[0-773]
HP44/知6/技5
・アメンの角/0/45/6
・ソールの衣/0/22/3
・スリスの泉/37/0/8 回復
・石の礫/5/0/1
・アポロンの釘/10/0/8 封印防御無視
・オオヒルメの剣/50/30/17 炎熱
1:初手はソールの衣です。
2:経過カウントが40以降、相手HP≧自HP≧40ならオオヒルメの剣です。
3:相手HP−{(5−相手防御力)×相手残りウェイト}が負の数なら石の礫です。
4:相手残りウェイト9以上かつ自HPが20以下ならスリスの泉を使います。
5:相手残りウェイト9以上ならアポロンの釘を使います。
6:相手残りウェイト8、防御無視の場合か(オプションなしで攻撃力30以下)ならスリスの泉を使います。
7:相手の回復は攻撃力0と見なします。
8:相手残りウェイト7以上、(自HP−相手攻撃力)>10でアポロンの釘を使います。
9:相手が防御無視なら石の礫です。
10:相手攻撃力23以上かつ相手残ウェイト4以下でアメンの角を使います。
11:相手攻撃力22以下かつ相手残ウェイト2以下でソールの衣を使います。
12:相手残りウェイト1以上なら石の礫です。
13:経過カウントが40以降、相手が何も構えていない、かつ直前に使ったスキルの攻撃力が30以下ならオオヒルメの剣です。
14:ソールの衣を使います。
15:謝りながらオオヒルメの剣を使います。
女。
リソースガード隊員登録申請中。
東から来た異邦人。クラスはサムライ(剣と魔法使いの呪文が使える)。
剣の腕を試すためにリソースガード隊員の登録を行ったが、
書類に不具合が見られたために正式登録とならなかった。
そのため基本能力が計測不能であり、
無許可で戦闘行為を行う事は禁じられている。事務には苛められる。
現在は戦闘行為の一切ない部屋の掃除や食料品の配達などの依頼を受け、
酒場で細々と芸を見せて食いつないでいる。客には舐められる。
それらの入りが悪い時は、食べ物を直接乞う。救いようがない。
仕込んでいた刀はすっかり錆びてしまった。直す金も集まらない。
術式に使う貴金属や宝石は売ってしまった。それより食べるための金だ。
だが何時かは、本物のリソースガードになれると信じている。
そうでなければ、この街を出て行くしかない。
s_sen
ツイッター s_sennin
酒場で歌う、白髪の女が一人。
周りからすれば、下らない芸かもしれない。
心優しい青年が、彼女に金を与えた。
女はそれを、何年も待ち続けていたように喜んだ。
およそ一月前のことであった。
リリオットから少し遠方の町に、流れのサムライが一人。
サムライは、東の国の剣士である。
彼らは魔法使いの呪文と、切れ味の鋭い刀を使いこなす。
サムライの名前は、カラスといった。
カラスは、魔女討伐の依頼を受けた。
魔女はリリオットの近くの森に住んでおり、
男を喰らい、女を好んで奴隷にするという。
カラスは得意の『変化の術』を使って奴隷女に化け、
森にある魔女の館に忍び込んだ。
カラスと魔女は、術による戦いを繰り広げた。
「残念だったな。お主の術式は『アポロンの釘』によって、全て封じさせてもらった。
もはや、身動きすら取れまい。魔女よ、観念する事だな…」
カラスは得意げに語った。
「…舐めるな、術剣士ごときめ。奴隷女に化けるとはつくづく卑怯な奴。
しかし魔術に一生を捧げてきた私と、剣に反れたお前とでは力の差は歴然としている」
魔女の身体には、術でできた釘が刺さっている。
「何とでも申せ。この最後の封印の『釘』で、お主は存在を封じられる」
カラスが釘の術を打ち込もうとすると、魔女は腕に刺さっていた釘を引き抜き、
それを投げ返した。
術剣士と魔女の姿は消え、女が一人残った。
傍には、釘の刺さった黒い水晶が落ちていた。
女はそれを拾い上げ、森の館を去った。
女の腕には、魔術の釘が刺さっていた。
カラスはリリオットの街へ辿り着いた。
先ほどの戦いで、魔女を封じることには成功した。
しかし、自分の姿は最後に『変化の術』を使ったままに固定された。
今はおそらく、どこからどう見ても女である。
魔女は、強烈な呪いを最後に放ったのだ。投げ返した釘に乗せて。
釘は、カラスの左腕に刺さったまま抜けない。
それをあざ笑うかのように、魔女の封じられた水晶は光っている。
カラスの『変化の術』は完全に封じられた。
カラスは新しく腕を隠す防具を買うために、水晶を引き取ってもらうことにした。
立ち寄った店には、『ソウルスミス加盟店』とある。
異邦人であるカラスには、何のことか分からない。
「ダメだね。この水晶はキモい邪気を放ちまくりだね。
君はリソースガードでもないのに、そんなキモい物持ってるんだね。
正式な許可を得た真面目なリソースガードさんのお話でない限り、
そんなバカなことは信じないね。君は魔女かなんかじゃないよね。
とにかくお帰りよ、お嬢さん」
店主に引き取り話は断られ、おまけに変えられた姿で呼ばれたので
カラスはとても気分が落ち込んだ。
しかし、リソースガードの話は気になった。
カラスは、ガード仲介所へと足を運んだ。
街へ来てわずかも経たないが、登録手続きまで何とかこぎつけた。
しかし、書類のある一部分がどうしても記入できなかった。
素直に書けば良いのに、カラスにはそれが出来なかった。
一時間も経った頃、耐えかねた係員が残りの部分を追加した。
「ちょっと、どうしたんですか?具合でも悪いんですか?
左手が疼いてるみたいですけど何かあったんですか?邪気ですか?
何でこんな簡単な事が書けないんですか?女性に○しておきますよ?
ここに○をしないと、正しい強さの試算が出来ないんですよ?
ガードに正式登録できないんですよ?戦闘が出来なくなるんですよ?
たまにいるんですよね、出身地とかも書かない人。
うんと珍しい事じゃないんですけど。分かってるんですか?
どういう状況か知らないけど、その分ペナルティは課せられるんですよ?」
係員はカラスに冷たい言葉を浴びせた。
カラスは力なく返事をし、現在の提出書類の確認を行った。
「じゃ、とりあえずこの非戦闘系のクエストを受けてくださいね。
初めての人はほとんど非戦闘系のクエストから正式登録となって
色んなクエストが受けられるけど、申請中のままだと無理ですからね。
あんまりお金も入ってこないから、
さっさと登録かアルバイトでもすることですからね」
こうして、カラスのリリオットでの冒険は始まった。
カラスは、酒場で語りの芸を見せた。
いにしえの神々は 人間に戦いを挑みました
神々はそれより昔 技と魔を用いて
人間を支配していました
技を伸ばした 人間たちは
やがて 神を超えたいと思うようになりました
いにしえの神々は 人間に戦いを挑みました
長く続いた戦いの末 神々は人間に
光の世界を譲りました
その裏側にある 影の世界
やがて 神々は小さくなり…
精霊と なりました
「ここより、はるか西の島国に伝わる伝承です。
あらゆる自然の現象はその昔、神々の力と信じられてきました。
そして、神々が信じられなくなると…
自然の力は精霊と例えられるようになったようです。
私は異邦の者でございます。この街に伝わることはまだ良く知りません」
「ええと、今のでお金を取るのかしら」
「インカネーション部隊に職務質問されそうな内容だな…」
「旅人は容赦ないのね」
観客は、少々ざわついた。
カラスは、とぼとぼとその場を去った。
あの時の青年を思い出す。
彼のあの優しい笑顔が、たまらなく魅力的に思えた。
…呪いで身体がこんな風に変化したからだろうか。
いっそのこと、このまま素敵な旦那様を見つけて
幸せに暮らした方が良いのだろうか。
東の国で手合わせをしたサムライ仲間の内に、
今のような身体だったらすぐにでもついて行きたくなる程の伊達な男がいた。
いや、そんな考えはあまりに駄目だ。
そうなりたいとも思っていた頃もあったが、
いきなりこうなってしまっては、心の準備もあったものではない。
左腕に刺さった釘は、存在を思い出すと強烈に痛む。
逆に忘れるとその実像自体が薄れ、痛みはなくなっていく。
カラスは一生懸命働くうち、剣のことは忘れていった。
魔法のことも忘れていった。
呪いのことも忘れていった。
しかし、食べるだけの金は集まらなかった。
金になりそうな物といったら…手持ちの仕込み刀がある。
せめて、手放す前に刀身の輝きを見ておこう。
カラスはそう思ったが、しばらくの間使用していなかったためか
引き抜く事ができなくなっていた。
語りには続きがあった。
ときどき 不思議な事が起こるでしょう
精霊たちが 騒いでいます
人々のことを影の世界からずっと 見ているのです
忘れないでいてほしいと
思い出してほしいと
人々は自らにとって未だに知らぬ脅威である自然を、
昔から語り続けている。
ソールの衣は、身につけた者の姿を消すことができる古代の神具である。
光の屈折を利用して相手の資格を惑わし、
あたかも使用者が透明になったかの様に見せる。
リリオットの街には、公衆浴場が設置されていた。
誰でも安く入れるらしい。
浴場の形式は、創始者が東の国のスパを参考にしている。
男女が別れ、人々はほとんど何も付けないで入浴する。
カラスは東の国にいた頃、それは特に納得がいかなかった。
が、今は久々の風呂であるし、別の目的が一つある。
この湯は、「霊傷」にも効くという。
カラスは腕に刺さった封印の釘が何とかなるなら、
何にでもすがりたいのであった。
どうしても受け入れられない風習にでもすがりたかった。
まさか、昼間から湯に使ってのんびりとする者はいないだろう。
カラスはそう思い、貯めた小ゼヌを払って浴場へ進んだ。
今の身体で入れるのは、女性用の浴場である。
服を脱ぐと、変化させられた身体が嫌でも目に入った。
もちろん女性のはずだが、少年のように痩せた姿である。
明らかに均整の取れた理想の身体ではない。
カラスはせめてもの気休めにと、ソールの衣を持参した。
この衣さえあれば、自分の姿だけは人に見えなくなる。
人がいれば、こっそりと紛れていればいい。
却って良くない行為となるかもしれないが。
案の定、昼間の浴場には誰もいなかった。
カラスは上から流れてくる打たせ湯のある場所で、
魔術の釘の刺さった左腕を打たせた。
「ぎえっ!」
思わず悲鳴を上げるほど痛かった。当然の結果である。
しかし、ここでくじけてはいけない。
「ぎええええっ!」
「ぎゃああああ!!」
何回繰り返しても痛かった。
すると、何者かが風呂場へ入ってきた。
カラスは慌ててソールの衣を被った。
「どうしたんですか?大きなバスタオルなんか掛けて」
衣の魔力は通じなかったようだ。そして、若い娘らしい声をしている。
カラスは、ますます慌てた。
「ちょっと装甲を洗いに来ました。
クエストの途中で泥の精霊が自爆したんです。
なかなか精霊汚れが落ちなくなっちゃって」
「あら、そうですか…!?それはそれは…」
カラスは慌てながら返事をして、相手の方をちらりと見た。
泥に汚れた装甲姿の女傭兵がそこにいた。
安心しつつも、カラスは恥ずかしくなりその場を後にした。
設定原案:Matrioshka_doll様
街の雰囲気は、何も知らない旅人にとっても不穏に感じられるほど変化し始めた。
ましてや、現地住民にとってはいかがな事であろう。
ここにもまた一人、無知の旅人がいた。
カラスは、リリオットの図書館に来ていた。
図書館に来れば、この街の歴史を知ることができる…
もとい、無料で時間や空腹を潰せるからである。
この静かな場所なら、邪念も払える。
先程出くわしたあられ揚げの屋台を眺めてから、カラスの邪念は朝霧のように消えない。
カラスは『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』という本を借りて読んだ。
あられの卵とじ載せトーストが、実に旨そうに掲載されている。
だが、そんな事をしている場合ではなかった。
金もない、仕事もない、おまけに呪われている。
街からは抜け出せない。このままでは干からびてしまう。
仕方ない。今は街のことを良く知り、上手な過ごし方を考えよう。
カラスは、知識を増やすために本を読んだ。
『観光客に贈るリリオットの歩き方』
『リリオット経済誌』
『騎士剣術指南』
『古代精霊論』
『リリオット広報:あられ』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『やさしいヘレン様』
『児童用フルカラー天然色精霊図鑑』
『みんなで遊ぶレクリエーション』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『美味しいあられの揚げ方(恋愛小説)』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
『3分で簡単アレンジあられクッキング!!』
そして、図書館を出た。
目の前には、汚れた作業着の少年がいた。
ちょうど入れ違いになろうとしていた彼の手に、
あの美味しそうなあられ揚げの袋が握られていたのだった。
カラスは、少年に話しかけた。
「そこの君、私は東の国のサムライ。光陰相対流のカラスと申す。
今はこうして各地を修行して回っているが、そのついでに珍しいものを集めている。
そうだ、東で作られたビー玉を交換しないかい?」
「これから、調べものをするんだ。また後でね、バイバイ」
少年は面白そうに笑ったが、急いでいるようだった。
「あ、あ、あの…あられ…あられが…」
カラスは少年の手にある袋がどうしても欲しかった。
「ん?この袋?全部食べちゃったけど」
いそいそと図書館へ入っていく彼を、カラスは残念そうに見送った。
昔々ずっと昔。
神々が戦争をする前のことでした。
神々の中でも一人、強大な力を持つ神が王様となって、
世界を支配していました。
王様の力にかなう神は、何千年も現われませんでした。
ところが最近、戦乙女という者たちが、
力を増してきているではありませんか。
その名もずばり、戦う乙女の姿をした神です。
神々の王様はこれを恐れ、戦乙女だけでなく、
全ての乙女たちに不思議な力を与えました。
『魅力』です。これを持っている限り、
表向きは力が増えたように思えます。
しかし、実際はその代わりに力を失います。
その後、王様はしめしめと思いましたが、
結局は知恵と策略と判断力の高かった一人の戦乙女に
負けてしまいました。
※一つ先の町の伝承。なお、この一人の戦乙女が
ヘレン伝説の一部となったと研究家は考えている。
カラスは依頼された商店の掃除を終えると、
食堂『ラペコーナ』へと向かった。
以前は良くヘレン教会から施しのスープをもらって食べていた。
だが、この間の掃除の依頼で『ラペコーナ』の主人と仲良くなり、
以来世話になっている。
カラスはメニューを考えて、わくわくした気分になっていた。
ふと、狭い路地から良くない声が聞こえてきた。
「おい爺さん、大人しくしな…」
「おうおう、兄貴に逆らうと怖いぜ?スキルが封印されるぜ?」
「噂によると若い頃はフサフサの黒髪だったと聞くぜ?」
「だとしたら怖いぜ?じゃなくていい所へ行かないかだぜ?」
「ゲヘヘ…」
5人の男たちが黒髪のようだが頭髪のほとんどない老人を取り囲んでいた。
リリオットにおける黒髪の人物の地位については、最近分かったばかりである。
カラスは抜けなくなった刀を手に、男たちに近づこうとした。
その時だった。
「ザルは全てを通す魔法の装置!
だが、私の目は全ての悪を通さない!
聖なる正義の戦士、ホーリーバイオレット・華麗に参上!」
光る衣に身を包んだ女戦士が現われた。
その姿はまるで、英雄伝説にでも出てきそうな戦乙女のようであった。
「ち、ちくしょう!俺たち五兄弟の強さが5人合わせて50しかないのをバカにしやがって!」
「兄貴!それを言ったらまずいって…」
「逃げよう逃げよう、プランも書き換えてねえし」
「何か封印されそうだし…」
「ゲヘヘ…かわいいなあ…かわいいなあ…」
男たちは慌てて逃げていった。
「さ、もう大丈夫。そうだ、あの人にお家に連れてってもらいましょう。
何かあったら、また呼んでくださいな」
女戦士は、助けた老人をカラスに引き渡した。
「もう一度言いますけど、我が名はホーリーバイオレット。運が良ければ再び会いましょう」
彼女は、颯爽と風のように駆け抜けていった。
カラスが初めて『変化の術』を使用したのは、
物心がつくかつかないかの年頃であった。
カラスは術を使って鳥に変身し、気の向くままに飛び回った。
住んでいた場所が見下ろせた。そして、高い空が見渡せた。
歩いていた頃では考えられないような気分であった。
そして、自分の姿に疑問を持ち始めたのはそれからだった。
普段の翼もなく二本足で立っている、傍から見れば人間のこの姿が、
ひょっとしたら偽りの姿であるのかもしれない。
翼をはためかせ、空を自由に飛んでいる姿こそが、
何もかもから開放された真実の姿なのかもしれない。
だが、鳥のさえずりが言葉に聞こえたことは一度もない。
もっとも、自分が人間であるという保証もどこにもない。
だから、柔らかい地盤のような自己の認識を魔女に狙われたのか。
魔女に呪いの釘で打ちつけられた時から『変身の術』は使えなくなり、
身体はその時の仮の姿、作り物の魅力を備えた女の姿のままになってしまった。
カラスの持っている異国の術の方式は、少し精霊駆動に近い。
彼とカラスは、酒場を出て街路を共に歩き出した。
彼とはカラスの歌芸を聴いていた一人であった。
彼はサルバーデルと名乗り、カラスを散歩に誘った。
彼は一見すると上品な紳士であったが、一つの特徴があった。
彼は、仮面を身につけていた。
偶然にも、今の二人は共に仮の姿であった。
街の空気は、少し冷たい。そして、いつも不穏な感じがする。
歩いている途中、カラスは身の上を彼に少し話したが、
魔女の呪いの事は明かさなかった。
カラスは、街の一画にある時計館に案内された。
古今東西様々な時計が、シックな建物の中に規律良く並べられている。
カラスはふと、館にある金属の缶に目をやった。
「これは、古い砂時計。廃材をつなぎ合わせた無骨な物です。
ひっくり返すと、ほら。音がするでしょう。砂の音です。
貴方の時はこのように、動き出しました」
彼は砂時計を逆さまにした。
「ただ、普通の砂時計と違って砂の流れ落ちる様子は見えません。
ですので、誰も好んで使おうとしませんでした。
私はその珍しさに惹かれて、購入を決めたのです」
カラスはこの砂時計と同じく変わっていたから、
サルバーデルに声を掛けられたのではないかと思った。
時計館での、今までを忘れるような一時。
館の主人のサルバーデルは、自分を雇ってくれると言っていた。
カラスは迷った挙句に曖昧な返事をして、館をいったん後にした。
煌びやかな調度品に、豪華な食事、優しい言葉。
そこを出れば、また乾燥した街の姿に戻った。
それから翌日のことだった。
「お〜、お〜、そこの、そこの」
身体の大きな男が話しかけてきた。
彼はとてもがっしりとした姿であり、何らかの肉体労働者であることを示していた。
カラスはそれに応じた。
「あ〜、ボウズ!」彼は呼びかけた。が、カラスは否定した。
「私は坊主ではありませんよ」「お〜、ボウズボウズ!ボウズボウズ!」
カラスの話は聞いていない感じがする。
「聞いてくれよなあ、ボウズ。俺あ、つい最近〜、とても悲しいメにあっただあ」
カラスは逃げようと思ったが、そのまま彼の話を聞くことにした。
「お、おお、俺あ、生まれてきでからずっと、悪いことばっかあ、してきただあ」
彼はまるで舞台に上がった役者のように話した。
その間、カラスの相槌はことごとく打ち消された。
「ああ、たっくさん、盗みをしただ。たっくさん、ケンカもしただ。
たっくさん、殺しもやっただ…」
カラスの目は曇った。
「そしたらな、ボウズ。最近な、俺あのワル仲間がドジって殺されちまったんだあ。
悪いこどするつもりだったがよ、返り討ちにあってな、輪になって囲まれて殺されたんだあ。
ワルより悪いやつに引っかかっちまったんだ、そうすっとワルもな、どうしようもなんねえんだな…」
大男の目には涙が浮かんでいるようだった。
「ワルだったけどよ、いい友だちだったんだあ。盗みも殺しもしたけどよ、俺あにはちゃあんと優しかったんだあ。
だがな、ワルは結局…最後にいい死に方をしねえんだあ。俺あがぶっ殺したやつらもいい死に方じゃねがっただ」
「もし、俺あたぢがワルじゃなかったらと、ふと考えるだ。い、今からでも、遅くはねえ。
俺あだけでもアシを洗ってよ、もう一度考えるんだあ。
ボウズ、俺あ、出家してな、ヘ、ヘ…ヘレン様にお使えしてえと思ってるだ。
俺あ、頭悪くてワルになってたけどよ、今度は生まれ変わりてえだよ…。
ヘ、ヘレン様ならワルだった俺あでもよ、や、や、優しくしてくださると思ってなあ…」
「そうですね…ヘレン様ならきっと、あなたのことを受け入れてくださるでしょう」
カラスは大男の話を全て聞いて、穏やかな顔を見せた。
「お、おお!ヘレン教会のボウズ!ボウズ!出家させてくれええ!」
「ま、待ってください。私は僧侶ではありませんので、教会に案内するくらいしかできませんが…」
「おおおお!ボウズボウズ!ボウズボウズ!やっただああ!」
「うええん、話を聞いて!」
その後、カラスはヘレン教会に新しい信徒を連れて行った。
彼の決心を聞いて、カラスもまた心を決めることにした。
カラスはいつもの酒場に赴き、歌を歌っていた。
歌はサムライとしての教養の一つである。
風流なサムライたちは、戦や試合のない時に集まっては上品に歌う。
今は亡きカラスの師は、歌の名手でもあった。
教えてもらった東の国の歌を歌う時、カラスは時々彼のことを思い出す。
果たして、彼が生きていたら何と思うだろう。
今の状態では、まともに剣を振るうことができない。
それは呪いのせいなのか。
ただ、自分のせいなのか。
歌は終わり、カラスは親切な者が銭を投げてくれるのを待とうとした。
銭は来なかったが、一つの質問が来た。
カラスが、何故このような事をしているかについてだった。
質問をしたのは、一人の紳士であった。
紳士は全身を、戦いのないサムライと同じくらい上品に着飾っていた。
しかし、彼は見たこともないような奇抜な仮面を身につけていた。
カラスのみでなく、その他の客もまた驚きを隠せないようである。
彼こそが、時計館のオーナー・サルバーデルであった。
カラスは再び時計館へ出向き、彼の元を訪ねた。
「先の事は、申し訳ありませんでした。日を改めて、私は心を決めました」
と、カラスは話を切り出した。
単なる旅人のカラスには、この街があまりにも過酷な場所に思えた。
日々絶え間ない差別、貧困、暴力の連鎖。
この優しき紳士もまた、それに憂えているのだろう。
カラスはリソースガード正式加入の条件を絶ってでも、彼の力になりたいと思った。
もしものためなら、この剣を再び振るっても良かった。ただし、条件をつけて。
それから少し間を開け、カラスは静かに言った。
「ですが、どうかこちらからもお願いしたい事があるのです。
私の剣は弱きものを活かし、守るためにあります。
人の命まで斬ることは出来ません。
それを認めてくだされば、どうかしばらくの間…あなたのお傍に置いていただけませんでしょうか」
サルバーデルは相変わらずの仮面の姿で、その内はどうなっているのか分からない。
だが、カラスには穏やかな表情をしているように思えた。
「わかりました。仕事の内容は様々…では、早速引き受けてくれますね?」
サルバーデルは嬉しそうに返事をし、カラスを雇い入れた。
「まずは少し、カジノディーリングの練習をしましょう。1から9のカードがここにあります。
これをテーブルの上に並べられるようにしてみて下さい」
「ええと、1、2、3、4、5、6、7、8…6…?」
「ふふ、このカードは6ですよ。そして、この下線が引かれているのが実は9です」
「なるほど、紛らわしいんですね。9が逆さまで、順番を6と入れ替えて…」
「これで、配置が正しくなることでしょう。さあ、一番上の数字をご覧あれ」
カラスは時計館を出て、残っているリソースガードの雑用を受けに行った。
その雑用仕事をする機会も、ほとんどなくなるだろう。
時計館での勤めを終えた頃。
一人の少女が現われ、道を案内してほしいとカラスに頼んだ。
それがごく普通の少女なら良かった。
彼女は、マドルチェ・ミライエール・フォン・リリオット。
街と同名のリリオット家の令嬢であった。
少々世間からずれていたが、笑顔が眩しい娘である。
彼女を家に送り届ければ、報酬が貰えるかもしれなかった。
ところが、そんな欲を出したのが運の尽きだった。
カラスは令嬢誘拐の容疑をかけられ、騎士たちに連行された。
純粋な彼女を利用し、金を得ようと大変見苦しい行いをしてしまった。
カラスはそれを天に向かって恥じた。
どこかも良く分からない、地下室にて。
「ハッハッハ!さあ、手を後ろに組め。そうだ」
騎士たちによる尋問と身体・所持品の検査が行われていた。
「んー、何だ?その顔は。面白えじゃねえか」
尋問担当の騎士は品のない表情を浮かべ、カラスの顔を覗き込んだ。
カラスは下着姿にひん剥かれ、所持品をもう一人の騎士に取り上げられた。
「さ、今度はバンザイだ。早くしろ」
カラスは言われるとおり、両手を上に掲げた。
「ヒーッヒッヒッヒ!そんなにお腹を押されたいのかねえ?押されたいのかねえ?」
「!」カラスは突然腹部を軽く押され、悲鳴を上げた。
ttp://www.geocities.jp/s_sennin1217/s_skhelp/s_skhele101.jpg
騎士は二人いた。リリオット家に仕えている者たちだろう。
尋問の騎士は大柄でお世辞でも美しいとは言えない男だが、女物の鎧を着ている。何かあったのかもしれない。
もう一人の検査の騎士は、目つきが鋭すぎるウェーブ髪の女だった。こちらは全く喋らない。
「ま、せいぜいアタシたちみたいにたっぷり物を食ってトレーニングにでも励むこったな。
そうすりゃこのガキみてーなガリガリでチビの身体も少しはマシになるんじゃねーの。
なんか確かニンジャだっけ?よくわかんねーけど」
尋問の騎士はやる気がなさそうに話したが、ずっと喋り通しである。
「ニンジャではありません、サムライです」そして時々、相槌を入れるのがカラスである。
「あーうん、じゃあそれだ」
他愛もない話をしていたら、他の騎士が戸を開けて入ってきた。
「…貴様への処分を下す。釈放だ」
と、騎士は静かに語った。なぜか兜を身につけている。表情を悟られないようにするためか。
「協議の結果…捜索依頼の報酬金は十分の一、第一発見者の当家の兵士に支払われる。
貴様は、マドルソフ様直々の裁定によって無罪とす。ただし…」
騎士は、はっきりと言った。
「お嬢様の事は口外するでないぞ、旅人よ。そうなると裏の諜報隊が貴様を生かしてはおかぬ」
「そんな…あのお嬢様、マドルチェ様が一体何をしたと…」
カラスは驚いたというより、不穏さを感じた。
「貴様の知った事ではない。無論、我々下部の人間もほぼ知らされていないのだが。
とにかく、ここから出て行ってもらおう」
解放された先には、広い風景が見えた。
ここも、街中とは打って変わった様子である。
一体、何を意味しているのだろうか。
カラスはマドルチェの明るい笑顔を思い出しつつ、リリオット家の敷地を後にした。
はるか昔。戦いに持てば必ず勝利するといわれるお守りがありました。
南に住んでいたアマゾン族の無敗の戦士。
百二十年の治世を誇った女王。
聖女へと祭り上げられた平民の娘。
時を超え、場所を超え、彼女らの手にしていたのがこの水晶でした。
しかしアマゾン族の戦士は病には勝てず、
長生きの女王は老いには勝てず、
平民だった聖女は嫉妬には勝てず、
無念を抱いて死にました。
時を超え、場所を超え、彼女らの手にしていたのがこの水晶でした。
そのたびに透明だった水晶に曇りが見え、
今ではすっかり煙のように濁っています。
やがてその話も忘れられると、
無念だけがひとりでに歩き…
カラスは、再び街の中にいる。
釈然としない何かを抱えていたが、とりあえず浴場に行ってから考えることにした。
騎士たちに身体検査を受けたことで、とにかく気持ちが悪かった。
『変化の術』を使って動物か何かに変身して水を浴びればたいそう楽なのだが、
それはいまだに封印されている。姿を変えた魔女の呪いは、解決したわけではない。
もはや人が居ても居ないのも関係なしに、
カラスは光の速さで風呂から入り、上がっていった。
そして次にフルーツ入りの牛乳を買い、それを開けて飲みながら、
身につけていた衣類を『精霊渦の箱』に突っ込み…
恐ろしい事に気がついた。あまりの衝撃で牛乳は吹き出してしまった。
カラスは、厳重に保管していた(といっても、普通に所持していただけだった)
暗黒の水晶を無くしてしまっていた。
水晶の中には、魔女が封印されている。
街に着いたらどこかで鑑定後、危険物として引き取ってもらおうと考えていたものだった。
それをうっかり落とすなどして外部に流出させたら、
どんな危険が待ち受けているだろうか。
もしや、あの時。
リリオット家で尋問を受けたときに、忘れてしまったのではないか。
であるとしたら、再び訪れるのも難しい場所である。
しかし、危険物の一つや二つは上手く廃棄してくれるかもしれない。
取り返しに行こうか、どうしようか。
カラスは悩んだ。
いつの頃だったろうか。
リリオット家のとある一画にて。
それは、ふわりと空を飛んだ。
封印のために光の魔術のかかった布を巻き込んだまま、強い力に導かれて飛んだ。
マドルチェの傍に、半透明の布と釘の刺さった黒い水晶が落ちていた。
彼女には、それを拾うか、さもなくば破棄するかの選択があった。無視しても良い。
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『暗黒の水晶』
男喰らいの魔女が封印されている水晶。魔女の知恵の分より1本少ない数の釘が刺さっている。
マドルチェの捨て去った感情を思い起こさせる。
0:装備者が能力者の場合は、新たな術を会得できるかも知れない。
1:装備者が女性の場合は耐久力か技術を、魅力の分だけ伸ばす事ができる※。
2:装備者が男性の場合は耐久力か技術を、世の女性に備わる魅力と同じ分だけ減らし、性別は女性となる。
3:さもなくば、不快な邪気を放つくらいで何も起こらない。
※魔女の都合良さで出来た力のため、男性にはならない。
『ソールの衣』
装備者の姿を光の屈折で隠す外套。ただし、降りかかった粉末などからは身を隠せない。
暗黒の魔力を軽減する。
昔々、太陽の神はその名前を変え、性別を変え、神位を変え、
各地を等しく照らしていた。
南ではアポロンという青年の姿をしていた。
西ではベレヌスという炎の神であった。
東ではオオヒルメという神々の女王であった。
この辺りでは、ソールと呼ばれていた。
人々はその恩恵に与り、その力を借り、受けた奇蹟の真似ごとをした。
カラスはソールの奇蹟を体現した魔術の道具を、リリオット邸に忘れてしまった。
しかし、それは自分で何度も作成できるので別に良かった。
それよりもっと恐ろしい魔術のかかった物を置き忘れたのが、今は特に気がかりだ。
――ある程度資金が貯まったら、こんな治安の悪い街をさっさと出て自由になろう。
涼しく透明な旅人は、風を受けながら暮らすのだ――
以前はそんなことを考えていたが、あのような危険物を流出させてしまっては、
風だの何だのとぼやいている場合ではなかった。
このまま黙って街を出ることは正義のサムライの道に反している。
カラスは思い切ってリリオット邸の門番に尋ねてみた。
「あの、この間はお世話になった者で…。実は、持ち物をお宅にて無くしてしまったようなのです。
ああ、あの石は…私の親の形見…!無くしてしまうと危け…ではなくて悲しいのです!はい!」
でっち上げた嘘をついてまで必死に演技をしたが、門番は事務的に返した。
「担当の騎士が言っていたが、そんな物は落ちてなかったそうだよ。あきらめて他を探しなさい」
こちらの話はこれ以上通じないだろうが、街を治める第一の名家なら
万が一の事態をすぐに収束させてくれるだろう。
カラスは時を待つことにした。
新しい心配の種が増えたにもかかわらず、カラスは張り切って出勤した。
時計館"最果て"の雇われ人になってから、生活がだいぶ変わった。
最近は、時計館での泊まりの仕事が多い。
ちなみに完全な住み込みは緊張のためか、まだ出来ないでいた。
そのうち、慣れてきたら申し込んでみようと、カラスは考えている。
汚い街並みは、相変わらず…
とも言い切れなかった。
どうやら、少しずつ整備されているようである。
カラスは自分の生活が変化すると共に、
街並みが美しくなっていくように思えた。
今日は、時計館にある、展示品の整備である。
サルバーデルはカラスを部屋の一つに連れて行き、道具箱を渡した。
カラスは道具を使い、一つ一つ時計を手入れした。
細かい作業なら、自分の中では割と得意な方であった。例えるなら、
歴史、文学、計算、料理、絵画、音楽、徒競走、剣術、魔術…と同じくらいに。
何事も割と得意な方だったが、つまり、
言い換えると何事も突出していない半端者になる。
そんなことを考えていながら、カラスは黙々と作業に取り組んでいた。
サルバーデルは時々指示を出しながら、その様子をじっくりと見守っていた。
時計を構成する金属のパーツを磨き上げると、
それは朝の日差しと同じように美しく輝いた。
さらに、それらを一つに組み直すと、
穏やかに澄んだ針の音が聞こえてくる。
東の国の剣術道場では、師に従って修行をこなした。
師は様々な難題…
時には常人でも叶わない働きを、
時には意図すら不明の謎かけを、
時には拍子抜けするようなとんちを、
弟子のサムライに与えたのだった。
時計の手入れもまた、半端な自分の為の修行である。
カラスは思い出し、その日々を懐かしんだ。
作業がふと、ゆっくりしてしまったのは…彼には見られていない。
いや、知らないふりをしているだけかもしれない。
他愛のない冗談を言いながら、二人はとても楽しんでいたようだった。
昼前に時計を二十四個全て整備し終えると、サルバーデルは誉めてくれた。
彼はこれから趣味の散歩に出かけるというので、カラスは他の仲間と共に見送った。
それから、カラスが嬉しくなって夢うつつの世界に入ろうとした時だった。
覚めるような主の鋭い一言が投げかけられた。
「これからは、あまり大切なものを落とさぬように……」
カラスはただただ驚いた。
この街でせいぜい魔女の水晶のことを話したのは、
旅人や冒険者向けの商店の店主一人くらいである。
サルバーデルは顔を仮面で隠して変わっているが、その顔は広いのだろうか。
もしかして、そのことを知っていて自分に話しかけたのか。
それとも、とんでもない炯眼の持ち主で、
わずかに漂う水晶の邪気を見逃さなかったのだろうか。
いずれにせよ、彼はただ者ではない。
カラスは感心してしまった。
固まっているカラスをよそに、仲間たちはくすくすと楽しそうに笑っているのだった。
カラスもそれにつられて、笑い出した。
事の重大さを、しばし忘れながら。
これから雨でも降るのだろうか、上から大粒の雫が落ちてきた。
ごろごろと頭上で音が鳴り始めた。
その正体は、屋根に上っているものであった。
さながら東国の門外不出の怪物絵巻そのままの、
普通の人間よりもはるかに大きい鬼女の姿だった。
カラスは仕込んだ刀を構えた。しかし、刃を出せるかどうか分からなかった。
その間にも、この鬼女が邪気を放って雨と雷を起こし…
というわけではなかった。
身体が山のようにでかく、その顔は真っ赤に泣き腫らしている。
それが、鬼女に見えてしまっていたのだ。
おそらくは、ごく普通の女性のようであった。
その昔、カラスがサムライになる前に東の国に流れ着いたところを、
剣の師匠が見つけて弟子にしてくれた。
彼がカラスを拾った当時のことを、「鬼や妖怪に見えた」と後で話してくれた。
彼のように、この身体の大きな泣き虫を自分の弟子にならないかと声をかけるのは
何十年もの鍛錬が必要であったが、情けをかけるのは今でも行うことができる。
付近の住民が明らかに不審がっている。
カラスはソールの衣をそっと、その大きな身体に羽織らせてやった。
光の屈折を利用した魔術の衣は、対象の姿を光の中へ隠す。
この間、不覚にも無くしてしまってから再び作り上げ、
魔力の定着が少し不安定となっていた。これで誰も気にしない…
というわけではなかった。
しくしくとした声はやがて、本物の雷を上回る鳴き声へと変わり、
周囲を大きく震わせるような邪悪さを増すようになってしまった。
カラスはそれを鎮めるべく、歌を歌い始めた。
鳴き声や歌声で時々周囲から注意や苦情を受けながらも、
カラスは粛々と歌い上げた。
歌が終わると、少し枯れた「ありがとう、だよ…」という声がした。
その後猛烈な風が吹き荒れて、濡れた風呂敷一枚がひらひらと残った。
もしかして、彼女は成仏してしまったのか…
というわけではなかった。
この奇怪な現象は、不完全だったソールの衣の魔力定着によるものだった。
衣を作るときに素材とした風呂敷が、
泣いている巨大な女性らしき者の涙をたっぷりと吸い上げた。
そこで光屈折の魔力は墨のように落ちてしまい、
この巨体の全身に一気に染み渡った。
姿の見えなくなった巨体はカラスに礼を言いながら、
ものすごい速さで駆け抜けていったと考えられる。
まあ、あれだけの強靭そうな肉体なら無事であろう。
ソールの衣は、また作り直せばよかった。
彼女、リューシャはそっと街の一画に消えた。
銀貨二枚を駄賃として、彼女は手紙を届けるようにカラスに頼んだ。
照れくさくてなかなか言えないようだったが、想い人への文だった。
そんなところもたまらなく可愛かった。
一緒に食べたあられ揚げは格別に美味しかった。
また会いたい。しかし…
輝く金色の髪に雪のように白い肌。
広い草原を思わせるエメラルドの瞳。
北の大地で聞いた太陽の女神、ソールの美しい姿まさにそのもの。
ひとたび笑みを浮かべれば花は咲いて木々は芽吹き、
世は光に満ちあふれるだろう。
彼女は、目の前で少し笑ってくれた。
だが、そこから深い悲しみが見えた。
本当に心の底から笑っている様子ではなかった。
緑色の草原は氷に閉ざされ、続く寒さの中、
永遠に来ない春を待ち受けているかのように。
その名が示すとおり、彼女は光だ。
でも、その光は弱々しく濁っている。
と、カラスは思った。
たかが一つ物事を頼まれただけだ。
なぜだ。どうして、こんなに気になるのだろう。
惚れたのか?いや、そんな下品なことでは決してない。
断じて違う。ちゃんと手紙を渡す人もいる。
恥ずかしい内容の書いてある手紙が。
開けてみようか。いや、絶対にだめだ。それこそ恥ずかしくて下品だ。
開けたい!下品だ!開けたい!下品だ!開けたい!下品だ!開けたい!開けたい…
この用事を終えたら、彼女は少しでも喜んでくれるだろうか。
そんな思いで、カラスは街の清掃員の中からダザという男を探した。
親切に彼のことを教えてくれる清掃員がいた。彼は義足らしい。
彼のことは最近見ていないと言う清掃員もいた。不穏である。
黙ったままの清掃員もいた。別の意味で、不穏である。
つま先のみ金属の年老いた清掃員もいた。人違いもはなはだしい。
見えない所で黒髪狩りに遭った無残な遺体を片付ける清掃員たちもいた。
辛い仕事である。
時間がどんどんと過ぎて行ったが、目的の清掃員は見つからなかった。
事務所に問い合わせたところ、体調不良で欠勤ということらしい。
そして、彼の自宅までは聞き出せなかった。
空はあっという間に暗くなってしまった。
これでは、リューシャをますます悲しませるだけになってしまう。
カラスは一人、落ち込んでしまった。
街の人通りも少なくなり、清掃員たちも帰ったことだろう。
ふと、傷ついて汚れた格好の清掃員がふらふらと歩いているのをカラスは目撃した。
義足をつけた青年だった。
その目は虚ろに見開かれていて、乾いた表情を浮かべていた。
カラスはその姿に恐れをなし、近づく事すら出来ずに逃げてしまった。
彼は、呪われていたのだ。カラスの受けたものよりはるかに強い力を感じる。
何とかしてやりたかったが、これ以上呪いの力を浴びたら自分の命も危うくなってしまうのが分かる。
カラスは、震えながら涙を呑んだ。
リューシャの手紙は渡せなかった。
翌日のことだった。
カラスは自由時間をもらい、広場でぐったりと日を浴びていた。
リューシャには申し訳ないことをした。
と後悔したところ、その顔がちょうど良く現われた。
カラスは手紙の事を正直に謝り、彼――ダザという清掃員に降りかかった呪いの話をした。
少し声が大きかったかもしれない。
その顔がちょうど良く現われた。何度見ても不吉だった。
呪われた男が追ってくる。
カラスはリューシャに連れられて、その場を逃げた。
リューシャは氷の魔法を使い、ダザの動きを牽制した。
氷…については後で考えよう。
逃げた先は、カラスにとって未知の場所であった。
だが、そこでは別の恐ろしいことが起こっていたようだった。
物が燃えた臭いがして、警備兵がそこを取り囲んでいた。
『審査会』中に爆発事故があり、一面を封鎖をしているらしい。
話を聞くうちに、見える範囲から彼が迫ってくる。
「…そうだ!『最果て』まで!」
今度はカラスが前を走り、彼女を連れて行った。
時計館『最果て』まで。
もう、あの特徴のある足音は聞こえなくなった。カラスは安心した。
リューシャは、建物の外観を不思議そうに眺めた。
「大丈夫ですよ、ここは私の働いている場所。
もう少ししたら開業になるんですが、とりあえず入れてもらいましょう」
と、カラスはリューシャを連れて館の裏口から入った。
いつもの仕事仲間たちが、新しい客人をご機嫌で迎えてくれた。
「あ、あの…私たち…」カラスが震えた声で説明しようとすると、
リューシャが落ち着いて話をした。
「突然、すみません。緊急の用件で、こちらのカラスさんから
助けていただきました」
「あ、あの…追いかけられて…それで…」
カラスが弱々しく声を出した時、奥から館の主人サルバーデルが現われた。
今日も落ち着いた佇まいである。文字盤の仮面が、上品に光っている。
リューシャはその姿に多少、面食らっているようだった。
事態を良く説明してないせいか、彼は相変わらず優雅な調子だった。
「初めまして、カラスさんのお友達の方。丁度良いところにおいで下さりました。
いいお茶が入ったんですよ。お菓子と共に如何ですか…?」
いっぺんに色々な事が起こり、カラスにはリューシャがとても疲れているように見えた。
彼女は、出されたもののほとんどに手をつけていない。そして、顔色がとても悪い。
カラスは何とか主人に頼み込み、時計館の二階にある宿泊用の自室の使用許可を得た。
そしてリューシャに、そこでしばらく休むように言った。
「もう少しでお仕事の時間になります。まだ、あの人がうろついているかもしれないので
様子を探るつもりです。それから、例の事故についても情報を…」
彼女の不安を感じ取り、カラスは話題を打ち切った。
「手が空いたら、また…戻ってきますから。私の部屋は、お好きに使ってください」
カラスは、何とか笑顔を作った。無事に作れたかどうかは分からない。
「ええ、ありがとう…」彼女はこれまでにないほど、力のない返事をした。
カラスもまた、突然の出来事で不安になっている。
二つ、大事なことを忘れていた。
一つは、自室を全然片付けていないこと。
荷物や雑貨、ここや図書館で借りた本、机の上のスケッチを散らかしたままにしていた。
もう一つに至っては、思い出すのも忘れていた。
「おい!またお前か!何なんだ、コラ!
だからソトヅラはいくらキレイにカワイく着飾ってても、
お前自体からは一切楽しい女の匂いがしねえっつってんだろ!
この鼻が分かってるんだ、こっち来んなや!
俺はお前みたいな男女の理から外れた畜生野郎とのおふれ合いをする奇特な趣味はねえんだよ!
ましてやぶっ殺したくなるような黒髪でもねえ、分かったんならさっさと行け!気味が悪い!」
時計館二階にある個室。
アンティークの家具でまとめられ、その一つ一つが目に刺さる派手さがなくとも、
調和の取れた美しさを感じさせる。しかし、使用状況が良くない。
本棚からは乱雑に本が取り出され、それは床の上にいくつか堆積している。
品物自体は良いが、机の上もひどい。
おもちゃの騎士人形三つと明らかに安物のアクセサリーの数々が汚い列をなしている。
チラシの裏に描かれた不気味な絵も気になる。棘の生えた石ころみたいだ。
脇には『Krystallos Magissas』という字がある。
食べ物の跡がないのがせめてもの救いだ。
そして壁に立てかけられた箒に、リューシャの目が行った。
先ほどまで、この部屋の主が持っていたものだった。
リューシャは内緒で、それを『開けて』みた。
しばらくして、カラスがクラッカーとレモネードを持参してきた。
カラスは部屋を見るなり慌てて机の上を寄せるように片付け、差し入れ品を置いた。
「失礼しました。あの人のことなんですけど、私じゃ興味ないご様子で…」
まずは、ダザのことを話した。
「誰かに呼ばれているみたいで、目の前でそのままいなくなってしまって。
その誰かというのは、本当に人なのか、呪いの…幻覚によるものなのかは、分かりませんでした」
「…なぜ、呪いのことが分かるの?」
やはり、リューシャは疑問に思ったようだ。仕方なく、カラスは街に来てから初めての事を話そうとした。
「この事は、誰にもお話ししませんか」
「ええ、もちろん」
「私が…このように呪われているからです」
カラスは腕の防具を外し、リューシャに呪いの釘の刺さった左腕を見せた。
傷は、ちょうど火であぶったように焼けている。
「…霊傷!」
「今ある姿は、仮の姿。呪いの主により、この、女子の姿へと変えられてしまいました」
リューシャは黙って聞いている。
「はは、可愛いでしょう。本当はもっと…魅力もなくさえない姿の、ただのサムライなのです」
彼女はカラスの顔を、まじまじと見始めた。カラスは恥ずかしくなったが、話し続けた。
「旅の途中魔女を封印しようとして、最後のあがきにより呪いの術を返されてしまいました。
私はもう、呪いの力を受けすぎて…近づくと霊傷の部分が焼けてしまいます」
その次の、魔女の水晶を落としたというさらに情けなくてかつ恐ろしい話は出来なかった。
「ごめんなさい。つい自分のことを…わ、忘れてくださいませ…」
カラスはリューシャに謝った。リューシャはあまり笑っていない。それもそうである。
霊傷で思い出したが、爆発事故の話も彼女にしなければならなかった。
彼女は、そちらの出来事もダザの件と同じくらい、心配している様子だった。
「例の、事故の話ですけど…瓦版をいただきました。ご覧ください」
カラスはリューシャに街角でもらった瓦版を渡し、自分の所持分を読み上げた。
「精霊精製競技会で爆発事故発生。死者二十数名、怪我、行方不明者は増加の一途。
自爆テロの可能性が濃厚…」
彼女はひょっとすると、競技会の関係者なのだろうか。
大事な人が精神を侵されてしまい、おまけに自分の関わる競技会で爆発があった。
さらにカラスが余計な事もしゃべってしまい、心配の山を高く積み上げてしまった。
カラスはリューシャを慰めようとしたが、どうすれば良いのか迷った。
すると、リューシャは氷の魔法を使い、カラスの出したままの傷を冷やしてくれた。
こんな事をしてくれたら…ますますどうすれば良いのか分からなくなってくる。
思ったとおりに、優しい人だ。
リューシャは決心がつき、ここを出ることにした。
出発の前に、彼女は新しいチラシの裏に連絡先を書いてくれた。
この時に見た彼女の顔の、何と美しいことか!
カラスはチラシを握りしめて、嬉しさのあまりぼんやりと見送った。
その顔からは炎の熱が出そうだった。
リューシャがなぜ気になったのか。
それは、危うかったからだ。
このままにしておくと呪われるよりもっと恐ろしい道を、自ら進んでいくような気がする。
かつて自分が進もうとした魔物への道だ。自分は魔物になり切れなかった。
あの時教会前にいた大男もまた、魔物になり切れなかった。
それと比べるのはあまりに違いすぎるが、リューシャにはそうなって欲しくない。
彼女は優しさを持っている。
しかし人を斬りつけても、平然としていそうな冷酷さを同じく持っているのではないか。
もしくは、すでに人を斬ってしまい、その事を他人や自らに隠しているのではないか。
そんな悲しさが漂っていた。
それを是非助けてやりたいという気持ちがあったが、
それは同時に彼女に対する恐ろしさも生まれさせていた。
カラスは恐ろしい気持ちを隠し、彼女に近づいたのだった。
人の形をした魔物はこれ以上、増えて欲しくない。
カラスは強く願っている。
だが、結局は何も伝えられなかった。本当に情けない。
せめて、送り届けようとしても…また呪いの傷が焼かれてしまう。
魔女の水晶を落としてから、同じく呪われたダザに遭ってから、
ますますそれは凶悪になったかもしれない。
それは剣術を修行して、初めてになる命懸けの試合だった。
負けた者には、死が待っている。
カラスは負け、サムライとなった運命を呪った。
意識がゆっくりと落ちてゆき、夢を見ているようだった。
気がつくと、背に翼を生やし自由に飛び回り、カラスは異形の魔物となった。
そして、憎いサムライを斬りつけてやった。
しかし、止めは刺せなかった。
悔しくなってカラスはさらに飛び、魔物の棲む穴へ堕ちていこうとした。
魔物たちもまた、強さを誇るための試合を望んでいた。
カラスは再び負け、目を覚ました。
身体は弱っていたが、異形の姿は消えていた。
カラスは少しでも呪った事を悔やみ、再び剣術道場へ帰っていった。
生まれた地で十年も長く続いた戦争も、
サムライ流派の命がけの決戦も、
誰かが何とかして終わっていった。
私は何も出来なかった。今も何も出来ない。
魔女の水晶を落とした。でも、誰かが何とかする。
私と同じく呪われた人物がいた。でも、誰かが何とかする。
放っておけない誰かがいた。でも、誰かが何とかする。
リリオットの街は相変わらず暴力と混沌の渦にある。でも、誰かが…。
カラスは一人分多く作られた夕飯を食べ、汚い部屋を今さら片付けて寝た。
机の上にあった魔女の水晶のスケッチは、荷物袋の方にしまった。
それから、カラスは部屋の鏡を覗き込んだ。
目の前には、女がいた。
髪は肩までの長さまで伸びている。
魔女にできるだけ気に入られるようにとの事だった。
できるだけ魅力的になれば魔女が興味を持ち、
近くに寄せてくれるかもしれない。
そこで生まれる隙を狙う目的だった。
案の定、魔女は自分のことをあっさりと引き入れた。
カラスは化けた姿で、魔女と少し話をした。
魔女は己の『魅力』、全ての女性に備わる『魅力』を憎んでいたようであった。
果たしてそのような力は実在するのか、カラスにはとても疑わしかった。
おかげで、魔女の話は全てがまるで幻のように思えた。
幻といえば、己の扱う『変化の術』や『ソールの衣』も
光の見せる幻を利用しているに過ぎない。
今のかりそめの姿もまた、幻に過ぎない。
この幻に働きかけ、何とか出来るのは自分自身に他ならない。
神々の王様が与えた幻の力、魅力。
女たちの力の一部から引き抜いて作られた幻。
その幻を巡り、天の神々が地の人々が、
大きな混沌の果てへと誘われました。
ある者は魅力を求めて旅立った。
ある者は魅力を増やそうと躍起になった。
ある者は魅力を手に入れたつもりになった。
ある者は魅力の正体を探るべく、持つ者全てを集めようとした。
ある者は魅力には差があると考え、ひどく悩んだ。
全ては幻に包まれました。
神々の王様はとんでもないことをしたと悔やみました。
それと同じく、魅力についてもっと知りたくなった彼は、
夜になってからお后様にそっとお願いしました。
「あら嫌だ。あなた、自分のしでかした事をお忘れになったのかしら?」
サルバーデルは散歩や用事で、館を空けることが多くなった。
カラスはその間、館内を片付け、食事などの準備をし、もしもの事態に備えた。
時計館"最果て"は、日中では時計を扱った美術館として営業している。
本日の主な仕事は、その入館受付である。
入館料は10ゼヌとなっており、古今東西様々な時計を見ることができる。
人類最古の時計は、日時計。
東でサムライとなる前、カラスの住んでいた南の半島の国にもあった。
町に設置された大きな柱の影を見て、人々は時間を計った。
影ができるのは太陽様のおかげだと、国教である太陽崇拝を教えられた。
町は戦争によって火が放たれ、カラスは東の最果ての国へ流れた。
今となっては、ただの焼け野原と化した場所である。
東の国で見たからくり時計もあった。
そこではつい最近まで鎖国という政策を行っており、
それが解かれるようになると、様々な国の貿易品が流れてくるようになったらしい。
カラスもそうやって流れて来たのだと、剣の師匠が冗談交じりに言っていた。
祖国を失ってしまったカラスは、以後この国を新しい故郷とした。
客の中に、少し目が合ってしまった者がいた。
彼は恥ずかしそうに、目をそらした。
確か、ブロンドの青年だったと思う。
熱心にメモを取っていた様子が印象的だった。
色々な客が来て、様々な時計を見て行った。
そろそろ"最果て"の閉館時間だ。
最後の客は、これまた面白い姿をしている。
目を引く美しさの少女。
長く伸ばした髪に、質素ながらも気品のよさを感じる。
そしてその手を引く、背の高く、一見すると立派な紳士。
高価そうな帽子の下は、文字盤の仮面…
何ということだ。
「し、失礼しました!お帰りなさいませ!」
カラスが主人を迎えたとき、彼は誰かを連れてきたようだった。
それは見覚えのある顔だった。
リリオット家のご令嬢、マドルチェである。
三人はテーブルに座り、ティーとケーキ、そしてしばらくの話を楽しんだ。
カラスは東の国、そしてその前に住んでいた南の半島の話を少しした。
暗い話になりそうな箇所は話さないでおいた。
それから、マドルチェがここに来るまでのいきさつを嬉しそうに話した。
マドルチェは厳しい祖父によって籠の鳥のようにされていた。
それどころか、存在自体を家から、世間から隠されていた。
それが最近になって、ようやく祖父と和解できたらしい。
カラスは、彼女と共にとても感激し、喜んだ。
その事だけではない。
彼女の屋敷に落としてきたと思われる水晶が、取り立てて報告するような害を起こしてなかったからだ。
最悪、マドルチェのようなか弱い者が魔女の水晶に食べられでもしたかと思うと、
気が気ではなかったのだ。
カラスは二つの出来事について、安心のあまり涙を流した。
最後は、サルバーデルが物語を話した。
カラスは面白いと思って聞いていたが、その後ですっかり頭から消えてしまっていた。
後で何度も確認できることではあった。
「役者として、舞台へ上がってみませんか?」
彼はそう聞いたのだ。
どうやら、リリオット卿が先ほどの物語で劇を上演しようと提案しているらしい。
事件続きのリリオットの街に、文化や楽しみをもたらすという目的であるというが。
最近の爆発事件のこともあって、警備面などでカラスは少々不安に思った。
が、卿にも考えがあるのだろう。
それより、自分が役者に選ばれるなんて何という光栄…
というより恥ずかしさでいっぱいだった。
カラスは断ろうとしたが、サルバーデルは必ずと言っていた。
サムライは、主の命に背くことを許されない。
カラスの手には、真新しい台本が握られていた。
傍にはマドルチェがいて、早速芝居の稽古をしている。
彼女は真面目で、一生懸命に役になりきろうとしている。
一方、カラスは何とか理由をつけて逃げ出そうと考えていた。
このような恥ずかしい姿を衆目に晒すのは、どうしても耐えられないことだった。
この姿がなぜ恥ずかしいのか、街で話したのはただ一人だけ。
それ以上に嫌と言うほど自分の中では説明したし、後悔もした。
ああ、今さらどうしろと!どうしろと!
「ねえ、カラスさん!いっしょに練習しましょうよ。
舞台の立ち位置みたくして、私がここにいて、カラスさんはそっち」
「え、あ…あ、はい。分かりました」
マドルチェが台詞を読む。くるくると動いて止まる。
カラスの頭は上の空へと進んだ。
「…もう。ちゃんとして下さる?」
「は、はい…」
「お芝居の経験はあるのかしら?」
「い、いえ…」
「私もないけど初めて同士、共に手を取り合って…頑張りましょう!」
「は、はい…」
マドルチェは、とにかくはり切っている。
これもサムライとしての仕事の内。
でも今こうしている中で、何かとてつもない重大な事件が起きてはいやしないか。
こんな場所で、こんな事をしている場合なのか、情けないサムライよ。
ああ、何を今さら…
カラスは促されるまま震える声で、台本を読み上げた。
動きもぎこちなかったが、何とかやってみせた。
「そこは、私の台詞よ。それにそんなアクションなんてしません。しっかりして」
ああ、本当に情けない!情けない!
「町には、劇場がありました。
幼い頃に誘われて一度行ったきりですが、
人間と神々のどたばたする話はとても面白かったです。
劇場はとてもきれいでした。
ですが、やがて戦争が始まり、
劇場はそのまま戦士たちの見世物である闘技場になりました。
それから敗戦の色が濃くなるにつれ、兵士の訓練の場…
そして埋葬の場となりました。
私は北の地にて戦乙女を探す旅から戻ってきた後、
兵士の埋葬に立ち会いました。
…あのきらびやかな劇場が、あのような場所になってしまって…」
広告チラシの見本が手渡された。
カラスは開催告知について、サルバーデルに質問した。
「広告は、私の仲間達の方で行うのでご心配なさらずに。演技の練習に集中なさると良いでしょう。
そして…演じる事にばかり意識を向けず、物語そのものをお楽しみになっては如何でしょうか」
「はい、ありがとうございます…」
台本は少ししか読んでいない。対するマドルチェは、全て覚えてしまったとか。
カラスは主人の気遣いに対し、面目がなくなってしまった。
カラスはふと思いつき、背格好の近い仕事仲間と入れ替わり、芝居の広告をしに出た。
カラスは見覚えのある場所に、次々と広告チラシを貼りつけた。
サルバーデルと出会った酒場。
立ち寄った雑貨屋。
暇潰しの世話になった図書館。
そして、リューシャの連絡先となっている宿へ。
これで、もう逃げることは許されない。
「ああ、あの。こんにちは。今度、開催される劇が、あるのです」
「ふーん」フロントには中年の女性が座っていた。
「あの、それでリューシャさんという方はこちらに…」
「いるね」
「この劇なんですけど、予定が開いたらでいいですから、見に来てくれるように…」
「あいよ。でも、あの子最近忙しいみたいだからね。
…それに、席の方はどうなってるのかね。二人分とか座れるのかな?
今朝は男の子といっしょに部屋を出るのを見たよ。仲良しなのかね、同じ部屋だよ」
「えっ…」
「おっと、ごめんごめん。今のはお子ちゃまには少々刺激が強すぎた」
「…」
カラスは黙り、やがて震える声でしゃべった。
「お、お、お友だちが、な、何人いらっしゃっても大丈夫です。ですから、
ぜ、是非リューシャさんには見に来てもらいたいなと…では!」
カラスは逃げるようにして、宿を出た。
それからというもののチラシは二度と配ろうとせず、
カラスは空いた時間で、ひたすら演技の稽古に入った。
今はこの物語と共に歩み、影のようについて行き、支えるのが使命。
もう逃げることは許されない。
「あの瓦版屋、集金をもう少しくらい待ってくれれば良いのに…
今、剣術道場のお金がどんな風になっているか…」
「光と影、善と悪…この世にはその二極しかないと思うておるな。
それは違うぞ。光が当たって影ができ、その間にいるのは我々じゃ。
瓦版屋には幼い子が大勢おる。養っていくためには早く金が必要なのじゃ。
我らの前では悪を演じているが、子らの前では善なのじゃ。
善と悪の狭間にいる我らは二極を常に動き続ける。
さあ、お主が今すぐ期限通り月謝を払えば瓦版屋に金を渡せるぞ」
「あああ、もう少しお待ちください、頭首様。この間買った地名入りの木刀のお金が…」
夢か。今日はとても大切な日。
六月の二十二日。
『アーネチカ』開幕の日だ。
午前中は時計館の清掃。当然だが、今日は休館となっている。
カラスは、少し遅れてから向かう予定である。
皆は道具の搬出作業で、朝早くから現場にいる。
閉じている館内は静まり返っていた。
カラスは何度も何度もその様子を見てきたが、今日は特に静かであった。
静かといっても、全くの無ではない。
時計たちはそれぞれの音を出しながら佇んでいた。
人の声がしない今、それらはまるで歌い合っているようだった。
劇場の音も、こんな風に響き合うのだろうか。
カラスは時計の一つ一つに目を配せ、館の主人よろしく挨拶をした。
長いこと彼らに触れていると、その顔までが分かるようだった。
彼らはこれから物語の世界へ赴くカラスのことを、見送っている。
カラスはいちばん広い部屋から、いくつかを回り、あの部屋へと動いた。
二十四個の時計は、いつもと変わらず元気にしていた。
カラスは彼らの内の部分までを知っている。
ただ一つ以外は。
『見えない時計』。
そう書かれた展示台には、何も見えない空気が乗っかっている…
はずだった。
そこには、大きな缶二つをつないだ奇妙な姿のオブジェが置いてあった。
カラスには覚えがあった。
缶の上下をくるりと回すと、それはかすかな音を発した。
砂の流れ落ちる音だった。
ただ、砂の様子は目にすることができない。
そういうことか。
カラスの目の前は、少し明るくなった。
戸締りを全て終え、カラスは時計館を後にした。
戦乙女に祈ろうか。
以前も彼女を探しに、戦いと戦いの間を走り回ったことがある。
彼女は結局見つけることができなかった。
彼女は高い高い天の上にいる。
時々だが、地を歩く我々の前に翼を下ろすこともある。
彼女は優しい。
天に祈れば、きっとそれは届く。
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人と異形の間に生まれ落ちた娘、アーネチカ。
彼女の強大な力に、人々は恐れおののいた。
そこで困った人々は、三人の騎士を魔の山へと遣わした。
騎士たちは山を登る。
兜を被り、長い外套を羽織った騎士が言う。
「ここを登った猟師は帰って来なくなったという。
仲間達よ、気をつけたまえ。いつ、どんな敵が襲ってくるかも分からん」
もう一人の、柄の大きな騎士は答える。
「大丈夫。もしもの事があってもこの身体。あっという間に弾き返してくれるさ」
彼はおどけた仕草で踊るように、全身を揺らす。
「はっはっは、頼もしい。ところで、君は先ほどから何を考えているのだ」
外套の騎士は、最後の騎士へ聞く。
他の二人と比べて彼はまだ若く、未熟に見える。
そのひときわ美しく白く輝く鎧は目立ったが、同時に経験の浅さを示している。
「山に住むアーネチカ。その姿はただの娘だと聞くが」
彼は考えているようだが、怯えているようにも思える。
「いや、恐ろしい人喰いの獣とも言う。噂は信用ならないぞ。
この身体と強さは信用できるが」
「会ってみないと分からんな。先を進もう」
雨が降ってきた。
彼らが慌てる合間に、黒い塊が次々と現われてくる。
それは一斉に吠え出した。
「獣だ!油断をするな、喰われてしまう」
「分かっている…ああ、やめろ!獣よ!仲間に何をするんだ!」
黒い塊の一つは若い騎士を地面になぎ倒し、他の騎士の動きを制した。
「卑怯な。よりにもよって彼を狙うなどと…!」
「ここは一旦、麓まで引くしかない。雨脚が強くなっている」
「すまない…」
夕暮れと夜の境目。雨はきれいに止んだ。
自分を囲んでいた獣達はいつの間にかいなくなり、若い騎士は取り残されていた。
しかし、その身体は傷ついていた。
そこに、一人の娘が現われた。
「その姿…もしかすると噂に聞く、アーネチカだろうか?」
騎士は聞いたが、娘は答えない。
娘は匂いを嗅ごうと、鼻を突き出して寄って来る。
「人のかたちをした…獣か…」
彼はふと思いつき、食料を娘――アーネチカに差し出した。
すると、彼女はそれに夢中になって喰らいついた。
騎士はその場から逃げようとしたが、夜が迫っていた。
「雨のせいで灯りが…ああ、どうすれば」
山の洞。
「アーネチカ、何故、私をここまで…」
彼女は答えない。
「これは薬草か…?傷の具合が良くなっている」
彼女は相変わらず答えない。
騎士がうつむいて考えている間に、獣のような娘は丸まったまま眠ってしまった。
「ここで、殺してしまえば…民の敵を討つことが出来る。しかし…」
騎士は剣を取らなかった。
目覚めるアーネチカ。
獣のようなうなり声を上げる。
「ああ、君たちは…」
洞の中に、仲間の騎士二人がやって来る。
「生きていたのか。良かった」
「その娘は、まさか」
「まずは、話を聞いてくれ。彼女は…」
彼らは若い騎士ではなく、アーネチカの方へと向かう。
「やめてくれ!」
アーネチカは吠える。
それは人の歌う美しい声のように、
または獣の吠える荒々しい音のように、
その場へ響いた。
騎士たちは全て、気を失った。
山の洞。しかし、一人を除いて誰もいない。
いたのは若い騎士だった。
彼は横たわっていた身体を起こして、洞を出た。
騎士が再び山を登る。
今度は一人。白く輝く鎧を身に着けている。
その手には衣が携えられていた。
――騎士の差し出す衣装掛けにかかっていたものは、未だ誰も見ぬ、美しいドレスだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
白く輝く鎧を纏った騎士は、舞台を降りればただのカラス。
どうやら何とか、台詞でつまずくことがなかった。奇跡であった。
舞台は目まぐるしく変化していった。
ここで最高級の精霊技術を駆使した演出は、
見る者を誰でも圧倒し、魅了した。
まるで物語の世界引き込まれていくようだ。
そして、カーテンコール。
全ての演者が集結し、観客に最高の楽しみを与えたのだった。
――主催者サルバーデルの最後の挨拶が終わった瞬間。
煌びやかな檻のようなものが舞台に落ちてきた。
無数の金貨や彫像などの、それは価値のありそうな光るものが大量に降り注いだ。
先ほどまでの楽しかった舞台は、重さに耐え切れずに崩れてしまった。
人々の悲鳴が聞こえる。
と思ったら、それを拾いに来る者も現われた。
他の共演たちは…
ある者は魔法の力で彫像を獣に変えてけしかけ、
ある者は逃げ惑う人々を冷酷に笑い、
ある者は忽然と姿を消した。
一体、どうなっているのだ。
カラスは、二本の足で立っていた。というより、立ちすくんでいた。
言葉は聞こえていた。状況は分かっていた。
しかし、どうしたら良いのかわからない。
公騎士は、一生懸命ここの治安を守っていた。
対立する傭兵軍団も、ヘレン教の信徒たちもいた。
皆が人々の避難経路を確保し、獣たちの動きを牽制し、関わった者を取り締まろうとしていた。
が、やはり彼らも逃げ惑う人間である。その動きは統制が取れていない。
カラスは近づいた誰かに聞かれた。しかし、どの勢力の者かはわからない。
「おい、君!さっき舞台にいたろう。この状況…一体どうなっているんだ!」
舞台に立ったときと同じくらいの冷静さを取り戻し、カラスは答えた。
「…皆様には、ここの対処をお願いします。
残念ながら、今しばらくお手伝いは出来ません。
私は、主催の方を捜してみます。
何としてでも捜し当てて、事情を全てお話ししてもらうつもりです。
どうか…お許しください!」
カラスは、混乱の渦にある劇場を後にした。
空には月が輝いていたが、それとは別に異様な輝きがあった。
強い魔法の力を感じる。
カラスは、ソールの衣を身につけた。
通常、光の届かない夜間は効果が減ってしまう。
しかし、今は光に満ち溢れていた。
騎士か傭兵か僧侶か、数名がカラスを追ってきたが、すぐに見失った。
祭りの後の静けさ。
場所が変われば、狂気。
そして途中ではマドルチェが微笑を浮かべ、多数の行列と共に大通りを練り歩いていた。
人間の姿もあった。動物の姿もあった。飛んでいるものもあった。
カラスはその人影の中に己の姿を見出したが、気のせいだろうか。
あの劇場から離れていくうちに、静けさが取り戻されてきた。
今はソールの衣を掲げ、さらに舞台用の白銀の鎧をそのまま着込んだ姿である。
傍からは何も見えない。誰も追って来ない。
だが、鎧の重さで全身に衝撃が伝わる。
それでも走り続ける。
あのお方は、こんな事をするはずがない。
あのお方は、出来の悪い自分に優しかった。
あのお方は、路頭に迷っていた自分を救ってくれた。
あのお方は、こんな自分を輝く舞台にまで立たせてくれた。
今こそ、その恩を返す時である。
カラスは、リリオットの街の時計塔に向かった。
そこは、遠くを見渡せそうな場所だった。
かつて、カラスも訪れた事があった。
そこから昇る鮮やかな朝日と夕日は、街では格別の風景であった。
サルバーデルが、それを勧めてくれた所だった。
そして彼と、密かに約束をしていた。
劇の後にここでまた日を見ようと。
もしかすると、彼の居場所になっているかもしれない。
その途中で、時計館"最果て"の仕事仲間と出会った。
小さなリボンをつけた年少の女の子だった。
彼女はとても焦っていた。カラスと同じように。
「ああ、カラスさん。カラスさん…」
「どうしたんだい、私にわけを話してごらん」
カラスもできるだけ、落ち着いて彼女に聞いた。
「…あのひととお友だちを、助けてほしいの」
「あの人…サルバーデル様のことかい?」
少女は少し間を置いてから、何度もうなずいた。
「あのひと、ここに来る前から、ずっとお友だちがいたの。
でも、でもね…いなく、なってしまったの」
彼女はよほど慌てているのか。カラスには話の内容が理解できない。
「なるほど」けれども、耳を傾けるようにした。
「いなくなってしまったけど…『お墓』がある。でもね、本当にそこに入ってるのは…」
「…」
二人はしばらく黙った。
「あのひと…」
そして彼女は、ぽつりと言った。そして、しくしくと泣き出した。
「分かった。君のためにも、サルバーデル様と他の仲間の皆は必ず助ける。
とにかく、これを被って安全な場所に隠れていてくれ」
カラスはそう言って、少女にソールの衣を渡した。
衣に準ずる力なら、この明るさがあれば何とか捻出できる。
それほどまで、魔が立ち込めていたのだった。
カラスは時計塔を登った。そのたびに、外の喧騒の音が強まってくる。
街には徐々に狂気が広がっていた。
ここは、まだ静かでいた。
彼は、いた。リリオットで最も高い場所へ。
「やはり、来てくださると思っていました」
仮面の姿はそのままだったが、以前とはまるで違った表情で、カラスは彼に見つめられた。
「私を幽霊だと思うのなら立ち去りなさい。さもなくば声を挨拶なさると良いでしょう」
カラスは剣を掲げた。劇中での、騎士の挨拶であった。
「素晴らしい劇を、ありがとうございました。
私をこの舞台に立たせていただいたことは、真に感謝いたします。
ですが…今は…」
「ご覧ください、リリオットの全景を。街は今や色とりどりの光に包まれています」
夜だというのに、明るい街中。
それとは別の光を放つパレード。
獣たちの吐く炎の息。
それに混ざった人間たちの狂気。
「サルバーデル様…なぜ…このような…」
カラスは、しぼり出すような声で話しかけた。
彼の顔はというと、狂気に染まった街を見下ろす嬉しさ…
というよりは突き刺すような悲しさをたたえていた。
「解りません。あなたのような方がどうして、こんな事を……」
『彼』はカラスの呼びかけに応じ、自らの身の上話を語った。
席を共にした時よりも、詳しい話だった。
リボンの子の言っていた、あのひととお友だち。
彼らはかつての旅の途中、入れ替わっていたのだ。
墓に葬られているのはサルバーデルという人であり、
今、サルバーデルと名乗っているのは友達の『彼』だった。
『彼』はおもむろに仮面を外した。
もし、その下に時計のように精密な機械があったらどうしようかと考えていたが、
人間の顔をしていた。だが、痛々しい傷跡だらけである。
そして、わずかに獣の特徴を残していた。
自分と『彼』はどこか似た者同士、だから惹かれあっていたのか。
カラスは思った。
「剣を抜きなさい。僕はもう止まれない。
もう、どうにもならない。ただ、どうにもならないんですよ」
『彼』は術式を構えた。
しかし、その顔は今までと変わらずに優しい。
『彼』は意思を持たぬ者には殺せぬ。
私に意思はあるのか。
私はなぜ、私なのだろう。
私は…
魔女との戦い。
変わった姿。封じられた『変化の術』。
私はなぜ、呪われているのだろう。
街での出来事。
友と出会い、別れ、その身を案じた。
さらなる狂気に飲まれ、彼らはどうしているのだろう。
彼との出会い。
共に喜び、遊び、劇を演じた。
今はなぜ、悲しんでいるのだろう。
人か獣か。
男か女か。
生者か死者か。
私はその間をさまよい、演じている。
『彼』もまた同じだ。
私は、私である。
大切なもののために、意思を持って戦う。
サムライの忠義とは…主君に仕えること。
それだけではない。
もしも主君が誤った道を歩もうとしているのならば、
それを正すことでもある。
カラスは剣を取った。
それは、舞台で使うただの刃のない鉄の塊だった。
しかし、それで良かった。
「北のソール、
南のアポロン、
西のベレヌス、
東のオオヒルメ。
忘れ去られてもなお、
輝きを失わない太陽の神々よ。
我にしばしの力を。光を。祝福を。
かつて愚かな従者の翼を封じたように、
今は愚かな主の望みを封じる、
輝く釘の魔術よ、ここに!」
カラスは剣を床に刺した。
刺さった剣、さらにそれを媒介として力を伝えた時計塔は一時的に大きな封印の釘となり、
サルバーデルの術式を全て封印した。
カラスは『彼』に合わせるように、穏やかな表情で話した。
「あなたにお仕えできて、私はとても幸せでございます。
嬉しかったです。もし、あの時お声をかけてもらわなければ、きっと…。
…覚えていますか?私、初めにお話いたしました。
たしかに私の剣は弱きものを活かし、守るためにあります。
ですが、戦いの意思はあれども、あなた様の命まで斬ることは出来ません。
あなたには白く輝く、優しい心があります。
その心を使って、罪を償うことが出来ます。
そういう、未来があります。ですので、どうか…」
ttp://www.geocities.jp/s_sennin1217/s_skhelp/s_sknig.html
カラスが話を続けようとした。
同じ頃、黒い虫の衣を纏った人型の魔物が空を飛び、
時計塔に近づいていた。
魔物は怒りに満ちた言葉と共に矢を放ち、それはサルバーデルの胸に刺さった。
そして、彼はゆっくりと地面に倒れていった。
彼はカラスの前に立ちふさがり、かばってくれたのだった。
カラスはまた、呆然と立ちつくそうとしていた時だった。
階下からは魔物を追う剣士が現われた。
いつか、酒場で見た青年だった。
青年は剣を捨てて魔物に呼びかけ、その攻撃を受け止めた。
青年はカラスに、今のうちに逃げろと合図を送ったように見えた。
カラスは倒れた主人を背負い、塔の階段を下った。
外は静か…でもない。かすかな声が聞こえる。
聞きなれない言葉だが、時々『時計』という単語が聞き取れた。
遠くには、長い耳の生えた者たちの姿が見えた。
不安が加速した。
身体と鎧の重さも関係なく、カラスはひたすら通りを走り、
あの場所へ行くしかなかった。
"最果て"へ。
前にもこんな事が。帰巣本能なのか。
鍵は閉めてあったが、中にいた仲間たちが開けてくれた。
カラスは仲間たちに、サルバーデルの受けた怪我の説明をした。
そこまでの経緯を話している時間はなかった。
サルバーデルは、折りたたみベッドの上に横たえられた。
医療に詳しい者が彼のシャツのボタンを開け、胸に刺さった矢を見る。
矢は魔法でできていて、実像はなかった。しかし、それは黒く闇を落としていた。
いわゆる『霊傷』だった。
仲間のうちで最も魔法が使えるのは、今にも疲れて倒れそうなカラスだった。
カラスは水を張った桶を用意させ、きらきら反射する水面に向かって手を伸ばした。
その光は手に吸い込まれ、水はあっという間に蒸発してなくなった。
カラスは、彼の胸に光る手を当てた。
染み込んでいた黒い『霊傷』は、だいぶ小さくなった。
彼の呼吸は、良くなってきた。
カラスは水面の輝きを代償にして、『スリスの泉』という癒しの魔法を使ったのだった。
カラスは鎧を外してもらい、仲間たちと共にサルバーデルの様子を見守った。
彼はその顔だけでなく、全身も傷跡だらけであった。
舞台から降りたカラスは、悪事を行った彼を討とうとしていた。
しかし、できなかった。
「カラスさん、ありがとう。…助けてくれたんだね」
リボンをつけた仲間は、無事に戻って来られたようだった。
彼女に頼まれたとおり、サルバーデルを連れてくることはできた。
しかし、まさか彼が自分を守ってこのような事になったなどと話せようか。
とうとうカラスは堪えきれなくなり、両の目をひどく熱くしてしまった。
舞台の後で、声はほとんど出なかった。
カラスは再び鎧を身につけた。
そして、仲間二人と時計館を出発した。
二人は、しっかりと『柱時計』を抱えている。
長い外套の騎士と、柄の大きな騎士。
騎士たちの出陣だった。
「仲間達よ、気をつけたまえ。いつ、どんな敵が襲ってくるかも分からん」
劇場の跡は焼け野原と化していた。
それも雨によって消され、灰色の風景が広がっている。
きれいに並んでいた観客椅子は、吹き飛ばされて木材と布のゴミになった。
整備されていたはずの床から地面が見えている。
人々はまだ残っている。
彼らはあちこちに固まり、何かにくるまって震えていた。
カラスたちの姿を見るなり、さらにぎゅっと小さくなった集団もいた。
控えに使った組み立て小屋はまだ残っていた。
外装は焦げていたが、崩れた様子はなかった。
鍵がかかっていた。
「誰だ!氷の姉ちゃんか!?」
子どもの声がした。
「違う、とにかく開けてほしい。君たちを助けに来た」
カラスはきちんと返事をした。
「…まあ、入れっ」
すんなりと開けてくれた。
中には、数名の子どもたちだけがいた。
カラスより背の高い人物もいたが、明らかに幼かった。
「騎士団か…?」
「いや、違う!こいつら…舞台の役者だ!」
「くそっ、俺たちを殺す気か!」
察しのいい連中であった。
「…違う。これから、街を元に戻すんだ」
カラスはゆっくりと話した。
「お前らのせいで!うちら、迷子になったじゃないか!」
子どもの一人が怒鳴りつけた。無理もない。
「やめろ!」
リーダー格と思われる、背の高い子どもがそれを制した。
「街を戻すというのは本当か?」
「ああ、嘘はつかぬ。他の役者のみんなと違ってこの騎士たちだけは裏切ったりはしない。
この通り、剣は捨ててきた…君たちと同じ位置に立つために」
「なるほど。俺たちは氷使いの姉さんの言いつけで、ここに隠れているようにしていたんだ。
鍵もあるし、雨風をしのげる。安全になるまで出てくるなと」
「もう、大丈夫なの?」
「帰ってもいい?」
子どもたちはざわついた。
「だめだ。まだ危ない。私はここにある物を探しに来たんだ。そいつがあれば、街は救われる。
このことを信じて、協力してくれ」
カラスは小屋にある道具箱を探した。
「おかしな奴…」
「こいつ劇でセリフうまく言えてなかった気がする」
「つっかかってたよね」
「もしあぶねー事をしたら、このおもちゃの剣と棒でいっせいに囲んで殴れよ。
ま、ひよこみてーなこんなチビの兄さんと親父二人だし。大丈夫だろ。人数ですぐ狩れる」
「姉ちゃん、早く来てくれないかな。また変なの入ってくるよ」
その間、隠れている子どもたちがひそひそと話した。
何が英雄だ。
徒党を組んで事件に当たって、
それを力か何かで解決すれば英雄か。
街を脅かす事件なんて知らない。
共に戦う仲間なんてもういない。
何が英雄なんだ。
剣を使えばそれで解決か。
人が死ねばそれで解決か。
魔物なんて倒せやしない。
家の名前なんて知らない。
事件の経緯なんて分かるはずがない。
分かりたくもない。ああ。
でも、本当はうらやましかったんだ。
彼らのようになりたかったんだ。
カラスは小屋にいる子どもたちを仲間二人に任せ、
一人で『柱時計』を抱えて中央部まで進んだ。
長身の主人だって抱えて逃げてきた。今さらどうということはない。
英雄たちが集まる。
そこに、鎧を身につけた者の姿があった。
舞台にいた騎士のようだった。
その顔は煤けて、髪は汚れ、瞳に輝きがない。
騎士は英雄たちの呼びかけに、かすれた声で応じた。
「…あなたたちは、暗弦七片を求めておいでなのですね」
当てはまった者がいっせいに目を集める。
「私は、劇場の彼らに…利用されていました。
私自体…この出来事については、一切知らされていませんでした。
と、申し上げてもにわかに信じがたいでしょう。
私はこれから代わりに、彼らの罪を償うつもりでいます。
…残りの暗弦七片なら、ここにあります」
「ですが、お願いがございます。
いくら利用されていたとて、彼らは短い間の友でした。
劇の内容がなかなか覚えられなくて困った私に気を使ってくれたし、
時たま見せてくれた笑顔は嘘偽りのものではなかったと思います。
死んでしまった彼らに、哀悼を捧げてくれてはもらえませんでしょうか。
そして…生きている者に許しを与え、これからの償いをさせてほしいのです」
そう言って、鎧の騎士はひざまずいた。
彼らは考えた。
悔しい表情を浮かべる者がいた。
涙を流す者もいた。どこかで見たことのある顔だ。
苦しいのは、彼らとて同じだった。
「…これが、 白塗りの『柱時計』」
すでに脇に置かれている、大き目の物体。
「そして、最後の…『衣装掛け』です」
カラスは懐からそっと、『衣装掛け』を取り出した。
これで、暗弦七片が揃った。
教師の『虚妄石』。
叡智の『地図』。
希望の『ランプ』。
絶望の『イヤリング』。
歯車の『指輪』。
白塗りの『柱時計』。
そして、嘗ては美しい衣装を飾っていた『衣装掛け』。
今までの輝き――魔法陣から発せられるものとは違う光が、
辺りを、そしてリリオットの街中を覆った。
それが収まると、暗い灰色の風景がやってきた。
強い光は消えたが、その場は優しくほのかに明るかった。
街に、夜明けが訪れた。
白髪の女ザムライはリリオットの街の復興を手伝った後、
ある日忽然と姿を消した。
ちょうど時計館が閉館したのと同じ頃である。
彼女は館の者たちと街を出たらしい。
それから、また少し時間が経過した。
自ら封じた魔女に呪われ、
様々な街の事件を見送り、
特に大規模だった劇場での一件については…。
実はクラスをサムライに変えて一年も経たない(このことをうっかり正直に話せば
誰も雇わなくなる危険性があったので、今まで誰にも告げてなかった)
のはどうしても仕方がなかったが、冒険者として明らかに力不足だった。
カラスはその事を恥じ、さらに修行に励むことにした。
以上のことをきちんと正直に話し、
カラスは世話になった仲間たちと別れた。
その際、絵を贈った。
とある人物の肖像画だった。
よく見ると、少し描き直された跡がある。
修行の後の再会を願っての贈り物だった。
空は美しく晴れていて、透明な風が吹いている。
今なら翼を伸ばして、自由に飛べるかもしれない。
ttp://www.geocities.jp/s_sennin1217/s_skhelp/s_skhelend.html
☆END☆
極寒の地にて。
酒場では、旅人が歌を歌っていた。
その格好は異様で、明らかに凍死とは言わなくとも
かなりまずそうな薄さであった。建物の中でも見ていて恐ろしい。
そして、まだ少年のような、大人の女性のような、
よく分からない、だが決して高くない歌声が内に響いている。
リューシャはその歌に何となく聞き覚えがあり、声をかけてみた。
「あの、あなた…もしかして」
「ああ、リューシャさん!あなたをお…いえ、この北の地に眠る、
素晴らしい刀の情報を聞いてここまで来ました次第であります、はい。
そういうことにしておいてください」
白髪の若者だった。
「あ、実は…忘れていたものがございまして…」
若者は慌ててポケットを探し込んだ。
「お約束の、これを…お返しに…」
お約束の、と言いかけたところで、リューシャはその顔を覗き込んだ。
その人物は恥ずかしそうに顔を赤く染めながら、二枚の銀貨を彼女に差し出した。
「あ、遅くなって…すみません。こちら、ずっとお返ししていなくて…。
そう、ほら、見てくださいよ。おかげ様で、すっかり良くなって!」
それから、その人物はリューシャに左の腕を見せた。
少し何かの跡がついていたが、特に問題はなかった。
「申し遅れましたが…リリオットにいたサムライの、カラスです。
これが、私の本当の姿でございます」
リューシャは再び、その顔を覗き込んだ。
以前は確か、女の子の姿にされたとか言っていた。
「劇場での一件はわけも分からずお誘いしてしまい、申し訳ありませんでした。
あの時は…呪いの事など気にする間もなく、
解決のためにずっとひたすら走り回っていました。
姿こそ変われど、二本の足は動き、剣は変わらず振るえました。
それに気がついたら、呪いの釘は自然に消え始めて…」
リューシャはあの少女の記憶の限りの情報と照らし合わせたが、
特にどこも変わった様子がない。
相変わらずリューシャよりも背が低くて、痩せている。
見た目も背丈も声の感じも全部、変わっていない気がする。
リューシャはがっかりした、というよりは別の気持ちが浮かんで来そうになった。
その傍を、ぱたぱたと小さな子どもが歩いて来る。
子どもの姿は、リューシャによく似ていた。
「だめでしょう、こんな所まで来ちゃ」
リューシャは、子どもに優しく言った。
カラスと名乗った者はその姿を見て、先ほど以上にひどく慌てた。
「えっ…え、え?ま、まさか…その、お子様がいらっしゃるとは…し、失礼しました!」
「待って、誤解よ!誤解なんだから!」
★Secondary End★
[0-773]
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