわけだ」
***
「細かい部分は省いたが、これが簡単なことのあらましだ。単純な話だろ?
ここまでで何か質問はあるか?」
なぜ私が、そんな生贄のような役に選ばれたのか。
なぜヒヨリさんがそうした企みを知っていたのか。
なぜそこまでして私を助けようとするのか。
どうやって私のフリをしたのか。
観測者システムとは何なのか。
疑問は多くありましたが、今尋ねるべきは一つです。
「f予算とはなんですか」
大金の気配がする単語に、私は強く惹かれていました。
「えっ……? ああ……いや、うん……。とにかく、危険な金だよ。……追うなよ。絶対追うな」
なぜか落胆したふうに答えるヒヨリさんに、私は「はあ」と曖昧な返事を返しました。
ここからは移動しながら話そう。
ヒヨリさんにそう言われ、私はゆっくりと立ち上がりました。
多少足元がふらつきましたが、普通に歩く分には問題無いでしょう。
彼女は私と並んで林道を歩きながら、再び語り始めます。
「観測者システムというのは、ジフロマーシャが精霊研究を行う過程で生まれた副産物だ。
他人の身体に特殊な精霊を溶け込ませ、そいつを通して視聴覚を盗む。
メイン・ストリートで粗霊揚げの屋台を見たことがあるだろう。
あの辺りで売ってる粗霊揚げの半分ぐらいは、その特殊な精霊を使ってるんだぜ。
盗視盗聴を可能にする精霊を老若男女問わず食わせることで、街全体を監視できるようにしてるんだ」
にわかには信じられないような話です。
酒場で酔った人が語る武勇譚の方が、まだしも信じられるかもしれません。
けれど私には、不思議とヒヨリさんが嘘をついていないことが解りました。
「だがこのシステムじゃあ、そういう行為に気付くような高い霊感や察知技術、あるいは盗聴遮断システムを有する敵対勢力を監視出来ない。本当はそういう奴らをこそ監視したいのに、だ。
それに、監視だけ出来ても干渉出来なきゃ意味が無い。
そこで設立されたのが、特殊技術を用いて敵陣に潜り込み、スパイ活動を行う機関。
知る人間すらほとんど居ない、セブンハウスでも暗部中の暗部。
過去の自身の在り方を捨て、人間であれば恥じて然るべき行為を行う人非人たちの機関。
通称『ハートロスト』だ」
言葉は淡々と。歩みは粛々と。
「あたしはインカネーションに潜入するハートロストだった。
だから当然、救済計画については知ってたし、セブンハウス側の企みも教えられていた。
紫ローブのガキが動かなかったら、お前を殺すのはあたしだったんだ」
こちらを向いて、何かを誤魔化すような笑みを浮かべ。
「とまあ、そんなところか。これでひとまず事情説明は終了、次は今後の計画だ」
「えっ、あの」
「安全を確保したとは言ったが、バレずに居られるのは次の定例報告会までの、せいぜい一週間だ。
あたし達は、裏切りが察知されてない今のうちにこの街を出てグラウフラルに向かう。
義肢のメンテナンスはあたしにも心得があるし、精霊心臓の技術を交渉材料にすれば、義肢会に保護してもらうことも可能だろう。精霊は今より手に入りにくくなるかもしれないが、まあ死ぬよりマシだ」
「いえ、あの」
「なんだよ。お友達に別れを告げるのは諦めろ。誰が観測されてるか解ったもんじゃないからな。また糸を付けられるのは避けたい」
「そうではなくて。その、なぜ、私のためにそこまでしてくれるんですか」
私のような、心のない人間のために。
彼女がヒヨリさんでは無いのなら、面識すら無いはずなのに。
「それは……償いだよ。全てはあの、爆発事故の償いだ。お前を巻き込むつもりなんて、なかったんだ」
「え?」
「あそこに居たのは任務のためだったが、お前と仲良くしてたのは、任務とは無関係だったんだぜ」
「ええと、どういう……」
「おいおい、いくら死んだことになってるっつっても、ここまで言えば解るだろ。
どうしても解らないというなら当時の名前を名乗ってやろうか。あたしは」
そこで、彼女の言葉は唐突に途切れました。
「どうしたんですか」
怪訝に思い隣を見ると、彼女は驚愕したように目を見開いていて。
その腹部からは、冷たく光る刃が突き出ていて。
「はい、退屈な思い出話はそこまでですよぉん?」
いつの間に近付かれたのでしょうか。
見知らぬ猫目の女性が、私たちのすぐ後ろで、楽しそうな笑みを浮かべていました。
刃物を引き抜かれたヒヨリさんではない彼女が、重い音を立ててその場に倒れました。
「裏切ったり機密を漏らすぐらいならともかく、そんなつまらない話は感心しませんよぉ、カットスティールさぁん? 大事な時間を割いてまで始末しにきてあげてるんですからぁ、もっと楽しく行きましょうよぉ」
「っ、トライトランス……! どうして、」
倒れたまま苦しそうに言う、ええと、ヒヨリさんでは無くカットスティールさんと、手に持った刃物を軽く振りながら笑う猫目の女性、たぶんトライトランスさん。お二人とも変わったお名前です。口ぶりからすると、トライトランスさんもハートロストの方なのでしょうか。
「観測者は無力化したはず、ですかぁん? ワードプロトは重要な道具なんですよぉ、監視方法が一つなわけないじゃないですかぁん」
何を話しているのでしょうか。もしかして、ワードプロトというのは私のことなのでしょうか。
トライトランスさんは、笑いながらカットスティールさんを踏みにじります。
「ぐうっ……!」
「大体、事情説明終了って、肝心なことを話してないじゃないですかぁん? どうして山と居るリソースガードの中から彼女が生贄に選ばれたか、とかぁ? どうやってあなたが、その黒髪の姿になったか、とかぁ?」
ねえ、とこちらを振り向きながら。
「あなたも知りたくないですかぁ……あ?」
林の中に半歩ほど踏み込んでいた私の方を見て、トライトランスさんが硬直しました。
お二人が話し込んでいるのでその隙に逃げようかと思ったのですが。バレてしまったようです。
「……見捨てられちゃったみたいですねぇん?」
いえ、助けを呼ぼうと思っていたんですよ?
「それで、いい……どうせ、あたしはもう、助からねえ、から、な、ぁがっ」
「自己犠牲の精神ですかぁん? 嫌ですねぇ、そもそもあなたのせいでこんな事になってるっていうのに。
ねえ、カットスティールさぁん?」
「やめ、」
「あなたが、瀕死の彼女を精霊心臓とワードプロトの組み合わせ実験に提供して、死を先延ばしにしなければ。今、ワードプロト回収のために彼女が生贄として扱われることは無かったはずですよねぇん?
あなたが自分の保身のために姿を変えようと考えなければ。その黒髪の傭兵は、少なくとも死体を無残に切り刻まれることは無かったはずですよねぇん?」
「……つっ」
嗜虐的に笑い続けるトライトランスさんと、口の端から血を流しながら歯を食いしばるカットスティールさん。
「……」
ど、どうしましょう。お二人でだいぶ盛り上がっているようですが、全くついていけません。
いえ、なんとなくニュアンスは解るのですが。
問題は、どう反応するべき話なのかが全然解らないということです。
本物のヒヨリさんが死んでしまっているのは先ほどの話で想像出来ていましたから、正直、遺体の状態が何か問題なのか、としか。
どんな取引があったのかは知りませんが、私の死を先に延ばせるなら、それは普通に良いことだとしか、思えないのですが。
それは、悪なのでしょうか。
そういう考え方は、非難されるべきなのでしょうか。解りません。全然解りません。
なので一応、口を両手で押さえて衝撃を受けたようなポーズをとってみました。
「ま、まさか、そんな!」
ハートロストのお二人が、怪訝そうに私を見ました。
……私はまた、何か間違えてしまったのでしょうか。
「……その、常に自分のことだけを考える精神、私は好きですけどねぇん?」
猫目の女性、トライトランスさんが笑みを消し、ヒヨリさんの姿をしたカットスティールさんを思い切り蹴飛ばしました。彼女の首が曲がらないはずの方向に曲がります。
「まあ、本来の仕事も途中ですしぃ、遊びは止めて、とっとと片付けましょうかぁ」
だらり、と。
身体の力を抜いたようにして、けれど目線はこちらを射抜く力強さで。
私を殺そうとする、暗殺者の構えです。
「……」
ああ、でも、これでやっと理解できました。
カットスティールさんは、私の偽物でしたが、実は私を助けようとしてくれたいい人で。
トライトランスさんは、見覚えの無い方ですが、私を殺そうとする悪い人で。
私は生きるために、トライトランスさんをなんとかしなくてはいけない。
つまり、それだけのことです。
最近は考えることが多くて忘れていました。
生きていくには最低限、敵と味方さえ把握できていれば大丈夫なのです。
私は素早く精霊結晶を五つほど飲み込んで、トライトランスさんが音も立てずに走り寄ってくるのを正面に見つつ、心臓を、過剰駆動。
ゆっくりと右から切りかかってくる短刀。左腕を当てて軌道を上に逸らす。
相手は軽くバックステップ、続けて今度は下から伸び上がるような動きで刺突。
重心の移動だけでそれを避け、ようとしたところで膝が抜け、肩を浅く裂かれる。
誤魔化しのカウンター狙いで突き出した左手も、やはりステップで回避される。
――体調が万全では無い。相手もプロ。普通に戦っていては勝ち目が薄い。
牽制のためナイフを投擲。相手が身体を軽く傾けて回避する隙に、私は林の中に逃走。
適当な木の陰に隠れる。
相手はナイフでこちらは手。リーチの差も木々の間では活かしにくいはず。
「変装の精度、という点だけ見ればカットスティールの方が上なんですけどねぇん」
木の向こうから声。道とは違い雑草が茂っているため、足音は隠せない。
それを誤魔化すためのかく乱だと判断。
こちらの体力に余裕が無い。一撃で決める必要がある。
足音の方向に意識を集中。左腕を構える。
「【変声】、【変装】、やれ」
他にも敵が? いや、足音は一人分のみ。これもかく乱。
まだ数歩分は遠い位置で、足音が消える。
一秒、二秒、三秒、四秒、五秒。
ザッ、とすぐ側で強い足音。振り向きざまに左手で相手の胴を突き、
「レストさん!?」
聞き覚えのある声。オシロさんの声。相手の顔を見る。
暗闇の中に浮かぶ、驚いたようなオシロさんの顔。
心臓の過剰駆動を解除して、
「えい」
私は気にせず左腕を駆動させました。
「うわああ!」
オシロさんの姿が、がくがくと震えてその場に倒れます。
あら? 変装がどうとか言っていたので、トライトランスさんの変装かと思ったのですが、左腕を使っても姿はオシロさんのままです。本物だったのでしょうか。
でも手に短刀を握っているので、念のためもう一度、今度はちゃんと心臓付近を狙って、
「止めろ!」
オシロさんの姿をした方が、オシロさんの声で叫びました。
「そのまま左腕を使えば、僕は死にます。だけどレストさんもただじゃ済みません。今、僕の仲間が遠くからあなたを狙ってます。僕が死ねば、彼らも動く」
早口で言われた言葉に、私は動きを止めました。
「いや、予想外でしたよ。想像以上と言うべきなのかな。まさかここまでの精神とは思いませんでした。裏切り者のおかげで貴重な人材を失わずに済みました」
おそらくトライトランスさんであろう方は、オシロさんの顔で微笑んで、
「あの、レストさん。唐突だけど、お願いがあるんです。僕たちの仲間になる気はありませんか?」
そう、言いました。
「私に手紙、ですか?」
「はい。二通届いてますね。どうぞ」
林道での出来事から、明けて翌日。
『救済計画』の調査依頼に関する報告のために訪れたクエスト仲介所で、私は二通の手紙を受け取りました。
手紙。
最近はほとんどありませんでしたが、以前は各所からよく督促状を貰っていたので、手紙にはいい印象がありません。
どうも今回は、そういった類のものでは無さそうですが。
ふむ。
手紙にしては分厚い一通目を開けて、細かくびっしりと書き込まれた文章にざっと目を通します。
いきなり『お前がこの文章を読んでいるとき、私は既に死んでいるだろう。』から始まったので少し面食らいましたが、どうやらヒヨリさん、では無く、カットスティールさんがあらかじめ預けていたもののようです。
手紙には、昨晩に彼女から聞いた内容をより詳細に綴ったものと、左腕を正しく駆動させるためのコード、そして謝罪が長々と記されていました。
……左腕を正しく駆動させるためのコードって、なんでしょうか。
今までの精霊を奪う力が、正しい駆動ではない?
偽手ワードプロトという名前らしいこの左腕についても詳細な説明が書いてありましたが、内容が専門的すぎて、部分的にしか読み取れません。
専門家の方は、人の知能を高く見積もりすぎるきらいがあるようです。
四則演算よりも複雑な数学は、私には難しすぎます。
なんとか理解出来たのは『精霊を拡散させ、使用者の精神を現実に強制する』というような一文と、その機能の燃費の悪さだけでした。
これでは何が起こるのかも解りませんし、今の精霊を奪う力より便利なものとも思えません。
よし、忘れましょう。
綺麗に折りたたんで空になっていたポーチにしまい、もう一通の手紙を開きます。
そちらは、オシロさんからの手紙でした。もちろん、本物のオシロさんからの、です。
手紙には、インカネーションに私の偽物が所属しているかもしれないということ。
『泥水』にはもう行かない方がいいこと。
オシロさんがエフェクティヴに所属していること。
オシロさんと知り合いであることは隠した方がいいということ。
そして、もう精霊を渡すことが出来ないかもしれない、というようなことが書いてありました。
私の偽物と『泥水』については、せっかくの助言ですが、残念ながらもう役に立たない情報です。
オシロさんがエフェクティヴに所属している、というのは驚きではありますが、依頼さえ無ければ特に気にする必要も無いことなので、あまり重要ではありません。
オシロさんと知り合いであることも、セブンハウス側にはおそらく既に知られてしまっているでしょうから、やはり敢えて隠す必要は無いでしょうね。
だから、この手紙で問題にすべきは最後の一点でした。
もう精霊を渡せないかもしれない、という、その一文でした。
オシロさんがどんな危地にあるのかは解りません。
敢えてこんな手紙を残したことを思うと、状況を軽く見ることは出来ないでしょう。
ただ、今までに頂いてきた精霊の量から予想できる、これから頂けたかもしれない精霊の量を想うと。
いえ、人の善意を当てにするのは、一般的に言ってあまりよくないことです。それは解っています。
解っています、が。
私も、四則演算なら出来るんです。
「とりあえず、オシロさんがどんな状況に陥っているのか、調べるぐらいなら……」
そうです、恩義のある人を見捨てるのは、よくないことのはずです。
私は強くうなずいて、クエスト仲介所を後にしました。
オシロさんを探して、街のあちこちで聞き込みをして回ります。
観測者と言うらしい、この街を常に見張っている方々の存在を知ったせいでしょうか。
それとも単に、偽物騒動が一応の解決を見たことで気分が高揚しているのでしょうか。
なんとなく、目に映る景色が、いつもとは違った意味を持って感じられます。
街は、今日もあまり穏やかな空気ではありません。
あちこちで怒声があがり、道を一本奥に入れば壁や地面に血痕が染みついています。
どうも最近、また黒髪の方ばかりを狙う殺人者が現れたようです。
『泥水』周辺は戦争でもあったような有様でしたし。
ちらりと見た教会には血の海が出来ていましたし。
噂に耳を傾ければ、ダウトフォレストに乗り込んだ人たちが殺されてしまったとか、北側の公営工房で爆発事故があったという話まで聞こえてきます。
今までも決して治安のいい街ではありませんでしたが、このところのそれは異常です。
けれど、それでも。
クエスト仲介所では、行方不明者の捜索や、黒髪の方の護衛を引き受ける人たちが居ました。
裏通りでは、清掃機構の方々が血痕をブラシで掃除していました。
『泥水』では、公騎士の方々が調査や死体処理をしていました。
教会では、教会に所属する方々がきっと片付けをしたのでしょう。
争いや事件を起こす方々が居るのと同じかそれ以上に、争いや事件を収めようとする方々も居るのです。
そしてそれは、きっと金銭目的というだけでは無くて。
たとえば、私の偽物探しを手伝うと言ってくださった皆さんのように。
私の偽物であった、カットスティールさんのように。
自分自身には益の無いことでも、どころか、自分を半ば犠牲にしてでも、街のために。誰かのために。
ただ他人のために、何かを。
そう考えると、どこまでも自分のためにしか動けない私自身が、今まで以上に、なんだか、つまらない存在のように思えてしまって。
なんだか、それが、どうにも息苦しくて。
「考える必要が無いと解っていても、一度気になってしまうとどうにもなりませんね」
ため息をひとつ。
今日のところは諦めて帰ろうかと考えていると、黒髪の女の子に声をかけられました。
「あの、すみません。人を探してるんです」
女の子は、手描きでしょうか、人相書きを私に示します。
「その人、お姉さんと同じような、義肢をしてて。あ、その人は義足だったんですけど。知りませんか?」
人相書きは、あまり上手ではありませんでしたが、特徴をよく捉えていました。
清掃機構の制服に、ブラシ。そして、どこか見覚えのあるようなその顔は。
「……ダザさん?」
「ダザさんが、黒髪連続殺人犯、ですか」
「はい、そうです」
夕食時を過ぎて尚、酒場と変わらず繁盛している食堂、『ラペコーナ』のテラス席で。
私の疑いを含んだ確認に、黒髪の女の子、すみれさんは強い頷きを返しました。
「信じられません……」
ダザさんとはそれほど多くの言葉を交わしたわけではありません。
けれど、黒髪のマックさんとも普通に接していましたし、そんなことをする方には見えませんでした。
「でも、わたし、実際にその人が黒髪の人を襲っているところを見ましたから。わたし自身も殺されかけましたし」
「はあ、なるほど」
確かにすみれさんの髪色は黒です。黒髪殺しに狙われることもあるかもしれません。
清掃機構はセブンハウスの組織ですから、ハートロストさんたちの変装でもないでしょう。
実際に襲われたと言うなら、間違いでは無さそうです。でも。
「でも、なら、どうしてダザさんはそんなことを」
「悪い人じゃないんですか」
「ええ、そもそもヘレン教の信者ですら無かったはずです」
「……じゃあ、もしかしたら」
何か心当たりがあるのでしょうか。
「あの、これはマゼ、いや、知り合いから聞いた話なんですけど。この街には、様々な悪が居るらしいんです」
「悪ですか」
なんとなく、息をのみます。
「はい。悦楽のために人を食べる怪物や、欲望のために人を虐げる人間。そして」
一息、
「目的のために、人を操る精霊、です」
すみれさんは、自分で言いながらも半信半疑の様子でした。
「そのダザって人が悪人じゃないなら、もしかしたら。精霊に操られているのかもしれません」
私は水(情報料としておごってもらいました)で喉を湿らせながら、内心で息をつきます。
今度は、人を操る精霊、ですか。
いえ、まあ、パンジーを操る精霊も居たことですしね。
観測者システムやハートロストさんに比べれば、今更それほど驚くことではありません。
……ありませんよね? なんだかもう、基準がよく解らなくなってきました。
すみれさんは、がったがったと椅子を揺らして「ああ、やっぱり普通の席が一番だ」などと意味のとれないことを呟いてから、
「まあ、悪人でも精霊でも、会ってみれば解るはずです。で、その人はどこに居るんですか?」
そういえば探しているという話でした。
ですが、見るからに争いとは無縁そうなすみれさんが、殺人犯(かもしれない人)に会って、一体どうするつもりなのでしょうか。
私の視線の意味に気付いたのか、すみれさんは両手を振って、
「いえ、ちょっと事情がありまして、ですね。あ、危ないことはしませんよ!」
「そうなんですか?」
「はい、むしろ会えない方が危ないことになるかもしれません! ……わたしが」
何か複雑な事情があるようです。
「解りました」
そこまで言われては断る理由もありません。
「ええと、ダザさんはですね」
ラボタ地区にある『泥水』という酒場に行けば、と続けようとして、はたと気付きました。
『泥水』は今、廃墟です。
というか、精霊に操られているのなら、行動パターンも変わってしまっているのでは。
「はい!」
すみれさんが期待の眼差しでこちらを見ています。
「ダザさんは……」
ええと、ええと。
ああ、すみれさんが段々と不思議そうな顔に!
「ダザさんは、一緒に探しましょうか」
「はい……はい!?」
私のとっさの提案に、すみれさんが素っ頓狂な声を上げました。
すみれさんは少し戸惑っている様子でしたが、最終的には一緒にダザさんを探す運びとなりました。
ただ、深夜に人を捜すのは効率が悪い上に危険です。
すみれさん自身の提案もあり、早朝にもう一度ラペコーナ前で落ち合うことを約束して、その場では一旦別れます。
利益の無い行動を敢えてやろうとする自分に、不快と少しの満足を同時に覚えながら、その日は帰途につきました。
そして翌朝。
現れたすみれさんは、なぜかとても疲労していました。
「ど、どうしたんですか?」
「いえ、ちょっと寝不足で」
昨日、あれから寝ていないのでしょうか。
「……で、探すにしても、何か当てはあるんですか」
「あっ、はい。特殊施療院に行ってみようと思います」
ダザさんは確かこの街の生まれですから、義足は特殊施療院製のはず。
特殊施療院には知り合いも居ますし、何か情報が得られるかもしれません。
私とすみれさんは、街を更に北に向かって歩き始めます。
「何か、暗くないですか?」
「そうですね、もう日は昇っている時間帯のはずですが」
そんな他愛ない言葉を交わしていると、貧民街の方向で怒声が響きました。
「行ってみましょう、黒髪殺しかも!」
走り出したすみれさんに、渋々ついていきます。
果たしてそこには、手に手に様々な精霊武器を持ち、殺気立った貧民の方々がいらっしゃいました。
無警戒に飛び出してしまったので、ばっちり目が合いました。
すみれさんが「ひぃっ」と小さくひきつった声を上げ、大きな剣を提げた貧民の方が「んだァ?」と独特な言葉遣いでこちらを威嚇します。
「戻りましょう!」
私はとっさにすみれさんの手を引いて走り出しました。
同時に、「逃がすな!」という嫌な命令が貧民街に響きます。
追われる理由は無いはずですが、その言葉に従うように背後からは複数の足音が。
私の左腕は、一対一の戦いや不意打ちではとても役立ちますが、多くを相手取るのには向いていません。
それでも数人ならなんとかなるかもしれませんが、一般人のすみれさんを連れてあの人数と戦うのは無謀です。
「あっ」
すみれさんが転びかけ、引いていた手が離れました。
「すみれさん、早くっ」
「ふ、二手に分かれましょう! 目的地は解ってますから!」
「えっ」
返事をする前に、すみれさんは狭い路地へと入っていってしまいました。
後ろを振り向くと、武器を握って追いかけてくる方々。
「……」
少し不安はありましたが、逃げるだけなら確かに別れた方が合理的です。
幸いにも空は暗く、一人ならば追っ手をまくのもそう難しくは無さそうでした。
***
「なんとか振り切ることは出来ましたが……」
さすがに、何かがおかしいことに気付きました。
どれだけ経っても夜は明けないどころか、北に向かうにつれてその暗さを増していきます。
ところどころで夜が大きく切り裂かれて朝の光が射し込んでいるのが、事態の異常性を強調していました。
「これは、一体……」
更には目の前で、周囲の闇が一箇所に集まって凝固した、立体的な影、とでも言うような物体が、何事かを叫びながら暴れています。
その言葉に耳を傾けると、それは罪の告白で。
その内容は、まるで――
影が叫びながら繰り出した、子どもの駄々にも似た攻撃を、軽くステップで避け、私は、それ――彼に問いかけました。
「ええっと、もしかしてこの黒い塊は……、オシロさんだったりするのでしょうか?」
何かが。
何かが変だと、私は感じていました。
朝が訪れないことではなく。
街を暴力的な空気が包んでいることではなく。
もっと、根本的な部分で、何かが。
闇を纏ったオシロさんの、半ば告白のような依頼に、私はハートロストさんを思い出していました。
オシロさんと一緒に街を出る。それもいいかもしれないと考えました。
私も彼女のように、自分だけのためではなく、自分とオシロさん、二人のために動いてみようと、そう決意しました。
オシロさんに何事かを強要する白髪の女性と切り結びながらも、その思いは揺るぎませんでした。
揺るいでいないはずでした。
「まずはアレを、常闇を始末しましょう。そのためには人手が多いほうがいいわ」
けれど直後、黒髪の女の子、えぬえむさんと言うらしい彼女が出した誘いに、私は。
少しでも危険を感じたら、いつだってすぐに逃走を選択してきた私は。
「そうですね。街を出るにしても、心残りがあってはいけません。出来るだけのことをやってみて、逃げるのは、それからでもいいはずです」
そんな、歌物語に聞く勇者のような言葉を。
報酬も無しに、ただ街のために我が身を争いに投じるような言葉を口にしていました。
不確かな物質で焼けた半身を補っているだけの、傍目にもボロボロなオシロさんが、誰かに裏切られでもしたかのような愕然とした表情で私を見ます。
それでも私は微笑み、あまつさえ彼に手を差し伸べて。
「さあ、行きましょう。オシロさん――」
何かが変だと感じていました。
何故そう感じるかも解らないまま、ただ、何かが変だと感じていました。
えぬえむさんと、正しい名前の解らない白髪の女性、そしてオシロさんと連れ立ってレディオコーストに向かう最中も。
空から不思議な装束の女性が降ってきた瞬間も。
坑道の中で導かれるように、リオネさんやマックさん、それに見知らぬ綺麗な女性二人と合流したときも。
私はずっとうわの空で、ひたすら、この奇妙な不快感について考えをめぐらせていました。
気のせいかもしれません。気にしすぎかもしれません。
確かに私は、心残りがあるのは良くないと判断しました。
オシロさんのためにも、逃げる前に出来ることはしておいた方がいいはずだと考えました。
それが間違っていたとは今でも思いません。
でも私は、自分のそんな思考をまったく信じることが出来ないでいました。
「本当に、その光の指す方向に常闇の精霊王が?」
「ああ、理由は解らないけど、なんとなくそう感じるんだ」
彼らの会話にふと、昨夜のすみれさんの言葉を思い出します。
(「この街には、様々な悪が居るらしいんです」
「悦楽のために人を食べる怪物や、欲望のために人を虐げる人間。そして」)
「危ない!」
オシロさんの悲鳴が坑道内で反響しました。
「えっ?」
物思いに沈むあまり、周囲への注意が疎かになっていました。
気が付いたときには、私は坑道内の崩れた岩場の上で脆い岩を踏み砕いていて。
崩れる体勢を立て直すことは出来ず、オシロさんが伸ばしてくれた手も私の左手をすり抜けて。
「レストさん!」
その叫びの悲痛さに何かを思う間も無く、私は、暗く深い崖の底へと滑り落ちていきました。
左腕で速度を殺しながら落ちた私も、私を追って飛び降りたらしい不思議な装束の女性、ヴァイオレットさんも、更に後から落ちてきたリオネさんも、奇跡的に重大な傷は負っていませんでした。
それならばと、気絶したままなかなか起きないヴァイオレットさんを背負って、私はリオネさんと共に、崖の底を歩きはじめます。
出来るだけ早く、オシロさんらと合流しなくてはいけません。
弱い明かりだけを頼りに、どちらに進んでいるかも解らぬまま道なりに進んでいくと、眼前にドクロの描かれた扉が現れました。
恐る恐る扉の向こうを覗くと、山の中とは思えないほどに開けた空間の中心に、巨大で複雑な模様が描かれた円。
リオネさんが、小さく呟きます。
「これは、魔法陣……?」
『一つ、昔話をしよう』
唐突に。
あまりにも唐突に、言葉が空間に反響しました。
『昔々。
エルフの少女が武勇を誇った時代より遡ること更に数万年。
世界がまだ、魔法で満ちていた頃。
一人の魔術師が、究極の魔法を完成させた』
声は、空間内のあちこちで発されているようであり、常に全体から発されているようでもありました。
『【核融合炉】。
それは、神話に謳われる魔術の到達点。
それは、地獄の炎を操る最凶の兵器』
『などでは無い』
私とリオネさんは辺りを見回しますが、手元の弱い明りでは暗闇を照らしきれず、声の主を見つけることが出来ません。ただ、声だけが響きます。
『魔法は、それがもたらす現象が奇跡に近ければ近いほど、より大きな代償を必要とするのは知っているか?
確かに【核融合炉】は殆どの生物を死滅させる、地獄の炎をもたらした。
だがそれは、奇跡の結果などでは無い。代償なのだ』
地獄の炎とは、神話でよく語られているそれのことでしょうか。
声は厳かに続きます。
『【核融合炉】は、人類をより高等な存在へと進化させる魔法だ。
全ての生命を炎で浄化し、その心、魂の核である精霊を一つに融合させる奇跡の業だ。
数万年前の旧人類は、その儀式により各々を縛る肉体を捨て、一つの精霊になろうとしたのだ』
何を言っているのか、荒唐無稽すぎてよく解りません。
『無論、それだけの規模の魔法だ。
必要な過程を代償として処理することで、超越した奇跡を得られたとは言え、儀式の完遂には永き時が必要だった。
最初の数百年で多くの精霊が、融合しきれずに炉からこぼれ落ちた。
それらは千の時を経て結晶となった。
更に数万年の後、旧人類に近しき生命が未知を求めてこの地を訪れ、未だ融合を果たせず荒れ狂う炉に近付いた。
幾億もの精霊のうねりは、一個の矮小な生命にとって猛毒だ。
多くの生命が、肉体はそのままに精霊だけを飲まれて死んだ。
新人類は、瞬間のうちに命だけを刈り取るその現象を恐れ、死神らの王、冥王毒と呼んだ。
しかし、新人類は諦めなかった。
彼らは、恐怖と闘う術を知っていた。
ある者は毒を防ぐために防壁を造った。
ある者は結晶化した精霊に目を付け、そこに街を築いた。
ある者は核融合炉を研究し、『闇』を統べる王となって街を滅ぼした。
ある者は英雄として、その『闇』を討ち果たした。
それから何千年もの間、この山はその在り方を変えながらも、ずっとこの場所で、様々な物語を生み続けた』
空間全体が、強い光で満たされました。
暗闇に慣れていたので一瞬、目が眩みます。
『私は、その全てを見守り、陰ながら人々を導いてきた』
ゆっくりと目を開けると、いつの間にか、リオネさんが魔法陣と呼んだものの中央に、人の形をした光の塊。
『よくぞ来た。人を捨てようとする者、人を守ろうとする者、そして人を造ろうとする者よ』
『私はジーニアス。
核融合炉を産み出した稀代の魔術師にして、核融合炉によって産み出された旧人類の総意』
『君たちの言うところの、神だ』
リオネさんの手でメイン・ストリートに降ろされた私は、あたりの混沌とした様子を確認し、すぐさま、リリオットからの脱出を決意しました。
ここしばらくの間、色々な騒動に巻き込まれて解ったことがあります。
私はやっぱり、他人のためには動けません。
どこまで行っても、自分のためにしか動けません。
であれば今回も、お金にならない危険を避けて逃げる以外の行動はあり得ませんでした。
私はただひたすらに、街の出口に向かって走ります。
走りながら思うのは、今回の騒動の原因はなんなのか、ということです。
悲鳴や怒声に交じって漏れ聞こえるのは、英雄がどうとか、劇がどうとかいった内容で、どうにも要領を得ません。
なんとか理解できたのは、皆さんが正義を謳い、何かを守るため、何かを救うため、悪しき何かと戦っていることぐらいで。
でも、それはつまり、ただの、普通の、何の変哲も無い争いです。
少し規模は大きいようですが、こんな争いのどこに、英雄や劇なんてものが関係するのでしょうか。
理想があれば、心があれば、この争いの正当な理由が、あるいは不当な理由が、理解できるのでしょうか。
私は何も理解できないまま、街に、危険に背を向けました。
馬車を使えればよかったのですが、どの馬車も破損しているか満員状態だったので、仕方なく歩いて隣国グラウフラル方面を目指します。まあ、三日も歩けばどこかの街には辿りつけるでしょう。
街を出てしばらくは街道のあちこちに、私と同様に騒動から逃げ出した方が散見されましたが、彼らはあくまで一時避難だったようで、そのまま数時間も歩くと人通りはほとんど無くなりました。
既にだいぶ暗くなっていたので、この辺りで夜を明かすことにします。
火を焚いて、騒動に乗じて失敬してきた精霊結晶を飲み込んで。
ぼんやりと火を眺めながら、改めてオシロさんの言葉を思い出します。
精霊を私に渡していたのが、自分のエゴだ、というその言葉を。
私の目からは他人を思いやる行動にしか見えなかったそれが、自分のエゴだ、というその言葉を。
たとえば。
たとえば、人を正しく導く神様は幻で。
たとえば、観測者システムは他人の視聴覚を借りるだけで。
たとえば、人の心は、精霊になってしまえば全て等しく燃料で。
たとえば、一連の騒動は全て、たぶん、心ある方々の手によるもので。
ならば、今まで私が他人に感じていた心というものは、きっと。
「……」
私は、ポーチに大切にしまっていたハートロストさんからの手紙、『自分の意識を現実に強制』できるというコードが書かれた手紙を、細かく破いて、たき火に放りこみました。
英雄的な行動は、私にはやはり、似合いそうもありません。
翌朝。
私は再びグラウフラルに向かって移動を開始しました。
前方には草原と雲一つない青空が広がっていて、リリオットでの争いが嘘だったようにのどかな空気です。
「オシロさんも無事に街を出られたでしょうか……」
リソースガードとしての仕事はどの支部でも出来るらしいのでリリオットを離れるのに抵抗はありませんが、退寮手続きが出来なかったことと、『オシロさんを街から連れ出す』という依頼を果たせなかったことだけはずっと引っかかっていました。
そもそも、オシロさんはあんな人間離れした身体で、普通に他の街へ入ることが出来るのでしょうか。
逃げ出してしまった私が気にすることでは無いのかもしれませんが……。
考えながらぼんやりと歩き続けていると、後方から馬車が走ってきました。
端に避けて先に行ってもらおうとしましたが、馬車はなぜか私のすぐ横で止まり、馬車の中から顔を出した女性がこちらを見てにっこりと笑いました。
「あら、あなたの左腕、とっても素敵ね〜。その心臓もSAY HOってかんじよ〜」
「えっ」
い、いきなりなんでしょうかこの人。セイホウとはいったい、いえ、それ以前に、左腕はともかく、なぜ私の心臓のことを、一目見ただけで。
動転する私を気にする様子も無く、女性はマイペースに、
「気が変わったわ〜。やっぱり魔王気取りにDOS-KOIするなら、かわいい魔法少女より正義の心を持った10万馬力の機械人形よね〜。よし、馬車に乗りなさい。わたしはあなたを研究して、一年でCOOLな機械人形を作り上げてみせるわ〜〜」
「いえ、私は……」
もう妙な騒動に巻き込まれるのは嫌だったので断ろうとすると、女性の服の袖からじゃらじゃらと金貨が零れ落ちました。
「行きます」
「ノリのいい子は好きよ〜〜」
馬車に乗ると、中は思ったよりも快適な空間でした。
女性、馬善多博士を名乗る彼女の雑談を聞き流しつつ、気になっていたことを尋ねます。
「ところで、機械人形とはなんですか?」
「自分でものを判断して動く、とっても優秀なお人形のことよ〜。ああ、でも人が乗れるようなのもいいわね〜どっちにしようかしら〜」
全てが私の義手や心臓のような人工物で出来た人形、ということでしょうか。
それが、自分の心を持って、動く?
ああ、それは、とても。
とても、おもしろいかもしれません。
「馬善多博士さん、私にも、その機械人形を作れるでしょうか」
私の不躾な質問に、彼女は笑顔を崩さないまま、特に疑問を挟むこともなく。
「あら、私の弟子になりたいっていうの? 私のしごきは死ぬほど強烈よ〜? それでも平気?」
「ええ、構いません」
私は微笑んで、答えました。
「私には、心がありませんから」
[0-773]
CGI script written by Porn